◆第五章◆『機械仕掛けの揺り籠』
「私、早速『器』の準備をしてくるわ!」
アリスさんは少女のように顔を輝かせて立ち上がると、耳に掛けているイヤホン型端末に細い指で触れた。
「ユイさん? お願いがあるのだけど……」
そのまま、弾んだ声で話しをしながら執務室の自動扉を出て、ユイさんの執務室の方へと向かっていく。その背中を見送りながら、俺はハッと我に返った。
(そうか……)
データ、つまりAIの魂となるロジックが出来上がったからといって、それをアスタリスクの世界で動かすための『身体(器)』は、アリスさん一人では用意できない。それを作り出せるのは『種族構築』を担当しているユイさんだけなんだ。
そこまで思考が至った瞬間、心臓がドクン、と嫌な音を立てた。
ユイさんが動くということは、当然、その助手であるあの男――塁もついてくる。
それに、塁は効率主義の塊で、昔から自立型AIを作りたがっていた。新しいAIの基盤ロジックが完成したなんて知れば、あの男が食いつかないはずがない。
ここにいたら、間違いなく塁に会う。
「……っ……ライム、俺……」
冷や汗が背中を伝う。呼吸が浅くなり、視界がちかちかと点滅を始めた。
あの男の顔なんて、二度と見たくない。声も聞きたくない。真珠を失ったあの冷たい戦場に俺を置き去りにし、真珠のデリートを「仕事」の一言で片付けたあの男から逃げるために、俺はアリスさんのオフィスに居場所を求めたのに。
恐怖と嫌悪感で指先が激しく震えだした、その時だった。
ギュッ、と。
少し冷たい、けれど驚くほど力強い小さな手のひらが、俺の右手を強く握り締めた。
「あっ……」
弾かれたように顔を下げると、すぐ隣に立つライムが、真っ直ぐに俺を見上げていた。その瞳には子供らしい揺らぎは一切なく、凍りつくほどに冷徹で合理的な、AIとしての光が宿っている。
「マスターの脈拍が急上昇しています。脳内ストレス物質の分泌量も危険水域です。……移動しましょう」
「え、あ、待って、ライム……?」
ライムは俺の返事を待つことなく、俺の手を引いて歩き出した。
引っ張られるままオフィスの外へ出たけれど、向かう先は俺の自室がある方向じゃない。どんどん通路を進んでいき、見えてきたのは巨大な『ゲート』の遮蔽壁だった。
「ライム、仕事まだ残ってるのか?点検はさっき終わったんじゃ……」
「本日の任務ログはすべて完了しています」
ライムは足を止めることなく、ゲートの脇にある認証パネルに視線を向けた。
「種族。No.2874の自動思考型AI。名前。ライム。通行の許可をください」
『――認証確認。種族。No.2874の自動思考型AI、名前・ライム。および種族。亜人、名前・四ノ宮侑李。通行を許可します』
触れなくても、ダイレクトにシステムへと介入する。瞬時にパネルのライトがグリーンへと切り替わり、重厚な電子音が鳴り響いた。
「じゃあ、なんで……」
「これは、マスターのストレスを無くすための『散歩』です」
ライムは振り返り、今度は安心させるように、ふっと優しく微笑んだ。
鈍くも重い音を立てて、左右に開いていくゲート。その向こうには、あの上下左右の概念がない完全な暗闇と、一直線に伸びる黄色い光の道――ソケットケーブルが広がっている。
「さあ、行きましょう。マスター」
ライムは俺の手を握ったまま、迷いのない動きでふわりと無重力の空間へ身体を浮かばせた。俺もその小さな手に引かれるようにして、アスタリスクの冷たい空気から逃れるように、鮮やかな黄色い光の道へと足を踏み入れた。