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十五歳

《雅也side》


 なんの音だ、とすぐに気がついた。
 ドン、ドン、と家じゅうが揺れるような音。たぶん上の階から響いていて、そしてリビングの上にあるのは葵の部屋で……、ああ、嫌な予感しかしない。
 上まで様子を見にいこうと廊下に出ると、ちょうど父さんが書斎から出てきたところだった。
「なんの音だ」
「すみません、たぶん上からです。俺ちょっと見てきます」
「……葵か」
 呆れたように父さんが息をつく。やれやれといった感じだった。
 二階に上がるが、音の出どころはやはり葵の部屋のようだった。これだけ騒がしくてもどこにもりかの姿がないということは、たぶんもうぐっすり眠っているのだろう。俺だったら嫌でも目が覚めそうだが、子どもってすごいな。
「葵ー、どうしたの」
 コンコンコンコン、とドアを叩くが返事はない。でも中からはガタン、とかゴンッ、とか凄まじい音が聞こえてきて、ときどき葵の押し殺したような叫声が短く響いていた。
「葵、開けるよ」
 やはり返事はないが構わず開けた。……そうして俺の飛び込んできたのは、目を疑うような惨状だった。
 きれい好きの葵の部屋は、いつだって整頓されている。それなのに今は床に本や参考書がくしゃくしゃになって散らばり、それらが並んでいたであろう棚は傾き、中はほとんど空になっていた。机の上にはプリントやペンなんかが散乱していて、倒れたペン立てから落ちたであろう消しゴムや定規がばらばらと床に転がっている。
 でも、それよりも驚いたのは——入ってきた俺に驚き、ぐちゃぐちゃになった部屋の中心で蹲った葵の、手にぎゅっと握られたカッターナイフ。
 そして、捲られた袖の下に広がっている血まみれの腕。
「葵……」
 一瞬いったいだれにやられたんだと憤りそうになったが、すぐにこの状況だ、葵がすべて自分でやったという以外ないと思い至る。
「ッ、ぁ、殴らないで……ッ」
 葵は俺の姿を見つけるなり手で頭を庇い、カタカタと震え始めた。そうしてハッハッと異常に速い呼吸をしばらく繰り返したかと思うと、ぐったりと床に倒れ込んでしまった。
 ——どう見ても、パニックに陥っている。
「葵!」
 倒れ込んで胸を押さえ、真っ青な顔でぜえぜえと苦しげに呼吸している。そのあいだにも、腕から零れた血がぽつぽつと床に赤い染みを作っていた。
「息ゆっくり吐いてみな。ゆっくりでいいよ、ゆっくり」
 背中をさすろうと手を伸ばして、やめた。葵は怯えている。殴らないでと言って頭を庇ったのだ。もしかしたら目の前にいるのが俺だってわかっていないのかも。
 過呼吸だろうからタオルでも当てて早く楽にしてやりたいけど、刺激したらますますパニックを悪化させそうで怖い。
「葵ー、わかる? 俺だよ、お兄ちゃんだよ」
 正面から近づいてゆっくり、そう強く話しかける。
「ん、ぅ……ッ、兄さん、?」
「! そう、俺だよ」
 そっと背中に触れる。よかった、拒まれなかった。そのまま上から下へ、強くさする。
「っは、ふ、……っ、は」
「そうそう〜できてるよ」
 少し落ち着いてきたのか葵は口元に服を押し当て、ふうふうと荒れた呼吸を整えていた。その様子を見て、ああ、慣れているのだなと思う。
 過呼吸を落ち着けるには、酸素を吸いすぎないよう布で口を押さえるのがいい。けれど、呼吸が苦しいときになかなか自らそう判断して実践するのは難しい。それでも葵がそうしたということは、こういう発作にも慣れきっているという証拠だった。
 それに……、と傷だらけの腕にちらりと目をやる。
 血に塗れて隠れてはいるが、新しい切り傷だけでなくところどころに白くなった古い切り傷や、赤く盛り上がったケロイドがあった。
「…………」
 葵がこんなふうに自分を傷つけるのも、今回がはじめてではないということだ。
 ——知らなかった。
 長いあいだ同じ家で暮らしてきて、どうして今まで気がつかなかったのだろう。葵がうまく隠していたのだとは思う。でも、それでもまったく気がつかなかった自分が信じられなかった。
 
 
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