第一部
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世界から音が消えたかのようだった。名前はリーマスを見つめたまま、冷たく暗い廊下に立ち尽くしていた。胸と背中が押し潰され、自分の息遣いさえも耳に入ってこない。目を見開いているはずなのに、視界に広がる光景はまるでピントのずれた粗末な写真だ。
「初めて会った時、君は僕の顔の傷を気にしてくれたけど…」
頬の傷に指を当てながら、リーマスが口を開いた。
「あの時は誤魔化してごめんね。これも僕が狼人間である事のせいなんだ。変身した後は、自分の顔も気遣えないくらい暴れてしまうみたいだからね…」
数分前まで並んで腰を下ろしていたのが嘘だったかのように、名前とリーマスの間には今や大きく距離が空いていた。名前はその場を数歩とて動いていない。いつの間にか、リーマスは名前から後ずさるようにして離れていたのだ。それに気付いて初めて、名前のぼやけていた視界は少年の顔をようやくはっきり映すようになった。
これほど傷が付いた顔に、手に、どうして今まで何の思いも抱かなかったのだろう。汽車で出会ったあの日、『気にしないで』とリーマスは言った。その言葉が名前の詮索心に蓋をしていたのだ。そして今正面に立つ、全てを打ち明けた少年の顔には言い表せない悲しみが浮かんでいる。その姿のなんと痛々しい事だろう。リーマスの滲む目を見た瞬間、名前は靴の裏がパッと地面から離れるのを感じた。
「リーマス」
名前は反射的に彼に駆け寄り、その骨ばった手を両手で包むように握った。夜の空気よりもさらに冷たい感覚が掌に伝わってくる。しかしその冷たさは次第に名前の体温と溶け合い、心地よく離れがたい温もりに変わっていった。
「…無理しなくていいんだよ」
名前の手を握り返さぬまま、リーマスがぽつりと呟いた。
「僕は本来恐れられるべき存在なんだ。名前、君が僕を怖がったとしても、それは…当然の事だから…」
「そんな事言わないで」
ほとんど息だけの声を発しながら、名前はリーマスの手を一層強く握った。彼にとっては忌々しい存在であろう、月の光がその顔を照らしている。指の先まで伝わる彼の温もりと目元の深い傷が、名前の心を激しく揺さぶるようだった。
「私は…そんな事で、あなたと友達じゃなくなるなんて…」
気付けば名前の目からは、とめどなく涙が溢れていた。涙は名前の頬を流れ、二人の手の甲に雫となって落ちた。
「そんなの…絶対にない…絶対に…ないから…」
躊躇うように手を置いていたリーマスが名前の手を握り返した事で、名前はますます涙が止まらなくなった。これほどまでに滲んだ視界では、リーマスの表情を確かめる事も出来ない。しかし指先につたった一滴の雫が、彼も名前と同じである事を密やかに告げていた。
「僕は小さい頃に噛まれてね…ホグワーツに入るまで他の子とは一切遊べなかったし、そもそもホグワーツに受け入れてもらえるなんて思ってもみなかったんだ」
石段の縁に並んで腰掛けながら、リーマスは名前に人狼としての境遇を打ち明け始めた。この話をするのはホグワーツに入ってからたったの二度目だと言う。名前は時折口ごもるリーマスを無言の内に励ましながら、その一語一句に耳を傾けていた。
「だけどダンブルドアが特別な措置をすれば、僕もホグワーツで過ごせるだろうって…ほら、校庭に暴れ柳っていう凶暴な木があるだろう?実は僕のために植えられたんだ」
「あの木と戦ってるの?」
リーマスの言葉に、名前は目を丸くして問いかけた。
「その…満月の夜に」
「いやまさか、違うよ」
おかしそうに笑いながら、リーマスが首を振った。
「あの木はね…根元の部分に隠れ通路への入り口があって、そこがホグズミードにある屋敷に繋がってるんだ。叫びの屋敷って、聞いたことない?」
「あ、どうだろう…」
ミランダから聞いたホグズミードに関する情報を、名前は頭の中で咄嗟に張り巡らせた。
「私まだホグズミードに行ったこと無くて…でも、聞いたことはあるかも…」
「ほとんど廃屋みたいな所なんだけどね。夜に恐ろしい叫び声が聞こえるから、幽霊屋敷じゃないかってここ数年有名になってきてるんだ」
神妙な面持ちで話を聞く名前に対して、リーマスは笑いを誘うように自嘲気味に言った。
「まあ、実際は僕が満月の夜にそこで暴れてるだけなんだけどね」
「そうなんだ…」
笑い返してあげるべきなのだろう。そう分かりつつも、事のショックに心を占められた名前は曖昧な表情を作る事しか出来なかった。
「それでね…うん、ジェームズたちはそこで満月の夜も僕と一緒にいたいって言ってくれたんだ」
地面に視線を落としたまま、リーマスは泣き顔ともとれる笑顔を浮かべている。名前は躊躇いがちに腕を伸ばし、彼の背中にそっと手を添えた。
「勿論馬鹿げているよ、そんな事のために動物もどきになるなんて。それに何より危険だ。止めるべきだっていうのはよく分かってるんだ。だけど僕は…」
涙ぐむように言葉を詰まらせながら、リーマスは背中に回された名前の手を取り、小さく呟いた。
「僕は、それを嬉しいと思ってしまった」
心臓を鉛で撃たれたかのようだった。ポッター達への嫌悪や、規律を守る従順さなど、この友情を前にしては最早どうだって良い。そう堅く決心させるに十分なほどの犠牲を彼は払ってきたのだ。名前はリーマスの手を握りしめ、その赤らんだ目を真っ直ぐに見た。
「私が彼らに教える時は、あなたも必ずその場に付き添うって…約束して」
「…約束するよ」
囁くように、しかしはっきりとリーマスは誓いを口にした。汽車で出会った少年はいつの間にこれほど背が伸びたのか。記憶よりずっと高い位置にあるその瞳は、涙ながらに名前への感謝を語っていた。
秋の日々は矢のように過ぎ去った。校内には厚手の制服に衣替えをした生徒達が増え、ハロウィンを間近に控えた大広間は不気味で美しい装飾に彩られている。名前は小さな招待状を携えながら、大広間の扉前で往来する人混みの中から一人の生徒を見つけ出そうとしていた。手元の招待状は止まることなくカウントダウンを続けており、黒インクで書かれた文字が「残り15分」を告げていた。
「セブルス!」
遠くの廊下にその姿を見つけ、名前は彼の元に駆け寄った。夕食のため大広間に向かうところだったのだろう。セブルスは名前を見るなり眉をひそめ、後ずさるような気配を見せた。
「何度も言っただろう、僕は行かない」
近付いてきた名前を追い払うように手を振りながら、セブルスが言った。
「ダメ、来て。絶対に来てもらうから」
名前も負けじとセブルスのローブを引っ張り、大広間と反対の方向へと歩みを進めようとした。
「どうせ食事に行こうとしてたんでしょ?だったら先生の部屋で過ごすのと変わらないじゃない」
「下らない話に何時間も付き合わされるのが嫌なんだ」
「今日一日だけだってば!何も毎日行くわけじゃないんだから」
「いい加減離してくれないか?」
名前が思いがけず強くローブを引っ張った事で、セブルスは足をすくわれそうになった。
「制服が伸びて駄目になったら君のせいだ」
「伸びても買い換える必要はないでしょ。セブルス、最近背が高くなってきたんだから」
名前はカーテンを束ねるようにセブルスのローブをまとめ上げ、それを肩に乗せて歩き始めた。
「後ろ歩きが不安なら、大人しく前向いて歩いて」
セブルスは大きくため息をつき、名前の肩からひとすくいでローブを取り上げると渋々体の向きを変えた。翻ったローブはコウモリの羽のように大きくなびき、弧を描いてセブルスの足元に戻ってきた。
「僕が少しでも退屈を覚えたら、それも君のせいだからな」
スラグホーンの部屋に着いたのは名前とセブルスが最後だった。扉を開けるなりスラグホーンが「やあやあ!」と嬉しそうに二人に近寄り、その奥でリリーが驚きながらも笑顔で手を振っていた。部屋は広く華やかで、ハロウィンの飾り付けが大広間に負けじと施されている。集まった生徒の数は名前の想像よりも少なく、学年や寮を分け隔てない形で円形のテーブルを囲んでいた。最後の空席にセブルスと並んで腰掛けながら、名前は右隣の少年に軽く挨拶した。自分よりも年下のようだ。
「やあセブルス、やっと来てくれた!これで今日はホグワーツで一、二を争う魔法薬の天才が揃ったことになるな?」
スラグホーンは両手で力強くセブルスの肩を叩き、お気に入りのリリーの隣に腰を下ろした。名前はセブルスの顔がぴくりと引きつったのを見逃さなかった。
「では全員揃ったところで、始めるとしようか」
スラグホーンが手を叩くと、生徒達の目の前に銀のカトラリーとご馳走が現れた。大広間のご馳走とはまた違う、コース料理のような上品さを纏った品々だ。少なくともホグワーツの通常の食事よりはずっと質が高い。スラグホーンの魔法で現れたかぼちゃスープは、シルクのようなきめ細やかさだ。
「皆、初めて会う顔も多いだろう。自己紹介でもするかね、ん?」
スラグホーンに促されるがままに、端からスラグ・クラブのメンバーが慌てて立ち上がった。ナプキンで口元を急ぎ拭いながら、背の高いハッフルパフの上級生は二言三言の自己紹介を始めた。
「あー僕は、えっと…皆さんも知ってるかもしれませんが、今年はクィディッチチームのキャプテンを務めていて…」
「彼の父親は有名なクィディッチ選手でね!皆も知ってるだろう、前回のクィディッチワールドカップで見事逆転勝利を果たしたー…」
彼の台詞が終わりきらない内にスラグホーンが口を挟み、気付けばその場は彼の父親がいかに素晴らしいプロシーカーであるかについて聞かされる会になっていた。スラグホーンは既にお酒が入っているのか、かなり饒舌だ。自分の番が来た時、このセイウチのような魔法薬学教授は一体何を言い出すのか。名前は一人冷たい緊張に包まれ始めていた。
「レギュラス・ブラックです。二年生です」
いつの間にかクィディッチの華々しい経歴解説は終了しており、代わりに見知った顔が立ち上がったのを見て名前はあっと声を上げそうになった。
「皆も彼についてはこれから更に知ることになるだろう」
満足そうに頷きながら、スラグホーンがまた口を挟んだ。
「レギュラスは今年からスリザリンのシーカーだ。きっと針のように細く速く飛びまわるぞ。レギュラス、箒は最高級のものを買ってもらったんだろうね?」
「はい先生、最新型のニンバスを…」
話がまたもやクィディッチに飛んでしまい、名前の左隣に座るセブルスは肘をつきかねない様子だった。名前がセブルスにちらと目線をやると、彼もまた名前に目線を送り返し、溜息をつく素振りをして小さく首を振った。自分はともかく、セブルスがこの場に適した自己紹介なんて出来るのだろうか。スラグホーンと笑顔で言葉を交わすレギュラスを見つめながら、名前の心にまた一つ不安が生まれた。
「ダーク・クレスウェルです。初めまして…」
程なくして名前の右隣の少年が立ち上がり、顔を赤くしながら話し始めた。
「二年生です。えっと、僕はマグル生まれで…」
「ダークはまだ二年生だが、防衛術や呪文に関して驚くべき才能を持っている」
楽しそうに口を挟みながら、スラグホーンはダークに向けてワインの入った杯を掲げた。
「彼は将来優秀な呪い破りになるだろう。そうだね、ダーク?」
「あっはい…そうなりたいです」
パチパチと鳴る拍手の中で、ダークは照れくさそうに腰を下ろした。セブルスは気だるそうに二回ほど手を叩くのみだ。名前はその態度を肘で突こうかと思ったが、冷ややかな目でダークを見つめるレギュラスに気付いて手を止めた。薄暗い純血主義が、目に見えない形で部屋に影を落としている。
「名前?」
スラグホーンに促され、名前はハッとして立ち上がった。生徒たちの目が一斉に自分に向けられる。探るような視線の中で、リリーが名前の緊張をほぐすかのように優しく微笑んだ。
「名前・苗字です。初めまして」
出来るだけ全員に目線を配りながら、名前はスラグホーンに何か言われる前に話し終えてしまおうと、やや早口で自己紹介を始めた。
「魔法薬学の成績はよくありませんが、変身術が得意です。スラグホーン先生が私のその長所を買って、呼んでくださいました。よろしくお願いします」
「彼女は本当に、本当に変身術が得意でね!」
名前の工夫も虚しく、スラグホーンは声を大にして教え子の自慢を語り始めた。
「変身術に関しては、間違いなくこのホグワーツで一番の生徒だ。マクゴナガル先生に並ぶ日も近い。いや今もう既に並んでいるとも…」
「先生」
椅子の背を握りしめながら、名前はこわばった笑顔でスラグホーンに呼びかけた。スラグホーンはあっと口に手を当て、「まあ、そういう事だ」とお茶を濁しながら手を叩き、皆の拍手を誘った。
セブルスの自己紹介は名前が思った通りの展開となった。彼自身は名前を述べたのみで、その後はスラグホーンの独り台詞が延々と続いた。セブルスが史上最年少であの薬を成功させた、セブルスが試験の満点を上回る成果を出した、等々スラグホーンには語りたい思い出が山ほどあるようだった。セブルスは相槌も打たずにその場に突っ立っていたが、名前はスラグホーンの話を聞きながら、無愛想なセブルスが才能という点でここまで目をかけられているという事実を自分の事のように嬉しく感じていた。
自己紹介の最後を飾ったのはリリーだった。リリーはそれまでの誰よりも愛想良く快活で、場の雰囲気が一気に明るくなったようだった。スラグホーンもリリーに関しては口を挟まず、まるで美しい音楽を聴くかのように彼女の話に耳を傾けている。セブルスさえもしっかりと顔を上げ、リリーの言葉に聞き入っていた。三人のその様子を見て、名前は尊敬と誇らしさと、少しの落胆が混ざり合ったような複雑な気分だった。
「変身術、学年で一番なんですか?」
自己紹介が終わり本格的に食事が進み始めた頃、名前の隣に座るダーク・クレスウェルが声をかけてきた。
「あ、うん…一応ね」
「すごい!」
名前の答えに目を輝かせながら、ダークがやや遠慮がちに問いかけた。
「あの、もし良かったら今度変身術を教えてもらえませんか?僕、どうも苦手で…」
「うん、もちろん!」
年下の少年の可愛らしい相談を名前は喜んで受け入れた。
「今やってるのは何?二年生だから、コガネムシをボタンに変えるあたりかな」
「それ!まさにそれです!」
体ごと振り返る勢いで名前に顔を向けながら、ダークは嬉しそうに言った。
「どうしてもボタンから一本だけ足が出てしまうんです。どうすればいいのかな…」
「ああ、それはね…」
名前の話をダークは食事を忘れるほどに熱心に聞いていた。「あー!」「すごい!そうか!」と時折声をあげて喜ぶ彼の姿に、名前は教える事の楽しさのようなものを感じ始めていた。ポッターたちにも同じくらい楽しく教えられるんだろうか。リーマスとの約束がふと頭をよぎり、名前は大きな問題を抱えてしまった事を改めて思い知らされるようだった。
会の終盤には豪華なデザートが現れ、メンバー達の驚きを誘った。スラグホーンは声をかけた生徒全員が集まった事にご満悦で、立ち上がってそれぞれの席を回りながら近況を話し合ったり冗談を飛ばしたりしていた。セブルスも面と向かって話し掛けられてはさすがに無碍に出来ないと感じたのか、名前の期待以上にスラグホーンと話をしていた。二人の会話を背後に聞きながら、名前はダークと変身術やその他について盛り上がりつつ食事を楽しんだ。
スラグ・クラブのハロウィンパーティが終わったのは門限も過ぎる頃だった。「寮監には私から言っておくから」とスラグホーンは生徒たちを送り出し、酔いで眠たそうな瞼をこすりながら寝室へと消えて行った。リリーは名前の予想通り、グリフィンドールの友人と来ていたようだ。名前とセブルスに笑顔でおやすみを告げて、パーティの華はグリフィンドール塔へと帰っていった。
「どうだった?まあまあ楽しかったでしょ?」
スリザリン寮への道のりをセブルスと並んで歩きながら、名前は上機嫌で彼にたずねた。
「セブルスってばスラグホーン先生にとっても気に入られてるじゃない!魔法薬学の難しい話で盛り上がってたみたいだし…」
「いや、盛り上がってはいない。君たちと違って」
名前とは対照的に不機嫌なまま、セブルスはぼそぼそと呟いた。
「それに案の定、楽しいものではなかった。君たちと違って」
「君たち君たちって…何、私とリリーのこと?」
突っかかるような彼の物言いに眉をひそめながら、名前は言った。
「セブルス、偏屈になりすぎじゃない?今日のは誰だって楽しいとー…」
「偏屈で結構。君たちのようにはなれないのでね。君とクレスウェルのようには」
「え?」
予想外の言葉に目を瞬かせながら、名前は思わず聞き返した。
「君たちって、ダークの事を言ってたの?」
セブルスは返事をしないまま大階段を早足で下り始め、名前は慌ててその後を追った。気まぐれな階段が名前を手助けするように進路を変えたため、セブルスはイライラと足を鳴らしながら歩みを止めた。
「なんだ、セブルスも会話に入ってくれば良かったのに…」
「生憎僕はコガネムシをボタンに変える点については困ってないのでね」
正しい階段に繋がるのを気まずい面持ちで待ちながら、名前は正面で背を向けるセブルスをちらっと見た。彼は、もしかすると拗ねているのでは無いだろうか。パーティに半ば無理矢理連れてこられた挙句、誘った相手が自分に大して話し掛けなかったとすれば…。
「ごめん、セブルス」
「何を謝る?どう過ごそうと君の勝手だ」
その言い草こそが謝罪を求めている事の現れではないか。そう思いながらも口には出せず、名前はおずおずと彼の横に立つことしか出来なかった。階段が繋がり道が出来るとセブルスはすぐさま歩き出し、名前はほとんど走るように彼を追った。
大階段を降り終え、二人は地下牢に続く階段に差し掛かった。このままではセブルスを怒らせたまま一日が終わってしまう。名前は何とか彼の機嫌を直せないかと思考を張り巡らせた。こんな状況で、彼の気分を良く出来るものなどあるだろうか。セブルスが良いと思うもの、NOと言わない事柄について、名前は頭の中で必死に考えた。
それらしい答えが出た頃には、セブルスは既にスリザリン寮の扉に手を掛けようとしていた。自信の無い答えに躊躇いつつ、名前は勇気を振り絞って後ろから彼に声をかけた。
「ね、ねえセブルス」
「もう今日は疲れた。話し相手なら他の誰かにしてくれ」
「違うの、セブルスにしか頼めない事で、その…」
機嫌の悪いセブルスを前にしては、その手を掴んでも振りほどかれるだけだろう。名前はセブルスが男子寮に入るすんでの所で、選び抜いた言葉を口にした。
「スラグホーン先生が先週出した課題があるでしょ?二角獣の角の応用性に関して…あれ、私全然書けなくて…お願い、セブルス。教えて欲しいの」
セブルスは足を止め、睨むように名前を振り返った。その目は名前に作戦の失敗を感じ取らせるには十分な冷たさだった。セブルスは顔を背け、名前に再び背を向けて言った。
「日曜。9時。図書館の奥の席」
驚きに口を開けたままの名前をよそに、セブルスは立ち止まることなく寝室へと消えて行った。名前はしばらくその場に固まったまま、セブルスの言葉を脳に直接書き込むかのように繰り返していた。日曜、9時、図書館。忘れようにも忘れられない記憶を携えたまま名前は寝室へ戻り、引き出しから数枚の羊皮紙を取り出すやいなや、それを丸めてゴミ箱に捨てた。二角獣の角の応用性について細かに書かれたそのレポートは、もはや不要の物となったのだ。
「初めて会った時、君は僕の顔の傷を気にしてくれたけど…」
頬の傷に指を当てながら、リーマスが口を開いた。
「あの時は誤魔化してごめんね。これも僕が狼人間である事のせいなんだ。変身した後は、自分の顔も気遣えないくらい暴れてしまうみたいだからね…」
数分前まで並んで腰を下ろしていたのが嘘だったかのように、名前とリーマスの間には今や大きく距離が空いていた。名前はその場を数歩とて動いていない。いつの間にか、リーマスは名前から後ずさるようにして離れていたのだ。それに気付いて初めて、名前のぼやけていた視界は少年の顔をようやくはっきり映すようになった。
これほど傷が付いた顔に、手に、どうして今まで何の思いも抱かなかったのだろう。汽車で出会ったあの日、『気にしないで』とリーマスは言った。その言葉が名前の詮索心に蓋をしていたのだ。そして今正面に立つ、全てを打ち明けた少年の顔には言い表せない悲しみが浮かんでいる。その姿のなんと痛々しい事だろう。リーマスの滲む目を見た瞬間、名前は靴の裏がパッと地面から離れるのを感じた。
「リーマス」
名前は反射的に彼に駆け寄り、その骨ばった手を両手で包むように握った。夜の空気よりもさらに冷たい感覚が掌に伝わってくる。しかしその冷たさは次第に名前の体温と溶け合い、心地よく離れがたい温もりに変わっていった。
「…無理しなくていいんだよ」
名前の手を握り返さぬまま、リーマスがぽつりと呟いた。
「僕は本来恐れられるべき存在なんだ。名前、君が僕を怖がったとしても、それは…当然の事だから…」
「そんな事言わないで」
ほとんど息だけの声を発しながら、名前はリーマスの手を一層強く握った。彼にとっては忌々しい存在であろう、月の光がその顔を照らしている。指の先まで伝わる彼の温もりと目元の深い傷が、名前の心を激しく揺さぶるようだった。
「私は…そんな事で、あなたと友達じゃなくなるなんて…」
気付けば名前の目からは、とめどなく涙が溢れていた。涙は名前の頬を流れ、二人の手の甲に雫となって落ちた。
「そんなの…絶対にない…絶対に…ないから…」
躊躇うように手を置いていたリーマスが名前の手を握り返した事で、名前はますます涙が止まらなくなった。これほどまでに滲んだ視界では、リーマスの表情を確かめる事も出来ない。しかし指先につたった一滴の雫が、彼も名前と同じである事を密やかに告げていた。
「僕は小さい頃に噛まれてね…ホグワーツに入るまで他の子とは一切遊べなかったし、そもそもホグワーツに受け入れてもらえるなんて思ってもみなかったんだ」
石段の縁に並んで腰掛けながら、リーマスは名前に人狼としての境遇を打ち明け始めた。この話をするのはホグワーツに入ってからたったの二度目だと言う。名前は時折口ごもるリーマスを無言の内に励ましながら、その一語一句に耳を傾けていた。
「だけどダンブルドアが特別な措置をすれば、僕もホグワーツで過ごせるだろうって…ほら、校庭に暴れ柳っていう凶暴な木があるだろう?実は僕のために植えられたんだ」
「あの木と戦ってるの?」
リーマスの言葉に、名前は目を丸くして問いかけた。
「その…満月の夜に」
「いやまさか、違うよ」
おかしそうに笑いながら、リーマスが首を振った。
「あの木はね…根元の部分に隠れ通路への入り口があって、そこがホグズミードにある屋敷に繋がってるんだ。叫びの屋敷って、聞いたことない?」
「あ、どうだろう…」
ミランダから聞いたホグズミードに関する情報を、名前は頭の中で咄嗟に張り巡らせた。
「私まだホグズミードに行ったこと無くて…でも、聞いたことはあるかも…」
「ほとんど廃屋みたいな所なんだけどね。夜に恐ろしい叫び声が聞こえるから、幽霊屋敷じゃないかってここ数年有名になってきてるんだ」
神妙な面持ちで話を聞く名前に対して、リーマスは笑いを誘うように自嘲気味に言った。
「まあ、実際は僕が満月の夜にそこで暴れてるだけなんだけどね」
「そうなんだ…」
笑い返してあげるべきなのだろう。そう分かりつつも、事のショックに心を占められた名前は曖昧な表情を作る事しか出来なかった。
「それでね…うん、ジェームズたちはそこで満月の夜も僕と一緒にいたいって言ってくれたんだ」
地面に視線を落としたまま、リーマスは泣き顔ともとれる笑顔を浮かべている。名前は躊躇いがちに腕を伸ばし、彼の背中にそっと手を添えた。
「勿論馬鹿げているよ、そんな事のために動物もどきになるなんて。それに何より危険だ。止めるべきだっていうのはよく分かってるんだ。だけど僕は…」
涙ぐむように言葉を詰まらせながら、リーマスは背中に回された名前の手を取り、小さく呟いた。
「僕は、それを嬉しいと思ってしまった」
心臓を鉛で撃たれたかのようだった。ポッター達への嫌悪や、規律を守る従順さなど、この友情を前にしては最早どうだって良い。そう堅く決心させるに十分なほどの犠牲を彼は払ってきたのだ。名前はリーマスの手を握りしめ、その赤らんだ目を真っ直ぐに見た。
「私が彼らに教える時は、あなたも必ずその場に付き添うって…約束して」
「…約束するよ」
囁くように、しかしはっきりとリーマスは誓いを口にした。汽車で出会った少年はいつの間にこれほど背が伸びたのか。記憶よりずっと高い位置にあるその瞳は、涙ながらに名前への感謝を語っていた。
秋の日々は矢のように過ぎ去った。校内には厚手の制服に衣替えをした生徒達が増え、ハロウィンを間近に控えた大広間は不気味で美しい装飾に彩られている。名前は小さな招待状を携えながら、大広間の扉前で往来する人混みの中から一人の生徒を見つけ出そうとしていた。手元の招待状は止まることなくカウントダウンを続けており、黒インクで書かれた文字が「残り15分」を告げていた。
「セブルス!」
遠くの廊下にその姿を見つけ、名前は彼の元に駆け寄った。夕食のため大広間に向かうところだったのだろう。セブルスは名前を見るなり眉をひそめ、後ずさるような気配を見せた。
「何度も言っただろう、僕は行かない」
近付いてきた名前を追い払うように手を振りながら、セブルスが言った。
「ダメ、来て。絶対に来てもらうから」
名前も負けじとセブルスのローブを引っ張り、大広間と反対の方向へと歩みを進めようとした。
「どうせ食事に行こうとしてたんでしょ?だったら先生の部屋で過ごすのと変わらないじゃない」
「下らない話に何時間も付き合わされるのが嫌なんだ」
「今日一日だけだってば!何も毎日行くわけじゃないんだから」
「いい加減離してくれないか?」
名前が思いがけず強くローブを引っ張った事で、セブルスは足をすくわれそうになった。
「制服が伸びて駄目になったら君のせいだ」
「伸びても買い換える必要はないでしょ。セブルス、最近背が高くなってきたんだから」
名前はカーテンを束ねるようにセブルスのローブをまとめ上げ、それを肩に乗せて歩き始めた。
「後ろ歩きが不安なら、大人しく前向いて歩いて」
セブルスは大きくため息をつき、名前の肩からひとすくいでローブを取り上げると渋々体の向きを変えた。翻ったローブはコウモリの羽のように大きくなびき、弧を描いてセブルスの足元に戻ってきた。
「僕が少しでも退屈を覚えたら、それも君のせいだからな」
スラグホーンの部屋に着いたのは名前とセブルスが最後だった。扉を開けるなりスラグホーンが「やあやあ!」と嬉しそうに二人に近寄り、その奥でリリーが驚きながらも笑顔で手を振っていた。部屋は広く華やかで、ハロウィンの飾り付けが大広間に負けじと施されている。集まった生徒の数は名前の想像よりも少なく、学年や寮を分け隔てない形で円形のテーブルを囲んでいた。最後の空席にセブルスと並んで腰掛けながら、名前は右隣の少年に軽く挨拶した。自分よりも年下のようだ。
「やあセブルス、やっと来てくれた!これで今日はホグワーツで一、二を争う魔法薬の天才が揃ったことになるな?」
スラグホーンは両手で力強くセブルスの肩を叩き、お気に入りのリリーの隣に腰を下ろした。名前はセブルスの顔がぴくりと引きつったのを見逃さなかった。
「では全員揃ったところで、始めるとしようか」
スラグホーンが手を叩くと、生徒達の目の前に銀のカトラリーとご馳走が現れた。大広間のご馳走とはまた違う、コース料理のような上品さを纏った品々だ。少なくともホグワーツの通常の食事よりはずっと質が高い。スラグホーンの魔法で現れたかぼちゃスープは、シルクのようなきめ細やかさだ。
「皆、初めて会う顔も多いだろう。自己紹介でもするかね、ん?」
スラグホーンに促されるがままに、端からスラグ・クラブのメンバーが慌てて立ち上がった。ナプキンで口元を急ぎ拭いながら、背の高いハッフルパフの上級生は二言三言の自己紹介を始めた。
「あー僕は、えっと…皆さんも知ってるかもしれませんが、今年はクィディッチチームのキャプテンを務めていて…」
「彼の父親は有名なクィディッチ選手でね!皆も知ってるだろう、前回のクィディッチワールドカップで見事逆転勝利を果たしたー…」
彼の台詞が終わりきらない内にスラグホーンが口を挟み、気付けばその場は彼の父親がいかに素晴らしいプロシーカーであるかについて聞かされる会になっていた。スラグホーンは既にお酒が入っているのか、かなり饒舌だ。自分の番が来た時、このセイウチのような魔法薬学教授は一体何を言い出すのか。名前は一人冷たい緊張に包まれ始めていた。
「レギュラス・ブラックです。二年生です」
いつの間にかクィディッチの華々しい経歴解説は終了しており、代わりに見知った顔が立ち上がったのを見て名前はあっと声を上げそうになった。
「皆も彼についてはこれから更に知ることになるだろう」
満足そうに頷きながら、スラグホーンがまた口を挟んだ。
「レギュラスは今年からスリザリンのシーカーだ。きっと針のように細く速く飛びまわるぞ。レギュラス、箒は最高級のものを買ってもらったんだろうね?」
「はい先生、最新型のニンバスを…」
話がまたもやクィディッチに飛んでしまい、名前の左隣に座るセブルスは肘をつきかねない様子だった。名前がセブルスにちらと目線をやると、彼もまた名前に目線を送り返し、溜息をつく素振りをして小さく首を振った。自分はともかく、セブルスがこの場に適した自己紹介なんて出来るのだろうか。スラグホーンと笑顔で言葉を交わすレギュラスを見つめながら、名前の心にまた一つ不安が生まれた。
「ダーク・クレスウェルです。初めまして…」
程なくして名前の右隣の少年が立ち上がり、顔を赤くしながら話し始めた。
「二年生です。えっと、僕はマグル生まれで…」
「ダークはまだ二年生だが、防衛術や呪文に関して驚くべき才能を持っている」
楽しそうに口を挟みながら、スラグホーンはダークに向けてワインの入った杯を掲げた。
「彼は将来優秀な呪い破りになるだろう。そうだね、ダーク?」
「あっはい…そうなりたいです」
パチパチと鳴る拍手の中で、ダークは照れくさそうに腰を下ろした。セブルスは気だるそうに二回ほど手を叩くのみだ。名前はその態度を肘で突こうかと思ったが、冷ややかな目でダークを見つめるレギュラスに気付いて手を止めた。薄暗い純血主義が、目に見えない形で部屋に影を落としている。
「名前?」
スラグホーンに促され、名前はハッとして立ち上がった。生徒たちの目が一斉に自分に向けられる。探るような視線の中で、リリーが名前の緊張をほぐすかのように優しく微笑んだ。
「名前・苗字です。初めまして」
出来るだけ全員に目線を配りながら、名前はスラグホーンに何か言われる前に話し終えてしまおうと、やや早口で自己紹介を始めた。
「魔法薬学の成績はよくありませんが、変身術が得意です。スラグホーン先生が私のその長所を買って、呼んでくださいました。よろしくお願いします」
「彼女は本当に、本当に変身術が得意でね!」
名前の工夫も虚しく、スラグホーンは声を大にして教え子の自慢を語り始めた。
「変身術に関しては、間違いなくこのホグワーツで一番の生徒だ。マクゴナガル先生に並ぶ日も近い。いや今もう既に並んでいるとも…」
「先生」
椅子の背を握りしめながら、名前はこわばった笑顔でスラグホーンに呼びかけた。スラグホーンはあっと口に手を当て、「まあ、そういう事だ」とお茶を濁しながら手を叩き、皆の拍手を誘った。
セブルスの自己紹介は名前が思った通りの展開となった。彼自身は名前を述べたのみで、その後はスラグホーンの独り台詞が延々と続いた。セブルスが史上最年少であの薬を成功させた、セブルスが試験の満点を上回る成果を出した、等々スラグホーンには語りたい思い出が山ほどあるようだった。セブルスは相槌も打たずにその場に突っ立っていたが、名前はスラグホーンの話を聞きながら、無愛想なセブルスが才能という点でここまで目をかけられているという事実を自分の事のように嬉しく感じていた。
自己紹介の最後を飾ったのはリリーだった。リリーはそれまでの誰よりも愛想良く快活で、場の雰囲気が一気に明るくなったようだった。スラグホーンもリリーに関しては口を挟まず、まるで美しい音楽を聴くかのように彼女の話に耳を傾けている。セブルスさえもしっかりと顔を上げ、リリーの言葉に聞き入っていた。三人のその様子を見て、名前は尊敬と誇らしさと、少しの落胆が混ざり合ったような複雑な気分だった。
「変身術、学年で一番なんですか?」
自己紹介が終わり本格的に食事が進み始めた頃、名前の隣に座るダーク・クレスウェルが声をかけてきた。
「あ、うん…一応ね」
「すごい!」
名前の答えに目を輝かせながら、ダークがやや遠慮がちに問いかけた。
「あの、もし良かったら今度変身術を教えてもらえませんか?僕、どうも苦手で…」
「うん、もちろん!」
年下の少年の可愛らしい相談を名前は喜んで受け入れた。
「今やってるのは何?二年生だから、コガネムシをボタンに変えるあたりかな」
「それ!まさにそれです!」
体ごと振り返る勢いで名前に顔を向けながら、ダークは嬉しそうに言った。
「どうしてもボタンから一本だけ足が出てしまうんです。どうすればいいのかな…」
「ああ、それはね…」
名前の話をダークは食事を忘れるほどに熱心に聞いていた。「あー!」「すごい!そうか!」と時折声をあげて喜ぶ彼の姿に、名前は教える事の楽しさのようなものを感じ始めていた。ポッターたちにも同じくらい楽しく教えられるんだろうか。リーマスとの約束がふと頭をよぎり、名前は大きな問題を抱えてしまった事を改めて思い知らされるようだった。
会の終盤には豪華なデザートが現れ、メンバー達の驚きを誘った。スラグホーンは声をかけた生徒全員が集まった事にご満悦で、立ち上がってそれぞれの席を回りながら近況を話し合ったり冗談を飛ばしたりしていた。セブルスも面と向かって話し掛けられてはさすがに無碍に出来ないと感じたのか、名前の期待以上にスラグホーンと話をしていた。二人の会話を背後に聞きながら、名前はダークと変身術やその他について盛り上がりつつ食事を楽しんだ。
スラグ・クラブのハロウィンパーティが終わったのは門限も過ぎる頃だった。「寮監には私から言っておくから」とスラグホーンは生徒たちを送り出し、酔いで眠たそうな瞼をこすりながら寝室へと消えて行った。リリーは名前の予想通り、グリフィンドールの友人と来ていたようだ。名前とセブルスに笑顔でおやすみを告げて、パーティの華はグリフィンドール塔へと帰っていった。
「どうだった?まあまあ楽しかったでしょ?」
スリザリン寮への道のりをセブルスと並んで歩きながら、名前は上機嫌で彼にたずねた。
「セブルスってばスラグホーン先生にとっても気に入られてるじゃない!魔法薬学の難しい話で盛り上がってたみたいだし…」
「いや、盛り上がってはいない。君たちと違って」
名前とは対照的に不機嫌なまま、セブルスはぼそぼそと呟いた。
「それに案の定、楽しいものではなかった。君たちと違って」
「君たち君たちって…何、私とリリーのこと?」
突っかかるような彼の物言いに眉をひそめながら、名前は言った。
「セブルス、偏屈になりすぎじゃない?今日のは誰だって楽しいとー…」
「偏屈で結構。君たちのようにはなれないのでね。君とクレスウェルのようには」
「え?」
予想外の言葉に目を瞬かせながら、名前は思わず聞き返した。
「君たちって、ダークの事を言ってたの?」
セブルスは返事をしないまま大階段を早足で下り始め、名前は慌ててその後を追った。気まぐれな階段が名前を手助けするように進路を変えたため、セブルスはイライラと足を鳴らしながら歩みを止めた。
「なんだ、セブルスも会話に入ってくれば良かったのに…」
「生憎僕はコガネムシをボタンに変える点については困ってないのでね」
正しい階段に繋がるのを気まずい面持ちで待ちながら、名前は正面で背を向けるセブルスをちらっと見た。彼は、もしかすると拗ねているのでは無いだろうか。パーティに半ば無理矢理連れてこられた挙句、誘った相手が自分に大して話し掛けなかったとすれば…。
「ごめん、セブルス」
「何を謝る?どう過ごそうと君の勝手だ」
その言い草こそが謝罪を求めている事の現れではないか。そう思いながらも口には出せず、名前はおずおずと彼の横に立つことしか出来なかった。階段が繋がり道が出来るとセブルスはすぐさま歩き出し、名前はほとんど走るように彼を追った。
大階段を降り終え、二人は地下牢に続く階段に差し掛かった。このままではセブルスを怒らせたまま一日が終わってしまう。名前は何とか彼の機嫌を直せないかと思考を張り巡らせた。こんな状況で、彼の気分を良く出来るものなどあるだろうか。セブルスが良いと思うもの、NOと言わない事柄について、名前は頭の中で必死に考えた。
それらしい答えが出た頃には、セブルスは既にスリザリン寮の扉に手を掛けようとしていた。自信の無い答えに躊躇いつつ、名前は勇気を振り絞って後ろから彼に声をかけた。
「ね、ねえセブルス」
「もう今日は疲れた。話し相手なら他の誰かにしてくれ」
「違うの、セブルスにしか頼めない事で、その…」
機嫌の悪いセブルスを前にしては、その手を掴んでも振りほどかれるだけだろう。名前はセブルスが男子寮に入るすんでの所で、選び抜いた言葉を口にした。
「スラグホーン先生が先週出した課題があるでしょ?二角獣の角の応用性に関して…あれ、私全然書けなくて…お願い、セブルス。教えて欲しいの」
セブルスは足を止め、睨むように名前を振り返った。その目は名前に作戦の失敗を感じ取らせるには十分な冷たさだった。セブルスは顔を背け、名前に再び背を向けて言った。
「日曜。9時。図書館の奥の席」
驚きに口を開けたままの名前をよそに、セブルスは立ち止まることなく寝室へと消えて行った。名前はしばらくその場に固まったまま、セブルスの言葉を脳に直接書き込むかのように繰り返していた。日曜、9時、図書館。忘れようにも忘れられない記憶を携えたまま名前は寝室へ戻り、引き出しから数枚の羊皮紙を取り出すやいなや、それを丸めてゴミ箱に捨てた。二角獣の角の応用性について細かに書かれたそのレポートは、もはや不要の物となったのだ。