◆第五章◆『機械仕掛けの揺り籠』
あれから、数週間の月日が流れた。
俺の日常は、少しずつ、けれど確実に変わり始めていた。
ゲートを跨いだ先、上下左右の概念がない完全な暗闇の宇宙空間。そこに一直線にどこまでも伸びる、鮮やかな黄色い筒状の道――ソケットケーブル。
俺は今、その半透明な光の壁の内側に身を置きながら、手元のホログラムディスプレイに素早くコードを打ち込んでいた。
「よし……これで、このセクションのラインは修復完了、っと」
データの同期が完了し、黄色い光の壁の揺らぎがピタリと安定する。以前、初めて真珠に手を引かれてここを通った時は、壁の向こうに蠢くクリーチャーの姿に生きた心地がしなかった。けれど今の俺には、頼もしい新しいバディがいる。
キィィィィン――ッ!!
鼓膜を突くような鋭い駆動音と共に、光の壁の外側、暗黒の宇宙空間で爆発的な光が弾けた。ソケットケーブルを外から噛みちぎろうとベタリと張り付いていた巨大な化け物の肉体が、一瞬にして分子レベルで粉砕され、宇宙のチリへと変わっていく。
「周辺のクリーチャー、すべて排除完了しました。マスター」
淡々とそう告げながら、黄色い光の壁を透過してこちらへ戻ってきたのは、ライムだ。小学生ほどの小さな体をしているが、アスタリスクの上位権限による強力な戦闘コードを利用し、ダイレクトにシステムへ介入して敵を塵に換える事ができる自立型AI。
その圧倒的なサポートがあるからこそ、俺はこうして安全に、本職であるソケットケーブルの修理と管理をこなすことができていた。
「うん、ありがと、ライム。助かったよ」
俺はホログラムを閉じるとヘッドホンを首に掛け、ふう、と息を吐きながら、光る壁の向こうの暗闇を見つめた。
指先を動かしてコードを修復していくこの単純な作業は、かつて自室で復讐のプログラムを狂ったように組み上げていた頃とは違い、どこか俺の心を凪いでくれた。それと同時に、自然と、数週間前にアリスさんのオフィスへと案内された日の記憶が脳裏に甦ってくる。
あの日、塁の冷徹な目を逃れて辿り着いたアリスさんのオフィス。
アリスさんは俺に一つの提案をしてくれた。
『私、今度は『Bチップ無し』で動く自立型AIを作りたいの。侑李君、良かったら手伝ってくれない?』
その言葉を聞いた瞬間、俺の胸の奥で、確かに何かが跳ねた。天才プログラマーとして再構築された俺の、本能とも言える知的好奇心。AIという未知の領域への強い興味。それだけじゃない。真珠を失ったあの真っ黒な喪失感を、前を向くためのエネルギーで少しずつ埋めてくれるような気がして、俺は『手伝わせて下さい』と、迷わずにその申し出を了承したんだ。
「マスター」
「……あ」
不意に、すぐ隣から声をかけられ、俺はハッと現実へと引き戻された。見上げれば、ライムがすぐそばに立ち、大人びた、けれど子供特有の無垢さを湛えた瞳で俺を見つめていた。
「このセクションの同期、すべて正常です。……マスター、戻りましょうか」
「ああ、そうだな。ライム。今日もアリスさんのとこ行こうぜ」
俺がそう言ってライムの柔らかい髪をぽんぽんと撫ぜると、ライムはどこか安心したように、小さく口元を緩めて微笑んだ。
「はい、マスター。お供します」
ライムは小さく頷くと、無重力の空間を滑るようにして、ふわりと俺の少し前を泳ぎ始めた。その小さな背中を追いかけながら、俺もゆっくりと体を浮かせる。
あの海の底のように静かなアリスさんのオフィスへ向けて、俺たちはソケットケーブルの光の道を歩み進めた。