短編・中編
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センチメンタルピリオド
-3- ※夢主視点
一年前の文化祭にて。
放課後、クラスの文化祭実行委員に私と新開くんは呼び出されて告げられた一言に、珍しく彼は素っ頓狂な声をあげていた。
「客寄せパンダぁ?」
私は二年の夏休み明けからマネージャーとして入部し、新開くんは一年の頃から自転車競技部に入部しており、来年はインハイレギュラーになることもほぼ決定していた。レギュラーは部内対抗のレースで決めるのだが、部内において彼より速いスプリンターはいないから、ほぼ確約されている枠だ。
それ考慮して、文化祭の準備期間はうちのクラスの文化祭実行委員と担任の判断で一番簡単な作業を私達二人に回してくれた代わりに、突きつけられた条件とは『文化祭当日は客寄せパンダとして校内を回って歩く』というものだった。
自転車競技部の名門として知られている箱学では、もちろん練習量も並大抵ではなく、どの運動部と比較しても圧倒的だった。インハイ連覇を掲げて代々王者のプライドを背負いながら日々トレーニングをこなしてきているのだ。それは、箱学の生徒なら誰でも知っていることだった。
文化祭準備期間だからといって部活がないわけじゃなかった。当たり前のようにトレーニングメニューがあり、皆それぞれの放課後クラスの準備がある程度終わってからやって来て練習をこなしていた。
確かに部活の練習はハードだ。だから、クラスの出し物の準備で簡単な作業を回してもらえるのはありがたいことだ。正直、助かる。
「客寄せパンダって言い方は悪かったかな?ま、呼び込みね。これはどこのクラスでもやってるし…。チラシを配ったりしながら校内を回って欲しいの。詳細は当日にね」
クラス内の文化祭実行委員に事前に聞いていたのはここまでだった。部活のことを配慮してくれてるわけだからありがたい。私も新開くんもその条件をあっさりと飲んだ。その時は、文化祭当日に過酷な事を強いられるとは知らずにいた。
・・・
・・・・・
・・・・・・
うちのクラスの出展…女の子が好きそうなコンセプトカフェだ。パンケーキ中心のカフェメニューにして、教室内はレトロ喫茶さながらに『不思議の国のアリス』をテーマにして可愛らしく飾り付けられた。これならどこのクラスにも負けない売上を叩き出せるかも!と皆意気込んでいた。売上一位になったクラスには何らかの形で褒賞があるらしい。
文化祭当日に私と新開くんが任命されたのは校内を歩き回ってチラシを配ったり、呼び込みをしたりする“宣伝役”。ただしそれはいつもの制服姿じゃなかった。
「これを着てね」と渡されたのは何と、チェシャ猫のでっかい着ぐるみ。
新開くんは、深紅のジャケットに白シャツ、黄色いリボンにグレーのズボン――と、うさぎの耳のカチューシャ。まさに不思議の国のアリスに出てくる時計うさぎの服装そのものだ。私たちはその衣装を渡された瞬間、絶句した。
「……ホントにこれ俺が着るのか?」
「着ぐるみは小柄な人じゃないと着れないし、それにイケメンには顔を出して客寄せになってもらわないと!汐見さんは大変だけど着ぐるみ頑張って!」
「あ、うん。が、頑張るね……」
渇を入れられたような気がしたけど気の抜けた返事しか出来なかった私を見て、新開くんが苦笑していた。なるほど、この宣伝係をやらせたくて準備作業を軽減してくれていたのか。
前日、文化祭実行委員の子から『予備のTシャツとか替えの下着持ってきてね。できればブラ付きタンクトップとかもあると便利』とメールが来ていた事に納得した。やけに持ち物が具体的すぎるなと怪訝に思ったけど、ちゃんと持ってきてよかった。11月とはいえ、着ぐるみの中は暑いし汗もダラダラとかくだろう。下着をそのままつけていたら汗で湿ってしまう。しかしまぁ、よくこんなたいそうな着ぐるみを借りてこれたものだ。
あと数時間後には一般客も入場してくる。教室内もバタバタと準備で慌ただしい中、私と新開くんはそれぞれクラスの子に手伝って貰いながら着替えた。着た直後は体があったかい…が、動いているうちに暑くなるんだろう。髪の毛を一本にまとめて、私は意を決してチェシャ猫の着ぐるみの頭部をかぶった。小さい穴から目の前は見えるが足元は見えない。そして左右の手足を動かして見るも、のったりとしか動けなかった。思っていた以上に動き難い。
唯一よい点があるとするならば、顔が隠れることだ。宣伝して練り歩く役なんて本来私には向いていない。もっと目立つ子や可愛い子がやればいいのにと思う役だが、着ぐるみなら話は別だ。顔が見えていないのならばいくらでもチェシャ猫になりきって可愛らしく振る舞える。
親子連れにウケそうだ。 くるっとゆっくり一回転して手を広げて、ゆるキャラを意識してポーズをとったら、着替えを手伝ってくれていた女子たちに誉めて貰えた。
私よりキツイのは新開くんだろう。完璧にコスプレ…にしても、驚くほどに着こなしている。着替え終えた後に教室でお披露目すると、男子からも女子からも感嘆の息が漏れていた。女子はハイスピードで色めき立つ。
背も高いからジャケットが似合うし、女性的な顔立ちにうさ耳がしっくりくる。かわいいやらカッコいいやらで、確かにうちのクラスでは新開くん以上にこの衣装が似合う男子はいないだろう。もともと、女子受けしそうなコンセプトカフェがテーマなのだから、チラシを配ったり校内を回って宣伝するのならばイケメンが適材適所。この上ない配役だった。
皆に駆け寄られた彼は、髪をかきながら「こりゃすごい」って言って苦笑いしていた。好んで着たわけじゃないからに誉められても本人としては複雑な心境だろうか。
私も着ぐるみのままのたのた近づいて『似合ってるよ!』とくぐもった声で告げると、新開くんは一瞬目を見開いていた。
「…琴音か?」
コクコクと頷くと、彼はプハッと吹き出して笑った。さっきみたいに、くるっと一周して手をひらひらと向けて決めポーズをとると遠慮なく声を立てて笑っていた。
「かわいいなァ!上手い上手い!」
その顔を見てさらに周囲の女子が見慣れない彼の様子に盛り上がっていた。うーん、着ぐるみ越しだと声がうまく届かないんだよね。声を張らないと聞こえにくい声しか出てこないから、これを着てる限りは今日はあまり話せそうにないな。声を張って体力を使い果たしては大変だ。これからこの格好で一日中歩き回るのだから。
文化祭を楽しもう!というよりは、今日与えられた役をこなしきれるか、体力が持つかどうかのが心配だった。
でも、新開くんとなら頑張れそうだ。しっかり宣伝係として活躍しないと!
・・・
・・・・・
・・・・・・
箱根の山の上にある学校・マンモス校の箱根学園の文化祭は毎年大盛況。学生だけでなく、卒業生や箱根に住む町の人々や、わざわざ遠くからも遊びに来るお客さんもいた。一般入場が開始されると同時に、私と新開くんは正門の方に向かった。早速、クラスの出し物・不思議の国のアリスのコンセプトカフェの宣伝チラシを持って校門でお客さんを待ちかまえた。
このチラシも細部に渡るまでよく凝って作られている。裏面もメニューになっていてとても見やすいし、何より美味しそうだ。
部活を優先していいからと、文化祭の作業を軽くしてもらった分の恩は今日の働きで返さないと。
着ぐるみで歩き難いのを見兼ねてか、新開くんは着ぐるみ越しに私の手を引いてエスコートしながら歩いてくれた。頭の上でウサギ耳がぴょこんと跳ねている。よく出来たカチューシャで、歩くたびに彼のウサギ耳も揺れるのがとても可愛い。
――案の定、『客寄せパンダ』っていうのは間違いじゃなかった。正門前で最も目立つ格好でチラシを配っている私たち二人にお客さんは群がって来る。新開くんの方には主に女子生徒や女性客が、私の方には小さな子供を連れた家族連れがやってきたので、子供の頭をなでたり、その場でくるくると回って手を振ってみたりとお客を楽しませつつもしっかりチラシは配って宣伝した。
こういう場は慣れていないからなぁ…と憂鬱そうに教室を出る前に嘆いていた新開くんだったけど、いざ宣伝となると嫌な顔ひとつせずできるだけ柔らかい笑顔を作ってチラシを配っていた。先輩、後輩達の間でも密かに人気だったのか、女子生徒がここぞとチラシをもらいつつ一緒に写真を撮ったりお話したりしていた。押せ押せな女子にも引けを取らず、新開くんはお得意のバキュンポーズを向けて宣伝していた。すごいサービス精神だ。
「2ーBのカフェに絶対寄ってくれよ?」
人差し指を相手に向けて『絶対仕留める』ってポーズ。ウィンクもつけて相手に食らわせれば、その女子だけでなく周囲も色めき立った。ときめきの銃弾を受けた後輩の女子は顔を赤らめて涙目になりながら「絶対!絶対行きます!今から並んできます!!」と声を震えさせていた新開くんの意外な一面と、そして新たな才能を目の当たりにした気分だ。
彼のことを見ているばかりでは私が着ぐるみを着ている意味がないと、慌てて私も意気揚々と宣伝に力が入る。
チェシャ猫の着ぐるみ、といっても随分ディフォルメされた猫なので顔がゆるキャラに近い。ちょっと前に見たゆるキャラの特番を思い出してポージングすると、子供と女子にすごくウケがよかった。
チラシを配って、その場でくるくる回ってパッとほっぺたに手を当てるポーズ。最初は動き難かったけど少しずつ慣れてきて動きも最初よりはスムーズになってきた。このポーズ、なかなか喜んで貰えるようだ。
着ぐるみの中は既に汗だくで、自分の熱気がこもってちょっと水分補給をしたいところだ。
昼過ぎにはチラシはあっと言う間になくなったので新開くんが教室に戻って補充に行き、今度は正門から場所をかえて学校の周りを回りながら配った。のたのたと歩く私の手を引いたり、背中を押したりしながら新開くんはこちらのペースにあわせてくれた。移動しながら、私の様子を伺ってくるのですごく助かった。着ぐるみの頭の隙間からストローを差し込んだペットボトルを傾けて飲ませてくれた。世話になりっぱなしだ。
…人生初着ぐるみ。本当に大変!頭部はカンタンにとれないし、どこでも脱げるわけじゃないし。着ぐるみは時給の高いバイトって聞いたことあるけどこんなに過酷じゃあ高いのも納得だ。
校内周辺を宣伝しながら練り歩いていると、セーラー服姿の集団と遭遇した。よくよく見…なくても、遠目からでもすぐにそれは女装した男子だと分かった。身体がゴツかったり見える肌の節々でわかる。あと仕草が雑だ。 しかもただのセーラー服じゃない。スカートも長く、竹刀を片手に持っているスケ番姿。
文化祭だから、女装も男装もコスプレも珍しくないから思わず素通りしそうになったが、その中にふと見覚えのある顔に気づいて新開くんも私も立ち止まった。そして、全く同じタイミングでブハッと吹き出す。その人物とバッチリ目が合うと、あからさまに嫌な顔をされた。
「ゲっ!新開!」
「や、靖友…!それ、な、…あはは、キッツイなぁ。でも似合ってるぜ?」
「ッせ!!フォローしてんじゃねェ!テメーもコスプレじゃねーか!」
三つ編みのウィッグを襟足から付けて、大袈裟なチークをつけている荒北くんがまさかの女装。恐らく私たちと似たような条件を突きつけられて宣伝役が回ってきたんだろうということは容易に想像できた。
私が何も言わずに肩を震わせて笑っていると荒北くんがズンズンと目前まで迫ってくる。近い距離だと女装も大迫力だ。
「ナァニ笑ってんだ猫畜生がァ!」
「にゃお~にゃお~~!」
「茶化してんじゃねェ!誰が中にいやがるツラ出せツラァ!」
猫の声真似で鳴いて誤魔化すと、怒った荒北くんが右手で着ぐるみの耳部分を掴んできたのですぐさま新開くんはが笑いながらも間に入って止めてくれた。かなり強烈なものを見てしまったような。さっさと行け!と荒北くんに怒鳴られ、私たちはその場から移動してひとまず空き教室で休憩をとった。
クラスの子たちが持ってきてくれた差し入れは、うちのクラスのカフェメニューのサンドイッチだ。ゆっくり味わって食べたかったけれどそんな時間もなく、慌て気味に食べて水分をたっぷり取って、最低限の休憩を挟んでからまた宣伝に向かった。
今度はゆっくりと校内を練り歩く。その次はまた正門、そして周辺。ラスト一時間は自分たちの教室に戻って出入り口に立ち、遊びに来てくれたお客さんたちをおもてなしした。
――空の色が橙色に染まる頃、やっと今日の仕事を終えた。私と新開くんだけでなく、客入りも大盛況だったのでクラスのみんなもヘトヘトに疲れていた。文化祭終了と同時にそれぞれのクラスに生徒会の人が売上を集計しに来て、『2-B、不思議の国のアリスコンセプトカフェ、売上一位おめでとうございます!』というアナウンスは全校に流れた。
疲労困憊の甲斐あって、うちのクラスは売上一位となった。
「やったぁ!」
声をあげて喜ぶみんなと一緒に、叫びながら思わずぴょんと跳ねたらうまく着地できず私はそのままごろんと着ぐるみを着たまま床に転がってしまった。新開くんは笑いながら体を起こすのを手伝ってくれた。
「お疲れさま。琴音、その役適任だったなぁ」
「新開くんもおつかれさま。カッコよかったよ」
お互いを労うようにハイタッチを。チェシャ猫の肉きゅうがついた手に、大きな手がポフッと触れた。
売上一位としてのクラス表彰は、来週の全校集会にて行われるだろう。
この後、片づけを終えたら後夜祭がある。クラスの打ち上げはまた後日改めてやるそうだ。お店を貸し切ってみんなでワイワイできたら楽しいなぁ。
着ぐるみからようやく解放され、私は水泳部の女子更衣室内にあるシャワーを借りてサッパリしてからクラスの後かたづけに参加した。本当はもう疲労でヘトヘトで、立ってるだけでも足が重かったけれど、どうにか片付けが終わるまでは持ちこたえてくれた。
後夜祭では体育館ステージに軽音部がライブをやったりと…ある程度後夜祭のプログラムは毎年似たような感じだ。
去年一度見ているからわかる。定番とはいえ文化祭が終わった後のテンション高い生徒達が集まって盛り上がらないわけがなく、先生達も楽しんでいる様子だった。後夜祭の目玉といえば終盤の打ち上げ花火。
去年はこの花火をいい場所から見たくて、友達と早々と屋上で場所取りをしてたっけ。…しかし今日はもちろん、そんな元気はなく体力も残っていない。
教室内のある程度片付け終わった頃、クラスのみんなでささやかな打ち上げが行われた。後日改めて打ち上げをするのが分かっているが、皆喜びのあまり突発的にはじまったもので、お菓子や飲み物を持ち寄ってワイワイと騒いだ。ホームルームでの話が長いことだけ欠点の担任の先生も、打ち上げに加わった。話が長いだけで基本人柄が良く、生徒にも好かれいてる。仲の良いクラスで団結してやり遂げることができて本当によかった。
友達と話をしたり着ぐるみでの宣伝係を労って貰ったりと、私も教室に居たかったのだけれど、あまりの疲れでだんだん笑っている顔も引きつり、足もジンジンしてきて友達に断ってから私は教室を後にした。
ひと気のないところで休みたい…、そう考えながら辿り着いたのは校舎裏。ウサ吉くんの小屋の前だった。私は小屋と対面している校舎の壁に寄りかかって座り込んだ。
コンクリートのひんやりした温度が心地よい。寄りかかって壁に体を預け、足を伸ばした。ジンジンと痺れてる。ほとんど歩きっぱなしだったのと、着ぐるみでだいぶ体力を使ったからだ。自分以外ここには誰もいない安心感から、私は壁にもたれかかったままうつらうつらと船をこぎだした。少しだけ休んだら回復する。そしたらまた教室に戻ればいい。
打ち上げはまだはじまったばかりで、今日は後夜祭。毎年結構遅くまで開催しているし、ちょっとぐらいここで休んでも大丈夫だろう。寝てもきっと花火の音で起きる。多分。頑張ってよかった。校内で一番の売上、嬉しいな。新開くん、すごくカッコよかった…。
プツッ、とそこで意識は途切れた。
・・・
・・・・・
・・・・・・
ドン!、と一発、突然の大きな音に私はビクリと体を震わせて目を覚ました。そして、その音は後には続かない。もう後夜祭ラストの花火ががはじまったのかと思ったが、どうやら試し打ちだったみたいだ。
ハァと息をつくも、違和感を感じて私は目を見開いた。
壁にもたれかかっていたはずなのに私の真後ろには壁とは違う、服越しに温かい人肌の感触。
「っ!!」
驚いて振り返るとそこには新開くんが、居た。私と壁の間に彼は座っていて――今、私は新開くんの足と足の間に居て寄りかかっているわけで…。
この体勢は?なんで?どうして!?
慌てふためいて言葉を失っている私の顔を見て、彼は笑みを浮かべた。
「壁だと後から体痛くなるだろうなって思ってさ。起こすつもりはなかったんだけど、花火の音で起きちまったなァ」
「……いつから!?」
「30分ぐらい前かなァ。クラスの打ち上げもそこそこに落ち着いてきたから、ウサ吉見に来たら琴音がここで寝てて、俺も驚いたよ」
穏やかに笑うその顔に心臓が高鳴る。隣の席になってから好きになった彼が今、こんなに至近距離にいる。着ぐるみで動きづらくて必死だったし、汗だくだし、その時はドキドキする余裕なんてなかったのだけども、改めて今日はとても幸せだったのだと実感する。大好きな新開くんと一緒に行動できたし、今だってここにいる。信じられない。しかもこんな体勢で…。
ひと気のない場所へ、と思ってウサ吉くんの小屋へ来たのは偶然だった。そこが真っ先に思いついたから。後から新開くんがやってくることは本当にその時は頭になかったのだけども、彼から見たら『自分を見つけて欲しくてここに来た』と打算的に思われたらどうしようって今更ながら焦ってしまう。すごく恥ずかしい。
「ごめん、重かったでしょ?今どくから――」
「いいよ。疲れてクタクタだろ?寄りかかっとけって」
私が慌てて動くと、新開くんは後ろから両肩を掴んで自分の胸へ私の後ろ頭を寄りかからせた。体の疲れは正直に残り、立ち上がろうとしても足が痺れている。結局私はお言葉に甘えて寄りかかりながら静かに下を向いておとなしくなった。耳が熱い。顔が赤くて、新開くんの方を見れない。私の心臓の音が、背中を通り越して彼の心臓に伝わったらバレてしまう。
「……疲れてるのにごめんね」
「俺はどっちかって言うと気疲れのが大きいかな。あんなキッチリした服は合わねぇや」
「すごく似合ってたよ。着替える前に一緒に撮ってもらったチェキ、後でクラスの子からもらう約束してるんだ。楽しみだなぁ」
「そいつァよかった」
いつもの調子で話をして少しドキドキが落ち着いてきたなと――思ったら、ふと私の背中に伝わるひとつの早い鼓動。新開くんの心臓の音だと気づくも、私は内心で否定する。彼が緊張しているワケがない。前から分かっていたはずだ。私と話してて楽しいっていうのは『気が楽』だって意味であって恋愛対象じゃないのだ。
それによく、私と寿一くんの事をからかったりしている。付き合い始めることを期待されてるようなそんな感じだ。だから、新開くんが私に寄りかかられてドキドキしてるなんてことはないのだ。
ひゅるるる…、と、耳に馴染んだこの音は夏の風物詩。今は秋だけども。
後夜祭の最後のプログラム、打ち上げ花火がはじまった。私と新開くんはそのまま顔を見上げて花火を楽しんだ。「「た~まや~」」って定番の声が重なって笑い合う。
楽しい、どうしよう。
心臓の鼓動のリズムが一向に落ち着かない。花火の大きな音とリンクしてる。否が応にも気持ちが加速してしまう。心に蓋をできれば辛い思いをしなくていいと分かっているのに。
花火の音が止むまでは素直に、目の前で目を細めて笑う新開くんに思い切り恋をしていよう。それぐらいはいいよねと、自分に言い聞かせる。後ろで彼の体温を感じながら、また花火の打ち上げに合わせて二人で声を発した。
-3- ※夢主視点
一年前の文化祭にて。
放課後、クラスの文化祭実行委員に私と新開くんは呼び出されて告げられた一言に、珍しく彼は素っ頓狂な声をあげていた。
「客寄せパンダぁ?」
私は二年の夏休み明けからマネージャーとして入部し、新開くんは一年の頃から自転車競技部に入部しており、来年はインハイレギュラーになることもほぼ決定していた。レギュラーは部内対抗のレースで決めるのだが、部内において彼より速いスプリンターはいないから、ほぼ確約されている枠だ。
それ考慮して、文化祭の準備期間はうちのクラスの文化祭実行委員と担任の判断で一番簡単な作業を私達二人に回してくれた代わりに、突きつけられた条件とは『文化祭当日は客寄せパンダとして校内を回って歩く』というものだった。
自転車競技部の名門として知られている箱学では、もちろん練習量も並大抵ではなく、どの運動部と比較しても圧倒的だった。インハイ連覇を掲げて代々王者のプライドを背負いながら日々トレーニングをこなしてきているのだ。それは、箱学の生徒なら誰でも知っていることだった。
文化祭準備期間だからといって部活がないわけじゃなかった。当たり前のようにトレーニングメニューがあり、皆それぞれの放課後クラスの準備がある程度終わってからやって来て練習をこなしていた。
確かに部活の練習はハードだ。だから、クラスの出し物の準備で簡単な作業を回してもらえるのはありがたいことだ。正直、助かる。
「客寄せパンダって言い方は悪かったかな?ま、呼び込みね。これはどこのクラスでもやってるし…。チラシを配ったりしながら校内を回って欲しいの。詳細は当日にね」
クラス内の文化祭実行委員に事前に聞いていたのはここまでだった。部活のことを配慮してくれてるわけだからありがたい。私も新開くんもその条件をあっさりと飲んだ。その時は、文化祭当日に過酷な事を強いられるとは知らずにいた。
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うちのクラスの出展…女の子が好きそうなコンセプトカフェだ。パンケーキ中心のカフェメニューにして、教室内はレトロ喫茶さながらに『不思議の国のアリス』をテーマにして可愛らしく飾り付けられた。これならどこのクラスにも負けない売上を叩き出せるかも!と皆意気込んでいた。売上一位になったクラスには何らかの形で褒賞があるらしい。
文化祭当日に私と新開くんが任命されたのは校内を歩き回ってチラシを配ったり、呼び込みをしたりする“宣伝役”。ただしそれはいつもの制服姿じゃなかった。
「これを着てね」と渡されたのは何と、チェシャ猫のでっかい着ぐるみ。
新開くんは、深紅のジャケットに白シャツ、黄色いリボンにグレーのズボン――と、うさぎの耳のカチューシャ。まさに不思議の国のアリスに出てくる時計うさぎの服装そのものだ。私たちはその衣装を渡された瞬間、絶句した。
「……ホントにこれ俺が着るのか?」
「着ぐるみは小柄な人じゃないと着れないし、それにイケメンには顔を出して客寄せになってもらわないと!汐見さんは大変だけど着ぐるみ頑張って!」
「あ、うん。が、頑張るね……」
渇を入れられたような気がしたけど気の抜けた返事しか出来なかった私を見て、新開くんが苦笑していた。なるほど、この宣伝係をやらせたくて準備作業を軽減してくれていたのか。
前日、文化祭実行委員の子から『予備のTシャツとか替えの下着持ってきてね。できればブラ付きタンクトップとかもあると便利』とメールが来ていた事に納得した。やけに持ち物が具体的すぎるなと怪訝に思ったけど、ちゃんと持ってきてよかった。11月とはいえ、着ぐるみの中は暑いし汗もダラダラとかくだろう。下着をそのままつけていたら汗で湿ってしまう。しかしまぁ、よくこんなたいそうな着ぐるみを借りてこれたものだ。
あと数時間後には一般客も入場してくる。教室内もバタバタと準備で慌ただしい中、私と新開くんはそれぞれクラスの子に手伝って貰いながら着替えた。着た直後は体があったかい…が、動いているうちに暑くなるんだろう。髪の毛を一本にまとめて、私は意を決してチェシャ猫の着ぐるみの頭部をかぶった。小さい穴から目の前は見えるが足元は見えない。そして左右の手足を動かして見るも、のったりとしか動けなかった。思っていた以上に動き難い。
唯一よい点があるとするならば、顔が隠れることだ。宣伝して練り歩く役なんて本来私には向いていない。もっと目立つ子や可愛い子がやればいいのにと思う役だが、着ぐるみなら話は別だ。顔が見えていないのならばいくらでもチェシャ猫になりきって可愛らしく振る舞える。
親子連れにウケそうだ。 くるっとゆっくり一回転して手を広げて、ゆるキャラを意識してポーズをとったら、着替えを手伝ってくれていた女子たちに誉めて貰えた。
私よりキツイのは新開くんだろう。完璧にコスプレ…にしても、驚くほどに着こなしている。着替え終えた後に教室でお披露目すると、男子からも女子からも感嘆の息が漏れていた。女子はハイスピードで色めき立つ。
背も高いからジャケットが似合うし、女性的な顔立ちにうさ耳がしっくりくる。かわいいやらカッコいいやらで、確かにうちのクラスでは新開くん以上にこの衣装が似合う男子はいないだろう。もともと、女子受けしそうなコンセプトカフェがテーマなのだから、チラシを配ったり校内を回って宣伝するのならばイケメンが適材適所。この上ない配役だった。
皆に駆け寄られた彼は、髪をかきながら「こりゃすごい」って言って苦笑いしていた。好んで着たわけじゃないからに誉められても本人としては複雑な心境だろうか。
私も着ぐるみのままのたのた近づいて『似合ってるよ!』とくぐもった声で告げると、新開くんは一瞬目を見開いていた。
「…琴音か?」
コクコクと頷くと、彼はプハッと吹き出して笑った。さっきみたいに、くるっと一周して手をひらひらと向けて決めポーズをとると遠慮なく声を立てて笑っていた。
「かわいいなァ!上手い上手い!」
その顔を見てさらに周囲の女子が見慣れない彼の様子に盛り上がっていた。うーん、着ぐるみ越しだと声がうまく届かないんだよね。声を張らないと聞こえにくい声しか出てこないから、これを着てる限りは今日はあまり話せそうにないな。声を張って体力を使い果たしては大変だ。これからこの格好で一日中歩き回るのだから。
文化祭を楽しもう!というよりは、今日与えられた役をこなしきれるか、体力が持つかどうかのが心配だった。
でも、新開くんとなら頑張れそうだ。しっかり宣伝係として活躍しないと!
・・・
・・・・・
・・・・・・
箱根の山の上にある学校・マンモス校の箱根学園の文化祭は毎年大盛況。学生だけでなく、卒業生や箱根に住む町の人々や、わざわざ遠くからも遊びに来るお客さんもいた。一般入場が開始されると同時に、私と新開くんは正門の方に向かった。早速、クラスの出し物・不思議の国のアリスのコンセプトカフェの宣伝チラシを持って校門でお客さんを待ちかまえた。
このチラシも細部に渡るまでよく凝って作られている。裏面もメニューになっていてとても見やすいし、何より美味しそうだ。
部活を優先していいからと、文化祭の作業を軽くしてもらった分の恩は今日の働きで返さないと。
着ぐるみで歩き難いのを見兼ねてか、新開くんは着ぐるみ越しに私の手を引いてエスコートしながら歩いてくれた。頭の上でウサギ耳がぴょこんと跳ねている。よく出来たカチューシャで、歩くたびに彼のウサギ耳も揺れるのがとても可愛い。
――案の定、『客寄せパンダ』っていうのは間違いじゃなかった。正門前で最も目立つ格好でチラシを配っている私たち二人にお客さんは群がって来る。新開くんの方には主に女子生徒や女性客が、私の方には小さな子供を連れた家族連れがやってきたので、子供の頭をなでたり、その場でくるくると回って手を振ってみたりとお客を楽しませつつもしっかりチラシは配って宣伝した。
こういう場は慣れていないからなぁ…と憂鬱そうに教室を出る前に嘆いていた新開くんだったけど、いざ宣伝となると嫌な顔ひとつせずできるだけ柔らかい笑顔を作ってチラシを配っていた。先輩、後輩達の間でも密かに人気だったのか、女子生徒がここぞとチラシをもらいつつ一緒に写真を撮ったりお話したりしていた。押せ押せな女子にも引けを取らず、新開くんはお得意のバキュンポーズを向けて宣伝していた。すごいサービス精神だ。
「2ーBのカフェに絶対寄ってくれよ?」
人差し指を相手に向けて『絶対仕留める』ってポーズ。ウィンクもつけて相手に食らわせれば、その女子だけでなく周囲も色めき立った。ときめきの銃弾を受けた後輩の女子は顔を赤らめて涙目になりながら「絶対!絶対行きます!今から並んできます!!」と声を震えさせていた新開くんの意外な一面と、そして新たな才能を目の当たりにした気分だ。
彼のことを見ているばかりでは私が着ぐるみを着ている意味がないと、慌てて私も意気揚々と宣伝に力が入る。
チェシャ猫の着ぐるみ、といっても随分ディフォルメされた猫なので顔がゆるキャラに近い。ちょっと前に見たゆるキャラの特番を思い出してポージングすると、子供と女子にすごくウケがよかった。
チラシを配って、その場でくるくる回ってパッとほっぺたに手を当てるポーズ。最初は動き難かったけど少しずつ慣れてきて動きも最初よりはスムーズになってきた。このポーズ、なかなか喜んで貰えるようだ。
着ぐるみの中は既に汗だくで、自分の熱気がこもってちょっと水分補給をしたいところだ。
昼過ぎにはチラシはあっと言う間になくなったので新開くんが教室に戻って補充に行き、今度は正門から場所をかえて学校の周りを回りながら配った。のたのたと歩く私の手を引いたり、背中を押したりしながら新開くんはこちらのペースにあわせてくれた。移動しながら、私の様子を伺ってくるのですごく助かった。着ぐるみの頭の隙間からストローを差し込んだペットボトルを傾けて飲ませてくれた。世話になりっぱなしだ。
…人生初着ぐるみ。本当に大変!頭部はカンタンにとれないし、どこでも脱げるわけじゃないし。着ぐるみは時給の高いバイトって聞いたことあるけどこんなに過酷じゃあ高いのも納得だ。
校内周辺を宣伝しながら練り歩いていると、セーラー服姿の集団と遭遇した。よくよく見…なくても、遠目からでもすぐにそれは女装した男子だと分かった。身体がゴツかったり見える肌の節々でわかる。あと仕草が雑だ。 しかもただのセーラー服じゃない。スカートも長く、竹刀を片手に持っているスケ番姿。
文化祭だから、女装も男装もコスプレも珍しくないから思わず素通りしそうになったが、その中にふと見覚えのある顔に気づいて新開くんも私も立ち止まった。そして、全く同じタイミングでブハッと吹き出す。その人物とバッチリ目が合うと、あからさまに嫌な顔をされた。
「ゲっ!新開!」
「や、靖友…!それ、な、…あはは、キッツイなぁ。でも似合ってるぜ?」
「ッせ!!フォローしてんじゃねェ!テメーもコスプレじゃねーか!」
三つ編みのウィッグを襟足から付けて、大袈裟なチークをつけている荒北くんがまさかの女装。恐らく私たちと似たような条件を突きつけられて宣伝役が回ってきたんだろうということは容易に想像できた。
私が何も言わずに肩を震わせて笑っていると荒北くんがズンズンと目前まで迫ってくる。近い距離だと女装も大迫力だ。
「ナァニ笑ってんだ猫畜生がァ!」
「にゃお~にゃお~~!」
「茶化してんじゃねェ!誰が中にいやがるツラ出せツラァ!」
猫の声真似で鳴いて誤魔化すと、怒った荒北くんが右手で着ぐるみの耳部分を掴んできたのですぐさま新開くんはが笑いながらも間に入って止めてくれた。かなり強烈なものを見てしまったような。さっさと行け!と荒北くんに怒鳴られ、私たちはその場から移動してひとまず空き教室で休憩をとった。
クラスの子たちが持ってきてくれた差し入れは、うちのクラスのカフェメニューのサンドイッチだ。ゆっくり味わって食べたかったけれどそんな時間もなく、慌て気味に食べて水分をたっぷり取って、最低限の休憩を挟んでからまた宣伝に向かった。
今度はゆっくりと校内を練り歩く。その次はまた正門、そして周辺。ラスト一時間は自分たちの教室に戻って出入り口に立ち、遊びに来てくれたお客さんたちをおもてなしした。
――空の色が橙色に染まる頃、やっと今日の仕事を終えた。私と新開くんだけでなく、客入りも大盛況だったのでクラスのみんなもヘトヘトに疲れていた。文化祭終了と同時にそれぞれのクラスに生徒会の人が売上を集計しに来て、『2-B、不思議の国のアリスコンセプトカフェ、売上一位おめでとうございます!』というアナウンスは全校に流れた。
疲労困憊の甲斐あって、うちのクラスは売上一位となった。
「やったぁ!」
声をあげて喜ぶみんなと一緒に、叫びながら思わずぴょんと跳ねたらうまく着地できず私はそのままごろんと着ぐるみを着たまま床に転がってしまった。新開くんは笑いながら体を起こすのを手伝ってくれた。
「お疲れさま。琴音、その役適任だったなぁ」
「新開くんもおつかれさま。カッコよかったよ」
お互いを労うようにハイタッチを。チェシャ猫の肉きゅうがついた手に、大きな手がポフッと触れた。
売上一位としてのクラス表彰は、来週の全校集会にて行われるだろう。
この後、片づけを終えたら後夜祭がある。クラスの打ち上げはまた後日改めてやるそうだ。お店を貸し切ってみんなでワイワイできたら楽しいなぁ。
着ぐるみからようやく解放され、私は水泳部の女子更衣室内にあるシャワーを借りてサッパリしてからクラスの後かたづけに参加した。本当はもう疲労でヘトヘトで、立ってるだけでも足が重かったけれど、どうにか片付けが終わるまでは持ちこたえてくれた。
後夜祭では体育館ステージに軽音部がライブをやったりと…ある程度後夜祭のプログラムは毎年似たような感じだ。
去年一度見ているからわかる。定番とはいえ文化祭が終わった後のテンション高い生徒達が集まって盛り上がらないわけがなく、先生達も楽しんでいる様子だった。後夜祭の目玉といえば終盤の打ち上げ花火。
去年はこの花火をいい場所から見たくて、友達と早々と屋上で場所取りをしてたっけ。…しかし今日はもちろん、そんな元気はなく体力も残っていない。
教室内のある程度片付け終わった頃、クラスのみんなでささやかな打ち上げが行われた。後日改めて打ち上げをするのが分かっているが、皆喜びのあまり突発的にはじまったもので、お菓子や飲み物を持ち寄ってワイワイと騒いだ。ホームルームでの話が長いことだけ欠点の担任の先生も、打ち上げに加わった。話が長いだけで基本人柄が良く、生徒にも好かれいてる。仲の良いクラスで団結してやり遂げることができて本当によかった。
友達と話をしたり着ぐるみでの宣伝係を労って貰ったりと、私も教室に居たかったのだけれど、あまりの疲れでだんだん笑っている顔も引きつり、足もジンジンしてきて友達に断ってから私は教室を後にした。
ひと気のないところで休みたい…、そう考えながら辿り着いたのは校舎裏。ウサ吉くんの小屋の前だった。私は小屋と対面している校舎の壁に寄りかかって座り込んだ。
コンクリートのひんやりした温度が心地よい。寄りかかって壁に体を預け、足を伸ばした。ジンジンと痺れてる。ほとんど歩きっぱなしだったのと、着ぐるみでだいぶ体力を使ったからだ。自分以外ここには誰もいない安心感から、私は壁にもたれかかったままうつらうつらと船をこぎだした。少しだけ休んだら回復する。そしたらまた教室に戻ればいい。
打ち上げはまだはじまったばかりで、今日は後夜祭。毎年結構遅くまで開催しているし、ちょっとぐらいここで休んでも大丈夫だろう。寝てもきっと花火の音で起きる。多分。頑張ってよかった。校内で一番の売上、嬉しいな。新開くん、すごくカッコよかった…。
プツッ、とそこで意識は途切れた。
・・・
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ドン!、と一発、突然の大きな音に私はビクリと体を震わせて目を覚ました。そして、その音は後には続かない。もう後夜祭ラストの花火ががはじまったのかと思ったが、どうやら試し打ちだったみたいだ。
ハァと息をつくも、違和感を感じて私は目を見開いた。
壁にもたれかかっていたはずなのに私の真後ろには壁とは違う、服越しに温かい人肌の感触。
「っ!!」
驚いて振り返るとそこには新開くんが、居た。私と壁の間に彼は座っていて――今、私は新開くんの足と足の間に居て寄りかかっているわけで…。
この体勢は?なんで?どうして!?
慌てふためいて言葉を失っている私の顔を見て、彼は笑みを浮かべた。
「壁だと後から体痛くなるだろうなって思ってさ。起こすつもりはなかったんだけど、花火の音で起きちまったなァ」
「……いつから!?」
「30分ぐらい前かなァ。クラスの打ち上げもそこそこに落ち着いてきたから、ウサ吉見に来たら琴音がここで寝てて、俺も驚いたよ」
穏やかに笑うその顔に心臓が高鳴る。隣の席になってから好きになった彼が今、こんなに至近距離にいる。着ぐるみで動きづらくて必死だったし、汗だくだし、その時はドキドキする余裕なんてなかったのだけども、改めて今日はとても幸せだったのだと実感する。大好きな新開くんと一緒に行動できたし、今だってここにいる。信じられない。しかもこんな体勢で…。
ひと気のない場所へ、と思ってウサ吉くんの小屋へ来たのは偶然だった。そこが真っ先に思いついたから。後から新開くんがやってくることは本当にその時は頭になかったのだけども、彼から見たら『自分を見つけて欲しくてここに来た』と打算的に思われたらどうしようって今更ながら焦ってしまう。すごく恥ずかしい。
「ごめん、重かったでしょ?今どくから――」
「いいよ。疲れてクタクタだろ?寄りかかっとけって」
私が慌てて動くと、新開くんは後ろから両肩を掴んで自分の胸へ私の後ろ頭を寄りかからせた。体の疲れは正直に残り、立ち上がろうとしても足が痺れている。結局私はお言葉に甘えて寄りかかりながら静かに下を向いておとなしくなった。耳が熱い。顔が赤くて、新開くんの方を見れない。私の心臓の音が、背中を通り越して彼の心臓に伝わったらバレてしまう。
「……疲れてるのにごめんね」
「俺はどっちかって言うと気疲れのが大きいかな。あんなキッチリした服は合わねぇや」
「すごく似合ってたよ。着替える前に一緒に撮ってもらったチェキ、後でクラスの子からもらう約束してるんだ。楽しみだなぁ」
「そいつァよかった」
いつもの調子で話をして少しドキドキが落ち着いてきたなと――思ったら、ふと私の背中に伝わるひとつの早い鼓動。新開くんの心臓の音だと気づくも、私は内心で否定する。彼が緊張しているワケがない。前から分かっていたはずだ。私と話してて楽しいっていうのは『気が楽』だって意味であって恋愛対象じゃないのだ。
それによく、私と寿一くんの事をからかったりしている。付き合い始めることを期待されてるようなそんな感じだ。だから、新開くんが私に寄りかかられてドキドキしてるなんてことはないのだ。
ひゅるるる…、と、耳に馴染んだこの音は夏の風物詩。今は秋だけども。
後夜祭の最後のプログラム、打ち上げ花火がはじまった。私と新開くんはそのまま顔を見上げて花火を楽しんだ。「「た~まや~」」って定番の声が重なって笑い合う。
楽しい、どうしよう。
心臓の鼓動のリズムが一向に落ち着かない。花火の大きな音とリンクしてる。否が応にも気持ちが加速してしまう。心に蓋をできれば辛い思いをしなくていいと分かっているのに。
花火の音が止むまでは素直に、目の前で目を細めて笑う新開くんに思い切り恋をしていよう。それぐらいはいいよねと、自分に言い聞かせる。後ろで彼の体温を感じながら、また花火の打ち上げに合わせて二人で声を発した。