3
夜の住宅街を歩く。右手には紙袋。僕の口角は少しだけ上がっている。お土産を買ったからだ。
「なぁ、兄ちゃん」
少し前、仕事帰りに銭湯に寄った僕は常連のおじいさんに話しかけられた。男湯はご老人の方が多く、二十代の僕は少し場違いな気もする。しかし、長く通う中で声をかけてくれる常連さんも増えてきた。すっかり僕も常連の一員だ。
僕が銭湯に通っているのは、ラブのいる前で風呂に入りたくないからだ。ラブは人ではないけれども女性、正確には雌の個体だろうか。夫婦でもあまつさえ恋人でもないのだから、一緒に風呂に入るわけにはいかないのだ。自宅の風呂に入れないのは残念だが、銭湯では仕事場とはまた違った新しい人間関係が築けているのでなかなか楽しく、僕はこんな生活もよいと思っている。
おじいさんはスマホを操作していた。その表情は曇っている。
「あれ、どこだったっけなぁ」
「どうしました?」
「スマホ、わかるかい? 若いのがいてありがてぇなぁ」
おじいさんから要件を聞く。どうやら写真アプリを開きたいようだった。僕はアプリの場所を一緒に探してあげた。
「あぁ、これじゃ、これ。それでな、ばあさんが買ってきてくれたこのゼリーがおいしかったんだよ」
「おぉ……」
おじいさんのスマホに映っていたのは、水色から青のグラデーションがきれいなゼリーだった。丸みを帯びたフォルムの透明なグラスに入っていて、きらきらとした砂糖菓子のようなものが浮いている。
まるで、海のような……。
「あんちゃん、若いからこういうの興味あるだろ?」
「はい、興味あります。すごくきれいです」
「そうだろ。見せてよかったわ」
おじいさんはケタケタと笑った。
そして僕は思いついた。これ、もしかしてラブが喜んでくれるかもしれない! と。海に関するものはなんでも試そうと思っていたのだ。僕は思い切っておじいさんに尋ねた。
「このゼリー、どこで買えますか?」
おじいさんは喜んで近所のケーキ屋を教えてくれた。僕は銭湯を出た後にダッシュで向かい、閉店ギリギリの店でラブの喜んだ顔を想像しながら二つ購入したのだった。
ラブ、どんなことを言ってくれるかな。「きれいね、この青が素敵」と目を輝かせてくれるかな。「おいしいわ!」って食べてくれるかな。「ナルも食べなさいよ」って勧めてくれるかな。
口がゆるむ。視界に映る都会の夜空に浮かぶ星は、数こそ少ないけれど確かに煌めいていて、僕の考えたことを肯定してくれているような気がした。
わくわくしながらいつものように家のドアを開ける。なんだか、異様に静かだ。
「ラブ、ただいま!」
その静けさを気のせいにしようとわざと明るく声を出す。返事はなかった。声がむなしく部屋に響いただけだった。僕は寝ているだけだろうと信じ、靴を脱いで風呂場に直行する。
ドアを開けると、いつもの潮の匂いが僕の鼻を刺激する。
そして、出迎えてくれるはずのあの子は忽然と姿を消していた。
「なぁ、兄ちゃん」
少し前、仕事帰りに銭湯に寄った僕は常連のおじいさんに話しかけられた。男湯はご老人の方が多く、二十代の僕は少し場違いな気もする。しかし、長く通う中で声をかけてくれる常連さんも増えてきた。すっかり僕も常連の一員だ。
僕が銭湯に通っているのは、ラブのいる前で風呂に入りたくないからだ。ラブは人ではないけれども女性、正確には雌の個体だろうか。夫婦でもあまつさえ恋人でもないのだから、一緒に風呂に入るわけにはいかないのだ。自宅の風呂に入れないのは残念だが、銭湯では仕事場とはまた違った新しい人間関係が築けているのでなかなか楽しく、僕はこんな生活もよいと思っている。
おじいさんはスマホを操作していた。その表情は曇っている。
「あれ、どこだったっけなぁ」
「どうしました?」
「スマホ、わかるかい? 若いのがいてありがてぇなぁ」
おじいさんから要件を聞く。どうやら写真アプリを開きたいようだった。僕はアプリの場所を一緒に探してあげた。
「あぁ、これじゃ、これ。それでな、ばあさんが買ってきてくれたこのゼリーがおいしかったんだよ」
「おぉ……」
おじいさんのスマホに映っていたのは、水色から青のグラデーションがきれいなゼリーだった。丸みを帯びたフォルムの透明なグラスに入っていて、きらきらとした砂糖菓子のようなものが浮いている。
まるで、海のような……。
「あんちゃん、若いからこういうの興味あるだろ?」
「はい、興味あります。すごくきれいです」
「そうだろ。見せてよかったわ」
おじいさんはケタケタと笑った。
そして僕は思いついた。これ、もしかしてラブが喜んでくれるかもしれない! と。海に関するものはなんでも試そうと思っていたのだ。僕は思い切っておじいさんに尋ねた。
「このゼリー、どこで買えますか?」
おじいさんは喜んで近所のケーキ屋を教えてくれた。僕は銭湯を出た後にダッシュで向かい、閉店ギリギリの店でラブの喜んだ顔を想像しながら二つ購入したのだった。
ラブ、どんなことを言ってくれるかな。「きれいね、この青が素敵」と目を輝かせてくれるかな。「おいしいわ!」って食べてくれるかな。「ナルも食べなさいよ」って勧めてくれるかな。
口がゆるむ。視界に映る都会の夜空に浮かぶ星は、数こそ少ないけれど確かに煌めいていて、僕の考えたことを肯定してくれているような気がした。
わくわくしながらいつものように家のドアを開ける。なんだか、異様に静かだ。
「ラブ、ただいま!」
その静けさを気のせいにしようとわざと明るく声を出す。返事はなかった。声がむなしく部屋に響いただけだった。僕は寝ているだけだろうと信じ、靴を脱いで風呂場に直行する。
ドアを開けると、いつもの潮の匂いが僕の鼻を刺激する。
そして、出迎えてくれるはずのあの子は忽然と姿を消していた。
