第一部
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秋の冷たい風が木々の間を通り抜け、乾燥した茶色い葉が枝から手を離したように飛ばされていく。風に運ばれ、枯葉は小さな駅のプラットフォームにひらりと落ちた。
あたりはひっそりと静寂に包まれ、森フクロウが遠くで鳴く声が駅構内にこだました。新月の真っ暗な闇の中で、一筋のランタンの光が探るように線路を照らしている。
突如にして、その神秘的な静けさが破られる瞬間がやってきた。煙を上げた紅の汽車が大きな車輪を軋ませながら駅へと入ってきたのだ。汽車は夜風を身に纏いながら、ゆっくりと速度を落としていく。噴きつけられた蒸気を受けて、線路脇に佇んでいた枯葉がくるりと翻った。汽車が完全に停止するやいなや、小さなホグズミード駅は沢山の学生たちで溢れかえった。
ホームに降り立った名前・苗字は、涼しすぎる空気に思わず身震いした。あたりは懐かしい森の香りで溢れている。ホグワーツに戻ってきたのだ。名前は大きく息を吸い込み、嬉しさと新学期への期待から、また体を小さく震わせた。
名前の後に続いて、石のアクセサリーを無数に身につけた少女、ミランダ・フラメルが汽車から降りてきた。ウェーブのかかった長い黒髪をなびかせながら、ミランダは急かすように名前の背中を押して言った。
「早く馬車に乗りましょ。私、今年は組分けの儀式を近くで見たいの」
名前は「イッチ年生!」と叫ぶ大声の主を振り返りながら、ミランダの後を追った。森番のハグリッドについてボートに乗っていくのは一年生だけらしい。
名前は駅の外に並んだ数多の馬車に息を飲んだ。さぞ沢山の馬が繋がれているのだろうと、名前は馬車の列前方を覗き込んだ。しかし驚いたことに、そこには何もいない。魔法の力でひとりでに動くのだろうか。
上級生たちは慣れた光景だとでも言うように、次々と馬車に飛び乗っていく。馬が不在である事に誰もさして疑問を抱いていないようだ。しげしげと周りを眺める名前をよそに、ミランダは最前列に止まっている馬車の扉に手をかけた。名前は慌てて彼女を追い、馬なしの馬車に乗り込んだ。
名前が扉を閉めると、馬車が見えない何かにひかれるかのように動き出した。ガタゴトと大きい揺れが座席に響き、森の景色がさーっと流れていく。想像していたよりも速いスピードに驚いて、名前は思わず小窓の淵に手をかけた。
上り坂に差しかかった頃、名前たちの目の前に夢にまで見たホグワーツ城が見えてきた。いくつもの塔がぼんやりと浮かび上がるように、荘厳な佇まいでそびえ立っている。
一年生の頃、ボートで湖を渡った時とはまた違う見え方だ。名前は初めて見る城の光景を目に焼き付けようと窓から顔を出した。一年過ごしてもなお、ホグワーツは新鮮な驚きと未知の謎に溢れている。
馬車から降りた後、名前とミランダはせかせかと城の石段をのぼり、馴染み深い大広間へと足を踏み入れた。今日の大広間は一段と美しかった。何千という蝋燭が浮かび、頭上には数えきれないほど沢山の星が輝いている。
席についている生徒はまだごく僅かだった。ミランダはテーブルの奥へ奥へと進み、一年生が座る席のひとつ手前でやっと立ち止まった。
「それで、何でまた組分けにそんなに興味が出てきたの?」
在校生の席としては一番手前に位置するであろう場所に座りながら、名前は右隣に腰掛けたミランダにたずねた。
「あなたの事があってから、ちょっと思い直したの」
ミランダは乱れた髪を整えるように耳にかけて言った。
「もともとスリザリンには期待してなかったんだけど、あなたみたいな信頼できる生徒もいるって去年分かったから。今年もいるとすれば、早いうちに見極めた方がいいわ」
名前はミランダが察しの石を指にはめ直すように握る様を見て、なるほどと頷いた。彼女にとって信頼できる人物か否かは、ある程度近づくことで石が教えてくれるという。名前はその直感に選ばれた数少ないうちの一人だった。
名前は他のスリザリン生がちらほらと席に着き始めるのを気に留めつつ、他寮のテーブルをぼーっと眺めていた。グリフィンドールのテーブルでは、最前列におなじみのポッターたちが座っている。組分けの儀式にまで野次を飛ばすつもりなんだろうか。名前は彼らの子どもっぽい振る舞いに呆れながら、ポッターがブラックを執拗に肘でつつく理由を詮索していた。
ふと目の前に何者かが立ちはだかり、ポッターたちの姿が見えなくなった。「おや!」と頭上で響いたその声に、名前はハッとして顔を上げた。
「ミランダ!君がこんな目立つ位置に出てくるなんて、どういう風の吹き回しだ?」
ルシウス・マルフォイだった。灰色の瞳を丸くして、食い入るようにミランダを見つめている。
「組分けに興味があるだけよ」
嫌悪感をあからさまにしながらミランダが答えた。驚くほど冷たい声だ。
「組分けに興味?君が?」
ルシウスは遠慮する素振りも見せずに、どかっとミランダの目の前に座った。
「まあ何でもいい。君と話せるチャンスが新学期早々巡ってくるとは、思ってもみなかったねー…」
名前はミランダのために、話を逸らそうと口を開きかけた。しかしルシウスの背後についていた生徒の顔を見た途端、名前は顔いっぱいに笑みが広がるのをおさえきれなかった。
「セブルス!」
名前を見て軽く頷きながら、セブルスはルシウスの隣、名前の真向かいに腰を下ろした。キングス・クロス駅からずっと姿を探していた友人にようやく会え、名前の心は踊るようだった。
「ちょっと背が伸びたんじゃない?夏休みはどうだった?」
「まあまあ」
はしゃぐ名前の問いかけに、セブルスは去年よりも少し低くなった声で答えた。彼は気まずい表情でミランダを見てから、居心地が悪そうに何も無い壁のあたりを眺め始めた。
夏の間、名前はミランダとリリーとは手紙のやり取りをしていたものの、セブルスとは全く連絡を取っていなかった。彼が手紙を書くようなタイプでないのは明らかだったし、適当な返事をもらうくらいなら書かない方がマシだと思っていた。しかし晴れわたった日にはふと、遠いマグルの町でセブルスとリリーが一緒に過ごしている場面を想像し、羨望の混じった疎外感のような、もやもやした気持ちを抱えたものだった。
「夏休み中、リリーとは会った?」
「ああ、何回か」
セブルスの答えに、名前は不思議と胸に針が刺さったような痛みを覚えた。喉に重石がのしかかったような感覚がして、名前は慌てて口角を上げた。
「でも変な感じだったね、夏休みって」
自分でも説明がつかない気持ちの落ち込みに戸惑いながら、名前は会話を盛り上げようと再び彼に話を振った。
「せっかくたくさん魔法を使えるようになったのに、家に帰った途端何も出来ないなんて…私、変身術を家族に見せたかったのに。2年生の範囲を終わらせたって言っても、証明出来ないから、家族も半信半疑でさ」
「同感だな」
退屈そうに肘をつきながら、セブルスが頷いた。
「教科書をいくら読んだところで、実際にそれを試せなきゃ意味が無い。僕だってー…」
「そういえば名前」
セブルスの言葉を遮る勢いで、ルシウスが急に会話に割り込んできた。突然名前を呼ばれ、名前は驚いて彼を見た。
「君は変身術がえらく得意だそうじゃないか」
ルシウスは目をギラギラさせながら名前を見ている。まさかこの目が自分に向けられる日が来るとは、名前は思ってもいなかった。
「あ、はい、まあ、一応」
ルシウスの迫力に気圧されながら、名前はモゴモゴと答えた。
「セブルスから聞いたんですか?」
「いや、他のスリザリンから聞いた。まあ何にせよ、僕は監督生だからね。寮の得点を稼いでいる生徒には一目置いているよ」
ルシウスの言葉に、名前は「はあ」と生返事をした。変身術で寮の得点を稼いだのは事実だが、監督生に目をかけられるほどの点数でもない。入学したての頃は自分に無関心を貫いていたルシウスが、こうして積極的に話しかけてくるのは少々不気味だった。
「君たちの代は優秀な生徒が多そうだ。マルシベールも頑張っているようだし、セブルス、君は確実にスラグクラブに入れる。なんたって魔法薬が学年で一番なんだからな」
そう言ってルシウスはセブルスの背中を叩いた。セブルスは嬉しそうな、困ったような顔で彼を見た。それからルシウスは怪しく光る目で再び名前を捉えた。
「名前、君も変身術のレベルによってはスラグホーン先生のお気に入りになれるかもしれないぞ。あの人は基本的には、自分の教えている科目に秀でた生徒にしか興味を持たないが…あっと驚く変身術を身につけているともなれば別だ」
そう言って、ルシウスはずいと名前に顔を近づけた。
「どうなんだ?高度な変身術の練習に励んだりはしているのか?」
名前はミランダがルシウスを嫌厭する気持ちがよく分かった。まるで狙いを定めた獲物に食いつくかのように、彼の追及はとどまる所を知らなそうだ。
「まあ、そのうち」
ルシウスの質問に曖昧に答えながら、名前は動物もどきの事を思い出した。高度な変身術…かつてセブルスに見栄を張ったはいいものの、実際はどうしていいか分からないままに時ばかりが過ぎていた。
「期待しているよ」
ルシウスは満足そうに名前に笑いかけた。友好的というよりは、品定めをするような不敵な笑みだ。
「ところでミランダ、君はずっとスラグホーン先生の招待を断っているそうじゃないか。一体何を考えてるんだ?」
名前は苦虫を噛み潰したようなミランダの顔を不安げに見つめた。ルシウスの標的が自分に移った事に相当嫌気を感じているようだ。
「あの人が興味を持ってるのは私じゃなくて、私の家でしょう」
ミランダの態度は表向きには冷静そのものだったが、その心の奥底では怒りとも呼べる強い感情が湧き上がっているのだろうと、友人である名前には容易に想像できる様だった。
ルシウスは反論するように手を上げて何かを言いかけたが、その瞬間扉が音を立てて開き、マクゴナガル先生が一年生を連れて大広間へ入ってきた。名前は助かった、と胸を撫で下ろした。ルシウスもミランダも姿勢をただし、新入生の列に見入り始めた。在校生は皆おしゃべりをやめ、大広間はシンと静まり返っている。幼い新入生たちは全員顔に緊張と恐怖を浮かべながら、機械人形のようにギクシャクと歩いてきた。椅子に置かれたボロボロの帽子に気付くやいなや、彼らの目にはっきりと当惑の色が浮かんだ。
名前は一年前、自分があの椅子に座った時の事を思い出した。組分け帽子を見つめている内に、まるで入学の日にタイムスリップしたかのように、耳元で帽子が囁く声がした。
『 君の能力はそのままでも素晴らしいが、スリザリンであれば更なる飛躍を遂げられる。スリザリンには、そのきっかけがある…』
名前は幻聴を振り払うかのように、手の平を頬にぴたりと当てた。
一年間ホグワーツで過ごしてもなお、あの言葉の真意は理解出来ないままだった。唯一分かった事と言えば、自分が変身術に長けているという点だけだ。もしそれが帽子の意味した能力だとしても、スリザリンに何があるというのだろう。
変身術の上達と、スリザリン生である事の関連性は全く無いように感じられた。むしろ自分の性分に似合わない寮に入ったことで、名前はスリザリンそのものを避けるようになってしまったのだ。
談話室で過ごす時間を少しでも増やせば、変身術の腕前を上げるきっかけに出会えるんだろうか。今年は今まで避けてきたスリザリンに関する理解を深めるべきかもしれない。しかしサラザール・スリザリンの伝記にヒントがあるとは、到底思えない…。
周りの生徒が一斉に拍手する音で、名前はハッと我に返った。考えに夢中で、帽子が歌い終わった事に全く気付かなかった。名前は遅れて短い拍手をし、名簿が書かれた巻紙を広げるマクゴナガル先生を見た。
「ブラック・レギュラス!」
スリザリンとグリフィンドールのテーブルから同時にざわめきが起こった。名前を呼ばれた黒髪の男の子が誰の親族なのか、生徒たちにはすぐに分かった。名前は大きく身を乗り出したルシウスの肩越しに、グリフィンドールの席に座るシリウス・ブラックを見た。ブラックは兄弟の組分けには興味が無いとでも言うように、クールな笑みを浮かべている。その横のポッターは、ルシウスと同じくらい前のめりになってレギュラス・ブラックを見つめていた。
レギュラスは小柄で痩せていて、兄よりも大人しそうな顔つきの少年だった。彼はすっと背筋を伸ばし、凛とした表情で組分け帽子の待つ椅子へと向かった。兄とは何かが決定的に違う。名前の直感がそう耳打った。
そしてその勘は当たった。組分け帽子はレギュラスの髪に触れるやいなや、「スリザリン!」と叫んだのだ。スリザリンのテーブルからは歓声が上がり、ルシウスの大きな拍手が大広間に響いた。
かくして小さなレギュラス・ブラックが、青白い肌を紅潮させながらスリザリンのテーブルにやって来た。名前は初めての後輩にどきまぎしながら、その小綺麗な黒髪に目をやった。
「おめでとうレギュラス、監督生のルシウス・マルフォイだ」
ルシウスは隣に腰掛けたレギュラスの肩を親密そうに抱き、目をいっそうギラギラと輝かせた。
「もしかするとシシー…ナルシッサから、僕の事を聞いていたかな?」
「はい、もちろんです」
レギュラスは依然として顔を赤らめながらルシウスを見上げた。
「マルフォイ家の事はうちでよく話題になります。ルシウス、あなたに関しては特にシシーが話したがるので…」
それを聞いて、ルシウスが嬉しそうに笑った。初めて見るその表情への衝撃のあまり、名前とミランダは訝しげに目を見合わせた。しかし名前にとっては、このレギュラスの品の良さもかなり驚くべき要素だった。立ち振る舞いだけで言えば、シリウス・ブラックの弟とはとても思えない。違う家で育ったのだろうか。
「あなたのお兄さんって、シリウス・ブラックよね?」
間抜けな質問であることは百も承知な上で、名前は思わずレギュラスにたずねた。
「はい、そうです。ミス…」
「名前よ、名前・苗字」
レギュラスの礼儀正しい態度に名前は慌てて名乗った。まるで自分が先輩を通り越して先生になったような気分だ。
「初めまして、名前」
レギュラスは小さな白い手を名前に差し出した。名前は咄嗟にその手を握り返したが、動揺のあまり自分が汗ばんではいないかと不安になった。
「シリウスと同じ家で育ったのよね?」
そう聞きながら、名前はルシウスから小馬鹿にされるような気がして、彼をちらりと見た。しかし意外にもルシウスは黙ってレギュラスの返答を見守っていた。どうやら全員が同じ疑問を抱いているらしい。
「はい、兄弟なので…でも、僕は兄とは違います」
レギュラスは突然厳しい目つきで名前たちを見渡した。
「僕はシリウスと違って、純血である事に誇りを持っています。兄のようにマグルの世界に迎合したりはしません」
「素晴らしい!」
ますます気に入った、というようにルシウスがレギュラスの背中を叩いた。名前はあまりに堂々としたその宣言に面食らい、返す言葉を失ってしまった。ミランダは名前にだけ聞こえる大きさでため息をつき、レギュラスを見限るかのようにそっぽを向いた。ちょうど帽子が浅黒い肌の一年生をグリフィンドールに組分けしたところだった。
組分けの儀式は、傍観者側にまわった途端あっという間に終わってしまった。自分が当事者だった頃はあんなに長く感じられたのに。そう不思議に思いながら、名前は目の前の金の皿がご馳走で満たされるのを待った。
ダンブルドアの合図で現れた数々のご馳走には、さすがのレギュラスも目を丸くして、一年生らしい感動を味わったようだった。名前とセブルスの間には数えきれない量のチキンスペアリブが出現し、それを皿によそいながら、名前は偶然にもセブルスと初日の夕食を共に出来た事を嬉しく思った。
しかし楽しげな会話を繰り広げるのは至難の技だった。ミランダとセブルスが直接の会話を避けているのが名前には何ともやりづらかった。かと言ってミランダを放っておくわけにもいかない。ルシウスが僥倖とばかりに彼女の石に目を光らせている。
加えてルシウスがレギュラスと純血談義で盛り上がる度に、セブルスがコンプレックスに舌を奪われたかのように重い沈黙に包まれるのも、名前にとっては見るに耐えない出来事だった。セブルスを交えた念願の夕食のはずが、気付けば名前は早く終わってくれと願うのに必死だった。
その場の雰囲気を誤魔化すために、何度かぼちゃジュースを口に運んだか分からない。祝宴が終わり、各々が談話室に帰る中で、名前はミランダを引き連れて一階のトイレへと向かった。今年の一年生は全員ダメだ、とミランダが平然と文句をこぼすので、ローズは道行く生徒に聞かれやしないかとハラハラした。
一階のトイレには鏡の四隅に各寮のシンボルが散りばめられていた。名前は洗面台で手を洗いながら、右上に佇む蛇の絵を一瞥した。二人はトイレを出て、大半の生徒が過ぎ去った廊下を歩きながらスリザリン寮を目指し始めた。
「…ねえ、ミランダは自分がスリザリンになった理由って思い当たる?」
「どうして?」
歩きながら天井を仰いでいたミランダがぱっと振り返った。名前はトイレで見たシンボルを脳裏に浮かべながら話を続けた。
「レギュラスの話を聞いてたら、やっぱりスリザリンは純血主義の生徒が集まるところなんじゃないか、って気がして…。そう思うとミランダ、あなたは私と同じように純血主義を嫌ってるのに、何でスリザリンなんだろう」
「私がスリザリンの求める要素のかたまりだからじゃないの?」
予想外の答えに目をぱちくりさせる名前を見て、笑いながらミランダが言った。
「気付かなかった?自分で言うのも何だけど、臨機の才、狡猾さ、野心、自己防衛、器用さ、同胞愛…どれも私にしっくり来ると思わない?」
「ああ、まあ…うーん」
そう言われてみると、彼女の性格に近いところがあるかもしれない。名前は思わず唸った。
「でも、少なくとも純血主義ではないじゃない。私はそれがスリザリンの最大の特徴だと思ってるんだけど…」
「あのね、名前。実を言うと…」
サファイアブルーの瞳が名前をじっと捉え、二人は思わず立ち止まった。
「私は自分の家のために、家の方針に従ってるだけなの。家族から純血主義に気をつけろって言われてる…彼らが力をつけ始めたら、良くないことが起きるからって。逆に言えば、家が純血主義を掲げていた場合、私はそっちに傾倒するでしょうね」
名前はあっけにとらえてミランダを見た。親友に対して、自分の中にかなり大きな思い違いがあったことに初めて気付かされたのだ。ミランダが純血主義を嫌う理由は、純粋な正義感からだと思っていた…。
「それに私は家のために、さんざん友人を選んできたじゃない。スリザリンで一番差別意識が強いのは私かもしれないわ」
そう言ってミランダは再び歩き出した。歩みに従って、彼女の身につけた石がジャラジャラと音を立てる。名前は数歩遅れて友人を追いながら、なんと言っていいか分からないまま行く先を見つめていた。
「でも…不思議ね、それこそあなたの事だけど」
地下に続く階段に差し掛かった所でミランダが口を開いた。
「同胞意識はともかく…狡猾さとか野心とか、器用さとか、ほとんどあなたには当てはまらないわね、名前」
褒められたのかその逆なのか判断しかねる状況に、名前はあいまいな笑顔を浮かべた。
「うん…自分でもさっき、組分けの時に考えてたんだけど。やっぱり分からないな」
「今年はスリザリンに組分けされた原因を、本気で調べる必要があるかもしれないわね」
階段を下った先には、見慣れた薄暗い石壁の廊下が続いていた。揺らめく橙色の光がぼんやりと足元を照らしている。
「今更だけど」
スリザリン寮の談話室に近付いた頃、ミランダが名前にたずねた。
「あなたは純血なのよね?」
「うーん、実はよく分かんない」
名前は耳の裏を掻きながら、ありのままを打ち明けた。
「もちろん魔法界で育ったし、両親もホグワーツの出身だけど…純血かって言われると、違うかもしれない。スリザリンに入るまでそんなの気にした事なかったから…」
「まあ、最近はスリザリンの組分けも純血が絶対条件ってわけではなさそうね」
そう言ってミランダは突き当たりの石壁をコンコンと叩いた。
「あなたの好きな人だって、マグル生まれの半純血ですもんね」
「え?」
呆然と立ち尽くす名前をよそに、ミランダは寮の新しい合言葉を早口で唱え、石壁のドアをパッと開き中へ入っていった。名前は遅れまいとその後に続いたが、心臓がバクバクと音を立て始め、目の焦点が合わなくなっていた。まるで魔法薬の試験の時のようだ。いや、それよりも酷いかもしれない。
名前は口をぱくぱくさせながらミランダに何かを訴えようとしたが、ミランダはその様子をおかしそうに笑って、走り去るように寝室へと消えてしまった。
名前は人気の少ない談話室に一人残され、ほとんど放心状態で壁にかけられた鏡を見つめた。いつの間にそうなったのか、まったく自覚のないままに、名前の顔は真っ赤に染まっていた。
あたりはひっそりと静寂に包まれ、森フクロウが遠くで鳴く声が駅構内にこだました。新月の真っ暗な闇の中で、一筋のランタンの光が探るように線路を照らしている。
突如にして、その神秘的な静けさが破られる瞬間がやってきた。煙を上げた紅の汽車が大きな車輪を軋ませながら駅へと入ってきたのだ。汽車は夜風を身に纏いながら、ゆっくりと速度を落としていく。噴きつけられた蒸気を受けて、線路脇に佇んでいた枯葉がくるりと翻った。汽車が完全に停止するやいなや、小さなホグズミード駅は沢山の学生たちで溢れかえった。
ホームに降り立った名前・苗字は、涼しすぎる空気に思わず身震いした。あたりは懐かしい森の香りで溢れている。ホグワーツに戻ってきたのだ。名前は大きく息を吸い込み、嬉しさと新学期への期待から、また体を小さく震わせた。
名前の後に続いて、石のアクセサリーを無数に身につけた少女、ミランダ・フラメルが汽車から降りてきた。ウェーブのかかった長い黒髪をなびかせながら、ミランダは急かすように名前の背中を押して言った。
「早く馬車に乗りましょ。私、今年は組分けの儀式を近くで見たいの」
名前は「イッチ年生!」と叫ぶ大声の主を振り返りながら、ミランダの後を追った。森番のハグリッドについてボートに乗っていくのは一年生だけらしい。
名前は駅の外に並んだ数多の馬車に息を飲んだ。さぞ沢山の馬が繋がれているのだろうと、名前は馬車の列前方を覗き込んだ。しかし驚いたことに、そこには何もいない。魔法の力でひとりでに動くのだろうか。
上級生たちは慣れた光景だとでも言うように、次々と馬車に飛び乗っていく。馬が不在である事に誰もさして疑問を抱いていないようだ。しげしげと周りを眺める名前をよそに、ミランダは最前列に止まっている馬車の扉に手をかけた。名前は慌てて彼女を追い、馬なしの馬車に乗り込んだ。
名前が扉を閉めると、馬車が見えない何かにひかれるかのように動き出した。ガタゴトと大きい揺れが座席に響き、森の景色がさーっと流れていく。想像していたよりも速いスピードに驚いて、名前は思わず小窓の淵に手をかけた。
上り坂に差しかかった頃、名前たちの目の前に夢にまで見たホグワーツ城が見えてきた。いくつもの塔がぼんやりと浮かび上がるように、荘厳な佇まいでそびえ立っている。
一年生の頃、ボートで湖を渡った時とはまた違う見え方だ。名前は初めて見る城の光景を目に焼き付けようと窓から顔を出した。一年過ごしてもなお、ホグワーツは新鮮な驚きと未知の謎に溢れている。
馬車から降りた後、名前とミランダはせかせかと城の石段をのぼり、馴染み深い大広間へと足を踏み入れた。今日の大広間は一段と美しかった。何千という蝋燭が浮かび、頭上には数えきれないほど沢山の星が輝いている。
席についている生徒はまだごく僅かだった。ミランダはテーブルの奥へ奥へと進み、一年生が座る席のひとつ手前でやっと立ち止まった。
「それで、何でまた組分けにそんなに興味が出てきたの?」
在校生の席としては一番手前に位置するであろう場所に座りながら、名前は右隣に腰掛けたミランダにたずねた。
「あなたの事があってから、ちょっと思い直したの」
ミランダは乱れた髪を整えるように耳にかけて言った。
「もともとスリザリンには期待してなかったんだけど、あなたみたいな信頼できる生徒もいるって去年分かったから。今年もいるとすれば、早いうちに見極めた方がいいわ」
名前はミランダが察しの石を指にはめ直すように握る様を見て、なるほどと頷いた。彼女にとって信頼できる人物か否かは、ある程度近づくことで石が教えてくれるという。名前はその直感に選ばれた数少ないうちの一人だった。
名前は他のスリザリン生がちらほらと席に着き始めるのを気に留めつつ、他寮のテーブルをぼーっと眺めていた。グリフィンドールのテーブルでは、最前列におなじみのポッターたちが座っている。組分けの儀式にまで野次を飛ばすつもりなんだろうか。名前は彼らの子どもっぽい振る舞いに呆れながら、ポッターがブラックを執拗に肘でつつく理由を詮索していた。
ふと目の前に何者かが立ちはだかり、ポッターたちの姿が見えなくなった。「おや!」と頭上で響いたその声に、名前はハッとして顔を上げた。
「ミランダ!君がこんな目立つ位置に出てくるなんて、どういう風の吹き回しだ?」
ルシウス・マルフォイだった。灰色の瞳を丸くして、食い入るようにミランダを見つめている。
「組分けに興味があるだけよ」
嫌悪感をあからさまにしながらミランダが答えた。驚くほど冷たい声だ。
「組分けに興味?君が?」
ルシウスは遠慮する素振りも見せずに、どかっとミランダの目の前に座った。
「まあ何でもいい。君と話せるチャンスが新学期早々巡ってくるとは、思ってもみなかったねー…」
名前はミランダのために、話を逸らそうと口を開きかけた。しかしルシウスの背後についていた生徒の顔を見た途端、名前は顔いっぱいに笑みが広がるのをおさえきれなかった。
「セブルス!」
名前を見て軽く頷きながら、セブルスはルシウスの隣、名前の真向かいに腰を下ろした。キングス・クロス駅からずっと姿を探していた友人にようやく会え、名前の心は踊るようだった。
「ちょっと背が伸びたんじゃない?夏休みはどうだった?」
「まあまあ」
はしゃぐ名前の問いかけに、セブルスは去年よりも少し低くなった声で答えた。彼は気まずい表情でミランダを見てから、居心地が悪そうに何も無い壁のあたりを眺め始めた。
夏の間、名前はミランダとリリーとは手紙のやり取りをしていたものの、セブルスとは全く連絡を取っていなかった。彼が手紙を書くようなタイプでないのは明らかだったし、適当な返事をもらうくらいなら書かない方がマシだと思っていた。しかし晴れわたった日にはふと、遠いマグルの町でセブルスとリリーが一緒に過ごしている場面を想像し、羨望の混じった疎外感のような、もやもやした気持ちを抱えたものだった。
「夏休み中、リリーとは会った?」
「ああ、何回か」
セブルスの答えに、名前は不思議と胸に針が刺さったような痛みを覚えた。喉に重石がのしかかったような感覚がして、名前は慌てて口角を上げた。
「でも変な感じだったね、夏休みって」
自分でも説明がつかない気持ちの落ち込みに戸惑いながら、名前は会話を盛り上げようと再び彼に話を振った。
「せっかくたくさん魔法を使えるようになったのに、家に帰った途端何も出来ないなんて…私、変身術を家族に見せたかったのに。2年生の範囲を終わらせたって言っても、証明出来ないから、家族も半信半疑でさ」
「同感だな」
退屈そうに肘をつきながら、セブルスが頷いた。
「教科書をいくら読んだところで、実際にそれを試せなきゃ意味が無い。僕だってー…」
「そういえば名前」
セブルスの言葉を遮る勢いで、ルシウスが急に会話に割り込んできた。突然名前を呼ばれ、名前は驚いて彼を見た。
「君は変身術がえらく得意だそうじゃないか」
ルシウスは目をギラギラさせながら名前を見ている。まさかこの目が自分に向けられる日が来るとは、名前は思ってもいなかった。
「あ、はい、まあ、一応」
ルシウスの迫力に気圧されながら、名前はモゴモゴと答えた。
「セブルスから聞いたんですか?」
「いや、他のスリザリンから聞いた。まあ何にせよ、僕は監督生だからね。寮の得点を稼いでいる生徒には一目置いているよ」
ルシウスの言葉に、名前は「はあ」と生返事をした。変身術で寮の得点を稼いだのは事実だが、監督生に目をかけられるほどの点数でもない。入学したての頃は自分に無関心を貫いていたルシウスが、こうして積極的に話しかけてくるのは少々不気味だった。
「君たちの代は優秀な生徒が多そうだ。マルシベールも頑張っているようだし、セブルス、君は確実にスラグクラブに入れる。なんたって魔法薬が学年で一番なんだからな」
そう言ってルシウスはセブルスの背中を叩いた。セブルスは嬉しそうな、困ったような顔で彼を見た。それからルシウスは怪しく光る目で再び名前を捉えた。
「名前、君も変身術のレベルによってはスラグホーン先生のお気に入りになれるかもしれないぞ。あの人は基本的には、自分の教えている科目に秀でた生徒にしか興味を持たないが…あっと驚く変身術を身につけているともなれば別だ」
そう言って、ルシウスはずいと名前に顔を近づけた。
「どうなんだ?高度な変身術の練習に励んだりはしているのか?」
名前はミランダがルシウスを嫌厭する気持ちがよく分かった。まるで狙いを定めた獲物に食いつくかのように、彼の追及はとどまる所を知らなそうだ。
「まあ、そのうち」
ルシウスの質問に曖昧に答えながら、名前は動物もどきの事を思い出した。高度な変身術…かつてセブルスに見栄を張ったはいいものの、実際はどうしていいか分からないままに時ばかりが過ぎていた。
「期待しているよ」
ルシウスは満足そうに名前に笑いかけた。友好的というよりは、品定めをするような不敵な笑みだ。
「ところでミランダ、君はずっとスラグホーン先生の招待を断っているそうじゃないか。一体何を考えてるんだ?」
名前は苦虫を噛み潰したようなミランダの顔を不安げに見つめた。ルシウスの標的が自分に移った事に相当嫌気を感じているようだ。
「あの人が興味を持ってるのは私じゃなくて、私の家でしょう」
ミランダの態度は表向きには冷静そのものだったが、その心の奥底では怒りとも呼べる強い感情が湧き上がっているのだろうと、友人である名前には容易に想像できる様だった。
ルシウスは反論するように手を上げて何かを言いかけたが、その瞬間扉が音を立てて開き、マクゴナガル先生が一年生を連れて大広間へ入ってきた。名前は助かった、と胸を撫で下ろした。ルシウスもミランダも姿勢をただし、新入生の列に見入り始めた。在校生は皆おしゃべりをやめ、大広間はシンと静まり返っている。幼い新入生たちは全員顔に緊張と恐怖を浮かべながら、機械人形のようにギクシャクと歩いてきた。椅子に置かれたボロボロの帽子に気付くやいなや、彼らの目にはっきりと当惑の色が浮かんだ。
名前は一年前、自分があの椅子に座った時の事を思い出した。組分け帽子を見つめている内に、まるで入学の日にタイムスリップしたかのように、耳元で帽子が囁く声がした。
『 君の能力はそのままでも素晴らしいが、スリザリンであれば更なる飛躍を遂げられる。スリザリンには、そのきっかけがある…』
名前は幻聴を振り払うかのように、手の平を頬にぴたりと当てた。
一年間ホグワーツで過ごしてもなお、あの言葉の真意は理解出来ないままだった。唯一分かった事と言えば、自分が変身術に長けているという点だけだ。もしそれが帽子の意味した能力だとしても、スリザリンに何があるというのだろう。
変身術の上達と、スリザリン生である事の関連性は全く無いように感じられた。むしろ自分の性分に似合わない寮に入ったことで、名前はスリザリンそのものを避けるようになってしまったのだ。
談話室で過ごす時間を少しでも増やせば、変身術の腕前を上げるきっかけに出会えるんだろうか。今年は今まで避けてきたスリザリンに関する理解を深めるべきかもしれない。しかしサラザール・スリザリンの伝記にヒントがあるとは、到底思えない…。
周りの生徒が一斉に拍手する音で、名前はハッと我に返った。考えに夢中で、帽子が歌い終わった事に全く気付かなかった。名前は遅れて短い拍手をし、名簿が書かれた巻紙を広げるマクゴナガル先生を見た。
「ブラック・レギュラス!」
スリザリンとグリフィンドールのテーブルから同時にざわめきが起こった。名前を呼ばれた黒髪の男の子が誰の親族なのか、生徒たちにはすぐに分かった。名前は大きく身を乗り出したルシウスの肩越しに、グリフィンドールの席に座るシリウス・ブラックを見た。ブラックは兄弟の組分けには興味が無いとでも言うように、クールな笑みを浮かべている。その横のポッターは、ルシウスと同じくらい前のめりになってレギュラス・ブラックを見つめていた。
レギュラスは小柄で痩せていて、兄よりも大人しそうな顔つきの少年だった。彼はすっと背筋を伸ばし、凛とした表情で組分け帽子の待つ椅子へと向かった。兄とは何かが決定的に違う。名前の直感がそう耳打った。
そしてその勘は当たった。組分け帽子はレギュラスの髪に触れるやいなや、「スリザリン!」と叫んだのだ。スリザリンのテーブルからは歓声が上がり、ルシウスの大きな拍手が大広間に響いた。
かくして小さなレギュラス・ブラックが、青白い肌を紅潮させながらスリザリンのテーブルにやって来た。名前は初めての後輩にどきまぎしながら、その小綺麗な黒髪に目をやった。
「おめでとうレギュラス、監督生のルシウス・マルフォイだ」
ルシウスは隣に腰掛けたレギュラスの肩を親密そうに抱き、目をいっそうギラギラと輝かせた。
「もしかするとシシー…ナルシッサから、僕の事を聞いていたかな?」
「はい、もちろんです」
レギュラスは依然として顔を赤らめながらルシウスを見上げた。
「マルフォイ家の事はうちでよく話題になります。ルシウス、あなたに関しては特にシシーが話したがるので…」
それを聞いて、ルシウスが嬉しそうに笑った。初めて見るその表情への衝撃のあまり、名前とミランダは訝しげに目を見合わせた。しかし名前にとっては、このレギュラスの品の良さもかなり驚くべき要素だった。立ち振る舞いだけで言えば、シリウス・ブラックの弟とはとても思えない。違う家で育ったのだろうか。
「あなたのお兄さんって、シリウス・ブラックよね?」
間抜けな質問であることは百も承知な上で、名前は思わずレギュラスにたずねた。
「はい、そうです。ミス…」
「名前よ、名前・苗字」
レギュラスの礼儀正しい態度に名前は慌てて名乗った。まるで自分が先輩を通り越して先生になったような気分だ。
「初めまして、名前」
レギュラスは小さな白い手を名前に差し出した。名前は咄嗟にその手を握り返したが、動揺のあまり自分が汗ばんではいないかと不安になった。
「シリウスと同じ家で育ったのよね?」
そう聞きながら、名前はルシウスから小馬鹿にされるような気がして、彼をちらりと見た。しかし意外にもルシウスは黙ってレギュラスの返答を見守っていた。どうやら全員が同じ疑問を抱いているらしい。
「はい、兄弟なので…でも、僕は兄とは違います」
レギュラスは突然厳しい目つきで名前たちを見渡した。
「僕はシリウスと違って、純血である事に誇りを持っています。兄のようにマグルの世界に迎合したりはしません」
「素晴らしい!」
ますます気に入った、というようにルシウスがレギュラスの背中を叩いた。名前はあまりに堂々としたその宣言に面食らい、返す言葉を失ってしまった。ミランダは名前にだけ聞こえる大きさでため息をつき、レギュラスを見限るかのようにそっぽを向いた。ちょうど帽子が浅黒い肌の一年生をグリフィンドールに組分けしたところだった。
組分けの儀式は、傍観者側にまわった途端あっという間に終わってしまった。自分が当事者だった頃はあんなに長く感じられたのに。そう不思議に思いながら、名前は目の前の金の皿がご馳走で満たされるのを待った。
ダンブルドアの合図で現れた数々のご馳走には、さすがのレギュラスも目を丸くして、一年生らしい感動を味わったようだった。名前とセブルスの間には数えきれない量のチキンスペアリブが出現し、それを皿によそいながら、名前は偶然にもセブルスと初日の夕食を共に出来た事を嬉しく思った。
しかし楽しげな会話を繰り広げるのは至難の技だった。ミランダとセブルスが直接の会話を避けているのが名前には何ともやりづらかった。かと言ってミランダを放っておくわけにもいかない。ルシウスが僥倖とばかりに彼女の石に目を光らせている。
加えてルシウスがレギュラスと純血談義で盛り上がる度に、セブルスがコンプレックスに舌を奪われたかのように重い沈黙に包まれるのも、名前にとっては見るに耐えない出来事だった。セブルスを交えた念願の夕食のはずが、気付けば名前は早く終わってくれと願うのに必死だった。
その場の雰囲気を誤魔化すために、何度かぼちゃジュースを口に運んだか分からない。祝宴が終わり、各々が談話室に帰る中で、名前はミランダを引き連れて一階のトイレへと向かった。今年の一年生は全員ダメだ、とミランダが平然と文句をこぼすので、ローズは道行く生徒に聞かれやしないかとハラハラした。
一階のトイレには鏡の四隅に各寮のシンボルが散りばめられていた。名前は洗面台で手を洗いながら、右上に佇む蛇の絵を一瞥した。二人はトイレを出て、大半の生徒が過ぎ去った廊下を歩きながらスリザリン寮を目指し始めた。
「…ねえ、ミランダは自分がスリザリンになった理由って思い当たる?」
「どうして?」
歩きながら天井を仰いでいたミランダがぱっと振り返った。名前はトイレで見たシンボルを脳裏に浮かべながら話を続けた。
「レギュラスの話を聞いてたら、やっぱりスリザリンは純血主義の生徒が集まるところなんじゃないか、って気がして…。そう思うとミランダ、あなたは私と同じように純血主義を嫌ってるのに、何でスリザリンなんだろう」
「私がスリザリンの求める要素のかたまりだからじゃないの?」
予想外の答えに目をぱちくりさせる名前を見て、笑いながらミランダが言った。
「気付かなかった?自分で言うのも何だけど、臨機の才、狡猾さ、野心、自己防衛、器用さ、同胞愛…どれも私にしっくり来ると思わない?」
「ああ、まあ…うーん」
そう言われてみると、彼女の性格に近いところがあるかもしれない。名前は思わず唸った。
「でも、少なくとも純血主義ではないじゃない。私はそれがスリザリンの最大の特徴だと思ってるんだけど…」
「あのね、名前。実を言うと…」
サファイアブルーの瞳が名前をじっと捉え、二人は思わず立ち止まった。
「私は自分の家のために、家の方針に従ってるだけなの。家族から純血主義に気をつけろって言われてる…彼らが力をつけ始めたら、良くないことが起きるからって。逆に言えば、家が純血主義を掲げていた場合、私はそっちに傾倒するでしょうね」
名前はあっけにとらえてミランダを見た。親友に対して、自分の中にかなり大きな思い違いがあったことに初めて気付かされたのだ。ミランダが純血主義を嫌う理由は、純粋な正義感からだと思っていた…。
「それに私は家のために、さんざん友人を選んできたじゃない。スリザリンで一番差別意識が強いのは私かもしれないわ」
そう言ってミランダは再び歩き出した。歩みに従って、彼女の身につけた石がジャラジャラと音を立てる。名前は数歩遅れて友人を追いながら、なんと言っていいか分からないまま行く先を見つめていた。
「でも…不思議ね、それこそあなたの事だけど」
地下に続く階段に差し掛かった所でミランダが口を開いた。
「同胞意識はともかく…狡猾さとか野心とか、器用さとか、ほとんどあなたには当てはまらないわね、名前」
褒められたのかその逆なのか判断しかねる状況に、名前はあいまいな笑顔を浮かべた。
「うん…自分でもさっき、組分けの時に考えてたんだけど。やっぱり分からないな」
「今年はスリザリンに組分けされた原因を、本気で調べる必要があるかもしれないわね」
階段を下った先には、見慣れた薄暗い石壁の廊下が続いていた。揺らめく橙色の光がぼんやりと足元を照らしている。
「今更だけど」
スリザリン寮の談話室に近付いた頃、ミランダが名前にたずねた。
「あなたは純血なのよね?」
「うーん、実はよく分かんない」
名前は耳の裏を掻きながら、ありのままを打ち明けた。
「もちろん魔法界で育ったし、両親もホグワーツの出身だけど…純血かって言われると、違うかもしれない。スリザリンに入るまでそんなの気にした事なかったから…」
「まあ、最近はスリザリンの組分けも純血が絶対条件ってわけではなさそうね」
そう言ってミランダは突き当たりの石壁をコンコンと叩いた。
「あなたの好きな人だって、マグル生まれの半純血ですもんね」
「え?」
呆然と立ち尽くす名前をよそに、ミランダは寮の新しい合言葉を早口で唱え、石壁のドアをパッと開き中へ入っていった。名前は遅れまいとその後に続いたが、心臓がバクバクと音を立て始め、目の焦点が合わなくなっていた。まるで魔法薬の試験の時のようだ。いや、それよりも酷いかもしれない。
名前は口をぱくぱくさせながらミランダに何かを訴えようとしたが、ミランダはその様子をおかしそうに笑って、走り去るように寝室へと消えてしまった。
名前は人気の少ない談話室に一人残され、ほとんど放心状態で壁にかけられた鏡を見つめた。いつの間にそうなったのか、まったく自覚のないままに、名前の顔は真っ赤に染まっていた。