大空の下で
やがて、私たちは地面に着地した。セキは私を優しく地面に下ろす。私はすぐに立ち上がった。
地上に降りるのは初めてだ。周りを見渡してもここはどこなのか、近くに何があるのかわからない。ただ、森というものの中にいるということぐらいしかわからない。
森の中は静かで、風の吹き抜ける音と、葉のこすれるかさかさという音しかしない。
「ごめんね、いきなり試験に割り込んだりしちゃって。僕はセキ」
「知ってる。生徒会副会長でしょ?」
「そうそう!」
セキは嬉しそうな顔をする。笑顔が眩しい。顔がいいからか。
彼は優秀な生徒だ。人望が厚く、将来は政府の高官になるのではないかと噂されている。
対して私は。
「君の名前は?」
「……成績不良生徒の名前は知っているでしょう?」
「でも、僕は君の名前が聞きたいんだ。君の口から」
セキは寂しそうに微笑んだ。
「……モニカ。モニカだよ」
ぼそりと呟く。
「モニカっていうんだね。よろしく」
差し出された手を仕方なく握る。温かかった。
「さて、逃げてきたはいいものの……これからどうしようか」
「連れ出した人が言うな」
「ごめん。でも本当にアイデアが浮かばなくて……モニカ、何かいい案はないかな?」
「……」
少し考える。
「人間に匿ってもらうのが普通なんじゃないの。近くの村を探そうよ」
「それは嫌だ!」
大きな声に私は驚いた。
「え?」
セキは心底嫌そうな顔をする。まるで、軽蔑するかのような、冷たい目。
「人間の世話になるなんて真っ平ごめんだ。そんなことするなら僕は行かない。一人でここにいるよ」
「それは駄目でしょ……協力しないと。食べ物もないし、私は飛べないし。セキがいないとなにもできないよ」
「……」
セキはじいと地面を見つめている。動かないつもりらしい。
そんなときだった。
「おや、天使様ではありませんか!」
おじいさんの声がした。振り返ると、背の小さい老人がいた。とても優しそうな顔をしている。もちろん羽はない。人間だ。
「あ、どうも」
「おぉ、天使様が喋られた……!」
私が返事をすると、彼は皺のある両手で小さく拍手をする。
「う、うわあ……に、ニンゲン……!」
セキは固まっている。
「おっと、そういえば。天使様はなぜここにいらっしゃるのです?」
「それが……」
私は要点をかいつまんで話した。「なるほどなるほど」と老人は頷く。
「それでは、私どもの集落に来ていただくのはいかがですかな? きっと孫も喜びますわい」
「お孫さんがいるんですか?」
「えぇ。天使好きの孫がね」
彼は「こちらです」とさっさと行ってしまう。
「ほら、セキ。行こうよ」
「いや、でも……! こいつらには羽がないんだぞ!」
「私にもないじゃん。何を今更……」
「はっ……!」
セキは恐怖で固まった状態ながらも、ぎこちない足取りで老人の後をついていく。
……面倒くさいやつ。
しばらくは副会長の人間嫌いと向き合わなくちゃいけないみたいで、私は少しうんざりした。
そこそこ歩いたところで、木々が切り開かれているところがあった。そこには村があった。木と石で作られた家々がぽつぽつと並んでいる。小さな村だ。
「ここが私どもの集落ですぞ。大したものもありませんが、よかったらゆっくりしていってください」
老人がぺこりと私たちに頭を下げる。
「おじいちゃん!」
少女が走ってきて老人に抱きついた。老人はふらりと揺れる。
「おや。クミ、天使様が来たよ」
「……天使?」
少女は私たちを見つめる。セキはびくっとする。無垢な瞳に見つめられる。
「天使様だ! わーい、いらっしゃい! 歓迎するよ!」
褐色肌の少女はにこにこしている。敵意はなさそうだ。これがさっき言っていた天使好きの孫なのかな。
「ありがとうございます」
「いえいえ。広いところではありませんが、ちゃんと泊まるところはありますので」
他の村の人も歓迎ムードで、私たちを排除しようという感じはない。優しい人間たちだ。
「まずは食事を……クミ、一緒に作ろうか」
「私たちも手伝います」
「でも、天使様の手を煩わせるわけには」
「いえ、私たちが手伝いたいんです。ね、セキ」
「……」
「セキ?」
「……あ、あぁ……。わかった、よ」
緊張は相変わらずで、セキの口は震えている。
お昼が終わろうとしていた。
「それで、モニカおねーちゃんは何を学んでたの?」
「そうだね。数学とか、国語とか、理科とか。まぁ、人間たちが学んでいるのと変わりないよ」
「へぇー、すっごぉい! わたしもそのうち学ぶのかなぁ」
「そうかもね」
夜。来客用の建物で、食卓に座りながら私とセキとクミは夕食後談笑していた。
ここの食事がおいしすぎる!
猟で獲った肉を使った揚げ物、木の実を使ったパイ、畑で採れた野菜のポタージュ。あまりにもおいしくて私はお腹いっぱい食べてしまった。おいしかったのはセキも同じのようで、緊張がほぐれ、午後には飛んでみせたり、村の仕事を手伝っていたりしていた。
この村には電気が通っていないみたいで、ランプの灯りが私たちを穏やかに照らしている。
「モニカは座学じゃトップなんだ」
「い、言わないでよ……」
「本当のことじゃないか。隠さなくてもいいことだよ」
「おねえちゃんすごい!」
そう、セキの言う通り私は座学は学年一だ。飛行訓練ができないから、その分座学を頑張っていたとも言える。そうじゃないと留年するから。
「おにいちゃんはすごいの?」
「すごいかはわからないけど……生徒会の副会長をしているよ」
「生徒会!? それってかっこいいやつじゃん! えー、すごい!」
「そう、かな……ははは」
セキは苦笑いする。
「いや、本当にすごいことでしょ」
私が言うと、セキは顔を赤らめ「そんなことないよ」と軽く否定した。
生徒会役員は毎年選挙で選ばれる。セキは会長と違い圧倒的な票を獲得してその座に就いた。それだけ演説が良かったのだ。もちろん顔も。
「天使にはどうやったらなれる?」
ふと、クミに尋ねられた。
「そうだね。両親とも、または片方の親が天使でないと天使は生まれない」
セキが答える。
「そっか……わたしは、天使にはなれないんだ」
クミは残念そうな顔をする。
「クミは、天使になりたい理由でもあるの?」
「わたしは」
私はクミが泣きそうな顔になっていることに気づいた。しまった、よくない質問だったか。
クミは小さく口を開く。
「わたしは肌が黒いでしょ? だから、他の村の子供からいじめられているの」
私と、一緒だ。いじめ……地上でもそんなことあるんだ。
「それに、体も弱いし。親は二人とも戦争に駆り出されていて、理解者がおじいちゃん以外いなくて。おねえちゃんたちは、私をいじめないの?」
「そんなことしないよ」
セキの言葉に、私はうん、と頷く。
「でも……おにいちゃんたちは天使じゃん。いじめなんて、天界にはないんでしょ」
「あるよ」
私の発言に、クミははっとした顔をする。
「私は真ん中に生まれてきてしまった。天使の輪だけあるから、完全な天使ではなく、完全な人間でもない。お母さんが人間なんだ。ほら見て、羽がないでしょう?」
背中をクミに向ける。
「あ……」
「それで仲間はずれにされて。飛ぶ授業もあるけど、できないし。こっちはこっちで大変なんだよ」
セキは静かに私たちを見つめている。
「そっか……そうなんだね」
クミは真剣な顔をしている。
「まぁ、でもさ。完全な天使でも、真ん中でも、完全な人間でも。今、こうやって会話できているじゃないか。これってすごいことだと思わないかい?」
「おぉー!」
クミはセキに笑いかける。
「人間を怖がってたやつがよく言うよ」
「あはは、まぁ僕は変な本を読んでいたからね。きっとその本が間違っていたんだ」
「クミ? そろそろ寝る時間だよ」
「はーい」
しばらく話していると、案内してくれた老人が部屋の扉を開けて言う。
「じゃあ、おにいちゃん、おねえちゃん。また明日ね」
「また明日」
「おやすみ」
二人がいなくなる。
「ねぇ、モニカ」
セキが私に話しかける。
「なに」
「天界に戻らないかい?」
「でも来たばっかりだし、せっかく歓迎してもらってるんだから、もう少しゆっくりしていっても……」
セキは首を横に振る。
「僕は、天界に勝負を挑もうと思ってる」
「……どうやって?」
「簡単なことさ。戦争だよ。人間を味方にするのさ」
私はつい「え」と驚いてしまう。ランプの灯りが彼の瞳に映る。
戦争? ただでさえ天界の国同士で戦っているのにさらに?
私は疑問に思う。
「どうしてそんなこと言うの? 戦争なんて怪我人が出るだけじゃない」
「でもね、モニカ。それでも戦争をする意味はあるんだ。人間は共感してくれるって、今日わかったからね」
セキは不敵に笑う。
「だって、おかしいじゃないか。翼のない人たちが選ばれないなんて。罪を犯したわけでもないのに」
「まぁ……そうだけど」
「だから、人間に賛同してもらって今の僕の意見を聞いてもらうのさ」
「……」
黙っていると、少し強気な声が聞こえてきた。
「僕は本気だよ。上の奴を倒してでも、僕の言うことを聞かせてやる」
「やめて」
「僕は行くよ」
「やめて!」
私の声が部屋に響いた。
「あなたが堕天するのは……嫌だ」
消え入りそうな声しか、出なかった。セキは私をはっとした顔で見つめる。
天界では、罪をつぐなうために堕天させられることがある。戦争を起こすなんて、天界に刃向かうなんて一番重い罪だし、絶対に堕天になる。そうなると天界には一生死ぬまで戻れないし、死んでも戻れない。
こんなに優しいセキが、人気者のセキがそんなことになるだなんて私は許せない。
私は静かに口を開く。
「……いきなり戦うんじゃなくて、話し合いでは解決できないのかな。ほら、セキは生徒会じゃん。だから、生徒会の力でなんとかできない?」
「……」
セキは机に視線を落とす。
「生徒会ができることなんて限られてる。それに、僕はモニカと一緒に地上へ降りてきてしまった。きっと罰が下されるに違いないよ」
「でも、掛け合ってみないとわからない」
「んー……」
首をひねってセキは悩む。
「天界に行くなら私も行く。一緒にやってやろうじゃないの」
「……心強いね。ありがとう、モニカ」
「いいよ。私、あのままじゃきっとここにはいなかったから」
「モニカおねえちゃん、セキおにいちゃん。またね!」
「いつでも歓迎しますぞ」
私たちは二人に手を振る。
翌日。私たちは空へ飛ぶ準備をしていた。
クミからは昨日食べた木の実のおいしいパイを一片ずつもらった。セキは食欲がすごくてその場で食べてしまっていたが。
「また、会えるよね。おねえちゃん」
「もちろん」
いや、そんな保証はないけれど。クミとはなんだかまた、会える気がしたのだ。
「じゃあ、行こうか」
セキは私を抱える。いわゆるお姫様抱っこ。
「ねぇ、これ恥ずかしいんだけど」
「でも行きもこうやって来ただろう?」
「まぁ……そうだけど……」
私は「なにか?」とでも言いたそうなセキの顔を見ることができない。
「飛ぶよ」
セキはそう言うと、羽を動かし始めた。周りの木々が起こされた風で揺れる。
重力を感じる。私たちは宙に浮かび始めた。どんどん地上が遠くなる。
「モニカおねえちゃん! セキおにいちゃん!」
クミの声が小さく聞こえる。もう地上の人々は小さくしか見えない。
「元気でね!」
雲が私たちの視界を塞ぐ。地上が見えなくなる。
地上に降りるのは初めてだ。周りを見渡してもここはどこなのか、近くに何があるのかわからない。ただ、森というものの中にいるということぐらいしかわからない。
森の中は静かで、風の吹き抜ける音と、葉のこすれるかさかさという音しかしない。
「ごめんね、いきなり試験に割り込んだりしちゃって。僕はセキ」
「知ってる。生徒会副会長でしょ?」
「そうそう!」
セキは嬉しそうな顔をする。笑顔が眩しい。顔がいいからか。
彼は優秀な生徒だ。人望が厚く、将来は政府の高官になるのではないかと噂されている。
対して私は。
「君の名前は?」
「……成績不良生徒の名前は知っているでしょう?」
「でも、僕は君の名前が聞きたいんだ。君の口から」
セキは寂しそうに微笑んだ。
「……モニカ。モニカだよ」
ぼそりと呟く。
「モニカっていうんだね。よろしく」
差し出された手を仕方なく握る。温かかった。
「さて、逃げてきたはいいものの……これからどうしようか」
「連れ出した人が言うな」
「ごめん。でも本当にアイデアが浮かばなくて……モニカ、何かいい案はないかな?」
「……」
少し考える。
「人間に匿ってもらうのが普通なんじゃないの。近くの村を探そうよ」
「それは嫌だ!」
大きな声に私は驚いた。
「え?」
セキは心底嫌そうな顔をする。まるで、軽蔑するかのような、冷たい目。
「人間の世話になるなんて真っ平ごめんだ。そんなことするなら僕は行かない。一人でここにいるよ」
「それは駄目でしょ……協力しないと。食べ物もないし、私は飛べないし。セキがいないとなにもできないよ」
「……」
セキはじいと地面を見つめている。動かないつもりらしい。
そんなときだった。
「おや、天使様ではありませんか!」
おじいさんの声がした。振り返ると、背の小さい老人がいた。とても優しそうな顔をしている。もちろん羽はない。人間だ。
「あ、どうも」
「おぉ、天使様が喋られた……!」
私が返事をすると、彼は皺のある両手で小さく拍手をする。
「う、うわあ……に、ニンゲン……!」
セキは固まっている。
「おっと、そういえば。天使様はなぜここにいらっしゃるのです?」
「それが……」
私は要点をかいつまんで話した。「なるほどなるほど」と老人は頷く。
「それでは、私どもの集落に来ていただくのはいかがですかな? きっと孫も喜びますわい」
「お孫さんがいるんですか?」
「えぇ。天使好きの孫がね」
彼は「こちらです」とさっさと行ってしまう。
「ほら、セキ。行こうよ」
「いや、でも……! こいつらには羽がないんだぞ!」
「私にもないじゃん。何を今更……」
「はっ……!」
セキは恐怖で固まった状態ながらも、ぎこちない足取りで老人の後をついていく。
……面倒くさいやつ。
しばらくは副会長の人間嫌いと向き合わなくちゃいけないみたいで、私は少しうんざりした。
そこそこ歩いたところで、木々が切り開かれているところがあった。そこには村があった。木と石で作られた家々がぽつぽつと並んでいる。小さな村だ。
「ここが私どもの集落ですぞ。大したものもありませんが、よかったらゆっくりしていってください」
老人がぺこりと私たちに頭を下げる。
「おじいちゃん!」
少女が走ってきて老人に抱きついた。老人はふらりと揺れる。
「おや。クミ、天使様が来たよ」
「……天使?」
少女は私たちを見つめる。セキはびくっとする。無垢な瞳に見つめられる。
「天使様だ! わーい、いらっしゃい! 歓迎するよ!」
褐色肌の少女はにこにこしている。敵意はなさそうだ。これがさっき言っていた天使好きの孫なのかな。
「ありがとうございます」
「いえいえ。広いところではありませんが、ちゃんと泊まるところはありますので」
他の村の人も歓迎ムードで、私たちを排除しようという感じはない。優しい人間たちだ。
「まずは食事を……クミ、一緒に作ろうか」
「私たちも手伝います」
「でも、天使様の手を煩わせるわけには」
「いえ、私たちが手伝いたいんです。ね、セキ」
「……」
「セキ?」
「……あ、あぁ……。わかった、よ」
緊張は相変わらずで、セキの口は震えている。
お昼が終わろうとしていた。
「それで、モニカおねーちゃんは何を学んでたの?」
「そうだね。数学とか、国語とか、理科とか。まぁ、人間たちが学んでいるのと変わりないよ」
「へぇー、すっごぉい! わたしもそのうち学ぶのかなぁ」
「そうかもね」
夜。来客用の建物で、食卓に座りながら私とセキとクミは夕食後談笑していた。
ここの食事がおいしすぎる!
猟で獲った肉を使った揚げ物、木の実を使ったパイ、畑で採れた野菜のポタージュ。あまりにもおいしくて私はお腹いっぱい食べてしまった。おいしかったのはセキも同じのようで、緊張がほぐれ、午後には飛んでみせたり、村の仕事を手伝っていたりしていた。
この村には電気が通っていないみたいで、ランプの灯りが私たちを穏やかに照らしている。
「モニカは座学じゃトップなんだ」
「い、言わないでよ……」
「本当のことじゃないか。隠さなくてもいいことだよ」
「おねえちゃんすごい!」
そう、セキの言う通り私は座学は学年一だ。飛行訓練ができないから、その分座学を頑張っていたとも言える。そうじゃないと留年するから。
「おにいちゃんはすごいの?」
「すごいかはわからないけど……生徒会の副会長をしているよ」
「生徒会!? それってかっこいいやつじゃん! えー、すごい!」
「そう、かな……ははは」
セキは苦笑いする。
「いや、本当にすごいことでしょ」
私が言うと、セキは顔を赤らめ「そんなことないよ」と軽く否定した。
生徒会役員は毎年選挙で選ばれる。セキは会長と違い圧倒的な票を獲得してその座に就いた。それだけ演説が良かったのだ。もちろん顔も。
「天使にはどうやったらなれる?」
ふと、クミに尋ねられた。
「そうだね。両親とも、または片方の親が天使でないと天使は生まれない」
セキが答える。
「そっか……わたしは、天使にはなれないんだ」
クミは残念そうな顔をする。
「クミは、天使になりたい理由でもあるの?」
「わたしは」
私はクミが泣きそうな顔になっていることに気づいた。しまった、よくない質問だったか。
クミは小さく口を開く。
「わたしは肌が黒いでしょ? だから、他の村の子供からいじめられているの」
私と、一緒だ。いじめ……地上でもそんなことあるんだ。
「それに、体も弱いし。親は二人とも戦争に駆り出されていて、理解者がおじいちゃん以外いなくて。おねえちゃんたちは、私をいじめないの?」
「そんなことしないよ」
セキの言葉に、私はうん、と頷く。
「でも……おにいちゃんたちは天使じゃん。いじめなんて、天界にはないんでしょ」
「あるよ」
私の発言に、クミははっとした顔をする。
「私は真ん中に生まれてきてしまった。天使の輪だけあるから、完全な天使ではなく、完全な人間でもない。お母さんが人間なんだ。ほら見て、羽がないでしょう?」
背中をクミに向ける。
「あ……」
「それで仲間はずれにされて。飛ぶ授業もあるけど、できないし。こっちはこっちで大変なんだよ」
セキは静かに私たちを見つめている。
「そっか……そうなんだね」
クミは真剣な顔をしている。
「まぁ、でもさ。完全な天使でも、真ん中でも、完全な人間でも。今、こうやって会話できているじゃないか。これってすごいことだと思わないかい?」
「おぉー!」
クミはセキに笑いかける。
「人間を怖がってたやつがよく言うよ」
「あはは、まぁ僕は変な本を読んでいたからね。きっとその本が間違っていたんだ」
「クミ? そろそろ寝る時間だよ」
「はーい」
しばらく話していると、案内してくれた老人が部屋の扉を開けて言う。
「じゃあ、おにいちゃん、おねえちゃん。また明日ね」
「また明日」
「おやすみ」
二人がいなくなる。
「ねぇ、モニカ」
セキが私に話しかける。
「なに」
「天界に戻らないかい?」
「でも来たばっかりだし、せっかく歓迎してもらってるんだから、もう少しゆっくりしていっても……」
セキは首を横に振る。
「僕は、天界に勝負を挑もうと思ってる」
「……どうやって?」
「簡単なことさ。戦争だよ。人間を味方にするのさ」
私はつい「え」と驚いてしまう。ランプの灯りが彼の瞳に映る。
戦争? ただでさえ天界の国同士で戦っているのにさらに?
私は疑問に思う。
「どうしてそんなこと言うの? 戦争なんて怪我人が出るだけじゃない」
「でもね、モニカ。それでも戦争をする意味はあるんだ。人間は共感してくれるって、今日わかったからね」
セキは不敵に笑う。
「だって、おかしいじゃないか。翼のない人たちが選ばれないなんて。罪を犯したわけでもないのに」
「まぁ……そうだけど」
「だから、人間に賛同してもらって今の僕の意見を聞いてもらうのさ」
「……」
黙っていると、少し強気な声が聞こえてきた。
「僕は本気だよ。上の奴を倒してでも、僕の言うことを聞かせてやる」
「やめて」
「僕は行くよ」
「やめて!」
私の声が部屋に響いた。
「あなたが堕天するのは……嫌だ」
消え入りそうな声しか、出なかった。セキは私をはっとした顔で見つめる。
天界では、罪をつぐなうために堕天させられることがある。戦争を起こすなんて、天界に刃向かうなんて一番重い罪だし、絶対に堕天になる。そうなると天界には一生死ぬまで戻れないし、死んでも戻れない。
こんなに優しいセキが、人気者のセキがそんなことになるだなんて私は許せない。
私は静かに口を開く。
「……いきなり戦うんじゃなくて、話し合いでは解決できないのかな。ほら、セキは生徒会じゃん。だから、生徒会の力でなんとかできない?」
「……」
セキは机に視線を落とす。
「生徒会ができることなんて限られてる。それに、僕はモニカと一緒に地上へ降りてきてしまった。きっと罰が下されるに違いないよ」
「でも、掛け合ってみないとわからない」
「んー……」
首をひねってセキは悩む。
「天界に行くなら私も行く。一緒にやってやろうじゃないの」
「……心強いね。ありがとう、モニカ」
「いいよ。私、あのままじゃきっとここにはいなかったから」
「モニカおねえちゃん、セキおにいちゃん。またね!」
「いつでも歓迎しますぞ」
私たちは二人に手を振る。
翌日。私たちは空へ飛ぶ準備をしていた。
クミからは昨日食べた木の実のおいしいパイを一片ずつもらった。セキは食欲がすごくてその場で食べてしまっていたが。
「また、会えるよね。おねえちゃん」
「もちろん」
いや、そんな保証はないけれど。クミとはなんだかまた、会える気がしたのだ。
「じゃあ、行こうか」
セキは私を抱える。いわゆるお姫様抱っこ。
「ねぇ、これ恥ずかしいんだけど」
「でも行きもこうやって来ただろう?」
「まぁ……そうだけど……」
私は「なにか?」とでも言いたそうなセキの顔を見ることができない。
「飛ぶよ」
セキはそう言うと、羽を動かし始めた。周りの木々が起こされた風で揺れる。
重力を感じる。私たちは宙に浮かび始めた。どんどん地上が遠くなる。
「モニカおねえちゃん! セキおにいちゃん!」
クミの声が小さく聞こえる。もう地上の人々は小さくしか見えない。
「元気でね!」
雲が私たちの視界を塞ぐ。地上が見えなくなる。