消えた風鈴、あの子の行方

 風鈴の音を、あの夏の音を、あと一回聞きたかった。そんなことを思い続けて、もう四十二になってしまった。
 木製のシーリングファンがレストランの空気を動かしている。窓から差し込む夏の太陽光の下、モダンな掛け時計は午前十一時を指していた。食器の音と、食べ物の匂い。隣のテーブルからは明るい笑い声が聞こえてくる。
 あの頃からの親友、内田は東の食事の手が止まっているのに気づいた。
「どうした、東?」
 東はせっかくの友人との食事だというのに、仕事の手帳を開いていた。フリーページに自信ありげな黒ボールペンの文字で、タイトルだけが書かれている。そのほかは一面まっさらだ。
「地方に絡めた企画しなきゃいけなくてさ……結構〆切ヤバくて」
 地方、と聞いて耳にチラつくのは風鈴の音。あのとき確かに聞こえていた音。土産物としても有名だった、あのガラスの、軽やかな音。
「企画部って大変なんだな」
 早々にハンバーグを食べ終えた内田は、氷で冷えた水を飲む。日に焼けた喉が動く。営業部の内田は、内とついているのに社交的だ。発想力が必要な企画部のつらさなどわかりもしないだろう、と東は彼の興味なさそうな表情を見て思う。
 はぁ、とため息をついたとき、内田の目が一瞬開いた。
「それなら、風鳴(かざなき)村はどうだ?」
 風鳴村。二人の過ごした村の名前だ。東は内田と考えていることが一緒なことに口を薄く開く。が、それはすぐ閉じられた。
「でももう……ないじゃん」
 空白のページに視線を落とす。
 東と内田の故郷は、随分前に合併された。
 あと一回、故郷に帰れたなら。東は思う。記憶を彩るあの頃の思い出は、もうどこにもない。
 合併されてからなくなったあの頃の風鈴祭りを、あと一回見たかった。うるさいくらいの風鈴の音を、あと一回だけ。笑う子供たち。大人も穏やかに笑っている。誰もが笑顔だったあの祭り。幸せであふれていた、あの夏の空気。
 それはもう二度と体験できないことは、痛いほどわかっている。
「じゃあ……行くか!」
 突然の耳がビリビリするような声量の提案に、店にいる誰もがなんだなんだ、と内田を見る。
「今から行こうぜ! 風鳴村!」
「は……」
 驚きと呆れで息が出た。東は眉間にしわを寄せて言う。
「内田……確かに行けなくはないが……結構遠いぞ。それに、もう……」
 東は言葉を詰まらせる。
「何十年も行ってないし……」
「東!」
 四十二になっても錆びることのない、明るい友人の声に顔を上げる。
「思い立ったが吉日、と言うだろ? なんか、今行かなくちゃいけない気がしたんだよ。な、東もついてきてくれるよな?」
 内田は目を輝かせて東の顔を見る。彼の思いつきで行動するところは昔から変わっていない。それについていくのが、いつも東の役目だった。そうだった、と思い出した東は、呆れたようにため息をついた。
「はいはい、わかりましたよ。お前の勘って結構当たるからな」
 伝票を日に焼けた指でぴらぴらさせながら、「早くしろ~」と笑顔の内田。東は残ったミートドリアを急いで口に入れる。
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