第一部
名前変換
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一夜明けた日曜日の朝、ホグワーツの校庭にはうっすらと雪が積もっていた。名前とミランダはいつもより少し遅く大広間に赴き、毎日食べても飽きないベーコンエッグとママレードトーストに手を伸ばしていた。授業がない日の大広間は人がまばらだ。名前はスリザリンのテーブルをざっと奥まで見渡したが、そこにセブルスの姿は無かった。ふとグリフィンドールの席を見ると、ベーコンをくわえたリーマスと目が合った。リーマスは気まずそうに目をそらし、隣のピーターとわざとらしく何やら話し始めた。ポッターとブラックの姿は無く、二人で大人しく朝食をとっている。普段よりも静かなのはあの二人がいないからだ。名前はそう納得して、トーストの耳をかじった。もしかすると朝早くから昨日の罰則に駆り出されているのかもしれない。
名前がトーストの最初の一口を飲み込んだ頃、空からバラバラとふくろう便がやって来た。毛並みの良さそうな灰色のふくろうが名前とミランダの頭上を通過し、テーブルの前方に座るグループの席に新聞を落とした。アン・パーキンソンのふくろうだった。パーキンソンたちはおもむろに新聞を広げ、何かの記事を見てわっと騒ぎ始めた。
「何だと思う?」
名前は食い入るように新聞を読む彼女らを横目で見ながら、ミランダにたずねた。
「ろくな話じゃないと思うわよ」
名前とミランダが会話を止めると、スリザリンの一群の話し声はすぐ隣にいるかのように鮮明になった。記事を読み終え、うっとりとため息をつきながらパーキンソンが言った。
「もうすぐ世界は変わる。ようやく純血の魔法使いが正しく評価される時代が来るのよ」
「私のパパもそう言ってるわ」
パーキンソンの横に座るブロンドの女生徒が、新聞を愛しそうに抱きしめながら呟いた。
「あの方は今までのどんな魔法使いにも勝るんですって…。今度こそ本当よ、本当に新しい世界が実現するのよ」
パーキンソンたちがさっと席を立ち上がったので、名前は慌てて目を逸らしトーストにジャムをつけ足すふりをした。名前の背後に一行が差し掛かった頃、パーキンソンがわざと名前に聞こえる声で言った。
「新しい時代が来た時、マグル贔屓がどんな目にあうのか楽しみね…」
クスクスと笑いながら去る彼女たちの後ろ姿を眺めながら、名前は手を止めてミランダに囁いた。
「一体何のこと?」
「ヴォルデモートよ」
ミランダは冷たい視線でかぼちゃジュースを見つめ、苦々しそうにそれを一飲みした。
「ヴォル…何?」
「ヴォルデモート。純血主義の魔法使いよ」
「変わった名前だね。政治家?」
名前の問いかけにミランダはふふっと一瞬笑ったが、すぐに厳しい顔つきに戻って言った。
「反社会派のリーダーといった所かしら…政治家よりタチが悪いのは確かよ」
「パーキンソンたちはその人が次の魔法大臣にでもなると思ってるのかな?新しい時代がどうこう言ってたけど」
訝しげに首を傾げながら、名前は手元にあったかぼちゃジュースを一口飲んだ。濃厚な甘さが口の中に広がり、名前はその美味しさに思わず笑顔になった。しかし目の前にいる年上の友人は、神妙そうな面持ちでじっとテーブルを見つめたままだった。
「ミランダ?」
「私は…私の家は、ヴォルデモートという存在をとても警戒しているわ」
前屈みになりながら、息をひそめるようにミランダが言った。
「今はただ、純血主義の支持を煽るような事だけを言っているけれど…ヴォルデモートの真の目的はマグル排斥だけじゃない。魔法界をねじ伏せて、自分が支配者になる事よ。彼の勢力は日に日に増してきてる。その内あちこちでテロが起きるんじゃないかって、そんな気がするの」
ミランダの言葉を聞いて、名前の顔からはあっという間に笑みが消え去ってしまった。かぼちゃジュースの甘ったるい後味すら苦みに変わったようだった。
「それは…ヴォルデモートがそんなに危険な人物だって、どのくらいの人達が気付いているの?」
「ダンブルドアが一部の魔法使いたちに警告し始めてる。でも一般大衆は、過激論者が現れたくらいにしか思ってないでしょうね」
名前は皿の上に残ったトーストの半分を、口に運ぶでもなくぼんやりと見つめていた。さっきまであんなにお腹が空いていたのに、今は鉛を飲み込んだかのように胃が重たくなっている。日曜日の朝のうきうきするような気持ちは、瞬く間にどこかへ飛んでいってしまった。
「逆に言うと、アン・パーキンソンみたいな純血主義の子は…」
名前はかつて見せつけられたマグル生まれの生徒記録帳を思い出しながら、ぽつりと呟いた。
「将来、そのテロとかに喜んで参加するってこと?」
「そう、それが問題なのよ」
ミランダはそう言ってスリザリンのテーブルの端から端までを見渡し、ため息をついた。
「ヴォルデモートは確実に、純血主義の気がある若者を魅了し始めてる。ねえ、13歳の私が言うのもなんだけど…若い人こそ、間違った思想を妄信したり、自分の選択が正しいと決めつけてしまいがちなものよ」
名前は小さく頷いた。ミランダの言葉には少なからず心当たりがあったのだ。ホグワーツに入ったばかりの頃、自分はパーキンソンと友達でいるのが正しい選択なのだと、自分自身を偽ろうとした事があった。
「名前、あなたも見て分かる通り、ヴォルデモートに共感する若者達はホグワーツにだって何人もいる。もし彼らが"新しい時代"のために必死で勉強して、優秀な魔法使いとして指導者の元に下ったとしたら…」
「したら?」
「…戦争になるわ」
名前は息を飲んだ。ミランダはあくまでも最悪の場合について言っているだけだ。名前はそう自分に言い聞かせようとしたが、ミランダが指にはめた察しの石が光を反射して輝くのを見ていると、どうしてもそれを信じない訳には行かなかった。
「この話は、今までダンブルドアとしかしてこなかったんだけど」
そう言いながらミランダは名前が手をつけずにいるトーストにひょいと手をのばし、それを口に押し込んだ。二人の間に再び沈黙が流れ、他寮のテーブルから聞こえる笑い声や食器の音が名前の耳を支配した。この平和な大広間に、脅威が迫りつつある事を知っている生徒は何人いるのだろう。彼らの気楽そうな顔を見る限り、ごく僅かに違いない。そう考えるとますます名前は気が沈んでいくような思いだった。
「まあ、だからね、私が純血主義の生徒を極端に避けてるのはそういう理由からなのよ」
口元を拭いて立ち上がりながらミランダが言った。名前もそれにならい、落ち着かない素振りで席を立った。ふらふらと出口に向かって歩く中、名前は30分前とはまるで生きる世界が違うような気持ちになっていた。
「名前」
大広間の扉を通り過ぎた時、穏やかな声に呼び止められ名前は振り返った。リーマスだった。彼はバツが悪そうに頭をかきながら、名前が近付いて来てくれるのを待っているようだった。ミランダは「8階」とだけ呟いて、大階段へ続く廊下へと去って行った。
「名前、昨日はごめん」
小声で話せる位置まで近付いてから、リーマスがぽつりと言った。
「あんな事言ったけど…僕、君とは良い友達でいたいんだ」
「ううん。私こそ…ごめん」
名前は謝りながら、昨日までの能天気な自分を恥じた。
「リーマスの言う事は正しいよ。闇の魔術は、誰がどう使おうとやっぱりいけない事だし。やめさせてあげるのが本当の友達だよね…」
すらすらと正論ばかりを述べる自分の舌に、名前は少し驚いた。実際にした事と言えば、セブルスの黒い本の切れ端を拾って返しただけだ。闇の魔術をやめさせるどころか、それを黙認してしまったのだ。名前は自分の勇気のなさにふと嫌気がさした。
「ありがとう。僕も、ジェームズとシリウスにもう少しやり方を何とかするよう言ってみるよ」
沈んだ気持ちの名前とは対照的に、リーマスはほっとしたような笑顔を見せていた。
「それにしてもあの三人で一緒に罰則をするなんて、大変だろうなあ。今頃トロフィールームはどうなってる事やら…」
リーマスの言葉に名前は無理に笑ってみせ、心配事など何も無い少女を演じてみせようとした。しかしそれはあまりに拙く、意味の無い演技のようだった。リーマスは笑うのをぴたりとやめて、名前の顔を覗き込んだ。
「どうかした?」
ほんの十数分前に知ってしまった恐怖を、名前は口に出すべきか悩んだ。目の前にかかる、グリフィンドールの真紅のネクタイが眩しい。勇猛果敢な騎士道の寮…昨夜セブルスが問いかけた言葉に込められた気持ちが、名前は今ならよく分かるような気がした。
「リーマスは知ってる?その…」
名前はリーマスの顔を見上げて言った。潜在的な恐怖心に、声が震えるようだった。
「ヴォルデモートって人の事」
「ああ、最近たまに新聞に載ってるね。闇の魔術に相当長けてるんだろ?とんでもない奴だよ。純血かどうかなんて、本当にどうでもいい事なのに…」
「本当にね…」
相づちを打ちながら、名前はミランダの言葉にはなかった情報に注意を奪われていた。
「闇の魔術に長けてるって、どれくらいなんだろう」
「噂では最強の魔法使いを名乗ってるし、その取り巻きもそう信じて疑わないらしいね。死喰い人とか言ったかな…闇の魔法使いらしい名前だよ」
リーマスは腕を組んで天井を仰いだ。天窓の先には、どんよりと曇った冬の空があった。
「死喰い人?」
「そう、ヴォルデモートの支持者はそう言うらしいよ。純血主義で闇の魔術を好んで使う集団なんじゃないかな。本当に馬鹿げてるよ」
「そうなんだ…」
無意識のうちに、名前はあの黒い本を思い浮かべていた。ルシウスから貰った、そうセブルスは言っていた。ルシウス。ルシウス・マルフォイ。純血主義で、闇の魔術を好む若者…。
「リーマス、ヴォルデモートの支持者っていうのはあくまでも純血主義の人達なんだよね?」
名前は拳を握りしめながらとっさに訊ねた。心の中に嫌な予感が渦をまくように立ち込めていた。
「ああ、うん、まあそうだろうね」
リーマスは首をかしげながら曖昧に答えた。
「純血主義っていうのが奴の最大のモットーだったと思う。マグル生まれにとっては勿論、僕たちにとっても敵だよ、そんな差別主義者は」
リーマスと手を振って別れ、名前はミランダの待つ8階の部屋へと向かうべく大階段をのぼり始めた。ぼんやりしている間に階段が向きを変えてしまい、名前は何度も知らない廊下に放り出された。そんなアクシデントがあってもなお、名前の心は一つの言いしれない不安に支配されていた。
もし、ルシウス・マルフォイがセブルスに本を貸すだけでなく、ヴォルデモートの思想に傾倒するよう仕向けているとしたら。セブルスはルシウスを慕っている。その言葉を無下に跳ね除けたりはしないだろう。
しかしリリーは…。階段の途中で、名前は思わず足を止めた。リリーはマグル生まれだ。セブルス自身も半純血で、二人はマグルの世界で出会ったのだ。セブルスは決して純血主義には共感しないはずだ。自分の事ならまだしも、好きな人の生まれを、どうして否定出来るだろう。
そう考えたところで、名前の胸はまた針で刺されたようにちくりと痛んだ。自分はセブルスがリリーを好きな事を知っている。もはやこれは逃れようのない事実だった。セブルスの視線がいつも誰に、どんなふうに向けられているか、自分が気付かないはずがない。
「なぜなら私は彼が好きで…彼をいつも見ているから…」
一人きりの空間で小さく呟きながら、名前は自分の存在がとても惨めなものに思えてきた。階段横の絵画たちは、平穏に各々の趣味に没頭している。その様子にため息をつきながら、名前は再び階段をのぼり始めた。
自分も何かに没頭することだ。そう名前は思った。今は動物もどきになる事だけを考えよう。もし成功すれば動物となって、未来に戦争が起きても逃げ隠れる事が出来るかもしれない。
「それに動物もどきになれば、セブルスに認めてもらえる…」
結局浮かんでしまった彼への執着に、名前は呆れて首を振った。それでもそれがやる気に繋がる最大の要素である事に変わりはなかった。名前はどんよりとした気持ちを抱えながら、8階の廊下を三度横切り、現れた不思議な部屋のドアに手をかけた。
名前がトーストの最初の一口を飲み込んだ頃、空からバラバラとふくろう便がやって来た。毛並みの良さそうな灰色のふくろうが名前とミランダの頭上を通過し、テーブルの前方に座るグループの席に新聞を落とした。アン・パーキンソンのふくろうだった。パーキンソンたちはおもむろに新聞を広げ、何かの記事を見てわっと騒ぎ始めた。
「何だと思う?」
名前は食い入るように新聞を読む彼女らを横目で見ながら、ミランダにたずねた。
「ろくな話じゃないと思うわよ」
名前とミランダが会話を止めると、スリザリンの一群の話し声はすぐ隣にいるかのように鮮明になった。記事を読み終え、うっとりとため息をつきながらパーキンソンが言った。
「もうすぐ世界は変わる。ようやく純血の魔法使いが正しく評価される時代が来るのよ」
「私のパパもそう言ってるわ」
パーキンソンの横に座るブロンドの女生徒が、新聞を愛しそうに抱きしめながら呟いた。
「あの方は今までのどんな魔法使いにも勝るんですって…。今度こそ本当よ、本当に新しい世界が実現するのよ」
パーキンソンたちがさっと席を立ち上がったので、名前は慌てて目を逸らしトーストにジャムをつけ足すふりをした。名前の背後に一行が差し掛かった頃、パーキンソンがわざと名前に聞こえる声で言った。
「新しい時代が来た時、マグル贔屓がどんな目にあうのか楽しみね…」
クスクスと笑いながら去る彼女たちの後ろ姿を眺めながら、名前は手を止めてミランダに囁いた。
「一体何のこと?」
「ヴォルデモートよ」
ミランダは冷たい視線でかぼちゃジュースを見つめ、苦々しそうにそれを一飲みした。
「ヴォル…何?」
「ヴォルデモート。純血主義の魔法使いよ」
「変わった名前だね。政治家?」
名前の問いかけにミランダはふふっと一瞬笑ったが、すぐに厳しい顔つきに戻って言った。
「反社会派のリーダーといった所かしら…政治家よりタチが悪いのは確かよ」
「パーキンソンたちはその人が次の魔法大臣にでもなると思ってるのかな?新しい時代がどうこう言ってたけど」
訝しげに首を傾げながら、名前は手元にあったかぼちゃジュースを一口飲んだ。濃厚な甘さが口の中に広がり、名前はその美味しさに思わず笑顔になった。しかし目の前にいる年上の友人は、神妙そうな面持ちでじっとテーブルを見つめたままだった。
「ミランダ?」
「私は…私の家は、ヴォルデモートという存在をとても警戒しているわ」
前屈みになりながら、息をひそめるようにミランダが言った。
「今はただ、純血主義の支持を煽るような事だけを言っているけれど…ヴォルデモートの真の目的はマグル排斥だけじゃない。魔法界をねじ伏せて、自分が支配者になる事よ。彼の勢力は日に日に増してきてる。その内あちこちでテロが起きるんじゃないかって、そんな気がするの」
ミランダの言葉を聞いて、名前の顔からはあっという間に笑みが消え去ってしまった。かぼちゃジュースの甘ったるい後味すら苦みに変わったようだった。
「それは…ヴォルデモートがそんなに危険な人物だって、どのくらいの人達が気付いているの?」
「ダンブルドアが一部の魔法使いたちに警告し始めてる。でも一般大衆は、過激論者が現れたくらいにしか思ってないでしょうね」
名前は皿の上に残ったトーストの半分を、口に運ぶでもなくぼんやりと見つめていた。さっきまであんなにお腹が空いていたのに、今は鉛を飲み込んだかのように胃が重たくなっている。日曜日の朝のうきうきするような気持ちは、瞬く間にどこかへ飛んでいってしまった。
「逆に言うと、アン・パーキンソンみたいな純血主義の子は…」
名前はかつて見せつけられたマグル生まれの生徒記録帳を思い出しながら、ぽつりと呟いた。
「将来、そのテロとかに喜んで参加するってこと?」
「そう、それが問題なのよ」
ミランダはそう言ってスリザリンのテーブルの端から端までを見渡し、ため息をついた。
「ヴォルデモートは確実に、純血主義の気がある若者を魅了し始めてる。ねえ、13歳の私が言うのもなんだけど…若い人こそ、間違った思想を妄信したり、自分の選択が正しいと決めつけてしまいがちなものよ」
名前は小さく頷いた。ミランダの言葉には少なからず心当たりがあったのだ。ホグワーツに入ったばかりの頃、自分はパーキンソンと友達でいるのが正しい選択なのだと、自分自身を偽ろうとした事があった。
「名前、あなたも見て分かる通り、ヴォルデモートに共感する若者達はホグワーツにだって何人もいる。もし彼らが"新しい時代"のために必死で勉強して、優秀な魔法使いとして指導者の元に下ったとしたら…」
「したら?」
「…戦争になるわ」
名前は息を飲んだ。ミランダはあくまでも最悪の場合について言っているだけだ。名前はそう自分に言い聞かせようとしたが、ミランダが指にはめた察しの石が光を反射して輝くのを見ていると、どうしてもそれを信じない訳には行かなかった。
「この話は、今までダンブルドアとしかしてこなかったんだけど」
そう言いながらミランダは名前が手をつけずにいるトーストにひょいと手をのばし、それを口に押し込んだ。二人の間に再び沈黙が流れ、他寮のテーブルから聞こえる笑い声や食器の音が名前の耳を支配した。この平和な大広間に、脅威が迫りつつある事を知っている生徒は何人いるのだろう。彼らの気楽そうな顔を見る限り、ごく僅かに違いない。そう考えるとますます名前は気が沈んでいくような思いだった。
「まあ、だからね、私が純血主義の生徒を極端に避けてるのはそういう理由からなのよ」
口元を拭いて立ち上がりながらミランダが言った。名前もそれにならい、落ち着かない素振りで席を立った。ふらふらと出口に向かって歩く中、名前は30分前とはまるで生きる世界が違うような気持ちになっていた。
「名前」
大広間の扉を通り過ぎた時、穏やかな声に呼び止められ名前は振り返った。リーマスだった。彼はバツが悪そうに頭をかきながら、名前が近付いて来てくれるのを待っているようだった。ミランダは「8階」とだけ呟いて、大階段へ続く廊下へと去って行った。
「名前、昨日はごめん」
小声で話せる位置まで近付いてから、リーマスがぽつりと言った。
「あんな事言ったけど…僕、君とは良い友達でいたいんだ」
「ううん。私こそ…ごめん」
名前は謝りながら、昨日までの能天気な自分を恥じた。
「リーマスの言う事は正しいよ。闇の魔術は、誰がどう使おうとやっぱりいけない事だし。やめさせてあげるのが本当の友達だよね…」
すらすらと正論ばかりを述べる自分の舌に、名前は少し驚いた。実際にした事と言えば、セブルスの黒い本の切れ端を拾って返しただけだ。闇の魔術をやめさせるどころか、それを黙認してしまったのだ。名前は自分の勇気のなさにふと嫌気がさした。
「ありがとう。僕も、ジェームズとシリウスにもう少しやり方を何とかするよう言ってみるよ」
沈んだ気持ちの名前とは対照的に、リーマスはほっとしたような笑顔を見せていた。
「それにしてもあの三人で一緒に罰則をするなんて、大変だろうなあ。今頃トロフィールームはどうなってる事やら…」
リーマスの言葉に名前は無理に笑ってみせ、心配事など何も無い少女を演じてみせようとした。しかしそれはあまりに拙く、意味の無い演技のようだった。リーマスは笑うのをぴたりとやめて、名前の顔を覗き込んだ。
「どうかした?」
ほんの十数分前に知ってしまった恐怖を、名前は口に出すべきか悩んだ。目の前にかかる、グリフィンドールの真紅のネクタイが眩しい。勇猛果敢な騎士道の寮…昨夜セブルスが問いかけた言葉に込められた気持ちが、名前は今ならよく分かるような気がした。
「リーマスは知ってる?その…」
名前はリーマスの顔を見上げて言った。潜在的な恐怖心に、声が震えるようだった。
「ヴォルデモートって人の事」
「ああ、最近たまに新聞に載ってるね。闇の魔術に相当長けてるんだろ?とんでもない奴だよ。純血かどうかなんて、本当にどうでもいい事なのに…」
「本当にね…」
相づちを打ちながら、名前はミランダの言葉にはなかった情報に注意を奪われていた。
「闇の魔術に長けてるって、どれくらいなんだろう」
「噂では最強の魔法使いを名乗ってるし、その取り巻きもそう信じて疑わないらしいね。死喰い人とか言ったかな…闇の魔法使いらしい名前だよ」
リーマスは腕を組んで天井を仰いだ。天窓の先には、どんよりと曇った冬の空があった。
「死喰い人?」
「そう、ヴォルデモートの支持者はそう言うらしいよ。純血主義で闇の魔術を好んで使う集団なんじゃないかな。本当に馬鹿げてるよ」
「そうなんだ…」
無意識のうちに、名前はあの黒い本を思い浮かべていた。ルシウスから貰った、そうセブルスは言っていた。ルシウス。ルシウス・マルフォイ。純血主義で、闇の魔術を好む若者…。
「リーマス、ヴォルデモートの支持者っていうのはあくまでも純血主義の人達なんだよね?」
名前は拳を握りしめながらとっさに訊ねた。心の中に嫌な予感が渦をまくように立ち込めていた。
「ああ、うん、まあそうだろうね」
リーマスは首をかしげながら曖昧に答えた。
「純血主義っていうのが奴の最大のモットーだったと思う。マグル生まれにとっては勿論、僕たちにとっても敵だよ、そんな差別主義者は」
リーマスと手を振って別れ、名前はミランダの待つ8階の部屋へと向かうべく大階段をのぼり始めた。ぼんやりしている間に階段が向きを変えてしまい、名前は何度も知らない廊下に放り出された。そんなアクシデントがあってもなお、名前の心は一つの言いしれない不安に支配されていた。
もし、ルシウス・マルフォイがセブルスに本を貸すだけでなく、ヴォルデモートの思想に傾倒するよう仕向けているとしたら。セブルスはルシウスを慕っている。その言葉を無下に跳ね除けたりはしないだろう。
しかしリリーは…。階段の途中で、名前は思わず足を止めた。リリーはマグル生まれだ。セブルス自身も半純血で、二人はマグルの世界で出会ったのだ。セブルスは決して純血主義には共感しないはずだ。自分の事ならまだしも、好きな人の生まれを、どうして否定出来るだろう。
そう考えたところで、名前の胸はまた針で刺されたようにちくりと痛んだ。自分はセブルスがリリーを好きな事を知っている。もはやこれは逃れようのない事実だった。セブルスの視線がいつも誰に、どんなふうに向けられているか、自分が気付かないはずがない。
「なぜなら私は彼が好きで…彼をいつも見ているから…」
一人きりの空間で小さく呟きながら、名前は自分の存在がとても惨めなものに思えてきた。階段横の絵画たちは、平穏に各々の趣味に没頭している。その様子にため息をつきながら、名前は再び階段をのぼり始めた。
自分も何かに没頭することだ。そう名前は思った。今は動物もどきになる事だけを考えよう。もし成功すれば動物となって、未来に戦争が起きても逃げ隠れる事が出来るかもしれない。
「それに動物もどきになれば、セブルスに認めてもらえる…」
結局浮かんでしまった彼への執着に、名前は呆れて首を振った。それでもそれがやる気に繋がる最大の要素である事に変わりはなかった。名前はどんよりとした気持ちを抱えながら、8階の廊下を三度横切り、現れた不思議な部屋のドアに手をかけた。