◆第二章◆​『レベル1のプラグイン』


 ゲートを一歩またいだ瞬間、ふいに足元の床の感覚が消え去った。

「うわっ!?」

 おんぼろビルの階段から足を踏み外したような感覚に襲われ、俺は慌ててバランスを取ろうとする。だけど、どれだけ手足をバタバタさせても倒れそうにすらならない。そこは、上下左右の概念がない完全な暗闇の無重力空間だった。

 体がふわふわと宙に浮いている。窮屈きゅうくつさは全くなくて、空を飛ぶってきっとこんなに気持ちいい感覚なんだろうな……なんて、現実逃避気味に考えてしまう。

 すると、暗闇の中に突如とつじょとして、目が覚めるような鮮やかな『黄色い筒状の道』が一直線にどこまでも伸びていった。ユイさんの執務室オフィスで見たホログラムの本物が、今、俺の目の前にある。

「これはソケットケーブル。異世界に繋ぐ道だよ」

 隣に浮かぶ真珠さんが、俺の右手をきゅっと握り直した。
 さっきよりも少しだけ、その力が強くなる。

「もう少し奥に進むとね、色んな異世界への分岐を選択するための広場があるの。そこに着くまでは絶対に私の手を離しちゃダメだよ?」

「あ、うん。分かった……」

 記憶にないだけで、少なくとも今の俺にとっては、女の子にこんなに力強くずっと手を握られているのは初めての経験だと思う。どうしても意識してしまって、顔に熱が集まるのが自分でも分かった。情けないことに、気恥ずかしさで真珠さんの顔を真っ直ぐ見られない。

 そんな俺の初々しい内心には気づく様子もなく、真珠さんは黄色い光の壁の外側――暗黒の空間を指差した。

「あの道の外側は本物の宇宙が広がっているの。一度このケーブルの道から外に出ちゃうと、二度と中に戻れなくなっちゃうんだ。それにね……」

 真珠さんが続きの言葉を紡ごうとした、その時だった。

 彼女の視線が黄色い道の外側の一点に固定される。引きずられるようにして俺もそっちへ目を向けると、背筋に一瞬で冷たいものが走った。

「うっ!!……なんだあれっ…!」

 光る半透明の壁の向こう側。暗黒の宇宙空間から、漫画や映画に出てくるような不気味なエイリアンの姿をした化け物が、ぬっと姿を現したのだ。化け物は不快なうごめきを見せながら、黄色い光の壁にベタリと張り付き、牙を剥き出しになった口でケーブルを激しく噛みちぎろうとしている。

 本当に当たり前のように化け物が存在しているんだ。冷や汗が止まらなくなる俺の横で、真珠さんは相変わらずの調子で説明を続けた。

「あれがクリーチャー。宇宙にしか存在しない知能を持たない化け物だよ。たまにああやって、アイツらがケーブルを外から壊して中に侵入してこようとするんだよ。私の主な仕事はね、ソイツらを片っ端からお掃除すること!」

 言いながら、真珠さんは俺の手を握っていない方の左拳をぐっと後ろに引き絞った。その細い腕の輪郭りんかくに、一瞬だけ、パチパチと弾けるような青い光の粒子――『身体強化』のエネルギーが宿る。

 真珠さんは光の壁の向こうにいるクリーチャーの顔面目掛けて、一切の躊躇なく、その拳を真っ直ぐに突き出した。

 ドンッ!!!

 空気が存在しないはずの空間に、凄まじい衝撃音が鳴り響く。

 真珠さんの拳は、光の壁に触れてすらいない。それなのに、放たれた圧倒的な『衝撃波』だけで、壁の向こうにいた巨大な化け物の肉体が、一瞬にして消し炭のように粉砕され、宇宙のチリへと変わっていった。

(……こわっ!!!!!)

 化け物の見た目も十分に恐ろしかったけれど、それを文字通り「一発で消し炭」にした目の前の笑顔の女の子が、今の俺には一番恐ろしかった。本気で引きつりそうになる顔を必死にえる。

 当の真珠さんは、何事もなかったかのように拳を下ろすと、またいつもの眩しい笑顔を俺に向けた。

「よし、お掃除完了!さぁ、出発しよっか、侑李君!」

「あ、ああ……うん……」

 真珠さんにぐいぐいと手を引かれながら、俺たちは再び黄色い光の道を、異世界の分岐点へと向かって進み始めた。

5/9ページ