それは、ハーブティーよりも。
「──うん。いい感じに出来たわね」
フェニモールはオーブンから取り出した焼き菓子をひとつ味見し、満足そうに頷いた。
恋人の為に作ったそのお菓子は、やや甘さを控えめにして出来ている。
それに合うような紅茶を選ぶことに、フェニモールはいくつかの缶を見比べながら悩んでいた。
そこに、玄関の施錠を開ける音が聞こえて、フェニモールはパッと顔を上げる。
扉が開くと、待ち侘びていた恋人の姿が現れ、フェニモールから自然と笑みが零れた。
「おかえりなさい、ワルターさん」
フェニモールはワルターの元に駆け寄ると、外套を脱がせて壁に掛けた。
「紅茶、今から淹れようと思って。飲みたいの、あります?」
「…いや、任せる」
相変わらずのぶっきらぼうな態度にフェニモールはもう慣れたものだが、今日は何となくいつもと違う違和感を抱いた。
フェニモールは台所に戻り、紅茶をリラックス効果の高いハーブティーに決めて、お湯を沸かす。
ソファに腰掛けるワルターの顔はフェニモールからは見えないが、何となく疲れているような気がして、準備をしながらフェニモールはちらちらと様子を窺う。
焼き菓子を綺麗に盛り付け、二人分の紅茶をトレイに乗せ終えると、フェニモールはワルターの元へ運んだ。
「お待たせしました」
ワルターは紅茶を一口飲むと、爽やかなハーブの香りに少し落ち着いたのか息を浅く吐いた。
「…今日は、疲れているみたいですね」
フェニモールの指摘に、ワルターの目がほんの僅かに開く。
しかしすぐに元に戻ると、否定の言葉を口にした。
「…いや、そんなことはない」
普通なら気付くことのないそんな一瞬の間を、フェニモールは鋭く感じ取った。
そして少しムッとしたように顔を顰める。
「ワルターさん、少しいいですかっ」
フェニモールがやや語気を荒げて言うと、ワルターは視線を向けた。
フェニモールは手を伸ばし、自分と対峙するように少し強引にワルターの顔を引き寄せる。
左手で前髪を掻きあげると、いつもは隠れているもうひとつの綺麗な青が現れた。
フェニモールはじっとその綺麗な双眸を見つめて言い放った。
「嘘は、やめてください。何があったかは聞きませんけど、疲れてる時はちゃんと言って欲しいです」
ワルターはじっと見返しながらいくつかゆっくりと瞬きをすると、やがてフェニモールの手を取り、外させた。
「…お前には見透かされてしまうな。……あまり、心配をかけたくないのだが」
「何言ってるんですか。心配させてくださいよ。あたしの前でくらい、少しは甘えてください」
フェニモールは眉を下げ、少し困ったように笑みを浮かべる。
「………」
ワルターはフェニモールの頬に触れると、そのまま指をするりと耳元まで滑らせ、包むようにそっと力を込める。
フェニモールが不思議そうな顔をしてワルターを見つめると、ゆっくりと顔が近づき、唇の前で一瞬の躊躇いを見せたあと、触れるだけのキスをした。
フェニモールは目を開けたまま、離れていくワルターをただぼーっと見つめている。
何が起こったのかまだ理解をしていない彼女は、ワルターの手が頬から離れた感触でハッと現実に戻された。
「……っ!!」
何事もなかったかのように涼しい顔をして紅茶を嗜むワルターの横顔を見ながら、フェニモールは唇を押さえて大きく目を開く。
一瞬触れただけだったが、確かに残る唇の余韻に、フェニモールの顔がカッと熱くなる。
「いっ、いま……今っ………!!」
フェニモールはワルターに言葉を投げかけるが、あまりに動揺を引きずりすぎてそれは言葉にならない。
確かに甘えてって言ったけど!!言ったけど!!!と内心で叫ぶが、それがワルターの耳に届くことはなかった。
ちら、とワルターがフェニモールに視線を寄せれば、フェニモールの心臓はひとつ大きく跳ねて、更に顔を赤く染めあげていく。
そんなフェニモールの反応に満足したのか、ワルターは焼き菓子を手に取り口に運んだ。
余裕綽々なワルターの様子に、フェニモールは何となく悔しさを感じて、赤い顔をしたままむくれた。
そんな彼女の表情も可愛く映り、ワルターは紅茶を啜りながら、カップの下で人知れず笑みを浮かべているのだった。
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