短編・中編
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嘘つきオオカミ
-1- ※荒北視点
福ちゃんがインハイ二日目でしでかしちまった事は今や部員全員に知れ渡っちまってる。第三ステージで自ら棄権し、自分がやったことを吐露して謝罪したからだ。
福ちゃんの戦力を欠いても箱学はダントツで優勝した。部長や顧問から特別な処遇はなく、あいつは自ら望んでいた謹慎すら処罰を食らわなかった。いっそ罰を受けた方がマシだって顔してやがった。誰よりも責任感が強く、罰を与えるまでもなく自分で自分を責め続けてんじゃねえかって先輩らも心配してた。まぁその通りだ。一生、自分のやっちまったコトを悔い続けるだろうな。
――かと言って、いつまでもヘコんでもらってちゃこっちが困る。
9月早々に新キャプテンとして福ちゃんが選ばれたからだ。確かに第三ステージは自ら棄権したものの、第一ステージでの活躍やこれまでのレースでの成績、実力を取っても福ちゃん以外にはありえねぇ。それすらも自責で押しつぶされそうなアイツは辞退しようとしたが、止められていた。今度こそ責任を持ってお前がこのチームをまとめろってな。それが元キャプテンから福ちゃんへ、待ったなしの最後のオーダーだった。
卒業ってのはいつかやってきちまうもんだ。王者箱学の意志は受け継がれていかなけりゃならねェ。それを真っ向からキャプテンとして背負ってけるのは福ちゃんだけだ。俺は気の利いたこた言えねェけど、信じてんだ。俺をロードに引き合わせたお前が前を向くことを辞めるなら、ブン殴ってやるとこだったが、その心配には及ばなかった。
9月の初旬、しつこくセミがうるさく鳴いている残暑の中、福ちゃんは部活を休んで千葉の総北まで謝罪に行った。乱闘騒ぎになんじゃねぇのか。なったらなったでそりゃそん時だと腹を括った俺と違って、東堂は相当焦って“巻ちゃん”とやらに電話をかけていた。奴の心配とはよそに、夕方になり一度部室まで戻ってきた福ちゃんはどこか吹っ切れた表情をしていた。インハイ以降、影っていた表情がいつもの自信に満ちた鉄仮面に戻って俺は安心した。
こいつはこいつのままだ。そんでまた鬼のような練習の日々がはじまる。福ちゃんがキャプテンになったからには練習量が前年の比じゃねぇぞ。
最近の目ぼしい出来事はそれだけじゃない。新しいマネージャーが一人、入部してきた。福ちゃんの幼馴染らしい。
なんつー中途半端な時期に入部してきてんだって、変わった奴だなとは思ったが、その理由は明確だった。福ちゃんが心配でってことだろ。そう考えりゃ辻褄が合う。そうでなきゃこんな半端な時期に入ってくる意味が分からねェ。
福ちゃんの幼馴染の汐見は、一見どこにでもいるような平凡な女子で、実際中身も平凡な女子だ。ただ、この変わり者の福ちゃんと幼馴染ってんだから絶対一癖あるんじゃねぇかとしばらく疑ったがそんなことはなかった。
入部して間もなくはマネージャーの仕事を早く覚えるためによく遅くまで残ってる様子を何度か見かけた。父親がプロチーム専属の元マッサーで、今は鍼灸整骨院をやってるらしい。マネ仕事の他に、自ら部員の足をマッサージしたりとキビキビと動いている。きっと部に溶け込むのもあっという間だろな。
・・・
・・・・・
・・・・・・
部活の通常メニューの後、俺は一人の練習時間が待っている。学校の周辺コースで自分の決めたノルマをこなし、部室にあるローラー台やトレーニングマシーンを使ったりと色々だ。高校に入ってからロードをはじめた俺が卒業までにインハイに出るにはどうしたらいいかってコト。福ちゃんは「毎日一人で練習する」という過酷な課題を与えてきた。通常メニューだけでも疲れんのにその後に一人で練習なんて――正直、尋常じゃねェ。
最初の頃はチャリ回して、吐いて、食って、回して、気絶しての繰り返しだった。チャリ部の名門・箱学の自転車競技部において『高校からロードをはじめました』なんて奴ァ俺ぐらいなもんだった。
周囲の奴らは乗れて当たり前。そもそも俺が箱学に入学したものチャリ部の為じゃない。
野球部がなかったからって理由で選んだだけの学校だった……が、人生なんてどうなっちまうかわかんねェもんだ。クソ真面目に練習する度に俺らしくもないと、ちょっと前の自分なら嫌気が差してたと思う。
今日も一人、練習を終えると部室には福ちゃんと汐見が残っていた。
「荒北、足の筋肉の調子を琴音に診てもらうといい。ここのところオーバーワークだろう」
俺が部室のドアを開けたのに気づくと福ちゃんは唐突に言った。
ロッカーから新しいタオルを出して汗を拭いながら、口元が思わず笑っちまった。
「ハッ!よく言うぜ。ンな甘っちょろいこと言うなんて気持ち悪ィ」
その頼まれた張本人は少し離れた場所でせっせと部誌を書いていた。汐見に聞こえないのを良いことに俺は福ちゃんに近づくと小声で耳打ちした。
「幼馴染っつってたけどホントは付き合ってンだろ?」
「何をニヤついている荒北。付き合ってなどいない」
淡々と返す福ちゃんの表情は微動だにしない。ちっとも照れやしないから面白くも何ともねェ。相変わらずの鉄仮面だ。
お前を心配して入部して来たんだろ?確か七歳の頃からの幼馴染って聞いたっけ。じゃあ親戚みたいな距離感なのか?俺には幼馴染なんていないからわかんねェけど。
追求を逃れるかのように、福ちゃんは汐見の方に近づいて声をかけると俺の方を指さした。
「琴音、すまないが荒北のマッサージをを頼む。筋肉の動きを診てやってくれ」
「頼んでねェけどぉ!?」
勢いよく汗の含んだタオルを福ちゃんに投げつけたがパシッと掴まれた。いっつもそうだコイツ。俺の意見なんて聞きゃしねぇ。
走らせていたペンを止めて、汐見は福ちゃんを見上げると笑って快く頷いた。部活はじまってからこの時間まで働いて……こいつ、笑う余裕もあんのか。腹も減ってんだろうに、疲れた様子を見せないようにと気丈に振る舞っている感じだ。
――初対面の奴はニオイを嗅げばだいたいどんな奴かわかる。
部活をすぐ辞めそうなヤワな奴。プライドだけ高くていっちょまえな奴。真面目で努力家な奴…さすがに女にゃ近づいて嗅ぐことはなかったが、汐見だけは嗅いだ。直後、他の女子マネから容赦なく頭をすっぱたかれたのはごく最近の話。
だってこんな中途半端な時期に入部してくんだ。福ちゃんの幼馴染とはいえ、何考えてるかわかんねーじゃねぇか。だから一応、胡散臭ェニオイがしないかだけ確かめておきたかったんだ。考えすぎだろうけど。とりあえずそんなニオイはしなかったから安心した。
入部初日にそんな関わりをして以来の接触がマッサージか…。長椅子に座るよう福ちゃんに促され、俺は仕方なく乱暴に腰掛けた。汐見が俺の足下の床に膝をついて屈む体勢になる。なんっか、妙な気分だ。
すぐ隣に福ちゃんが立って見張ってるおかげでまぁ、そんな妙な気分はいくらか紛れるが。小さくて滑らかな手がふくらはぎを包んだ瞬間に俺は声をかけた。
「オイ。福ちゃんに頼まれたからって無理すんな。別に俺ァ頼んでねーんだ」
「マッサーの勉強がてら練習したいし、助かるよ」
顔を上げて柔らかく笑う表情に俺もホッとしちまった。ここの女子マネは気の強くてキビキビした女子が多いが、汐見は癒し系だ。そう言われてはこれ以上何も言い返せず、そのまま足をマッサージして貰うことにした。
小さい手が足の付け根から膝上の太股まで順番に辿っていく。最初は軽く押して全体の様子を見ているといった感じだった。そのうち一箇所ずつ重点的に指圧していく。小さくて白い手からは想像できないほどの指先の力。グッと押されたふくらはぎの中心に痛みが走って、俺は呻いた。真剣な表情で次々と押されると痛い場所をピンポイントで押されてる。女に足をマッサージされて照れくせぇなって思ってる余裕もなかった。
「っダァ!」
俺が一際でかい悲鳴を上げると、汐見はそこでハッとしたように顔を上げた。
「ごめんね!痛かった?」
「イヤ平気。にしてもすげぇな、力が」
「これでも父親に習って結構練習してきてるんだ。指先の力がないとちゃんとマッサージ出来ないからね」
汐見が力をこめてくれているおかげで、だいぶ血の流れもよくなって筋肉もほぐれてきた気がする。オーバーワーク――確かに無茶を多々やってる自覚はあった。自転車は毎日乗らないと自分のものにならない。経験が浅いから俺は特にだ。足が痛くても無理してでも乗る日だってあるが、その疲れが蓄積されりゃあオーバーワークにもなっちまう。頭では理解していたが、足を止めるわけにはいかなかったんだ。
終わった頃には二十分が経過していた。随分念入りにしてもらったおかげで足が軽くなったみたいだ。聞けば、筋肉の動きをよくするツボと疲労を和らげるツボを重点的に押したのだと。
「あんがとよ。すっげ楽になった」
立ち上がってみると実感する。疲労が嘘みたいに取れてた。
「よかった。明日の朝の調子もまた教えてね」
ふう、と一息ついて額の汗を拭いながら汐見は笑った。マッサージするのも大変だよな。力仕事みたいなもんだから。
マネだけでなくマッサーとしても役に立ちたいと言ってたが、無理してねぇかな。今は『福ちゃんの幼馴染』って周囲にも知られてるだけに、マッサージをお願いする輩が出てきてねェだろうけど、部にも馴染んできてたら他の奴にもドンドン頼まれるんじゃねーか?……まぁいいのか。勉強にもなるからって本人も言うんだろ。何の心配してんだ俺ァ。
「荒北。練習も大事だが自分の体の負荷をコントロールするのも選手の務めだ」
「あーあー、わぁってるヨ福ちゃん。足ブッ壊さねぇように気を付けるよ」
「それと琴音のことだが…、あいつはずっと店の手伝いがあったからな。運動部に所属するのは初めてなんだ。気に掛けてやってくれ」
「随分過保護なこって。ま、世話になったのは事実だしな。わァったよ」
手をひらひらと振って見せると、福ちゃんは満足そうに頷いた。
翌日の朝、足の軽さを実感して、朝練の時すぐに汐見に報告しにいったら、喜んでいた。
「今度礼にベプシでも奢ってやるヨ」
去り際に俺が告げると、後ろから『わーい』って声が聞こえた。ヘンな奴。クラスでも部活でも、一年の頃に俺がヤンキーで荒れてたのを知ってる連中ばかりだったから、つい最近まで怖くて誰も近寄ってこねぇ嫌われ者だった。部活でも後輩に優しくできねぇ、先輩にゃ生意気だと怒られてたし、クラスでも最初は誰も近づこうとしなかった。だから俺と喋れる奴なんて福ちゃんか新開か東堂か……そんぐらいだ。
そんな中で汐見はレアな存在。俺に怖がったりせず話しかけてくれる優しい奴で頼りになるマネでもある。
……だから、普段から世話になってる奴なら『困ったことがありゃ助けてやりたい』と思うだろ。俺だって汐見に対してはそう思ってんだ。しかしあのムッツリ鉄仮面野郎め。幼馴染がいるなんて羨ましい。
テメーはとんだ贅沢もんだ。自分事のように相手を心配してくれて、力になりたいと部活にも途中から入部してくる……って、俺にもそんぐらい心強い幼馴染がいたら、何か違ったのか。怪我して野球諦めた後も、ヤケにならずにグレずに居れたか。どんな奴になってたか……想像もつかねェ。
そもそもグレなきゃ福ちゃんとも自転車とも出会えなかったけどな。
-1- ※荒北視点
福ちゃんがインハイ二日目でしでかしちまった事は今や部員全員に知れ渡っちまってる。第三ステージで自ら棄権し、自分がやったことを吐露して謝罪したからだ。
福ちゃんの戦力を欠いても箱学はダントツで優勝した。部長や顧問から特別な処遇はなく、あいつは自ら望んでいた謹慎すら処罰を食らわなかった。いっそ罰を受けた方がマシだって顔してやがった。誰よりも責任感が強く、罰を与えるまでもなく自分で自分を責め続けてんじゃねえかって先輩らも心配してた。まぁその通りだ。一生、自分のやっちまったコトを悔い続けるだろうな。
――かと言って、いつまでもヘコんでもらってちゃこっちが困る。
9月早々に新キャプテンとして福ちゃんが選ばれたからだ。確かに第三ステージは自ら棄権したものの、第一ステージでの活躍やこれまでのレースでの成績、実力を取っても福ちゃん以外にはありえねぇ。それすらも自責で押しつぶされそうなアイツは辞退しようとしたが、止められていた。今度こそ責任を持ってお前がこのチームをまとめろってな。それが元キャプテンから福ちゃんへ、待ったなしの最後のオーダーだった。
卒業ってのはいつかやってきちまうもんだ。王者箱学の意志は受け継がれていかなけりゃならねェ。それを真っ向からキャプテンとして背負ってけるのは福ちゃんだけだ。俺は気の利いたこた言えねェけど、信じてんだ。俺をロードに引き合わせたお前が前を向くことを辞めるなら、ブン殴ってやるとこだったが、その心配には及ばなかった。
9月の初旬、しつこくセミがうるさく鳴いている残暑の中、福ちゃんは部活を休んで千葉の総北まで謝罪に行った。乱闘騒ぎになんじゃねぇのか。なったらなったでそりゃそん時だと腹を括った俺と違って、東堂は相当焦って“巻ちゃん”とやらに電話をかけていた。奴の心配とはよそに、夕方になり一度部室まで戻ってきた福ちゃんはどこか吹っ切れた表情をしていた。インハイ以降、影っていた表情がいつもの自信に満ちた鉄仮面に戻って俺は安心した。
こいつはこいつのままだ。そんでまた鬼のような練習の日々がはじまる。福ちゃんがキャプテンになったからには練習量が前年の比じゃねぇぞ。
最近の目ぼしい出来事はそれだけじゃない。新しいマネージャーが一人、入部してきた。福ちゃんの幼馴染らしい。
なんつー中途半端な時期に入部してきてんだって、変わった奴だなとは思ったが、その理由は明確だった。福ちゃんが心配でってことだろ。そう考えりゃ辻褄が合う。そうでなきゃこんな半端な時期に入ってくる意味が分からねェ。
福ちゃんの幼馴染の汐見は、一見どこにでもいるような平凡な女子で、実際中身も平凡な女子だ。ただ、この変わり者の福ちゃんと幼馴染ってんだから絶対一癖あるんじゃねぇかとしばらく疑ったがそんなことはなかった。
入部して間もなくはマネージャーの仕事を早く覚えるためによく遅くまで残ってる様子を何度か見かけた。父親がプロチーム専属の元マッサーで、今は鍼灸整骨院をやってるらしい。マネ仕事の他に、自ら部員の足をマッサージしたりとキビキビと動いている。きっと部に溶け込むのもあっという間だろな。
・・・
・・・・・
・・・・・・
部活の通常メニューの後、俺は一人の練習時間が待っている。学校の周辺コースで自分の決めたノルマをこなし、部室にあるローラー台やトレーニングマシーンを使ったりと色々だ。高校に入ってからロードをはじめた俺が卒業までにインハイに出るにはどうしたらいいかってコト。福ちゃんは「毎日一人で練習する」という過酷な課題を与えてきた。通常メニューだけでも疲れんのにその後に一人で練習なんて――正直、尋常じゃねェ。
最初の頃はチャリ回して、吐いて、食って、回して、気絶しての繰り返しだった。チャリ部の名門・箱学の自転車競技部において『高校からロードをはじめました』なんて奴ァ俺ぐらいなもんだった。
周囲の奴らは乗れて当たり前。そもそも俺が箱学に入学したものチャリ部の為じゃない。
野球部がなかったからって理由で選んだだけの学校だった……が、人生なんてどうなっちまうかわかんねェもんだ。クソ真面目に練習する度に俺らしくもないと、ちょっと前の自分なら嫌気が差してたと思う。
今日も一人、練習を終えると部室には福ちゃんと汐見が残っていた。
「荒北、足の筋肉の調子を琴音に診てもらうといい。ここのところオーバーワークだろう」
俺が部室のドアを開けたのに気づくと福ちゃんは唐突に言った。
ロッカーから新しいタオルを出して汗を拭いながら、口元が思わず笑っちまった。
「ハッ!よく言うぜ。ンな甘っちょろいこと言うなんて気持ち悪ィ」
その頼まれた張本人は少し離れた場所でせっせと部誌を書いていた。汐見に聞こえないのを良いことに俺は福ちゃんに近づくと小声で耳打ちした。
「幼馴染っつってたけどホントは付き合ってンだろ?」
「何をニヤついている荒北。付き合ってなどいない」
淡々と返す福ちゃんの表情は微動だにしない。ちっとも照れやしないから面白くも何ともねェ。相変わらずの鉄仮面だ。
お前を心配して入部して来たんだろ?確か七歳の頃からの幼馴染って聞いたっけ。じゃあ親戚みたいな距離感なのか?俺には幼馴染なんていないからわかんねェけど。
追求を逃れるかのように、福ちゃんは汐見の方に近づいて声をかけると俺の方を指さした。
「琴音、すまないが荒北のマッサージをを頼む。筋肉の動きを診てやってくれ」
「頼んでねェけどぉ!?」
勢いよく汗の含んだタオルを福ちゃんに投げつけたがパシッと掴まれた。いっつもそうだコイツ。俺の意見なんて聞きゃしねぇ。
走らせていたペンを止めて、汐見は福ちゃんを見上げると笑って快く頷いた。部活はじまってからこの時間まで働いて……こいつ、笑う余裕もあんのか。腹も減ってんだろうに、疲れた様子を見せないようにと気丈に振る舞っている感じだ。
――初対面の奴はニオイを嗅げばだいたいどんな奴かわかる。
部活をすぐ辞めそうなヤワな奴。プライドだけ高くていっちょまえな奴。真面目で努力家な奴…さすがに女にゃ近づいて嗅ぐことはなかったが、汐見だけは嗅いだ。直後、他の女子マネから容赦なく頭をすっぱたかれたのはごく最近の話。
だってこんな中途半端な時期に入部してくんだ。福ちゃんの幼馴染とはいえ、何考えてるかわかんねーじゃねぇか。だから一応、胡散臭ェニオイがしないかだけ確かめておきたかったんだ。考えすぎだろうけど。とりあえずそんなニオイはしなかったから安心した。
入部初日にそんな関わりをして以来の接触がマッサージか…。長椅子に座るよう福ちゃんに促され、俺は仕方なく乱暴に腰掛けた。汐見が俺の足下の床に膝をついて屈む体勢になる。なんっか、妙な気分だ。
すぐ隣に福ちゃんが立って見張ってるおかげでまぁ、そんな妙な気分はいくらか紛れるが。小さくて滑らかな手がふくらはぎを包んだ瞬間に俺は声をかけた。
「オイ。福ちゃんに頼まれたからって無理すんな。別に俺ァ頼んでねーんだ」
「マッサーの勉強がてら練習したいし、助かるよ」
顔を上げて柔らかく笑う表情に俺もホッとしちまった。ここの女子マネは気の強くてキビキビした女子が多いが、汐見は癒し系だ。そう言われてはこれ以上何も言い返せず、そのまま足をマッサージして貰うことにした。
小さい手が足の付け根から膝上の太股まで順番に辿っていく。最初は軽く押して全体の様子を見ているといった感じだった。そのうち一箇所ずつ重点的に指圧していく。小さくて白い手からは想像できないほどの指先の力。グッと押されたふくらはぎの中心に痛みが走って、俺は呻いた。真剣な表情で次々と押されると痛い場所をピンポイントで押されてる。女に足をマッサージされて照れくせぇなって思ってる余裕もなかった。
「っダァ!」
俺が一際でかい悲鳴を上げると、汐見はそこでハッとしたように顔を上げた。
「ごめんね!痛かった?」
「イヤ平気。にしてもすげぇな、力が」
「これでも父親に習って結構練習してきてるんだ。指先の力がないとちゃんとマッサージ出来ないからね」
汐見が力をこめてくれているおかげで、だいぶ血の流れもよくなって筋肉もほぐれてきた気がする。オーバーワーク――確かに無茶を多々やってる自覚はあった。自転車は毎日乗らないと自分のものにならない。経験が浅いから俺は特にだ。足が痛くても無理してでも乗る日だってあるが、その疲れが蓄積されりゃあオーバーワークにもなっちまう。頭では理解していたが、足を止めるわけにはいかなかったんだ。
終わった頃には二十分が経過していた。随分念入りにしてもらったおかげで足が軽くなったみたいだ。聞けば、筋肉の動きをよくするツボと疲労を和らげるツボを重点的に押したのだと。
「あんがとよ。すっげ楽になった」
立ち上がってみると実感する。疲労が嘘みたいに取れてた。
「よかった。明日の朝の調子もまた教えてね」
ふう、と一息ついて額の汗を拭いながら汐見は笑った。マッサージするのも大変だよな。力仕事みたいなもんだから。
マネだけでなくマッサーとしても役に立ちたいと言ってたが、無理してねぇかな。今は『福ちゃんの幼馴染』って周囲にも知られてるだけに、マッサージをお願いする輩が出てきてねェだろうけど、部にも馴染んできてたら他の奴にもドンドン頼まれるんじゃねーか?……まぁいいのか。勉強にもなるからって本人も言うんだろ。何の心配してんだ俺ァ。
「荒北。練習も大事だが自分の体の負荷をコントロールするのも選手の務めだ」
「あーあー、わぁってるヨ福ちゃん。足ブッ壊さねぇように気を付けるよ」
「それと琴音のことだが…、あいつはずっと店の手伝いがあったからな。運動部に所属するのは初めてなんだ。気に掛けてやってくれ」
「随分過保護なこって。ま、世話になったのは事実だしな。わァったよ」
手をひらひらと振って見せると、福ちゃんは満足そうに頷いた。
翌日の朝、足の軽さを実感して、朝練の時すぐに汐見に報告しにいったら、喜んでいた。
「今度礼にベプシでも奢ってやるヨ」
去り際に俺が告げると、後ろから『わーい』って声が聞こえた。ヘンな奴。クラスでも部活でも、一年の頃に俺がヤンキーで荒れてたのを知ってる連中ばかりだったから、つい最近まで怖くて誰も近寄ってこねぇ嫌われ者だった。部活でも後輩に優しくできねぇ、先輩にゃ生意気だと怒られてたし、クラスでも最初は誰も近づこうとしなかった。だから俺と喋れる奴なんて福ちゃんか新開か東堂か……そんぐらいだ。
そんな中で汐見はレアな存在。俺に怖がったりせず話しかけてくれる優しい奴で頼りになるマネでもある。
……だから、普段から世話になってる奴なら『困ったことがありゃ助けてやりたい』と思うだろ。俺だって汐見に対してはそう思ってんだ。しかしあのムッツリ鉄仮面野郎め。幼馴染がいるなんて羨ましい。
テメーはとんだ贅沢もんだ。自分事のように相手を心配してくれて、力になりたいと部活にも途中から入部してくる……って、俺にもそんぐらい心強い幼馴染がいたら、何か違ったのか。怪我して野球諦めた後も、ヤケにならずにグレずに居れたか。どんな奴になってたか……想像もつかねェ。
そもそもグレなきゃ福ちゃんとも自転車とも出会えなかったけどな。