第一部
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戻ってきた気配消しの石を右手にしっかりとはめて、名前は緑のカーテンが仕切られたベッドで夢を見ていた。
どこかの教室だ。生徒たちがけたたましくおしゃべりをしている。きっと休み時間に違いない。
その場で一番大きな声を出して笑っているのは、あのジェームズ・ポッターだ。そして彼の席から2つ挟んだところに、セブルスが座っている。
セブルスは一人で机に向かい、必死でノートに何かを書き込んでいた。名前はセブルスの隣に座ろうと彼の元へ向かった。木目調の、薄茶色の椅子に腰掛けようとした。しかし椅子に手をかけようとしたその時、どこからともなく、誰のものでもない声が名前の頭の中で響いた。
"そこはリリーの席だ"
そうだ、これはリリーの席だ。名前は椅子に伸ばしかけた手をゆっくり離し、そのひとつ隣の席に座った。
名前の右隣ではポッターが友人の話に大笑いしている。セブルスは名前の存在に気付いていないようだった。彼は依然として夢中でペンを走らせ、周りをちらと見ようともしない。
名前はぽっかり空いた座席越しに、セブルスをじっと見つめていた。ふと、名前はリリーの席をとっぱらってしまいたい衝動に駆られた。自分がそこに座りたい。そう名前は強く思った。セブルスに話しかけたい。手元を止めて自分を見てほしい。
リリーが姿を現す気配は一向になかった。それならば、自分がそこに座ってもいいではないか。セブルスの隣に座るのは自分だー。
席を立ち上がろうとしたその瞬間、名前はハッと目を覚ました。医務室とは違う見慣れた景色に、名前は今度こそ朝が来たのだと理解した。
とてもはっきりした夢を見ていた。椅子を握りしめた触感が手にありありと残っている。
名前は冬用のローブに着替えながら、夢の中で抱いたザワついた気持ちを反芻していた。不思議な感情だった。しかし部屋の冷えた空気が次第に夢うつつの状態を覚ましていき、太陽の石をはめる頃には、名前の思考は夢から完全に離れていった。
寝室を後にした時、名前は初めて今日が土曜日である事を思い出した。談話室はがらんとしており、朝食へ向かう生徒たちの数はまばらだ。しかしミランダは平日と同じように、名前が暖炉の縁に背をもたれかけたぴったりのタイミングで談話室に現れた。
「おはよう」
いつも通り、ミランダは首にかかった石をジャラジャラと鳴らしながら名前に近付いてきた。
「もう怪我は大丈夫?」
そう聞かれて、名前は左肩を元気よく回してみせた。昨日骨を粉砕した事が嘘のように、体には何の支障も感じられない。
「そういえばありがとう、ハロウィンのお菓子あんなにたくさん…」
談話室の石扉を抜けながら、名前はミランダに昨日の礼を言った。今朝改めて、枕元に置かれた巨大なシーツ袋にぎょっとしたのだった。セブルスに分けてもなお、この冬いっぱいはもちそうな量だ。
「いえいえ。あれくらいしか持ってこれなくて残念だったけど」
ミランダは名前が石を無くしかけた事については全く知らないようだった。彼女はゆったりとした表情で、ぼんやり前を見つめている。
「リリー・エバンズと話したわ。彼女はいい子ね」
ミランダの口からリリーへの良い印象が語られたことを名前は嬉しく思った。二人は友達になったんだろうか。名前はマダム・ポンフリーの言葉をふと思い出した。
「あのお菓子、リリーと一緒に届けてくれたの?」
「そうよ」
名前の問いかけにミランダが柔らかく答えた。
「あの子は誰にでも好かれる子ね…人の美点を見抜く力があるわ。友人作りをさして望まない子も、あの子の前では心を開かざるを得ないでしょうね」
そうミランダは自嘲気味に言ったが、名前は真っ先にセブルスの顔を思い浮かべてしまった。入学式での、殻に閉じこもるような彼の様子を思い出したのだ。
「そうだね…リリーの事を嫌いな人はいないと思う。純血主義の勘違いグループ以外は」
小さく呟きながら、名前はリリーを再び羨ましく思った。あの親しみやすさ、屈託のなさは天性のものなのだろう。たとえリリーの行動を全て真似たとしても、本物に近付くことは出来ない気がした。
リリーはとてつもなくラッキーな少女だ。マグルに生まれながらも魔力に目覚め、可愛らしい容姿を持ち、誰からも愛される性格に育った完璧な女の子ー。そんな友人を誇らしく思うと同時に、ローズは心に小さな針がチクリと刺さったような感覚を覚えた。
ハロウィンが終わると、ホグワーツでの時間は矢のように過ぎ去った。窓の外を舞い散る雪の数は日に日に増し、12月に入る頃には城全体が真っ白に包まれた。校庭に降り積もった雪は生徒たちの足首から下をすっぽり隠し、一歩踏み出すごとに靴の中に冷たい塊が入り込んできた。
クリスマス休暇を迎える頃には、名前はとうとう変身術の一年生の範囲を終えてしまった。組分け帽子が言った自分の才能とは、もう変身術以外疑いようがないと名前は気付いていた。しかしミランダの石が関係ないと分かった今、スリザリンである必要がどこにあったのか。どこの寮でも受ける授業は同じだ。結局その疑問が晴れることなく、名前は皆と汽車に乗り、しばしの間ホグワーツを後にした。
クリスマス休暇は素朴ながらも素晴らしいものだった。クリスマスの朝、名前の元には家族とは別に二つの贈り物が届いた。ひとつはミランダから、そしてもうひとつはリリーとセブルスからだった。ミランダからのプレゼントであるエメラルドの豪華な羽根ペンを片手に持ちながら、名前はマグルの家に帰った友人からの小包を開いた。雪のように美しい、白銀のヘアリボンだ。セブルスが包に名前を連ねただけなのは一目瞭然だったが、それでも名前は嬉しかった。そして同時に自分が3人に贈ったプレゼントがそれぞれの好みにあっただろうか、と思考をめぐらせた。
セブルスには小型の魔法薬キットを贈った。熱心な彼の事だから、もう持っているかもしれない。しかし消耗品はいくらあってもいいはずだー。気付けば名前はミランダやリリーの反応よりも、セブルスが自分の贈り物をどう思ったかについて長く考え込んでいた。
年が明けてホグワーツに戻ると、クリスマスの装飾はひとつ残らず片付けられ、またいつもの大広間と談話室が待っていた。10日ぶりにホグワーツでの朝食を楽しんでから、名前は魔法薬学の授業へと向かった。
「クリスマスプレゼント、ありがとう!」
クラスの誰よりも早く席についていたであろうセブルスの隣に腰掛け、名前は休み明け最初の挨拶をした。
「私が贈ったのは気に入ってくれた?」
「期待してたより良かった」
開いていた教科書から少しだけ顔を上げて、セブルスが言った。彼が覗き込んでいるのは名前が見た事もない教科書だ。上級生向けのものらしい。
「その教科書、買ったの?」
複雑な記述を理解するセブルスに感心しながら、名前はたずねた。
「ルシウスのだ」
そう言われてページに目をやると、なるほど確かに多少使用感があるようだ。名前は口を半開きにしたまま、小難しそうな教科書をぼんやりと眺めた。そんな友人の様子を見て、セブルスはいつもの薄ら笑いを浮かべて言った。
「アホ面してる場合じゃないぞ。君だってそのうち新しい変身術の教科書が必要になるだろ?」
セブルスの言葉に名前はハッと口をつぐんだ。教科書の事など考えてもみなかった。
「そういうことー…ああ、でも二年生は今と同じ初級変身術を使うんだよ」
「随分と控えめな性格じゃないか」
嫌味ったらしい冗談を口にしながら、セブルスが鼻で笑った。
「3ヶ月で一年生の範囲を終えてしまったんだから、二年生の章を終わらすのもそう時間はかからないだろう」
「どうだろうね…二年生のほうが難しくなるわけだし…」
そう答えながら、名前はハロウィンの前日、二年生の最初の課題であるコガネムシの変身を容易くやってのけた事を思い出していた。セブルスの言う通り、中級向けの教科書を手に入れても良い頃かもしれない。自惚れるつもりはないが、遅かれ早かれ必要になるはずだー。
年明け最初の魔法薬学の授業はお世辞にも順調とは言えなかった。セブルスの大鍋から見事な紫色の煙が立ち上がったまさにその瞬間、名前はどういうわけか自分の大鍋に入っていた液体を全て蒸発させてしまった。困惑するローズの隣で、セブルスは理解できないと言わんばかりに呆れた表情を浮かべ、最後の調合に取り掛かった。
もう残りの時間は15分と無い。ここからまた材料を入れて一から始め直すなんてとても不可能だ。名前は仕方なく評価を諦め、散らかった机の上を掃除し始めた。
それから間もなくしてセブルスは見事な魔法薬を煎じ終え、見回りに来たスラグホーンが彼を大いに褒めた。名前は空っぽになった自分の大鍋を見つめながら、いずれセブルスもルシウスの言っていたスラグ・クラブとやらに入るのだろうと考えていた。
「相変わらず素晴らしいね」
セブルスが完璧に煎じた魔法薬を瓶に詰めるのを横目に見ながら、名前は呟いた。
「魔法薬に関しては、セブルスがきっと学年で一番だろうね」
「さあ、どうだか」
そう言いながら、セブルスは瓶の栓をきつく締めて一振りした。
「リリーも魔法薬に対して抜群にセンスがあるらしい。学年で一位を争うなら、彼女か僕だろうな…」
そう語るセブルスはどこか嬉しそうで、名前は僅かながらに疎外感を抱いた。セブルスとリリーが楽しそうに魔法薬の話をする傍で、自分がぽつんと取り残される様が容易に想像できたのだ。名前は浮かない顔で鍋底を見つめながら、空っぽの大鍋を恨めしく思った。
それから3週間後、名前は中級変身術の教科書を取り寄せるため、フローリシュ・アンド・ブロッツ書店へフクロウ便を出した。セブルスの言った通りだった。コガネムシを一瞬でボタンに変身させただけでなく、名前はヤマアラシを針山に変えるのも、対象物をスポンジのように柔らかくしてしまう呪文も、あっという間に習得してしまったのである。今や名前はミランダよりも変身術の二年次章を進めていて、教科書の残りページはごく僅かとなっていた。
このままのペースで変身術を身に付けられれば、動物もどきにも手が届くだろうか。名前はセブルスとの約束を忘れてはいなかった。在学中に動物もどきになれば、自分の才能についてセブルスが認めてくれる。あの口論の時とは違い、今やセブルスも自分の能力を一部承服してくれている事は分かっていた。しかしリリーの魔法薬に対する腕前を嬉しそうに語るセブルスを見て、やはり自分も彼をあっと言わせたいと、そう強く願い始めたのだ。
しかし冬の厳しさが和らぎ始めた頃、セブルスに関して今までよりも更に不穏な噂が流れるようになった。セブルスが七年生よりも多くの呪いを知っていると吹聴したのは誰なのか、名前には知る由もなかったが、ほとんどの生徒がそれを信じ込んでいるようだった。
名前もリリーも彼を妬む者の悪い冗談だと捉え本気にはしなかったが、当のセブルスは噂を否定せず、むしろ楽しんでいる素振りさえ見せた。実際彼は新しく覚えた呪いをポッターやブラックに面と向かってかけており、ミランダが露骨に彼を避けるようになった事からも、名前は次第に噂が本当なのではないかと不安が募り始めた。
スリザリン寮内でも少しずつセブルスへの評価が変わってきたようだった。
名前を箒から叩き落とす事で勝利を収めたはずのパーキンソンだったが、名前がセブルスの隣にいる時は目もくれず、どこか恐れを抱いているような様子を見せた。そして名前が最も驚いたのは、セブルスに話し掛ける一年生が現れた事だった。あわよくば自分も数多の呪いを習得したいと考えているのだろう。名前はそういったスリザリン生を嫌悪しながら、セブルスが自分とリリー以上の友人を作る可能性があることに複雑な思いを抱いていた。
そんな名前の曇りがかった心とは対照的に、2月の第2月曜日、ホグワーツは城全体がキューピッドの巣窟になったかのような空気に満ち溢れていた。朝食の大広間で仲睦まじく隣合う上級生の男女を見て、名前は初めて今日が何の日かに気付いた。バレンタインデーだ。
「驚いた。こんなにカップルがいたなんて…」
そう呟いた名前の視線の先では、ルシウスとナルシッサ・ブラックが身を寄せ合いながらトーストにジャムを塗っている。名前は反射的にセブルスの姿を探した。そしていつも通り一人で本を携えながら朝食をとる彼を見て、不思議とほっとした気持ちになった。
「今日のために急ぎで間に合わせた人も多いでしょうよ」
自分には全く無関係と言わんばかりに、ミランダは冷めた表情で茹でポテトを皿によそっていた。
「まあ、あなたにも私にも恋というものはまだ早いわね」
それを聞いて名前はぷぷっと吹き出した。ミランダの口から恋なんて言葉が出るとは。一体どんな人であればミランダを夢中にさせる事が出来るのだろう。名前は自分のミステリアスな友人に関して、全てを理解しているとはまだ言い難かった。
テーブルのあちこちで見つめ合う恋人たちとは打って変わって、名前の頭の中は薬草学の宿題についてでいっぱいだった。満月の日に、城の敷地から満月草を詰んでくること。これがスプラウト先生が前回の授業で出した課題だった。そして2月の満月は今日、バレンタインデーにあたる。スプラウト先生は去年も同じ課題を出したようで、満月草がどこに生えているかはミランダが事前に教えてくれた。
夕方の闇の魔術に対する防衛術が終わった後、スリザリンの一年生たちはこぞって満月草の採集に向かった。しかし皆が目指す方向と名前がミランダから聞いた場所は異なるようで、玄関ホールに着いてから名前は他の生徒と真逆の方面へと進むことになった。セブルスも名前とは別の、大多数が向かう方を選んだので、名前は薄暗い校庭に一人放り出される形になった。
ミランダから示された場所に向かいながら、名前はざわざわと胸に波が押し寄せるのを感じた。もしかすると、満月草の栽培場所は変わったのかもしれない。去年と同じ場所にそれが生えているとは限らないのだ。他の皆は温室かどこかに行って、仲間と協力しながらそれらしい草を必死に探すのだろう。
同級生たちと奪い合いにならない、格好の場所があるー。そうミランダは言ったが、毎年そうとは限らないのではないか。人の気配がない湿った道を歩き、湖の暗い水面を目指しながら、段々と不安が名前の心に重くのしかかってきた。
しかし湖のほとりの大きなシダの葉を掻き分けた途端、名前はその全てが杞憂であったと分かった。
しんと静まりかえった木々の中、目の前には地面いっぱいに満月草が生い茂っていた。人が足を踏み入れた形跡は殆どない。その少し先に目をやると、湖に金色の満月が反射して、あたりを明るく照らしている。名前はその明かりを頼りにゆっくりと足を踏み入れ、満月草をひとつ失敬することにした。
驚いたことに、月の光は満月草の葉にも反射しているように見えた。とても美しい。そしてふと、名前は年上の友人がここに一人佇む姿を思い浮かべた。
ミランダはどうしてこの場所を知っていたのだろう。ホグワーツの一年次を一人で過ごす中で、たまたま見つけたのだろうか。8階の部屋といい、この幻想的な満月草の広場といい、ミランダは二年生にしてはあまりに多くの場所を知っている。名前は自分と同い年だった頃のミランダがいかに孤独だったかに思いを馳せ、お礼として持ち帰ろうと、彼女の分の満月草を丁寧に詰んだ。
城へ戻るとちょうど夕食の時間だった。ミランダはいつもの席について名前を待っていた。スリザリンだけでなく、全ての寮の一年生が満月草探しに出払っているらしい。大広間のテーブルにはいつもより空席が目立った。
「どうやら他の子たちはまだ必死に探してるみたいね」
ミランダは余裕たっぷりの表情で、乾杯するようにグラスを傾けた。
「私の言った通りだったでしょう?」
名前は感謝の意を込めて、ソースがたっぷりかかったポークチョップをミランダの皿によそってあげた。戻ってきている一年生は、あたりを見回す限り自分と、喧嘩が強そうな大柄の男子だけだ。
「ミランダにもお礼でひとつ持ってきたよ!」
そう言って、名前はポケットからキラキラ輝く満月草を取り出した。まるで月の光を吸収したかのような美しさを放っている。
「あら、ありがとう」
ミランダはにっこりと笑って言った。
「でも名前、それはあなたが持っていた方がいいような気がするわ。急に必要になる事があるかも」
「そうかな?」
輝く小さな葉を見つめながら名前は首を傾げた。しかしミランダが察しの石をつけている限り、その忠告には従った方がいい。名前にはそれがよく分かっていた。確かに途中でなくしてしまうかもしれないし、明日の授業までに枯れてしまう可能性がゼロとは言えない。
名前は手にした満月草を大事にポケットにしまって、食事に向き直った。今夜の食事は心無しか甘いものが多いような気がした。
夕食後、ミランダは深夜の天文学の授業まで仮眠するからと早々に寝室へ降りていった。名前は大失敗した魔法薬のペナルティで宿題が課されていたので、それを仕上げるため図書館へ向かうことにした。
決して難しいレポートではないはずだったが、魔法薬への苦手意識も相まって土日も手をつけず先延ばしにしていた。名前は明日の提出期限が迫って初めて重い腰をあげたのだ。セブルスかリリーを手伝いを頼めばよかったと、名前は少し後悔した。夕食の席には二人とも見当たらなかったので、声を掛けようにもすべが無かった。
名前が諦めのため息をつきながら図書館への角を曲がった瞬間、目の前からよく知った人物が早足で歩いてきた。セブルスだ。なんと幸運な事だろう、そう思いながら名前は彼に声をかけた。
「セブルス!夕食が終わったら手伝って欲しいことがあるんだけどー…」
しかし近付いてくるセブルス表情を見て、名前は一瞬で口を閉じた。彼の顔は何やら怒りに満ち満ちているようだ。久々に見るその様子に、名前は思わずたじろいだ。
「どうしたの?」
「ポッターだ!!」
セブルスは廊下に声がこだまするのも気にせず大声で叫んだ。
「あいつとブラックが、僕の満月草を盗んだ!背後から!あの恥知らずの盗っ人ー!!」
「ちょっと落ち着いて」
名前は慌てて彼をなだめた。そうしつつもセブルスの口から語られた出来事には、名前自身も怒りを感じずにはいられなかった。
「ポッターは最低ね…でもセブルス」
「ルーピンの奴はなぜ自分で取りに来ない!?」
名前の言葉を遮って、再びセブルスが激昂した。
「僕から奪ったのは奴の分だとポッターが言っていた。ルーピンは王様気取りのつもりか?自分は大広間でくつろぎながら、汚い仕事は他の連中にやらせるのか」
「まさか、リーマスはそんな人じゃないよ」
この場でリーマスを弁護するのは賢明な選択ではないと分かりつつも、名前は思わず反論してしまった。
「それに大広間に彼はいなかったし…もしかしたら具合でも悪いのかも」
「ああ、リリーもそう言った」
セブルスはイライラしながら舌打ちし、八つ当たりするように地面を蹴った。
「とりあえずどいてくれないか。そういうわけで僕はまた温室に行かなきゃいけないんだ…。ただでさえ人数分の満月草しか植えられてないっていうのに…」
名前は咄嗟にポケットに手をやった。心臓が鐘を打ち鳴らしたかのように大きく鼓動し始めるのを感じた。ミランダが必要になると言ったのは、この事だったのか。
「はい!」
キラキラと輝く満月草をセブルスに差し出して、名前は嬉しさに笑みをほころばせた。
「余分に一枚とっておいたの。だからこれ、セブルスにあげる!」
「余分に一枚?」
セブルスの態度は、名前の想定したものとは少し違っていた。彼は名前から満月草を受け取ったが、その顔は非常に不愉快そうだった。
「言っただろ、基本的に生徒の数しか植えられていないとー。君みたいなのが余分にくすねて、在庫を減らしてるんだな?」
「違うってば!」
予想外の勘違いに名前は思わず声を張り上げた。
「ミランダが教えてくれた穴場があるの!そこに満月草がいっぱい生えてて、そこで取ってきたんだから!」
「そんな場所聞いたことがない」
礼も言わずに満月草をポケットにしまいながら、セブルスは名前の話をまだ信じていないようだった。
「本当なんだから!」
セブルスの態度に苛立ちを覚えながら名前は言った。
「嘘だと思うなら、一緒に来てみればいいじゃない」
その申し出にセブルスは興味を示したようだった。名前はセブルスを引っ張って、もときた道を行き、玄関ホールを抜けて校庭へと出た。外は先ほどよりも更に真っ暗で、森の中では影なきものたちがザワザワと音を立てている。遠くから聞こえる狼の遠吠えが闇の世界を一層不気味なものにしていた。
秘密の場所にたどり着くまで二人とも無言だった。セブルスは最初こそ半信半疑だったものの、躊躇いなく突き進む名前を見て段々と信じ始めたらしい。満月が浮かぶ湖のほとりで満月草の大群を目にした瞬間、彼はあっと息を飲んだ。
「ね、本当だったでしょう?」
名前は勝ち誇って両腰に手を当てた。セブルスは注意深く草の敷地に足を踏み入れながら、曖昧に返事をした。
彼はそこで満月草以外の物もいくつか手に入れたようだった。名前には全く分からないが、特殊な魔法薬を作るための希少な草なのだという。
「信じられない」
摘み取った草をローブのポケットに詰めながらセブルスが言った。
「魔法薬の貴重な材料がこんなに…誰かが故意にここに植えたとしか思えない」
「私のおかげでしょ、ね?」
湖面にうつる大きな満月を眺めているうちに、名前の気も普段より大きくなったようだった。名前は鼻歌を歌いながら、セブルスの周りをご機嫌に跳ね回った。
「まあ、そういうことになる。本当に感謝するべきはフラメルだが…」
セブルスは照れたように髪をかきあげた。
「一応、君にも礼を言っておく」
「どういたしまして!」
満面の笑みで答えながら、真っ黒に染まった夜空を見て、名前は2月14日の終わりを思った。
「じゃあこれは、私からのバレンタインね!」
そう言ってから名前ははたと我に返った。ただの友人に何を口走ってしまったのだろう。勢いで口をついて出た言葉に、一番衝撃を受けたのは他ならぬ名前本人だった。セブルスはというと名前と同じようにぽかんと口を開けたまま、何を言われたのか分からないという顔をしている。
「いや、ほんの…冗談だけど」
気まずい空気を打ち破るべく、名前は慌てて言い訳をした。セブルスはほっとしたように息をつき、そうだろうと言うように頷いた。
「ルシウスとナルシッサ・ブラックは付き合ってるんだね」
暗がりの帰り道、名前は先ほど自分が口走ってしまった事をセブルスに忘れてもらおうと、何か気を逸らすような話題を探していた。しかしどういうわけか、口から出たのはまたしてもバレンタイン絡みの話だった。
「ああそうだ、僕たちが入学する前から…」
霜が残る地面を踏みしめながらセブルスが言った。
「ナルシッサは僕の事を良く思ってないみたいだけどな」
「知ってる。私もそう」
名前は談話室で彼女に睨まれたことがあると話した。しかしセブルスはもっと酷いようだった。確かに気に入らない後輩が恋人の時間を奪っていると知れば、あまり良い気はしないだろう。
「セブルスは誰かにバレンタインあげたの?」
城の玄関が見えてきたところで、名前は気になっていた事を遂に聞くことが出来た。不思議なことにそう聞いた時の自分の声は少し上ずって、震えているようだった。同時に名前の頭にはリリーの顔が浮かんでいた。
「僕が?」
冷めた表情を作りながらも、セブルスが明らかに動揺したのを名前は見逃さなかった。
「そんなこと、するわけないだろう…」
その言葉に名前は思わず安堵した。セブルスが誰かに告白したなんて事はなかったー。そっか、と呟きながら、名前は自分が少しだけ上機嫌になっている事に気付いた。
二人は並んで談話室までの道のりを行き、寮の寝室の前でまた明日、と別れた。バレンタインの談話室はいつも以上に居られたものではなかった。
いつもより早めに寮へ戻ったせいで、名前は自分を好ましく思わない視線に多く晒されたが、今夜に限ってはそれもどうでも良かった。とても良い夜だった気がしたのだ。
名前は気配消しの石をはめてベッドに勢いよく寝転び、魔法薬学の宿題を思い出すその瞬間まで、目を瞑って不思議と溢れる幸福感に浸っていた。
どこかの教室だ。生徒たちがけたたましくおしゃべりをしている。きっと休み時間に違いない。
その場で一番大きな声を出して笑っているのは、あのジェームズ・ポッターだ。そして彼の席から2つ挟んだところに、セブルスが座っている。
セブルスは一人で机に向かい、必死でノートに何かを書き込んでいた。名前はセブルスの隣に座ろうと彼の元へ向かった。木目調の、薄茶色の椅子に腰掛けようとした。しかし椅子に手をかけようとしたその時、どこからともなく、誰のものでもない声が名前の頭の中で響いた。
"そこはリリーの席だ"
そうだ、これはリリーの席だ。名前は椅子に伸ばしかけた手をゆっくり離し、そのひとつ隣の席に座った。
名前の右隣ではポッターが友人の話に大笑いしている。セブルスは名前の存在に気付いていないようだった。彼は依然として夢中でペンを走らせ、周りをちらと見ようともしない。
名前はぽっかり空いた座席越しに、セブルスをじっと見つめていた。ふと、名前はリリーの席をとっぱらってしまいたい衝動に駆られた。自分がそこに座りたい。そう名前は強く思った。セブルスに話しかけたい。手元を止めて自分を見てほしい。
リリーが姿を現す気配は一向になかった。それならば、自分がそこに座ってもいいではないか。セブルスの隣に座るのは自分だー。
席を立ち上がろうとしたその瞬間、名前はハッと目を覚ました。医務室とは違う見慣れた景色に、名前は今度こそ朝が来たのだと理解した。
とてもはっきりした夢を見ていた。椅子を握りしめた触感が手にありありと残っている。
名前は冬用のローブに着替えながら、夢の中で抱いたザワついた気持ちを反芻していた。不思議な感情だった。しかし部屋の冷えた空気が次第に夢うつつの状態を覚ましていき、太陽の石をはめる頃には、名前の思考は夢から完全に離れていった。
寝室を後にした時、名前は初めて今日が土曜日である事を思い出した。談話室はがらんとしており、朝食へ向かう生徒たちの数はまばらだ。しかしミランダは平日と同じように、名前が暖炉の縁に背をもたれかけたぴったりのタイミングで談話室に現れた。
「おはよう」
いつも通り、ミランダは首にかかった石をジャラジャラと鳴らしながら名前に近付いてきた。
「もう怪我は大丈夫?」
そう聞かれて、名前は左肩を元気よく回してみせた。昨日骨を粉砕した事が嘘のように、体には何の支障も感じられない。
「そういえばありがとう、ハロウィンのお菓子あんなにたくさん…」
談話室の石扉を抜けながら、名前はミランダに昨日の礼を言った。今朝改めて、枕元に置かれた巨大なシーツ袋にぎょっとしたのだった。セブルスに分けてもなお、この冬いっぱいはもちそうな量だ。
「いえいえ。あれくらいしか持ってこれなくて残念だったけど」
ミランダは名前が石を無くしかけた事については全く知らないようだった。彼女はゆったりとした表情で、ぼんやり前を見つめている。
「リリー・エバンズと話したわ。彼女はいい子ね」
ミランダの口からリリーへの良い印象が語られたことを名前は嬉しく思った。二人は友達になったんだろうか。名前はマダム・ポンフリーの言葉をふと思い出した。
「あのお菓子、リリーと一緒に届けてくれたの?」
「そうよ」
名前の問いかけにミランダが柔らかく答えた。
「あの子は誰にでも好かれる子ね…人の美点を見抜く力があるわ。友人作りをさして望まない子も、あの子の前では心を開かざるを得ないでしょうね」
そうミランダは自嘲気味に言ったが、名前は真っ先にセブルスの顔を思い浮かべてしまった。入学式での、殻に閉じこもるような彼の様子を思い出したのだ。
「そうだね…リリーの事を嫌いな人はいないと思う。純血主義の勘違いグループ以外は」
小さく呟きながら、名前はリリーを再び羨ましく思った。あの親しみやすさ、屈託のなさは天性のものなのだろう。たとえリリーの行動を全て真似たとしても、本物に近付くことは出来ない気がした。
リリーはとてつもなくラッキーな少女だ。マグルに生まれながらも魔力に目覚め、可愛らしい容姿を持ち、誰からも愛される性格に育った完璧な女の子ー。そんな友人を誇らしく思うと同時に、ローズは心に小さな針がチクリと刺さったような感覚を覚えた。
ハロウィンが終わると、ホグワーツでの時間は矢のように過ぎ去った。窓の外を舞い散る雪の数は日に日に増し、12月に入る頃には城全体が真っ白に包まれた。校庭に降り積もった雪は生徒たちの足首から下をすっぽり隠し、一歩踏み出すごとに靴の中に冷たい塊が入り込んできた。
クリスマス休暇を迎える頃には、名前はとうとう変身術の一年生の範囲を終えてしまった。組分け帽子が言った自分の才能とは、もう変身術以外疑いようがないと名前は気付いていた。しかしミランダの石が関係ないと分かった今、スリザリンである必要がどこにあったのか。どこの寮でも受ける授業は同じだ。結局その疑問が晴れることなく、名前は皆と汽車に乗り、しばしの間ホグワーツを後にした。
クリスマス休暇は素朴ながらも素晴らしいものだった。クリスマスの朝、名前の元には家族とは別に二つの贈り物が届いた。ひとつはミランダから、そしてもうひとつはリリーとセブルスからだった。ミランダからのプレゼントであるエメラルドの豪華な羽根ペンを片手に持ちながら、名前はマグルの家に帰った友人からの小包を開いた。雪のように美しい、白銀のヘアリボンだ。セブルスが包に名前を連ねただけなのは一目瞭然だったが、それでも名前は嬉しかった。そして同時に自分が3人に贈ったプレゼントがそれぞれの好みにあっただろうか、と思考をめぐらせた。
セブルスには小型の魔法薬キットを贈った。熱心な彼の事だから、もう持っているかもしれない。しかし消耗品はいくらあってもいいはずだー。気付けば名前はミランダやリリーの反応よりも、セブルスが自分の贈り物をどう思ったかについて長く考え込んでいた。
年が明けてホグワーツに戻ると、クリスマスの装飾はひとつ残らず片付けられ、またいつもの大広間と談話室が待っていた。10日ぶりにホグワーツでの朝食を楽しんでから、名前は魔法薬学の授業へと向かった。
「クリスマスプレゼント、ありがとう!」
クラスの誰よりも早く席についていたであろうセブルスの隣に腰掛け、名前は休み明け最初の挨拶をした。
「私が贈ったのは気に入ってくれた?」
「期待してたより良かった」
開いていた教科書から少しだけ顔を上げて、セブルスが言った。彼が覗き込んでいるのは名前が見た事もない教科書だ。上級生向けのものらしい。
「その教科書、買ったの?」
複雑な記述を理解するセブルスに感心しながら、名前はたずねた。
「ルシウスのだ」
そう言われてページに目をやると、なるほど確かに多少使用感があるようだ。名前は口を半開きにしたまま、小難しそうな教科書をぼんやりと眺めた。そんな友人の様子を見て、セブルスはいつもの薄ら笑いを浮かべて言った。
「アホ面してる場合じゃないぞ。君だってそのうち新しい変身術の教科書が必要になるだろ?」
セブルスの言葉に名前はハッと口をつぐんだ。教科書の事など考えてもみなかった。
「そういうことー…ああ、でも二年生は今と同じ初級変身術を使うんだよ」
「随分と控えめな性格じゃないか」
嫌味ったらしい冗談を口にしながら、セブルスが鼻で笑った。
「3ヶ月で一年生の範囲を終えてしまったんだから、二年生の章を終わらすのもそう時間はかからないだろう」
「どうだろうね…二年生のほうが難しくなるわけだし…」
そう答えながら、名前はハロウィンの前日、二年生の最初の課題であるコガネムシの変身を容易くやってのけた事を思い出していた。セブルスの言う通り、中級向けの教科書を手に入れても良い頃かもしれない。自惚れるつもりはないが、遅かれ早かれ必要になるはずだー。
年明け最初の魔法薬学の授業はお世辞にも順調とは言えなかった。セブルスの大鍋から見事な紫色の煙が立ち上がったまさにその瞬間、名前はどういうわけか自分の大鍋に入っていた液体を全て蒸発させてしまった。困惑するローズの隣で、セブルスは理解できないと言わんばかりに呆れた表情を浮かべ、最後の調合に取り掛かった。
もう残りの時間は15分と無い。ここからまた材料を入れて一から始め直すなんてとても不可能だ。名前は仕方なく評価を諦め、散らかった机の上を掃除し始めた。
それから間もなくしてセブルスは見事な魔法薬を煎じ終え、見回りに来たスラグホーンが彼を大いに褒めた。名前は空っぽになった自分の大鍋を見つめながら、いずれセブルスもルシウスの言っていたスラグ・クラブとやらに入るのだろうと考えていた。
「相変わらず素晴らしいね」
セブルスが完璧に煎じた魔法薬を瓶に詰めるのを横目に見ながら、名前は呟いた。
「魔法薬に関しては、セブルスがきっと学年で一番だろうね」
「さあ、どうだか」
そう言いながら、セブルスは瓶の栓をきつく締めて一振りした。
「リリーも魔法薬に対して抜群にセンスがあるらしい。学年で一位を争うなら、彼女か僕だろうな…」
そう語るセブルスはどこか嬉しそうで、名前は僅かながらに疎外感を抱いた。セブルスとリリーが楽しそうに魔法薬の話をする傍で、自分がぽつんと取り残される様が容易に想像できたのだ。名前は浮かない顔で鍋底を見つめながら、空っぽの大鍋を恨めしく思った。
それから3週間後、名前は中級変身術の教科書を取り寄せるため、フローリシュ・アンド・ブロッツ書店へフクロウ便を出した。セブルスの言った通りだった。コガネムシを一瞬でボタンに変身させただけでなく、名前はヤマアラシを針山に変えるのも、対象物をスポンジのように柔らかくしてしまう呪文も、あっという間に習得してしまったのである。今や名前はミランダよりも変身術の二年次章を進めていて、教科書の残りページはごく僅かとなっていた。
このままのペースで変身術を身に付けられれば、動物もどきにも手が届くだろうか。名前はセブルスとの約束を忘れてはいなかった。在学中に動物もどきになれば、自分の才能についてセブルスが認めてくれる。あの口論の時とは違い、今やセブルスも自分の能力を一部承服してくれている事は分かっていた。しかしリリーの魔法薬に対する腕前を嬉しそうに語るセブルスを見て、やはり自分も彼をあっと言わせたいと、そう強く願い始めたのだ。
しかし冬の厳しさが和らぎ始めた頃、セブルスに関して今までよりも更に不穏な噂が流れるようになった。セブルスが七年生よりも多くの呪いを知っていると吹聴したのは誰なのか、名前には知る由もなかったが、ほとんどの生徒がそれを信じ込んでいるようだった。
名前もリリーも彼を妬む者の悪い冗談だと捉え本気にはしなかったが、当のセブルスは噂を否定せず、むしろ楽しんでいる素振りさえ見せた。実際彼は新しく覚えた呪いをポッターやブラックに面と向かってかけており、ミランダが露骨に彼を避けるようになった事からも、名前は次第に噂が本当なのではないかと不安が募り始めた。
スリザリン寮内でも少しずつセブルスへの評価が変わってきたようだった。
名前を箒から叩き落とす事で勝利を収めたはずのパーキンソンだったが、名前がセブルスの隣にいる時は目もくれず、どこか恐れを抱いているような様子を見せた。そして名前が最も驚いたのは、セブルスに話し掛ける一年生が現れた事だった。あわよくば自分も数多の呪いを習得したいと考えているのだろう。名前はそういったスリザリン生を嫌悪しながら、セブルスが自分とリリー以上の友人を作る可能性があることに複雑な思いを抱いていた。
そんな名前の曇りがかった心とは対照的に、2月の第2月曜日、ホグワーツは城全体がキューピッドの巣窟になったかのような空気に満ち溢れていた。朝食の大広間で仲睦まじく隣合う上級生の男女を見て、名前は初めて今日が何の日かに気付いた。バレンタインデーだ。
「驚いた。こんなにカップルがいたなんて…」
そう呟いた名前の視線の先では、ルシウスとナルシッサ・ブラックが身を寄せ合いながらトーストにジャムを塗っている。名前は反射的にセブルスの姿を探した。そしていつも通り一人で本を携えながら朝食をとる彼を見て、不思議とほっとした気持ちになった。
「今日のために急ぎで間に合わせた人も多いでしょうよ」
自分には全く無関係と言わんばかりに、ミランダは冷めた表情で茹でポテトを皿によそっていた。
「まあ、あなたにも私にも恋というものはまだ早いわね」
それを聞いて名前はぷぷっと吹き出した。ミランダの口から恋なんて言葉が出るとは。一体どんな人であればミランダを夢中にさせる事が出来るのだろう。名前は自分のミステリアスな友人に関して、全てを理解しているとはまだ言い難かった。
テーブルのあちこちで見つめ合う恋人たちとは打って変わって、名前の頭の中は薬草学の宿題についてでいっぱいだった。満月の日に、城の敷地から満月草を詰んでくること。これがスプラウト先生が前回の授業で出した課題だった。そして2月の満月は今日、バレンタインデーにあたる。スプラウト先生は去年も同じ課題を出したようで、満月草がどこに生えているかはミランダが事前に教えてくれた。
夕方の闇の魔術に対する防衛術が終わった後、スリザリンの一年生たちはこぞって満月草の採集に向かった。しかし皆が目指す方向と名前がミランダから聞いた場所は異なるようで、玄関ホールに着いてから名前は他の生徒と真逆の方面へと進むことになった。セブルスも名前とは別の、大多数が向かう方を選んだので、名前は薄暗い校庭に一人放り出される形になった。
ミランダから示された場所に向かいながら、名前はざわざわと胸に波が押し寄せるのを感じた。もしかすると、満月草の栽培場所は変わったのかもしれない。去年と同じ場所にそれが生えているとは限らないのだ。他の皆は温室かどこかに行って、仲間と協力しながらそれらしい草を必死に探すのだろう。
同級生たちと奪い合いにならない、格好の場所があるー。そうミランダは言ったが、毎年そうとは限らないのではないか。人の気配がない湿った道を歩き、湖の暗い水面を目指しながら、段々と不安が名前の心に重くのしかかってきた。
しかし湖のほとりの大きなシダの葉を掻き分けた途端、名前はその全てが杞憂であったと分かった。
しんと静まりかえった木々の中、目の前には地面いっぱいに満月草が生い茂っていた。人が足を踏み入れた形跡は殆どない。その少し先に目をやると、湖に金色の満月が反射して、あたりを明るく照らしている。名前はその明かりを頼りにゆっくりと足を踏み入れ、満月草をひとつ失敬することにした。
驚いたことに、月の光は満月草の葉にも反射しているように見えた。とても美しい。そしてふと、名前は年上の友人がここに一人佇む姿を思い浮かべた。
ミランダはどうしてこの場所を知っていたのだろう。ホグワーツの一年次を一人で過ごす中で、たまたま見つけたのだろうか。8階の部屋といい、この幻想的な満月草の広場といい、ミランダは二年生にしてはあまりに多くの場所を知っている。名前は自分と同い年だった頃のミランダがいかに孤独だったかに思いを馳せ、お礼として持ち帰ろうと、彼女の分の満月草を丁寧に詰んだ。
城へ戻るとちょうど夕食の時間だった。ミランダはいつもの席について名前を待っていた。スリザリンだけでなく、全ての寮の一年生が満月草探しに出払っているらしい。大広間のテーブルにはいつもより空席が目立った。
「どうやら他の子たちはまだ必死に探してるみたいね」
ミランダは余裕たっぷりの表情で、乾杯するようにグラスを傾けた。
「私の言った通りだったでしょう?」
名前は感謝の意を込めて、ソースがたっぷりかかったポークチョップをミランダの皿によそってあげた。戻ってきている一年生は、あたりを見回す限り自分と、喧嘩が強そうな大柄の男子だけだ。
「ミランダにもお礼でひとつ持ってきたよ!」
そう言って、名前はポケットからキラキラ輝く満月草を取り出した。まるで月の光を吸収したかのような美しさを放っている。
「あら、ありがとう」
ミランダはにっこりと笑って言った。
「でも名前、それはあなたが持っていた方がいいような気がするわ。急に必要になる事があるかも」
「そうかな?」
輝く小さな葉を見つめながら名前は首を傾げた。しかしミランダが察しの石をつけている限り、その忠告には従った方がいい。名前にはそれがよく分かっていた。確かに途中でなくしてしまうかもしれないし、明日の授業までに枯れてしまう可能性がゼロとは言えない。
名前は手にした満月草を大事にポケットにしまって、食事に向き直った。今夜の食事は心無しか甘いものが多いような気がした。
夕食後、ミランダは深夜の天文学の授業まで仮眠するからと早々に寝室へ降りていった。名前は大失敗した魔法薬のペナルティで宿題が課されていたので、それを仕上げるため図書館へ向かうことにした。
決して難しいレポートではないはずだったが、魔法薬への苦手意識も相まって土日も手をつけず先延ばしにしていた。名前は明日の提出期限が迫って初めて重い腰をあげたのだ。セブルスかリリーを手伝いを頼めばよかったと、名前は少し後悔した。夕食の席には二人とも見当たらなかったので、声を掛けようにもすべが無かった。
名前が諦めのため息をつきながら図書館への角を曲がった瞬間、目の前からよく知った人物が早足で歩いてきた。セブルスだ。なんと幸運な事だろう、そう思いながら名前は彼に声をかけた。
「セブルス!夕食が終わったら手伝って欲しいことがあるんだけどー…」
しかし近付いてくるセブルス表情を見て、名前は一瞬で口を閉じた。彼の顔は何やら怒りに満ち満ちているようだ。久々に見るその様子に、名前は思わずたじろいだ。
「どうしたの?」
「ポッターだ!!」
セブルスは廊下に声がこだまするのも気にせず大声で叫んだ。
「あいつとブラックが、僕の満月草を盗んだ!背後から!あの恥知らずの盗っ人ー!!」
「ちょっと落ち着いて」
名前は慌てて彼をなだめた。そうしつつもセブルスの口から語られた出来事には、名前自身も怒りを感じずにはいられなかった。
「ポッターは最低ね…でもセブルス」
「ルーピンの奴はなぜ自分で取りに来ない!?」
名前の言葉を遮って、再びセブルスが激昂した。
「僕から奪ったのは奴の分だとポッターが言っていた。ルーピンは王様気取りのつもりか?自分は大広間でくつろぎながら、汚い仕事は他の連中にやらせるのか」
「まさか、リーマスはそんな人じゃないよ」
この場でリーマスを弁護するのは賢明な選択ではないと分かりつつも、名前は思わず反論してしまった。
「それに大広間に彼はいなかったし…もしかしたら具合でも悪いのかも」
「ああ、リリーもそう言った」
セブルスはイライラしながら舌打ちし、八つ当たりするように地面を蹴った。
「とりあえずどいてくれないか。そういうわけで僕はまた温室に行かなきゃいけないんだ…。ただでさえ人数分の満月草しか植えられてないっていうのに…」
名前は咄嗟にポケットに手をやった。心臓が鐘を打ち鳴らしたかのように大きく鼓動し始めるのを感じた。ミランダが必要になると言ったのは、この事だったのか。
「はい!」
キラキラと輝く満月草をセブルスに差し出して、名前は嬉しさに笑みをほころばせた。
「余分に一枚とっておいたの。だからこれ、セブルスにあげる!」
「余分に一枚?」
セブルスの態度は、名前の想定したものとは少し違っていた。彼は名前から満月草を受け取ったが、その顔は非常に不愉快そうだった。
「言っただろ、基本的に生徒の数しか植えられていないとー。君みたいなのが余分にくすねて、在庫を減らしてるんだな?」
「違うってば!」
予想外の勘違いに名前は思わず声を張り上げた。
「ミランダが教えてくれた穴場があるの!そこに満月草がいっぱい生えてて、そこで取ってきたんだから!」
「そんな場所聞いたことがない」
礼も言わずに満月草をポケットにしまいながら、セブルスは名前の話をまだ信じていないようだった。
「本当なんだから!」
セブルスの態度に苛立ちを覚えながら名前は言った。
「嘘だと思うなら、一緒に来てみればいいじゃない」
その申し出にセブルスは興味を示したようだった。名前はセブルスを引っ張って、もときた道を行き、玄関ホールを抜けて校庭へと出た。外は先ほどよりも更に真っ暗で、森の中では影なきものたちがザワザワと音を立てている。遠くから聞こえる狼の遠吠えが闇の世界を一層不気味なものにしていた。
秘密の場所にたどり着くまで二人とも無言だった。セブルスは最初こそ半信半疑だったものの、躊躇いなく突き進む名前を見て段々と信じ始めたらしい。満月が浮かぶ湖のほとりで満月草の大群を目にした瞬間、彼はあっと息を飲んだ。
「ね、本当だったでしょう?」
名前は勝ち誇って両腰に手を当てた。セブルスは注意深く草の敷地に足を踏み入れながら、曖昧に返事をした。
彼はそこで満月草以外の物もいくつか手に入れたようだった。名前には全く分からないが、特殊な魔法薬を作るための希少な草なのだという。
「信じられない」
摘み取った草をローブのポケットに詰めながらセブルスが言った。
「魔法薬の貴重な材料がこんなに…誰かが故意にここに植えたとしか思えない」
「私のおかげでしょ、ね?」
湖面にうつる大きな満月を眺めているうちに、名前の気も普段より大きくなったようだった。名前は鼻歌を歌いながら、セブルスの周りをご機嫌に跳ね回った。
「まあ、そういうことになる。本当に感謝するべきはフラメルだが…」
セブルスは照れたように髪をかきあげた。
「一応、君にも礼を言っておく」
「どういたしまして!」
満面の笑みで答えながら、真っ黒に染まった夜空を見て、名前は2月14日の終わりを思った。
「じゃあこれは、私からのバレンタインね!」
そう言ってから名前ははたと我に返った。ただの友人に何を口走ってしまったのだろう。勢いで口をついて出た言葉に、一番衝撃を受けたのは他ならぬ名前本人だった。セブルスはというと名前と同じようにぽかんと口を開けたまま、何を言われたのか分からないという顔をしている。
「いや、ほんの…冗談だけど」
気まずい空気を打ち破るべく、名前は慌てて言い訳をした。セブルスはほっとしたように息をつき、そうだろうと言うように頷いた。
「ルシウスとナルシッサ・ブラックは付き合ってるんだね」
暗がりの帰り道、名前は先ほど自分が口走ってしまった事をセブルスに忘れてもらおうと、何か気を逸らすような話題を探していた。しかしどういうわけか、口から出たのはまたしてもバレンタイン絡みの話だった。
「ああそうだ、僕たちが入学する前から…」
霜が残る地面を踏みしめながらセブルスが言った。
「ナルシッサは僕の事を良く思ってないみたいだけどな」
「知ってる。私もそう」
名前は談話室で彼女に睨まれたことがあると話した。しかしセブルスはもっと酷いようだった。確かに気に入らない後輩が恋人の時間を奪っていると知れば、あまり良い気はしないだろう。
「セブルスは誰かにバレンタインあげたの?」
城の玄関が見えてきたところで、名前は気になっていた事を遂に聞くことが出来た。不思議なことにそう聞いた時の自分の声は少し上ずって、震えているようだった。同時に名前の頭にはリリーの顔が浮かんでいた。
「僕が?」
冷めた表情を作りながらも、セブルスが明らかに動揺したのを名前は見逃さなかった。
「そんなこと、するわけないだろう…」
その言葉に名前は思わず安堵した。セブルスが誰かに告白したなんて事はなかったー。そっか、と呟きながら、名前は自分が少しだけ上機嫌になっている事に気付いた。
二人は並んで談話室までの道のりを行き、寮の寝室の前でまた明日、と別れた。バレンタインの談話室はいつも以上に居られたものではなかった。
いつもより早めに寮へ戻ったせいで、名前は自分を好ましく思わない視線に多く晒されたが、今夜に限ってはそれもどうでも良かった。とても良い夜だった気がしたのだ。
名前は気配消しの石をはめてベッドに勢いよく寝転び、魔法薬学の宿題を思い出すその瞬間まで、目を瞑って不思議と溢れる幸福感に浸っていた。