◆第五章◆『機械仕掛けの揺り籠』


 ソケットケーブルでの任務を終え、俺とライムはアリスさんのオフィスへと向かった。
 自動扉が開き、相変わらずAIたちが黙々とコードを組み立てる中を通り抜けて、俺はアリスさんの元へと歩み寄る。

「あら、四ノ宮君、ライム。おかえりなさい。本業の方はお疲れ様」

「ただいま、アリスさん。今日もAI開発の仕事手伝うよ」

 俺がそう言うと、アリスさんは真っ暗な瞳を嬉しそうに細めた。

 それからしばらくの間、俺たちはデスクを並べ、新しく構築する「Bチップ無しの自立型AI」のプログラミングに没頭した。アリスさんの出す的確な指示と、俺のプログラマーとしてのノウハウが噛み合い、複雑なコードの羅列が少しずつ形を成していく。真珠を失った喪失感が消えたわけじゃない。けれど、この集中している時間だけは、胸の穴が前を向くための熱量で満たされるような気がした。

「ふふっ。流石は四ノ宮君ね。それじゃあ、このセクションの構築は一旦ここまでにして少し休憩にしましょうか」

 アリスさんがキーボードから手を離し、伸びをしながらそう言った。彼女の髪の隙間から覗く透明な触手も、リラックスしたようにゆったりと揺れている。

「あ…うん。分かった。」

 緊張が解け、俺が椅子に背中を預けると、アリスさんは手際よく温かい紅茶を淹れて、俺の前にそっと差し出してくれた。
 一口、口に含んでみる。上品な茶葉の香りと共に、たっぷりのミルクと、しっかりとした砂糖の甘みが口いっぱいに広がった。

「…ん……すごく甘くて美味しい……」

「ふふ、口に合って良かった。アセビから聞いたのよ? 侑李君がココアを美味しそうに飲んでいたって。だから、きっと甘いのが好きなのかなと思ってね」

 アリスさんは自分のティーカップを傾けながら、慈しむような笑顔を浮かべた。アスタリスクに来てから、大人の科学者にこんな風に他愛のない気遣いをされたことなんてなかったから、なんだかくすぐったい。

「……実はライムも、昔は甘いのが好きだったのよ?」

 アリスさんはそう言うと、部屋の隅にあるソファーへと視線を向けた。そこでは、ライムがちょこんと腰掛け、子供向けの本を静かに読んでいる。アリスの言葉が聞こえているはずなのに、ライムはピクリとも動かず、ただ淡々とページをめくっていた。

「ライム?……ライムはAIなんじゃ…」

 俺の問いかけに、アリスさんはどこか懐かしそうな、それでいて少し切ない瞳でライムを見つめた。

「ええ。あの子ね……私の亡くなった息子の『Bチップ』を利用して作ったAIなの。もし、今もあの子が生きていたら、ちょうど13歳くらいになっているはずなんだけどね……」

「息子の、Bチップ……」

 俺は、紅茶のカップを持ったまま言葉を失った。

 ライムがなぜ、小学生ほどの幼い少年の姿をしているのか。その理由が、今初めて分かった。アリスさんは、遺された我が子の生体脳チップブレインチップをベースにして、ライムという大切な存在を作り上げたのだ。

 視線をソファーへ戻す。ライムは相変わらず、自分の過去や元の姿についての話がされているというのに、眉一つ動かさずに読書に没頭している。それは、アリスの言葉を冷たく無視しているわけじゃなかった。

「いま自分が介入する必要のない会話」だからこそ、静かに自分の作業を優先する――AI特有の、極めて機械的で合理的な思考回路によるものだ。けれど同時に、読んでいる本を少し楽しそうに、素直に見つめている横顔は、完全に8歳の子供そのものだった。

 子供特有の無垢な優しさと、AI特有の冷徹な効率主義。
 その二つが歪に、けれど奇跡的なバランスで交じり合っているからこそ、ライムにはあの不思議な「人間味」があるのだと、俺は深く得心した。

 冷酷なアスタリスクの世界で、亡き息子の面影を抱きながらライムを創ったアリスさん。そして、記憶はなくとも、その仕草や優しさを引き継いで俺の隣にいてくれるライム。

 淡々とページをめくるライムの小さな姿を見つめながら、俺の胸の奥に、彼に対するこれまで以上の愛着と、確かな信頼がじんわりと湧き上がってくるのを感じていた。
3/9ページ