短編集
季節って移ろい変わりゆくものだと思う。
シールも移ろい変わりゆくものだと思う。
ない……。
私はため息をついた。
今日は休日、ちょっと遠出して都会の駅まで来ていた。ここはオシャレな百均だ。ただ安いだけの百均とは違い、可愛くて使えるアイテムがたくさんある。
シールのコーナーの前に立っている。品揃えが充実していて、いつも困らないのだが、今回ばかりは違った。
リピっていたシールがなくなっていたのだ。ピンクのテディベアの小さいシールだ。前回来た時も前々回来た時もあったから、今回もあると思っていたのに。
ざっと眺めた後、星座のシールを手に取る。ピンクじゃなくて金色メインだから随分と雰囲気が変わってしまうけど、新しいものに挑戦するのもいい機会になるだろう。使いこなしてみたい。
シールコーナーから出て、レジまで歩く。数人の客が私を見つめてくる。
店には女性客が多い。主婦と家族連れが多い中、私は随分と浮いているだろう。だって一人だし、ガチガチにコーデとメイクをキメているから。
でも、それでいいんだ。これが私なんだから。そう言い聞かせて、怯えて震える心を奮い立たせる。
この店は最近セルフレジを導入した。最初は戸惑ったものだがもう慣れてしまった。いつも通りバーコードをスキャンして、支払いを済ませる。カードにしてから小銭を数えなくて済むようになって助かっている。しかも、店員と話さなくて済む。そこが一番気に入っている。
シールをバッグにしまい、店を出る。エスカレーターに乗る。降りてゆく。他の客がちら、と私を見てくる。ビクッとするけどメルヘンなコーデだから仕方ない。ここは原宿ではないのだから。
落ち葉がカサカサと音を立てて、道路の隅で震えている。もうすぐ冬なのかな。厚い服を着ているけど、結構寒い。
駅まで歩く。駅周辺はカラオケ屋や居酒屋が多い。今は夕方だから、あまりお客さんが入っていないけど。
それでも、この街は好きだ。特に私は人混みが苦手だから、休日の明るい時間帯に来るようにしている。
「ちょっと、お姉さん」
なんだか、背後から声が聞こえた気がした。無視して後ろを振り返らずに歩く。
「お姉さん、無視しないでよ〜」
馴れ馴れしい声だ。無礼な人もいるものだと私は思う。
「お姉さん!」
ふと、肩を叩かれる。ビクッとした後、私は恐る恐る後ろを見る。いかにもチャラそうな男がそこに立っていた。柄の入った白Tシャツにダメージジーンズ、髪は金色に染めているが地毛の黒が出てきてしまっている。ダサいな、なんて感想を抱く。
「あ、やっと俺のこと見てくれた〜。ねぇねぇ、ちょっと俺とお茶してかない? そこにいい感じのカフェあるしさぁ〜」
親指でくっとカフェの看板を指さしている。私の行ったことのない店だ。
いや、そんなことはどうでもいい。これは……ナンパだ。やばい、と脳が危険信号を出している。顔が引きつる。
「そんな怖がらないで。俺はただお姉さんとお茶したいだけなんだよ」
ぱち、とウィンクをされる。別に格好よくない。私の方がずっと、何百倍も可愛いから。
でも、やっぱり怖いなと思う。得体の知れない人などと店に入りたくない。気づけば足が震えている。
逃げなきゃ。
「ちょっと、お姉さん!」
私は走った。とにかく駅に逃げよう。そうすれば駅員さんに助けを求められる。高校で学年一だったこの足で、どうにか逃げてみせる。
「待ってよ」
追いかけられている。怖い怖い怖い。嫌だ嫌だ嫌だ。あんな知らない人と一緒にいたくない。
駅前の飲み屋街を駆け抜け、駅のエスカレーターをダッシュで上がり、改札を過去最高の速さで突っ切る。
やだやだ。怖い。来ないで!
そこに来ている電車に乗る。私が駆け込んだ数秒後にドアが閉まり、発進した。
肩で息をする。乱れた息を整えて、周囲を見渡す。さっきのナンパ男はいないようだ。私はほっと胸を撫で下ろす。
ふと窓に写る自分の姿を見る。高い位置の黒髪ツインテに、ヘッドドレスとフリルのついたワンピース。ボルドーで合わせた少しダークなコーデ。パニエを下に着ているから、スカート部分はふんわりとしている。
顔も見る。レッド系のアイシャドウに、紫っぽい赤のリップ。服に合わせた赤い赤いメイク。眉は平行に、肌はどこまでも白く。人によってはゴスロリに見えるかもしれない。もちろん涙袋もしっかりと。うんうん、崩れてない。やっぱりデパコスってすごい。私は一人頷く。
夕方の上り電車は空いていて、私は遠慮せず席に座った。他の乗客とは間隔があって、スカートの広がり具合を気にせず座れる。
妹に自撮りを送る。百均に行く前、街で撮ったものだ。メイクが崩れる前に撮るのがポイントだ。
「今日はダークな気分だったの。どう?」
既読はすぐにはつかない。妹は忙しいのだ。
暇になった私はワイヤレスイヤホンを着け、K-POPを流す。ロリータらしくクラシックを聴いていた時期もあったけれど、私には合わず結局やめてしまった。内面から整えてもいいけれど、理想に固執せずに自分の好きなものを好きなだけ摂取するのが精神的には良いと思う。
音に揺られる。
***
バタン、と背後でドアの閉まる音がした。家に帰ってきたのだ。ブーツを脱ぐ。廊下に倒れこむ前に、着替えなくてはいけない。
メイクを洗面所で落とす。すっぴんの顔は好きじゃない。でも仕方ない。そう生まれてきてしまったのだから。
ワンピを脱いでハンガーにかける。重いよね、ロリータ服。肩を回すとぐりぐりと音がした。パニエも脱いでクリップ付きのハンガーに留めてかける。タイツは脱いだら洗濯機に突っ込む。ヘッドドレスは箱に入れる。
ウィッグを取る。地毛の黒い短髪が露わになる。髪が短いと得するのは、インナーキャップを付けずに済むということだ。髪が長い場合、地毛がウィッグからはみ出てしまうから。
スウェットを着る。上下セットでグレーの、安売りワゴンで売っていたやつ。足は裸足のままでいい。家の中まで靴下の類に束縛されたくない。
鏡に映る自分を見て思う。ゴツいなと。嫌いだと。
「っあぁー、疲れた!」
床に寝転がる。この低い声も、好きじゃない。
金山銀司は男だ。Xジェンダーだ。日によって性別が変わる。
この「銀司」という名前も苦手だ。The・男って感じだからだ。もっと中性的な名前にしてくれればよかったのに。
本当は今日は男の格好で街に行くつもりだった。でも、自分の中の女の子の部分が出てきてしまったのだ。だから急遽予定変更して、がっつり着替えて行ったのである。
天井を見ながら私はこの後、どうやって生きていけばいいのだろうと漠然と思う。
女装男子な動画クリエイターは何人か知っているが、私はそうはなれない。ロリータ服を着る女性グループも知っているけど、そこまで開き直れない。
私のために、そう、私が好きだからメイクやロリータファッションをしているが、日によって男性にも女性にもなる私は、堂々と「女装が好きです」とは言えないのだ。「ロリータファッションが好きなんです」とも言えない。完全じゃないから。不完全だから。どちらか一方に決まっていないから。
アイデンティティがない。自己肯定感やらというものが、抜け落ちてしまっている気がする。
どうして生きているのかな。生まれてこなければ良かった。昔から苦労してきたけど、血の繋がった両親にも話せずにいる。話もせず家を出てきてしまった。これで良いのか。私は、私は……。
ピロン、と音がスマホから鳴った。お腹が空いて干からびそうな私はスマホを手に取る。時計は五時だ。妹からだった。
「いいじゃん! とってもステキ!」
「また送ってよ」
熊の可愛いハートつきのスタンプ。
「ありがとう、また送るわ」と返事する。
あぁ、こんな醜い私でも。理解してくれる人がいるんだ。少し、泣きそうになる。
「……よし」
私は起き上がる。夕飯を作ろう。
しかし、キッチンに立ったところで私は気づいてしまった。食材がない。帰りにスーパーに寄ってくれば良かった。
仕方ないので冷凍庫からお好み焼きを出す。ちょっと前に作ったものだ。レンジに突っ込んで500W6分に合わせて加熱する。レンジの低い音を聞きながら、私は床に座って瞑想をする。電波が届かなくなるからスマホが使えず、やることがないのだ。
あぐらをかいて、そっと手の甲を乗せる。呼吸に集中する。考えが湧いてくる。
「このままでいいのかな」
「理解者が一人しかいないのはしんどい」
「会社やだなぁ」
雑念はそのままにしておく。排除するのではなく、そのままに。そう思っているんだなぁと感じるのだ。
レンジが鳴る。ゆっくりと目を開け、手先を動かして意識を戻す。見慣れた自室。少し気分が落ち着いたようだ。食欲も出てきた。
ラップを取り、皿に移す。湯気がほかほかと上っている。ソースをたっぷりとかけて、箸で食べる。
「いただきます」
一人暮らしだけど、こういうのは口に出す方がいいと私は思う。
銀司は関西生まれだ。だから小さい頃から粉物料理が身近にあって、簡単に作れるから今でも好んで作る。一度にたくさん作れるし。お好み焼きが好きかと聞かれるとまぁまぁだけど。訛りを会社で馬鹿にされることがあるが、だからなんだと言うのだ。
「私は私だ、よね」
お好み焼きをかっ|食《くら》う私が私なのだ。
食欲のままに食べ終え、しかしまだ食べたかったので冷蔵庫をあさる。
「お」
チーズかまぼこがあった。赤いテープを剥がしてもぐもぐと食べる。うん、おいしい。三本食い散らかしたところで食欲が収まった。食い散らかす、なんて女の子らしくないなぁと、食べ終えた残骸を見てちょっと落ち込む。
包装をゴミ箱に捨て、皿を流しに置きながら言う。
「ごちそうさま」
そのまま皿洗いをする。自炊はあまりしないから、大して溜まっていないけど。片付けないと私の気が落ち着かないのだ。
***
おまちかねのシール開封タイム!
今日買ったのは星座のシールである。そう、あの百均で買ったものだ。袋をそっとハサミで切って開ける。
「あぁ、いいわこれ」
買った時はそこまで好みじゃなかったけど、このサイズ感は貼るのにちょうどいい。使いやすそうだ。
私は手帳にシールを貼る。もちろんプライベートな手帳だ。予定が入っている日付のところだけではなく、空いているところにバランスよく配置していくのだ。仕事用と二冊持っているのはなかなか面倒だけど、仕事用のをデコるのも、趣味がバレたらどうしようと思ってできない。
今月は結構暇だったから、空きスペースがある。まずは予定のある日に半透明のトレーシング素材の丸シールを貼っていく。星座のシールが金色だから、イエローで合わせて。
美容院の予約、ネイルサロンの予約、病院、そしてお出かけ。男友達と会う日もある。そのときはワンピースとかスカートとか着ていけないからしんどいこともあるけど、私は八割の日が男なので大抵はなんとかなる。朝起きた時に男の気分であるように祈るだけだ。
丸シールを貼り終わったので、いよいよ星座シールの出番だ。十月のページは黄色く染まっている。
ここかな? と全体のバランスを見ながらシールを数枚貼っていく。動画だとピンセットで慎重にやっている人を見かけるけど、私は面倒くさがりだから指でつまんで貼る。
星座の名前は分からない。黄道十二星座なことぐらいしかわからない。あと私の星座である双子座。この三角のやつなに?
でも可愛いからいいのだ。可愛いは正義。手帳が可愛くデコれていればそれでいい。
「いいじゃん……!」
あぁ、いい感じだ。すごくステキだ。なんて可愛いのだろう。きゃー、可愛い! やっぱこの星座シールを買って良かった。
星柄のマスキングテープを取り出す。ベースは紺色で、まるで夜空をイメージしたかのような作りになっている。上下の空いているところに貼って、ハサミでちょうどよく収まるように切る。
「最高か?」
とても良い。黄色って白い紙がベースだと見えづらくなるけど、この紺のマステを貼ったことで引き締まって見える。可愛いだけじゃなくて落ち着いた感じが出た。
完成した手帳を見て、思わずため息が出た。すごい。今月すごいよ。ぱら、と九月を見る。九月は赤い。もちろん赤もいいけど、今月の黄色の方がずっとずっと良くなっているように見える。
手帳を閉じながら独り言を呟く。
「また行こう」
百均最高。本当にシールというものがこの世に存在していて良かった。そんな世界に生まれてきてよかった。ありがとうシール。大好きだよシール。
私は男だけど、別に趣味に性別なんて関係ない。私は私だし、僕は僕なのだ。それで良いのだ。別に迷惑をかけているわけじゃないから。
アパートの一室で、そんなことを私は思うのだった。
シールも移ろい変わりゆくものだと思う。
ない……。
私はため息をついた。
今日は休日、ちょっと遠出して都会の駅まで来ていた。ここはオシャレな百均だ。ただ安いだけの百均とは違い、可愛くて使えるアイテムがたくさんある。
シールのコーナーの前に立っている。品揃えが充実していて、いつも困らないのだが、今回ばかりは違った。
リピっていたシールがなくなっていたのだ。ピンクのテディベアの小さいシールだ。前回来た時も前々回来た時もあったから、今回もあると思っていたのに。
ざっと眺めた後、星座のシールを手に取る。ピンクじゃなくて金色メインだから随分と雰囲気が変わってしまうけど、新しいものに挑戦するのもいい機会になるだろう。使いこなしてみたい。
シールコーナーから出て、レジまで歩く。数人の客が私を見つめてくる。
店には女性客が多い。主婦と家族連れが多い中、私は随分と浮いているだろう。だって一人だし、ガチガチにコーデとメイクをキメているから。
でも、それでいいんだ。これが私なんだから。そう言い聞かせて、怯えて震える心を奮い立たせる。
この店は最近セルフレジを導入した。最初は戸惑ったものだがもう慣れてしまった。いつも通りバーコードをスキャンして、支払いを済ませる。カードにしてから小銭を数えなくて済むようになって助かっている。しかも、店員と話さなくて済む。そこが一番気に入っている。
シールをバッグにしまい、店を出る。エスカレーターに乗る。降りてゆく。他の客がちら、と私を見てくる。ビクッとするけどメルヘンなコーデだから仕方ない。ここは原宿ではないのだから。
落ち葉がカサカサと音を立てて、道路の隅で震えている。もうすぐ冬なのかな。厚い服を着ているけど、結構寒い。
駅まで歩く。駅周辺はカラオケ屋や居酒屋が多い。今は夕方だから、あまりお客さんが入っていないけど。
それでも、この街は好きだ。特に私は人混みが苦手だから、休日の明るい時間帯に来るようにしている。
「ちょっと、お姉さん」
なんだか、背後から声が聞こえた気がした。無視して後ろを振り返らずに歩く。
「お姉さん、無視しないでよ〜」
馴れ馴れしい声だ。無礼な人もいるものだと私は思う。
「お姉さん!」
ふと、肩を叩かれる。ビクッとした後、私は恐る恐る後ろを見る。いかにもチャラそうな男がそこに立っていた。柄の入った白Tシャツにダメージジーンズ、髪は金色に染めているが地毛の黒が出てきてしまっている。ダサいな、なんて感想を抱く。
「あ、やっと俺のこと見てくれた〜。ねぇねぇ、ちょっと俺とお茶してかない? そこにいい感じのカフェあるしさぁ〜」
親指でくっとカフェの看板を指さしている。私の行ったことのない店だ。
いや、そんなことはどうでもいい。これは……ナンパだ。やばい、と脳が危険信号を出している。顔が引きつる。
「そんな怖がらないで。俺はただお姉さんとお茶したいだけなんだよ」
ぱち、とウィンクをされる。別に格好よくない。私の方がずっと、何百倍も可愛いから。
でも、やっぱり怖いなと思う。得体の知れない人などと店に入りたくない。気づけば足が震えている。
逃げなきゃ。
「ちょっと、お姉さん!」
私は走った。とにかく駅に逃げよう。そうすれば駅員さんに助けを求められる。高校で学年一だったこの足で、どうにか逃げてみせる。
「待ってよ」
追いかけられている。怖い怖い怖い。嫌だ嫌だ嫌だ。あんな知らない人と一緒にいたくない。
駅前の飲み屋街を駆け抜け、駅のエスカレーターをダッシュで上がり、改札を過去最高の速さで突っ切る。
やだやだ。怖い。来ないで!
そこに来ている電車に乗る。私が駆け込んだ数秒後にドアが閉まり、発進した。
肩で息をする。乱れた息を整えて、周囲を見渡す。さっきのナンパ男はいないようだ。私はほっと胸を撫で下ろす。
ふと窓に写る自分の姿を見る。高い位置の黒髪ツインテに、ヘッドドレスとフリルのついたワンピース。ボルドーで合わせた少しダークなコーデ。パニエを下に着ているから、スカート部分はふんわりとしている。
顔も見る。レッド系のアイシャドウに、紫っぽい赤のリップ。服に合わせた赤い赤いメイク。眉は平行に、肌はどこまでも白く。人によってはゴスロリに見えるかもしれない。もちろん涙袋もしっかりと。うんうん、崩れてない。やっぱりデパコスってすごい。私は一人頷く。
夕方の上り電車は空いていて、私は遠慮せず席に座った。他の乗客とは間隔があって、スカートの広がり具合を気にせず座れる。
妹に自撮りを送る。百均に行く前、街で撮ったものだ。メイクが崩れる前に撮るのがポイントだ。
「今日はダークな気分だったの。どう?」
既読はすぐにはつかない。妹は忙しいのだ。
暇になった私はワイヤレスイヤホンを着け、K-POPを流す。ロリータらしくクラシックを聴いていた時期もあったけれど、私には合わず結局やめてしまった。内面から整えてもいいけれど、理想に固執せずに自分の好きなものを好きなだけ摂取するのが精神的には良いと思う。
音に揺られる。
***
バタン、と背後でドアの閉まる音がした。家に帰ってきたのだ。ブーツを脱ぐ。廊下に倒れこむ前に、着替えなくてはいけない。
メイクを洗面所で落とす。すっぴんの顔は好きじゃない。でも仕方ない。そう生まれてきてしまったのだから。
ワンピを脱いでハンガーにかける。重いよね、ロリータ服。肩を回すとぐりぐりと音がした。パニエも脱いでクリップ付きのハンガーに留めてかける。タイツは脱いだら洗濯機に突っ込む。ヘッドドレスは箱に入れる。
ウィッグを取る。地毛の黒い短髪が露わになる。髪が短いと得するのは、インナーキャップを付けずに済むということだ。髪が長い場合、地毛がウィッグからはみ出てしまうから。
スウェットを着る。上下セットでグレーの、安売りワゴンで売っていたやつ。足は裸足のままでいい。家の中まで靴下の類に束縛されたくない。
鏡に映る自分を見て思う。ゴツいなと。嫌いだと。
「っあぁー、疲れた!」
床に寝転がる。この低い声も、好きじゃない。
金山銀司は男だ。Xジェンダーだ。日によって性別が変わる。
この「銀司」という名前も苦手だ。The・男って感じだからだ。もっと中性的な名前にしてくれればよかったのに。
本当は今日は男の格好で街に行くつもりだった。でも、自分の中の女の子の部分が出てきてしまったのだ。だから急遽予定変更して、がっつり着替えて行ったのである。
天井を見ながら私はこの後、どうやって生きていけばいいのだろうと漠然と思う。
女装男子な動画クリエイターは何人か知っているが、私はそうはなれない。ロリータ服を着る女性グループも知っているけど、そこまで開き直れない。
私のために、そう、私が好きだからメイクやロリータファッションをしているが、日によって男性にも女性にもなる私は、堂々と「女装が好きです」とは言えないのだ。「ロリータファッションが好きなんです」とも言えない。完全じゃないから。不完全だから。どちらか一方に決まっていないから。
アイデンティティがない。自己肯定感やらというものが、抜け落ちてしまっている気がする。
どうして生きているのかな。生まれてこなければ良かった。昔から苦労してきたけど、血の繋がった両親にも話せずにいる。話もせず家を出てきてしまった。これで良いのか。私は、私は……。
ピロン、と音がスマホから鳴った。お腹が空いて干からびそうな私はスマホを手に取る。時計は五時だ。妹からだった。
「いいじゃん! とってもステキ!」
「また送ってよ」
熊の可愛いハートつきのスタンプ。
「ありがとう、また送るわ」と返事する。
あぁ、こんな醜い私でも。理解してくれる人がいるんだ。少し、泣きそうになる。
「……よし」
私は起き上がる。夕飯を作ろう。
しかし、キッチンに立ったところで私は気づいてしまった。食材がない。帰りにスーパーに寄ってくれば良かった。
仕方ないので冷凍庫からお好み焼きを出す。ちょっと前に作ったものだ。レンジに突っ込んで500W6分に合わせて加熱する。レンジの低い音を聞きながら、私は床に座って瞑想をする。電波が届かなくなるからスマホが使えず、やることがないのだ。
あぐらをかいて、そっと手の甲を乗せる。呼吸に集中する。考えが湧いてくる。
「このままでいいのかな」
「理解者が一人しかいないのはしんどい」
「会社やだなぁ」
雑念はそのままにしておく。排除するのではなく、そのままに。そう思っているんだなぁと感じるのだ。
レンジが鳴る。ゆっくりと目を開け、手先を動かして意識を戻す。見慣れた自室。少し気分が落ち着いたようだ。食欲も出てきた。
ラップを取り、皿に移す。湯気がほかほかと上っている。ソースをたっぷりとかけて、箸で食べる。
「いただきます」
一人暮らしだけど、こういうのは口に出す方がいいと私は思う。
銀司は関西生まれだ。だから小さい頃から粉物料理が身近にあって、簡単に作れるから今でも好んで作る。一度にたくさん作れるし。お好み焼きが好きかと聞かれるとまぁまぁだけど。訛りを会社で馬鹿にされることがあるが、だからなんだと言うのだ。
「私は私だ、よね」
お好み焼きをかっ|食《くら》う私が私なのだ。
食欲のままに食べ終え、しかしまだ食べたかったので冷蔵庫をあさる。
「お」
チーズかまぼこがあった。赤いテープを剥がしてもぐもぐと食べる。うん、おいしい。三本食い散らかしたところで食欲が収まった。食い散らかす、なんて女の子らしくないなぁと、食べ終えた残骸を見てちょっと落ち込む。
包装をゴミ箱に捨て、皿を流しに置きながら言う。
「ごちそうさま」
そのまま皿洗いをする。自炊はあまりしないから、大して溜まっていないけど。片付けないと私の気が落ち着かないのだ。
***
おまちかねのシール開封タイム!
今日買ったのは星座のシールである。そう、あの百均で買ったものだ。袋をそっとハサミで切って開ける。
「あぁ、いいわこれ」
買った時はそこまで好みじゃなかったけど、このサイズ感は貼るのにちょうどいい。使いやすそうだ。
私は手帳にシールを貼る。もちろんプライベートな手帳だ。予定が入っている日付のところだけではなく、空いているところにバランスよく配置していくのだ。仕事用と二冊持っているのはなかなか面倒だけど、仕事用のをデコるのも、趣味がバレたらどうしようと思ってできない。
今月は結構暇だったから、空きスペースがある。まずは予定のある日に半透明のトレーシング素材の丸シールを貼っていく。星座のシールが金色だから、イエローで合わせて。
美容院の予約、ネイルサロンの予約、病院、そしてお出かけ。男友達と会う日もある。そのときはワンピースとかスカートとか着ていけないからしんどいこともあるけど、私は八割の日が男なので大抵はなんとかなる。朝起きた時に男の気分であるように祈るだけだ。
丸シールを貼り終わったので、いよいよ星座シールの出番だ。十月のページは黄色く染まっている。
ここかな? と全体のバランスを見ながらシールを数枚貼っていく。動画だとピンセットで慎重にやっている人を見かけるけど、私は面倒くさがりだから指でつまんで貼る。
星座の名前は分からない。黄道十二星座なことぐらいしかわからない。あと私の星座である双子座。この三角のやつなに?
でも可愛いからいいのだ。可愛いは正義。手帳が可愛くデコれていればそれでいい。
「いいじゃん……!」
あぁ、いい感じだ。すごくステキだ。なんて可愛いのだろう。きゃー、可愛い! やっぱこの星座シールを買って良かった。
星柄のマスキングテープを取り出す。ベースは紺色で、まるで夜空をイメージしたかのような作りになっている。上下の空いているところに貼って、ハサミでちょうどよく収まるように切る。
「最高か?」
とても良い。黄色って白い紙がベースだと見えづらくなるけど、この紺のマステを貼ったことで引き締まって見える。可愛いだけじゃなくて落ち着いた感じが出た。
完成した手帳を見て、思わずため息が出た。すごい。今月すごいよ。ぱら、と九月を見る。九月は赤い。もちろん赤もいいけど、今月の黄色の方がずっとずっと良くなっているように見える。
手帳を閉じながら独り言を呟く。
「また行こう」
百均最高。本当にシールというものがこの世に存在していて良かった。そんな世界に生まれてきてよかった。ありがとうシール。大好きだよシール。
私は男だけど、別に趣味に性別なんて関係ない。私は私だし、僕は僕なのだ。それで良いのだ。別に迷惑をかけているわけじゃないから。
アパートの一室で、そんなことを私は思うのだった。
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