第一部
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11月も残り一週間となった頃、今学期二回目のホグズミード行きの知らせが寮の掲示板に貼り出された。日付は12月の初旬、クリスマスショッピングに最適な時期だ。朝一番に掲示板の前ではしゃぐ生徒達に混ざりながら、名前はミランダと共にその知らせに目を通していた。
「今度はスネイプを誘うでしょう?」
ミランダがさも当然とばかりに発した言葉に、名前は目を瞬かせた。名前に有無を言わさぬまま、ミランダはすたすたとスリザリン寮の石扉へ一直線に向かって行く。
「私、そのつもりで"お客さん"の所に行くから」
冷たい石の扉が開くと、昼も夜も変わらない暗さの廊下が現れる。朝食への道のりをスリザリン生の大半は眠たげな表情で歩く。地下の薄暗さは眠気を誘うばかりで、頭をシャキッとさせる刺激などそこにはない。スリザリンの生徒は地下牢からの階段を上りきって初めて太陽の光を目にするのだ。
しかし名前は今朝に限っては、石の力無しでも一切の眠気を取り払う事が出来ただろうと感じた。ホグズミードにセブルスを誘う。それがどんなに難しく、どんなに気恥ずかしいか、ミランダは分かっているのだろうか。
「そんな難しい事じゃないわ」
名前の心を読んだかのように、隣を歩くミランダが口を開いた。
「あなた達はもう長いこと友人なんだから。ホグズミードに誘うくらい、どうってことないでしょう?」
「それが…実は、ポリジュースの件があって以来まともに話せてないの」
灯篭に照らされた地下の階段を上りながら、名前は小さくため息をつくと同時に、振り返って後ろに続くスリザリン生の列を見渡した。当のセブルス本人に聞かれてはいないだろうか。
「あの時忠告したのに。スネイプは本当に人の話を聞かないわね」
「やっぱりミランダはセブルスが何をするつもりか分かってたの?」
新学期初日に起こった出来事を思い返しながら、名前はミランダに問いかけた。森のはずれで材料収集をしていたセブルスに、ミランダは計画の失敗を警告していたのだ。
「何の薬を作る気かまでは分からなかったけど、彼の狙いは大体予想出来てたわ」
ミランダは足を止めずに、名前に顔を近付けて囁いた。
「彼はグリフィンドールの四人を破滅させるために、彼らの秘密を握りたがってるんでしょう」
ポリジュース薬の噂は有名でも、実際にペティグリューに扮したセブルスが何を探ろうとしていたのか、それを知るのはグリフィンドールの四人と名前だけだ。セブルスの宿敵の秘密とは、今や自分の秘密でもあるのだ。名前は改めて辺りを見回し、ミランダにしか聞こえない声でたずねた。
「私が絡んでる秘密の事だと思う?」
「まあそれも恰好のネタでしょうけど、今は違うわね。そっちの秘密に関してはまだ彼は知らないもの」
一階の踊り場への階段を上り切ると、ホグワーツ全寮の生徒たちが四方から集まってきた。色分かれした制服に身を包みながら、全員が大広間へと向かって行く。宿題が終わっていないだの、次のクィディッチ戦でどこに賭けるだの、平和な話題が飛び交ういつもの朝だ。その騒がしさに紛れて、ミランダは名前の耳元でそっと囁いた。
「スネイプはルーピンの事、もう随分前から疑っているわ」
その日の午前中は未だかつて無い程に早く過ぎ去っていった。気が付くと名前は再び大広間の前に立っていた。そうだった、昼食をとりに来たのだ。頭の中が考え事でいっぱいでも、長年の習慣から足は自然と大広間へ向かっていたのだろう。ついさっき大広間で朝食を食べたばかりなのに。しかし何を食べたのかも、午前中の授業で何を習ったのかも、名前はぼんやりとしか思い出せないでいた。
名前はスリザリンのテーブルに一人腰掛け、目の前に置かれたサンドイッチに反射的に手を伸ばした。一限目の闇の魔術に対する防衛術でも、その後の変身術でも、いつもとさして変わらないセブルスが確かにいたはずだ。しかし普段当たり前にしている、彼の隣に座るという行動が何故か今日は出来なかったのである。名前は後方の席で、教卓を眺める素振りをしながらセブルスの背中を見つめていた。もしセブルスがリーマスの秘密を握ったとしたら、彼はどうするだろう。芋づる式にポッター達が動物もどきの練習をしていることも暴かれ、それに自分が関与している事をセブルスが知ったら…。
非難、失望、絶交。そんな言葉の数々が脳裏に浮かび、名前はセブルスに気軽に話し掛けるなど今日はとても出来そうにないと感じた。彼に姿を見られる前に教室を出て、声を掛けられる事の無いよう次の教室には始業直前に入る。そうして午前中の授業が終わり、名前は逃げるようにセブルスの来ない昼休みの大広間へと駆け込んだのだ。
昼食の席は次第に生徒たちで溢れ、名前は高学年の女子グループに挟まれる形でサンドイッチを食べていた。どちらのグループもクリスマス前のホグズミードに関する話をしている。こんな状況で、セブルスをホグズミードに誘うなんてどうしたら出来るだろう。しかしいつまでも彼を避けるわけにもいかない。今日だけに関して言えば具合が悪かったで誤魔化せるかもしれないが、いつもセブルスを追って回るのは自分の方だ。こんな態度を三日もとれば、ますます怪しまれるに違いない。
やはりミランダの言う通り、クリスマスショッピングに思い切って彼を誘うべきだろうか。味のしない食事を終え、席を立ちながら名前は今日が金曜日である事に気付いた。という事は、少なくとも土日のうちは授業でコソコソと隠れる必要も無いのだ。今日の午後は医務室に行くと嘘をついて、授業を抜け出そう。幸い次の授業は魔法史だ。ビンズ先生は出席をとる事すらしないだろう。
そう考えた矢先、明日は何よりも例の秘密授業があるのだと思い出し名前は頭を抱えた。それを思うと本当に胃が痛くなってきたようだ。名前はふらふらと大広間を後にし、生徒たちの波をかき分けながら8階の部屋へと向かった。
夕食の時間になった頃、ミランダが示し合わせたかのように8階の隠し部屋へと入ってきた。彼女は大広間の食卓に並べられていたのであろう軽食を机の上に広げ、名前と向かい合う形で椅子に座った。
「隠し事があるからと言って、スネイプを避けるのは逆効果のように思えるわね」
名前の表情から一瞬にして全てを読み取ったような口ぶりでミランダは言った。
「グリフィンドールと縁がない自分だったら、どんな行動をするかを常に考えて振る舞うべきよ」
「うーん…」
名前は夕食に渋々と手を伸ばしながら、悩ましげに唸った。机の上に並べられたチキンレッグやプディングはどれも温かく、まるで作りたてのようだ。暗く孤独だった部屋はいつの間にか光と美味しそうな匂いに包まれ、親友を前に名前は少しずつ心が解れていくのを感じた。
「名前、もしあなたがグリフィンドールの四人と何の関係もない生徒だったら、今日のホグズミード行きの案内を見てどうするかしら?」
「えっ」
ミランダの問いにチキンを頬張る寸前の所で止め、名前は顔を赤らめながら呟いた。
「……セブルスを誘う…って言わせたいんでしょ」
「そうね、そうするべきよ」
ミランダはどこからともなく瓶入りのかぼちゃジュースを取り出し、それを名前に差し出して言った。
「明日のうちに言っちゃいなさいよ。そうすれば嫌でも自然に振る舞わざるを得ないでしょ」
「どうかな…」
手渡されたかぼちゃジュースの蓋を回しながら、名前はぽつりと呟いた。蓋が開いた衝撃で瓶の中の液体が揺れて波打っている。まるで自分の心のようだと名前は思った。秘密を隠して立ち回る事への不安と、ミランダの説得力ある忠告の狭間で気持ちが揺れ動いている。
「名前。実を言うと私、あなたには今以上にスネイプの近くにいてほしいと思ってるの」
「…どういう事?」
ミランダの予期せぬ発言に、名前は驚いて彼女を見た。面白がったり、からかっているような顔ではない。その表情は真剣そのものだ。
「ポリジュースの噂が広まってから彼を"良く"思うスリザリン生が増えたの、あなたも気付いてるでしょう」
ミランダは手を膝の上に置き、圧すら感じられる眼差しで名前を見た。
「今回の件でスネイプを気に入った奴らはみんな、私たちとは正反対の考えを持つ人達よ。あなたが傍にいてあげないと、スネイプは彼らの思想に魅了されてしまうかもしれない」
「まさか、そんな!」
ミランダの考えに名前は思わず声を上げた。そんなはずは無い。そう信じさせる思い出が名前の頭の中にはあった。
「だってセブルスはマグル差別が嫌いなんだよ。一年生の時、マグル生まれを馬鹿にしたパーキンソンに本気で怒って怪我させようとしたんだから…彼自身も半純血だし…それに、何より…」
"何よりもリリーが"、そう言いかけて名前は口をつぐんだ。純然たる事実のはずが、名前の舌はそれを言葉にする事を拒んだのだ。自分はリリーに嫉妬しているのだろうか。しかしそんな名前の一瞬の戸惑いを吹き飛ばすかのように、ミランダが放ったのは容赦ない否定の一言だった。
「甘いわ、名前」
サファイアブルーの美しい瞳を真っ直ぐに向けられ、その眼光に捉えられた名前は思わず身動きが出来なくなった。
「彼がどんなに闇の魔術を愛してるか、あなた分かってるでしょう」
ミランダの言葉は絶対的に正しい、そう感じさせる何かが今の彼女にはあった。日常の何気ない予知よりもずっと複雑で不明瞭な事柄のはずが、不思議と素直に"現実の行方"として受け入れられてしまう。名前の脳裏にエイブリーとマルシベールの姿が浮かんだ。ミランダの警告するその存在は、もう影としてセブルスの傍に近付いてきているのかもしれない。
「…セブルスは、どうしてあんなに闇の魔術が好きなんだろう」
机の上を虚ろに眺めながら、すっかり食欲を失った状態で名前はため息をついた。
「なんにも良い事なんて無さそうなのに…」
「それは本人に聞いてみなさいな」
ミランダはささやかな食事の後片付けをしながら、これが肝心というばかりに言葉を付け足した。
「ホグズミードでね」
土曜日の朝。名前は朝食の席に一人で座っていた。ミランダはホグズミードの約束を取り付けるまでは共に行動しないと言わんばかりに、ラックからトーストを一枚取るや否や「じゃあね」と笑顔で大広間を出て行ってしまったのだ。名前はベーコンエッグを口に運びながら、ぼんやりと周りを眺めていた。今朝は何か大きなニュースがあったのだろうか、ふくろうが運んできた新聞を手に話し込んでいる生徒たちがいつもより多い。日刊預言者新聞は毎朝ミランダの元に送られてくる。あとで見せてもらわなくては、そう思いながら名前はふと扉付近に目をやった。待ち人が現れる気配は一向にない。
しかし仮に今セブルスが大広間に入ってきたとして、こんなに人目の多い所でホグズミードに誘えるだろうか。絶対に無理だ。名前は心の中で首を振って、香ばしい焼き目のついたトーストを大きく一口ガブリとかじった。
名前が食事を終える頃には丁度退席の波が来たようで、生徒たちは次々に立ち上がり扉前には短い列が出来ていた。そう急ぐ必要はない。いつもの様に一波去ってから席を立とうと、名前は何を思うでもなく向かいの寮テーブルを見渡していた。スリザリンのテーブルが端に位置しているおかげで、壁際に座ると正面を見ているだけで他寮の様子が一目で分かるのだ。だらだらと居残り続けるグリフィンドールとは対照的に、レイブンクローの生徒たちは一秒でも効率良く動きたいのか、大広間に残っている者はほんの数人だ。混雑がおさまるのを読書をしながら待っている。ただその場を眺めるだけだった名前はその姿に感化され、荷物を持ってぱっと席を立った。今日は積もりに積もった宿題の半分を片付けなければならないし、ポッターたちとの約束に講師として参加しなければならない。それにセブルスがこの場にいたら、間抜けな顔でただ座っているだけの自分をきっと馬鹿にするだろう。
名前は大広間を出るなり早足で廊下を進み、生徒の大半が集まる図書館へそわそわと足を踏み入れた。勿論膨大な量の宿題に取り組むためだ。そう自分に言い聞かせながらも、名前はささやかな期待を込めてセブルスがいつも座る奥の席を見に行った。生憎彼の姿はそこに無く、何も置かれていないまっさらな机があるのみだった。
時計は9時半を指している。土曜日はまだ始まったばかりだ。もしかすると、午前中の内にセブルスも図書館へ来るかもしれない。その可能性はきっと高い。名前はセブルスのいつもの席に荷物を置き、彼が普段腰掛けている椅子にそろりと座った。この席は別に誰の席というわけでもない。しかしセブルスが何度も座っている、その事実が名前の心を僅かにときめかせた。セブルスの席から見るその光景はまるで知らない図書館のように新鮮だった。
名前は気もそぞろになりながら、机に積み重ねた宿題を一つずつ片付けていった。しかし望みとは裏腹に、セブルスの姿は依然として現れない。辺りを行き交う生徒たちの足音が名前の集中を露骨に妨げていくばかりだ。時刻はとうとう12時を過ぎ、昼食を知らせる鐘が城中に鳴り響いた。宿題は予定の半分も進んでいない。二つの期待はずれに気を落としながら、名前は仕方なく再び大広間に戻る事にした。
ポッターたちとの約束まで時間に余裕があるとは言えない。何しろ13時には暴れ柳の近くにいなければならないのだから。名前はせかせかとスリザリンのテーブルにつき、他寮に一切目を向けることなくひたすら昼食に集中することにした。
果たしてペティグリューは取り替え呪文を問題なく使えるようになっただろうか。名前は大皿に乗ったサンドイッチに手を伸ばしながら、前回の集まりで目の当たりにしたペティグリューの不器用さを思い出していた。あの段階で躓いているようでは先が思いやられる。ブラックやポッターはともかく、ペティグリューが動物もどきを習得するには5年、いや10年かかるのではないだろうか。しかし彼を置き去りにするという発想は、グリフィンドールの三人には無いのだろう。名前は昼食を口に運びつつ虚空をぼんやりと眺めていたが、ふと視界に飛び込んできた人物に驚いてびくっと体を反り返した。
他寮のテーブルに背を向ける形で、名前の真向かいに腰を下ろしたのはセブルスだった。彼は無表情で皿の上のサンドイッチを掴み、ぶっきらぼうにたずねた。
「具合はもういいのか」
「え?…え、あ、うん!」
不審そうに自分を見るセブルスに、名前は笑顔を作りながら慌てて答えた。昨日の自分が体調不良を言い訳に授業を休んだ事を、今の今まですっかり忘れていたのだ。
「もう全然、何にも!どこも悪くないよ!」
「そうか」
セブルスは名前と視線を合わせることなく、相変わらず冷めた様子で言った。他には特に話す事がないと言わんばかりに、彼は下を向いて無関心そうに昼食をとっている。
セブルスが昼の大広間に来るとは、名前にとって完全なる想定外の出来事だった。普段の彼なら呼び寄せ呪文でサンドイッチを手にしたきり、大広間には入らずどこかへ行ってしまう。今日に限ってどういう風の吹きまわしだろうか。名前はどきまぎしながら、食べかけだったサンドイッチをまた一口小さくくわえた。名前の両隣には、小声の会話すら聞こえる距離で別の生徒たちが座っている。この状況でセブルスをホグズミードに誘うというのはかなり勇気のいる事だ。
「セブルスはさあ…」
ろくに食べ進めていないサンドイッチを口から離し、名前は場の空気を何とか和ませようと彼にたずねた。
「最近変わった事とか、あった?」
「…別に」
名前の問いかけも虚しく、セブルスは会話の糸口になりそうな答えを一切返さぬままサンドイッチをたいらげ、食後の紅茶をカップに注いでいた。
「あ、そう…」
名前はどうしていいか分からぬまま、再びサンドイッチを口にくわえた。セブルスの返事を文字通り受け取るとなれば、マルシベールやエイブリーはまだ彼には接触してきていないのだろうか。ふと周りのグループのどこからか、「クリスマス休暇」という言葉が聞こえ、名前はこれだとばかりに話題を振った。
「そういえば、今年のクリスマス休暇はセブルスどうするの?家族にプレゼント買ったりとか…」
「家には帰らない」
「えっ」
セブルスの強い語気に、名前はどきっとしながら咄嗟に相づちを打った。
「あ、そっかそっか…そうなんだね…」
となると、クリスマスショッピングなどセブルスにとっては無用ではないか。名前の胸中にじんわりと焦りが広がり始めた。ホグズミードにクリスマスショッピングに行こう、という誘い文句はもう使えないかもしれない。何と言えばセブルスは乗り気になってくれるだろう。ホグズミードに闇の魔術グッズを探しに行こう?そんなもの、あるはずがない。
名前があれやこれやと考えている内に、セブルスのカップに入った紅茶は既に底をつきそうになっていた。このままではあと数秒で彼は行ってしまう。しかし同時に、名前は自分が大広間を後にしなければならない時間なのだとも気付いた。セブルスの肩越しに、グリフィンドールの席を立ったポッターと目が合ったのである。
「あ、私そろそろ行かなきゃ…」
グリフィンドールの四人が大広間を出たのを確認してから、名前は目の前に座るセブルスに後ろ髪を引かれながら椅子から立ち上がった。
「僕もだ」
名前の申し出に頷き、セブルスは名前に合わせるかのように席を立った。いつもなら嬉しい以外の何物でもないセブルスのその行動だが、今の名前にとっては焦りを助長させる予想外の出来事だ。
「セブルスはどこに行くの?」
「地下に。教室にしかない大鍋を使いたい」
セブルスの答えから取り急ぎ向かう方向は異なると分かり、名前はほっと胸を撫で下ろした。セブルスがクィディッチ練習場やハグリッドの小屋に縁がある生徒でなくて良かった。しかし反対に「君は?」とたずねられ、ろくにアリバイを用意していなかった名前は思わず言い淀む羽目になった。
「あ、私はちょっと、ケトルバーン先生の所に…」
そう言ってから大広間の教員席にケトルバーンが座っているのを発見し、名前は自分で自分を殴りたい気持ちに駆られた。暴れ柳に近い校庭のはずれと言えば、そこしか思い付かなかったのだ。
「と言っても先生に用があるわけじゃないんだけど…魔法生物飼育学のエリアに、ちょっと忘れ物しちゃって…」
「忘れ物?君は昨日の授業にはいなかっただろうに」
そうだった。昨日の午後は、魔法史のあと魔法生物飼育学の授業があったのだ。名前は自分の嘘の下手さに呆れ返りながら、なんとか必死に言葉を続けた。
「あっうん昨日のじゃなくてね…その前の、先週の授業での…忘れ物したってさっき思い出して…」
「…ふうん」
セブルスは眉をひそめつつも、名前の不自然な言い訳を追及するのはやめたようだった。
「まあ君ほどの間抜けなら、そういった事もあるか」
「そうそう、そうなの」
セブルスの言葉に反論する余裕もなく、名前は大広間を出てから逃げるようにセブルスと反対方向に歩き出した。本当ならばもっと一緒にいたかった。しかし致し方ない、城の大時計は既に約束の13時を過ぎている。それにあれ以上会話を続けていては、ふとした瞬間に秘密に気付かれてしまいそうだった。ホグズミードの事は夕食後に、どこか人の少ない所で話してみよう。名前は校庭に出るなり、知り合いの目がない事を確認して急ぎ足で暴れ柳へと向かった。
「信じられるか!?本当にとんでもない奴らだ!!」
20分後、ポッターの怒声が響く暗いトンネルを名前は神妙な面持ちで歩いていた。今朝の日刊預言者新聞の一面記事は、マグルの変死体現場に相次いで魔法の痕跡が発見されたというものだったらしい。
「魔法省は『同一グループの犯行として捜査をしている』とか何とか言ってるらしいが、同一グループどころの話じゃない。誰の仕業かなんてもう分かってるんだ!数年前から噂になってる。ヴォルデモート、あいつに違いないだろ!?」
「とはいえ、実際に手を下したのはヤツじゃないかもしれない」
ポッターの言葉を受けて、先頭を歩くブラックが唾を吐き出すように言った。
「汚いヤツだぜ」
「全くだ。ちくしょう、僕が早く闇祓いになれたらなあ…」
「偉いなあ」
二人の会話を聞きながら、列の真ん中を歩くペティグリューが何の気なしに口を開いた。
「ジェームズもシリウスも、マグル生まれじゃないのにこういう事には必死になるよね」
「…ピーター」
ポッターが急に足を止め、トンネル内では危うくドミノ倒しが起きるところだった。驚いて顔を上げたペティグリューに、ポッターは燃えるような瞳を向けて言った。
「偉い事でも何でもない。マグル生まれじゃない俺たちだからこそ声を上げなきゃいけない問題なんだ。こんな事件が頻繁に起こるようになれば、家族にマグルがいる人々は隠れざるを得ないだろ。自分たちが殺される恐れがあるから。真に彼らを守るには、純血の魔法使いが歪んだ思想に立ち向かわなきゃならないんだ」
一時の静寂が流れた後、ポッターが歩き出した事で叫びの屋敷へ向かう列は再び動き始めた。ペティグリューはもうポッターに見られていないにも関わらず、その背中に向かって必死に頷いている。名前はそんな彼らの姿を目にしながら、ポッターの言葉に思わず感じ入っていた。
「なんか…ポッターの事、見直したかも」
「そうか?」
名前の呟きに、嬉しそうな様子でポッターが言った。
「まあ僕もさ。君はスリザリンだけど血筋をどうこう言う嫌な奴とは真逆なんだな。見直したよ」
ペティグリューを間に挟みながら、名前はポッターの言葉にふっと微笑んだ。つい最近までいがみ合っていた同士のはずが、不思議とこの瞬間、同じ仲間であると思えたのだ。自分の背後を歩くリーマスはほっと安堵している事だろう。こういう正義感に溢れる少年になら、動物もどきを教えてやっても良いかもしれない。名前は初めてそう感じた。
その日の練習は前回よりも難航したものとなったが、ペティグリューは失敗続きだった取り替え呪文をきちんと唱えられるようになっていたし、何より名前の教え方に熱がこもっていた。その熱意はグリフィンドールの四人にも伝わったようで、ふくろうを飛ばして遊んでいた前回とは一転、各々がさらなる上達のために試行錯誤を続けるという良い雰囲気のもと練習は進んでいった。日が暮れて城に戻る頃には全員が心地よい疲労感に包まれ、和やかに笑い話を飛ばし合いながら帰路につくという、寮の壁を越えた理想的なチームが出来上がっていた。
夕食の大広間へと一人向かいながら、名前は意外にこの集まりも悪くないかもしれないと思い始めていた。勿論校則からすれば悪いものだろうが…友人のために、正義のためにやっている事だ。何もそこまで後ろめたく思う必要はないのだ。子供っぽくて嫌いだと思っていたポッターたちも、付き合ってみると実は良い所も沢山あるではないか。ふっきれたような笑顔で席についた名前だったが、正面に座るミランダから受けた一言は笑顔ながらも厳しい内容だった。
「ダメじゃないの」
「ああ、ごめん…」
ミランダがホグズミードの件を指している事は、さすがの名前にも石なしで感じ取れた。
「なかなかタイミングがなくて…でも今日中には言うよ。うん、この夕食が終わったら。絶対」
「彼、大広間の扉付近に座ってるから」
テーブルの端をちらりと見て、ミランダが名前に耳打ちした。
「席を立った瞬間に追いかけなさいよ。食べきれなかった分は、私が代わりに食べてあげるから」
「分かった」
二人はふふっと笑い、大皿の上に現れた料理に手をつけ始めた。変に意識しすぎず、自然に声を掛ければいい。早鳴る鼓動を落ち着けるように、名前はそう心の中で呟いた。今までだって何度も出来たことではないか。ホグズミードだからと言って、それが特段難しくなるわけでは無いはずだ。
セブルスがいつ立ち上がっても後を追えるよう、名前はいつもの3倍程のスピードで夕食を口に運んでいた。しかし今日に限ってどういう訳か、セブルスは15分経っても席に着いたままだった。普段なら早々に出て行ってしまうのに。名前はミランダと二言三言交わしながら、横目でさり気なくセブルスを見つめていた。食事を終えた様子ではあるが、席を立つ雰囲気は無い。時折他寮のテーブルに視線を向けながら、退屈そうにかぼちゃジュースを飲むでもなく手にしている。
「どうしたんだろ…」
5分後もなおそのままでいるセブルスを見つめながら、名前は呟いた。ミランダは腕を組んだまま何も言わない。セブルスらしからぬその行動の理由は、それから15分経ってようやく明らかになった。グリフィンドールのテーブルから、リリーが食事を終え立ち上がったのだ。
「ああ、そういう事ね…」
心にちくりとした痛みを覚えながら、名前はいそいそと席を立つセブルスを見ていた。リリーがセブルスに気付き、笑顔で手を振っている。二人は扉前で肩を並べ、大広間から出て行く他の生徒たちに紛れて外へと消えて行った。
「何してるの。早く行きなさいな」
名前の手の甲をぴしゃりとはねて、ミランダが咎めるように言った。
「彼が出たら追い掛けるって、そういう段取りでしょ」
「そうだったけど…」
自分でもはっきりと分かるくらい肩を落としながら、名前は小声で答えた。
「今日はもういいよ。約束があるみたいだし…」
「一晩中かかる約束じゃないわ。それにあなただってリリーの良き友人じゃない」
「それはそうだけど…」
「名前・苗字」
名前の言い訳を遮って、ミランダはいつに無く厳しい表情で告げた。
「いいから早く行って二人と合流しなさい。今から一秒でも躊躇したら、きっと後悔することになるわよ」
ミランダの真剣な眼差しに負けて、名前は渋々席を立った。大広間を出ると廊下の先にセブルスとリリーの姿が見え、気乗りしないまま名前は二人に近付いていった。何の話をしているのだろう。こんな光景にはもうとっくに慣れたはずなのに、心の内では焦燥し切っている。二人が並んで歩くのを何とも思わなかった昔に戻りたいと思うほどだ。
名前は廊下を行き交う生徒の波に混ざりながら進み、二人の視界の死角となる所で足を止めた。天井の造りのおかげか、この廊下は声がよく響く。セブルスはリリーに頼まれた本を貸すために待ち合わせていたようだった。
「この作り方を少し改良した手順で、実際に試してみたんだ。そしたら上手くいった」
「でもこれは普通の鍋では作れないんじゃない?材料が多すぎて…拡張呪文を使えばいいのかしら」
「いや、スラグホーンに頼めば教室の一番大きい鍋を貸してもらえる。僕も今日それを借りたんだ」
そうだったのか。名前は柱の影で昼間のセブルスの発言を思い出していた。確かに教室の大鍋を使うとは言っていた。しかしそれが何故かなんて、そんな詳細までを話す必要は無かったのだろう。至極当たり前の事だと名前は思った。魔法薬の成績が良い訳でもない自分は、どうせ話された所で切り返す事も出来ないのだから。
ミランダはああ言ったが、これ以上気分が落ち込まない内にこの場を後にした方がいい。名前は二人に背を向けて、元来た道を帰ろうとした。しかし事態は思わぬ方向へと向かっていった。いつの間にか名前とすれ違う形で歩いて来たポッターが、セブルスと一緒にいるリリーに声を掛けたのである。名前は驚きのあまりその場に立ち尽くし、二人の間に勇猛果敢に割って入るポッターを信じられない思いで見つめた。
「あーエバンズ、話があるんだけど」
へらへらと目の前に現れたポッターに、セブルスが大人しくその場を譲るはずも無く、平和だった空間は一瞬にして戦場のような殺気漂う場面に様変わりしてしまった。
「…見ての通り、リリーは今僕と話をしてるんだが?その眼鏡は視力を悪くするのか?」
「君には話し掛けてないだろ、スニベルス」
セブルスの顔が憤怒の形相に変わるのが、名前には背中越しでも見て取れた。一体ポッターは何を考えているのだろう。ポッターがここにいるという事は、ブラックたちも近くに控えているに違いない。名前は立場的にまずいと感じながらも、あまりに衝撃的なその行動に立ち去るにいられない状況にいた。
「いや、来月またホグズミードに行ける機会があるだろ?」
セブルスの存在をものともせず、ポッターは髪をくしゃくしゃと掻きながら話を続けた。
「それで、どうかなって。エバンズ、僕と一緒に行かないか?」
リリーは呆れて言葉も出てこないようだった。ポッターは髪を乱し、片手を腰に置き、妙な姿勢で足を鳴らしながらリリーの答えを待っている。あんな態度で、どうして良い返事が貰えるなどと思っているんだろうか。そのあまりにあっけらかんとした様子に、名前は悪い夢を見ているような気持ちになった。
「貴様…彼女が承諾すると、本気で思っているのか?」
セブルスの怒りが頂点に差し掛かるのを肌で感じながら、名前はなぜポッターがこのタイミングを選んだのか理解出来たような気がした。自信家のポッターの事だ、恐らくリリーがイエスと言う方に賭けているのだろう。セブルスの前でリリーとホグズミードに行ける事になれば、ポッターはセブルスとの勝負にまた一つ勝った事になる。
何て馬鹿なんだろう。名前は青ざめる思いでその一部始終を見守っていた。なぜ誰も止めなかったのだろうか。ブラックが面白半分で背中を押したとしても、リーマスやペティグリューにはそれを思い留まらせるチャンスがあっただろうに。名前の予感通り、リリーを挟んだ二人の言い合いはみるみる不穏な争いへと発展していった。
「何でお前が口出しするんだ?スニベルス、さっき言った事が聞こえなかったか?耳に魔法薬のカスでも詰まってるんだろ、取ってやろうか」
「貴様のそんな横柄な態度に彼女が頷くとでも?思い違いもいいところだ」
「思い違いしてるのはお前だって事を分からせてやるよ。エバンズ、僕は小さい頃からホグズミードに行ってたから色々と面白い場所を知ってるんだ」
ポッターの言う面白い場所の中には、きっと叫びの屋敷も入っているのだろう。名前は今すぐにでも三人の中に割って入りたい気持ちでいっぱいだった。お願いだからこれ以上ホグズミードの話はしないで欲しい。名前の祈りも虚しく、ポッターはあれやこれやとホグズミードで行くべき場所を並べ始めた。もう限界だ。名前がそう目を瞑った時、それまで黙っていたリリーが初めて口を開いた。
「あのね、ポッター…私、あなたとは行かない」
「へ?」
ポッターは不意をつかれたようにきょとんとして、リリーの顔を覗き込んだ。
「行かないって…僕と?この僕と行きたくないの?」
「そうよ」
リリーのその口ぶりは、名前がこれまで聞いた事が無いほど嫌悪感に満ちていた。
「友達と大事な話をしている時に割って入って、聞いてもいない事をペラペラと喋って…挙句自分と行くのは当然みたいな、自己中心で傲慢な人とは死んでも行きたくないわ!」
誰もが見て取るように分かっていた結末が、ポッターにとっては心底予想外のようだった。彼は実に驚いたという表情でリリーを見つめている。しかし勝ち誇ったように薄笑うセブルスと喧嘩をする余力はまだ残っていたようで、ポッターは面白くなさそうにセブルスの足を踏み付けた。
「いい気になるなよ」
そう言って足に力をこめたポッターだったが、敗北の屈辱はそれだけでは発散し兼ねるようだった。
「エバンズはまた気が変わるさ…スニベルス、お前こそ身の程を知った方がいいぞ。相変わらず気持ち悪い髪して、お前なんかをホグズミードに誘ってくれる子は一人もいないんだからな」
ポッターが吐き捨てるように放った一言が、リリーの逆鱗に触れたようだった。リリーはセブルスの腕をつかみ、驚いて目を見張るポッターに荒らげる寸前の声で告げた。
「私は彼とホグズミードに行くわ。セブ、次のホグズミード行きの日は空けておいてちょうだいね」
頭を鉄の鈍器で打たれたような、耐え難い感覚が名前の体に走った。リリーがセブルスの手を引いて去っていく足音が聞こえる。残されたポッターが唖然として宙を仰いでいる。脳が何かを考えるより前に名前は柱の影から進み出て、気付けばポッターに平手打ちをしていた。
「苗字…何だよ…」
ポッターは呆然とした表情で名前を見つめ返した。罪の意識の欠片もないその瞳に、名前は怒りと悲しみとやるせなさが一気に込み上げるのを感じた。もうここにはいられない。背を向けて走り出した名前に、ポッターの声が覆いかぶさるように響いた。
「何なんだよ!話し掛けるなって言ったのは君の方じゃないか!」
ミランダの言う通りだった。滲む視界をかき分けながら、名前は必死でどこかへと走った。ミランダの予言はまたしても当たってしまった。一秒でも躊躇したら、きっと後悔することになる。あの時柱の影に隠れなければ、勇気を出してすぐに二人に話し掛けていれば。セブルスの前で名前に話しかけないという約束を、ポッターはリーマスの為に守っただろう。リリーとの魔法薬談義を終えて、セブルスが寮に戻るまでを傍で待てば良かったのに。帰り道にゆっくりと、二人でホグズミードの話をすれば良かったー。
しかしそんな事はいくら考えても無駄なのだ。時はもう流れていってしまった。名前は飛び出した先の校庭で、明日にも満ちそうな光り輝く月を見た。
今起こった出来事は、セブルスにとってはこの上なく幸せな事なのだ。溢れそうになる涙を堪えながら、名前は雪の積もった地面に崩れるように座り込んだ。
「今度はスネイプを誘うでしょう?」
ミランダがさも当然とばかりに発した言葉に、名前は目を瞬かせた。名前に有無を言わさぬまま、ミランダはすたすたとスリザリン寮の石扉へ一直線に向かって行く。
「私、そのつもりで"お客さん"の所に行くから」
冷たい石の扉が開くと、昼も夜も変わらない暗さの廊下が現れる。朝食への道のりをスリザリン生の大半は眠たげな表情で歩く。地下の薄暗さは眠気を誘うばかりで、頭をシャキッとさせる刺激などそこにはない。スリザリンの生徒は地下牢からの階段を上りきって初めて太陽の光を目にするのだ。
しかし名前は今朝に限っては、石の力無しでも一切の眠気を取り払う事が出来ただろうと感じた。ホグズミードにセブルスを誘う。それがどんなに難しく、どんなに気恥ずかしいか、ミランダは分かっているのだろうか。
「そんな難しい事じゃないわ」
名前の心を読んだかのように、隣を歩くミランダが口を開いた。
「あなた達はもう長いこと友人なんだから。ホグズミードに誘うくらい、どうってことないでしょう?」
「それが…実は、ポリジュースの件があって以来まともに話せてないの」
灯篭に照らされた地下の階段を上りながら、名前は小さくため息をつくと同時に、振り返って後ろに続くスリザリン生の列を見渡した。当のセブルス本人に聞かれてはいないだろうか。
「あの時忠告したのに。スネイプは本当に人の話を聞かないわね」
「やっぱりミランダはセブルスが何をするつもりか分かってたの?」
新学期初日に起こった出来事を思い返しながら、名前はミランダに問いかけた。森のはずれで材料収集をしていたセブルスに、ミランダは計画の失敗を警告していたのだ。
「何の薬を作る気かまでは分からなかったけど、彼の狙いは大体予想出来てたわ」
ミランダは足を止めずに、名前に顔を近付けて囁いた。
「彼はグリフィンドールの四人を破滅させるために、彼らの秘密を握りたがってるんでしょう」
ポリジュース薬の噂は有名でも、実際にペティグリューに扮したセブルスが何を探ろうとしていたのか、それを知るのはグリフィンドールの四人と名前だけだ。セブルスの宿敵の秘密とは、今や自分の秘密でもあるのだ。名前は改めて辺りを見回し、ミランダにしか聞こえない声でたずねた。
「私が絡んでる秘密の事だと思う?」
「まあそれも恰好のネタでしょうけど、今は違うわね。そっちの秘密に関してはまだ彼は知らないもの」
一階の踊り場への階段を上り切ると、ホグワーツ全寮の生徒たちが四方から集まってきた。色分かれした制服に身を包みながら、全員が大広間へと向かって行く。宿題が終わっていないだの、次のクィディッチ戦でどこに賭けるだの、平和な話題が飛び交ういつもの朝だ。その騒がしさに紛れて、ミランダは名前の耳元でそっと囁いた。
「スネイプはルーピンの事、もう随分前から疑っているわ」
その日の午前中は未だかつて無い程に早く過ぎ去っていった。気が付くと名前は再び大広間の前に立っていた。そうだった、昼食をとりに来たのだ。頭の中が考え事でいっぱいでも、長年の習慣から足は自然と大広間へ向かっていたのだろう。ついさっき大広間で朝食を食べたばかりなのに。しかし何を食べたのかも、午前中の授業で何を習ったのかも、名前はぼんやりとしか思い出せないでいた。
名前はスリザリンのテーブルに一人腰掛け、目の前に置かれたサンドイッチに反射的に手を伸ばした。一限目の闇の魔術に対する防衛術でも、その後の変身術でも、いつもとさして変わらないセブルスが確かにいたはずだ。しかし普段当たり前にしている、彼の隣に座るという行動が何故か今日は出来なかったのである。名前は後方の席で、教卓を眺める素振りをしながらセブルスの背中を見つめていた。もしセブルスがリーマスの秘密を握ったとしたら、彼はどうするだろう。芋づる式にポッター達が動物もどきの練習をしていることも暴かれ、それに自分が関与している事をセブルスが知ったら…。
非難、失望、絶交。そんな言葉の数々が脳裏に浮かび、名前はセブルスに気軽に話し掛けるなど今日はとても出来そうにないと感じた。彼に姿を見られる前に教室を出て、声を掛けられる事の無いよう次の教室には始業直前に入る。そうして午前中の授業が終わり、名前は逃げるようにセブルスの来ない昼休みの大広間へと駆け込んだのだ。
昼食の席は次第に生徒たちで溢れ、名前は高学年の女子グループに挟まれる形でサンドイッチを食べていた。どちらのグループもクリスマス前のホグズミードに関する話をしている。こんな状況で、セブルスをホグズミードに誘うなんてどうしたら出来るだろう。しかしいつまでも彼を避けるわけにもいかない。今日だけに関して言えば具合が悪かったで誤魔化せるかもしれないが、いつもセブルスを追って回るのは自分の方だ。こんな態度を三日もとれば、ますます怪しまれるに違いない。
やはりミランダの言う通り、クリスマスショッピングに思い切って彼を誘うべきだろうか。味のしない食事を終え、席を立ちながら名前は今日が金曜日である事に気付いた。という事は、少なくとも土日のうちは授業でコソコソと隠れる必要も無いのだ。今日の午後は医務室に行くと嘘をついて、授業を抜け出そう。幸い次の授業は魔法史だ。ビンズ先生は出席をとる事すらしないだろう。
そう考えた矢先、明日は何よりも例の秘密授業があるのだと思い出し名前は頭を抱えた。それを思うと本当に胃が痛くなってきたようだ。名前はふらふらと大広間を後にし、生徒たちの波をかき分けながら8階の部屋へと向かった。
夕食の時間になった頃、ミランダが示し合わせたかのように8階の隠し部屋へと入ってきた。彼女は大広間の食卓に並べられていたのであろう軽食を机の上に広げ、名前と向かい合う形で椅子に座った。
「隠し事があるからと言って、スネイプを避けるのは逆効果のように思えるわね」
名前の表情から一瞬にして全てを読み取ったような口ぶりでミランダは言った。
「グリフィンドールと縁がない自分だったら、どんな行動をするかを常に考えて振る舞うべきよ」
「うーん…」
名前は夕食に渋々と手を伸ばしながら、悩ましげに唸った。机の上に並べられたチキンレッグやプディングはどれも温かく、まるで作りたてのようだ。暗く孤独だった部屋はいつの間にか光と美味しそうな匂いに包まれ、親友を前に名前は少しずつ心が解れていくのを感じた。
「名前、もしあなたがグリフィンドールの四人と何の関係もない生徒だったら、今日のホグズミード行きの案内を見てどうするかしら?」
「えっ」
ミランダの問いにチキンを頬張る寸前の所で止め、名前は顔を赤らめながら呟いた。
「……セブルスを誘う…って言わせたいんでしょ」
「そうね、そうするべきよ」
ミランダはどこからともなく瓶入りのかぼちゃジュースを取り出し、それを名前に差し出して言った。
「明日のうちに言っちゃいなさいよ。そうすれば嫌でも自然に振る舞わざるを得ないでしょ」
「どうかな…」
手渡されたかぼちゃジュースの蓋を回しながら、名前はぽつりと呟いた。蓋が開いた衝撃で瓶の中の液体が揺れて波打っている。まるで自分の心のようだと名前は思った。秘密を隠して立ち回る事への不安と、ミランダの説得力ある忠告の狭間で気持ちが揺れ動いている。
「名前。実を言うと私、あなたには今以上にスネイプの近くにいてほしいと思ってるの」
「…どういう事?」
ミランダの予期せぬ発言に、名前は驚いて彼女を見た。面白がったり、からかっているような顔ではない。その表情は真剣そのものだ。
「ポリジュースの噂が広まってから彼を"良く"思うスリザリン生が増えたの、あなたも気付いてるでしょう」
ミランダは手を膝の上に置き、圧すら感じられる眼差しで名前を見た。
「今回の件でスネイプを気に入った奴らはみんな、私たちとは正反対の考えを持つ人達よ。あなたが傍にいてあげないと、スネイプは彼らの思想に魅了されてしまうかもしれない」
「まさか、そんな!」
ミランダの考えに名前は思わず声を上げた。そんなはずは無い。そう信じさせる思い出が名前の頭の中にはあった。
「だってセブルスはマグル差別が嫌いなんだよ。一年生の時、マグル生まれを馬鹿にしたパーキンソンに本気で怒って怪我させようとしたんだから…彼自身も半純血だし…それに、何より…」
"何よりもリリーが"、そう言いかけて名前は口をつぐんだ。純然たる事実のはずが、名前の舌はそれを言葉にする事を拒んだのだ。自分はリリーに嫉妬しているのだろうか。しかしそんな名前の一瞬の戸惑いを吹き飛ばすかのように、ミランダが放ったのは容赦ない否定の一言だった。
「甘いわ、名前」
サファイアブルーの美しい瞳を真っ直ぐに向けられ、その眼光に捉えられた名前は思わず身動きが出来なくなった。
「彼がどんなに闇の魔術を愛してるか、あなた分かってるでしょう」
ミランダの言葉は絶対的に正しい、そう感じさせる何かが今の彼女にはあった。日常の何気ない予知よりもずっと複雑で不明瞭な事柄のはずが、不思議と素直に"現実の行方"として受け入れられてしまう。名前の脳裏にエイブリーとマルシベールの姿が浮かんだ。ミランダの警告するその存在は、もう影としてセブルスの傍に近付いてきているのかもしれない。
「…セブルスは、どうしてあんなに闇の魔術が好きなんだろう」
机の上を虚ろに眺めながら、すっかり食欲を失った状態で名前はため息をついた。
「なんにも良い事なんて無さそうなのに…」
「それは本人に聞いてみなさいな」
ミランダはささやかな食事の後片付けをしながら、これが肝心というばかりに言葉を付け足した。
「ホグズミードでね」
土曜日の朝。名前は朝食の席に一人で座っていた。ミランダはホグズミードの約束を取り付けるまでは共に行動しないと言わんばかりに、ラックからトーストを一枚取るや否や「じゃあね」と笑顔で大広間を出て行ってしまったのだ。名前はベーコンエッグを口に運びながら、ぼんやりと周りを眺めていた。今朝は何か大きなニュースがあったのだろうか、ふくろうが運んできた新聞を手に話し込んでいる生徒たちがいつもより多い。日刊預言者新聞は毎朝ミランダの元に送られてくる。あとで見せてもらわなくては、そう思いながら名前はふと扉付近に目をやった。待ち人が現れる気配は一向にない。
しかし仮に今セブルスが大広間に入ってきたとして、こんなに人目の多い所でホグズミードに誘えるだろうか。絶対に無理だ。名前は心の中で首を振って、香ばしい焼き目のついたトーストを大きく一口ガブリとかじった。
名前が食事を終える頃には丁度退席の波が来たようで、生徒たちは次々に立ち上がり扉前には短い列が出来ていた。そう急ぐ必要はない。いつもの様に一波去ってから席を立とうと、名前は何を思うでもなく向かいの寮テーブルを見渡していた。スリザリンのテーブルが端に位置しているおかげで、壁際に座ると正面を見ているだけで他寮の様子が一目で分かるのだ。だらだらと居残り続けるグリフィンドールとは対照的に、レイブンクローの生徒たちは一秒でも効率良く動きたいのか、大広間に残っている者はほんの数人だ。混雑がおさまるのを読書をしながら待っている。ただその場を眺めるだけだった名前はその姿に感化され、荷物を持ってぱっと席を立った。今日は積もりに積もった宿題の半分を片付けなければならないし、ポッターたちとの約束に講師として参加しなければならない。それにセブルスがこの場にいたら、間抜けな顔でただ座っているだけの自分をきっと馬鹿にするだろう。
名前は大広間を出るなり早足で廊下を進み、生徒の大半が集まる図書館へそわそわと足を踏み入れた。勿論膨大な量の宿題に取り組むためだ。そう自分に言い聞かせながらも、名前はささやかな期待を込めてセブルスがいつも座る奥の席を見に行った。生憎彼の姿はそこに無く、何も置かれていないまっさらな机があるのみだった。
時計は9時半を指している。土曜日はまだ始まったばかりだ。もしかすると、午前中の内にセブルスも図書館へ来るかもしれない。その可能性はきっと高い。名前はセブルスのいつもの席に荷物を置き、彼が普段腰掛けている椅子にそろりと座った。この席は別に誰の席というわけでもない。しかしセブルスが何度も座っている、その事実が名前の心を僅かにときめかせた。セブルスの席から見るその光景はまるで知らない図書館のように新鮮だった。
名前は気もそぞろになりながら、机に積み重ねた宿題を一つずつ片付けていった。しかし望みとは裏腹に、セブルスの姿は依然として現れない。辺りを行き交う生徒たちの足音が名前の集中を露骨に妨げていくばかりだ。時刻はとうとう12時を過ぎ、昼食を知らせる鐘が城中に鳴り響いた。宿題は予定の半分も進んでいない。二つの期待はずれに気を落としながら、名前は仕方なく再び大広間に戻る事にした。
ポッターたちとの約束まで時間に余裕があるとは言えない。何しろ13時には暴れ柳の近くにいなければならないのだから。名前はせかせかとスリザリンのテーブルにつき、他寮に一切目を向けることなくひたすら昼食に集中することにした。
果たしてペティグリューは取り替え呪文を問題なく使えるようになっただろうか。名前は大皿に乗ったサンドイッチに手を伸ばしながら、前回の集まりで目の当たりにしたペティグリューの不器用さを思い出していた。あの段階で躓いているようでは先が思いやられる。ブラックやポッターはともかく、ペティグリューが動物もどきを習得するには5年、いや10年かかるのではないだろうか。しかし彼を置き去りにするという発想は、グリフィンドールの三人には無いのだろう。名前は昼食を口に運びつつ虚空をぼんやりと眺めていたが、ふと視界に飛び込んできた人物に驚いてびくっと体を反り返した。
他寮のテーブルに背を向ける形で、名前の真向かいに腰を下ろしたのはセブルスだった。彼は無表情で皿の上のサンドイッチを掴み、ぶっきらぼうにたずねた。
「具合はもういいのか」
「え?…え、あ、うん!」
不審そうに自分を見るセブルスに、名前は笑顔を作りながら慌てて答えた。昨日の自分が体調不良を言い訳に授業を休んだ事を、今の今まですっかり忘れていたのだ。
「もう全然、何にも!どこも悪くないよ!」
「そうか」
セブルスは名前と視線を合わせることなく、相変わらず冷めた様子で言った。他には特に話す事がないと言わんばかりに、彼は下を向いて無関心そうに昼食をとっている。
セブルスが昼の大広間に来るとは、名前にとって完全なる想定外の出来事だった。普段の彼なら呼び寄せ呪文でサンドイッチを手にしたきり、大広間には入らずどこかへ行ってしまう。今日に限ってどういう風の吹きまわしだろうか。名前はどきまぎしながら、食べかけだったサンドイッチをまた一口小さくくわえた。名前の両隣には、小声の会話すら聞こえる距離で別の生徒たちが座っている。この状況でセブルスをホグズミードに誘うというのはかなり勇気のいる事だ。
「セブルスはさあ…」
ろくに食べ進めていないサンドイッチを口から離し、名前は場の空気を何とか和ませようと彼にたずねた。
「最近変わった事とか、あった?」
「…別に」
名前の問いかけも虚しく、セブルスは会話の糸口になりそうな答えを一切返さぬままサンドイッチをたいらげ、食後の紅茶をカップに注いでいた。
「あ、そう…」
名前はどうしていいか分からぬまま、再びサンドイッチを口にくわえた。セブルスの返事を文字通り受け取るとなれば、マルシベールやエイブリーはまだ彼には接触してきていないのだろうか。ふと周りのグループのどこからか、「クリスマス休暇」という言葉が聞こえ、名前はこれだとばかりに話題を振った。
「そういえば、今年のクリスマス休暇はセブルスどうするの?家族にプレゼント買ったりとか…」
「家には帰らない」
「えっ」
セブルスの強い語気に、名前はどきっとしながら咄嗟に相づちを打った。
「あ、そっかそっか…そうなんだね…」
となると、クリスマスショッピングなどセブルスにとっては無用ではないか。名前の胸中にじんわりと焦りが広がり始めた。ホグズミードにクリスマスショッピングに行こう、という誘い文句はもう使えないかもしれない。何と言えばセブルスは乗り気になってくれるだろう。ホグズミードに闇の魔術グッズを探しに行こう?そんなもの、あるはずがない。
名前があれやこれやと考えている内に、セブルスのカップに入った紅茶は既に底をつきそうになっていた。このままではあと数秒で彼は行ってしまう。しかし同時に、名前は自分が大広間を後にしなければならない時間なのだとも気付いた。セブルスの肩越しに、グリフィンドールの席を立ったポッターと目が合ったのである。
「あ、私そろそろ行かなきゃ…」
グリフィンドールの四人が大広間を出たのを確認してから、名前は目の前に座るセブルスに後ろ髪を引かれながら椅子から立ち上がった。
「僕もだ」
名前の申し出に頷き、セブルスは名前に合わせるかのように席を立った。いつもなら嬉しい以外の何物でもないセブルスのその行動だが、今の名前にとっては焦りを助長させる予想外の出来事だ。
「セブルスはどこに行くの?」
「地下に。教室にしかない大鍋を使いたい」
セブルスの答えから取り急ぎ向かう方向は異なると分かり、名前はほっと胸を撫で下ろした。セブルスがクィディッチ練習場やハグリッドの小屋に縁がある生徒でなくて良かった。しかし反対に「君は?」とたずねられ、ろくにアリバイを用意していなかった名前は思わず言い淀む羽目になった。
「あ、私はちょっと、ケトルバーン先生の所に…」
そう言ってから大広間の教員席にケトルバーンが座っているのを発見し、名前は自分で自分を殴りたい気持ちに駆られた。暴れ柳に近い校庭のはずれと言えば、そこしか思い付かなかったのだ。
「と言っても先生に用があるわけじゃないんだけど…魔法生物飼育学のエリアに、ちょっと忘れ物しちゃって…」
「忘れ物?君は昨日の授業にはいなかっただろうに」
そうだった。昨日の午後は、魔法史のあと魔法生物飼育学の授業があったのだ。名前は自分の嘘の下手さに呆れ返りながら、なんとか必死に言葉を続けた。
「あっうん昨日のじゃなくてね…その前の、先週の授業での…忘れ物したってさっき思い出して…」
「…ふうん」
セブルスは眉をひそめつつも、名前の不自然な言い訳を追及するのはやめたようだった。
「まあ君ほどの間抜けなら、そういった事もあるか」
「そうそう、そうなの」
セブルスの言葉に反論する余裕もなく、名前は大広間を出てから逃げるようにセブルスと反対方向に歩き出した。本当ならばもっと一緒にいたかった。しかし致し方ない、城の大時計は既に約束の13時を過ぎている。それにあれ以上会話を続けていては、ふとした瞬間に秘密に気付かれてしまいそうだった。ホグズミードの事は夕食後に、どこか人の少ない所で話してみよう。名前は校庭に出るなり、知り合いの目がない事を確認して急ぎ足で暴れ柳へと向かった。
「信じられるか!?本当にとんでもない奴らだ!!」
20分後、ポッターの怒声が響く暗いトンネルを名前は神妙な面持ちで歩いていた。今朝の日刊預言者新聞の一面記事は、マグルの変死体現場に相次いで魔法の痕跡が発見されたというものだったらしい。
「魔法省は『同一グループの犯行として捜査をしている』とか何とか言ってるらしいが、同一グループどころの話じゃない。誰の仕業かなんてもう分かってるんだ!数年前から噂になってる。ヴォルデモート、あいつに違いないだろ!?」
「とはいえ、実際に手を下したのはヤツじゃないかもしれない」
ポッターの言葉を受けて、先頭を歩くブラックが唾を吐き出すように言った。
「汚いヤツだぜ」
「全くだ。ちくしょう、僕が早く闇祓いになれたらなあ…」
「偉いなあ」
二人の会話を聞きながら、列の真ん中を歩くペティグリューが何の気なしに口を開いた。
「ジェームズもシリウスも、マグル生まれじゃないのにこういう事には必死になるよね」
「…ピーター」
ポッターが急に足を止め、トンネル内では危うくドミノ倒しが起きるところだった。驚いて顔を上げたペティグリューに、ポッターは燃えるような瞳を向けて言った。
「偉い事でも何でもない。マグル生まれじゃない俺たちだからこそ声を上げなきゃいけない問題なんだ。こんな事件が頻繁に起こるようになれば、家族にマグルがいる人々は隠れざるを得ないだろ。自分たちが殺される恐れがあるから。真に彼らを守るには、純血の魔法使いが歪んだ思想に立ち向かわなきゃならないんだ」
一時の静寂が流れた後、ポッターが歩き出した事で叫びの屋敷へ向かう列は再び動き始めた。ペティグリューはもうポッターに見られていないにも関わらず、その背中に向かって必死に頷いている。名前はそんな彼らの姿を目にしながら、ポッターの言葉に思わず感じ入っていた。
「なんか…ポッターの事、見直したかも」
「そうか?」
名前の呟きに、嬉しそうな様子でポッターが言った。
「まあ僕もさ。君はスリザリンだけど血筋をどうこう言う嫌な奴とは真逆なんだな。見直したよ」
ペティグリューを間に挟みながら、名前はポッターの言葉にふっと微笑んだ。つい最近までいがみ合っていた同士のはずが、不思議とこの瞬間、同じ仲間であると思えたのだ。自分の背後を歩くリーマスはほっと安堵している事だろう。こういう正義感に溢れる少年になら、動物もどきを教えてやっても良いかもしれない。名前は初めてそう感じた。
その日の練習は前回よりも難航したものとなったが、ペティグリューは失敗続きだった取り替え呪文をきちんと唱えられるようになっていたし、何より名前の教え方に熱がこもっていた。その熱意はグリフィンドールの四人にも伝わったようで、ふくろうを飛ばして遊んでいた前回とは一転、各々がさらなる上達のために試行錯誤を続けるという良い雰囲気のもと練習は進んでいった。日が暮れて城に戻る頃には全員が心地よい疲労感に包まれ、和やかに笑い話を飛ばし合いながら帰路につくという、寮の壁を越えた理想的なチームが出来上がっていた。
夕食の大広間へと一人向かいながら、名前は意外にこの集まりも悪くないかもしれないと思い始めていた。勿論校則からすれば悪いものだろうが…友人のために、正義のためにやっている事だ。何もそこまで後ろめたく思う必要はないのだ。子供っぽくて嫌いだと思っていたポッターたちも、付き合ってみると実は良い所も沢山あるではないか。ふっきれたような笑顔で席についた名前だったが、正面に座るミランダから受けた一言は笑顔ながらも厳しい内容だった。
「ダメじゃないの」
「ああ、ごめん…」
ミランダがホグズミードの件を指している事は、さすがの名前にも石なしで感じ取れた。
「なかなかタイミングがなくて…でも今日中には言うよ。うん、この夕食が終わったら。絶対」
「彼、大広間の扉付近に座ってるから」
テーブルの端をちらりと見て、ミランダが名前に耳打ちした。
「席を立った瞬間に追いかけなさいよ。食べきれなかった分は、私が代わりに食べてあげるから」
「分かった」
二人はふふっと笑い、大皿の上に現れた料理に手をつけ始めた。変に意識しすぎず、自然に声を掛ければいい。早鳴る鼓動を落ち着けるように、名前はそう心の中で呟いた。今までだって何度も出来たことではないか。ホグズミードだからと言って、それが特段難しくなるわけでは無いはずだ。
セブルスがいつ立ち上がっても後を追えるよう、名前はいつもの3倍程のスピードで夕食を口に運んでいた。しかし今日に限ってどういう訳か、セブルスは15分経っても席に着いたままだった。普段なら早々に出て行ってしまうのに。名前はミランダと二言三言交わしながら、横目でさり気なくセブルスを見つめていた。食事を終えた様子ではあるが、席を立つ雰囲気は無い。時折他寮のテーブルに視線を向けながら、退屈そうにかぼちゃジュースを飲むでもなく手にしている。
「どうしたんだろ…」
5分後もなおそのままでいるセブルスを見つめながら、名前は呟いた。ミランダは腕を組んだまま何も言わない。セブルスらしからぬその行動の理由は、それから15分経ってようやく明らかになった。グリフィンドールのテーブルから、リリーが食事を終え立ち上がったのだ。
「ああ、そういう事ね…」
心にちくりとした痛みを覚えながら、名前はいそいそと席を立つセブルスを見ていた。リリーがセブルスに気付き、笑顔で手を振っている。二人は扉前で肩を並べ、大広間から出て行く他の生徒たちに紛れて外へと消えて行った。
「何してるの。早く行きなさいな」
名前の手の甲をぴしゃりとはねて、ミランダが咎めるように言った。
「彼が出たら追い掛けるって、そういう段取りでしょ」
「そうだったけど…」
自分でもはっきりと分かるくらい肩を落としながら、名前は小声で答えた。
「今日はもういいよ。約束があるみたいだし…」
「一晩中かかる約束じゃないわ。それにあなただってリリーの良き友人じゃない」
「それはそうだけど…」
「名前・苗字」
名前の言い訳を遮って、ミランダはいつに無く厳しい表情で告げた。
「いいから早く行って二人と合流しなさい。今から一秒でも躊躇したら、きっと後悔することになるわよ」
ミランダの真剣な眼差しに負けて、名前は渋々席を立った。大広間を出ると廊下の先にセブルスとリリーの姿が見え、気乗りしないまま名前は二人に近付いていった。何の話をしているのだろう。こんな光景にはもうとっくに慣れたはずなのに、心の内では焦燥し切っている。二人が並んで歩くのを何とも思わなかった昔に戻りたいと思うほどだ。
名前は廊下を行き交う生徒の波に混ざりながら進み、二人の視界の死角となる所で足を止めた。天井の造りのおかげか、この廊下は声がよく響く。セブルスはリリーに頼まれた本を貸すために待ち合わせていたようだった。
「この作り方を少し改良した手順で、実際に試してみたんだ。そしたら上手くいった」
「でもこれは普通の鍋では作れないんじゃない?材料が多すぎて…拡張呪文を使えばいいのかしら」
「いや、スラグホーンに頼めば教室の一番大きい鍋を貸してもらえる。僕も今日それを借りたんだ」
そうだったのか。名前は柱の影で昼間のセブルスの発言を思い出していた。確かに教室の大鍋を使うとは言っていた。しかしそれが何故かなんて、そんな詳細までを話す必要は無かったのだろう。至極当たり前の事だと名前は思った。魔法薬の成績が良い訳でもない自分は、どうせ話された所で切り返す事も出来ないのだから。
ミランダはああ言ったが、これ以上気分が落ち込まない内にこの場を後にした方がいい。名前は二人に背を向けて、元来た道を帰ろうとした。しかし事態は思わぬ方向へと向かっていった。いつの間にか名前とすれ違う形で歩いて来たポッターが、セブルスと一緒にいるリリーに声を掛けたのである。名前は驚きのあまりその場に立ち尽くし、二人の間に勇猛果敢に割って入るポッターを信じられない思いで見つめた。
「あーエバンズ、話があるんだけど」
へらへらと目の前に現れたポッターに、セブルスが大人しくその場を譲るはずも無く、平和だった空間は一瞬にして戦場のような殺気漂う場面に様変わりしてしまった。
「…見ての通り、リリーは今僕と話をしてるんだが?その眼鏡は視力を悪くするのか?」
「君には話し掛けてないだろ、スニベルス」
セブルスの顔が憤怒の形相に変わるのが、名前には背中越しでも見て取れた。一体ポッターは何を考えているのだろう。ポッターがここにいるという事は、ブラックたちも近くに控えているに違いない。名前は立場的にまずいと感じながらも、あまりに衝撃的なその行動に立ち去るにいられない状況にいた。
「いや、来月またホグズミードに行ける機会があるだろ?」
セブルスの存在をものともせず、ポッターは髪をくしゃくしゃと掻きながら話を続けた。
「それで、どうかなって。エバンズ、僕と一緒に行かないか?」
リリーは呆れて言葉も出てこないようだった。ポッターは髪を乱し、片手を腰に置き、妙な姿勢で足を鳴らしながらリリーの答えを待っている。あんな態度で、どうして良い返事が貰えるなどと思っているんだろうか。そのあまりにあっけらかんとした様子に、名前は悪い夢を見ているような気持ちになった。
「貴様…彼女が承諾すると、本気で思っているのか?」
セブルスの怒りが頂点に差し掛かるのを肌で感じながら、名前はなぜポッターがこのタイミングを選んだのか理解出来たような気がした。自信家のポッターの事だ、恐らくリリーがイエスと言う方に賭けているのだろう。セブルスの前でリリーとホグズミードに行ける事になれば、ポッターはセブルスとの勝負にまた一つ勝った事になる。
何て馬鹿なんだろう。名前は青ざめる思いでその一部始終を見守っていた。なぜ誰も止めなかったのだろうか。ブラックが面白半分で背中を押したとしても、リーマスやペティグリューにはそれを思い留まらせるチャンスがあっただろうに。名前の予感通り、リリーを挟んだ二人の言い合いはみるみる不穏な争いへと発展していった。
「何でお前が口出しするんだ?スニベルス、さっき言った事が聞こえなかったか?耳に魔法薬のカスでも詰まってるんだろ、取ってやろうか」
「貴様のそんな横柄な態度に彼女が頷くとでも?思い違いもいいところだ」
「思い違いしてるのはお前だって事を分からせてやるよ。エバンズ、僕は小さい頃からホグズミードに行ってたから色々と面白い場所を知ってるんだ」
ポッターの言う面白い場所の中には、きっと叫びの屋敷も入っているのだろう。名前は今すぐにでも三人の中に割って入りたい気持ちでいっぱいだった。お願いだからこれ以上ホグズミードの話はしないで欲しい。名前の祈りも虚しく、ポッターはあれやこれやとホグズミードで行くべき場所を並べ始めた。もう限界だ。名前がそう目を瞑った時、それまで黙っていたリリーが初めて口を開いた。
「あのね、ポッター…私、あなたとは行かない」
「へ?」
ポッターは不意をつかれたようにきょとんとして、リリーの顔を覗き込んだ。
「行かないって…僕と?この僕と行きたくないの?」
「そうよ」
リリーのその口ぶりは、名前がこれまで聞いた事が無いほど嫌悪感に満ちていた。
「友達と大事な話をしている時に割って入って、聞いてもいない事をペラペラと喋って…挙句自分と行くのは当然みたいな、自己中心で傲慢な人とは死んでも行きたくないわ!」
誰もが見て取るように分かっていた結末が、ポッターにとっては心底予想外のようだった。彼は実に驚いたという表情でリリーを見つめている。しかし勝ち誇ったように薄笑うセブルスと喧嘩をする余力はまだ残っていたようで、ポッターは面白くなさそうにセブルスの足を踏み付けた。
「いい気になるなよ」
そう言って足に力をこめたポッターだったが、敗北の屈辱はそれだけでは発散し兼ねるようだった。
「エバンズはまた気が変わるさ…スニベルス、お前こそ身の程を知った方がいいぞ。相変わらず気持ち悪い髪して、お前なんかをホグズミードに誘ってくれる子は一人もいないんだからな」
ポッターが吐き捨てるように放った一言が、リリーの逆鱗に触れたようだった。リリーはセブルスの腕をつかみ、驚いて目を見張るポッターに荒らげる寸前の声で告げた。
「私は彼とホグズミードに行くわ。セブ、次のホグズミード行きの日は空けておいてちょうだいね」
頭を鉄の鈍器で打たれたような、耐え難い感覚が名前の体に走った。リリーがセブルスの手を引いて去っていく足音が聞こえる。残されたポッターが唖然として宙を仰いでいる。脳が何かを考えるより前に名前は柱の影から進み出て、気付けばポッターに平手打ちをしていた。
「苗字…何だよ…」
ポッターは呆然とした表情で名前を見つめ返した。罪の意識の欠片もないその瞳に、名前は怒りと悲しみとやるせなさが一気に込み上げるのを感じた。もうここにはいられない。背を向けて走り出した名前に、ポッターの声が覆いかぶさるように響いた。
「何なんだよ!話し掛けるなって言ったのは君の方じゃないか!」
ミランダの言う通りだった。滲む視界をかき分けながら、名前は必死でどこかへと走った。ミランダの予言はまたしても当たってしまった。一秒でも躊躇したら、きっと後悔することになる。あの時柱の影に隠れなければ、勇気を出してすぐに二人に話し掛けていれば。セブルスの前で名前に話しかけないという約束を、ポッターはリーマスの為に守っただろう。リリーとの魔法薬談義を終えて、セブルスが寮に戻るまでを傍で待てば良かったのに。帰り道にゆっくりと、二人でホグズミードの話をすれば良かったー。
しかしそんな事はいくら考えても無駄なのだ。時はもう流れていってしまった。名前は飛び出した先の校庭で、明日にも満ちそうな光り輝く月を見た。
今起こった出来事は、セブルスにとってはこの上なく幸せな事なのだ。溢れそうになる涙を堪えながら、名前は雪の積もった地面に崩れるように座り込んだ。