浮気BOX
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
たった一度。
その一度きりの過ちがこうも深みにはまるとは、と老将は苦笑する。
「ちぬ」
名を呼ぶと、娘は本を読む手を止めて元就を見た。
この年若い娘、名をちぬと言った。
元々は吉川家から息子隆元への側室として娶った娘だった。
しかし今や息子の嫁としてではなく元就の女としてちぬは吉田城で暮らしていた。
隆元は趣味第一の男で既に本妻で手一杯であるようだったし、ちぬはちぬで夫がこのように遊び呆けていても苦にならないようだった。
世に言う仮面夫婦であるが図らずとも元就にはそれが都合が良かった。
息子の嫁を手籠にするなど本来は有ってはならない。
そもそも自分で結んだ婚儀を覆すなど本末転倒な話である。
しかし現実はうまく行かないものである。
元就が謀り神とまで言われる所以も、人の心とは曖昧で不確実であるのを良く知っているからに他ならない。
そうであるのにその心のままに元就は手を伸ばし、闇雲に彼女を腕に閉じ込めた。
彼女もそれを望んだのだ、などと自分でも驚くほど幼稚な言い訳をして。
誰にも知られず、悟られず逢瀬は続いた。
「元就さま、いかがなさったのです?」
向き直ってちぬは問いかける。
艶艶しい唇が薄く引き伸ばされる。
こちらを向きながら書から離れることの無いその白い指が少し憎らしい。
優しく摘んで離す。
「わしの゙いるところでまで読書とは少々さみしいな、と思ったまでよ」
「……申し訳ありません」
「来なさい」
亡き妻妙玖以外の女は今生は抱くまいと思っていた。
だがこの娘は元就に取っての不可抗力である。
あまりにも似ていて、あの頃の鮮やかな記憶が蘇る。
それはまるで冥府から彼女がわざわざ会いに来たのでは無いかと錯覚するほどだった。
ただそれは顔の造作の話では無い。
まとう雰囲気が慣れ親しんだ妙玖のそれで、心地良くてついうっかり深みに嵌まる。
他人だと言うのも忘れて、甘え抱かれたいと箍が外れた。
そしてその彼女も老いさらばえた己を受け入れ、男として愛してくれている。
その時他人の熱を感じて初めて、自分の熱を知った。
自分は寂しかったのかと思わず問いかけるほどにこの柔らかさを貪った。
そして抱くたびにこの娘は妻とは違うと刷り込まれる。
抱くたびに元就はちぬをちぬとして愛していくのをひしひしと感じた。
一一一そろそろ、わたくしの事など忘れて余生を楽しんだらどうです?
そんな声が聞こえる気がした。
「元就さま……堪忍ですから、もう」
「ならん。お主の乱れるさまをもっと見ていたい」
「そんな」
ちぬは元就の下で小さく悲鳴を上げた。
しかし口でなんと言おうとちぬはそうされるのを心から喜んだ。
優しく焦らされ、体も心も溶かされる。
この世の中にこれほどのめり込む物が他に有るだろうか。
まぐわうとはなんと素晴らしく心地良いのか。
しかしそれも全て元就あってこそ。
元就以外の男など知らなくて良い。
一一一叶うなら知りとう無い。
元就の熱の下、漂うその人の少し乾いた匂いに包まれてちぬは頂へと登り詰める。
きゅう、と体がきつく縛られるように強ばると元就も苦しげに呻く。
普段は張り詰めた顔で、決して弱気な表情は見せぬ男がたかが小娘に弄ばれる。
支配される
一一一あぁ、なんと心地よい。
元就が揺れる度、脳髄に響く振動が朦朧とさせる。
息が上がり、蒸気する。
「元就さま……」
名を呼ぶと一層、この大きな背が震えた。
父とも師匠とも慕うこの元就と言う人が自分などにこうも悪戦苦闘している。
それが愛しくてどうしようもない。
ちぬは自らの急所を元就のために導く。
それはそれは素直に声を上げ、体をくゆらせ、もがき、愉しんだ。
余すことなく手引きするちぬに元就も一生懸命付いていく。
元就は気付けば精も根も尽き果てていた。
***
ぱちり、と目を覚ましたら隣には既に身なりを整えて読書に勤しむちぬがいた。
人払いをさせているせいで元就を起こすものはちぬ以外に誰もおらず、気が付けば日も傾いている。
かと言って焦るような大事があるわけも無し、ごろんと体勢を翻し肩肘をついてちぬの方を眺めた。
しばらくして目が合った。
ちぬは花が綻ぶようにふわりと笑んで書を閉じた。
「お目覚めですか?」
「あぁ、よく寝たようだ」
「左様ですか」
答えるとちぬは母親ぶって元就の髪を撫でる。
慣れぬ内は少し抵抗もあったがこうされるのが満更でもない。
元就に取って未だに女とは奇妙で不思議なものである。
腹の虫が鳴くのを聞きながら元就は柔らかな手のひらが、おのが髪を撫でるのを任せた。
「お主も本殿に帰る頃か」
「もうそんな時間……。隆元さまは奥方様の元におられますし何を致しましょう」
「お主とて奥方じゃろう」
「わたくしは良いのです。殿がおられますから」
言葉自体は嬉しいものだが罪悪感を微塵も感じさせぬまま答えるちぬに冷や汗が流れる。
他人の嘘を見抜くのは心得ているくせに、こうも強かに嘘を貫き通す。
やましいことなどありはしない。
最初から潔白であると笑顔を張り付けて。
「はは……わしがおるか」
気づけば乾いた笑みが漏れ出た。
まだ小娘だと思っていたがなかなか魔性である。
元就は体を起こすとその魔性の女に向き直った。
そしてその髪を一房取って口づける。
ちぬはそれを見て少し恥ずかしげに頬を染めた。
「お主は恐ろしい女よな」
「恐ろしいですか?」
「あぁ、とても恐ろしい。わし以外の男には到底御せぬじゃろうて」
するとちぬはくすり、と小さく笑った。
その笑みは年相応らしくあどけなかった。
だが元就はあどけなさの中に底知れぬ腹黒ささえ感じた。
いずれ自分を骨の無いくらげのように腑抜けにしてしまう、恐ろしい色香をまだ内に秘めている。
そんな気がした。
「殿に御せぬ物などこの世にはございませんでしょう」
「御しているように見えてるのは年を食ってるからだ」
「無学なちぬには分かりませぬ」
「賢しらな輩は皆、知らぬ存ぜぬを言うものだ」
「左様ですか」
目を伏せたちぬ。
ついでに溜息などもついて元就の屁理屈に応える。
だが、そんなやり取りがちぬにとっては面白く幸せであった。
元就とてそれは同じだった。
お互い含んだような笑みを浮かべながら見つめる。
「やはり本殿に帰るのはやめにせぬか?」
「良いのですか?」
「わしの使いを出そう。「囲碁が長引いている」とでも言えば納得するだろう」
「ふふ、そうですね」
そのうち日が落ちて、淡いあかりが元就の屋敷に灯された。
使用人として使われる乱破達はすぐに隆元の近習に側室の所在を知らせに行った。
特に咎められることもなく隆元はその旨を聞いて「相分かった」と答えたそうな。
相変わらずの返答に元就も少し苦笑した。
「我が息子ながら女に気を張らぬとは」
「やはりまだ隆元様は奥方様と御一緒だったとか。仲睦まじくて何よりです」
屈託なく微笑む息子の嫁。
本来なら嫉妬の一つも出てこようものなのに邪気が無さ過ぎて、元就は若干戸惑う。
しかしこうさせたのは自分のせい。
何故か急に頬が痒く感じた。
「しかしお主もいずれ子は成さねばなるまい」
「それは私の意思ではいかんとも」
「それはそうだが、さてどうしたものかな」
ゆったりとくつろぎながら夕餉を摂る二人。
ちぬはそんな元就を見て「今更」と感じていた。
あえて言わぬのは本人もわかっているからであろう。
手を出したのは自分。
のめり込んでいるのは自分。
若い体を散々抱いて置いて今更その芳さを手放すのも惜しい。
一一一我ながら我儘な老人になったものよ。
夕餉の箸を置き、最後に汁をすすってから一つ溜息を付く。
ちぬは早々に夕餉を終わらせ、また書に目を落としている。
その巻名は源氏物語であった。
元就は尋ねた。
「今はどこを読んでいる」
「藤壺の宮まで」
「義母と不義密通か」
「昔の方は奔放でしたのね」
「お主とて……一一一」
「元就さま」
口を開こうとしたらちぬが人差し指を口元に寄せた。
少し戸惑うと妻に良く似た凛とした眼差しが元就を刺す。
それ以上は言うなと目が語る。
側近が控えている。
誰が聞きつけ、言いふらすか分からぬ。
ぐっと唇を噛んだ。
気配が消えたのでちぬが口を開いた。
「
そのうち下女が閨の準備が出来たと伝えに来た。
ちぬはその手を取り頭を軽く下げて退室した。
元就はそれを見送り、顎髭を撫でる。
藤壺は光源氏の子を孕みながら、それを誰にも悟られず墓場まで持って行った。
なれば今までここにいた女もきっとそうするのであろう。
いや必ずそうなるであろう。
己の独占欲が止めどなく迸る限り、結果は既に目に見えている。
「さて、わしも寝るか」
一人寝の寂しさを感じながらこれからの予想図を夢に描いた。
この元就を持ってして成らぬ策などありはしないのだ。
口元に仄かな笑みを浮かべ彼は目を閉じた。
20231104