第一部
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ミランダに会うことが出来たのは、その日の夜になってからだった。
夕食で賑わう大広間の扉の前に立ち、名前はソワソワとミランダが来るのを待っていた。程なくして、ゆるやかなウェーブの黒髪をなびかせながら彼女がやってきた。ジャラジャラと身につけている石のおかげで、遠くからでもひと目でわかる。
「ミランダ!」
名前はミランダの表情がまだはっきり見えないうちに彼女の名を呼んだ。
あら、とミランダは優雅に手を振った。クールに振る舞いつつも、その顔は嬉しそうな笑みを浮かべている。
「わざわざ待っていてくれたの?」
扉の前で合流し、ミランダが言った。
彼女の学校生活において、こんな事は今まで無かったのだろう。ミランダの表情はいつもより穏やかだった。
そんな彼女の様子を見て、名前はすぐさま石の話を切り出すのはよそうと思った。開口一番にそんな事を聞いたら、それこそセブルスの言う石目当てに思われてしまうかもしれない。
名前とミランダは職員テーブル近くの端に座り、お互いの一日について報告し合った。
ミランダは授業で習ったばかりだというエンゴージオの呪文を唱え、飲み物の入ったゴブレットを小さな樽ほどに肥大化させてみた。今や顔よりも大きくなったゴブレットを抱え、ぶどうジュースを一生懸命飲もうとするミランダの姿は実に滑稽だった。
名前は午前中の出来事について順に話し始めた。飛行訓練でのデビューは散々で、箒を上げるのに15分もかかった上に、大して浮くこともままならなかったこと…。そんな名前の話を聞いて、ミランダが涼しげに言った。
「まあ今のあなたの環境では仕方ないかもね。リラックスしていればもっと上手に出来るはずよ。私、こう見えて箒で飛ぶのは上手いから、チャンスがあったら教えてあげる」
「本当に?」名前は助け舟を見つけた喜びの中ミランダを見た。自然と彼女を彩る無数の石たちに目がいってしまう。うまく飛べる石があるなら、大金をはたいてでも買い取りたいところだ。
「石のおかげじゃないわよ」名前の心を見透かしたように、ミランダが笑った。「小さい頃から移動はいつも箒だったの。うちは煙突飛行ネットワークには入ってないから」
「え!」名前は驚いて声を上げた。煙突ネットワークに入っていない家があるなんて、これまで考えもしなかった。寝耳に水だ。
「正直、入りたい気持ちは山々だけど…」ミランダは悩ましそうに、マッシュポテトにフォークを突き刺して言った。「誰かが秘密裏に、うちの暖炉に入り込んだら大変だから。隠れて暮らしてる意味がなくなっちゃう」
ミランダの家は、自分が考えていたよりもずっとワケありのようだと名前は思った。そして改めて、授業後に駆け寄ってきたセブルスが思い出された。彼が名前にいくつも質問を投げかけてくるくらい、ミランダの出身は特異なのかもしれない。
名前はテーブルを奥からざっと眺めて、セブルスの姿を探した。大広間の扉近くの席に彼は座っていた。隣にいるのはルシウス・マルフォイだ。2人は何やら話し込んでいるように見える。
「それで、変身術はどうだった?」
名前の視線と同じ方向を見ながら、ミランダが問いかけた。
「ああ、それなんだけど…」名前は今こそ本題を話すとき、と意気込んで背筋を伸ばした。
「あのね、びっくりするくらい出来たの。マッチ棒を針に変えるだけだったんだけどー…先生に予習してきたって勘違いされちゃった」
「すごいじゃない。得意なものが見つかったのね」ミランダは手を合わせて、拍手するような素振りを見せた。
「うーん、何ていうか、その」名前は声を落として言った。
「あの、ミランダからもらった石に、変身術を上手くさせる効果とかってあるのかな…?」
ミランダは一瞬きょとんとしたが、名前の不安をすぐに理解したようで、くすくすと笑いながら名前の肩を叩いた。
「ないわ、ないわ。安心して。それはあなたの実力だから」
ミランダの言葉に名前は心底ホッとした。良かった。石の力ではなかったんだ。
名前は安心しきって、大きな鶏肉の塊を口に運んだ。モヤモヤから解放され、安堵感と少しの達成感のなか食べる夕食は美味しかった。
「石は基本的にひとつの効果しか持たないのよ」ミランダが小声で話した。
「前も言ったけど、授業の手助けになるような石は今は持ってないわ。私が2年生で首席になっちゃうといけないから。」
ミランダの冗談に心から笑える程の余裕が戻ってきた。緊張が一気にほどけ、名前はへなへなと肩の力を抜いた。
「良かったあ…。セブルス・スネイプっていう子がいるんだけど、彼がもうあなたの事知ってて。何か石をもらったんだろって問い詰めてきたから、不安になっちゃったの」
名前の言葉を聞いた途端、ミランダの目が鋭くなった。口元は笑ったままだが、先ほどまでの穏やかな笑みとは打って変わっていた。
「それで、なんて答えた?」ミランダは名前の目をじっと見てたずねた。人の心を見透かすような視線だ。ミランダに嘘は通用しない。名前は本能的にそう感じ、事実を伝えた。
名前の答えを聞くと、ミランダは顎に手を当てて悩む仕草を見せた。そして皿によそってあった食事を全て平らげ、ゴブレットの中身をひと飲みした。
「土曜日に話そうと思っていたけど…ちょうどいいから、今日話す事にするわ。あなたも早く食べちゃって。」
そう言ってミランダは名前を急かした。名前は言われるがままに、皿に乗っていたマッシュポテトを口に詰め込んだ。
「それと、セブルス・スネイプの事は知ってるわ。」食事にいそしむ名前をじっと見つめながら、ミランダが言った。「アン・パーキンソンへの攻撃は見事だったわね」
それを聞いて名前はハッとした。そうだった。ミランダはあの一部始終を見ていたのだ。それがきっかけで、偏見を持たないという理由から自分に話しかけてくれたのだ…。そう思い出してから、名前は何か引っかかるものがあるのを感じた。
「あなたはあれを見て、私がマグル生まれに偏見のないスリザリン生だから声を掛けてくれたのよね?」
名前はなるべく食事を急ぎながら話した。
「ってことは、セブルスとも友達になる?」
「…うーん」ミランダは悩ましげな声を出したが、その顔は何もかも分かっているような表情だった。
「彼はダメ…少なくとも、今はダメね。いつか良くなる日が来るかもしれないけど…」
名前はスープの最後の一口を飲みながら頷いた。確かに今のセブルスは非友好的すぎるかもしれない。いつか彼が社交的になる日が来るのだろうか。人当たりの良い気さくなセブルスを想像して、名前は思わず噴き出しそうになった。
食事を終えて、2人は生徒たちの誰よりも早く大広間を出た。廊下には夜の冷たい風が流れ込んでいる。ミランダは名前を連れて、寮とは反対の方向へ突き進んだ。大階段をいくつも登り、名前は少し息切れがしてきた。途中、気まぐれな階段の進路に振り回されそうにもなった。
もうどれくらい登っただろうか。ずいぶん高い所まで来た時、やっとミランダが階段を離れて廊下へと進んだ。
暗い廊下だった。大きなタペストリーがある以外は何も無いように見えた。突き進むミランダの背中を名前は必死に追った。しかし突き当たりの窓に差し掛かった途端、ミランダが急に振り返って元来た道を行った。
場所を間違えたのだろうか。無理もない。ホグワーツはとてつもなく広い上に、その廊下はどれも似たりよったりだ。
名前は慌てて後に続いた。しかしミランダは大階段への曲がり角を無視し、そのまま直進した。かと思えば、また突き当たりでターンして窓の方へ進んでいく。
「ミランダ?」
名前は訝しげに声を掛けた。ミランダはまた窓のところで身を翻している。この上なく無表情で、名前の呼びかけは耳に入っていない様子だった。
名前はミランダの後ろを歩くのを諦め、廊下のタペストリーのあたりで立ち止まった。タペストリーの中ではトロールが人間を叩きのめそうとしている。どこか間抜けそうな人間はすぐに捕まってしまい、名前は反射的に手で目を覆った。
ミランダは一体どうしてしまったんだろうか。名前は少し怖くなった。何も無い廊下を黙って行ったり来たりしている少女は、友人とは言え不気味だった。
そして3往復もした頃、ミランダは廊下の真ん中で急に立ち止まった。
「名前、いらっしゃいな」
ミランダはそう言って手招きをした。名前は恐る恐る彼女に近づいて行った。しかしミランダの隣に立った瞬間、名前はあっと息を飲んだ。さっきまで何も無かったはずの石壁に、扉が現れている。
廊下に着いた時は、何も見当たらなかったのに。名前は思わず目をこすった。しかしこんなにも綺麗に磨き上げられた扉を見逃すはずはない。これは突然現れたのだとしか考えられなかった。
ミランダは慣れた手つきで扉を開け、名前を招き入れた。
部屋の中には小さな机と、二脚の椅子が置いてあった。お世辞にも広いとは言えない空間だ。部屋は暗かったが、宙に浮かぶランタンが小さな明かりを灯している。
「ここ、どこ?」木製の椅子に腰掛けながら名前はたずねた。
「分からないわ」ミランダは微笑みながら答えた。「いつもは椅子が一つだけなんだけど、今日はあなたの分もあるわねー…」
名前はあたりをキョロキョロ見渡した。本当に、机と椅子以外は何もない。しかし部屋には妙な清潔感があった。きちんと手入れがされている証拠だ。
誰が何のために使っているのだろう。秘密の自習室なんだろか。
部屋に興味津々な名前をよそに、ミランダはランタンをひとつ取って机の上に置いた。何かを始めようとしているらしい。
「今から話すことは誰にも言わないでね」
ミランダは人差し指を口に当てながら言った。名前は黙って頷いた。
「まず自分の持ってる石について知りたいでしょう。私、あなたにあげた石についてあんまり説明しなかったわね」
見せてみて、というようにミランダは手を差し出した。名前はローブの右ポケットに手を入れ、麻袋に入った小さな石の指輪を取り出した。
ありがとう、とミランダはそれを受け取って机の上に置いた。透明の石はランタンの灯りを吸い込みながら、机の色と同じ茶色を映している。
「さっきも言った通り、これに変身術を助ける力はないけど」ミランダは笑って言った。
「使う上で疑問があれば、どんな小さな事でも答えるわ。さあ、言ってみて」
名前はうーんと首を傾げた。自分の気配を消すという効果に関しては、朝の談話室でも高い効果を見せた。まるで自分自身が透明になったように。
そしてふと、ミランダに出会った日の夜のことを思い出した。あの日は夜が明けるまで、寮以外のどこかにいたいと思ったっけ。しかし見回りの音がして、慌てて談話室に駆け込んだのだった。名前はひとつ気になる事が浮かんだ。
「気配消しの石って…例えば、これがあれば夜中見回りしてる先生にも、気付かれないで済むの?」
もしそれが出来れば、なんと素晴らしい石なんだろうか。名前は期待を込めた眼差しでミランダを見た。
「相手によるわ」ミランダは考えながら言った。
「監督生はまず問題ない…私の経験上ね。ただ、ダンブルドアやマクゴナガル先生みたいな魔力が強い人には通用しないはず。ああ、フィルチには絶対見つからないから大丈夫よ。」
名前は意外に思った。管理人のフィルチは、いかにも闇の魔術を知っていそうな鋭い目つきをしていると感じていたからだ。しかし自信満々に微笑むミランダを見る限り、フィルチの前で気配消しをした事があるのだろう。
「もちろん、こーんなに大きい気配消しの石を抱えてたら、どんな魔法使いにも気付かれないけど」
ミランダは両手をいっぱい広げて、笑いながら言った。巨大な抱き枕を抱きしめるかのようなジェスチャーだ。
「それじゃ、石の大きさと効き目に関係があるんだ?」
「そう。まあ、全てがって訳じゃないんだけど」ミランダは一呼吸おいて続けた。
「私があなたに渡した石みたいな、"一般的に取引できる"ものは大きな原石から削ったものだから。それでも一定の信用が必要だけど」
「…という事は、気配消しの石を持ってるのは私だけじゃないんだね」
名前はホッとした。大変なものを貰ってしまったことに変わりはないが、世界に一つだけのお宝を所持しているわけではないと分かり、肩の荷が少し降りた。
「そうね、基本的にはね」
2人の影しかない部屋の中で、ミランダは声をひそめて言った。
「この間あなたに教えた2つを除いてだけど…」
「なんだったっけ?」
ミランダの深刻そうな顔を見て、名前はすぐに自分の素っ頓狂な発言を反省した。しかし知ったかぶったところで、彼女には通じないような気がする。
「永遠の命の石と、死者を蘇らせる石よ」
ああそうだった、と名前は頬に手を当てた。最初に聞いた時はショックだったし、半信半疑でもあった。しかし石をある程度知った今なら、そんな存在も信じられる。
「その2つはあなたの家が守ってるんだよね?」名前は深入りしない程度にたずねようと努めた。
「そうしたい所なんだけど」ミランダから返ってきた答えは意外なものだった。
「蘇りの石に関しては、どこにあるか分からないのよ、もうずっと前から」
「そんな!」名前は声を張り上げた。狭い部屋に自分の声が響き渡った。外に漏れてないかと、名前は一瞬心配になった。
「まあまあ落ち着いて」ミランダは余裕たっぷりに名前をなだめた。
「あの石に関してはもうおとぎ話になってるくらいだから…私はそれほど気にしてないの。だって、もう何百年も行方不明なのよ?」
「そんなに前のことなの?」
名前はぽかんと口を開けた。そうとなれば話は違ってくる。それに生まれてから一度も、ゾンビが大量発生したというニュースは聞いたこともない。
「ね?」名前の拍子抜けした顔を見て、ミランダが笑った。
「だから今守っているのは、命の石だけ。私の曾曾曾…うん、数え切れないけど、私のおじいちゃんが持ってる。この世で一番危険な石ね」
名前はミランダの言ってる事がいまいち分からなかった。持ってる、というのは石を使っているという意味だろうか?
しかし名前が疑問を投げかけるより先に、ミランダが「さて」と両手指を名前の目の前に広げた。
「私が身につけてるの、いつも何か気になってたでしょう?ここにある石に関してなら好きなだけ聞いていいわよ」
その言葉を聞いた瞬間、命の石についてはもうどうでも良くなった。名前はキラキラと宝石のように輝く石たちをじっと見つめた。大きさも色もすべて違っている。正直何から聞いていいか、名前は分からなかった。その全部に興味がある。
「じゃあ、一つずつ順番に説明しましょうか」
名前の気持ちを汲み取ったかのように、ミランダが言った。
「まずこれ…これは、察しの石ね」そう言いながら、ミランダは左手の親指を持ち上げた。大理石のように白い石だ。
「何を察するの?」
名前は眉をひそめた。未来でも見えるのだろうか。それとも…
「そう、人の気持ちを察する事が出来る」
自分がまさに今抱いた考えがミランダの口から出たことに、名前は目を丸くした。
同時に道理で、と名前は納得した。ミランダは時折、名前の考えを先回りしたような発言をする。直感が異様に鋭いだけかと思っていたが、そういう事だったのか。
ミランダに嘘が通用しないと感じた理由もこれかもしれないと名前は思った。そして急に胸の内を見透かされているような緊張が走った。自分の考えていることは、全て筒抜けなのでは…。
「人の心までは読めないから大丈夫よ」
ミランダはそう言ったが、名前は少しも安心できなかった。やっぱり読めてるじゃないか。何も考えまいとすればするほど、頭の中に色々な思いが湧き上がった。そして沈黙する事で、心を見透かされているのではという緊張感に焦りが加わるのを感じた。
「例えばどんな風に使うの?」
ミランダの話に集中しようと、名前はたずねた。
「まあ…あなたが心配してるように、誰かの気持ちを汲み取ることもあるけど」ミランダは苦笑いしながら答えた。
「でも、もっと大事な役目を果たしてるわ…。信用していい人間が誰かを、直感で教えてくれる」
名前はまじまじと白い石を眺めた。つまり、この石のおかげでミランダは自分と友達になることを決めたのか。
「じゃあさっき言ってた、セブルスが今はダメっていうのも、その石から分かるの?」
名前は率直な疑問を投げかけた。どうやら単なる心象だけの問題ではないらしい。
「そうよ。ただあくまでも直感だから、理由までは分からない」ミランダは天井を見上げて、これまで察した人物の数を数えているようだった。
「まあルシウス・マルフォイなんかは石がなくても理由も分かるけど。あの家は闇の魔術に傾倒してる。小さい石ひとつだって、あの人に渡れば何をしでかすか分かったもんじゃないわ」
名前はランタンの灯火を横目に、なぜセブルスはダメなのだろうと考えた。ルシウスと懇意にしているせいか、はたまた彼自身が闇の魔術に興味があるのか…。もしそうなら一言申してやらなければ、と名前は思った。
それからミランダは左手の人差し指から順に、一つ一つ説明を続けた。危険回避の石、閃きの石、健康の石、温もりの石(「肌寒くなってきたからね」)、安らぎの石…。
「落ち着きの石はあなたにも貸したわね」
ミランダは右薬指の青い石をちらつかせた。名前はふと、この石が無ければミランダもあたふたしたりするのだろうか、と想像して笑った。
ミランダが右手の中指にはめた「太陽の石」は、名前にとってとても羨ましいものだった。この石をはめている間は頭がスッキリ冴え、起きていられるらしい。
「じゃあ、あの暗い寮でも朝から目がぱっちり覚めてるって事なの?」
名前はうずうずと前のめりになってたずねた。日の入らないベッドでの起床は、名前にとってもはや死活問題なのだ。
「そうよ」ミランダは涼しげに言った。「私、本来は朝にすごく弱いの…」
そうだろう、と名前は思った。ミランダは朝から元気なタイプにはとても見えない。肌は青白く透き通るようで、どちらかと言えば夜に映える美しさだ。
「いいなあ」名前は天を仰いだ。「箒でまともに飛べる事より、朝ちゃんと起きれる方が私には羨ましい」
「そんなに困ってたのね」
名前の言葉にミランダは少し驚いたようだった。
「窓に魔法をかければ?」
「えっ?」ローズは思わず聞き返した。どこの窓のことを言っているのだろうか。そもそも寝室には小窓ひとつも無い気がしていた。
「何でもないわ、1年生には難しいだろうし、ウン」
そう言うとミランダは人差し指にはめた紫の石を見つめて、何やらブツブツ呟き始めた。
「明日の朝、フクロウ便で名前の分の太陽の石を送ってもらえるか家に頼んでみる…」
「これはね」紫の石からパッと顔をあげて、ミランダが説明した。「記憶の石。メモ替わりになるの。」
ミランダの持つ様々な石の力に、名前は心底驚嘆した。こんな魔法道具があるなんて今まで知り得もしなかった。ミランダの家が隠された存在である以上、知らない事は当たり前なのかもしれないが、魔法の世界とは何と奥深いのだろうと名前は改めて思った。
残る石はあとひとつだった。ミランダが右手の親指にしっかりとはめている、ルビーのような赤い石だ。それを更にはめ直すようにぎゅっと握りながら、ミランダが言った。
「そしてこれが、決意の石。私にとって最も大切な石よ」
「決意の石…」名前はその意味の分からなさに、思わずオウム返しした。優柔不断を治したりするのだろうか。
「この石は、一度した決断を守り抜く力を与えてくれるの」ミランダは愛おしそうにその石を撫でた。
「テストで良い成績を取るとか?」
名前は他にそれらしい事が考えられなかった。ミランダはクスクスと笑って、名前の目をまっすぐ見た。
「私はね、生涯をかけて自分の家を守る、っていう決意を込めてる」
ミランダの目は真剣だった。とても12歳の少女とは思えない、何か気迫漂うものがその目にはあった。
彼女の壮大な決意を聞いて、名前は宿題だの遅刻だのと小さな事ばかり浮かべていた自分が恥ずかしくなった。ミランダは自分と全く別の次元を生きているようだ。
しかし彼女の決意を聞いても、それをどう石が叶えてくれるのかは今いち想像がつかない。
「決断を守り抜くって、どういうこと?」
名前は閃きの石が自分にもあればいいのに、と思いながらたずねた。
「一生、その決断から逃れられない」
ミランダは重々しく、けれども誇らしげに言った。
「この石は最初は真っ白な石なの。持ち主が決意を吹き込むと、色が真っ赤になる。そしてそれを叶えるために、持ち主の心や周囲の状況を左右していく」
ミランダは息を吸って、ゆっくりと最後の一言を放った。
「死ぬまでね」
ミランダの言葉に、名前は恐れおののいた。死ぬまで、一度決めた決意を守り通さなきゃいけない?
「じゃあ良い成績をとることを決意にしちゃったら?」
我ながら間抜けな問いだと分かりつつも、名前はわかりやすい例が欲しくて聞いた。
「一生何かしらのテストにチャレンジし続ける人生になるでしょうね」ミランダは笑った。
名前は改めて真っ赤な石を覗き込んだ。先ほどまで宝石のように見えたそれだが、今は地獄の炎のようにさえ感じられる。
「まるで呪いの石ね…」
名前は思わず本音を口にした。一生逃れられない呪縛。そうとしか思えない。
「でも私はこの石に感謝してるわ」
ミランダが視線を手元に落として言った。
「この石が心を強くしてくれるから…ホグワーツに入ってから、一人でいても平気だった。色んな悪い誘惑にも耐えてこれた」
そうこぼすミランダの目が、一瞬寂しそうに揺れた。
「辛抱強く待っていたおかげで、ちゃんとあなたみたいな友人に巡り会えたし…この石が私を制御してなかったら、孤独から逃れたいあまりに、自分の家の秘密を売っていたでしょうね」
名前は急に悲しい気持ちになった。ミランダは、飄々としているようで、ずっと一人で悩み続けてきたんだ。孤独を感じてたんだ。浮世離れしているようで、彼女も石から解き放されればただの少女なのかもしれない。
「さて、そろそろいい時間じゃないかしら」
ミランダは部屋の壁に目をやった。いつの間にか大きな時計が掛かっている。部屋に入った時なぜ気付かなかったんだろう、と名前は目をぱちくりさせた。時計の針は「就寝」近くを指している。
「寮へ戻らなきゃね」
ミランダは立ち上がって、名前の手を取った。
「一人で抱えてた事を話せて良かったわ。最初に言ったけど、全部内緒にしておいてね」
「うん」名前はミランダに背中を押されながら、部屋のドアに手をかけた。
「こちらこそ、嬉しかった…その、私を信用してくれて」
廊下は来た時よりもさらに暗くなっていた。大階段もしんと静まり返っている。急がないと、見回りの監督生に目をつけられてしまうかもしれない。
そう思って早足に歩き出した名前を、ミランダが微笑みながら制した。
「あなたには気配消しの石があるでしょう?」そう言って、ミランダは手を差し出した。
「言い忘れたけど、石は一緒に触れた人みんなに効果があるのよ」
名前とミランダは目を見合わせて、いたずらっぽく笑った。そうして2人は一つの石をお互いの手で握りながら、ゆっくりと階段を降りていった。
夕食で賑わう大広間の扉の前に立ち、名前はソワソワとミランダが来るのを待っていた。程なくして、ゆるやかなウェーブの黒髪をなびかせながら彼女がやってきた。ジャラジャラと身につけている石のおかげで、遠くからでもひと目でわかる。
「ミランダ!」
名前はミランダの表情がまだはっきり見えないうちに彼女の名を呼んだ。
あら、とミランダは優雅に手を振った。クールに振る舞いつつも、その顔は嬉しそうな笑みを浮かべている。
「わざわざ待っていてくれたの?」
扉の前で合流し、ミランダが言った。
彼女の学校生活において、こんな事は今まで無かったのだろう。ミランダの表情はいつもより穏やかだった。
そんな彼女の様子を見て、名前はすぐさま石の話を切り出すのはよそうと思った。開口一番にそんな事を聞いたら、それこそセブルスの言う石目当てに思われてしまうかもしれない。
名前とミランダは職員テーブル近くの端に座り、お互いの一日について報告し合った。
ミランダは授業で習ったばかりだというエンゴージオの呪文を唱え、飲み物の入ったゴブレットを小さな樽ほどに肥大化させてみた。今や顔よりも大きくなったゴブレットを抱え、ぶどうジュースを一生懸命飲もうとするミランダの姿は実に滑稽だった。
名前は午前中の出来事について順に話し始めた。飛行訓練でのデビューは散々で、箒を上げるのに15分もかかった上に、大して浮くこともままならなかったこと…。そんな名前の話を聞いて、ミランダが涼しげに言った。
「まあ今のあなたの環境では仕方ないかもね。リラックスしていればもっと上手に出来るはずよ。私、こう見えて箒で飛ぶのは上手いから、チャンスがあったら教えてあげる」
「本当に?」名前は助け舟を見つけた喜びの中ミランダを見た。自然と彼女を彩る無数の石たちに目がいってしまう。うまく飛べる石があるなら、大金をはたいてでも買い取りたいところだ。
「石のおかげじゃないわよ」名前の心を見透かしたように、ミランダが笑った。「小さい頃から移動はいつも箒だったの。うちは煙突飛行ネットワークには入ってないから」
「え!」名前は驚いて声を上げた。煙突ネットワークに入っていない家があるなんて、これまで考えもしなかった。寝耳に水だ。
「正直、入りたい気持ちは山々だけど…」ミランダは悩ましそうに、マッシュポテトにフォークを突き刺して言った。「誰かが秘密裏に、うちの暖炉に入り込んだら大変だから。隠れて暮らしてる意味がなくなっちゃう」
ミランダの家は、自分が考えていたよりもずっとワケありのようだと名前は思った。そして改めて、授業後に駆け寄ってきたセブルスが思い出された。彼が名前にいくつも質問を投げかけてくるくらい、ミランダの出身は特異なのかもしれない。
名前はテーブルを奥からざっと眺めて、セブルスの姿を探した。大広間の扉近くの席に彼は座っていた。隣にいるのはルシウス・マルフォイだ。2人は何やら話し込んでいるように見える。
「それで、変身術はどうだった?」
名前の視線と同じ方向を見ながら、ミランダが問いかけた。
「ああ、それなんだけど…」名前は今こそ本題を話すとき、と意気込んで背筋を伸ばした。
「あのね、びっくりするくらい出来たの。マッチ棒を針に変えるだけだったんだけどー…先生に予習してきたって勘違いされちゃった」
「すごいじゃない。得意なものが見つかったのね」ミランダは手を合わせて、拍手するような素振りを見せた。
「うーん、何ていうか、その」名前は声を落として言った。
「あの、ミランダからもらった石に、変身術を上手くさせる効果とかってあるのかな…?」
ミランダは一瞬きょとんとしたが、名前の不安をすぐに理解したようで、くすくすと笑いながら名前の肩を叩いた。
「ないわ、ないわ。安心して。それはあなたの実力だから」
ミランダの言葉に名前は心底ホッとした。良かった。石の力ではなかったんだ。
名前は安心しきって、大きな鶏肉の塊を口に運んだ。モヤモヤから解放され、安堵感と少しの達成感のなか食べる夕食は美味しかった。
「石は基本的にひとつの効果しか持たないのよ」ミランダが小声で話した。
「前も言ったけど、授業の手助けになるような石は今は持ってないわ。私が2年生で首席になっちゃうといけないから。」
ミランダの冗談に心から笑える程の余裕が戻ってきた。緊張が一気にほどけ、名前はへなへなと肩の力を抜いた。
「良かったあ…。セブルス・スネイプっていう子がいるんだけど、彼がもうあなたの事知ってて。何か石をもらったんだろって問い詰めてきたから、不安になっちゃったの」
名前の言葉を聞いた途端、ミランダの目が鋭くなった。口元は笑ったままだが、先ほどまでの穏やかな笑みとは打って変わっていた。
「それで、なんて答えた?」ミランダは名前の目をじっと見てたずねた。人の心を見透かすような視線だ。ミランダに嘘は通用しない。名前は本能的にそう感じ、事実を伝えた。
名前の答えを聞くと、ミランダは顎に手を当てて悩む仕草を見せた。そして皿によそってあった食事を全て平らげ、ゴブレットの中身をひと飲みした。
「土曜日に話そうと思っていたけど…ちょうどいいから、今日話す事にするわ。あなたも早く食べちゃって。」
そう言ってミランダは名前を急かした。名前は言われるがままに、皿に乗っていたマッシュポテトを口に詰め込んだ。
「それと、セブルス・スネイプの事は知ってるわ。」食事にいそしむ名前をじっと見つめながら、ミランダが言った。「アン・パーキンソンへの攻撃は見事だったわね」
それを聞いて名前はハッとした。そうだった。ミランダはあの一部始終を見ていたのだ。それがきっかけで、偏見を持たないという理由から自分に話しかけてくれたのだ…。そう思い出してから、名前は何か引っかかるものがあるのを感じた。
「あなたはあれを見て、私がマグル生まれに偏見のないスリザリン生だから声を掛けてくれたのよね?」
名前はなるべく食事を急ぎながら話した。
「ってことは、セブルスとも友達になる?」
「…うーん」ミランダは悩ましげな声を出したが、その顔は何もかも分かっているような表情だった。
「彼はダメ…少なくとも、今はダメね。いつか良くなる日が来るかもしれないけど…」
名前はスープの最後の一口を飲みながら頷いた。確かに今のセブルスは非友好的すぎるかもしれない。いつか彼が社交的になる日が来るのだろうか。人当たりの良い気さくなセブルスを想像して、名前は思わず噴き出しそうになった。
食事を終えて、2人は生徒たちの誰よりも早く大広間を出た。廊下には夜の冷たい風が流れ込んでいる。ミランダは名前を連れて、寮とは反対の方向へ突き進んだ。大階段をいくつも登り、名前は少し息切れがしてきた。途中、気まぐれな階段の進路に振り回されそうにもなった。
もうどれくらい登っただろうか。ずいぶん高い所まで来た時、やっとミランダが階段を離れて廊下へと進んだ。
暗い廊下だった。大きなタペストリーがある以外は何も無いように見えた。突き進むミランダの背中を名前は必死に追った。しかし突き当たりの窓に差し掛かった途端、ミランダが急に振り返って元来た道を行った。
場所を間違えたのだろうか。無理もない。ホグワーツはとてつもなく広い上に、その廊下はどれも似たりよったりだ。
名前は慌てて後に続いた。しかしミランダは大階段への曲がり角を無視し、そのまま直進した。かと思えば、また突き当たりでターンして窓の方へ進んでいく。
「ミランダ?」
名前は訝しげに声を掛けた。ミランダはまた窓のところで身を翻している。この上なく無表情で、名前の呼びかけは耳に入っていない様子だった。
名前はミランダの後ろを歩くのを諦め、廊下のタペストリーのあたりで立ち止まった。タペストリーの中ではトロールが人間を叩きのめそうとしている。どこか間抜けそうな人間はすぐに捕まってしまい、名前は反射的に手で目を覆った。
ミランダは一体どうしてしまったんだろうか。名前は少し怖くなった。何も無い廊下を黙って行ったり来たりしている少女は、友人とは言え不気味だった。
そして3往復もした頃、ミランダは廊下の真ん中で急に立ち止まった。
「名前、いらっしゃいな」
ミランダはそう言って手招きをした。名前は恐る恐る彼女に近づいて行った。しかしミランダの隣に立った瞬間、名前はあっと息を飲んだ。さっきまで何も無かったはずの石壁に、扉が現れている。
廊下に着いた時は、何も見当たらなかったのに。名前は思わず目をこすった。しかしこんなにも綺麗に磨き上げられた扉を見逃すはずはない。これは突然現れたのだとしか考えられなかった。
ミランダは慣れた手つきで扉を開け、名前を招き入れた。
部屋の中には小さな机と、二脚の椅子が置いてあった。お世辞にも広いとは言えない空間だ。部屋は暗かったが、宙に浮かぶランタンが小さな明かりを灯している。
「ここ、どこ?」木製の椅子に腰掛けながら名前はたずねた。
「分からないわ」ミランダは微笑みながら答えた。「いつもは椅子が一つだけなんだけど、今日はあなたの分もあるわねー…」
名前はあたりをキョロキョロ見渡した。本当に、机と椅子以外は何もない。しかし部屋には妙な清潔感があった。きちんと手入れがされている証拠だ。
誰が何のために使っているのだろう。秘密の自習室なんだろか。
部屋に興味津々な名前をよそに、ミランダはランタンをひとつ取って机の上に置いた。何かを始めようとしているらしい。
「今から話すことは誰にも言わないでね」
ミランダは人差し指を口に当てながら言った。名前は黙って頷いた。
「まず自分の持ってる石について知りたいでしょう。私、あなたにあげた石についてあんまり説明しなかったわね」
見せてみて、というようにミランダは手を差し出した。名前はローブの右ポケットに手を入れ、麻袋に入った小さな石の指輪を取り出した。
ありがとう、とミランダはそれを受け取って机の上に置いた。透明の石はランタンの灯りを吸い込みながら、机の色と同じ茶色を映している。
「さっきも言った通り、これに変身術を助ける力はないけど」ミランダは笑って言った。
「使う上で疑問があれば、どんな小さな事でも答えるわ。さあ、言ってみて」
名前はうーんと首を傾げた。自分の気配を消すという効果に関しては、朝の談話室でも高い効果を見せた。まるで自分自身が透明になったように。
そしてふと、ミランダに出会った日の夜のことを思い出した。あの日は夜が明けるまで、寮以外のどこかにいたいと思ったっけ。しかし見回りの音がして、慌てて談話室に駆け込んだのだった。名前はひとつ気になる事が浮かんだ。
「気配消しの石って…例えば、これがあれば夜中見回りしてる先生にも、気付かれないで済むの?」
もしそれが出来れば、なんと素晴らしい石なんだろうか。名前は期待を込めた眼差しでミランダを見た。
「相手によるわ」ミランダは考えながら言った。
「監督生はまず問題ない…私の経験上ね。ただ、ダンブルドアやマクゴナガル先生みたいな魔力が強い人には通用しないはず。ああ、フィルチには絶対見つからないから大丈夫よ。」
名前は意外に思った。管理人のフィルチは、いかにも闇の魔術を知っていそうな鋭い目つきをしていると感じていたからだ。しかし自信満々に微笑むミランダを見る限り、フィルチの前で気配消しをした事があるのだろう。
「もちろん、こーんなに大きい気配消しの石を抱えてたら、どんな魔法使いにも気付かれないけど」
ミランダは両手をいっぱい広げて、笑いながら言った。巨大な抱き枕を抱きしめるかのようなジェスチャーだ。
「それじゃ、石の大きさと効き目に関係があるんだ?」
「そう。まあ、全てがって訳じゃないんだけど」ミランダは一呼吸おいて続けた。
「私があなたに渡した石みたいな、"一般的に取引できる"ものは大きな原石から削ったものだから。それでも一定の信用が必要だけど」
「…という事は、気配消しの石を持ってるのは私だけじゃないんだね」
名前はホッとした。大変なものを貰ってしまったことに変わりはないが、世界に一つだけのお宝を所持しているわけではないと分かり、肩の荷が少し降りた。
「そうね、基本的にはね」
2人の影しかない部屋の中で、ミランダは声をひそめて言った。
「この間あなたに教えた2つを除いてだけど…」
「なんだったっけ?」
ミランダの深刻そうな顔を見て、名前はすぐに自分の素っ頓狂な発言を反省した。しかし知ったかぶったところで、彼女には通じないような気がする。
「永遠の命の石と、死者を蘇らせる石よ」
ああそうだった、と名前は頬に手を当てた。最初に聞いた時はショックだったし、半信半疑でもあった。しかし石をある程度知った今なら、そんな存在も信じられる。
「その2つはあなたの家が守ってるんだよね?」名前は深入りしない程度にたずねようと努めた。
「そうしたい所なんだけど」ミランダから返ってきた答えは意外なものだった。
「蘇りの石に関しては、どこにあるか分からないのよ、もうずっと前から」
「そんな!」名前は声を張り上げた。狭い部屋に自分の声が響き渡った。外に漏れてないかと、名前は一瞬心配になった。
「まあまあ落ち着いて」ミランダは余裕たっぷりに名前をなだめた。
「あの石に関してはもうおとぎ話になってるくらいだから…私はそれほど気にしてないの。だって、もう何百年も行方不明なのよ?」
「そんなに前のことなの?」
名前はぽかんと口を開けた。そうとなれば話は違ってくる。それに生まれてから一度も、ゾンビが大量発生したというニュースは聞いたこともない。
「ね?」名前の拍子抜けした顔を見て、ミランダが笑った。
「だから今守っているのは、命の石だけ。私の曾曾曾…うん、数え切れないけど、私のおじいちゃんが持ってる。この世で一番危険な石ね」
名前はミランダの言ってる事がいまいち分からなかった。持ってる、というのは石を使っているという意味だろうか?
しかし名前が疑問を投げかけるより先に、ミランダが「さて」と両手指を名前の目の前に広げた。
「私が身につけてるの、いつも何か気になってたでしょう?ここにある石に関してなら好きなだけ聞いていいわよ」
その言葉を聞いた瞬間、命の石についてはもうどうでも良くなった。名前はキラキラと宝石のように輝く石たちをじっと見つめた。大きさも色もすべて違っている。正直何から聞いていいか、名前は分からなかった。その全部に興味がある。
「じゃあ、一つずつ順番に説明しましょうか」
名前の気持ちを汲み取ったかのように、ミランダが言った。
「まずこれ…これは、察しの石ね」そう言いながら、ミランダは左手の親指を持ち上げた。大理石のように白い石だ。
「何を察するの?」
名前は眉をひそめた。未来でも見えるのだろうか。それとも…
「そう、人の気持ちを察する事が出来る」
自分がまさに今抱いた考えがミランダの口から出たことに、名前は目を丸くした。
同時に道理で、と名前は納得した。ミランダは時折、名前の考えを先回りしたような発言をする。直感が異様に鋭いだけかと思っていたが、そういう事だったのか。
ミランダに嘘が通用しないと感じた理由もこれかもしれないと名前は思った。そして急に胸の内を見透かされているような緊張が走った。自分の考えていることは、全て筒抜けなのでは…。
「人の心までは読めないから大丈夫よ」
ミランダはそう言ったが、名前は少しも安心できなかった。やっぱり読めてるじゃないか。何も考えまいとすればするほど、頭の中に色々な思いが湧き上がった。そして沈黙する事で、心を見透かされているのではという緊張感に焦りが加わるのを感じた。
「例えばどんな風に使うの?」
ミランダの話に集中しようと、名前はたずねた。
「まあ…あなたが心配してるように、誰かの気持ちを汲み取ることもあるけど」ミランダは苦笑いしながら答えた。
「でも、もっと大事な役目を果たしてるわ…。信用していい人間が誰かを、直感で教えてくれる」
名前はまじまじと白い石を眺めた。つまり、この石のおかげでミランダは自分と友達になることを決めたのか。
「じゃあさっき言ってた、セブルスが今はダメっていうのも、その石から分かるの?」
名前は率直な疑問を投げかけた。どうやら単なる心象だけの問題ではないらしい。
「そうよ。ただあくまでも直感だから、理由までは分からない」ミランダは天井を見上げて、これまで察した人物の数を数えているようだった。
「まあルシウス・マルフォイなんかは石がなくても理由も分かるけど。あの家は闇の魔術に傾倒してる。小さい石ひとつだって、あの人に渡れば何をしでかすか分かったもんじゃないわ」
名前はランタンの灯火を横目に、なぜセブルスはダメなのだろうと考えた。ルシウスと懇意にしているせいか、はたまた彼自身が闇の魔術に興味があるのか…。もしそうなら一言申してやらなければ、と名前は思った。
それからミランダは左手の人差し指から順に、一つ一つ説明を続けた。危険回避の石、閃きの石、健康の石、温もりの石(「肌寒くなってきたからね」)、安らぎの石…。
「落ち着きの石はあなたにも貸したわね」
ミランダは右薬指の青い石をちらつかせた。名前はふと、この石が無ければミランダもあたふたしたりするのだろうか、と想像して笑った。
ミランダが右手の中指にはめた「太陽の石」は、名前にとってとても羨ましいものだった。この石をはめている間は頭がスッキリ冴え、起きていられるらしい。
「じゃあ、あの暗い寮でも朝から目がぱっちり覚めてるって事なの?」
名前はうずうずと前のめりになってたずねた。日の入らないベッドでの起床は、名前にとってもはや死活問題なのだ。
「そうよ」ミランダは涼しげに言った。「私、本来は朝にすごく弱いの…」
そうだろう、と名前は思った。ミランダは朝から元気なタイプにはとても見えない。肌は青白く透き通るようで、どちらかと言えば夜に映える美しさだ。
「いいなあ」名前は天を仰いだ。「箒でまともに飛べる事より、朝ちゃんと起きれる方が私には羨ましい」
「そんなに困ってたのね」
名前の言葉にミランダは少し驚いたようだった。
「窓に魔法をかければ?」
「えっ?」ローズは思わず聞き返した。どこの窓のことを言っているのだろうか。そもそも寝室には小窓ひとつも無い気がしていた。
「何でもないわ、1年生には難しいだろうし、ウン」
そう言うとミランダは人差し指にはめた紫の石を見つめて、何やらブツブツ呟き始めた。
「明日の朝、フクロウ便で名前の分の太陽の石を送ってもらえるか家に頼んでみる…」
「これはね」紫の石からパッと顔をあげて、ミランダが説明した。「記憶の石。メモ替わりになるの。」
ミランダの持つ様々な石の力に、名前は心底驚嘆した。こんな魔法道具があるなんて今まで知り得もしなかった。ミランダの家が隠された存在である以上、知らない事は当たり前なのかもしれないが、魔法の世界とは何と奥深いのだろうと名前は改めて思った。
残る石はあとひとつだった。ミランダが右手の親指にしっかりとはめている、ルビーのような赤い石だ。それを更にはめ直すようにぎゅっと握りながら、ミランダが言った。
「そしてこれが、決意の石。私にとって最も大切な石よ」
「決意の石…」名前はその意味の分からなさに、思わずオウム返しした。優柔不断を治したりするのだろうか。
「この石は、一度した決断を守り抜く力を与えてくれるの」ミランダは愛おしそうにその石を撫でた。
「テストで良い成績を取るとか?」
名前は他にそれらしい事が考えられなかった。ミランダはクスクスと笑って、名前の目をまっすぐ見た。
「私はね、生涯をかけて自分の家を守る、っていう決意を込めてる」
ミランダの目は真剣だった。とても12歳の少女とは思えない、何か気迫漂うものがその目にはあった。
彼女の壮大な決意を聞いて、名前は宿題だの遅刻だのと小さな事ばかり浮かべていた自分が恥ずかしくなった。ミランダは自分と全く別の次元を生きているようだ。
しかし彼女の決意を聞いても、それをどう石が叶えてくれるのかは今いち想像がつかない。
「決断を守り抜くって、どういうこと?」
名前は閃きの石が自分にもあればいいのに、と思いながらたずねた。
「一生、その決断から逃れられない」
ミランダは重々しく、けれども誇らしげに言った。
「この石は最初は真っ白な石なの。持ち主が決意を吹き込むと、色が真っ赤になる。そしてそれを叶えるために、持ち主の心や周囲の状況を左右していく」
ミランダは息を吸って、ゆっくりと最後の一言を放った。
「死ぬまでね」
ミランダの言葉に、名前は恐れおののいた。死ぬまで、一度決めた決意を守り通さなきゃいけない?
「じゃあ良い成績をとることを決意にしちゃったら?」
我ながら間抜けな問いだと分かりつつも、名前はわかりやすい例が欲しくて聞いた。
「一生何かしらのテストにチャレンジし続ける人生になるでしょうね」ミランダは笑った。
名前は改めて真っ赤な石を覗き込んだ。先ほどまで宝石のように見えたそれだが、今は地獄の炎のようにさえ感じられる。
「まるで呪いの石ね…」
名前は思わず本音を口にした。一生逃れられない呪縛。そうとしか思えない。
「でも私はこの石に感謝してるわ」
ミランダが視線を手元に落として言った。
「この石が心を強くしてくれるから…ホグワーツに入ってから、一人でいても平気だった。色んな悪い誘惑にも耐えてこれた」
そうこぼすミランダの目が、一瞬寂しそうに揺れた。
「辛抱強く待っていたおかげで、ちゃんとあなたみたいな友人に巡り会えたし…この石が私を制御してなかったら、孤独から逃れたいあまりに、自分の家の秘密を売っていたでしょうね」
名前は急に悲しい気持ちになった。ミランダは、飄々としているようで、ずっと一人で悩み続けてきたんだ。孤独を感じてたんだ。浮世離れしているようで、彼女も石から解き放されればただの少女なのかもしれない。
「さて、そろそろいい時間じゃないかしら」
ミランダは部屋の壁に目をやった。いつの間にか大きな時計が掛かっている。部屋に入った時なぜ気付かなかったんだろう、と名前は目をぱちくりさせた。時計の針は「就寝」近くを指している。
「寮へ戻らなきゃね」
ミランダは立ち上がって、名前の手を取った。
「一人で抱えてた事を話せて良かったわ。最初に言ったけど、全部内緒にしておいてね」
「うん」名前はミランダに背中を押されながら、部屋のドアに手をかけた。
「こちらこそ、嬉しかった…その、私を信用してくれて」
廊下は来た時よりもさらに暗くなっていた。大階段もしんと静まり返っている。急がないと、見回りの監督生に目をつけられてしまうかもしれない。
そう思って早足に歩き出した名前を、ミランダが微笑みながら制した。
「あなたには気配消しの石があるでしょう?」そう言って、ミランダは手を差し出した。
「言い忘れたけど、石は一緒に触れた人みんなに効果があるのよ」
名前とミランダは目を見合わせて、いたずらっぽく笑った。そうして2人は一つの石をお互いの手で握りながら、ゆっくりと階段を降りていった。