◆第一章◆『記憶なき天才のチュートリアル』


 自動販売機の前に立つと、見たこともない文字列の並ぶデジタルメニューに、侑李はどれを選ぶべきか思わず悩んでしまった。
 そんな彼の様子を隣で見ていたアセビが優しく声をかける。

「甘いものは好きかな?」

「え?…あ、はい…」

 侑李が小さく頷くと、アセビは迷いのない手付きで画面を操作し、出てきた缶を一つ差し出してくれた。

「ほら。飲み慣れているもののほうが心が落ち着くでしょ?」

 手渡されたのは、温かいココアだった。缶から伝わる熱が、冷えた指先をじんわりと温めていく。アセビ自身はブラックコーヒーの缶を手に持つと、「あっちに座ろうか」とホールの隅にある休憩スペースを指差した。

 2人はテーブルを挟んで対面に腰掛ける。

 アセビは静かにコーヒーを口に運ぶだけで、一向いっこうに何かを話し出そうとはしない。静寂せいじゃくに耐えかねた侑李はココアを一口飲んでから不思議そうに首を傾げた。

「あの……俺に話があるんじゃ…?」

「いいえ?君が困っているんじゃないかと思って声を掛けたのよ」

 アセビは穏やかに微笑んだ。

 てっきり、目覚めたばかりの存在として質問攻めにされるものだと思い込んでいた。だが、彼女はそうではない。わざわざ侑李が胸の内に抱えているであろう山のような疑問に「答えを提示ていじしに」来てくれたのだ。侑李はそう解釈した。

「なら……いろいろ、聞いていいですか?」

「ええ、そのために私はここにいる。何でも聞いて」

 アセビがコーヒーの缶を置き、真摯しんいな目を向けてくる。侑李はまず、最も根源的こんげんてきな疑問を口にした。

「……ここは…この世界アスタリスクはなんですか?」

「『ASTERISKアスタリスク』という名の電子世界よ。君も私も、ここにいる住人は全員『電子生命体でんしせいめいたい』と言うデータから生み出された生き物」

「データ……?」

「ええ。ただ、データと言っても生き物だからね。叩かれれば痛いし、致命傷を受ければ消滅もする。ここを旅立って異世界へ行った者は二度とここへは戻れないから向こうで消滅したら再構築生き返るのは無理。でもここに残って働いている科学者や異種族は、この世界アスタリスクに戻るとバックアップがあるから何度でも再構築生き返りが可能なの」

 そこまで淡々と説明したアセビが言葉を止める。

 彼女は一度、侑李のオッドアイを真っ直ぐに見つめる。そして、おもむろに席を立ち、侑李の真横へと移動すると、その耳元にそっと顔を近づけた。

「ただしね――君は特殊とくしゅな方法で構築こうちくされている。君には二度目の再構築さいこうちくは不可能だということ……それだけは絶対に忘れないで」

 冷や水を浴びせられたような緊張感が侑李の背筋を駆け抜ける。

 アセビは侑李の肩口に手を伸ばすと「服に糸くずがついていたわよ」と何事もなかったかのように微笑み、元の席へと戻ってまたコーヒーを飲み始めた。

 今の一言は他の誰にも聞かせてはならない彼女なりの警告だ。

 侑李は高鳴る鼓動をココアで誤魔化しながら次の質問を投げかけた。

「……ここで…働くとしたら仕事ってどんなことをするんですか?」

「そうね…いろいろあるけれど、君の場合はここでは希少な『プログラマー』の資質ししつを持っているし、それに頭もいい。おそらく任されるとしたら『ソケットケーブル』の管理と修正になるかもしれない」

「ソケットケーブル?」

「異世界を繋ぐ道よ。最初にユイから説明されたでしょ?ここはいろんな異世界と繋がっていて、構築こうちくされた異種族はそこへ旅立ているの。その世界同士を繋ぐ接続端子せつぞくたんしがソケットケーブル。この世界アスタリスクの住人にしか使えない特殊な道。その管理を君に任せることになると思うわ」

 アセビの言葉に、侑李は自分の手のひらを見つめた。

「ってことは……その『道』の構築こうちくやプログラムを、俺が触ることになるのか。……俺に出来るかな……」

 記憶がない自分にそんな大役が務まるのだろうか。

 不安げに視線を落とす侑李を見てアセビは柔らかい声で包み込むように言った。

「君は理解が早いから心配ないわよ。それに……もし万が一、出来なかったとしても、他にも仕事はたくさんあるの。それが出来ないからと言って、異世界へ追い出されるようなことは絶対にないから安心して」

 まるで、侑李が心の奥底で恐れていた「利用価値がなければ捨てられるのではないか」という不安を拭う優しい言葉だった。

 侑李は少し気恥ずかしくなり、俯きながらポツリと呟く。

「……なんでそんなに俺に優しいんですか?初対面ですよね?」

「あら?優しくするのに理由がいるの?」

 アセビは少し困ったように眉を下げ、それから悪戯っぽく笑った。

「ならそうね……私の『甥』に似ててほっとけないからって理由にしておこうかしら」

 そう言ってアセビは席を立ち片手を白衣のポケットに手を突っ込んだ。

「あとは自分の部屋にでも戻ってじっくり考えてから答えを出すといいわ」

 彼女はそれだけ言い残すと、侑李を置いて大勢の多種族が行き交うホールの雑踏ざっとうの中へと静かに去っていった。

 残された侑李は、手の中の温かいココアを見つめながら、彼女の残した言葉の数々を、もう一度深く脳内で反芻はんすうしていた。

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