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世界が染まる瞬間




 翌日。


 ワルターが身支度をしていると、コンコン、とノックの音がした。


「ワルターさん、フェニモールです。包帯を取り替えに来ました」


 ドアの方へと視線を向けながらワルターは「入れ」と事務的に応えた。


 ガチャ、とドアが開くと、包帯や消毒液を抱えたフェニモールが入ってくる。
 まるで昨日と同じ光景を繰り返し見ているようだった。


「おはようございます、ワルターさん。ケガの具合はどうですか?」

「……問題ない」


 上着を脱ぎながらワルターは素っ気なく答える。

「そうですか、良かった。とにかく、昨日も言いましたけどケガが良くなるまでは毎日包帯を替えに来ますから」

 そう言ってフェニモールは消毒液を染み込ませた真綿をワルターの肩口へ優しく運ぶ。


「……っ」

「あ、ごめんなさい! 痛かったですか?」

「いや……大丈夫だ」


 ふとその時、ワルターはフェニモールの腕にいくつもの痛々しい傷跡があることに気付く。
 恐らく、陸の民に傷つけられたものだろう。
 傷こそ塞がってはいるが、この傷跡は一生残るはずだ。


「……お前の傷は、大丈夫なのか」

「え?」


 不意に聞かれたことに一瞬フェニモールは驚いたが、ワルターの視線の先に自分の傷だらけの腕があることに気付き、その表情が僅かに悲しみに歪んで、少しだけ俯いた。


「……はい。あたしの傷は、水の民に治療してもらいましたから」


 フェニモールは傷を隠すように、服の袖を伸ばした。


「……そうか」

「あ! そういえばワルターさんまだちゃんと水の民に治療してもらってないですよね?」

「……」

「今日治療をお願いしておきますね」


 パッと顔をあげたフェニモールの表情に、先程の翳りはどこにも見当たらなかった。



 その日の夕方、ワルターは雑務を終えて自室へと戻ろうとすると、水の民が一人、ドアの前に立っているのが見えた。

 水の民の男はワルターの姿を見つけると、頭を深く下げ、ケガの治療に参りましたと告げる。
 フェニモールが頼んだ者だろう。

 入れ、と言おうとしたがワルターは少し考え、別のことを頼んだ。


「……今この場で、簡単に治療をしてくれ」

「……はっ……?」


 ワルターの言葉に水の民の男は明らかに困惑している。


「全部は治さなくていい。治療は少しでいいと言っているんだ」

「……は、はあ。承知しました」

 水の民の男は腑に落ちない様子で首を傾げながらも、治療を始めた。




*



「前よりは良くなったみたいですけど……まだ完全ではないみたいですね」


 ケガの様子を見に来たフェニモールが呟いた。
 あれから1週間、フェニモールは毎朝包帯を取り換えにワルターの元へ訪れていた。

 水の民にも爪術で治療をしてもらっているはずなのに……と頭をひねる彼女は、ワルターがその治療を陰で断っていることを知らない。


「やっぱり傷が深かったんですね」


 フェニモールは新しい包帯を手際良くワルターの肩に巻いていく。


「よし、できた。じゃあワルターさん、今日も水の民に治療を頼んでおきますから」


 それじゃあ、と踵を返そうと背を向けかけたフェニモールの腕を、ワルターは掴んだ。
 突然のことにフェニモールは驚く。
 振り向いてワルターの顔を見下ろすが、そこにはいつもと変わらない無表情がそこにあるだけだった。


「……いい」

「え?」

「治療は頼まなくていい」


 フェニモールはその言葉の意味が理解できなかった。それをそのまま疑問としてぶつける。


「えっと……どうしてですか?」

「ここまで治ったのなら、もう治療の必要はない」

「でも……」

「とにかく」


 フェニモールの心配そうな視線と、ワルターの強い視線がぶつかった。


「あとは消毒だけで治る」


 その言葉に、フェニモールは虚を衝かれる。
 つまりそれは、あとは自分の手当てだけでいいということか。
 ……そう受け取ってもいいのだろうか。

 表情からは相変わらず何も読めないが、自分のことを頼ってくれている気がして、フェニモールは嬉しくなる。


「……わかりました。じゃあまた明日、お伺いします」


 フェニモールは優しく微笑んだ。




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