2026
「エッセイが書きたい!!」
その衝動に駆られて今パソコンに向かっている。
もともとエッセイはnoteに投稿していた。
2023年には前と、前の前のペンネームで。そのアカウントは消して、「凛」として2025年7月~11月の終わりまで新たなアカウントを運営していた。
でも、消してしまった。なぜか。
評価が怖くなったからである。
バレットジャーナルが開始一年で七冊目になったよーという記事を投稿したら、一晩の間に50ものスキがついたのである。フォロワーも増えていた。
普通の人なら喜ぶべきことなのかもしれない。でも私は、怖くなってしまった。
たくさんの人に見られている。発信力が大きくなっている。インターネットの片隅でちまちまと書いていたのに、気づいたら大通りででかい看板を持って立っていることになっていたのだ。
それが怖くて、アカウントを消した。
投稿するのをやめたあと、エッセイを書きたくなったらバレットジャーナルに全部書くことにした。よかったこと、つらかったこと、悲しかったこと、楽しかったこと、全部だ。バレットジャーナルの中では読者という人がいないから、自由につらつらと書くことができた。
思えば、noteに投稿していたときは投稿する / しないのバウンダリーが曖昧になっていて、すべての出来事をネタにしようとしていた。一週間に一本、ストックも作っておこうなんて、私は馬鹿なことをしていたと思う。そういう目で見ていては、周りの人に失礼だ。相手を大切にしていなかった。
noteアカウントを消してから一年弱の間に、私はSNSアカウントをすべて消した。もちろんつながりも消えたが、ちまちま書きたいという気持ちには個人サイトの方が合っていたようだ。
二次も同じフォレストページプラスで細々と続けているが、三年も運営できている上にやめようと思うことが一度もなかったのは、合っているということなのだろう。
そうして、また。エッセイが書きたくなった。
書きたいことはたくさんあるのだが、その衝動に素直に従っていては前と同じことを繰り返すことになる。他者をネタにできるかという視線で見てしまうことだ。
でもそれは、指標があれば回避できる気がする。
私はエッセイを読むのが好きだ。
三浦しをんさんの「のっけから失礼します」。岡田悠さんの「駅から徒歩138億年」。村上春樹さんの「職業としての小説家」。どの本もお気に入りだ。
これらのエッセイに共通していることがある。「おもしろい」ことである。
もちろん、この三冊の「おもしろい」のベクトルは全部違う。「のっけから~」は爆笑日記、「駅から~」は旅と笑い(さすがオモコロである)、「職業~」はプロならではの思考。でも、私は全部「おもしろい」と感じた。
そして、彼らの書くようなエッセイを書きたいと思っている。
もちろん、彼らはプロで私はただのアマチュアだ。技量もないしスピードもない。
でも、憧れることぐらいいいじゃないか、と少しの希望を混ぜていく。評価にビビッてやめてしまったが、私ならではの「よい」を見つけたらいいじゃないか、と。そうしたら、きっと評価を気にすることもなくなる。確固たる「よい」という評価軸が私の中にあるからだ。
二次の方が続いているのは、長めの作品に対して抜かりなく作ること、SSに対して息抜きをすること、その二つが両立しているからだ。
なら、エッセイでもやればいいじゃないか。がっつりエッセイ、さらっとエッセイ。まぁおそらく私はエッセイより小説の方がスキルが高い人間なのだが、創作に対し「二次小説」「一次小説」「絵」「エッセイ」のサイクルがあって、たまたま「エッセイ」にルーレットが止まってしまったようだ。
とにかく、エッセイにおいては私は初心者なのだ。つらつらとこのように思考を書き連ねてはみたが、読みにくかったりつまらなかったり思う人もいると思う。未来の私もそう思うかもしれない。
だからこそ、試行錯誤していきたいのだ。私にとっては未知数すぎる。私がどこまでできるのか、おもしろいエッセイとはなんなのか、よいエッセイとはなんなのか、書くことで感じてみたい。
一本目はここまでで終わりとしようか。長くなってしまった。
書きたい話題はたくさんあるが、また今度の機会にしよう。
その衝動に駆られて今パソコンに向かっている。
もともとエッセイはnoteに投稿していた。
2023年には前と、前の前のペンネームで。そのアカウントは消して、「凛」として2025年7月~11月の終わりまで新たなアカウントを運営していた。
でも、消してしまった。なぜか。
評価が怖くなったからである。
バレットジャーナルが開始一年で七冊目になったよーという記事を投稿したら、一晩の間に50ものスキがついたのである。フォロワーも増えていた。
普通の人なら喜ぶべきことなのかもしれない。でも私は、怖くなってしまった。
たくさんの人に見られている。発信力が大きくなっている。インターネットの片隅でちまちまと書いていたのに、気づいたら大通りででかい看板を持って立っていることになっていたのだ。
それが怖くて、アカウントを消した。
投稿するのをやめたあと、エッセイを書きたくなったらバレットジャーナルに全部書くことにした。よかったこと、つらかったこと、悲しかったこと、楽しかったこと、全部だ。バレットジャーナルの中では読者という人がいないから、自由につらつらと書くことができた。
思えば、noteに投稿していたときは投稿する / しないのバウンダリーが曖昧になっていて、すべての出来事をネタにしようとしていた。一週間に一本、ストックも作っておこうなんて、私は馬鹿なことをしていたと思う。そういう目で見ていては、周りの人に失礼だ。相手を大切にしていなかった。
noteアカウントを消してから一年弱の間に、私はSNSアカウントをすべて消した。もちろんつながりも消えたが、ちまちま書きたいという気持ちには個人サイトの方が合っていたようだ。
二次も同じフォレストページプラスで細々と続けているが、三年も運営できている上にやめようと思うことが一度もなかったのは、合っているということなのだろう。
そうして、また。エッセイが書きたくなった。
書きたいことはたくさんあるのだが、その衝動に素直に従っていては前と同じことを繰り返すことになる。他者をネタにできるかという視線で見てしまうことだ。
でもそれは、指標があれば回避できる気がする。
私はエッセイを読むのが好きだ。
三浦しをんさんの「のっけから失礼します」。岡田悠さんの「駅から徒歩138億年」。村上春樹さんの「職業としての小説家」。どの本もお気に入りだ。
これらのエッセイに共通していることがある。「おもしろい」ことである。
もちろん、この三冊の「おもしろい」のベクトルは全部違う。「のっけから~」は爆笑日記、「駅から~」は旅と笑い(さすがオモコロである)、「職業~」はプロならではの思考。でも、私は全部「おもしろい」と感じた。
そして、彼らの書くようなエッセイを書きたいと思っている。
もちろん、彼らはプロで私はただのアマチュアだ。技量もないしスピードもない。
でも、憧れることぐらいいいじゃないか、と少しの希望を混ぜていく。評価にビビッてやめてしまったが、私ならではの「よい」を見つけたらいいじゃないか、と。そうしたら、きっと評価を気にすることもなくなる。確固たる「よい」という評価軸が私の中にあるからだ。
二次の方が続いているのは、長めの作品に対して抜かりなく作ること、SSに対して息抜きをすること、その二つが両立しているからだ。
なら、エッセイでもやればいいじゃないか。がっつりエッセイ、さらっとエッセイ。まぁおそらく私はエッセイより小説の方がスキルが高い人間なのだが、創作に対し「二次小説」「一次小説」「絵」「エッセイ」のサイクルがあって、たまたま「エッセイ」にルーレットが止まってしまったようだ。
とにかく、エッセイにおいては私は初心者なのだ。つらつらとこのように思考を書き連ねてはみたが、読みにくかったりつまらなかったり思う人もいると思う。未来の私もそう思うかもしれない。
だからこそ、試行錯誤していきたいのだ。私にとっては未知数すぎる。私がどこまでできるのか、おもしろいエッセイとはなんなのか、よいエッセイとはなんなのか、書くことで感じてみたい。
一本目はここまでで終わりとしようか。長くなってしまった。
書きたい話題はたくさんあるが、また今度の機会にしよう。
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