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十五歳

《雅也side》


 流れ続けるシャワーの音が雨のように静かにバスルームを包み込んでいた。
 葵は床にしゃがみ込み、くしゃくしゃに丸めたシーツを抱え、じっと俯いている。長い髪が滴るように零れ、顔のほとんどを覆っているせいで表情がよく見えない。
「なんでできないか言える?」
 尋ねるも、葵は黙ったままだ。シーツを抱える腕に、わずかに力を込めたように見えた。
 葵はプライドの高い子だ。汚したシーツを俺に見られたくないのだろうが、具合の悪い弟に無理はさせたくない、ゆっくりベッドで休んでいてほしいというのが兄の思いだ。
「葵、こんなとこにずっといたら体が冷えちゃうよ。吐くくらいだれにだってあるしさ、気にしないで部屋に戻りな」
「…………がう、」
「ん?」
 ぽつり。呟かれた声が聞き取れず、もう一度と促した。……が、葵の返事を聞いた瞬間、ああどうして察してやれなかったのだろうとめちゃくちゃに悔やんだ。
「ちがう、吐いたんじゃんくて。その……漏らした、の」
「あーね……」
 そうか。だからか、ずっとシーツ抱えてたの。濡れた服を俺に見られたくなかったから。
「……ごめん。言いたくないこと言わせて」
「別に兄さんは悪くないよ」
 もう諦めたのだろう、葵が抱えていたシーツを離すと、露わになったのは——ぐっしょりと中心から濡れ、色の変わったグレーのズボンだった。ああこりゃまた派手にやったな、と思う。俺が知る限り葵が最後にこんなふうにシーツや服を濡らしたのは、もう随分と昔のことだ。
「……にしても、どうしちゃったんだろうね。最近もうずっとなかったでしょ、なんか嫌な夢でも見た?」
「んー……ちょっと」
「そっか、辛かったね。ここはもう大丈夫だから、おまえは早く着替えて部屋に戻りな」
 そう言うと葵は申し訳なさそうな顔をしたが、「ごめん。じゃ、着替えてくる」と残してバスルームをあとにした。

   *

 父さんから電話があったのは、その日の夕方だった。
「もしもし。一条です」
『ああ、雅也か。俺だ』
「あ、父さん? お疲れ様です、雅也です」
 父さんからの電話は、ほかのだれからかかってくるより緊張する。
『今日の夜、家に帰る。しばらくはそっちにいると思う』
「わかりました。待ってます」
 そう告げると電話が切れて、俺はふうっと息を吐いた。
 父さんは医者で、ここ二年ほど仕事でずっと名古屋の家で暮らしているが、たまに用があるとこの東京の家に帰ってくる。
 俺は医者としての父さんを尊敬しているが、いっしょに暮らす家族となると話は別だった。
 父さんが家にいると、葵のメンタルに支障をきたすのだ。
 葵は父さんから、言ってしまえば虐待を受けて育ってきた。父さんはなぜか葵を嫌っていて、事あるごとに出来損ないだのクズだの罵倒して暴力を振るってきた。
 葵は決して出来損ないでもクズでもない。抜群に頭がよく、模試でも学校のテストでも常に上位をキープしているし、今は反抗期で不良じみた言動ばかりするが、根は優しくまじめでいい子だ。
 どうして父さんが葵をあそこまで嫌うのかが、俺にはわからなかった。
 
 
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