余韻
「……はぁ、やっぱりダメね」
水の民の里奥深く、人気の少ない場所で、フェニモールはテルクェスを飛ばす練習をしていた。
フェニモールのテルクェスは小さく、上手く出せたとしてもすぐに消えてしまう。
このことを昔からずっと気にしていたフェニモールは、こうして時々こっそり隠れて練習をしている。
だが、いつまで経っても上達する様子がなく、フェニモールは深いため息をついた。
不意に、後ろでガサ、と物音がした。
フェニモールが驚いて後ろを振り向くと、綺麗な金髪と蒼色の瞳を持つ彼がそこにいた。
「あ……ワルターさん」
なぜこんな所に、と思っていると、ワルターの手に本が抱えられていることに気付く。
「休憩ですか? すみません、すぐ退きますね」
そう言って、フェニモールはワルターが今来た方向へと引き返そうとした。
「……練習はもういいのか」
それは低く、静かに響いた声だったが、フェニモールの耳にはしっかりと届いた。
「……え?」
一瞬何のことを言われているかフェニモールはわからなかったが、すぐにその意味を理解した。
「見っ……見てたんですか!?」
恥ずかしさで、フェニモールは思わず赤面してしまう。
水の民のくせにテルクェスひとつ満足に出せないのかと、きっと彼は思っていることだろう。
「あの……そうです、ね。何回やっても……上手くいかないので」
恥ずかしさと気まずさで、ワルターから視線を逸らしながらフェニモールはごにょごにょと呟く。
あぁ早くこの場から逃げ出したいとフェニモールは頭の中で何度も呪文のように唱えていた。
「……」
ワルターは沈黙すると、手に持っていた本を適当な場所へと置いた。
そして、そのままフェニモールへと近付く。
「ワ、……ワルターさん?」
突然のワルターの行動に、フェニモールは動揺する。思わず2、3歩ほど後ずさりをしてしまう。
「……テルクェスを出してみろ」
フェニモールの正面に立つと、ワルターはそう言い放った。
「えっ? ……わ、わかりました」
練習を手伝ってくれるのだろうか。
その気持ちは嬉しかったが、フェニモールは心から喜べるわけではなかった。
あまり人に見せたくない自分の小さなテルクェス。
躊躇いながらも、フェニモールは両手に力を込めた。
シュッと音を立てて淡い桃色の光がフェニモールの両手から現れたが、それはすぐに消えてしまった。
やっぱり駄目だ。何度やっても上手くいかない。
自分の両手を恨めしく思いながら、フェニモールは肩を落とした。
ワルターも呆れていることだろう。
フェニモールがワルターの表情を恐る恐る窺おうとした瞬間──
「手ではなく、指先に神経を持っていけ」
背後に回ったワルターがフェニモールの片手を掴んでいた。
「……!」
突然のことに、フェニモールは驚く。
あまりに近い距離に、フェニモールはひどく動揺する。
「もう一度やってみろ」
フェニモールのすぐ耳元でワルターの声が直接響く。
心臓が大きく鼓動を刻み、それに比例してフェニモールの顔も熱を帯びる。
──掴まれている指先が、熱い。
「……フェニモール?」
再び耳元にワルターの声が響く。
フェニモールは耐えられなくなって、指先に思い切り力を込めた。
すると先程とは違い、バシュッと大きな音を立てて、フェニモールの指先から淡い桃色のテルクェスが綺麗な弧を描いて飛んだ。
「あ……!」
今まで出したどのテルクェスよりもずっと大きく、綺麗な形をしたものを出せたことに、フェニモールは喜び、笑顔になる。
「ワルターさんっ、見ました? 今の──」
つい気持ちが高ぶり、今の自分が置かれている状況をすっかり忘れていたフェニモールは、勢いよく顔をワルターの方へと向けた。
──彼の蒼い瞳とぶつかる。
唇が触れそうな距離に、フェニモールは目を見開く。
ほんの微かに、ワルターの瞳も開いた。
「あ……」
フェニモールが何か言いかけた時、二人の近くで鳥がバサバサッと大きな音を立てて飛び立った。
「!」
音に驚き、その勢いでフェニモールはワルターと距離を取る。
「……あ、ありがとうございましたっ」
フェニモールはワルターの顔を見ることが出来ずにぺこりと頭を下げると、逃げるように里へと戻って行った。
残されたワルターはフェニモールが行ったのを確認すると、浅くため息をついた。
表情こそ何も変わらないものの、ワルターは冷静を取り戻そうと努めていた。
一方、里の自室へと辿り着いたフェニモールはベッドに腰かけると、火照った頬を手で覆っていた。
もう少しで……唇が、触れそうだった。
そこまで思いだして、フェニモールの顔は更に赤くなる。
ワルターに絡められた右手と、まだ耳に残る声、触れそうになった唇。
「熱い……」
フェニモールはベッドに倒れ、枕に顔を押しつける。
激しく脈打つ心臓と、体中を帯びた熱は余韻のように残って、しばらく引きそうになかった。
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