夢うつつ
下坂アレハンドロは、古ぼけた小さな椅子に腰掛け、ふと溜め息をついた。
アース27、数多の島々が海原に散らばる東海の西端の島、エルワル島に滞在している、この黒ずくめの女とも男とも分からぬちっぽけな人間は、毎日のように見る「夢」によって精神的に疲弊しきっていた。
また一つ、溜め息をつく。そうする事によって気分を晴らそうとしたが、今ひとつ効果は無いのだった。
夢とは不思議なものである。睡眠中あたかも現実の経験であるかのように感じるこの心像、否、幻覚は、仄かに存在を残して現実に留まり続ける。どんな内容でも、この現象は確実に起きて現実世界に影をおとし続けるーー。
下坂は、苔に覆われている丸みを帯びた岩を眺め、苔で緑一色に染まった部屋で独り、その場で立ち竦んでいた。奇妙な感覚だった。部屋は天井が無く、暖かな陽射しが部屋中に充満していた。苔は生えているが、どこもしめじめとした場所は無く、ただ静寂と安穏がその場を支配していた。そんな中、下坂は部屋の中央部にぽつん、と存在している岩を眺めていた。
岩の為に存在している部屋、そのような印象を受ける。陽光は優しく肢体を撫でる。下坂は大きく天井を仰いだ。
身体が緩やかに固まってゆく感覚が全身を覆う。やがて、下坂は大きな人型の樹と化していた。あれだけ長い間、岩だけを一心に見つめていたのだから当たり前かーー、そう下坂は一人で納得して岩を眺め続けた。思考力が鈍り、感覚だけがその身を満たしていた。
突如、緑色の壁に扉が浮かび上がり、その扉は何者かによってそろそろと開かれた。枝に花を咲かせ、そして実をつけた下坂は、どこにあるかも分からぬ眼で扉の方に視線を向けた。
扉を開けたのは古い友であり、そしてかつて恋い焦がれたシャール・クラレであった。彼女は彼女らしい優雅な振る舞いで、開け放した扉をゆっくり閉ざした。途端、部屋に風が少し巻き起こり、下坂だった樹の葉や枝を微かに揺らした。部屋には下坂の樹と、部屋の中央部に在る苔生した岩と、シャール・クラレしか存在しなかった。
彼女は何の目的でこの部屋を訪れたのだろう、下坂は木の実が床に落ちるままに考えた。
すると、シャールが下坂に近付いてくるではないか。木の実をぽたぽたと床に落としながら、下坂は必死になって苔むした岩の方へ彼女の興味を向けさせようとした。どうして今になって「岩」なのだろう。自分でも不思議に思ったが、迫り来る彼女の足音で冷静さはとうに失っていた。
シャールは下坂の樹の前に来た。もはやどうする事も出来ないのだ、という絶望感に苛まれた。彼女は下坂の樹から落ちた実を物珍しげに眺め、3、4粒手に取り、そしていつの間にか浮かび上がっていた別の扉へ向かい、歩みだしていた。部屋の中央部にある岩には目もくれていないようだった。
彼女は岩を眺めるべきであり、木の実を拾うべきではなかった。下坂は朦朧とした意識の中で、その事だけははっきりと理解していた。ただそれが何を意味しているのかは不明であった。
シャールは入ってきた扉とは別の扉に手をかけた。その瞬間、シャールは塵となってサラサラと崩れ落ちた。床に灰色の塵を積もらせ、消失した彼女を、ただ見ている事しか出来なかったーー。
そこでいつも目が覚める。下坂は顔を覆い、汗を拭った。
生暖かいそよ風が、下坂に纏わり付き、やがて離れていった。
アース27、数多の島々が海原に散らばる東海の西端の島、エルワル島に滞在している、この黒ずくめの女とも男とも分からぬちっぽけな人間は、毎日のように見る「夢」によって精神的に疲弊しきっていた。
また一つ、溜め息をつく。そうする事によって気分を晴らそうとしたが、今ひとつ効果は無いのだった。
夢とは不思議なものである。睡眠中あたかも現実の経験であるかのように感じるこの心像、否、幻覚は、仄かに存在を残して現実に留まり続ける。どんな内容でも、この現象は確実に起きて現実世界に影をおとし続けるーー。
下坂は、苔に覆われている丸みを帯びた岩を眺め、苔で緑一色に染まった部屋で独り、その場で立ち竦んでいた。奇妙な感覚だった。部屋は天井が無く、暖かな陽射しが部屋中に充満していた。苔は生えているが、どこもしめじめとした場所は無く、ただ静寂と安穏がその場を支配していた。そんな中、下坂は部屋の中央部にぽつん、と存在している岩を眺めていた。
岩の為に存在している部屋、そのような印象を受ける。陽光は優しく肢体を撫でる。下坂は大きく天井を仰いだ。
身体が緩やかに固まってゆく感覚が全身を覆う。やがて、下坂は大きな人型の樹と化していた。あれだけ長い間、岩だけを一心に見つめていたのだから当たり前かーー、そう下坂は一人で納得して岩を眺め続けた。思考力が鈍り、感覚だけがその身を満たしていた。
突如、緑色の壁に扉が浮かび上がり、その扉は何者かによってそろそろと開かれた。枝に花を咲かせ、そして実をつけた下坂は、どこにあるかも分からぬ眼で扉の方に視線を向けた。
扉を開けたのは古い友であり、そしてかつて恋い焦がれたシャール・クラレであった。彼女は彼女らしい優雅な振る舞いで、開け放した扉をゆっくり閉ざした。途端、部屋に風が少し巻き起こり、下坂だった樹の葉や枝を微かに揺らした。部屋には下坂の樹と、部屋の中央部に在る苔生した岩と、シャール・クラレしか存在しなかった。
彼女は何の目的でこの部屋を訪れたのだろう、下坂は木の実が床に落ちるままに考えた。
すると、シャールが下坂に近付いてくるではないか。木の実をぽたぽたと床に落としながら、下坂は必死になって苔むした岩の方へ彼女の興味を向けさせようとした。どうして今になって「岩」なのだろう。自分でも不思議に思ったが、迫り来る彼女の足音で冷静さはとうに失っていた。
シャールは下坂の樹の前に来た。もはやどうする事も出来ないのだ、という絶望感に苛まれた。彼女は下坂の樹から落ちた実を物珍しげに眺め、3、4粒手に取り、そしていつの間にか浮かび上がっていた別の扉へ向かい、歩みだしていた。部屋の中央部にある岩には目もくれていないようだった。
彼女は岩を眺めるべきであり、木の実を拾うべきではなかった。下坂は朦朧とした意識の中で、その事だけははっきりと理解していた。ただそれが何を意味しているのかは不明であった。
シャールは入ってきた扉とは別の扉に手をかけた。その瞬間、シャールは塵となってサラサラと崩れ落ちた。床に灰色の塵を積もらせ、消失した彼女を、ただ見ている事しか出来なかったーー。
そこでいつも目が覚める。下坂は顔を覆い、汗を拭った。
生暖かいそよ風が、下坂に纏わり付き、やがて離れていった。
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