◆第五章◆『機械仕掛けの揺り籠』
「……アリスさん」
俺は空になったティーカップを机に置くと、ソファーの上のライムから、アリスさんへと視線を戻した。
「俺、もっとこの子たちのことを知りたいです。……アリスさんが作ろうとしている『Bチップ無しの自立型AI』の開発、もっと詳しく、俺に教えて下さい。手伝わせて下さい」
その言葉に、アリスさんは少し驚いたように白目のない真っ黒な丸い瞳を見開いた。けれどすぐに、その深い海のような瞳を愛おしそうに細めて、嬉しそうに頷いてくれた。
「ええ、もちろんよ。四ノ宮君がそう言ってくれるなら、これほど心強いことはないわ」
休憩を終えた俺たちは、再びデスクの前に並んで座り、ホログラムディスプレイに向き合った。
先ほどまでとは、俺の心の持ちようが違っていた。
左目の解析能力に意識を集中する。この左目は俺が理解しやすいように解析してくれる。俺だから解読出来る能力なんだ。長時間の使用は脳に負担がいく。解析して記憶したら能力を解除し、記憶したコードを解読する。これなら長時間の使用は避けられる。
AIはただのプログラムじゃない。今から創り出すAIには、冷酷なアスタリスクのシステムを超えた、生きた人間の温もりや想いが確かに組み込まれている。それを理解した今、俺の指先は、プログラマーとして再構築された能力のすべてを解放するように、キーボードの上を狂ったように滑り始めた。
「四ノ宮君、次の『
「それなら、
「……! なるほど、環境データをそのまま感情の
「そこは俺が最適化のコードを作ります。無駄な
俺の頭の中では、驚くほどクリアに、何万行ものコードが組み上がっていくのが見えていた。……不便な能力なんかじゃなかった。俺だけにしか使えない特別な力。この能力を持って構築されて本当に良かった。
アリスさんの膨大なAI理論と、俺の圧倒的な最適化ノウハウ。二つの才能が完全に噛み合い、爆発的な速度でプログラミングが書き換えられていく。
オフィスに響く俺たちのタイピング音は、周囲で働くAIたちの
ふと視線を感じて横を向くと、いつの間にか本を閉じたライムが、ソファーから降りて俺のすぐ傍に立っていた。ライムは、目まぐるしく変化していくホログラムの数式を、じっと見つめている。
「マスターのコードはいつみても熱量を感じますね。嫌いじゃないです」
ライムが静かにそう呟いた。
AIである彼には、俺の感情そのものは見えないかもしれない。けれど、叩き出されるプログラムの「密度」と「速度」から、俺の意志を正確に感じ取っているようだった。
「ああ。お前と同じ頼りになるAIを創るんだ。ライムも手伝ってくれるか? そこから処理の同期のサポートを頼むよ」
「了解しました。システムにダイレクト
ライムが小さく頷き、モニターに視線を向ける。その瞬間、ホログラムディスプレイの処理速度がさらに跳ね上がった。
アリスさんが大枠の設計図を描き、俺が魂となるコードを打ち込み、ライムがそれを最適に繋ぎ止める。
真珠を失い、一人で泣いていたあの暗闇の世界から、俺は今、確かに新しい繋がりの中にいる。その実感が、胸の奥の喪失感を心地よい熱で満たしていく。
「――よし、これで……ラストッ!」
最後のキーを強く叩き込むと、画面いっぱいに広がっていた複雑なエラーログがすべて消え去り、鮮やかなグリーンの「
『Bチップ不要・完全自立型AI基盤ロジック:
「できた……!」
俺が声を上げると、アリスさんは画面を見つめたまま、言葉を失ったように呆然としていた。やがて、彼女は息を呑み、子供のように顔を輝かせて俺の手を握りしめた。
「
興奮気味で母国語を使うアリスさんに俺はキョトンとする。
聞いたことのない言語のはずなのに、なぜかちゃんと意味が理解出来る……。
「えっと……アリスさんの設計が完璧だったからです。俺はそれをちょっと整理しただけだしライムも手伝ってくれたから……」
照れくさくて頭を掻き俺は隣にいたライムを見下ろす。
「マスター。お疲れ様でした」
淡々とした口調ではあったけれど、俺はそんなライムの頭を、今度は迷わずにぽんぽんと大きく撫で回した。
「ありがとな、ライム。お前のサポートのおかげだよ」
ライムは嬉しそうに目を細める。
どこまでも冷酷で暗いアスタリスク。けれど、この海の底のように静かなオフィスの中だけは、確かに温かい未来への一歩が刻まれていた。