◆第一章◆『記憶なき天才のチュートリアル』


 自動ドアが静かに開き、侑李が廊下へ出ると、塁は壁から背中を離して歩き出した。

「よし、付いてこい」

 無駄のない足取りで進む彼の後ろを、侑李は短い歩幅で追いかける。
 案内が始まるのかと思いきや、塁は面倒くさそうに頭を掻きながら、前を向いたまま口を開いた。

「おい、四ノ宮。施設の見学だが、ぶっちゃけ俺が付き添って案内して回るのは面倒くさい。見学したいなら後で自分で好きにまわれ」

「……え、それって放置じゃ…」

「自分の足で歩いた方が早く覚えるだろ?効率化だよ、効率化」

 そんなもっともらしい屁理屈へりくつを並べながら、塁はある重厚なスライドドアの前で足を止めた。電子ロックが解除され、扉が開く。

 そこは、塁の執務室オフィスだった。

 無機質むきしつなメタリック調の空間には、幾重いくえにも重なる青白いホログラムディスプレイが浮遊ふゆうし、複雑ふくざつなデータコードが滝のように流れ落ちている。部屋の隅には、サーバーラックのような精密機械せいみつきかいが静かに駆動音くどうおんを立てていた。

 まさに、SF映画に出てくる最先端さいせんたんの作業室だ。

 塁は部屋の壁側にある黒いワークチェアにどさりと腰を下ろすと、デスクの下の大きな引き出しから「ある物」を取り出し、侑李へと放り投げた。

「ほら、お前の支給品しきゅうひんだ」

「っ!とっ…」

 侑李が両手で受け止めたのは、鮮やかな赤色をしたヘッドホンだった。
 洗練せんれいされた流線型りゅうせんがたのフォルムで、鈍い光沢を放っている。
 重厚じょうこうなガジェット感に侑李の男心がわずかにくすぐられた。

「耳に設置してみろ。初期登録は済ませてある」

 言われるがままに、侑李は赤いヘッドホンを両手で開き、自分の耳へと装着した。カチリ、と耳の裏側で心地いいホールド感が伝わった、次の瞬間――。
 視界の最前面さいぜんめんに、鮮やかな光の粒子りゅうしが弾けた。

 目の前に浮かび上がったのは、半透明の洗練せんれいされたホログラム画面。
 そこには、侑李自身の現在の脈拍みゃくはくや体温といったバイタルデータや、さらにはこの広大こうだいな『ASTERISKアスタリスク』の建物の現在位置げんざいいちを示すマップと侑李がいる位置を、リアルタイムで表示されていた。

「うわ……すげぇ……」

 驚くべきは、その操作感そうさかんだった。

 手で触れる必要すらなく「マップを拡大したい」「バイタルを確認したい」と自分の脳内で意思を巡らせるだけで、画面が思考に追従ついじゅうするようにして、瞬時に、滑らかに切り替わっていくのだ。

​「……すごいなこれ…思考と直結ちょっけつしてる」

​ 記憶はなくても、この高度なシステムへの理解と適応力は一瞬だった。
 耳元のヘッドホンをかいして、自分の「意識」や「思考」そのものが、外部のシステムと境界線きょうかいせんなくスムーズに溶け合っていくような、不思議なリンク感を覚える。

 ――ユイは、俺のことを『構築した』と言っていた。

 もしも生身の人間ではなく、データによって生み出されたのだとしたら。この身体だからこそ、これほどまでにノイズなく世界のシステムとダイレクトにリンクできるのだろう。

 自分がかつて何者だったかは思い出せない。

 けれど、なぜか自分の中で「この仕組みなら、こう動いて当然だ」と、その構造を直感的に納得できていることが、侑李には少しだけ不思議だった。

 侑李が夢中で画面を切り替えて操作感を確かめていると、塁は再びタバコに火を点け、ふぅーっと白い煙を天井へ吹き上げた。

「もし、お前がまだしばらくここに残って仕事する気があるなら、そのヘッドホンはそのままやるよ。……あー、用事はそれだけだ。もう戻っていいぞ」

 塁はそれ以上侑李を見ることもなく、浮遊するホログラムディスプレイの一つを手元に引き寄せると、気怠けだるげにキーボードを叩き始めた。
 そして、まだその場に立ち尽くしている侑李に対して、顔も上げずに手のひらをシッシッと振って、追い払うような仕草をする。

(本当にマイペースな人だな……)

 呆れ混じりの視線を塁に向けながらも、侑李は耳元の赤いヘッドホンの感触を確かめながら、オフィスの自動ドアへと向かった。

 手渡されたこれヘッドホンがあれば、この謎に満ちた世界を、自分の力で解析して回ることが出来るかもしれない。でも…。
 どうせなら、まずは自分の目で見て回ろうと廊下に出る。

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