◆第五章◆『機械仕掛けの揺り籠』


 ゲートを跨ぎ、アスタリスクへと戻ってきた。

 俺は腕の中のライムを見下ろし、静かに声をかける。

「ライム、その……抱いて運んでも良いか?」

「アスタリスクで生成された機械はすべて軽量化処理が施されているため、充分に可能です」

 腕の中に収まったライムは、その言葉通り、驚くほど軽かった。

 パーツの千切れた痛々しい相棒を落とさないよう、俺はしっかりと抱き締め直すと、一刻も早く修理してもらうためにアリスさんの執務室へと急いだ。

 自動扉が開き、中へと駆け込む。だが、そこにいたのはアリスさんだけではなかった。

 ユイさん、そしてあの塁までもが、俺たちの帰還を待っていた。

「うわわっ!! 侑李君、大丈夫!? 血が出てるじゃん! 塁君! 手当て!! 手当てして!!」

 静かなオフィスに真っ先に声を荒げたのは、ユイさんだった。あわあわと手を振りながら騒ぎ出すユイさんとは対照的に、塁は口に煙草を咥えたまま、持っていた緊急箱を床に置いた。そして、あごで部屋のソファーをさす。こっちに座れ、という合図だ。

 俺はライムを抱えたまま、渋々ソファーへと腰掛けた。
 
 塁は煙草の煙を吐き出し、呆れたような声を出す。

「お前、真珠に似て無茶するようになったな」

 そう呟きながら、塁は俺の耳からヘッドホンを外した。それから、限界を超えた解析能力の反動で左目から流れていた血を、温かいタオルで優しく拭き取っていく。その意外な手の温もりに戸惑っていると、塁は手を動かしたまま、俺の腕の中のライムに問い掛ける。

「ライム。侑李の身体に異常は?」

「解析能力の酷使により脳へ一時的な負荷がかかっていますが、身体的な損傷はありません」

「ん。よく護った」

「仕事ですから」

「――は?」

 塁がライムを褒めた。その事実に、俺はキョトンとして動きを止めてしまう。あの効率主義の塊のような男が、命令違反をしてボロボロになったAIを労うなんて。

 その時、アリスさんが俺たちの元へと静かに近付いてきた。

 俺は我に返り、慌ててアリスさんを見上げる。

「あの……すみません、アリスさん。俺のせいで、ライムにこんな無茶な真似をさせちゃって……。あの、俺もライムの修理、手伝わせてくれませんか?」

 これだけの重傷だ、直すのは大変に違いない。そう思って必死に訴えかける俺の頭を、アリスさんは細い手で優しく撫でてくれた。

「四ノ宮君が無事で良かったわ」

 聖母のような、どこまでも優しい呟き。

 だが次の瞬間、塁がアリスさんの手を容赦なく振り払った。

「おいアリス。侑李の前で余計なことすんな。コイツの感情は、俺ら科学者と違ってまだ思考がガキだ」

「あら。不良科学者よりは四ノ宮君の方がまともな科学者と私は理解してるつもりよ?それよりも早く片付けたいから退いてくれるかしら?」

 塁の冷たい遮り文句に、俺はまた子供扱いかよ俯く。ギスギスとした大人の空気が流れる中、俺の腕の中でライムの微かな駆動音が響いた。

「………マスター」

「ん? どうしたライム?」

 小さな呟きを聞き逃さないよう、俺はライムの口元へと耳を近づける。すると、ライムは、他の誰にも聞こえないほどの小さな、けれどひどく明瞭な声で囁いた。

「マスターとの日々は、とても充実していました。楽しかったです。……また会いましょう」

「ライム…?」

 その言葉の意味が、分からなかった。また会いましょうって、今だって一緒にいるのに。

 俺が問いかけようとした、その刹那だった。

 ガシッ。

「…え」

 アリスさんの細い指が、ライムの柔らかい髪を容赦なく掴み取った。

 そのまま、俺の腕からライムの身体が乱暴に引き剥がされる。アリスさんはボロボロのライムの身体を床に引きずり、部屋の隅にある無機質な『廃棄口』のハッチへと、まるでゴミでも放り込むかのように何の躊躇もなく投げ捨てた。

 ガコン、という冷たい金属音が響き、ライムだったものが闇の向こうへ消えていく。

 何が起きたのか、脳の理解が完全に停止した。

 アリスさんは、呆然とする俺に向かって、いつもと変わらない上品で優しい笑顔を向けた。

「ごめんね。侑李君。私、異世界の魔物は嫌いなの。ほら、汚いでしょ?それに修理しなくても予備はたくさんあるから心配しないで?」

 アリスさんが部屋の奥へと視線を巡らせる。つられて俺もそちらへ顔を向けると――そこには、衣服の汚れ一つない、完全に無傷な『ライム』が、すっと静かに佇んでいた。

「ライム……!」

 よかった。生きていた。直ったんだ。そう思い反射的に駆け寄ろうとした俺の肩を、塁は愚痴を零しながら強い力で組み伏せるように制止する。

「チッ…これだからコイツは嫌いなんだ……侑李。座れ。あれはもう、お前の知るライムじゃない」

「な……何言ってるんだ!! 意味が分かんねーよ!! それに俺が相棒を見間違うはずがないじゃないか!!」

 塁を振り払おうとしながら、俺は部屋の奥のライムへと視線を戻す。そのライムは、さっきまで俺の頭を撫でてくれた温かい瞳ではなく、完全に色を失ったガラス玉のような瞳で俺をじっと見つめ、規律正しく綺麗にお辞儀をした。

「初めまして。四ノ宮侑李さん。僕はNo.2875の自動思考型AIです」

 ――2875。

 最初に出会った時ライムは自分のことを『No.2874』だと言った。

 じゃあ、今、廃棄口へ落とされたあいつは。俺を「相棒」と呼んで、怒られるなら二人で怒られましょうと言ってくれた、あのライムは。

 全身の血の気が引き、声が激しく震える。

「アリス…さん……ライムは……これで、何体目ですか……?」

「ふふ、聞いたでしょ? これで、2875体目よ。まだまだ沢山あるから心配しないでね」

 アリスさんは、愛おしい我が子を愛でるような優しい笑顔のまま、新しく現れたNo.2875の頭をそっと撫でていた。

 何が人間の温もりだ。何が想いの組み込まれたAIだ。

 すべてはまやかしだ。ここは、命も、絆も、心さえもただのデータとして使い捨てる、冷酷な科学者たちの地獄(アスタリスク)だ。

「あ……、……っ」

 視界が急速に暗転していく。激しい吐き気と絶望感に襲われ、脳の処理能力が限界を迎える。
 崩れ落ちる俺の身体を、塁の腕が背後から抱きとめた。
 現実から逃避するように、俺の意識は深い闇の底へと、静かに急降下していった。
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