第一部
名前変換
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中庭を照りつける眩い日差しが、夏の訪れを告げるようにキラキラと光を放っている。6月のある土曜日、名前はセブルスとリリーに挟まれながら、庭の菩提樹の木陰で魔法薬の教科書を広げていた。
「じゃあ名前、忘れ薬の材料は?」
名前の手から教科書を取り上げて、リリーがにやりと笑みを浮かべて言った。
「えーと…忘却の川の水2滴、カノコソウの小枝2本……ヤドリギの実が…3つ…?」
「4つだ。まだ覚えてないのか」
指折り数える名前を横目に見ながら、セブルスが小馬鹿にするように笑った。
「君が毎朝飲んでるかぼちゃジュースは、実は忘れ薬なんじゃないか?」
期末試験のシーズンが到来し、名前の苦手とする魔法薬学の試験はいよいよ3日後に迫っていた。この一年で習った魔法薬のいずれか一種類が実技試験として課される事は事前に分かっている。そのどれが出題されても良いように、一年生は誰も彼も、今年習得した魔法薬の材料と作成手順を暗記するためブツブツと呟いていた。
「大丈夫よ、簡単な覚え方があるから」
そう言ってリリーが名前の肩をぽんと叩いた。
「忘却の水の2と、カノコソウの2を足して、ヤドリギが4って覚えるのよ!」
「はー、なるほど」
赤毛の友人のアイデアをノートに書き留めながら名前は頷いた。
「材料の順番を間違えないことを祈るばかりだけど…」
「それも簡単よ!」
リリーがまたしても得意げに続けた。
「まず、世界の始まりは水からって覚えるの。水がないと植物は生きられないでしょ?水があって初めて、そこにカノコソウが生えてくる。そして枝から…種類は違うけど、ヤドリギの実がなるのよ!」
「すごい!」
名前は目をしばたたかせながら、急いでノートに絵をメモした。
「水があって…木が生まれて…枝から実がなる、と…」
「本当にこのペースで続けるのか?日が暮れるぞ」
不安げな目つきでリリーと名前を交互に見渡しながらセブルスが言った。彼は手にした灰色の羽根ペンを羊皮紙レポートの上にスラスラと走らせているところだった。
「あと一時間もあれば覚えるよ!」
そう言い返しながら、名前は我ながら呆れた強がりだと思った。問題は材料よりも、作り方の手順を覚えることなのだ。忘れ薬に関しては特に難しい。どうか試験に出るのが忘れ薬ではありませんようにと祈りながら、名前はその作り方をそらんじようとリリーの顔を見た。
「リリー、今から私が作り方を言うから…間違った瞬間、ブーって言ってね」
「はいはい」
リリーは笑いながら魔法薬学の教科書を顔の前に掲げ、背表紙を名前に向けた。
「いくよ」
名前は深呼吸して、空に浮かぶ雲を見つめた。ゆったり流れるそれは、冬のあいだ貧相だったのが嘘のようにもくもくと大きく膨らんでいる。
「まず、忘却の川の水を2滴入れる」
「うんうん」
「20秒温める。…強火で」
リリーが「ブー!」と声をあげたと同時に、視線を羊皮紙に落としたままのセブルスが鼻で笑った。
「残念!弱火よ、名前」
教科書から顔をあげてリリーが目配せした。名前は悔しさに頭を後ろに倒し、流れゆく大きな雲を見た。
「君の大鍋があっという間に沸騰して爆発でもすれば見ものだな」
ニヤニヤと笑みを浮かべながらセブルスが言った。
「材料を入れて早々、蒸発させる気か?」
馬鹿にされたようで、それは名前にとっての大きなヒントだった。弱火で温めるという事は、川の水が気化するのを防ぎながら注意深く煎じるという意味だ。
「そっか、そっか…!さすがセブルス」
『蒸発させないために弱火』とノートに書き留めてから、名前はリリーに向きなおって次の手順を口にした。
「それから、カノコソウの小枝を2つ入れる」
「うんうん」
「そして、えーっと、3回!時計回りにかき混ぜる」
「本当は4回目に反時計回りを入れた方がいいんだ」
「えっ!?」
突然割り込んできたセブルスの発言に、名前は思わず振り返った。頭が一気に混乱してきてしまった。
「え、3回?4回?どっち?」
「いや、何でもない」
口を滑らせた事を後悔するように、セブルスは鬱陶しそうな目で名前を見た。
「ろくに覚えられない奴に言うことじゃなかった。忘れてくれ」
「そうなの?セブ」
不安になって教科書を確認する名前をよそに、リリーが問いかけた。
「ああ、うん。4回目に反時計回りを一度足すと、よりうまく反応する…僕がもう試した」
セブルスは照れるように、人差し指でこめかみあたりをポリポリとかいた。名前はそんなセブルスらしくない行動に眉根を寄せながら、教科書に『3回、時計回りにかき混ぜる 』とあるのを確認して、念じるようにその記述を繰り返し呟いた。
誰もが自身の成績に神経質になっているこの時期、友人が2人も勉強に付き合ってくれるというのは名前にとって幸運以外の何物でもなかった。それも2人にとっては、これ以上対策する必要のない得意科目だ。名前は貴重な時間を割いてくれるリリーとセブルスに感謝しながら、自分が何か返せるものはないかとやきもきしていた。三日前に変身術を教えようかとセブルスに持ちかけたものの、大して参考にならないと断られてしまったばかりなのだ。
3人での魔法薬の復習が終わったのは、それから2時間も経ってからの事だった。セブルスとリリーが魔法薬の複雑な工程談義に花を咲かせている最中に、ポッターとブラックが彼に下らない呪いを飛ばそうと近付いてきたのだ。そこでセブルスが聞いたこともない呪いを使ったり、加勢しようとした名前が反対呪文も知らぬままポッターの眼鏡を割ってしまったりと、寮の減点を受けるには十分すぎるほどの事件が起こった。おかげで名前の勉強への集中はぷっつりと途切れ、記憶力を呼び覚ますのにまた小一時間要する羽目になった。
日が暮れて城に引き返してからも、迫りくる数々の試験から逃れる事は出来なかった。名前たちは図書館で魔法史のノートを見返しながら、ビンズ先生の授業をちゃんと聞いておけば良かったと心から後悔した。幽霊の先生の消え入るような声では、どうしても眠気をこらえる事が出来なかったのである。これに関してはセブルスもリリーも同じだった。仕方なく3人は魔法史に関する書物を何冊か集め、ああだこうだと言いながら、一年生のうちに習った範囲を推測して本を読み返していく他なかった。
土日が終われば試験日が来てしまう焦燥感と、せっかくの晴れた週末を勉強に潰されてしまう絶望感。時間すらもその狭間で揺れ動いているかのようだった。机に向かっている間はひどくゆっくり時が流れているように感じるのに、夕食や談笑の一時はあっという間に過ぎ去ってしまう。試験に先だって、時計に魔法がかけられているのではないかと名前は思わずにいられなかった。
名前の憂鬱な気持ちとは裏腹に、火曜日の朝は雲ひとつない快晴だった。名前は味のしない朝食のあと、緊張でジリジリとすり減りそうな心を抱えて魔法薬学の試験へと向かった。
いつもの通りセブルスは名前より先に教室に着いていた。見慣れた光景だったが、机の配置だけがいつもと違った。通常授業で使う長机の代わりに一人用の机が一定の間隔を保って並べられている。名前はセブルスのすぐ横の席を選び、机の上に目白の大鍋を置いて、教科書を開き最後の復習をした。
こわばった顔の生徒たちとは対照的に、スラグホーン先生はニコニコと笑顔を浮かべながら教室に入ってきた。教壇にたどり着いた先生から出された試験の課題はなんと、あの忘れ薬だった。名前は思わず隣のセブルスと顔を見合わせた。
試験開始の合図とともに、生徒たちは一斉に調合に取りかかった。名前はリリーとセブルスの言葉を思い出しながら、忘却の川の水を2滴、大鍋に慎重に入れた。弱火で蒸発させないように…。
カノコソウの小枝を入れ、大鍋を時計回りにかき混ぜながら、名前はセブルスの言っていた「最後に反時計回りで混ぜる」方法を試してみたい衝動に駆られた。そして同時に、慣れない事はするもんじゃないと自制する声が心の中に響いた。練習ならまだしも、本番で初めての事を試すなんて。しかしセブルスは自身の考案に関して絶対の自信があるようだった。それにきっと、リリーはそうするだろうー。
結局名前は、3回の攪拌ののち反時計回りで動く自分の手を止めることが出来なかった。何か強い意志に導かれるように、気が付けば手が勝手に動いていたのだ。
一瞬ひどく濁った鍋を見て、名前は冷や汗が流れ出るのを感じた。スラグホーン先生の実演では見なかった色だ。名前は震える手で杖を振り、心臓が口から飛び出しそうになる感覚に苦しみながら、ヤドリギの実をすり鉢ですり潰す作業に移った。
この作業は練習の時から馴染み深いものだった。材料が何であれ、すりこぎを使う段階になると名前はいつもセブルスの方に欠片を飛び散らしてしまう。セブルスは怒りながらも毎回、どのようにすれば効率良く材料を潰せるかを教えてくれた。必死ですり鉢にすりこぎを擦り付ける生徒たちの中で、名前とセブルスだけは上から叩くように細かく実を砕いていった。
その後いくつかの過程を経て、ついにその時がきた。杖を正しく一振りすれば目の前の魔法薬は完成する。名前の周りからは既に成功したと思われる煙がいくつか上がっており、スラグホーン先生はそれらを満足そうな笑みで眺めていた。ちらと横に目をやると、セブルスの大鍋からはひときわ鮮やかな煙が高く上がっている。
タイミングを逃してはいけない。名前は早く杖を振らなければと思う一方で、その結果が恐ろしかった。初めての試みの末に現れた濁った液体、あれが頭から離れなかった。今や大鍋は雲のような気体に包まれ、その奥底が何色をしているのかは確認しようがない。杖を振ってはじめて、その魔法薬が成功したかどうかが分かるのだ。
名前は必死に願いを込めた。どうかうまくいっていますように。セブルスの言っていた事を正しく行えていますように。名前は深呼吸してから杖に渾身の力を込め、鍋の上で力強く振った。
煙が勢いよく立ち上り、名前は反射的に目を閉じた。大きな音がしないあたり爆発は免れたようだ。名前はうっすらと細目を開けながら、見たいようで見たくない煙の色を確かめた。
驚いたことに、それはセブルスの鍋から立ち上がる煙と全く同じ色をしていた。
名前は全身の力がどっと抜けると同時に、魔法薬においては未だかつて経験した事のなかった高揚感に包まれるのを感じた。顔を上げると、驚いて目を見開くスラグホーン先生と目が合った。先生は試験中の無言を貫きながらも、名前に向かって笑顔で大きく頷いた。名前はこの太った小柄の先生が初めて自分を認めてくれたという現実に嬉しさを隠しきれなかった。
何人かの悪態や悲鳴を乗せて、ベルが試験の終わりを告げた。大鍋をそのままにして退席するよう指示を受け、名前とセブルスは荷物をまとめて教室を出た。
「驚いたな」
薄く笑みを浮かべながら、セブルスが名前に言った。
「それじゃあ僕が教えたことは、君にとっても無駄にはならなかったってわけだ。しかしぶっつけ本番であれをやる奴がいるか?」
名前はハハっと笑った。これが失敗に終わっていた場合はそうはいかなかっただろうが、名前の心は清々しさに溢れていた。今ならどんな悪戯も許せるし、どんなつまらないジョークにも腹を抱えて笑える。
「セブルスを信じてたからね」
同じくプレッシャーから解放されて少し気楽そうなセブルスに向けて名前は言った。本当のことだ。彼への信頼から思い切った行動に出れたのだ。これが他の生徒の言う事だったら、試験で賭けに出るような馬鹿な真似はしなかっただろう。
「ああ、僕も自分の技量を信じてる」
真面目に褒められたものの、セブルスはリリーの時のように照れてこめかみをかいたりはしなかった。
「でも君の魔法薬の技量は信じてないし、君も自信が無かった。だろ?」
地下牢から階段を上りきると、眩しい初夏の日差しが二人の目に入り込んできた。もうすぐ夏休みがやって来るのだ。名前は約一年前、いよいよ始まるホグワーツでの生活に思いを馳せていた時の事をふと思い出した。
あの時はこんなにも充実した毎日が待っているとは想像もしなかった。もちろん辛いことも沢山あった。大きな怪我もした。未だに寮内では肩身が狭いし、大多数の生徒と違って自寮の談話室が何処よりも苦手だ。
名前は隣を歩くセブルスの揺れるローブに目をやりながら、今こうして彼と並んで歩いているなんて、入学の日の自分が聞いたらどんな顔をするだろうと想像して笑った。魔法薬学で偶然隣に座らなければ、彼と友人になる事は決して無かっただろう。
「私、あの時セブルスの隣に座って良かったな」
陽光に包まれた廊下を歩きながら、名前はひっそりと呟いた。
「何の話だ?」
セブルスの問いかけに、名前は驚いて顔を上げた。彼の事だ、てっきり自分の小さな声などは気にも留めていないだろうと思っていた。意外にもきちんと耳を傾けてくれていたことに名前は少し嬉しくなった。
「初めての魔法薬学の授業のこと」
名前はその日の光景を目にありありと思い浮かべた。
「パーキンソンのせいで遅れて教室に入ったの。座れる席がほとんど無かった中で、セブルスの隣がたまたま空いてたんだよね」
「それは気の毒に」
セブルスが冗談めかして言った。名前は彼の真っ黒な瞳を見つめながら、そのシニカルな言葉にくすっと笑った。
「でもあの時セブルスの隣に座らなかったら、仲良くなろうと思わなかったら、リリーとも知り会ってなかった。それどころか…」
名前はセブルスと友人にならなかった場合の未来を初めて想像して、その恐ろしさに身震いした。
「まだパーキンソンと一緒にいたかもしれないし…そうなるとミランダとも友達になれてなかったし…」
「魔法薬学の試験で落第するかもしれなかった?」
セブルスがふっと笑った。9か月前には想像もしなかった笑顔だ。
「うん」
名前は満面の笑みで大げさに頷いた。魔法薬学の試験での成功を抜きにしても、今日は記念すべき日だと思った。あの時をきっかけにして、全てが良い方向にまわり始めたという事実に今日気付くことが出来たのだ。
「ありがとう、セブルス」
「僕は何もしてない」
そう言いながら、セブルスは名前と共に大広間へ足を踏み入れた。二人で簡単に昼食をとり、薬草学の温室でリリーと落ち合う。今や日常となった火曜日のなんと素晴らしい事か。名前は幸せを噛み締めながら、真っ青に晴れ渡る大広間の天井を見上げた。
「じゃあ名前、忘れ薬の材料は?」
名前の手から教科書を取り上げて、リリーがにやりと笑みを浮かべて言った。
「えーと…忘却の川の水2滴、カノコソウの小枝2本……ヤドリギの実が…3つ…?」
「4つだ。まだ覚えてないのか」
指折り数える名前を横目に見ながら、セブルスが小馬鹿にするように笑った。
「君が毎朝飲んでるかぼちゃジュースは、実は忘れ薬なんじゃないか?」
期末試験のシーズンが到来し、名前の苦手とする魔法薬学の試験はいよいよ3日後に迫っていた。この一年で習った魔法薬のいずれか一種類が実技試験として課される事は事前に分かっている。そのどれが出題されても良いように、一年生は誰も彼も、今年習得した魔法薬の材料と作成手順を暗記するためブツブツと呟いていた。
「大丈夫よ、簡単な覚え方があるから」
そう言ってリリーが名前の肩をぽんと叩いた。
「忘却の水の2と、カノコソウの2を足して、ヤドリギが4って覚えるのよ!」
「はー、なるほど」
赤毛の友人のアイデアをノートに書き留めながら名前は頷いた。
「材料の順番を間違えないことを祈るばかりだけど…」
「それも簡単よ!」
リリーがまたしても得意げに続けた。
「まず、世界の始まりは水からって覚えるの。水がないと植物は生きられないでしょ?水があって初めて、そこにカノコソウが生えてくる。そして枝から…種類は違うけど、ヤドリギの実がなるのよ!」
「すごい!」
名前は目をしばたたかせながら、急いでノートに絵をメモした。
「水があって…木が生まれて…枝から実がなる、と…」
「本当にこのペースで続けるのか?日が暮れるぞ」
不安げな目つきでリリーと名前を交互に見渡しながらセブルスが言った。彼は手にした灰色の羽根ペンを羊皮紙レポートの上にスラスラと走らせているところだった。
「あと一時間もあれば覚えるよ!」
そう言い返しながら、名前は我ながら呆れた強がりだと思った。問題は材料よりも、作り方の手順を覚えることなのだ。忘れ薬に関しては特に難しい。どうか試験に出るのが忘れ薬ではありませんようにと祈りながら、名前はその作り方をそらんじようとリリーの顔を見た。
「リリー、今から私が作り方を言うから…間違った瞬間、ブーって言ってね」
「はいはい」
リリーは笑いながら魔法薬学の教科書を顔の前に掲げ、背表紙を名前に向けた。
「いくよ」
名前は深呼吸して、空に浮かぶ雲を見つめた。ゆったり流れるそれは、冬のあいだ貧相だったのが嘘のようにもくもくと大きく膨らんでいる。
「まず、忘却の川の水を2滴入れる」
「うんうん」
「20秒温める。…強火で」
リリーが「ブー!」と声をあげたと同時に、視線を羊皮紙に落としたままのセブルスが鼻で笑った。
「残念!弱火よ、名前」
教科書から顔をあげてリリーが目配せした。名前は悔しさに頭を後ろに倒し、流れゆく大きな雲を見た。
「君の大鍋があっという間に沸騰して爆発でもすれば見ものだな」
ニヤニヤと笑みを浮かべながらセブルスが言った。
「材料を入れて早々、蒸発させる気か?」
馬鹿にされたようで、それは名前にとっての大きなヒントだった。弱火で温めるという事は、川の水が気化するのを防ぎながら注意深く煎じるという意味だ。
「そっか、そっか…!さすがセブルス」
『蒸発させないために弱火』とノートに書き留めてから、名前はリリーに向きなおって次の手順を口にした。
「それから、カノコソウの小枝を2つ入れる」
「うんうん」
「そして、えーっと、3回!時計回りにかき混ぜる」
「本当は4回目に反時計回りを入れた方がいいんだ」
「えっ!?」
突然割り込んできたセブルスの発言に、名前は思わず振り返った。頭が一気に混乱してきてしまった。
「え、3回?4回?どっち?」
「いや、何でもない」
口を滑らせた事を後悔するように、セブルスは鬱陶しそうな目で名前を見た。
「ろくに覚えられない奴に言うことじゃなかった。忘れてくれ」
「そうなの?セブ」
不安になって教科書を確認する名前をよそに、リリーが問いかけた。
「ああ、うん。4回目に反時計回りを一度足すと、よりうまく反応する…僕がもう試した」
セブルスは照れるように、人差し指でこめかみあたりをポリポリとかいた。名前はそんなセブルスらしくない行動に眉根を寄せながら、教科書に『3回、時計回りにかき混ぜる 』とあるのを確認して、念じるようにその記述を繰り返し呟いた。
誰もが自身の成績に神経質になっているこの時期、友人が2人も勉強に付き合ってくれるというのは名前にとって幸運以外の何物でもなかった。それも2人にとっては、これ以上対策する必要のない得意科目だ。名前は貴重な時間を割いてくれるリリーとセブルスに感謝しながら、自分が何か返せるものはないかとやきもきしていた。三日前に変身術を教えようかとセブルスに持ちかけたものの、大して参考にならないと断られてしまったばかりなのだ。
3人での魔法薬の復習が終わったのは、それから2時間も経ってからの事だった。セブルスとリリーが魔法薬の複雑な工程談義に花を咲かせている最中に、ポッターとブラックが彼に下らない呪いを飛ばそうと近付いてきたのだ。そこでセブルスが聞いたこともない呪いを使ったり、加勢しようとした名前が反対呪文も知らぬままポッターの眼鏡を割ってしまったりと、寮の減点を受けるには十分すぎるほどの事件が起こった。おかげで名前の勉強への集中はぷっつりと途切れ、記憶力を呼び覚ますのにまた小一時間要する羽目になった。
日が暮れて城に引き返してからも、迫りくる数々の試験から逃れる事は出来なかった。名前たちは図書館で魔法史のノートを見返しながら、ビンズ先生の授業をちゃんと聞いておけば良かったと心から後悔した。幽霊の先生の消え入るような声では、どうしても眠気をこらえる事が出来なかったのである。これに関してはセブルスもリリーも同じだった。仕方なく3人は魔法史に関する書物を何冊か集め、ああだこうだと言いながら、一年生のうちに習った範囲を推測して本を読み返していく他なかった。
土日が終われば試験日が来てしまう焦燥感と、せっかくの晴れた週末を勉強に潰されてしまう絶望感。時間すらもその狭間で揺れ動いているかのようだった。机に向かっている間はひどくゆっくり時が流れているように感じるのに、夕食や談笑の一時はあっという間に過ぎ去ってしまう。試験に先だって、時計に魔法がかけられているのではないかと名前は思わずにいられなかった。
名前の憂鬱な気持ちとは裏腹に、火曜日の朝は雲ひとつない快晴だった。名前は味のしない朝食のあと、緊張でジリジリとすり減りそうな心を抱えて魔法薬学の試験へと向かった。
いつもの通りセブルスは名前より先に教室に着いていた。見慣れた光景だったが、机の配置だけがいつもと違った。通常授業で使う長机の代わりに一人用の机が一定の間隔を保って並べられている。名前はセブルスのすぐ横の席を選び、机の上に目白の大鍋を置いて、教科書を開き最後の復習をした。
こわばった顔の生徒たちとは対照的に、スラグホーン先生はニコニコと笑顔を浮かべながら教室に入ってきた。教壇にたどり着いた先生から出された試験の課題はなんと、あの忘れ薬だった。名前は思わず隣のセブルスと顔を見合わせた。
試験開始の合図とともに、生徒たちは一斉に調合に取りかかった。名前はリリーとセブルスの言葉を思い出しながら、忘却の川の水を2滴、大鍋に慎重に入れた。弱火で蒸発させないように…。
カノコソウの小枝を入れ、大鍋を時計回りにかき混ぜながら、名前はセブルスの言っていた「最後に反時計回りで混ぜる」方法を試してみたい衝動に駆られた。そして同時に、慣れない事はするもんじゃないと自制する声が心の中に響いた。練習ならまだしも、本番で初めての事を試すなんて。しかしセブルスは自身の考案に関して絶対の自信があるようだった。それにきっと、リリーはそうするだろうー。
結局名前は、3回の攪拌ののち反時計回りで動く自分の手を止めることが出来なかった。何か強い意志に導かれるように、気が付けば手が勝手に動いていたのだ。
一瞬ひどく濁った鍋を見て、名前は冷や汗が流れ出るのを感じた。スラグホーン先生の実演では見なかった色だ。名前は震える手で杖を振り、心臓が口から飛び出しそうになる感覚に苦しみながら、ヤドリギの実をすり鉢ですり潰す作業に移った。
この作業は練習の時から馴染み深いものだった。材料が何であれ、すりこぎを使う段階になると名前はいつもセブルスの方に欠片を飛び散らしてしまう。セブルスは怒りながらも毎回、どのようにすれば効率良く材料を潰せるかを教えてくれた。必死ですり鉢にすりこぎを擦り付ける生徒たちの中で、名前とセブルスだけは上から叩くように細かく実を砕いていった。
その後いくつかの過程を経て、ついにその時がきた。杖を正しく一振りすれば目の前の魔法薬は完成する。名前の周りからは既に成功したと思われる煙がいくつか上がっており、スラグホーン先生はそれらを満足そうな笑みで眺めていた。ちらと横に目をやると、セブルスの大鍋からはひときわ鮮やかな煙が高く上がっている。
タイミングを逃してはいけない。名前は早く杖を振らなければと思う一方で、その結果が恐ろしかった。初めての試みの末に現れた濁った液体、あれが頭から離れなかった。今や大鍋は雲のような気体に包まれ、その奥底が何色をしているのかは確認しようがない。杖を振ってはじめて、その魔法薬が成功したかどうかが分かるのだ。
名前は必死に願いを込めた。どうかうまくいっていますように。セブルスの言っていた事を正しく行えていますように。名前は深呼吸してから杖に渾身の力を込め、鍋の上で力強く振った。
煙が勢いよく立ち上り、名前は反射的に目を閉じた。大きな音がしないあたり爆発は免れたようだ。名前はうっすらと細目を開けながら、見たいようで見たくない煙の色を確かめた。
驚いたことに、それはセブルスの鍋から立ち上がる煙と全く同じ色をしていた。
名前は全身の力がどっと抜けると同時に、魔法薬においては未だかつて経験した事のなかった高揚感に包まれるのを感じた。顔を上げると、驚いて目を見開くスラグホーン先生と目が合った。先生は試験中の無言を貫きながらも、名前に向かって笑顔で大きく頷いた。名前はこの太った小柄の先生が初めて自分を認めてくれたという現実に嬉しさを隠しきれなかった。
何人かの悪態や悲鳴を乗せて、ベルが試験の終わりを告げた。大鍋をそのままにして退席するよう指示を受け、名前とセブルスは荷物をまとめて教室を出た。
「驚いたな」
薄く笑みを浮かべながら、セブルスが名前に言った。
「それじゃあ僕が教えたことは、君にとっても無駄にはならなかったってわけだ。しかしぶっつけ本番であれをやる奴がいるか?」
名前はハハっと笑った。これが失敗に終わっていた場合はそうはいかなかっただろうが、名前の心は清々しさに溢れていた。今ならどんな悪戯も許せるし、どんなつまらないジョークにも腹を抱えて笑える。
「セブルスを信じてたからね」
同じくプレッシャーから解放されて少し気楽そうなセブルスに向けて名前は言った。本当のことだ。彼への信頼から思い切った行動に出れたのだ。これが他の生徒の言う事だったら、試験で賭けに出るような馬鹿な真似はしなかっただろう。
「ああ、僕も自分の技量を信じてる」
真面目に褒められたものの、セブルスはリリーの時のように照れてこめかみをかいたりはしなかった。
「でも君の魔法薬の技量は信じてないし、君も自信が無かった。だろ?」
地下牢から階段を上りきると、眩しい初夏の日差しが二人の目に入り込んできた。もうすぐ夏休みがやって来るのだ。名前は約一年前、いよいよ始まるホグワーツでの生活に思いを馳せていた時の事をふと思い出した。
あの時はこんなにも充実した毎日が待っているとは想像もしなかった。もちろん辛いことも沢山あった。大きな怪我もした。未だに寮内では肩身が狭いし、大多数の生徒と違って自寮の談話室が何処よりも苦手だ。
名前は隣を歩くセブルスの揺れるローブに目をやりながら、今こうして彼と並んで歩いているなんて、入学の日の自分が聞いたらどんな顔をするだろうと想像して笑った。魔法薬学で偶然隣に座らなければ、彼と友人になる事は決して無かっただろう。
「私、あの時セブルスの隣に座って良かったな」
陽光に包まれた廊下を歩きながら、名前はひっそりと呟いた。
「何の話だ?」
セブルスの問いかけに、名前は驚いて顔を上げた。彼の事だ、てっきり自分の小さな声などは気にも留めていないだろうと思っていた。意外にもきちんと耳を傾けてくれていたことに名前は少し嬉しくなった。
「初めての魔法薬学の授業のこと」
名前はその日の光景を目にありありと思い浮かべた。
「パーキンソンのせいで遅れて教室に入ったの。座れる席がほとんど無かった中で、セブルスの隣がたまたま空いてたんだよね」
「それは気の毒に」
セブルスが冗談めかして言った。名前は彼の真っ黒な瞳を見つめながら、そのシニカルな言葉にくすっと笑った。
「でもあの時セブルスの隣に座らなかったら、仲良くなろうと思わなかったら、リリーとも知り会ってなかった。それどころか…」
名前はセブルスと友人にならなかった場合の未来を初めて想像して、その恐ろしさに身震いした。
「まだパーキンソンと一緒にいたかもしれないし…そうなるとミランダとも友達になれてなかったし…」
「魔法薬学の試験で落第するかもしれなかった?」
セブルスがふっと笑った。9か月前には想像もしなかった笑顔だ。
「うん」
名前は満面の笑みで大げさに頷いた。魔法薬学の試験での成功を抜きにしても、今日は記念すべき日だと思った。あの時をきっかけにして、全てが良い方向にまわり始めたという事実に今日気付くことが出来たのだ。
「ありがとう、セブルス」
「僕は何もしてない」
そう言いながら、セブルスは名前と共に大広間へ足を踏み入れた。二人で簡単に昼食をとり、薬草学の温室でリリーと落ち合う。今や日常となった火曜日のなんと素晴らしい事か。名前は幸せを噛み締めながら、真っ青に晴れ渡る大広間の天井を見上げた。