5

 帰宅するとすぐにノートパソコンを起動した。少しの待ち時間ののち、問題なく起動した。そして、五万字の書きかけの小説、「氷解」のファイルを開く。
 内容を思い出すためにまずプロットノートを確認する。ざっと読んで、なんて素敵なプロットなのだろうと陶酔する。小西の口角はにんまりと上がっている。
「氷解」は、椎名くんが亡くなったあとの夢主の物語だ。氷は彼女の涙を我慢する強さを、それが解ける様はやはり椎名くんのことを忘れられない熱を表している。日常のふとした瞬間の中で故人の彼を思い出し、椎名くんの存在がどれだけ大きなものだったのかを実感するという長編だ。夢主は他の男性キャラからアプローチされたりもするのだが、彼女は椎名くんを選ぶ。二人で生きていくのだ。あのとき確かに繋いだ手のひらに、もう触れられなくても。
 少し前までマンネリ化していたのはどこへやら、小西の十本の指はまるで巨大な獣に追われているかのような速さで文字を打ち込んでいく。両目は生み出される文章に釘付けだ。
 書ける。
 すべてを忘れて、ただ執筆だけに没頭するこの感覚は久々のものだった。心地よさに身をゆだねて、心の向くままに物語を紡ぐ。こんなに気持ちが高揚するのは久しぶりだ。疲労が脳を襲う頃、そういえば休憩を入れていなかったと小西は気づくのだった。時計の針は二時間進んでいた。
 休憩にお茶の準備をする。執筆再開記念でとっておきのお高い紅茶にしよう。お湯を入れたティーポットに、まだたくさん残っている黒いタグのついたティーバッグを入れて蓋をする。高級でおいしいからがぶがぶ飲めなくて、なかなか減らないのだ。デスクに置き、色が出るのを待つ。ふと思いついて、執筆をまた始めたことを投稿しておこうかと数か月ぶりに壁打ち垢を開くことにした。初期のままのアイコンをタップしようとして、指が止まる。
 もし、あの人からなにか言われていたら? リプやメンションで、または匿名箱で、なにか言われていたら?
 小西は奥歯をついかみしめてしまう。が、すぐそれをやめた。
 たとえそうだったとしても、それらをブロックすればいいだけの話。最悪、SNSなんてなくても作品は書ける。他人なんてどうでもいい、私は小説が書ければそれでいいんだから。そう自分に言い聞かせ、小西は壁打ち垢を開く。少しの読み込みののち、通知の数字が出るのを待った。
1/4ページ
スキ