◆第四章◆『誰がための強さ』


 深い眠りの底から意識が浮上したとき、最初に感じたのは、額にあるひんやりとした心地よい感触だった。

 ゆっくりと目を開ける。視界が焦点を結ぶと、すぐ目の前に、見知らぬ少年が俺を見つめていた。年齢は小学生くらいだろうか。
 片手に一冊の本を抱えたその少年は、小さな手のひらを俺の額にそっと当てたまま、不思議そうに首を傾げた。

「おはようございます。侑李さん。昨日は徹夜したんですか?」

 幼い見た目に反して驚くほど落ち着いた大人びた話し方だった。

「お、お前……ここ、俺の部屋なんだけど……っ」

 一気に脳が覚醒し、俺は驚いてベッドの上に飛び起きた。
 
 当然の反応だった。アスタリスクの個人部屋は、強固なアクセス権限で守られている……いや…責任者を務めてる科学者はアクセス解除が可能だったな。塁とかたまに入って来てたし…

 少年は驚く風でもなく静かに無表情で話かけてくる。

「はい。分かっています。塁さんから侑李さんのケアを任されました」

 少年はトコトコと歩くと、床に置いてあった救急箱を持ち上げ、ベッドの上に丁寧に置いた。そして、驚きで固まっている俺の前に膝をつく。

「包帯、変えますね」

 小さな手が、俺の赤くにじんだ包帯に触れる。その手つきは迷いがなく、驚くほど手慣れていた。塁の手慣れた手つきとは違う、どこか労わるような繊細せんさいさがある。

「……お前……名前は?」

 思わず訪ねた俺に少年は顔を上げ感情の読めない澄んだ瞳で見つめ返してきた。

「No.2874の自動思考型AIです。今後は僕が侑李さんの護衛を担当します。――痛くないですか? 少し冷やしましょうか」

 気遣うような言葉。滑らかな所作。それはプログラムされたコードの塊というより、人間そのものの動きだった。

 護衛。その単語が、昨日の塁のオフィスでの怒りを呼び覚ます。

 ――もう護衛なんて必要ない。

 そう言ったはずだ。
 塁は俺の言葉なんて最初から聞き入れる気はなかったのだ。

(……いや、待てよ…)

 むかむかと湧き上がる苛立ちの中、俺の脳裏にある懸念がよぎる。

 もし俺が「いらない」と言ってこの子を追い出せば、この子はどうなる? 塁の効率主義だ、きっと『不良品』として躊躇なくゴミのように捨てられるに決まっている。真珠をあっさりと切り捨てたあの男なら、やりかねない。

「チッ……アイツ、本当にムカつく……!」

 塁への怒りで、思わず拳を握りしめ、歯噛はがみする。
 すると、少年がそっと俺の額に再び冷たい手を当てた。

「体温が上昇していますね。まだ脳の演算負荷えんざんふかが残っています。もう少し休んでください」

「あ、おい――」

 言うが早いか、少年は俺の肩を小さな手で、ベッドへとポンと押し倒した。小学生ほどの小さな身体。それなのに、俺の身体は軽々とベッドへと沈められていた。
 出力の高さは流石に『護衛用』として作られているだけはある。だけど、不思議と乱暴さはなく、全く痛くはなかった。完璧な力加減の制御。

 少年はベッドから静かに降りると、デスクの椅子に腰掛け、パサリと抱えていた本を広げて読み始めた。

 部屋を包む、静かな空気。

 壁に寄りかかり、読書に没頭する少年を眺めながら、俺は小さくため息を吐いた。

「なぁ。名前さ……俺が決めても良いか?」

 少年の視線が、本から俺へと移る。

「はい。構いません」

「なら『ライム』だ。数字じゃ呼びにくいからな」

 少年――ライムは、その言葉をなぞるように小さく唇を動かした。

「ライム。……記憶しました。おやすみなさい、侑李さん」

 そう言って、ライムはまたパサリと本に視線を落とす。その横顔を見つめながら、俺は毛布を少しだけ引き上げた。

「……ああ、おやすみ。ライム」

 真珠を失った世界の冷たさの中で、本を静かにめくるライムの微かな動きが、今の俺にの心の救いのように感じられた。
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