短編集
僕は目玉焼きを食べる。真理はスクランブルエッグを食べる。
これがいつもの朝食。
僕は会社員で、真理は主婦。朝食を作るのは真理の仕事。
黄身と白身を混ぜるなんてありえない。バラバラなのがいいんじゃないか。
そう伝えてから、真理はずっと目玉焼きを作ってくれている。
当たり前のことだと思っていた。
ダイニングから出るところで、いつものように言う。
「いってきます」
「……いってらっしゃい」
真理はなんだか不満げな顔をしている。
「……どうしたの?」
「いや、別に?」
すぐ皿洗いに戻ってしまった。
何か気に障ることを言ってしまったかな。いや、その覚えはない。きっと気のせいだ。ケーキでも買っておけば、すぐ機嫌を直すだろう。
僕はあまり考えずに会社へ向かった。
「でさー、上司がさー、僕のことをさー……」
「あーそうなんだ」
「でさー? 僕のやった、頑張った仕事を評価してくれないんだよ!」
「……そうなんだね」
真理はケーキにフォークを突き刺す。もぐもぐと頬張っている。
僕はただ、愚痴っていた。真理がケーキを食べて(きっと)上機嫌なことをいいことに愚痴っていた。
そう、今日は仕事がうまくいかなかったのだ。いつもの優しい上司が何故か厳しくて、褒めてくれなかったのだ。
子供っぽい悩みかもしれない。でも、そんな悩みでも真理は聞いてくれる。上司より真理の方がずっとずっと優しい。
真理はケーキを食べ終えた。喋りながら食べる僕よりずっと早く。
「ごちそうさま。ケーキ、美味しかったよ」
独り言のように呟かれた。にこりともせず、こちらと視線も合わせずに皿を流しに置きにいく真理。
あれ? 機嫌が良くない? いつもなら、ケーキを食べれば上機嫌になるはずなのに。
真理は部屋に戻ってしまった。
ケーキ作戦失敗?
僕は不思議に思いながら一人ケーキを平らげた。あんまりおいしくなかった。
翌日。AM6:00。
いつものようにダイニングへ向かう。
「おはよ」
「おはよ!」
真理は昨日の不機嫌が嘘のように笑っている。元気そうだ。ケーキが時間差で効いたのか。
「今日も朝ごはん作ってあげたよ!」
満面の笑み。なんだかおかしい。変な感じがしつつも僕は席につこうとして、その目を見開いた。
真理の席にはいつものスクランブルエッグ。そして、僕の席にはいつもじゃないスクランブルエッグ。
「あれ……目玉焼きは?」
真理はじとりとこちらを見る。
「文句言わないで」
「でも昨日は目玉焼きだったじゃん。今までずっと、結婚してからそうだったでしょ」
「スクランブルエッグじゃだめなの?」
眉間に皺を寄せている。
「……めんどくさくなっちゃったの! 二回作るのが! 我慢してよ! もう限界だよ! いつも愚痴ばっか言われてさ! そんな奴にわざわざ分けて作りたいと思う!?」
がーっと不満を言われて、僕は結婚三年目にしてやっと一番そばにいる人の悩みを知った。
「ご、ごめん……」
「……」
真理は何も言わない。代わりにいただきますも言わずに、朝食を荒々しく食べている。
僕は気まずい雰囲気で朝食を食べ終えた。
さらに翌日の朝。真理が朝食を作り始めるAM5:50。
僕は珍しくキッチンにいた。
「ねぇ」
「……何」
僕の呼びかけに真理はこちらを見ようともせず、食パンにバターを塗ってトースターに突っ込んでいる。
「たまご、今日やるよ」
「……」
「やっぱ、今日じゃなくて、『今日から』やるよ」
今日から、という言葉に真理は初めてこちらを向いた。
「……本当に言ってるんでしょうね?」
「本当だよ! 僕が嘘をついたことなんて」
「あんまないけど、なくはない」
「……そう、だよね」
僕の嘘は大抵真理に見透かされている。嘘をついてもすぐバレる。怖いところだ。
ジー、とトースターが音を立てている。
「でも、僕本気だよ。自分の分は自分でやるべきだよね。今までごめん」
真理に頭を下げる。しばらくそのままでいると、「仕方ないな」と小さな呟きが聞こえた。
「顔を上げなさい」
「はい……」
恐る恐るその通りにすると、そこには仁王立ちでこちらを見つめる真理がいた。
「あなたは今日から……」
一番大好きな人は僕をビシッと指差す。
「目玉焼き係です!」
僕がぽかんとしていると、チィンとトースターが鳴る。
その日から僕ら夫婦は、朝食は自分の分をそれぞれ作ることになった。
相変わらず僕は目玉焼き、真理はスクランブルエッグ。それは変わらないけれど、変わったことがある。
「ちょっと、目玉焼きまだ!?」
「ちょっと待って、あとちょっとで焼けるから! ほら、もうすぐ黄身がいい感じに」
真理が僕に横から体当たりする。僕は少しよろける。
「混ぜれば早いじゃん」
「バラバラがいいんじゃん」
僕たちは少し睨み合ったのち、
「まぁそれぞれよね」
「そうだね。あ、焼けたからコンロ交代ね」
「はいはい」
と言い合う。
そう、コミュニケーションが明らかに増えたのだ。
目玉焼きをさっと皿によそうと、真理はあらかじめ混ぜておいたたまごをフライパンに流す。じゅうと音がする。
うちはコンロが狭いから、一人ずつ料理しなくてはならない。だから、交代しなくてはならない。
でもそれが良いのだ。この狭さが、二人をより近づけてくれた気がする。
「できた!」
真理が自分の皿にスクランブルエッグをよそう。
「じゃ、食べよっかね」
「そうだね、真理」
「なんだよ、悠介」
久々に名前を呼んでくれた気がする。真理はまた僕に体当たりする。僕は目玉焼きを落としそうになる。
機嫌をとるためのケーキなんてもういらない。ちゃんと真理の気持ちに寄り添って、考えてみせる。
世界で一番大好きな人は、僕ににこっと微笑んだ。
これがいつもの朝食。
僕は会社員で、真理は主婦。朝食を作るのは真理の仕事。
黄身と白身を混ぜるなんてありえない。バラバラなのがいいんじゃないか。
そう伝えてから、真理はずっと目玉焼きを作ってくれている。
当たり前のことだと思っていた。
ダイニングから出るところで、いつものように言う。
「いってきます」
「……いってらっしゃい」
真理はなんだか不満げな顔をしている。
「……どうしたの?」
「いや、別に?」
すぐ皿洗いに戻ってしまった。
何か気に障ることを言ってしまったかな。いや、その覚えはない。きっと気のせいだ。ケーキでも買っておけば、すぐ機嫌を直すだろう。
僕はあまり考えずに会社へ向かった。
「でさー、上司がさー、僕のことをさー……」
「あーそうなんだ」
「でさー? 僕のやった、頑張った仕事を評価してくれないんだよ!」
「……そうなんだね」
真理はケーキにフォークを突き刺す。もぐもぐと頬張っている。
僕はただ、愚痴っていた。真理がケーキを食べて(きっと)上機嫌なことをいいことに愚痴っていた。
そう、今日は仕事がうまくいかなかったのだ。いつもの優しい上司が何故か厳しくて、褒めてくれなかったのだ。
子供っぽい悩みかもしれない。でも、そんな悩みでも真理は聞いてくれる。上司より真理の方がずっとずっと優しい。
真理はケーキを食べ終えた。喋りながら食べる僕よりずっと早く。
「ごちそうさま。ケーキ、美味しかったよ」
独り言のように呟かれた。にこりともせず、こちらと視線も合わせずに皿を流しに置きにいく真理。
あれ? 機嫌が良くない? いつもなら、ケーキを食べれば上機嫌になるはずなのに。
真理は部屋に戻ってしまった。
ケーキ作戦失敗?
僕は不思議に思いながら一人ケーキを平らげた。あんまりおいしくなかった。
翌日。AM6:00。
いつものようにダイニングへ向かう。
「おはよ」
「おはよ!」
真理は昨日の不機嫌が嘘のように笑っている。元気そうだ。ケーキが時間差で効いたのか。
「今日も朝ごはん作ってあげたよ!」
満面の笑み。なんだかおかしい。変な感じがしつつも僕は席につこうとして、その目を見開いた。
真理の席にはいつものスクランブルエッグ。そして、僕の席にはいつもじゃないスクランブルエッグ。
「あれ……目玉焼きは?」
真理はじとりとこちらを見る。
「文句言わないで」
「でも昨日は目玉焼きだったじゃん。今までずっと、結婚してからそうだったでしょ」
「スクランブルエッグじゃだめなの?」
眉間に皺を寄せている。
「……めんどくさくなっちゃったの! 二回作るのが! 我慢してよ! もう限界だよ! いつも愚痴ばっか言われてさ! そんな奴にわざわざ分けて作りたいと思う!?」
がーっと不満を言われて、僕は結婚三年目にしてやっと一番そばにいる人の悩みを知った。
「ご、ごめん……」
「……」
真理は何も言わない。代わりにいただきますも言わずに、朝食を荒々しく食べている。
僕は気まずい雰囲気で朝食を食べ終えた。
さらに翌日の朝。真理が朝食を作り始めるAM5:50。
僕は珍しくキッチンにいた。
「ねぇ」
「……何」
僕の呼びかけに真理はこちらを見ようともせず、食パンにバターを塗ってトースターに突っ込んでいる。
「たまご、今日やるよ」
「……」
「やっぱ、今日じゃなくて、『今日から』やるよ」
今日から、という言葉に真理は初めてこちらを向いた。
「……本当に言ってるんでしょうね?」
「本当だよ! 僕が嘘をついたことなんて」
「あんまないけど、なくはない」
「……そう、だよね」
僕の嘘は大抵真理に見透かされている。嘘をついてもすぐバレる。怖いところだ。
ジー、とトースターが音を立てている。
「でも、僕本気だよ。自分の分は自分でやるべきだよね。今までごめん」
真理に頭を下げる。しばらくそのままでいると、「仕方ないな」と小さな呟きが聞こえた。
「顔を上げなさい」
「はい……」
恐る恐るその通りにすると、そこには仁王立ちでこちらを見つめる真理がいた。
「あなたは今日から……」
一番大好きな人は僕をビシッと指差す。
「目玉焼き係です!」
僕がぽかんとしていると、チィンとトースターが鳴る。
その日から僕ら夫婦は、朝食は自分の分をそれぞれ作ることになった。
相変わらず僕は目玉焼き、真理はスクランブルエッグ。それは変わらないけれど、変わったことがある。
「ちょっと、目玉焼きまだ!?」
「ちょっと待って、あとちょっとで焼けるから! ほら、もうすぐ黄身がいい感じに」
真理が僕に横から体当たりする。僕は少しよろける。
「混ぜれば早いじゃん」
「バラバラがいいんじゃん」
僕たちは少し睨み合ったのち、
「まぁそれぞれよね」
「そうだね。あ、焼けたからコンロ交代ね」
「はいはい」
と言い合う。
そう、コミュニケーションが明らかに増えたのだ。
目玉焼きをさっと皿によそうと、真理はあらかじめ混ぜておいたたまごをフライパンに流す。じゅうと音がする。
うちはコンロが狭いから、一人ずつ料理しなくてはならない。だから、交代しなくてはならない。
でもそれが良いのだ。この狭さが、二人をより近づけてくれた気がする。
「できた!」
真理が自分の皿にスクランブルエッグをよそう。
「じゃ、食べよっかね」
「そうだね、真理」
「なんだよ、悠介」
久々に名前を呼んでくれた気がする。真理はまた僕に体当たりする。僕は目玉焼きを落としそうになる。
機嫌をとるためのケーキなんてもういらない。ちゃんと真理の気持ちに寄り添って、考えてみせる。
世界で一番大好きな人は、僕ににこっと微笑んだ。
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