◆第一章◆『記憶なき天才のチュートリアル』


 案内された廊下を靴を履いていない裸足でペタペタと歩く。

 左右に広がる壁には、一定の間隔かんかくを開けて未来的なスライド型のドアが並んでいる。そして反対側の壁は、天井にまで達する広大こうだいなガラス張りになっていた。

 何気なく窓の外へ視線を向けた侑李は、思わず息を呑む。
 雲が眼下に広がっている。まるで、建物ごと空高くに浮いているかのような超高高度ちょうこうこうど。その遥か空中を、見たこともない奇妙な生き物たちが、当然のような顔をして縦横無尽じゅうおうむじんに行き交っていた。

「ついたぞ。入れ」

 爬虫類男にうながされ、指定されたスライドドアの中へと入る。
 そこは、驚くほど何もない無機質むきしつなワンルームだった。ベッドも机も、生活感を示すものは一切ない。

 すると、爬虫類男が白衣のポケットからスマートフォンに似た薄型の端末を取り出し、画面を造作むぞうさにタップした。

 次の瞬間、向かい合う形のソファが二つ、音もなく出現した。まるで、最初からそこに存在していたかのように空間に馴染んでいる。

「ほら、座った座った」

 言われるがままに、侑李ゆうりは2人と対面する形でソファに腰を下ろした。着席した途端、猫耳の少女がソファの上で身を乗り出し、元気いっぱいに手を挙げる。

「まずは自己紹介からね!私はユイ!種族は猫の獣人。こう見えても三十歳なんだよ?ASTERISKアスタリスクの基盤となる『異種族構築いしゅぞくこうちく』の責任者なんだから!それで、こっちが――」

「このチビの助手をしているるいだ。種族は同じく獣人。主にお前みたいな新人のサポートを担当している」

(……自己紹介に『種族』をつけるのか?)

 俺の中の常識が消えかけている頭でも、その響きにはかすかな違和感を覚える。だが、侑李は口を挟まず、黙って2人の話に耳を傾けた。ユイは猫の尻尾を上機嫌に揺らしながら、人差し指を立てて世界の説明を始める。

「ここはね、様々な種族を生み出す『箱庭』!ここで生み出された種族は、ここを出て他の世界で新しい人生を謳歌おうかするか、それともこの場所に残って私達と一緒に仕事をするか、自由に選べるんだよ。――と、いうわけで!私は侑李君!君に!ここで科学者として仕事することを強く推奨すいしょうします!!」

「いや、だから本人が決めることでしょ」

 るいが呆れたようにツッコミを入れながらソファから立ち上がり、今度は侑李のすぐ隣へと腰掛けた。そのまま、遠慮なく侑李の肩を組んでくる。

「目が覚めたばかりの奴は、自分の『種族』と『能力』を知らないからな。俺の固有能力こゆうのうりょくでそれをコピーして、今からお前に教えてやる」

 そう言った直後、類の肌の鱗が生き物のようにゾワリと増殖ぞうしょくした。同時に、彼の左目がギラリとした鮮やかな翡翠ひすい色の瞳へと変貌へんぼうする。

 るいの瞳が侑李を捉えた、その瞬間…

「うっわ!?なんだこれっ!えぐっ!?」

 るいはまるで熱い鉄板にでも触れたかのように、慌てて侑李から手を離し、侑李から距離を取る。その瞳は、いつの間にか元の爬虫類の縦長の瞳に戻っていた。驚愕きょうがくに目を見開くるいを見て、ユイがソファの上でピコピコと耳を動かした。

るい君!どう?はやくはやく!何が見えたか教えて!」

「……はぁ………」

 るいは大きくため息をつき、頭をガシガシと掻きむしると、真剣な目を侑李に向けた。

「いいか?まず目を閉じろ」

 侑李は首を傾げながらも、言われた通りゆっくりと目を閉じる。

「次に、左の片目だけを開けろ。で、俺の『中身』をじっくり覗き込むイメージをするんだ」

「……覗き込む……」

 ――その瞬間、世界が変貌へんぼうした。
 るい輪郭りんかくが、肉体が、衣服が、すべて境界線きょうかいせんを失っていく。

 侑李の左目が捉えたのは、皮膚ではなく、無限にひしめき合い、うごめきながら上下左右へとスクロールしていく『英数字の文字列』だった。緑色の光を放つ無数のコード。それが、一寸の狂いもなく複雑な演算えんざんを繰り返しながら、るいの形を構築こうちくしている。奇妙で、おぞましく、だけど圧倒的に美しい光景。

(……いや、待て。この文字列……知っている…)

 親の顔も、自分がどこで何をして生きてきたかも、何一つ思い出せないはずなのに。なぜか、この目まぐるしく流れる文字の羅列られつだけは、まるでずっと昔から毎日見つめていたかのように、自分の脳に、魂に、深く深く馴染んでいた。

 理由のわからない既視感きしかんに戸惑いながらも、侑李の脳は、その流動りゅうどうする文字列を「文字」としてではなく、一瞬で「意味を持つ構造こうぞう」として理解し始めていた。目まぐるしく行き交う英数字を目で追い、その中の一つの構文ブロックを正確にとらえる。

「……カメレオン?」

 侑李がぽつりと首を傾げて呟いた瞬間、るいは完全に息を飲んだ。

「お前……あの速度の文字列コードが読めたのか……?」

「え?いや…流石に全部は……」

 侑李が意識を逸らすと、世界の変貌へんぼうは嘘のように収まり、るいは元の爬虫類の獣人に戻っていた。るい驚嘆きょうたんの混じった視線と一本の指を侑李に指す。

「お前の種族は『亜人あじん』だ。そして能力は、その左目で見た対象の情報を『解析アナライズ』する。ただし、さっきお前自身が見たように、すべての対象が『プログラムのソースコード』として表示される」

(なんだその、便利そうで致命的に不便な能力は……)

 侑李は内心で大きな愚痴を漏らした。

 解析したところで、それを自分の頭で解読デコードしなきゃ意味が分からないなんて、効率が悪すぎる。
 もっと直感的で便利な能力はなかったのか?

 しかし、ユイの反応は真逆だった。彼女は目を輝かせ、ソファから立ち上がると侑李の腰にしがみついてくる。距離感バグってるのかな…。

「すごいすごい!!やっぱり本物の天才じゃん!ねえ、おねがーいっ!私達と一緒にお仕事しよー!ここ科学者が少なくてめちゃくちゃ困ってるんだよぉー!」

 猛烈もうれつな勧誘を始めるユイだったが、るいが背後から彼女の首根っこを子猫のようにひょいと掴み、元の席へと引き戻す。

「急かさないで下さい。ただでさえ記憶がなくて混乱してるんですから」

 2人のやり取りを見ながら、侑李は自分の状況を整理する。

 『種族構築』――つまり、あらゆる多種族を生み出す世界。

 そして、俺は『亜人』。

 亜人という種族は、何か一つ特殊とくしゅな能力を持っているだけで、基礎的きそてきな身体能力はただの人間と変わらない…………ゲームの知識だけど合ってるのかな?でもユイが抱き着いてきた時に引き剥がそうとしたがびくともしなかった。

 獣人のような強靭きょうじんな身体能力も、魔法のような派手な力もない自分が、あの窓の外に広がっていた未知の外の世界へ放り出されて、まともに生きていけるわけがない。

 2人をまっすぐに見つめ、侑李は静かに口を開いた。

「……少し、考えさせてほしいんだけど…」

 拒絶ではなく、保留。その答えに、ユイは「もちろん!」と顔をほころばせ、嬉しそうに飛び跳ねた。

「全然オッケー!なら、君の部屋は今日からここね!施設の中なら、好きな場所を回って見学していいから!」

「ほら。部屋の内装や家具は、これを使うといい。自分好みに変えろ」

 るいが先ほどのスマートフォン型の端末を差し出してくる。侑李はそれを受け取り、「…ありがとう」と短く応じた。

「じゃあ、私達は仕事に戻るから、ゆっくり休んでね!」

 嵐のように賑やかなユイと、影のように淡々としたるいが部屋から出ていく。スライドドアが静かに閉まり、部屋には再び静寂せいじゃくが訪れた。

 侑李は、何もない床にポツンと置かれたソファに、そのまま力なく横たわった。端末を胸の上に置き、天井の白い光を見つめる。

「科学者か……」

 小さく呟き、ゆっくりと目を閉じる。

 記憶を失ったはずの自分の指先が、あの複雑ふくざつな世界のコードをどう解けばいいのかを、明確に記憶おぼえている。その奇妙な事実に侑李は深い思考の海へと沈んでいった。

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