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十六歳

《葵side》


 カチカチカチ、と刃を押し出し、その先をゆっくり肌に押し当てる。くぷ、と肌に沈み込んだ刃を、そのまま力を込めてぐっと横に引いた。
「……っ、ぅ」
 ジリッと灼けるような痛みが走る。やや遅れて腕のおもて、裂かれた肌のすきまから、血がぶわりと玉のように溢れた。窓から差し込む月の光に、ぬるりとその赤が照る。
 いつからだったろう、こうやって夜な夜な自分を傷つけるようになったのは……。
 こんな暗がりでも目に見えてわかるほどにおれの腕はぐちゃぐちゃだった。腕のおもてはもはや一ミリのすきまもないほどびっしりと傷で埋め尽くされている。
 赤く盛り上がったケロイドの跡、白くなった切り傷の跡。そして、丸い小さな火傷の跡……どれもこれも自分でつけた傷だった。
 手のひらでそっと腕のおもてを撫でると、たしかな凹凸を感じた。それがなんだかうれしかった。おれはこんなに傷ついてるんだって、こんなに心が痛いんだって、そういう目に見えない思いみたいなものを、ちゃんと示してくれているような気がするから。
 ……まあ、だからといってだれに見せるわけでもないんだけど。
 血まみれの腕をティッシュで拭い、そのままテーブルの上に投げ置く。ゴミを捨てる気力すらなかった。なぜかどっと疲れていた。
 それでも、と手を伸ばし、テーブルの上に置かれた薬の箱を取る。そして箱の中から青いシートを取り出し、指の腹でひとつずつ錠剤をテーブルの上へ押し出していった。
 白とピンクの、丸いあめ玉のような錠剤。
「っ、は……ぅえッ、」
 口に含むと、その薬っぽい臭いが鼻に抜けて思わずえずいてしまった。
 薬を飲むのは苦手だ。でも、飲まずにはいられない。
 ——生きているということ。それ自体が、おれにはあまりにも辛かった。その痛みから逃れ、少しでも楽にりたくて、つい腕を切ったり薬を飲んだりしてしまう。
 自分を傷つけている間だけは、なぜだろう——頭がぼんやりとして、生きているという痛みも、……この忌まわしい出自も、なにもかも忘れられるような気がするから。

   *

「はッ、ぅ……ぉえ、え、ぇッ……」
 げぅ、とひしゃげたみたいに喉が鳴って、唇のすきまから溢れ出た吐物がばしゃばしゃばしゃッ……と勢いよく水面を叩いた。
「っ、ん……ッぐ、」
 息を吐く暇もなく、また次の波が来る。座位を保つのも辛くて、は、は、と短く呼吸を繰り返しながら、便座のふちにずるずると肘を預けた。
 つう、と冷や汗が額を伝う。徐々に目の前が黒ずみ、歪んでいく。指先の震えがいつまでも止まらなかった。
 丸めていた背が、ビクッと大きく波を打つ。
「は、……ッ、ふ……ぅぐ、ぇッ、えぇッ」
 先ほど飲んだばかりの錠剤が水分とともにごぽごぽっと喉元まで戻ってきて、喉がひとりでにぐっと大きく開いた。噴き出た大量の吐物が、びちゃびちゃっと水面へ注がれていく。
 鼻の奥がツンと痛む。目の端に涙が滲んだ。
「はぁ、……っ、は、はぁ」
 ——なにやってんだろ、おれ。
 ハッと乾いた笑みが漏れる。
 次に零れたのは涙だった。静かに頬を伝い、ぽつりと落ちたそれがスウェットの布地に染み込んでいくのを、おれはどこかぼんやりとした心地で眺めていた。
「っ、……く、ぅ、うぅ」
 しんと静まり返った夜に、小さな嗚咽の音だけが響く。
 気がつけば、震える右手が強く左腕をつかんでいた。袖の上からガリガリと傷口を搔く。塞がりかけていた傷口が開き、じゅわりと血が滲んでいくのが布越しにでもわかった。
 ああ、……早く、はやく楽になりたい。
 
 
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