短編・中編
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ドラマチック・プライズ
-1- ※東堂視点
週初めの月曜日。いつも通りに一日が終わるはずだったと、そう思っていたのは俺だけだった。運命というものは本人の知らぬ間に歯車を回しはじめるのだと、知ったのは後々の事。
通常の練習メニューを終え、個人練習として俺は毎日山を登る。飽きずに、毎日毎日。
誰に強いられているわけではない。己の速さに磨きをかける為だ。そうでなくとも登る理由がある。山が俺を呼んでいるからだ。
学校周辺コースの中にクライマーにとって練習に適した山がある。
もう何百回と登ってきた定番のコースではあるが、だからこそ自分のコンディションを確認するには最適だった。ペダルを力強く踏む度に進む。平坦と違って登りは重力に逆らって切り開いて進んでいく。この感じがクライマーにとっては快感なのだ。自転車は自分と一体になり、斜度が上がれば自然と足に力を込め、息も上がる。クライマーは登るしか能がない。だが、それで結構。箱根の山々に囲まれたこの地で生まれ育った俺は、誇りをもってクライマーでよかったと言える。
持って生まれたセンスも脚質も登り一筋でこそ発揮されるのだ。
そして―――
「そしていつだって注目を浴びてしまう俺。天才とは罪だ」
「さすが東堂くんだね。山の神様だね」
「そこは山神と呼んでくれて構わんよ!」
先週、山の練習メニューやクライマーの話を汐見に話したら尊敬の眼差しを向けられた事を、下り坂を走りながらふと思い出した。まぁ、最後は俺自身の話になってしまったが…彼女は頷きながらキラキラした瞳をしていたな。
汐見琴音は二年の夏休み明けから入部してきたフクの幼馴染で、マネージャーになってからあっという間に部内に馴染み、日々俺たちをサポートしてくれている。今やすっかり心強いチームメイトの一員だ。
インハイまであと二ヶ月を切った。気持ちが高揚して日が経つのを指折り数え、ライバルとの勝負の時がどうにも待ち遠しかった。毎日電話して巻ちゃんの体調を心配した。電話をする度に「しつこい」とか「鬱陶しい」とか失礼を言われるが、逐一確認せずにはいられない。巻ちゃんが万全でないと困る。三年最後のインハイで、一滴まで振り絞るような限界の勝負をするために。
暑い夏に想いを馳せて、俺はいっそうペダルを強く踏み込んだ。
・・・
・・・・・
・・・・・・
山を登り終えた後、クールダウンに平坦道を少しだけ走ってから学校に戻った。部室に入ると見慣れない後ろ姿に目を奪われる。うなじが半分隠れるぐらいのショートカット。振り返らずとも体格でそれが女子だというこはすぐにわかった。
「あ、東堂くん。自主練おつかれさま」
ドアの開く音で誰か入ってきたと気づいた彼女は、振り返って俺を見るなり笑顔になった。どうにも見ていると不思議と安心するいつもの笑顔…と、違和感。
目の前にいたのは部室で一人後片付けをしていた汐見だった。汐見はマネージャーの仕事とマッサー及びマッサー指導も兼務してるから、遅くまで残っていることが多いのだ。
しかし驚いた。数秒、見つめたまま俺は固まってしまった。
部活の時はひとつにまとめていた先週までの彼女の長い髪が、ショートカットになっていた。今日は委員会の会議で部活開始時間に汐見は不在だったから、俺は彼女の短い髪を今、はじめて見たのだ。
「髪…、随分思い切り切ったな」
髪型を変えた女子に対して気が利かない一言が出てきてしまい、いつもの俺らしくないと額に汗が浮き出す。
「うん、ちょうど昨日ね。お休みだったから美容院に行ってきたんだ」
確かに昨日は部活も休みで俺たちも久々のオフだった。とはいえ、オフでも自主練があったり、個人的に申し込んでいるレースに出場したりレギュラーの休日は相変わらずだが。
歩くたびにふわふわと揺れる長い髪――見慣れた姿とだいぶイメージが変わる。短い髪の汐見は、いかにも活発そうに見え、前髪も短めに切ったらしく表情もよくわかる。
右手で後頭部の髪の毛を触りながら汐見は照れくさそうにはにかんだ。
「これからもっと暑くなると思って。でも切りすぎて男の子みたいになっちゃったかな」
そんなに謙遜することはないだろうに。高い声、長い睫に華奢な体、柔らかい表情…誰が男に見間違えるものか。
夏に向けて髪を切るのは納得がいくし、何ら不思議ではないのに、俺の胸の痞えは取れない。なるほど、と適当な相槌を打ちながらロッカーからタオルを取り出して汗を拭うと、自分の中にひとつの疑念が過ぎった。
『失恋』すると女は髪を切るという。未練を断ち切るという意味がこめられていると言う。
――お前は失恋でもしたのか、汐見。誰に恋をした?フクにか?それとも他の誰かに?
一度生まれた疑念は心の中にじわじわと広がっていく。何故だかわからないが髪を切った理由を追求したくなった。本人の言葉を疑うわけじゃないが素直に受け入れられない。暑くなるから切っただけ?それは、本当か?
トレーニングを終えてすっかり落ち着いてきた心拍数がまた上がり始める。俺らしくもなく冷静さを欠いてるせいで、心音はうるさく鳴り始める。
“自分は途中から入部したからみんなの足を引っ張らないように”と、人一倍努力していた汐見に俺が一目おいていた事は確かだ。
だが、それだけだ。努力する者を敬意を払うのは男女は関係ない。それ以上の感情はなかったはずだ。それに一目置いていたのは俺だけじゃない。あの荒北さえよくやっていると認めていた。
いつもなら弾む会話が弾まず、沈黙で間が埋まる。俺が珍しく押し黙っている様子を不思議に思って、汐見がいきなり顔を覗き込んできたので、驚いて後ずさりしそうになったがグッとこらえた。
「どうかした?」
「お…ッ…!」
妙な声だけ出てしまった。思想に耽っている場合じゃない。俺がいつもの調子を取り戻さないと、彼女に変に思われるぞ。
「俺のタイプが髪の短い子だと知って切ったのだろう、本当は!登れる上にトークも切れる、さらにこの美形!この東堂尽八に惚れるのも無理はない!」
ワッハッハと笑いながら人差し指でビシッと汐見を指せば、口角を上げて彼女はふわりと微笑む。
「ふふ、じゃあそういうことにしておくね」
一瞬、時間が止まった感覚に体が固まる。ワッハッハ、の後の、口を閉じることさえ忘れていた。こんなに近い距離で汐見の笑顔を視界に捉えたのは初めてだった。ドッ、と心臓が一際高鳴る。
正直な話、美形な俺に対して汐見は平凡で、顔だけ見ればどこにでもいそうなタイプの女子だ。
ならば何故だ。可愛いと思ってしまうのは。半年以上、同じ部にいたのに、気づいたのは何故、よりによって今なんだ。
ふとした会話を思い返す瞬間も、見慣れた笑顔も、長い髪も、無意識に記憶してる。
知らず知らずに目で追っていた事実を認めざるを得ない。
時限式の爆弾みたいだ。
好きな子が、俺の好みの髪型にしたことで俺の中の爆弾のタイマーが0になり爆発した。決め手がそれでいいのかと自分でも思う。こんなにも単純な男だったか、俺は。ただ、そう考えれば納得がいく。
何と無自覚な恋をしていたのか。不覚だ。己のことは己が一番よく理解していると思い込んでいたがそうじゃなかった。
焦る俺の内心も露知らず、汐見はもう一度うなじあたりに触れて小首を傾げた。
「短すぎて変じゃない?ちゃんとしてる?」
「うむ。ちゃんと似合っているぞ」
妙な間を置かず今度はちゃんと返事ができたことに安堵した。
慌てるな、慌てるなよ。
……こんなにも可愛く見えるのは――わかりきっている答えを、もうすぐ出てしまう解答を、俺は記憶を辿りながら聞かれてもない事を淡々と話し始めた。
「だが、前の長い髪も似合っていたがな」
目を閉じなくともすぐにだって思い出せる彼女の姿。容易いのは、お前を目で追っていたからだ。
「春の合宿の時に一度だけ横で三つ編みをしていたな。ここ最近はを高めのポニーテールで…そういえば、三年の送別会でバレッタでまとめていたあの髪型も似合っていたぞ。女子は髪型ひとつで雰囲気が変わるから、魔法みたいだな」
言い終えた途端、汐見はさっきのように笑顔を見せてくれるのかと思っていたがそうではなかった。誉められれば素直に喜ぶ彼女は今、沈黙を決めている。数秒、口を開けたまま唖然とし、頬の色が少しずつ朱に染まっていく。まるでグラデーションみたいだ。目の色に熱を感じる。二人の間の空気が数度、上昇した。
紅色の両頬を両手で押さえて俯いてしまった。俺と目を合わせてくれない。そのうち耳まで真っ赤になって、汐見はようやくか細い声で「ありがとう」と、微かに呟いた。
「東堂くんにそんな風に言ってもらえるなら切らなきゃよかったかなァ。誉められるの慣れてないから、お世辞でも嬉しい」
こんなにも、恥ずかしくて相手を見れなくはるほど照れている汐見は初めてだ。初々しい表情にまた俺の胸はドキドキとうるさく早鐘を打つ。同時に焦りも生じた。
だって、俺に言われたから照れてるわけじゃないだろ。お前は素直で真っ直ぐな奴だから、誰に言われてもそんな風に反応するはずだ。
本当は――、俺の言った事にだけ照れて欲しい。喜んで欲しい。
独占欲に似た我儘な気持ちが芽生えるも、とても口には出せそうにない。
「俺はお世辞は言わんよ、絶対にな」
今はまだこれが精一杯だ。妙な空気が流れる前に俺はまた声を立てて笑って見せた。お世辞なものか。これだけお前の髪型ひとつひとつ、表情と共に思い出せるというのに。
今夜、どんな日々を経て俺の心が動いていったのかちゃんと思い返してみることにする。俺は、いつからお前が好きになっていたんだろう。
・・・
・・・・・
・・・・・・
その夜、携帯を触る指はアドレス帳を辿ることなく、発信履歴からある人物に電話をかけた。
「――これは完全に恋に落ちたパターン…そうだろ、巻ちゃん!?」
『わかりきってる答えをわざわざ俺に聞いてくんなショ!』
ブツッ…
一言怒鳴られ一方的に電話を切られてしまった。要約した経緯まで聞いてから切ってくれたので巻ちゃんは相変わらず律儀な奴だと思った。そして巻ちゃんから言われたことは正論だった。
俺は彼女に、確かに恋をしている。否、恋に落ちてしまったと言った方が正しい。
-1- ※東堂視点
週初めの月曜日。いつも通りに一日が終わるはずだったと、そう思っていたのは俺だけだった。運命というものは本人の知らぬ間に歯車を回しはじめるのだと、知ったのは後々の事。
通常の練習メニューを終え、個人練習として俺は毎日山を登る。飽きずに、毎日毎日。
誰に強いられているわけではない。己の速さに磨きをかける為だ。そうでなくとも登る理由がある。山が俺を呼んでいるからだ。
学校周辺コースの中にクライマーにとって練習に適した山がある。
もう何百回と登ってきた定番のコースではあるが、だからこそ自分のコンディションを確認するには最適だった。ペダルを力強く踏む度に進む。平坦と違って登りは重力に逆らって切り開いて進んでいく。この感じがクライマーにとっては快感なのだ。自転車は自分と一体になり、斜度が上がれば自然と足に力を込め、息も上がる。クライマーは登るしか能がない。だが、それで結構。箱根の山々に囲まれたこの地で生まれ育った俺は、誇りをもってクライマーでよかったと言える。
持って生まれたセンスも脚質も登り一筋でこそ発揮されるのだ。
そして―――
「そしていつだって注目を浴びてしまう俺。天才とは罪だ」
「さすが東堂くんだね。山の神様だね」
「そこは山神と呼んでくれて構わんよ!」
先週、山の練習メニューやクライマーの話を汐見に話したら尊敬の眼差しを向けられた事を、下り坂を走りながらふと思い出した。まぁ、最後は俺自身の話になってしまったが…彼女は頷きながらキラキラした瞳をしていたな。
汐見琴音は二年の夏休み明けから入部してきたフクの幼馴染で、マネージャーになってからあっという間に部内に馴染み、日々俺たちをサポートしてくれている。今やすっかり心強いチームメイトの一員だ。
インハイまであと二ヶ月を切った。気持ちが高揚して日が経つのを指折り数え、ライバルとの勝負の時がどうにも待ち遠しかった。毎日電話して巻ちゃんの体調を心配した。電話をする度に「しつこい」とか「鬱陶しい」とか失礼を言われるが、逐一確認せずにはいられない。巻ちゃんが万全でないと困る。三年最後のインハイで、一滴まで振り絞るような限界の勝負をするために。
暑い夏に想いを馳せて、俺はいっそうペダルを強く踏み込んだ。
・・・
・・・・・
・・・・・・
山を登り終えた後、クールダウンに平坦道を少しだけ走ってから学校に戻った。部室に入ると見慣れない後ろ姿に目を奪われる。うなじが半分隠れるぐらいのショートカット。振り返らずとも体格でそれが女子だというこはすぐにわかった。
「あ、東堂くん。自主練おつかれさま」
ドアの開く音で誰か入ってきたと気づいた彼女は、振り返って俺を見るなり笑顔になった。どうにも見ていると不思議と安心するいつもの笑顔…と、違和感。
目の前にいたのは部室で一人後片付けをしていた汐見だった。汐見はマネージャーの仕事とマッサー及びマッサー指導も兼務してるから、遅くまで残っていることが多いのだ。
しかし驚いた。数秒、見つめたまま俺は固まってしまった。
部活の時はひとつにまとめていた先週までの彼女の長い髪が、ショートカットになっていた。今日は委員会の会議で部活開始時間に汐見は不在だったから、俺は彼女の短い髪を今、はじめて見たのだ。
「髪…、随分思い切り切ったな」
髪型を変えた女子に対して気が利かない一言が出てきてしまい、いつもの俺らしくないと額に汗が浮き出す。
「うん、ちょうど昨日ね。お休みだったから美容院に行ってきたんだ」
確かに昨日は部活も休みで俺たちも久々のオフだった。とはいえ、オフでも自主練があったり、個人的に申し込んでいるレースに出場したりレギュラーの休日は相変わらずだが。
歩くたびにふわふわと揺れる長い髪――見慣れた姿とだいぶイメージが変わる。短い髪の汐見は、いかにも活発そうに見え、前髪も短めに切ったらしく表情もよくわかる。
右手で後頭部の髪の毛を触りながら汐見は照れくさそうにはにかんだ。
「これからもっと暑くなると思って。でも切りすぎて男の子みたいになっちゃったかな」
そんなに謙遜することはないだろうに。高い声、長い睫に華奢な体、柔らかい表情…誰が男に見間違えるものか。
夏に向けて髪を切るのは納得がいくし、何ら不思議ではないのに、俺の胸の痞えは取れない。なるほど、と適当な相槌を打ちながらロッカーからタオルを取り出して汗を拭うと、自分の中にひとつの疑念が過ぎった。
『失恋』すると女は髪を切るという。未練を断ち切るという意味がこめられていると言う。
――お前は失恋でもしたのか、汐見。誰に恋をした?フクにか?それとも他の誰かに?
一度生まれた疑念は心の中にじわじわと広がっていく。何故だかわからないが髪を切った理由を追求したくなった。本人の言葉を疑うわけじゃないが素直に受け入れられない。暑くなるから切っただけ?それは、本当か?
トレーニングを終えてすっかり落ち着いてきた心拍数がまた上がり始める。俺らしくもなく冷静さを欠いてるせいで、心音はうるさく鳴り始める。
“自分は途中から入部したからみんなの足を引っ張らないように”と、人一倍努力していた汐見に俺が一目おいていた事は確かだ。
だが、それだけだ。努力する者を敬意を払うのは男女は関係ない。それ以上の感情はなかったはずだ。それに一目置いていたのは俺だけじゃない。あの荒北さえよくやっていると認めていた。
いつもなら弾む会話が弾まず、沈黙で間が埋まる。俺が珍しく押し黙っている様子を不思議に思って、汐見がいきなり顔を覗き込んできたので、驚いて後ずさりしそうになったがグッとこらえた。
「どうかした?」
「お…ッ…!」
妙な声だけ出てしまった。思想に耽っている場合じゃない。俺がいつもの調子を取り戻さないと、彼女に変に思われるぞ。
「俺のタイプが髪の短い子だと知って切ったのだろう、本当は!登れる上にトークも切れる、さらにこの美形!この東堂尽八に惚れるのも無理はない!」
ワッハッハと笑いながら人差し指でビシッと汐見を指せば、口角を上げて彼女はふわりと微笑む。
「ふふ、じゃあそういうことにしておくね」
一瞬、時間が止まった感覚に体が固まる。ワッハッハ、の後の、口を閉じることさえ忘れていた。こんなに近い距離で汐見の笑顔を視界に捉えたのは初めてだった。ドッ、と心臓が一際高鳴る。
正直な話、美形な俺に対して汐見は平凡で、顔だけ見ればどこにでもいそうなタイプの女子だ。
ならば何故だ。可愛いと思ってしまうのは。半年以上、同じ部にいたのに、気づいたのは何故、よりによって今なんだ。
ふとした会話を思い返す瞬間も、見慣れた笑顔も、長い髪も、無意識に記憶してる。
知らず知らずに目で追っていた事実を認めざるを得ない。
時限式の爆弾みたいだ。
好きな子が、俺の好みの髪型にしたことで俺の中の爆弾のタイマーが0になり爆発した。決め手がそれでいいのかと自分でも思う。こんなにも単純な男だったか、俺は。ただ、そう考えれば納得がいく。
何と無自覚な恋をしていたのか。不覚だ。己のことは己が一番よく理解していると思い込んでいたがそうじゃなかった。
焦る俺の内心も露知らず、汐見はもう一度うなじあたりに触れて小首を傾げた。
「短すぎて変じゃない?ちゃんとしてる?」
「うむ。ちゃんと似合っているぞ」
妙な間を置かず今度はちゃんと返事ができたことに安堵した。
慌てるな、慌てるなよ。
……こんなにも可愛く見えるのは――わかりきっている答えを、もうすぐ出てしまう解答を、俺は記憶を辿りながら聞かれてもない事を淡々と話し始めた。
「だが、前の長い髪も似合っていたがな」
目を閉じなくともすぐにだって思い出せる彼女の姿。容易いのは、お前を目で追っていたからだ。
「春の合宿の時に一度だけ横で三つ編みをしていたな。ここ最近はを高めのポニーテールで…そういえば、三年の送別会でバレッタでまとめていたあの髪型も似合っていたぞ。女子は髪型ひとつで雰囲気が変わるから、魔法みたいだな」
言い終えた途端、汐見はさっきのように笑顔を見せてくれるのかと思っていたがそうではなかった。誉められれば素直に喜ぶ彼女は今、沈黙を決めている。数秒、口を開けたまま唖然とし、頬の色が少しずつ朱に染まっていく。まるでグラデーションみたいだ。目の色に熱を感じる。二人の間の空気が数度、上昇した。
紅色の両頬を両手で押さえて俯いてしまった。俺と目を合わせてくれない。そのうち耳まで真っ赤になって、汐見はようやくか細い声で「ありがとう」と、微かに呟いた。
「東堂くんにそんな風に言ってもらえるなら切らなきゃよかったかなァ。誉められるの慣れてないから、お世辞でも嬉しい」
こんなにも、恥ずかしくて相手を見れなくはるほど照れている汐見は初めてだ。初々しい表情にまた俺の胸はドキドキとうるさく早鐘を打つ。同時に焦りも生じた。
だって、俺に言われたから照れてるわけじゃないだろ。お前は素直で真っ直ぐな奴だから、誰に言われてもそんな風に反応するはずだ。
本当は――、俺の言った事にだけ照れて欲しい。喜んで欲しい。
独占欲に似た我儘な気持ちが芽生えるも、とても口には出せそうにない。
「俺はお世辞は言わんよ、絶対にな」
今はまだこれが精一杯だ。妙な空気が流れる前に俺はまた声を立てて笑って見せた。お世辞なものか。これだけお前の髪型ひとつひとつ、表情と共に思い出せるというのに。
今夜、どんな日々を経て俺の心が動いていったのかちゃんと思い返してみることにする。俺は、いつからお前が好きになっていたんだろう。
・・・
・・・・・
・・・・・・
その夜、携帯を触る指はアドレス帳を辿ることなく、発信履歴からある人物に電話をかけた。
「――これは完全に恋に落ちたパターン…そうだろ、巻ちゃん!?」
『わかりきってる答えをわざわざ俺に聞いてくんなショ!』
ブツッ…
一言怒鳴られ一方的に電話を切られてしまった。要約した経緯まで聞いてから切ってくれたので巻ちゃんは相変わらず律儀な奴だと思った。そして巻ちゃんから言われたことは正論だった。
俺は彼女に、確かに恋をしている。否、恋に落ちてしまったと言った方が正しい。