第一部
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「それはまた、ずいぶん大きな目標を立てたわね」
夕食の大広間で名前の話を聞いたミランダは、あらまあと手で口を押さえた。
昼間のセブルスとのやり取りの後、名前は自分なりに動物もどきについての情報を集めようとしていた。
図書館にある変身術の本を片っ端から開いて動物もどきの章を探したり、高学年用の教科書の索引を端から端までチェックしたりもした。しかし動物もどきの概要こそあれど、具体的な変身方法はどこにも載っていなかった。
「やっぱり動物もどきって難しいのかな?」
焼きポテトをフォークで弄びながら、名前はミランダにたずねた。そこまでではない、やれば出来る、と言って欲しかった。
「まあ、そりゃねえ…」
名前の願いも虚しく、ミランダは目をぱちくりさせ、いかにそれが困難な魔法かを表情で伝えていた。
「普通はムリね。マクゴナガル先生は動物もどきだけど…猫に変身できるのよ」
名前にとってその情報は初耳だったが、全く救われた気がしなかった。ホグワーツで変身術を教えている時点で、マクゴナガル先生がこの国のトップレベルの変身術士である事は明らかだ。一流のプロだけが習得できる技能を、どうして一学生の自分が身に付けられるだろう。
「そうなんだ…まずいなあ。そんなに難しいなんて、知らなかった…」
名前は気まずい思いで数席離れた先のセブルスをちらっと見た。相変わらずその隣にはルシウスがいて、何かヒソヒソと話している。ルシウスが辺りを探るように見渡し始めたので、名前は咄嗟に目をそらした。
「でもやってやれない事はないわ、きっと」
気落ちする名前を見かねて、ミランダが優しく励ました。彼女の手元のゴブレットは今日もエンゴージオの呪文で肥大化している。
「それって"わかる"の?」
名前はミランダの指にはめられた察しの石を暗に示しながらたずねた。しかし彼女は残念そうに首を振った。
「未来の具体的な事はわからないわ。だけどー…」
うなだれる名前に眉を下げながら、ミランダはきっぱりと言った。
「あなたには才能がありそうなんでしょ?だったら諦めるべきではないわ」
それを聞いて小っ恥ずかしい気持ちになりながら、名前はモゴモゴと呟いた。
「でも最初の授業で、一番早く出来たってだけで…やっぱり偶然かもしれないし…」
「名前」
言い訳を遮るように、ミランダが語気を強めた。
「まだ歩けもしない赤ん坊が、世界一高い山を登る事が出来ると思う?言うなればあなたは今、立ち上がることを覚えたばかりなのよ。これから歩き方や走り方を学んでいって、それから登山の準備をするべきなの」
名前はぽかんとミランダを見た。何となく言いたいことは分かる。しかし名前の頭の中は漠然とした不安でいっぱいで、ミランダの助言はうまく響かなかった。
当惑した様子の名前にため息をついて、ミランダはゆっくり諭すように話した。
「つまり、今のあなたは変身術の授業で習う呪文をひとつずつクリアしていくべきだってこと。誰だって最初は基礎からよ。それにそれだけで、もし順調にこなしていけたらって意味だけど、才能の見極めには十分なるでしょう?」
なるほど、とそこで初めて名前は納得した。確かに焦っても仕方がない事だというのは理解していた。
誰だって、マクゴナガル先生だって、ホグワーツの一年生だった時があったんだ。その時先生がした事は何だろう。いきなり猫に変身する事だっただろうか。きっと違ったはずだ、もっと基礎を勉強したに違いないー…。そう祈りながら、名前は皿の上で転がしていた焼きポテトをようやく口に運んだ。
「だから時間に余裕があったら、変身術の予習をどんどんするといいわよ」
食後の紅茶を差し出しながらミランダが言った。
「そうだね…ありがとう」
ダークチェリー色の液体がなみなみと注がれたカップを受け取りつつ、年上の友人とは何と頼もしいのだろうと名前は改めて感じた。
セブルスもそう思っているのだろうか。名前は再び彼らの席に目を走らせた。相変わらず、セブルスはルシウスの話を興味深そうな顔で聞いている。
箒の基礎でも教えてもらっているんだろうか。名前はにやけながら紅茶をすすった。
それからというもの、名前は早めに宿題を片付けて、空いた時間をミランダに言われた通り変身術の予習に割くことにした。
一年生は21時までに寮へ戻らなければいけない規則だったが、気配消しの石のおかげで夜がふけた後も城の中を歩き回ることが出来た。時には必要な材料を集めて、ミランダと訪れたあの不思議な部屋で名前は一人練習に明け暮れた。
興味深い事に、誰かが名前の考えや望みを知っているかのように、部屋には常に欲しいものが用意されてあった。変身術の材料が足りなくなった時、もっと具体的な方法が書かれた本が読みたいと思った時、それらはいつの間にか名前の目の届く場所に置かれていた。
そんな部屋のおかげもあって、名前は新しい呪文を順調に習得していった。独学にも関わらず、途中つまずく事も、変身術をかけ違える事もほとんど無かった。
変身術の3回目の授業で、本来ならば2ヶ月先に取り組むはずである課題を何なくこなした事が、名前にますます自信をつけさせた。自分にはきっと変身術の才能がある。マクゴナガル先生が目を丸くして驚く度に、名前はそう強く思った。
秋も深まり、ハロウィンが翌週に差し迫ってきた。
名前はホグワーツの生活にすっかり慣れ、急に現れるゴーストや、教室の隅に潜むピクシーにもすっかり動じなくなっていた。襲いかかってきたピクシーを反射的にピンポン玉に変えて以来、名前は自身の才能に関する期待がますます大きくなるのを感じた。
しかし変身術以外の授業では、相変わらずうまくいかない日々が続いていた。特に魔法薬学では隣に座るセブルスへのプレッシャーもあいまって、名前自身も驚くほどのへまをやってのけた。
「いい加減にしろ!」
名前の鍋から噴き出した液体をまともにあびて、セブルスが怒りに震えながら呻いた。髪もローブもびしょ濡れだ。名前はハンカチを取り出そうと慌ててポケットに手を入れたが、鍋から漏れたぬるぬるの液体は既に机を滴って床にこぼれ落ち、それに足をとられた名前は派手に転倒した。
名前が腰をさすりながら立ち上がった時、セブルスはもう液体まみれではなかった。杖をかかげ、何やら呪文を唱えながらこぼれた液体を片付けている。
名前の変身術と同じく、セブルスも日々新たに呪文を習得しているようだった。そのうえ魔法薬学では毎回クラス一の出来を誇っており、総合的なバランスという点では彼の方が名前よりも圧倒的に上だった。
そんなセブルスを周囲が段々と妬み始めている事に名前は気付いていた。ただでさえ同級生から避けられがちな彼だったが、ルシウス・マルフォイに目をかけられ、飛行訓練以外では往々にして優れた成績を修めている。周りの生徒が面白くないと思うのも無理はない。セブルスについての良くない噂が流れ始めているのも、名前は知っていた。
「ごめんねえ」
名前はようやく取り出したハンカチで身の回りを拭きながら必死で謝った。しかしセブルスはフンと鼻を鳴らし、そっぽを向いてあからさまな嫌悪を見せつけていた。
セブルスがなかなか心を開いてくれない事が、名前にとっては大きな悩みだった。もうすぐ知り合って2ヶ月が経つ。しかし彼が友好的な態度を見せる兆しは無く、今も名前に背中を向けて自分の作業に勤しんでいる。
そんなセブルスを見ながら、名前は少しだけリリーを羨ましく思った。どんな人の心も開かせてしまうリリー。セブルスのリリーに対する態度だけは、他の誰とも違っていた。名前にはその理由が分かっていた。
何もセブルスに無二の親友になって欲しいとまでは言わない。しかし円滑にグループワークを進められるくらいの友情は欲しかった。
終業のベルが鳴り、スタスタと地下教室から出ていくセブルスの後ろを名前は慌てて追いかけた。セブルスはついてくるなと言わんばかりに、鬱陶しそうに名前を見たが全くの無駄だった。次の授業はグリフィンドールと合同の薬草学で、セブルスも名前も同じ相手のもとへ向かう必要があるのだ。
2人が温室に足を踏み入れ、その奥へと目をやると、燃えるような赤毛の女の子がこちらを見てにっこりと微笑んでいた。名前はセブルスに続いてかぼちゃ畑を横切って歩き、リリーの待つ場所へと向かった。
「名前、何だかローブが汚れてるみたいだけど」
彼女の手の届く位置にたどり着くやいなや、名前はリリーにローブのフードを引っ張られ、後ろを向くかたちになった。
「ああ、さっき大鍋から色々こぼしちゃって…」
どうやらローブの後ろ側がまだ汚れているらしい。自分の目の届く所以外は拭いていなかった。授業が終わったらすぐ洗濯に出さなければ。
名前はリリーに向き直ろうとしたが、彼女は名前の肩をしっかりつかんでそのまま後ろを向かせたがっていた。
「セブ、ほらお掃除の呪文!こないだ覚えたって言ってたでしょう?」
名前の側からは見えないが、きっとセブルスは面倒くさそうな顔をしているに違いない。
低いため息の後、「スコージファイ」と声がして、名前の首元に冷たい風が吹きつけた。そしてリリーの手が肩からぱっと離れ、名前はゆっくりと2人の方を振り返った。
「ありがとう」
フードにチラチラと目線を注ぎながら、名前はセブルスに礼を言った。いつもの通り、セブルスは何も言わない。
数週間前に薬草学のチーム分けがあった。魔法薬学と同じくセブルスと組むつもりでいた名前は、3〜4人のグループという指示に困惑した。スリザリンのほぼ全員が自分たちを良く思っていない事を考えると、適当なグリフィンドール生を誘うほか手段は無い。そんな中クラスでも人気者であろうリリーが、自ら声をかけてくるとは微塵も思わなかった。
「同じ寮の子は、他の授業でも一緒だし」
リリーは太陽のような笑顔を名前とセブルスに向けて、チーム表に3人の名前を書いたのだった。
「せっかくあなたたちと一緒なんだから!」
3人での授業は想像していたよりもずっと楽しかった。リリーの前ではセブルスも大人しく従順であったし、名前の小さなへまもリリーは面白さと受け取って笑い飛ばしてくれた。
彼女のおかげで、薬草学の授業は名前にとって変身術と同じくらい気楽だった。他のスリザリン生は自分たちを異質な目で見てくるが、そんな事はもうとっくに気にならない。
今日の授業は奇遇にも、初日にリリーと2人で眺めたひらひら花についてだった。
生徒達の目の前に置かれたひらひら花は、あの日見たものよりもずっと小さい。スプラウト先生が、この夏に芽を出したばかりだと説明した。ひらひら花と悪魔の罠の類似性、そしてこの花がいかに無害で育てやすいかを話した後、先生は各自に植え替え作業をするよう指示した。
名前たちのグループに割り当てられたひらひら花も、小さいとはいえ既に鉢いっぱいにツルがはびこっていた。2、3日以内に大きな鉢植えに移さないと、今入ってる鉢を内側から破壊しかねない様相だ。3人はうまく役割分担をした上で植え替えをする事にした。
リリーが鉢をおさえ、セブルスがひらひら花を引っ張りあげて植え替え、名前が素早く土をかけるという段取りだ。セブルスは不安そうに名前を見たが、リリーの掛け声で渋々その植物を根元からすくい上げた。
ひらひら花はまだ短いツルをバタバタさせながら宙でもがき、セブルスを程よく手こずらせていた。意外に重みもあるようだ。セブルスは小声で悪態をつきながらそれを大きな鉢植えに押し込んだ。
ビシビシと手を打つツルに負けじと、名前はシャベルでありったけの土を放り込み、急いで表面を叩いて密度を固めた。セブルスは名前のかける土が自分の顔に飛び散るのを息を殺して我慢していた。
かくして、名前たちのひらひら花は無事大きな鉢に植え替えられた。ひらひら花が予想よりも暴れた事と、名前の不器用さが相まって3人は土だらけだったが、他のチームよりは順調に進められたようだった。
セブルスは仏頂面で杖を取り出し、スコージファイで自身と周りを掃除し始めた。名前とリリーは教えて欲しそうにワクワクしながらそれを覗き込んだ。
突然、耳をつんざくような悲鳴がどこからか上がった。生徒達全員が飛び上がり、ガシャンと鉢が割れる音があちらこちらで聞こえた。
甲高い叫び声だ。まるで赤ん坊の癇癪のように、キンキンと長く泣き叫んでいる。その声の大きさと不快さに、名前は思わず耳を塞いだ。
「皆さん、耳をふさいで!」
先生が大声で言うまでもなく、全員が耳に手を当てていた。スプラウト先生はどこからか耳あてを引ったくり、いったんこの温室を出て叫びの元を止めてくる、とジェスチャーで表現した。
スプラウト先生が去ってから間もなく、その叫び声は押し付けられるように小さくなっていった。最後の方はくぐもったような声だった。きっとひらひら花の根っこのように、土に埋められたに違いない。名前はそう思った。声の主も、きっと何かしらの植物だったのだろう…。
先生はすぐには戻ってこなかった。唖然としていた生徒達も次第に気力を取り戻し、各々が目の前のひらひら花へと向かった。
名前たちは植え替えを終えた植物を観察しながらレポートを書き始めていた。恐らく宿題になるだろうが、授業中に少しでも進められてしまえばこっちのものだ。また変身術の予習を進めることが出来る。名前はせかせかと羽根ペンを動かして、ひらひら花の特徴を書き記していた。
すると急に、どこからか土の塊が飛んできて、名前の顔と羊皮紙にまともにかかった。名前は驚いて土をはらい、飛んできた方向を反射的に探した。名前たちの左横で、シャベルを持ったアン・パーキンソンが仲間とニヤニヤ笑っている。
彼女たちに近い側に立っていたリリーの被害はもっと大きかった。顔や首が大いに汚れ、ローブのフードには土がどっさりと入っていた。名前は怒りのこもった目で嫌がらせの犯人を睨みつけた。
「あら、ごめんなさいね」
悪びれた様子をちらりとも見せず、せせら笑いながらパーキンソンが言った。
「つい手元が滑っちゃって…ほら、よくあるでしょ。大鍋から中身が噴き出しちゃうみたいに?」
彼女の言葉に、取り巻きの女子達がケラケラと笑った。名前は思わず顔を赤らめた。しかしパーキンソンの真のねらいが自分ではなくリリーだと言う事が、その視線からすぐに分かった。
「それにしてもさすがマグル生まれね、あっという間に植え替え出来たじゃない」
そう言って、パーキンソンは更に土をひとすくいした。
「小さい頃からこういう泥臭い事いっぱいやってきたんでしょう?マグルは手で掘るしか脳がないものね!」
またしても土がリリーめがけて飛んできた。パーキンソンはまた手がすべったとこぼしながら、仲間たちと腹を抱えて笑っていた。
杖を構えて前に出ようとしたセブルスを、すかさずリリーが止めた。パーキンソンは殺気立つセブルスを見て一瞬怯んだが、リリーがそれを制すであろうことを見越していたようだった。シャベルを持ったまま薄笑いを浮かべている。
「スネイプ、あんたがマグル育ちの混血だって事も知ってるんだからね」
パーキンソンがシャベルでセブルスを指した。それを聞いて、セブルスは動揺を隠しきれないようだった。杖を握る手には先ほどよりも強く力がこもり、今にも飛び出しそうな勢いだ。リリーは彼が利き腕を上げるのを全体重をかけて止めていた。
温室の一角に漂う不穏な空気に、周りの生徒たちも次第に気付き始めた。名前たちの近くにいるグループは皆、手を止めて何事かとこちらを伺っている。パーキンソンは至極満足そうだった。まるで注目が集まるのを待っていたかのようだ。
名前は無視するのが一番だと思った。こんなにも多くの目線があるところで下手な行動はとれない。シャベルで土を飛ばす程度のつまらない悪事に、腹を立ててはいけない。名前は深呼吸した。心を落ち着かせるんだ。へたに魔法をつかってはいけない。同じような事を、リリーが小声でセブルスに呟いていた。
名前は歯を食いしばってパーキンソンから目を背けた。セブルスはまだ怒りに震えていたが、リリーの忠告に従って挑発の主には背を向けていた。
彼は低い声でスコージファイを唱え、リリーと名前にかかった土をあっという間に消し去った。しかしそれがいけなかった。その様子を見た純血主義の少女が、3人の背後で嘲笑った。
「土は落とせても、あんた達にべっとりついた穢れた血までは落とせないでしょうよ!」
セブルスが杖腕を振り上げるのを予期していたかのように、リリーがそれを抑えた。名前は今度こそ立ち向かわねばならないと思った。しかしそう決意してパーキンソンを睨みつけた瞬間、名前の目に新たな影が映った。ポッターとブラックだ。事態を察知してこちらに向かってきている。2人は杖を取り出した。パーキンソンに何かしたがっている。うずうずと輝く彼らの顔を見て、名前はその目論見を一瞬で理解した。こちらの喧嘩をおさめる事で、手柄を立てるつもりだ。この騒ぎを材料に、自分たちの能力をひけらかそうとしてるに違いない。
そうはさせるものか、と名前は杖に手を伸ばした。名前の気迫にポッターもブラックも思わず足を止めた。名前はほとんど無意識的に、剣で敵を斬るようにパーキンソンに向けて大きく杖を振った。
途端にパーキンソンがひっくり返った。何が起こったのか、一瞬誰も分からなかった。しかし敵が地面に倒れた瞬間、名前はその理由をはっきりと見た。パーキンソンの両足が、太くて不気味な指のない物体に変わっている。紛れもない、蛇の尻尾だ。
パーキンソンが悲鳴を轟かせ、温室は騒然となった。辺りからまた鉢植えが割れる音がした。パーキンソンの意志とは裏腹に、蛇の尻尾はユラユラと地を這いずり回っている。杖を下ろしたポッターとブラックが近くに駆け寄ってきた。
パーキンソンは腕を肩まであげ、自分の足から身をかばうように半泣きになって後ずさりをしていた。しかし今や彼女の体の一部となった蛇は離れるどころか、見えない頭を探すように忙しなく揺れ動いている。どうにもならない恐怖に包まれ、パーキンソンはギャーギャーと叫んでいた。
名前にはその様子がおかしくてたまらなかった。リリーは一瞬息を飲んだが、やはり笑いをこらえきれないようだった。名前たちだけではない。ポッターもブラックも、騒動を最初から見守っていたグリフィンドール生は身をよじって笑っている。スリザリン生は全員あっ気にとらえて眺めるばかりで、誰も憐れな姿の同級生を助けようとはしなかった。
名前は誇らしかった。立ち向かう前までの不安や恐れはもはや微塵も無い。気が付けば名前も、他の生徒と同じく声をあげて笑っていた。
当然の報いだ。リリーが受けた理不尽な被害に比べれば、こんなのまだ序の口だ。次はあの非純血一覧が書かれたノートを、巨大なナメクジにしてやりたい…。
しかし次第に周囲の笑い声も途切れてきた。パーキンソンの足が蛇になってから、一分は過ぎただろうか。段々と生徒たちが不安な顔を見せはじめた。
「名前、そろそろ戻してあげたら?」
リリーが恐る恐るたずねた。名前はそれを聞いてハッとした。リリーの言う通り、元に戻さなくてはいけない。しかし…名前は嫌な汗が流れ出るのを感じた。
「まさかとは思うが」黙りこくった名前を見て、セブルスが口を挟んだ。
「元に戻す呪文を知らないなんて言うんじゃないだろうな?」
そのまさかだった。名前は震えながら頷いた。今まで練習ですら、変身術を失敗した事はなかった。それ故に反対呪文を覚える機会が無かったのだ。
セブルスは信じられないという顔で名前を見た後、いつものため息をつきながら呪文を唱えた。
「…レパリファージ」
パーキンソンの蛇の足がスッと縮んだかと思うと、あっという間に土だらけのブーツを履いた人間の足が現れた。それを見た彼女は我を取り戻し、憤怒の表情で弾けるように立ち上がった。しかしまさにその瞬間、スプラウト先生が温室へ戻ってきた。
「2年生のクラスがマンドレイクを一部片付け忘れてたようで」
耳あてを脱ぎながら、先生は慌ただしく教壇へ向かった。
「皆さん、ひらひら花の植え替えは大体終わりましたか?」
温室はシンとなった。生徒たちの様子はあまりに不自然だった。いくつかのグループは騒動のせいで鉢を割ってしまったし、パーキンソンのグループにいたっては全員土だらけだ。今にパーキンソンが、ポッターが、誰かが口を開くだろう。何かしらの罰則が降りかかるに違いない。名前はそう覚悟を決めていた。
しかし驚いたことに、誰も何も言わなかった。パーキンソンは悔しそうに突っ立ったまま、地面を睨みつけていた。寮の得点を思ってか、はたまた高すぎるプライドゆえか、彼女は教師に告げ口はすまいと決めたようだ。
割れた鉢があちこちに散乱している件について、スプラウト先生はひらひら花がよっぽど暴れたのだと解釈した。先生が杖を一振りして、粉々だった鉢植えたちをあっという間に綺麗に直していく様を、名前はじっと眺めていた。まだ心臓が口から飛び出しそうな感覚が残っている。グリフィンドール生の誰かが、先生が近くに来た際に何があったかを話すかもしれない。それを思うと名前は気が気でなく、指先もカタカタと小さく震えた。
しかし名前の祈りは通じた。生徒たちは皆沈黙を守り、先生は不在の間に起こったことを知ることなく授業が終わったのだった。
助かった。終業のベルが鳴った瞬間、名前の口から安堵の塊のような息が出た。3人は早足で温室を去り、廊下に出たところでリリーが言った。
「名前、ありがとう。凄いわ、あなた本当に凄い」
その言葉に名前はどう返していいか分からなかった。確かに自分でも凄いことをやってのけたという実感はあった。しかしセブルスがいなければ…反対呪文を知っている生徒がいなければ、今頃どうなっていただろう。そんな想像に身震いしながら、名前はちらっとセブルスを見た。しかし驚いたことに、彼はいつもの仏頂面では無かった。
「まあ、今までの君の魔法の中では一番面白かったんじゃないか?」
セブルスは薄笑いすら浮かべていた。それも、いつも名前に向けられている嘲りの笑みではない。共に戦った味方としての、いたずらな表情だ。
その様子に名前は心からほっとした。同時に測りえない程の嬉しさがこみ上げてきた。リリーは緑の瞳に深い親愛の情を浮かべている。あのセブルスでさえも、今この瞬間、新しい友人をようやく受け入れたかのように名前をまっすぐ見ていた。
巨大な氷塊が一気に溶けたようだった。名前は緊張がほどけたばかりのぎこちない笑顔で、照れ臭くなりながらも頷いた。熟したカボチャがひとりでに、温室からフワフワと運び出されていった。
夕食の大広間で名前の話を聞いたミランダは、あらまあと手で口を押さえた。
昼間のセブルスとのやり取りの後、名前は自分なりに動物もどきについての情報を集めようとしていた。
図書館にある変身術の本を片っ端から開いて動物もどきの章を探したり、高学年用の教科書の索引を端から端までチェックしたりもした。しかし動物もどきの概要こそあれど、具体的な変身方法はどこにも載っていなかった。
「やっぱり動物もどきって難しいのかな?」
焼きポテトをフォークで弄びながら、名前はミランダにたずねた。そこまでではない、やれば出来る、と言って欲しかった。
「まあ、そりゃねえ…」
名前の願いも虚しく、ミランダは目をぱちくりさせ、いかにそれが困難な魔法かを表情で伝えていた。
「普通はムリね。マクゴナガル先生は動物もどきだけど…猫に変身できるのよ」
名前にとってその情報は初耳だったが、全く救われた気がしなかった。ホグワーツで変身術を教えている時点で、マクゴナガル先生がこの国のトップレベルの変身術士である事は明らかだ。一流のプロだけが習得できる技能を、どうして一学生の自分が身に付けられるだろう。
「そうなんだ…まずいなあ。そんなに難しいなんて、知らなかった…」
名前は気まずい思いで数席離れた先のセブルスをちらっと見た。相変わらずその隣にはルシウスがいて、何かヒソヒソと話している。ルシウスが辺りを探るように見渡し始めたので、名前は咄嗟に目をそらした。
「でもやってやれない事はないわ、きっと」
気落ちする名前を見かねて、ミランダが優しく励ました。彼女の手元のゴブレットは今日もエンゴージオの呪文で肥大化している。
「それって"わかる"の?」
名前はミランダの指にはめられた察しの石を暗に示しながらたずねた。しかし彼女は残念そうに首を振った。
「未来の具体的な事はわからないわ。だけどー…」
うなだれる名前に眉を下げながら、ミランダはきっぱりと言った。
「あなたには才能がありそうなんでしょ?だったら諦めるべきではないわ」
それを聞いて小っ恥ずかしい気持ちになりながら、名前はモゴモゴと呟いた。
「でも最初の授業で、一番早く出来たってだけで…やっぱり偶然かもしれないし…」
「名前」
言い訳を遮るように、ミランダが語気を強めた。
「まだ歩けもしない赤ん坊が、世界一高い山を登る事が出来ると思う?言うなればあなたは今、立ち上がることを覚えたばかりなのよ。これから歩き方や走り方を学んでいって、それから登山の準備をするべきなの」
名前はぽかんとミランダを見た。何となく言いたいことは分かる。しかし名前の頭の中は漠然とした不安でいっぱいで、ミランダの助言はうまく響かなかった。
当惑した様子の名前にため息をついて、ミランダはゆっくり諭すように話した。
「つまり、今のあなたは変身術の授業で習う呪文をひとつずつクリアしていくべきだってこと。誰だって最初は基礎からよ。それにそれだけで、もし順調にこなしていけたらって意味だけど、才能の見極めには十分なるでしょう?」
なるほど、とそこで初めて名前は納得した。確かに焦っても仕方がない事だというのは理解していた。
誰だって、マクゴナガル先生だって、ホグワーツの一年生だった時があったんだ。その時先生がした事は何だろう。いきなり猫に変身する事だっただろうか。きっと違ったはずだ、もっと基礎を勉強したに違いないー…。そう祈りながら、名前は皿の上で転がしていた焼きポテトをようやく口に運んだ。
「だから時間に余裕があったら、変身術の予習をどんどんするといいわよ」
食後の紅茶を差し出しながらミランダが言った。
「そうだね…ありがとう」
ダークチェリー色の液体がなみなみと注がれたカップを受け取りつつ、年上の友人とは何と頼もしいのだろうと名前は改めて感じた。
セブルスもそう思っているのだろうか。名前は再び彼らの席に目を走らせた。相変わらず、セブルスはルシウスの話を興味深そうな顔で聞いている。
箒の基礎でも教えてもらっているんだろうか。名前はにやけながら紅茶をすすった。
それからというもの、名前は早めに宿題を片付けて、空いた時間をミランダに言われた通り変身術の予習に割くことにした。
一年生は21時までに寮へ戻らなければいけない規則だったが、気配消しの石のおかげで夜がふけた後も城の中を歩き回ることが出来た。時には必要な材料を集めて、ミランダと訪れたあの不思議な部屋で名前は一人練習に明け暮れた。
興味深い事に、誰かが名前の考えや望みを知っているかのように、部屋には常に欲しいものが用意されてあった。変身術の材料が足りなくなった時、もっと具体的な方法が書かれた本が読みたいと思った時、それらはいつの間にか名前の目の届く場所に置かれていた。
そんな部屋のおかげもあって、名前は新しい呪文を順調に習得していった。独学にも関わらず、途中つまずく事も、変身術をかけ違える事もほとんど無かった。
変身術の3回目の授業で、本来ならば2ヶ月先に取り組むはずである課題を何なくこなした事が、名前にますます自信をつけさせた。自分にはきっと変身術の才能がある。マクゴナガル先生が目を丸くして驚く度に、名前はそう強く思った。
秋も深まり、ハロウィンが翌週に差し迫ってきた。
名前はホグワーツの生活にすっかり慣れ、急に現れるゴーストや、教室の隅に潜むピクシーにもすっかり動じなくなっていた。襲いかかってきたピクシーを反射的にピンポン玉に変えて以来、名前は自身の才能に関する期待がますます大きくなるのを感じた。
しかし変身術以外の授業では、相変わらずうまくいかない日々が続いていた。特に魔法薬学では隣に座るセブルスへのプレッシャーもあいまって、名前自身も驚くほどのへまをやってのけた。
「いい加減にしろ!」
名前の鍋から噴き出した液体をまともにあびて、セブルスが怒りに震えながら呻いた。髪もローブもびしょ濡れだ。名前はハンカチを取り出そうと慌ててポケットに手を入れたが、鍋から漏れたぬるぬるの液体は既に机を滴って床にこぼれ落ち、それに足をとられた名前は派手に転倒した。
名前が腰をさすりながら立ち上がった時、セブルスはもう液体まみれではなかった。杖をかかげ、何やら呪文を唱えながらこぼれた液体を片付けている。
名前の変身術と同じく、セブルスも日々新たに呪文を習得しているようだった。そのうえ魔法薬学では毎回クラス一の出来を誇っており、総合的なバランスという点では彼の方が名前よりも圧倒的に上だった。
そんなセブルスを周囲が段々と妬み始めている事に名前は気付いていた。ただでさえ同級生から避けられがちな彼だったが、ルシウス・マルフォイに目をかけられ、飛行訓練以外では往々にして優れた成績を修めている。周りの生徒が面白くないと思うのも無理はない。セブルスについての良くない噂が流れ始めているのも、名前は知っていた。
「ごめんねえ」
名前はようやく取り出したハンカチで身の回りを拭きながら必死で謝った。しかしセブルスはフンと鼻を鳴らし、そっぽを向いてあからさまな嫌悪を見せつけていた。
セブルスがなかなか心を開いてくれない事が、名前にとっては大きな悩みだった。もうすぐ知り合って2ヶ月が経つ。しかし彼が友好的な態度を見せる兆しは無く、今も名前に背中を向けて自分の作業に勤しんでいる。
そんなセブルスを見ながら、名前は少しだけリリーを羨ましく思った。どんな人の心も開かせてしまうリリー。セブルスのリリーに対する態度だけは、他の誰とも違っていた。名前にはその理由が分かっていた。
何もセブルスに無二の親友になって欲しいとまでは言わない。しかし円滑にグループワークを進められるくらいの友情は欲しかった。
終業のベルが鳴り、スタスタと地下教室から出ていくセブルスの後ろを名前は慌てて追いかけた。セブルスはついてくるなと言わんばかりに、鬱陶しそうに名前を見たが全くの無駄だった。次の授業はグリフィンドールと合同の薬草学で、セブルスも名前も同じ相手のもとへ向かう必要があるのだ。
2人が温室に足を踏み入れ、その奥へと目をやると、燃えるような赤毛の女の子がこちらを見てにっこりと微笑んでいた。名前はセブルスに続いてかぼちゃ畑を横切って歩き、リリーの待つ場所へと向かった。
「名前、何だかローブが汚れてるみたいだけど」
彼女の手の届く位置にたどり着くやいなや、名前はリリーにローブのフードを引っ張られ、後ろを向くかたちになった。
「ああ、さっき大鍋から色々こぼしちゃって…」
どうやらローブの後ろ側がまだ汚れているらしい。自分の目の届く所以外は拭いていなかった。授業が終わったらすぐ洗濯に出さなければ。
名前はリリーに向き直ろうとしたが、彼女は名前の肩をしっかりつかんでそのまま後ろを向かせたがっていた。
「セブ、ほらお掃除の呪文!こないだ覚えたって言ってたでしょう?」
名前の側からは見えないが、きっとセブルスは面倒くさそうな顔をしているに違いない。
低いため息の後、「スコージファイ」と声がして、名前の首元に冷たい風が吹きつけた。そしてリリーの手が肩からぱっと離れ、名前はゆっくりと2人の方を振り返った。
「ありがとう」
フードにチラチラと目線を注ぎながら、名前はセブルスに礼を言った。いつもの通り、セブルスは何も言わない。
数週間前に薬草学のチーム分けがあった。魔法薬学と同じくセブルスと組むつもりでいた名前は、3〜4人のグループという指示に困惑した。スリザリンのほぼ全員が自分たちを良く思っていない事を考えると、適当なグリフィンドール生を誘うほか手段は無い。そんな中クラスでも人気者であろうリリーが、自ら声をかけてくるとは微塵も思わなかった。
「同じ寮の子は、他の授業でも一緒だし」
リリーは太陽のような笑顔を名前とセブルスに向けて、チーム表に3人の名前を書いたのだった。
「せっかくあなたたちと一緒なんだから!」
3人での授業は想像していたよりもずっと楽しかった。リリーの前ではセブルスも大人しく従順であったし、名前の小さなへまもリリーは面白さと受け取って笑い飛ばしてくれた。
彼女のおかげで、薬草学の授業は名前にとって変身術と同じくらい気楽だった。他のスリザリン生は自分たちを異質な目で見てくるが、そんな事はもうとっくに気にならない。
今日の授業は奇遇にも、初日にリリーと2人で眺めたひらひら花についてだった。
生徒達の目の前に置かれたひらひら花は、あの日見たものよりもずっと小さい。スプラウト先生が、この夏に芽を出したばかりだと説明した。ひらひら花と悪魔の罠の類似性、そしてこの花がいかに無害で育てやすいかを話した後、先生は各自に植え替え作業をするよう指示した。
名前たちのグループに割り当てられたひらひら花も、小さいとはいえ既に鉢いっぱいにツルがはびこっていた。2、3日以内に大きな鉢植えに移さないと、今入ってる鉢を内側から破壊しかねない様相だ。3人はうまく役割分担をした上で植え替えをする事にした。
リリーが鉢をおさえ、セブルスがひらひら花を引っ張りあげて植え替え、名前が素早く土をかけるという段取りだ。セブルスは不安そうに名前を見たが、リリーの掛け声で渋々その植物を根元からすくい上げた。
ひらひら花はまだ短いツルをバタバタさせながら宙でもがき、セブルスを程よく手こずらせていた。意外に重みもあるようだ。セブルスは小声で悪態をつきながらそれを大きな鉢植えに押し込んだ。
ビシビシと手を打つツルに負けじと、名前はシャベルでありったけの土を放り込み、急いで表面を叩いて密度を固めた。セブルスは名前のかける土が自分の顔に飛び散るのを息を殺して我慢していた。
かくして、名前たちのひらひら花は無事大きな鉢に植え替えられた。ひらひら花が予想よりも暴れた事と、名前の不器用さが相まって3人は土だらけだったが、他のチームよりは順調に進められたようだった。
セブルスは仏頂面で杖を取り出し、スコージファイで自身と周りを掃除し始めた。名前とリリーは教えて欲しそうにワクワクしながらそれを覗き込んだ。
突然、耳をつんざくような悲鳴がどこからか上がった。生徒達全員が飛び上がり、ガシャンと鉢が割れる音があちらこちらで聞こえた。
甲高い叫び声だ。まるで赤ん坊の癇癪のように、キンキンと長く泣き叫んでいる。その声の大きさと不快さに、名前は思わず耳を塞いだ。
「皆さん、耳をふさいで!」
先生が大声で言うまでもなく、全員が耳に手を当てていた。スプラウト先生はどこからか耳あてを引ったくり、いったんこの温室を出て叫びの元を止めてくる、とジェスチャーで表現した。
スプラウト先生が去ってから間もなく、その叫び声は押し付けられるように小さくなっていった。最後の方はくぐもったような声だった。きっとひらひら花の根っこのように、土に埋められたに違いない。名前はそう思った。声の主も、きっと何かしらの植物だったのだろう…。
先生はすぐには戻ってこなかった。唖然としていた生徒達も次第に気力を取り戻し、各々が目の前のひらひら花へと向かった。
名前たちは植え替えを終えた植物を観察しながらレポートを書き始めていた。恐らく宿題になるだろうが、授業中に少しでも進められてしまえばこっちのものだ。また変身術の予習を進めることが出来る。名前はせかせかと羽根ペンを動かして、ひらひら花の特徴を書き記していた。
すると急に、どこからか土の塊が飛んできて、名前の顔と羊皮紙にまともにかかった。名前は驚いて土をはらい、飛んできた方向を反射的に探した。名前たちの左横で、シャベルを持ったアン・パーキンソンが仲間とニヤニヤ笑っている。
彼女たちに近い側に立っていたリリーの被害はもっと大きかった。顔や首が大いに汚れ、ローブのフードには土がどっさりと入っていた。名前は怒りのこもった目で嫌がらせの犯人を睨みつけた。
「あら、ごめんなさいね」
悪びれた様子をちらりとも見せず、せせら笑いながらパーキンソンが言った。
「つい手元が滑っちゃって…ほら、よくあるでしょ。大鍋から中身が噴き出しちゃうみたいに?」
彼女の言葉に、取り巻きの女子達がケラケラと笑った。名前は思わず顔を赤らめた。しかしパーキンソンの真のねらいが自分ではなくリリーだと言う事が、その視線からすぐに分かった。
「それにしてもさすがマグル生まれね、あっという間に植え替え出来たじゃない」
そう言って、パーキンソンは更に土をひとすくいした。
「小さい頃からこういう泥臭い事いっぱいやってきたんでしょう?マグルは手で掘るしか脳がないものね!」
またしても土がリリーめがけて飛んできた。パーキンソンはまた手がすべったとこぼしながら、仲間たちと腹を抱えて笑っていた。
杖を構えて前に出ようとしたセブルスを、すかさずリリーが止めた。パーキンソンは殺気立つセブルスを見て一瞬怯んだが、リリーがそれを制すであろうことを見越していたようだった。シャベルを持ったまま薄笑いを浮かべている。
「スネイプ、あんたがマグル育ちの混血だって事も知ってるんだからね」
パーキンソンがシャベルでセブルスを指した。それを聞いて、セブルスは動揺を隠しきれないようだった。杖を握る手には先ほどよりも強く力がこもり、今にも飛び出しそうな勢いだ。リリーは彼が利き腕を上げるのを全体重をかけて止めていた。
温室の一角に漂う不穏な空気に、周りの生徒たちも次第に気付き始めた。名前たちの近くにいるグループは皆、手を止めて何事かとこちらを伺っている。パーキンソンは至極満足そうだった。まるで注目が集まるのを待っていたかのようだ。
名前は無視するのが一番だと思った。こんなにも多くの目線があるところで下手な行動はとれない。シャベルで土を飛ばす程度のつまらない悪事に、腹を立ててはいけない。名前は深呼吸した。心を落ち着かせるんだ。へたに魔法をつかってはいけない。同じような事を、リリーが小声でセブルスに呟いていた。
名前は歯を食いしばってパーキンソンから目を背けた。セブルスはまだ怒りに震えていたが、リリーの忠告に従って挑発の主には背を向けていた。
彼は低い声でスコージファイを唱え、リリーと名前にかかった土をあっという間に消し去った。しかしそれがいけなかった。その様子を見た純血主義の少女が、3人の背後で嘲笑った。
「土は落とせても、あんた達にべっとりついた穢れた血までは落とせないでしょうよ!」
セブルスが杖腕を振り上げるのを予期していたかのように、リリーがそれを抑えた。名前は今度こそ立ち向かわねばならないと思った。しかしそう決意してパーキンソンを睨みつけた瞬間、名前の目に新たな影が映った。ポッターとブラックだ。事態を察知してこちらに向かってきている。2人は杖を取り出した。パーキンソンに何かしたがっている。うずうずと輝く彼らの顔を見て、名前はその目論見を一瞬で理解した。こちらの喧嘩をおさめる事で、手柄を立てるつもりだ。この騒ぎを材料に、自分たちの能力をひけらかそうとしてるに違いない。
そうはさせるものか、と名前は杖に手を伸ばした。名前の気迫にポッターもブラックも思わず足を止めた。名前はほとんど無意識的に、剣で敵を斬るようにパーキンソンに向けて大きく杖を振った。
途端にパーキンソンがひっくり返った。何が起こったのか、一瞬誰も分からなかった。しかし敵が地面に倒れた瞬間、名前はその理由をはっきりと見た。パーキンソンの両足が、太くて不気味な指のない物体に変わっている。紛れもない、蛇の尻尾だ。
パーキンソンが悲鳴を轟かせ、温室は騒然となった。辺りからまた鉢植えが割れる音がした。パーキンソンの意志とは裏腹に、蛇の尻尾はユラユラと地を這いずり回っている。杖を下ろしたポッターとブラックが近くに駆け寄ってきた。
パーキンソンは腕を肩まであげ、自分の足から身をかばうように半泣きになって後ずさりをしていた。しかし今や彼女の体の一部となった蛇は離れるどころか、見えない頭を探すように忙しなく揺れ動いている。どうにもならない恐怖に包まれ、パーキンソンはギャーギャーと叫んでいた。
名前にはその様子がおかしくてたまらなかった。リリーは一瞬息を飲んだが、やはり笑いをこらえきれないようだった。名前たちだけではない。ポッターもブラックも、騒動を最初から見守っていたグリフィンドール生は身をよじって笑っている。スリザリン生は全員あっ気にとらえて眺めるばかりで、誰も憐れな姿の同級生を助けようとはしなかった。
名前は誇らしかった。立ち向かう前までの不安や恐れはもはや微塵も無い。気が付けば名前も、他の生徒と同じく声をあげて笑っていた。
当然の報いだ。リリーが受けた理不尽な被害に比べれば、こんなのまだ序の口だ。次はあの非純血一覧が書かれたノートを、巨大なナメクジにしてやりたい…。
しかし次第に周囲の笑い声も途切れてきた。パーキンソンの足が蛇になってから、一分は過ぎただろうか。段々と生徒たちが不安な顔を見せはじめた。
「名前、そろそろ戻してあげたら?」
リリーが恐る恐るたずねた。名前はそれを聞いてハッとした。リリーの言う通り、元に戻さなくてはいけない。しかし…名前は嫌な汗が流れ出るのを感じた。
「まさかとは思うが」黙りこくった名前を見て、セブルスが口を挟んだ。
「元に戻す呪文を知らないなんて言うんじゃないだろうな?」
そのまさかだった。名前は震えながら頷いた。今まで練習ですら、変身術を失敗した事はなかった。それ故に反対呪文を覚える機会が無かったのだ。
セブルスは信じられないという顔で名前を見た後、いつものため息をつきながら呪文を唱えた。
「…レパリファージ」
パーキンソンの蛇の足がスッと縮んだかと思うと、あっという間に土だらけのブーツを履いた人間の足が現れた。それを見た彼女は我を取り戻し、憤怒の表情で弾けるように立ち上がった。しかしまさにその瞬間、スプラウト先生が温室へ戻ってきた。
「2年生のクラスがマンドレイクを一部片付け忘れてたようで」
耳あてを脱ぎながら、先生は慌ただしく教壇へ向かった。
「皆さん、ひらひら花の植え替えは大体終わりましたか?」
温室はシンとなった。生徒たちの様子はあまりに不自然だった。いくつかのグループは騒動のせいで鉢を割ってしまったし、パーキンソンのグループにいたっては全員土だらけだ。今にパーキンソンが、ポッターが、誰かが口を開くだろう。何かしらの罰則が降りかかるに違いない。名前はそう覚悟を決めていた。
しかし驚いたことに、誰も何も言わなかった。パーキンソンは悔しそうに突っ立ったまま、地面を睨みつけていた。寮の得点を思ってか、はたまた高すぎるプライドゆえか、彼女は教師に告げ口はすまいと決めたようだ。
割れた鉢があちこちに散乱している件について、スプラウト先生はひらひら花がよっぽど暴れたのだと解釈した。先生が杖を一振りして、粉々だった鉢植えたちをあっという間に綺麗に直していく様を、名前はじっと眺めていた。まだ心臓が口から飛び出しそうな感覚が残っている。グリフィンドール生の誰かが、先生が近くに来た際に何があったかを話すかもしれない。それを思うと名前は気が気でなく、指先もカタカタと小さく震えた。
しかし名前の祈りは通じた。生徒たちは皆沈黙を守り、先生は不在の間に起こったことを知ることなく授業が終わったのだった。
助かった。終業のベルが鳴った瞬間、名前の口から安堵の塊のような息が出た。3人は早足で温室を去り、廊下に出たところでリリーが言った。
「名前、ありがとう。凄いわ、あなた本当に凄い」
その言葉に名前はどう返していいか分からなかった。確かに自分でも凄いことをやってのけたという実感はあった。しかしセブルスがいなければ…反対呪文を知っている生徒がいなければ、今頃どうなっていただろう。そんな想像に身震いしながら、名前はちらっとセブルスを見た。しかし驚いたことに、彼はいつもの仏頂面では無かった。
「まあ、今までの君の魔法の中では一番面白かったんじゃないか?」
セブルスは薄笑いすら浮かべていた。それも、いつも名前に向けられている嘲りの笑みではない。共に戦った味方としての、いたずらな表情だ。
その様子に名前は心からほっとした。同時に測りえない程の嬉しさがこみ上げてきた。リリーは緑の瞳に深い親愛の情を浮かべている。あのセブルスでさえも、今この瞬間、新しい友人をようやく受け入れたかのように名前をまっすぐ見ていた。
巨大な氷塊が一気に溶けたようだった。名前は緊張がほどけたばかりのぎこちない笑顔で、照れ臭くなりながらも頷いた。熟したカボチャがひとりでに、温室からフワフワと運び出されていった。