◆第五章◆『機械仕掛けの揺り籠』


 アリスさんのオフィスの扉が、静かに左右へと開く。

 その向こうにある新しい環境に、俺はほんの少しの希望を抱きながら、一歩を踏み出した。

「――え?」

 部屋に足を踏み入れた瞬間、俺は思わずその場に立ち尽くし、目を見張った。白を基調とした広大な空間。そこに整然と並んだデスクに向かって、無数の「人間」たちが座り、黙々とキーボードを叩いていたからだ。

 アスタリスクにきてからというもの、俺の周りにいたのは効率主義で冷徹な科学者たちや、異世界の異種族ばかりだった。真珠のような魚人や、俺を殺そうとした獣人。そんな世界だからこそ、自分と同じ姿形をした「人間」がこれほどたくさん働いている光景は、あまりにも異質で、同時に奇妙な安堵感を抱かせた。

「人間も……いたんだ……」

 ぽつりと、心の声が口から漏れる。

 すると、俺の隣を歩いていたアリスさんが、真っ暗な瞳を柔らかく細め、ふふっ、と鈴を転がすような声で笑った。

「驚かせちゃったかしら? でもね、四ノ宮君。あれ、全部AI(ロボット)なのよ」

「えっ……全員、AI、ですか……?」

 もう一度、並んだデスクへと視線を戻す。

 言われてみれば、100人はくだらないであろうその「人間」たちは、一切の私語を交わすことなく、一糸乱れぬ動きで画面に向き合っていた。彼らが構築しているのは、複雑に絡み合うAIのプログラミングコードだ。
 
 圧倒される、というのとは少し違った。俺自身、天才プログラマーとして再構築された身だ。だからこそ、これほど精巧で人間そっくりのAIを100体も同時に動かし、各自に与えられた高度なコード構築任務を完璧にこなさせているアリスさんの技術力に、純粋なプログラマーとしての興味と驚きが、胸の奥から湧き上がってくるのを感じていた。

「私の部下は、あの子たちだけ。みんな、自分の仕事だけを忠実にこなしてくれる、とても優秀な子たちよ」

 アリスさんは愛おしそうに空間を見渡した後、くるりと俺の方を振り返った。髪の隙間から覗く透明な触手が、優しくゆらゆらと揺れている。

「さて、四ノ宮君。さっきユイさんとの話を伝えたけれど……君の本来の仕事である『ソケットケーブルの修理と管理』を優先でお願い」

「あ、はい」

「そしてその本業の仕事が終わって、もし手が空いていたら……いつでいいわ。ここに寄ってちょうだい。強制でもなんでもない。君が来たいと思った時に、いつでも来てくれる?」

「……っ…」

 アリスさんの言葉が、じわじわと胸に染み渡っていく。

 塁はこれも仕事だと無理矢理呼んで手伝わせていた。
 けどアリスさんは違う。与えられたのは、縛り付けるための席ではなく、いつでも逃げ込んでいい自由な空間だ。

 真珠を失い、塁への怒りと自分の無力さに潰されそうになっていた俺に、アリスさんは「いつでも休んでいい居場所」をくれたのだ。
 その温かい優しさに、張り詰めていた心のトゲが、少しずつ溶けていくような気がした。

「……ありがとうございます、アリスさん。俺、仕事が早く終わったら、絶対にここに寄ります」

 深々と頭を下げた俺の隣で、ライムがどこか安心したように小さく微笑んだのが見えた。
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