祝福
あたたかな日差しが海面を照らし、反射した光がキラキラと眩しく輝く。
丁度その光がワルターの瞳に差し込み、ワルターの目が眩んだ。
手で日陰を作って日差しを遮ると、海面から上半身を出した人影が見えて、ワルターは不思議に思い近付いて行った。
「ここで何をしている?」
「ワルターさん」
浅瀬で水の中に浸るフェニモールがそこにいた。人気のないこんな場所でひとり、一体何をしているのだろうか。
「特に何も。ただ海を眺めていたんです」
「……海に浸かる必要はあるのか。今日は気候が良いとはいえ、風邪を引くぞ」
フェニモールはいつもの水の民の装束ではなく、シンプルなワンピースを着ていた。きっと濡れても良い服なのだろう。
しかし、わざわざ着替えてこんな場所で水浴びとは、やはり不可解に思えてワルターは訝しむ。
「何となく、海に溶け込んでいるような気持ちになるんです。何もかも忘れて、静かに揺蕩う。こうしていると、落ち着くんです」
「………」
手で水を掬いあげ、水の音を楽しむようにフェニモールはパシャンと水を落とす。
ワルターは少しの間その様子を見ていたが、やがてフェニモールの隣に腰を下ろした。
ワルターが水の中に入って来たことにフェニモールは僅かに驚く。
「いいんですか?風邪、引いちゃいますよ」
「………」
つい先程ワルターは風邪を引くと自分を窘めたのに、とフェニモールは思いながら、くす、と笑みを零した。
「ここは波もなくて、本当に穏やかですね。たまにこうして来るんです。ワルターさんも、息抜きに来たんですか?」
「……そんなところだ」
「そうですか」
そこで会話は途切れ、しばらくの間水の音と静かに吹き抜ける風の音だけが二人の間を包んだ。
特に何も会話はなされないが、気まずさなどはなく、二人は心地よく流れる時間を過ごした。
不意に、フェニモールが沈黙を破る。
「ワルターさんは、戦うことに疲れませんか?」
唐突な問いかけに、ワルターはフェニモールに視線を寄越して、ほんの少し思案する。
「……あまり疲れるなどと考えたことはない。目的のためならどんなことでもする。ただそれだけだ」
「そうですか」
「何故そんなことを聞く」
質問した割にはあっさりとした相槌で返され、ワルターは何となく拍子抜けしながらも何故そんな問いをしたのかと尋ねた。
フェニモールは一度だけワルターをじっと見つめて、すぐに視線を落とす。そして再び水を掬って指の間から流していった。
「……傍から見ていて、心配になるほどワルターさんが頑張っているからです」
「心配などいらん」
あまりにばっさりとした拒否にフェニモールは思わず笑ってしまう。
眉間に皺を寄せたワルターに気付いてごめんなさい、と軽く謝った。
「そうですね。余計なお世話なのはわかっているんですけど。でも、あたし達水の民の期待がワルターさんを苦しめているんじゃないかって、勝手に心配しているんです」
「期待されているのはメルネスだ。俺ではない」
「そのメルネスを守るのがワルターさんの役目です。重責を感じるには十分だと思いますけど」
そこまで言ってフェニモールは自分の言い方が少し強くなっていることに気付いた。これでは何だかワルターを責めているようだ。
フェニモールは一呼吸置いてから小さく頭を下げる。
「すみません、本当に余計なお世話ですね。ただ、ワルターさんがいつか頑張りすぎて壊れてしまうんじゃないかって不安なんです。……もうあたしは、誰も傷付く姿を見たくありません」
「…………」
過去を思い出して辛いのか、フェニモールは自分の胸元をそっと押さえて目を瞑った。
その横顔がとても悲しくて、ワルターは何も言えずに静かに様子を見守る。
フェニモールはゆっくりと目を開けて、ワルターに身体ごと向き直った。真剣な眼差しがワルターを映す。
「ワルターさん、約束してくれませんか。どうか、命を投げ捨てるほどに戦わないでください。あなたが死んでしまったら悲しむ人がいることを、憶えていてほしいんです」
フェニモールの願いに、ワルターは何を思ったかわからない。その表情は相も変わらず、冷静なままだ。しかし、ほんの少し──ほんの僅かに、彼は息を呑んだ。
「……お前は、悲しむのか」
ワルターがあまりにも当たり前のことを聞くものだから、フェニモールは困ったように笑みを浮かべた。
「そうじゃなきゃ、こんなこと言わないですよ」
「……そうか」
ワルターはそれ以上何も言わなかった。約束するとは言わなかった。
フェニモールは自分の言った言葉が少しでもワルターに届いていればいいと心で思いながら、目を瞑り、胸元で両手を組んだ。
やがて淡い桃色のテルクェスが現れ、ワルターの周りをくるくると飛び回って、弾けた。ワルターの身体に、祝福が注がれる。
「あたしの誠名はゼルヘス──祝福です。あたしにはこんなことくらいしか出来ませんけど……あなたに祝福を捧げます」
フェニモールの想いと優しさが込められたその光は、とてもあたたかかった。それはワルターの冷えきった心をじわりと温める。
ワルターは不思議な感覚を覚えて二、三度ほどゆっくりと瞬きをした。
「……礼を、言う」
ワルターなりの不器用なお礼を、フェニモールは嬉しく受け取りながらも、小さく首を横に振った。
「いえ。あたしが勝手にしたことですから」
ワルターは立ち上がり、フェニモールに手を差し伸べた。
「またここに来てもいいか」
フェニモールは頷いて、歓迎する。
「もちろんです、いつでも」
フェニモールは笑顔でワルターの手を取った。
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