side episode
「ななみ〜俺 いまやばい、あは、なんか気づいたら外に出てたんだけどさ、壁が赤、ピンク、緑? 蛍光マーカーまみれなの! うける」
五条が今いるのは彼のプライベート用のマンションの一室で、もちろん壁には蛍光マーカーのラインなどひと筋も引かれていない。よくあるただの白い壁だ。
「……で? なにをどれだけ飲んでんです」
そう尋ねると、フローリングに横になったままだらりと手脚を投げ出していた五条が、ゆっくりと七海を見た。星空のような瞳が、ぬるりと鈍く光を放つ。
「ななみ〜見て、六十六度! うーん、もっと斜めかなぁ」
「はぁ……今日はそういう感じですか」
(こんなことなら呪いの相手をしていたほうがまだマシだったな)
——事の発端は、二時間ほど前。
傾いた日が零す飴色の光が降り注ぐ高専の一室で、七海は五条から任された——と言えば聞こえはいいが——つまり押し付けられた報告書をひとり書いていた。
(あの人に電話を掛けるのはあまり気が進まないが……仕方ない)
机の上にペンを置き、ポケットからスマートフォンを取り出す。
前に五条と合同で赴いた任務に関する報告書なのだが、どうしても七海の独断では書けない部分が出てきてしまったのだ。
いつも関わらないようにと避けていてもうざったく絡んでくる彼だ。そんな彼に自ら絡みにいくのも、と思うが明日は久々の休み。嫌な仕事は早く片づけてしまいたかった。
耳に当てていたスマートフォンからプルル、と呼び出し音が聞こえてくる。
十コール目でようやく繋がった。
「お疲れ様です、七海です」
息も吐かず、淡々と用件を話す。
「先日ご一緒させていただいた任務の件で報告書を書いているのですが、少しお聞きしたいことがありまして。今よろしいですか」
そう尋ねるも、五条が口を開く気配は一向になかった。
おや、と思う。いつもの五条なら取ってすぐに「あれ、七海? このGLGになんの用かな〜」とヘラヘラと受けるのだが、今回はいっさい反応がない。
「聞こえますか? 七海ですが」
もう一度、そう大きく呼びかけてみるもやはり返事がない。
電波が悪いのだろうか? また掛け直すか——そう思い、スマートフォンを耳から離そうとした。しかし、
ゴンッ!
なにか硬いものが床にぶつかったような鈍い音が聞こえて、焦る。
(物がぶつかったにしては音が大きすぎる。まさか、人が倒れた音? いや、五条さんに限って——)
そう思ったところで、ふっとあるひとつの考えが浮かんだ。あまり考えたくはないパターンだが、あり得ないとは言い切れない。
(まさか五条さん、また薬を……?)
*
伊地知から今日の五条のスケジュールを聞き出し、七海が向かったのは彼のプライベート用のマンションだった。
五条はセーフハウスとしていくつか家を所有しているが、ここは高専から近く、伊地知は今日の任務の帰り——つい三十分ほど前に五条をこのマンションのエントランスまで送り届けたという。
七海はエントランスのドアの近くに立ち、こっそり別の住民が帰ってくるのを待っていた。このマンションはオートロックで、エントランスに入る方法はキーを使って開けるか、中の住民を呼び出し開けてもらうかの二択しかないのだ。
インターホンを押し五条を呼び出してみたが、応答はなかった。もちろん住民でない七海がキーを持っているはずもなく、悪いことだとは知りつつも、誰かがドアを開けるのを待つことにしたのだ。
運よくすぐに住民らしき男が来て、ドアを開けた。その後ろを静かにつけ、七海もエントランスに滑り込む。
五条が住んでいるのは十階だった。エレベーターに乗り込み、玄関の前に立つ。
玄関のほうの鍵は呪力を使い壊してしまおうかと考えていたが、そんな労力を要することなくすんなりと開いた。つまり鍵がかかっていなかったのだ。
(鍵がかかっていなかったのはラッキーだが……いろいろ大丈夫なのか、あの人)
玄関には黒い靴がバラバラと脱ぎ捨てられていた。やはり五条は、この中にいるのだ。
「五条さん、七海ですが」
そう大声で告げるが、返事はなかった。
勝手に上がってしまっていいのだろうかと、迷っていたときだった。
——カシャンッ!
聞こえてきた、なにかが割れるような音。いよいよこれは只事ではないぞ、と思う。
「五条さん? 七海ですけど、入りますよ」
大声でそう断り、靴を脱ぐ。廊下を十歩ほど進み、角を曲がると木のドアがあった。ノブに手を掛け、開ける。
「……五条さん!」
思わずそう叫んだ。ドアを開けた先、だだっ広いリビングのフローリングの上に、ぐったりと五条が倒れていたのだ。慌てて体を揺する。すると五条はうう、と眠たげに呟いてうすうすと目を開けた。
「あれ、ななみ〜? なんでいるの」
倒れたまま、五条がそうふにゃりと声を上げる。
「赤い車、が走ってる。ななみの?」
「……はい?」
「ピンクの蛙。飛んでる、うう……こわい、」
言っていることがめちゃくちゃだ。どうせまた変な薬を大量に飲んだのだろう。あたりを探せば、やはり空になった薬のシートがいくつも出てきた。
(デキストロメトルファン……なるほど。今回はこっち系か)
オーバードーズは彼の昔からの悪癖で、こうして倒れている姿を見るのも一度や二度ではなく、もう慣れたものだった。
この悪癖が特に酷かったのは学生時代で、後輩である七海の耳にはあまり入ってはこなかったが——夏油や家入が、彼の相手にかなり手を焼いていたらしい。
それでも夏油のあの一件があってからは、そういった話を聞くことも少なくなったが。
五条の足元には粉々になった白い欠片が散乱していた。先ほど電話で聞いた音の正体はこれか、と納得する。足を動かした拍子にテーブルの上に置いてあった食器かなにかが落ち、割れてしまったのだろう。
とりあえず割れたままにしておくのは危険だと、欠片を集めて手近にあった紙で包む。
「床の上では体も冷えるでしょう。とりあえずベッドに行きましょう」
「んー?」
「立てますか」
「あー……んーん、立てない」
抱っこ、と言われて一瞬、今までの言動は全て演技で、ただ自分をからかっているだけなのではないかと思った。しかし、そう言った五条の瞳は暗く据わっている。いくら彼だって、ここまで凝った演技はしないだろう。
「……はぁ。仕方ないですね」
五条の体を抱き上げ、寝室まで運んでやる。
二メートル近い巨躯の持ち主である五条だ、腕には確かにずっしりと重みが乗るが、それにしても軽い。前に会ったときより、だいぶ痩せたように思う。
(あんなスケジュールで働いていれば当然か……)
伊地知から聞き出した五条のスケジュールは、とてもひとりの人間がこなしているとは思えないほどびっしりと埋まっていた。おまけに、ここ一ヶ月は食事や睡眠を全て移動の車の中だけで行っていたというのだから驚きだ。
(いくら五条さんだって、そんな生活を続けていれば心身ともにガタが来る。……やっぱり労働はクソだ)
寝室まで運び、ベッドに寝かせる。五条はそのまま目を閉じ、眠ってしまった。
*
五条が眠っている間に、近くのコンビニで買い物を済ませる。どうせしばらくまともに食べ物を口にしていないだろうからと、お粥やスープ、ゼリーといった食品を大量に買い込んだのだ。
(本当はあのまま帰ってもよかったが、さすがにあんな状態の彼を放置してはおけないな)
あんな状態では、いったいなにをしでかすか分かったものではない。彼の術式が暴走すれば——最悪の場合、世界が滅びる。
(決して絆されている訳ではない。本当に、仕方なく)
買ってきた食品を袋ごとキッチンに置き、五条の様子を窺おうと寝室のドアを開ける。まだ眠っているだろうと思っていたから、暗い寝室の中、ベッドの中心で蹲っている影を見つけたときは本当に驚いた。
こちらに背を向けて、腕の中に顔を埋めている。一瞬、泣いているのかと思ってドキッとした。
「……五条さん?」
「っ、ぅう、ななみ〜」
先ほどとは明らかに違う、呂律の回っていない、舌足らずな声。まるで幼子のようだった。
「どうしたんですか」
「うー……なんか目ぇぐるぐるする、」
苦しげにうぅ、と呻くのを聞いてすぐに察する。
「待ってください、吐きますか」
「っ、ふ……ぅ、たぶん」
言われて、なにか受けるものを用意しておけばよかったと後悔した。つい先ほどまであんな調子でヘラヘラとしていた彼が、まさかこんな僅かな間にこうも沈んでしまうとは思わなかったのだ。
さっきコンビニでもらったレジ袋を——と思ったところで、五条の喉からごぼ、と湿った音が聞こえてきた。まずい、間に合わない。そう悟った瞬間、彼の口からびしゃりと一気に吐物が噴き出した。
「うぇ……ッ、ん……ぅ、ごぶッ」
勢いよく噴き出した吐物はベッドや床に散り、びしゃびしゃと五条の体を濡らしていった。こうなってしまっては仕方ないと、そっと背中に手を当ててさする。しかし嘔吐はその一回きりで、それから五条はひたすらはぁはぁと苦しげに呼吸を繰り返していた。
「っ、ふ……目ぇぐるぐるする、もーやだ」
「辛いですね」
「ぅう、っ……みえる、みえすぎる、こんな目いらねぇもう……」
五条はそう呟き、めそめそと泣いた。
(見えすぎる、か……六眼も関係しているのか。本当に辛そうだ)
あまりにも弱々しく、痛々しい彼の姿。
気がつくと七海は、手を伸ばしていた。そうして五条の瞼を、そっと覆う。
「ん……つめたい、きもち……」
そう言って七海の手にすり寄ってくる。猫のようだった。そして、ぽつりと彼が呟いたのは。
「…………すぐる、かえってきてくれたの?」
*
——翌日。
目を覚ました五条が「うわっ、なんで七海いるの? あっ、もしかして一夜の過ちってやつ〜? ねえねえどっちがタチだった? ネコだった?」などと騒ぎ立てるので、脳天に渾身の一撃を食らわせてやった。
五条が今いるのは彼のプライベート用のマンションの一室で、もちろん壁には蛍光マーカーのラインなどひと筋も引かれていない。よくあるただの白い壁だ。
「……で? なにをどれだけ飲んでんです」
そう尋ねると、フローリングに横になったままだらりと手脚を投げ出していた五条が、ゆっくりと七海を見た。星空のような瞳が、ぬるりと鈍く光を放つ。
「ななみ〜見て、六十六度! うーん、もっと斜めかなぁ」
「はぁ……今日はそういう感じですか」
(こんなことなら呪いの相手をしていたほうがまだマシだったな)
——事の発端は、二時間ほど前。
傾いた日が零す飴色の光が降り注ぐ高専の一室で、七海は五条から任された——と言えば聞こえはいいが——つまり押し付けられた報告書をひとり書いていた。
(あの人に電話を掛けるのはあまり気が進まないが……仕方ない)
机の上にペンを置き、ポケットからスマートフォンを取り出す。
前に五条と合同で赴いた任務に関する報告書なのだが、どうしても七海の独断では書けない部分が出てきてしまったのだ。
いつも関わらないようにと避けていてもうざったく絡んでくる彼だ。そんな彼に自ら絡みにいくのも、と思うが明日は久々の休み。嫌な仕事は早く片づけてしまいたかった。
耳に当てていたスマートフォンからプルル、と呼び出し音が聞こえてくる。
十コール目でようやく繋がった。
「お疲れ様です、七海です」
息も吐かず、淡々と用件を話す。
「先日ご一緒させていただいた任務の件で報告書を書いているのですが、少しお聞きしたいことがありまして。今よろしいですか」
そう尋ねるも、五条が口を開く気配は一向になかった。
おや、と思う。いつもの五条なら取ってすぐに「あれ、七海? このGLGになんの用かな〜」とヘラヘラと受けるのだが、今回はいっさい反応がない。
「聞こえますか? 七海ですが」
もう一度、そう大きく呼びかけてみるもやはり返事がない。
電波が悪いのだろうか? また掛け直すか——そう思い、スマートフォンを耳から離そうとした。しかし、
ゴンッ!
なにか硬いものが床にぶつかったような鈍い音が聞こえて、焦る。
(物がぶつかったにしては音が大きすぎる。まさか、人が倒れた音? いや、五条さんに限って——)
そう思ったところで、ふっとあるひとつの考えが浮かんだ。あまり考えたくはないパターンだが、あり得ないとは言い切れない。
(まさか五条さん、また薬を……?)
*
伊地知から今日の五条のスケジュールを聞き出し、七海が向かったのは彼のプライベート用のマンションだった。
五条はセーフハウスとしていくつか家を所有しているが、ここは高専から近く、伊地知は今日の任務の帰り——つい三十分ほど前に五条をこのマンションのエントランスまで送り届けたという。
七海はエントランスのドアの近くに立ち、こっそり別の住民が帰ってくるのを待っていた。このマンションはオートロックで、エントランスに入る方法はキーを使って開けるか、中の住民を呼び出し開けてもらうかの二択しかないのだ。
インターホンを押し五条を呼び出してみたが、応答はなかった。もちろん住民でない七海がキーを持っているはずもなく、悪いことだとは知りつつも、誰かがドアを開けるのを待つことにしたのだ。
運よくすぐに住民らしき男が来て、ドアを開けた。その後ろを静かにつけ、七海もエントランスに滑り込む。
五条が住んでいるのは十階だった。エレベーターに乗り込み、玄関の前に立つ。
玄関のほうの鍵は呪力を使い壊してしまおうかと考えていたが、そんな労力を要することなくすんなりと開いた。つまり鍵がかかっていなかったのだ。
(鍵がかかっていなかったのはラッキーだが……いろいろ大丈夫なのか、あの人)
玄関には黒い靴がバラバラと脱ぎ捨てられていた。やはり五条は、この中にいるのだ。
「五条さん、七海ですが」
そう大声で告げるが、返事はなかった。
勝手に上がってしまっていいのだろうかと、迷っていたときだった。
——カシャンッ!
聞こえてきた、なにかが割れるような音。いよいよこれは只事ではないぞ、と思う。
「五条さん? 七海ですけど、入りますよ」
大声でそう断り、靴を脱ぐ。廊下を十歩ほど進み、角を曲がると木のドアがあった。ノブに手を掛け、開ける。
「……五条さん!」
思わずそう叫んだ。ドアを開けた先、だだっ広いリビングのフローリングの上に、ぐったりと五条が倒れていたのだ。慌てて体を揺する。すると五条はうう、と眠たげに呟いてうすうすと目を開けた。
「あれ、ななみ〜? なんでいるの」
倒れたまま、五条がそうふにゃりと声を上げる。
「赤い車、が走ってる。ななみの?」
「……はい?」
「ピンクの蛙。飛んでる、うう……こわい、」
言っていることがめちゃくちゃだ。どうせまた変な薬を大量に飲んだのだろう。あたりを探せば、やはり空になった薬のシートがいくつも出てきた。
(デキストロメトルファン……なるほど。今回はこっち系か)
オーバードーズは彼の昔からの悪癖で、こうして倒れている姿を見るのも一度や二度ではなく、もう慣れたものだった。
この悪癖が特に酷かったのは学生時代で、後輩である七海の耳にはあまり入ってはこなかったが——夏油や家入が、彼の相手にかなり手を焼いていたらしい。
それでも夏油のあの一件があってからは、そういった話を聞くことも少なくなったが。
五条の足元には粉々になった白い欠片が散乱していた。先ほど電話で聞いた音の正体はこれか、と納得する。足を動かした拍子にテーブルの上に置いてあった食器かなにかが落ち、割れてしまったのだろう。
とりあえず割れたままにしておくのは危険だと、欠片を集めて手近にあった紙で包む。
「床の上では体も冷えるでしょう。とりあえずベッドに行きましょう」
「んー?」
「立てますか」
「あー……んーん、立てない」
抱っこ、と言われて一瞬、今までの言動は全て演技で、ただ自分をからかっているだけなのではないかと思った。しかし、そう言った五条の瞳は暗く据わっている。いくら彼だって、ここまで凝った演技はしないだろう。
「……はぁ。仕方ないですね」
五条の体を抱き上げ、寝室まで運んでやる。
二メートル近い巨躯の持ち主である五条だ、腕には確かにずっしりと重みが乗るが、それにしても軽い。前に会ったときより、だいぶ痩せたように思う。
(あんなスケジュールで働いていれば当然か……)
伊地知から聞き出した五条のスケジュールは、とてもひとりの人間がこなしているとは思えないほどびっしりと埋まっていた。おまけに、ここ一ヶ月は食事や睡眠を全て移動の車の中だけで行っていたというのだから驚きだ。
(いくら五条さんだって、そんな生活を続けていれば心身ともにガタが来る。……やっぱり労働はクソだ)
寝室まで運び、ベッドに寝かせる。五条はそのまま目を閉じ、眠ってしまった。
*
五条が眠っている間に、近くのコンビニで買い物を済ませる。どうせしばらくまともに食べ物を口にしていないだろうからと、お粥やスープ、ゼリーといった食品を大量に買い込んだのだ。
(本当はあのまま帰ってもよかったが、さすがにあんな状態の彼を放置してはおけないな)
あんな状態では、いったいなにをしでかすか分かったものではない。彼の術式が暴走すれば——最悪の場合、世界が滅びる。
(決して絆されている訳ではない。本当に、仕方なく)
買ってきた食品を袋ごとキッチンに置き、五条の様子を窺おうと寝室のドアを開ける。まだ眠っているだろうと思っていたから、暗い寝室の中、ベッドの中心で蹲っている影を見つけたときは本当に驚いた。
こちらに背を向けて、腕の中に顔を埋めている。一瞬、泣いているのかと思ってドキッとした。
「……五条さん?」
「っ、ぅう、ななみ〜」
先ほどとは明らかに違う、呂律の回っていない、舌足らずな声。まるで幼子のようだった。
「どうしたんですか」
「うー……なんか目ぇぐるぐるする、」
苦しげにうぅ、と呻くのを聞いてすぐに察する。
「待ってください、吐きますか」
「っ、ふ……ぅ、たぶん」
言われて、なにか受けるものを用意しておけばよかったと後悔した。つい先ほどまであんな調子でヘラヘラとしていた彼が、まさかこんな僅かな間にこうも沈んでしまうとは思わなかったのだ。
さっきコンビニでもらったレジ袋を——と思ったところで、五条の喉からごぼ、と湿った音が聞こえてきた。まずい、間に合わない。そう悟った瞬間、彼の口からびしゃりと一気に吐物が噴き出した。
「うぇ……ッ、ん……ぅ、ごぶッ」
勢いよく噴き出した吐物はベッドや床に散り、びしゃびしゃと五条の体を濡らしていった。こうなってしまっては仕方ないと、そっと背中に手を当ててさする。しかし嘔吐はその一回きりで、それから五条はひたすらはぁはぁと苦しげに呼吸を繰り返していた。
「っ、ふ……目ぇぐるぐるする、もーやだ」
「辛いですね」
「ぅう、っ……みえる、みえすぎる、こんな目いらねぇもう……」
五条はそう呟き、めそめそと泣いた。
(見えすぎる、か……六眼も関係しているのか。本当に辛そうだ)
あまりにも弱々しく、痛々しい彼の姿。
気がつくと七海は、手を伸ばしていた。そうして五条の瞼を、そっと覆う。
「ん……つめたい、きもち……」
そう言って七海の手にすり寄ってくる。猫のようだった。そして、ぽつりと彼が呟いたのは。
「…………すぐる、かえってきてくれたの?」
*
——翌日。
目を覚ました五条が「うわっ、なんで七海いるの? あっ、もしかして一夜の過ちってやつ〜? ねえねえどっちがタチだった? ネコだった?」などと騒ぎ立てるので、脳天に渾身の一撃を食らわせてやった。
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