◆第一章◆『記憶なき天才のチュートリアル』


 アセビに奢ってもらったココアを飲み干した侑李は、首に掛けていた赤いヘッドホンを耳に装着し意識を向けた。脳内で「自室へのルート」を思い浮かべると、視界のホログラムマップに最短経路さいたんけいろの光のラインがすっと浮かび上がる。
 それに導かれるようにして廊下を進み、侑李は迷うことなく自分の部屋へと戻ることができた。

 自動ドアが閉まり、再び訪れる静寂せいじゃく

 自分で作り上げた、ダークグレーのカーペットと見慣れた家具の並ぶ空間。
 侑李はベッドに深く腰掛け、両膝を抱えるようにして思考の海に潜った。

(ここはASTERISKアスタリスク。データで構築こうちくされた電子世界で、俺自身もその住人……)

 普通の人間なら、自分がデータだと言われた時点でパニックを起こすかもしれない。けれど侑李の心は驚くほどなぎいでいた。むしろ、あの複雑な世界のコードを直感的に理解できてしまう自分が何よりの証拠だった。

(外の世界へ行くか、ここに残って働くか……)

 身体能力の低い自分が外へ出ても、まともに生きていけるビジョンは見えない。それに、アセビの言った「二度目の再構築はできない」という警告が、胸の奥に冷たく残っている。外の世界で命を落とせば、そこで本当の終わりを迎えるのだ。

(だったら、選択肢は一つしかねぇだろ…)

 利用価値がなければ追い出されるかもしれない、という不安はアセビが消し去ってくれた。それに何より――さっき聞いた『ソケットケーブル』という、世界を繋ぐプログラムのシステムに、自分自身の本能が猛烈に興味を示しているのを自覚していた。記憶はなくても、自分の指先はきっとそのコードに触れたがっている。

​「よし……」

​ 侑李はベッドに腰掛けたまま、すっと目を閉じた。

 マニュアルなんて最初からいらない。ヘッドホンに思考をリンクさせ「塁へ連絡を繋ぐ」と強くイメージするだけで、思考リンクシステムが塁の接続アドレスを割り出し、視界の裏に文字入力のインターフェースを展開する。
​ 侑李は手足一つ動かすことなく頭の中で直接、塁への言葉を紡いでいった。

​『塁さん、四ノ宮です。
 
 少し考えさせてもらったけど、俺、ここで働くことにします。明日からでいいなら、どこに向かえばいいか教えて下さい』

​ 余計なことは書かない。
 アセビとの会話や、そこで得た情報のことは一切伏せ、ただ自分の意思だけを伝える。思考の中で確定のエンターキーをノックすると、メッセージは光の速度で電子の海へと送信された。

​ 送信完了のログを見届けると、侑李はヘッドホンを外し、ベッドにごろりと転がると、天井を見上げた。
 
 チュートリアルはこれで終了だ。

 明日からはこの構築された世界アスタリスクで、自分だけの「最初のタスク」が始まる。

 侑李は胸の上に置いたヘッドホンを小さく握り締め、静かに、だけど確かな足取りで動き出した自分の運命を受け入れていた。

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