青瞳の戦闘人形

 サイレンの音で跳ね起きた。耳をつんざくような音が四方八方から聞こえている。

「うるさいね、リュシー……リュシー?」
 リュシーが隣にいなかった。

「アヤ……」
 ママの声がした。

「ママ? 朝からなに?」
 ママの方を見ると、ママはなぜか銃を構えていた。その照準の先には、リュシーがいた。リュシーはママをきっと睨んでいる。
 狭い私の部屋の中で、二人はお互いを見据えながら銃を構えている。

「早く逃げなさい」
 ママが言う。

「おい、警察来たぞ!」
 部屋の外からパパの声。

 私はなにもできなくて、この状況を理解できなくてぼーっとしてしまう。
 え? 完璧に進んでいたはずだ。全て、完璧に……。どうしてこんなことに?

「私の、せい?」
「逃げなさい! アヤ!」
 ママが声を張り上げる。リュシーが銃の他に投げナイフを持ち始めたのだ。私ははっとなって、部屋を出て行こうと動く。

 でも、ここで逃げてしまったら。リュシーは。リュシーは。一体、どうなってしまうの?

「逃げない」
「え!? ……アヤ、落ち着いて。きっとなにかあったのでしょう。でもね、今はどうか逃げて。ここは大人の話だから、子供のアヤは関係ないの」

 ママの発言を聞いた私の頭は、瞬時に怒りに支配される。その感情は、私の頭に留まるだけでなく口をも動かした。

「関係あるもん! お友達だもん! ママのバァーカ! お友達を殺そうとするなんて、大っ嫌い!」
 真面目な我が子から暴言が出て、ママは一瞬呆気に取られた顔をした。

「リュシー! 逃げよう!」
 私が窓を開けると、リュシーもすぐについてくる。

「やめて!」
 ママの叫び声と、銃声がした。大きな音に振り返ると、リュシーの右腕に弾丸が刺さっていた。だら、とオイルが漏れてしまっている。バチバチと電気の音もする。

「りゅ……リュシー……」
「問題ありません、お嬢様。逃げますよ」
「行かないで! こっちには警察もいるのよ! 逃げないでちょうだい!」
 怒りの形相でママはこっちに近づいてくる。

 リュシーがヒュッと投げナイフを投げた。それはママの髪の毛一本だけを持っていって、壁に刺さった。

 信じられない悲鳴がママから上がって、ママは部屋の外へ逃げた。すぐ後ろにパパがいて、その先にはたくさんの警察官がいた。赤いサイレンが聞こえた。

「お嬢様」
 先に降りていたリュシーが、私を優しく呼ぶ。

「今行くよ」
 窓の桟に降り立つ。ここは3階で、なかなか怖い。下を見るとパトカーがたくさん止まっている。リュシーは私をひょいと持ち上げてお姫様抱っこしてくれた。

「飛びますよ、いいですか?」
 頷く。

 リュシーは膝を曲げると大ジャンプした! そのまま隣の建物へ飛び乗る! 飛んで、飛んで、壁を蹴って、さらに高い建物の上へ!

 風がびゅんびゅん飛んで、私はずっとぽかんとしていたけれど、大好きな友達との二人きりの空間はとても幸せなものだった。

 屋上に降り立つ。朝の空気は冷たく、リュシーの体温に似ている。朝日が私たちを照らしていた。

「ここなら、きっと大丈夫でしょう」
 リュシーは私をおろす。

「動くな!」
 男の声がした。振り向くと、警察官が向かいの建物の屋上にいた。銃を構えている。

「お前のことは包囲している! もう逃げられないと思え!」
 上がうるさいと思ったらヘリが数台飛んでいる。ヘリの中には警察がいて、こちらへ銃口を向けている。

 リュシーは警察官の方を見て宣言する。
「私はもう動きません! だから、どうかこの女の子だけは見逃してください!」
「……リュシー?」

 リュシーは視線だけ私を見て、「大丈夫」と口を動かした。

「ロボットの降伏を確認! 総員フェーズ3へ移行!」
 別の男の声が聞こえる。最初に見つけた警察官の後ろから盾を持った人たちが現れる。今いる建物の下からも、なんだか足音が聞こえる。

 もう、撃たないんだ。じゃあ、きっとリュシーは大丈夫かな。そんなことを考えていた矢先のことだった。

 銃声がした。
 それはリュシーの脇腹に命中した。リュシーは体勢を崩した。苦しそうに怪我した部分を押さえている。

「リュシー!」
 少し遠くのビルの上、射撃した警察官は、ゆっくりと黒いヘルメットを外す。

「お嬢ちゃん!」
「あ……」
 あのとき、リュシーを見つけた酔っ払いのおじさんだった。

「もう大丈夫だからな、一緒に行こう」
「勝手な行動をするな! 上層部に報告するぞ!」
「えっへっへ、別にいいもんねーだ」
 べー、とおじさんは別の警察官にべろを出して、私に手を振る。

 私を助けるために銃を撃ったというのか? 私を、助けるために?

「来ないで!」
「お、お嬢ちゃん!?」
「友達を撃たないで!」
 私は半べそになってリュシーの元へ駆け寄る。ママとおじさんに撃たれた二箇所からは工業用オイルがだらだらと流れていた。

 私は無力だ。なにもできない。あぁ、こんなとき、もしも私が機械工学の知識を持っていたら。そうしたら、この怪我を治せたかもしれないのに。

 絶望していると、リュシーが体を動かさずに「お嬢様」と囁いた。
「まだ、逃げられます」
「でも、もうどこにも」
「下です」

 言われた通り下を見ると、たくさんの群衆がわらわらと群がっていた。好奇心、恐怖、物珍しさ。気持ち悪い視線がリュシーと私に注がれている。あの中に……飛び込むというのか。

「どうしますか」
「もちろん、リュシーについていくよ」
 当たり前だ。

「承知しました」
 リュシーは負傷に震える体で私をまた抱っこすると、警察の制止も聞かずにふわりと屋上から降りていく。私の髪もふわりと舞う。群衆から悲喜交々の歓声が聞こえたが、リュシーはそのまま今いた建物の壁を蹴り、垂直方向に飛び出した!

 ほんの少しずつ落ちているものの、私たちは群衆の上を飛んでいた。人々が私たちを未知のものを見る目で見ていた。リュシーの足から音がする。見てみるとブーツの靴底から青い炎が出ている。その炎が前に進む力を出しているようだった。

「すごい! すごいよリュシー!」
「いいえ。ただジェットエンジンの燃料が切れたり、どこかにぶつかってしまうと……」

 ガァン! 金属と金属がぶつかる音がして、私たちは止まってしまった。

「このように」
 ずるずると体勢が崩れてゆく。

「減速します」
 リュシーは私を抱えたまま地面に降り立った。皮肉にも、そこは私たちが出会った博物館の前だった。その広場の時計にリュシーは激突してしまっていた。

 人々が私たちを囲む。騒ぐ。サイレンの音が聞こえる。赤いランプがチカチカと光る。

 気持ち悪い。

「やめて。やめてよ!」

 もう来ないで。私たちはただ、二人でいたいだけなのに。どうして、どうして!

 混乱の中、一つの声が聞こえた。

「はいはーい、回収しにきたよー」
 この声、聞いたことがある。声のした方をみんなが振り向く。

「敵国のロボットだからさ」
 群衆は道を開ける。一人の男が、こちらに歩いてくる。

「何するかわかんないよね」
 白衣にメガネ、優しそうな顔。男の手には、民間人向けとは思えないほどの大きな銃が握られている。

「さぁさ、散った散った! 今から撃つから、みんなどいてね」
 群衆は恐怖の顔で逃げ出していく。

「やめて!」
 私は叫ぶ。警察がこちらへ寄ってくる。群衆に代わって、盾を持った警官に囲まれる。

「おや、まだいたのかい? お嬢さん、どいた方が身のためだよ。僕が誰なのか、そのくらいわかっているだろう?」

「館長、さん」
 男は私の怯えた返答ににっこりと笑った。

「そうさ。そこの博物館の、ね。管理を怠ったわけだから、責任取らなきゃねぇ。これで、さ!」
 よっこいしょ、と館長は銃を構える。警官たちは少しだけ肩を上げた。緊張感が走る。

「やめて、館長さん。私のお友達なの。ね、やめてよ……お世話ならするから!」
「ロボットはペットじゃないの。わかってるでしょ? それに僕、元戦闘員だからさ。こういうの得意なんだよね」

 ふふん、と上機嫌に館長はリュシーを見ている。リュシーは銃を構えない。反撃する気はないようだ。

「リュシーは何もしてないの! 何も悪くない。だから、撃つのはやめて!」
 私が必死に訴えても、館長はその手を下ろそうとしなかった。

「お嬢様。もう大丈夫です」
 リュシーは私の前に出る。

「私があのとき手を引いたのが悪かったのです。始末されるのは私だけでいいのです」
「リュシー……そんな、そんなこと……」
「ない? ですか。いいえ、私に責任があるのですよ、お嬢様」
「……」
 私はうまく答えられずにいた。

「決まったようだね。もしそのまま動かないでいてくれたら、撃つのはやめようかな」
 館長がニコニコと笑いながら言う。

「ロボット。そのままこっちに来なさい。電源を切るから」
「はい」
 リュシーは館長の隣へ歩いていく。館長はやっと銃を下げた。

「お嬢さん」
 急に呼ばれて、私はびくりとする。

「ありがとうね」
「……え?」

「僕の大切な『展示品』を預かってくれて」

 ……違う。私にとって、その展示品は。

「……嬉しくないです。私にとってリュシーはお友達なんです。どうしてそんなにモノとして扱おうとするんですか」
 少しだけ怒りを混ぜながら言うと、館長は「じゃあ……」とニコニコ笑顔で提案した。

「このロボットがスクラップになってもいいのかい? お嬢さんがここで反抗することで、もう会えなくなってもいいということかな?」
「それは……ちが……」
「博物館にいれば安全だよ。確かに会話はできないかもしれない。一緒にご飯を食べたりできないかもしれない。でも、絶対に安全なんだ」

 リュシーは館長の隣に立ち、静かに私たちを見ている。
「ほら、このロボットも僕の意見に同意しているようだし……お嬢さんさえ賛成してくれれば、この場は丸く収まるんだ」

 リュシーが頷く。一歩前に出て、青い瞳で私を見つめる。

「アヤ」
 優しい声が降り注ぐ。

「……リュシー?」
「私は大丈夫ですから。博物館でまた会えるのを楽しみにしています」

 こんなときに名前で呼ばないで。そう言おうとした口をつぐんだ。

「ロボットの降伏を確認! パターンBフェーズ5に移行!」

「もう大丈夫だからね〜」
 警官が一人、ヘルメットを取って私に微笑む。他の警官も私に対して友好的なようだ。

「おうち帰ろっか」
「うん……」
 頷き、リュシーの方を見ると、たくさんの警官に囲まれながら歩く後ろ姿が見えた。

「リュシー」
 彼女は振り返らなかった。名前を呼んだ声は誰にも届かなかった。

 そうだよね。だってリュシーは博物館の展示品だもん。博物館に行けばまた会える。いつでも会える。そう、ずっと……。

 諦めて、私も帰ろうと踵を返したそのときだった。

「アヤ!」

 黒い人混みをかき分けて、友達はやってきた。周りの警官が盾を構える。でも、私たちの邪魔をしようとはしない。

 友達は性格的に笑うなんて得意じゃないのに、精一杯の笑顔で優しく話す。

「今までありがとうございました。少しの間でしたが、私は楽しかったです」

 工業用オイルの匂いがする。相手は私の目線の高さに合わせてしゃがんでくれる。

「アヤ」
 さらさらの茶髪が揺れる。青い瞳が私を見つめる。

「大好きですよ」
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