恋煩いの短編集
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「んふふふ〜。ついに手に入れたぞ。これが神の領域を支配出来るとか出来ないとかと噂の腕輪か〜。あっさり手に入っちゃうなんて、管理のずさんなこと……我輩にとっては実に好都合なことよ〜」
下衆な笑みを惜しげも無く披露して声高に叫ぶ男。
それを見ながら下女とも側妻とも、とにかく曖昧だが男の世話を一手に引き受けている彼女は頭を抱えた。
「久秀さま……なんですの? それは」
「気になるか〜? むふふふ、こまちゃんにあげようと思ってぇ、盗んで来ちゃった。えへ」
悪びれ無くのたまう男。
そしてきらきらした眼差しでこまを見つめる。
その男の姿はまるで忠実な番犬が任を果たし、飼い主に褒められるのを期待しているかのようでもある。
しかしこまはそれをいなした。
泥棒稼業はこの男の範囲外であったはずなのについに手を染めたのかと卑しい行いに憂いた。
しかし主人である松永久秀は、こまの心中を察しつつもその美しい腕輪を彼女の手首ににすっぽりはめて見た。
そのまま良く観察し、撫でたり、振ったり、どこにその力が発動する仕掛けあるのか躍起になって探している。
彼女にはめられた腕輪は美しくはあるがその辺に売られているものと大差無いような気がした。
こんなものの為に人様から無用な恨みを受ける主人に辟易するばかりである。
しかし彼はこまの手の甲にそっと己の両掌を合わせると憐れみを誘うような口調で懇願した。
「なぁ、こまちゃん、褒めておくれよ。我輩頑張ったんだぞう? 伊賀者やら甲賀者、はたまた京極んとこの鉢屋衆なんかも口説いて、大枚はたいてやっとこさ得たお宝なんだぞ〜」
「人の物を盗るとは情けない……久秀さま、返してらっしゃい」
「え〜、やっぱりそう言う? でも、やだ。せめてこれを取り返しにくる奴らと遊んでからだな」
まるで顔面で芸をするようだと思った。
悲しげな表情とは一転、楽しそうな愉快そうな、それでいて悪そうな顔を瞬時に作る主人にこまは呆れながらも感心していた。
こまは溜息が零れるのを隠そうともせず彼を諭した。
「久秀さま、それは私の為に盗ってきたとおっしゃいましたね」
「そうよ。お主と我輩でこのイカれた世界を支配出来たらと思ってな。それに力が宿っているなら、我輩が留守の間お主を守ってくれるんじゃないかな〜と期待してみたり? な〜んてな」
そう言うと久秀はまた悪党面から一変し人畜無害に微笑んでみせる。
元が美相なだけにその微笑みにはこまもたじろぐ。
また――きっとその理由は後付けに他ならないと分かっているものの――己の安全の為と言われてしまうと無力さも自覚し、露ほどではあるが申し訳ない気持ちが現れた。
「……本当にそうだとしても、私たちには手に余るでしょうに」
「まぁな〜。結局使えなければ綺麗なだけのガラクタだしな。お主の趣味にも合わなかったか?」
「盗品に興味など湧きません。それに金銀財宝も結構ですが久秀さまがご健在なら何もいりませんよ」
「欲がないのう。まぁそれが良いのだが。うちのカミさんはつまらん、つまらん。ぶー」
久秀は唇を丸めて不服を訴える。
しかし数多の富より自分が上だと言われて喜ばぬ男はおるまい。
それも自分が好いて大事にしている女ならば尚のことである。
口には出さずとも、互いが互いを思い合っているという事実に久秀は照れくささと嬉しさを半々に抱いていた。
しかしせっかく労を奏して手に入れた宝物をタダで返すのもこの悪党には口惜しかった。
「なぁ、返すと約束するから我輩にご褒美ちょうだいよ。一応動機はお主を慮ってが故だし」
「私は頼んでおりませんし、ご褒美などはあまりに図々しく思いませんか?」
「いや〜? だってほら悪党だし。図々しくてなんぼだと思ってる。が、お主から褒美が貰えないなら仕方がない。強行突破と行こう」
静かに耳元に口を寄せて彼は囁いた。
眉根を寄せたこまに対し、久秀はこの世界で手に入れた力をさも当然のようにこまという善良な民に使った。
その早さ、瞬き数回程度の出来事である。
強行突破とは上手く言ったもので必ず拒否されると知った上での力技に彼女はたじろいだ。
久秀は神から奪った力を私欲に惜しげも無く使った。
彼は蜘蛛の糸を練り自在に操るとあっという間に彼女を拘束し楽しんだ。
「ほうほう、なるほど。やはり思っていた通りこう言う使い方もできるのか。いやぁ神器とは恐ろしいものよな〜。おじさん、困っちゃう〜」
さも愉快そうに久秀は口元を歪めてこの様子を眺める。
対してこまは異能とも呼べる力に為す術もないまま身動きを封じられ、戸惑うばかりである。
戦に駆り出される訳でも付いていく訳でもないため、いつの間に久秀がこんな妖術を手に入れたのか知る由もないこまはただ動揺するに他無かった。
更にそのまま天井から吊るされてしまうと身の危険も感じ、ますます気持ちも錯乱し始める。
「一体これはなんなのですか!」
「これぞまさに神の力だな。どれ、このままお主の観音様を拝んでやるぞ〜」
「あ、ちょっと……待って、何をなさるつもりですか、久秀さま」
「どれ、宙ずりからの大開脚と行こうじゃないか〜! んふふふふ〜!我輩にお主の絶景を拝ませてくれぃ!」
「ひぃぃ!」
叫ぶこまの拒絶も虚しく久秀はいとも容易く、女陰を剥き出しにさせてご満悦である。
普段から女が力で敵わないと分かっていながらこの仕打ちである。
こまは羞恥心と、この悪党の情け容赦ない悪ふざけに怒り狂いながら涙を流した。
そこには普段の淑やかな言葉遣いなど皆無である。
「もういや! 久秀さまなんか馬に蹴られて死んじゃえ! 肥溜めに嵌ったまま遠呂智の手下に八つ裂きにされて 髪の毛朽ち果てろ!」
「そんなはしたない格好のまま怖い顔をするでない。我輩の我輩が元気になってしまったよ。それになんだそのセリフ。想像しちゃったじゃないか、恐ろしい子! 」
久秀は声を荒らげると、そのまま勢いに任せてこまの貞操をいつものように奪っていった。
こまはされるがままになりながらも毒を吐き続ける。
久秀は久秀で罵倒されながらの行為も悪くないな、とあらぬ事を考えながら愉悦に浸っていた。
「ふぅ……褒美を貰うと言いつつお仕置をしてしまったな」
「……嫌い」
「そんなこと言うなよ〜。おじさんに良いようにされて気持ちよかった癖に」
「……」
こんな風にあっけらかんとする久秀に対し、こまは着衣を直しつつ冷静を装いながらも憤怒の炎を燃やしていた。
―――今にみておれ。
いつもは感じないようなしぶとい怒りを感じつつ、手放されたこの身を翻した。
所変わって久秀に宝物である腕輪を取られた関銀屏、馬超、法正が久秀の拠点近くまでやって来た。
久秀は部下よりその知らせを受けて揶揄う気満々で何やら支度をして出ていった。
そして彼女、こまは久秀が居なくなった隙を見計らって柳生宗矩と共に敵を打滅ぼしに行く準備をした。
「こまちゃんがおじさんと二人で出掛けてくれるなんて嬉しいねぇ。松永殿と喧嘩したの?」
「喧嘩などしていません。一方的な嬲り殺しです」
「こまちゃんが松永を?」
「どう言う認識ですか。久秀さまが私をです」
宗矩としては冗談で言ったつもりなのだが、彼女のその目はいつもの穏やかなものでは無く、きつく射抜く
一体何があったのだろうか、と宗矩は首を傾げた。
こまの方は一生着ることもないと思っていた鎧に悪戦苦闘し、見かねた宗矩が装備を手伝う始末である。
「こんなの着ちゃって重いでしょ。おじさんがちゃんと守ってあげるから脱いじゃいなよ」
「ダメです。軽装だと久秀さまに何をされるか知れませんから」
「いや……こまちゃん相手にはナニしかしないと思うけど」
「それが嫌なんです」
そう言うこまに対し宗矩はクスクスと小さな苦笑を漏らす。
こちらに来てから珍しいこともあるものだ。
宗矩はもしかしたら自分が久秀からこの女を掠め取れる機会かもしれないと少しだけ期待した。
「で。どうするんだい?」
「久秀さまは言っておりました。善良な市民の振りをして敵を混乱の渦に巻き込んでやると」
「善良とかあの顔で言っちゃうの自信過剰過ぎるでしょ」
「全く仰る通りです。なので久秀さまの敵方の御仁と接触し、その善良な市民である久秀さまを完膚なきまでに叩きのめして参ります」
「おぉ、そりゃ楽しそう〜」
いつになく冴えた頭のこまに宗矩は心底楽しそうに笑って応えた。
その上気合いも十分である。
宗矩は松永家に仕える兵士たちに久秀の所在を問うと容易く聞き出せたので、すぐにそちらへ向かうと、ちょうど久秀が農民の格好で余所者である三人組と何やら話し込んでいた。
「そこの者! この辺りに怪しい者は見かけなかったか!」
「おらぁ、見ただ〜。あっちの方にいかにも凶悪そうな目をしたやつが荷物抱えて走って行くのを〜」
「そうなんですね! 教えてくれてありがとうございます!」
宗矩とこまはそのやり取りを影で眺めて、ただただ笑いを堪えるので精一杯だった。
彼にはこんな特技もあったのかと思う一方、彼以上に凶悪そうな目をした輩も早々いないのではという矛盾した答えに腹が捩れる程だった。
しかし少女と熱血漢は人を疑うのを知らないと見た。
久秀が指差した方を感謝を述べながら素直に付き従って行く。
ただもう一人、短髪で色黒な目付きの鋭い男は首を傾げて何度も何度も久秀の方を見ていた。
「どうする? 接触するなら今じゃない?」
「そうですね! では参りま……―――」
しかし追いかけていざ飛び出そうとすると、先程の女人の悲鳴がした。
どうやら襲われているらしく、その襲撃者の中にはなんと嫡男の久通もいた。
今ここで出て行ってはせっかくの策が台無しである。
何せ、かの御仁とこまたちは面識が有りすぎる。
そして三人組の強いこと、久通を含む松永家の臣従は油断でもしていたのかあっという間に蹴散らされてしまった。
幸いなことに三人組は殺すつもりはなかったらしく怪我だけで済んでいたのは不幸中の幸いとしか言えない。
三人組が去った後、こまと宗矩はボロボロになって倒れている久通たちを介抱した。
「久通様! 大丈夫ですか」
「こま殿に宗矩。……何故ここに?」
「久秀さまがここにいらっしゃると聞いたからです。……お一人で悪巧みするならともかく久通様や長頼様まで巻き込むなんて」
「父上が希代の宝を手に入れたらしくてね。もしかしたら元の世界に帰れるかもと仰っていたから頑張った訳なんだが、負けてしまったよ」
「情けない」と困ったように眉を下げる久通にこまと宗矩は心の底から同情した。
こまに至っては頭痛がする思いである。
―――ごめんなさい、久通様。その宝では元の世界には戻れませんし、あなたのお父上は帰るどころか支配しようとしてました。しかもその宝物は盗品です。
だがしかし、さすがにご子息の前でそんなことは言えず、こまはいざと言う時に持参していたこの世界で作られたという傷薬を久通達に分け与えた。
異界の薬は凄まじく、満身創痍な松永家の臣従たちをあっという間に癒して行った。
後ろから眺めているだけで手を貸さなかった事への罪悪感が少し薄らいだ所でこまと宗矩はまたさっきの三人組を追いかけて行った。
彼らはまた何者かと対戦していた。
その対戦相手もおそらく久秀に一杯食わされた口らしく何やら話が噛み合っていなかった。
いつの間にか三人組が宝物を盗もうとする悪人ということになっていた。
「今なら行けるんじゃないかな〜」
「そうですね。 ここには身内もおりませんし」
「急に出ばったら怪しまれるから相手方の軍勢に混じって行こう」
しかしいざ足を踏み入れて見ると宗矩の巨大な体躯は思った以上に目立ってしまい、紛れ込めたと思ったのは一瞬のことで、相手方の兵士から動揺の声が広がった。
「お、おめぇどこの奴だ?」
「見た事ねぇ顔だぞ」
「そっちのちびっ子もいつからいた?」
「ここは妖魔の世界だからな……人に化けた妖怪じゃねぇか?」
ザワザワと広がる声に前線で指揮していた頭領と思われる者がついに気がついた。
見目麗しい男だった。
もう一人同じような格好した美しい女人は三人組との戦闘に夢中になっていた。
「何事だ。おや、随分目立つ刺客だね」
「いや刺客ではないかな〜。どっちかって言うと剣客」
「そっちの小さい人は、体つきから行って女性かな」
「敵意はございません。お話したいことがあって参りました」
「わざわざ殺される覚悟で来たのだろうから聞こうじゃないか」
さて、そこからの流れは早かった。
三人組とこの男の妻との決着は付いたようで、この男――立花宗茂の手引きも有り、話し合いに持ち込むことが出来た。
そして今回一番の被害者である関銀屏という女人にこまは深く頭を下げて謝罪した。
「この度は主人がご迷惑をおかけ致しました……。これも全て無力な私を思ってのこと。主人は悪党と世間では言われておりますが、どうか今回ばかりはお目溢しを……」
「い、いえ! そう言う理由なら仕方ないのかな……でも頭をあげて下さい!」
この銀屏という女人、本当に純心であるらしくこまが深々と下げた頭をどうにかして戻そうと必死である。
更に言うとその隣に控える馬超と言う熱血漢に至っては感涙している。
「所業は確かに悪だが、妻を守るために行った事か……。優しい御仁ではないか」
それに対し立花誾千代と法正という御仁は懐疑的だ。
「やはり先程の目付きの鋭い男が犯人であったか。あの男からはただならぬ威圧感があったからな……ただの農民では無いと思っていた。だが先程の態度、ただ純粋に妻の為に行った所業とも思えん」
「しかし松永久秀だと? 音に聞く梟雄……。それよりそなた、将のくせに戦え無いとは何事だ」
騙されたのが相当癪なのだろう。
誾千代はこまを値踏みするようにきつく睨んでいる。
それもそのはず、この世界に召喚されたものは何故か分からないが老若男女病人引きこもりに至るまで戦う任を課せられる。
確かに非戦闘員はいるにはいるが、あまり見ないのも事実である。
この異世界である。
ある程度力が無いと駆逐されてしまうか異界の魔物に悉く食われてしまったのであろう。
故に今、現在生き残っているという事実が彼女にそう言わせるのであろう。
こまは困ってしまい隣に佇む宗矩に視線を向けた。
しかしこう言う時宗矩はあまり役に立たないこともこまは経験上知っていた。
助け舟を出したのは夫である宗茂であった。
「誾千代、普通の女性は君みたいには戦えないよ。剣の修行をしたり、鍛錬を好むのは極少数だ」
「わ、分かっている! しかしその言い方だと私や銀屏は普通じゃないみたいじゃないか」
「あくまで一般論さ。それに君たちは普通の女性よりずっと美しいんだ。その上戦う女性はとても魅力的だよ」
「だけど……」
「それに夫が妻を守りたいと思う気持ちは痛いほどわかるよ。俺も君を心から愛しているし、守りたい」
にこり、とこの美丈夫は妻に向けて優しく微笑んだ。
その瞬間その妻は顔を一気に蒸気し赤く染まった。
初々しい姿に一同皆優しく目を細めた。
一人を除いて。
「睦事は他所でやってくれますか。とにかく犯人が誰か分かったなら追い詰めるのは簡単だ。悪党は人のものを奪うのは何とも思わぬが、奪われるのはこれ以上無いほど嫌悪する。意味は分かりますな?」
「えぇ」
こまは頷いた。
すると彼は途端に愉快そうに悪巧みをする。
久秀をあっと言わせ、かつキツく灸を据える方法をこの法正という男は知っているという。
その眼光の鋭さにこまは若いながら相当苦労してきたのだろうと察した。
何故なら主人である久秀もそのような表情を度々するからだが。
「奥方、あなたを使うが宜しいか?」
法正が睨むように問いかける。
銀屏はそのきつい眼差しに少々たじろいでいたし、馬超は「義に
―――若い時の久秀さまもこんな感じだったのかしら。
狼か豹のように睨まれているのだろうが、実際その目付きによく似た主人を見慣れているせいか何とも思わないこまと宗矩であった。
そうすると何歳頃からあのふざけた調子が出てくるのだろうか。
きっとどこかで嫌気が差してこの男も久秀のようになるのだろうか。
などと思い始め終いには笑みさえ零れた。
しかし、法正の方はそんな考えなど露知らぬ訳だから、己の威圧に対しふんわり微笑むこまに彼は頭上に星が降って落ちたような気持ちになった。
拍子抜け、というやつである。
「元より使って頂きたくて参りましたのです。存分に使って主人を懲らしめて下さいませ」
「ならば存分に使わせて頂く。個人的にあなたの主人は好かんのでな」
法正はそう言うと対久秀用の策を考え出した。
その頃久秀はと言うと上機嫌で拠点に戻りつつあった。
しかしその途中、先の三人組に敗走した久通と合流する。
久通はこまの与えた傷薬により回復しその後も不具合は無いようであった。
「久通! 元気そうでなにより。その様子から見ると邪魔者は追っ払えたようじゃな」
農民姿の父を見て、先程こまに見せたように久通は眉を下げ困ったように笑う。
「違いますよ、父上。私たちは負けて戻って来ただけです」
「はぁん? だが殆ど傷も怪我も無いではないか」
「それは父上を追いかけて来たこま殿と宗矩が手当てしてくれたからですよ。それよりも父上こそこま殿と会わなかったので?」
「こまだと? いや……会ってないな」
「え……そんなはずは」
「……」
僅かに流れた沈黙の時間と、嫌な予感に久秀は冷や汗が背中を伝った。
まさか戦嫌いのこまが付いて来ていたとは想像もしていなかったので、敵の阿呆面を眺めて帰るだけという楽しい余興が途端に不安な道程に相成った。
何故なら彼の今の装備は戦うには程遠い装備であるし、武器に至っては素手である。
もちろん神器は呼べばすぐ来るだろうがボロを纏った農民がおどろおどろしい凶器を持っていたら即座に狙われるだろう。
せめて装備を整えねばならぬ。
しかし居城に戻っている時間は無い。
そして久秀は久通を凝視して言った。
「久通、お主は戻るのだろう。ならば兵の装備をわしに貸せぃ」
「こま殿の所にお一人で向かわれるのですか? 危ないのでは?」
「わしはこまを取られたら死ぬ」
そう言うと久秀は自分と似たような身の丈の適当な兵士を何人か呼びつけて甲冑やら篭手やらを脱ぐように命じた。
そしてそれらを手早く身に付けるが、何せ普段はこの重さの半分程しかない礼服のような格好でいるものだから久秀は身動きが取れずに立ち尽くした。
それを見かねた久通が父を諭した。
「父上、一度拠点に戻りましょう。我々の対峙した三人は父上の宝を狙っているのでしょう? ならば我らは待っていれば良い。こま殿には宗矩も付いているし死にはしませんよ」
「そ、そうか。ならばお主の言う通り戻ろう」
久秀は直ぐさま鎧を脱ぎ捨て汗を拭った。
家臣の一人が馬を久秀に貸すと、久秀は久通や家臣団を置いてさっさとその腹を蹴り拠点まで邁進した。
久通はその動きの早いことを見送った。
同時に、こんな状況ではあるが隠居して余生を存分に楽しんでいる姿に息子として安心していた。
置き去りになった甲冑を兵士たちが再び身に纏うのを待ちながら、前方を駆ける久秀に彼は叫んだ。
「父上、こま殿の為に筋肉つけなきゃダメですよ〜」
「言われなくても励むわ」
さて久秀が全速力で拠点に引き返している間、こま達はというとそれを怒涛の勢いで追いかけていた。
というのも未だ怒りの収まらぬ雷神が軍に発破を掛けているからである。
この
夫がなだめたとしてもふつふつと湧き上がる屈辱感は早々拭うことはできないのだろう。
既に先程の場所に松永軍の姿はなく、拠点のすぐ近くまで戻ったのを見てこまと宗矩は安堵した。
あのまま居座ればとばっちりも甚だしく怪我だけでは済まないだろうであろう。
宗矩がぼんやり呟いた。
「久通様達は戻られたみたいだねぇ。あぁ良かった」
そうこうしている内に腕輪奪還軍は久秀の拠点に辿り着いた。
立花は軍勢を居城の前に整頓させると門兵に向けて叫んだ。
「我が名は立花家当主、誾千代なり! 松永弾正に話が有る! 出て参られよ!」
誾千代はぎりぎりと眉間に皺を寄せつつ鬼の様な形相でいた。
宗茂と銀屏、馬超が宥めてはいるもののこまは少し不安になった。
このままこの御仁の機嫌が直らずにいたら久秀は本当に八つ裂きにされるのではないかと思った。
しかし宗矩と法正は気にも留めぬようだ。
法正はともかく宗矩は身内だと言うのに相変わらず薄情であるとこまは改めて頭を抱えた。
「出て来ぬならこちらから仕掛けるまでだ!」
再度誾千代が声を張った。
その時拠点の門がすんなり開いた。
そして現れたのはこの騒動の元凶であり主人である久秀だ。
軍は引き連れずたった一人で現れた久秀に奪還軍には動揺が走る。
しかもその佇まいは優雅ではあるもののどこか不機嫌そうである。
「あ〜あ〜うるさい! 色気もへったくれもない台詞で興醒めよ。我輩は今お主らと遊んでいる暇は無い。善良な市民のふりは楽しいが少々疲れる。おらぁ、何もしてねぇだ〜。堪忍してくんろ〜……ってな」
ハァ、とこれ見よがしに両手を広げて溜息をつく久秀。
その態度に先程は
まるで皆の心に吹雪が吹き荒れるようである。
しかし、この怜悧さこそ、この異世界で生き残るために必須な強さなのではないかと非戦闘員代表のこまは恐ろしく思いながら後ずさった。
そこに銀屏が叫んだ。
「私の腕輪、返して下さい! 大事な物なんです!」
健気な少女の登場に一同和む。
しかし悪党である久秀は銀屏を値踏みするように眺めた。
その後、愉快そうな顔になり意地悪く歪んだ。
「お主か〜。お主がこの腕輪の持ち主か〜」
「そ、そうですけど、何ですか?」
「ふん、お主に一つ忠告しておく。大事な物ならその辺に置いとくんじゃないわい。乱破の話によると、この腕輪はお主が脱ぎ散らかした衣類の山に紛れ込んどったそうな……。部屋の掃除もまともに出来ん奴が宝なんか預かるんじゃありません!」
久秀は腕を組んで吐き捨てるように言った。
そのあまりに問題のある管理の仕方を聞かされてか奪還軍の士気が大いに下がったのは明白である。
特に法正は獣のように激怒している。
「なんですと……銀屏殿! 日頃から関羽殿の娘御だからと甘やかしていたがもう限界だ! 劉備殿があなたに信用して預けたというのにこの体たらくでは蜀はいよいよ終わりだ!」
「えぇ! 悪いのは盗った人なのに〜! そんなこと言わなくたっていいじゃないですか〜! うぇーん!」
「言うに決まってるでしょうが!」
仲違いを始めた奪還軍の大元二人。
だが馬超は違った。
いくら管理が杜撰だとしてもうら若き乙女の私生活の一部を暴露するなどと憤怒した。
「正義は貴様を許さない」とお決まりの台詞で対抗するも相手は生粋の悪党である。
単純で真っ直ぐな若者の心を奈落に突き落とすなど造作もない。
「正義か〜。いい響きよなぁ。だが正義の言葉の裏に一体何人殺した? 正義の槍で一体何人を地獄に突き落としたのかなぁ? 屠った男の裏で一体何人の女子供が泣いてると思うのかね、ん〜? 貴様の言う正義とは随分都合が良さそうだのぅ」
ぐっと久秀が詰め寄ると馬超は後ろに引く。
何か言い返したい所だが馬超の視線を捉えて離さぬ久秀はまだまだ正義についての矛盾を突く余裕があるようだ。
結局馬超はそのまま言い返せず宗茂を見た。
しかし戦に於いて正義などただのお題目で殆ど機能していないと知る宗茂である。
彼ははクスリと笑うだけで、自分の代わりに誾千代を馬超に宛がった。
「馬超、聞け」と誾千代が言う。
さてどんな話が出るのかと思い皆が聞き耳を立てる。
優しい声音で誾千代は言った。
「正義とは勝つことだ。悪とは負けることだ。勝った奴が常に正義だ。負けなければ良い」
まるで仏の様な誾千代の笑みに馬超は少し気が楽になった。
陣からも「おぉ」と歓声が上がる。
しかしここにまた久秀が水を差す。
「確かに正義は勝者の作り上げるものだからなぁ。だがこの状況を見たまえ? 我輩は一人……お主らは大軍。たった一人に対して寄って集ってお主らと来たら随分と……悪党よなぁ。ん〜?」
面白そうに高笑いをする久秀。
それに対して法正以外の奪還軍は「お前と一緒にするな」と憤慨している。
たった一人とは言え初見殺し甚だしいこの男に、今まで真面目な将にしか仕えたことのない真面目な兵たちも浮き足立っている。
だがこの男にもついにそのお喋りな口を噤まなければならない事態が訪れた。
「松永殿ぉ。ただいま〜」
「おぉ、宗矩か。調度良い。良く戻った。今から敵軍を返り討ちにしてくれような」
「分かった。じゃ、いっちょ行くよー」
仲間が来て少し安心したのであろう久秀は後ろで大きく拳を振りかぶる宗矩の異変に気付くことは無かった。
高笑いが止まらない久秀。
その久秀の後頭部に狙いを定める宗矩。
こまは久秀に対し痛い目を見て反省しろと思う反面、宗矩には手加減してくれと手を合わせた。
宗矩の大きくて節榑だった拳が主の頭蓋を直撃する。
ばちこーん、というとんでも無い音が響いたと同時に久秀は宙を一回りしてそのまま地面に突っ伏した。
うっすらと血溜まりが見える。
意外な事態に久秀は舌を噛み、そのまま意識を失った。
絶句するこまと、いつの間にかお喋りおじさんの口が止まって喜ぶ奪還軍。
ぶらんぶらんと体を揺さぶっている宗矩を見てこまは一目散に駆け出した。
「宗矩殿ォォ! 手加減してってお願いしたじゃないですかァァ!! 何してるんですか! あなたが殴ったら細身の久秀さまなんか一瞬であの世に行きますからね! あなたはこの人から禄貰ってるのをお忘れですか! ちょっとは考えなさい! 」
「えぇ〜……だってぇ」
「だってじゃありません!」
こまは一応死んでないかと主人の頬を叩いてみる。
息を確かめるだけで良さそうなのだが、これはこれでこまも手加減がない女だと自白している様なものだった。
「さぁて、これで一件落着だね〜。えーと、腕輪、腕輪……っと」
宗矩は久秀の懐をまさぐって見る。
奪還軍も久秀が陥落したことで安心したのか、三人組と立花夫婦はぞろぞろと周りに集まってくる。
「で、あったのかい?」
宗茂が問いかける。
しかし宗矩は首を振る。
どうやら拠点の中に隠されているのだろう。
確かに奪われると知りながら持ち歩く馬鹿はいない。
久秀の顔を怨めしそうに眺める奪還軍の面々にこまはいたたまれない気持ちになった。
宗矩が白目を剥いている久秀をおぶり、とりあえず拠点の中を探そうと話が纏まったところで急報が入る。
「申し上げます。遠呂智の大軍が迫っておりまする!」
兵士の言葉に関銀屏が驚声が上がる。
「こんな時にですか〜!? もう! 相手になんかしてられないのに〜!」
可愛らしい顔を真っ赤にして少し怒気を滲ませながら、手持ちの武器をぶんぶん振り回している。
それを華麗に交わしながら法正が冷静に考察する。
「多分腕輪を取りに来たのでしょう。まずいな。手元に無い以上ただ逃げるだけでは奪われてしまう可能性もある」
「ならばこの錦馬超が一騎当千の力で迎え撃たん!」
「多勢に無勢ですからやめて下さい」
法正の辛辣な言葉にしゅんと項垂れる馬超。
それを少し気の毒に思ったのであろう誾千代が背をさすりつつ意見した。
「だが立花の軍だけでは抑えられぬのも事実。やはり早々に松永の拠点から腕輪を取り戻し、撤退するしか他あるまい」
逃げるなど恥で有ると考える誾千代にとってこれは物凄く屈辱的な状況ではあるが致し方ない。
多くの将兵の命を預かる頭領ならば苦渋の選択は是非もなしである。
しかしそこに呻き声を零しながら意識を取り戻した久秀が意見した。
「お主ら……随分困っとるようじゃのう。ふふふ、我輩が助けてやろうか? ほら言ってみぃ。「助けてくれ」とな。一つ貸してやる」
あまりに傲慢な台詞に奪還軍の面々はまた額に血管を浮きだたせている。
その顔を見るのが楽しいのだろう久秀は宗矩の背でくつくつ笑う。
この状況でまだこんな戯言が言える久秀にこまと宗矩は感心以上に呆れて物も言えなかった。
しかし、これに対して法正と宗茂は極めて平坦に返した。
「松永弾正、妖魔達は腕輪を狙っているのだそうだ。ならば一番身の危険があるのはあなただと思うのだが。我々はこのまま逃げても良いが。言って見ろ「助けて下さい」とね」
怒気を孕みながらもゆったりと優雅に微笑む宗茂。
そしてその横では久秀によく見えるように法正が凄む。
その腕の中にはキラリと光る刃を首筋に宛てがわれて身悶えするこまがいた。
「さてあなたの大事な奥方をこのまま殺すも、兵士らの餌にしても構わないのですよ?」
「申し訳ありません、久秀さま……私捕まってしまいました」
しゅんとして項垂れ、健気に振る舞うこま。
さすがに久秀もこの展開はある程度予想はしていたものの許せなかったようである。
おぶっている宗矩の脇腹を盛大に蹴り上げながら「お主がいながらなんと不甲斐ない! 役立たず!」と喚き散らした。
事情を知る面々はその様子に苦笑した。
「さぁどうする? この女人の運命はあなたの返答次第ですよ」
さすが三国の悪党。
久秀もそうだが、やり方がえげつない。
その上演技も上手である。
悪党という職業には演技力が必須であるらしい。
「ぐぬぅ……。このような仕打ち、断じて許せぬぅ! 決して、決してお主らなどにそんな台詞言えるものか〜!」
久秀は「あぐっ、あぐっ!」とあからさまに咽び泣く振りをしている。
しかしここは理に敏い大悪党である。
次の瞬間にはケロリとしている。
「が、我輩は悪党であるからな。あっさり言ってしまえちゃう。助けてくださあああい!」
上擦った声で、序盤に見せた農民の真似事をしてみせる久秀。
それには奪還軍の精強な兵どもも一瞬で力を奪われてしまったらしい。
多くの兵は笑いを堪えるか、噴き出すかして迎撃の前にも関わらず腑抜けた面に変わっていた。
宗茂は言わせたのは自分であるから兵のその様子を見て少し頭を抱えた。
しかし法正は結果さえ得られれば恥などいくらでもかけるという久秀の潔さに逆に感心していた。
「そぉれ、腕輪は後できっちり返してくれるわ。さっさとその阿呆娘を返さんか」
「まだあなたを信用している訳では無い。あなたの持つ腕輪と交換です」
「言っておくが、うちのこまはそこの野獣女達と違って自力で戦えぬぞ? 今から妖魔達と一戦構えるというのに、はっきり言って、超お荷物な他人の女房をかばいながら進むとは随分優しいじゃないか」
ふふん、と楽しそうに鼻を鳴らしながら法正を見る久秀。
ただのお荷物どころか「超」などと言われたこまはピクりと眉間に皺が寄る。
その上一早く聞き捨てならぬ、と騒ぎ立てるのは銀屏と誾千代である。
宗茂と馬超がその怪力に気圧されぬように一生懸命後ろから羽交い締めにしている。
「離せ、宗茂! あの悪党は私達を野獣だと罵ったのだぞ!」
「そうですよ、馬超殿! いくらなんでもあんまりです! ちょっと他の子より筋肉を鍛えるのが好きなだけなのに〜!」
そして法正はその言いようにギリギリと
悪党と呼ばれて久しい自分だが、それ以上に人を小馬鹿にしたこの男は、自他ともに認める戦国の大悪党だと言う。
その男にからかわれていると分かりつつも「優しい」などと言われてみろ。
己の沽券に関わる重大事態である。
少し前までは何もかもが演技であった。
だがもし次に敵味方に分かれるならこの男は必ず殺すと法正は誓った。
が、法正のこの剣幕をこまは察したのであろう。
悪党の女である。
悪党の心中を見抜くなど容易かった。
法正に解放された振りをして宗矩におぶられた久秀に近づく。
「久秀さま……」
「こまちゃん! あ〜、やっと戻ったか。さ、帰ろうなぁ」
にこにこした笑顔を作ってご機嫌になった久秀。
だが宗矩は近付いてくるこまの瞳が笑っていないのを見て、そっと久秀を下ろしてゆっくりと退散し始める。
久秀は心配で堪らなかった愛する妻が手元に戻り昂揚し、それに全く気が付かない。
手を広げてこまが飛び込んで来るのを今か今かと待っていた。
しかしそれはついぞ訪れず、代わりに久秀はこまに胸倉を掴まれるとグワングワンと揺さぶられた。
「あなたは! あなたという人は! 自分からなにゆえ災いの種を撒き散らすのですか! 私はともかく久通様や長頼殿に苦労を掛ける様な行いは常々慎めとあれほど言っておきながら……この疫病神!」
こまは顔を真っ赤にさせ、情けないやら悲しいやらでこの主人の行いを非難する。
しかし悪党である久秀であるからこまがいくら泣こうと絶対にこの性格は治らないのも折紙付である。
言うだけ無駄なのだが言わずにいられない。
久秀はそんなこと露知らずと言った具合でこまのなされるがまま揺らされる。
「ちょっとこまちゃん……ぐえ、ここは感動の再会の場面じゃろう? ぐふっ、我輩だってお主の為に オエッ……色々頑張って見たんだけど……」
「頑張るならもっと誠実に! 私の為ならなおのこと!」
「分かったから……ぐえ ……その手を離せ」
「反省しなさい!」
まるでどこかの太閤の女房のようなことをのたまうこまに立花夫婦は既視感を覚えた。
蜀の三人組は呆気に取られ、宗矩はいつもの事というようにのんびり欠伸をしている。
夫婦とは面白いものでいくら歳が離れていようと妻の方が強いし、その方が家庭は平和なことが多い。
戦は出来ぬが久秀という災禍を鎮めることに於いては今の所こまの右に出るものはおるまい。
日頃の不満をここぞとばかりにぶちまけるこまに久秀はついに根負けし海よりも深いため息をし、山よりも高い矜恃を潜めて奪還軍に向き直った。
「おい、小童ども。うちの女房を盾にしたのは許せんが、元はと言えば我輩が悪かったことだ。我輩の軍を使え。雑魚の妖魔ぐらいは払えるだろう」
そう言うと久秀は我関せずを貫いていた宗矩を呼び止めて、拠点の兵に出撃するように遣わした。
忌々しげに言い放った久秀だが、その隣に控えるこまはやっと肩の荷が降りたとでも言うように晴れやかな笑顔である。
しかもこまの方から自ずと手を広げて、久秀が先程望んだ抱擁を行ってくれる準備までしている。
この男が人目を憚ることなどあろうか。
有るはずもない。
そしてこの女房もまた似た者同士で人前であるにも関わらず久秀の髪を撫で称揚する。
「久秀さま、ご立派ですよ」
「お主のせいで台無しよ」
つん、と顔を背ける久秀の表情たるや如何。
満更でもないというのは伺える。
そのうち妖魔の軍が攻めて来て奪還軍と久秀の私軍が共闘し見事勝利を納めた。
「さぁて、我々はそろそろお役御免か。どぉれさっさと退散しちゃおうかな〜」
皆が歓声を上げて勝利に酔っている頃久秀は静かに軍を引き上げてとんずらしようとしていた。
しかしそこに銀屏が仁王立ちになって立ち塞がる。
「返してください! 逃げるならここで討ちますよ!」
今度こそ逃がすまいと蜀の三人はずっと目を光らせていたのだろう。
結果その判断は正しかった訳だが、主人が信用ならない人と判を押されて嬉しい家人もおるまい。
こまと宗矩は久秀に観念せよと勧告した。
引き摺り出された久秀の言い訳は皆が思った以上に白々しい。
「あれぇ、なんのことかな〜。ちゃんと返そうと思ってたんだが。おじさん、すっかり忘れてたよ〜 とほほ」
嘘だな、とこの場にいる全員が思った。
しかし腕輪は元の持ち主に戻り奪還軍は引き上げて行き、これにて本当に一件落着となった。
久秀は傍らの宗矩に呟いた。
「いやぁ……今どきの若者は面倒な上にしつこかったのぅ」
「拙者もまだ若者なんだけど?」
「お主はジジくさいから論外だ」
今回の件で少しは懲りたかと思いきや出てきたのは相手方への悪口である。
しかし宗矩は面白ければそれで良いと思っているクチであるから諌めるという面倒なことはもちろんしなかった。
さて、しばらく時間が経ちほっと一息ついた頃である。
皆が各々の拠点に到着したであろう時分久秀がある異変に気付く。
こまと一緒に茶でも飲もうかと思ったが肝心のそのこまがいない。
「おい、宗矩! こまがおらん!」
「こまちゃん? 寝てんじゃないの〜?」
「探したがおらん!」
あたふたと慌てふためく久秀。
その久秀の元に伝令が走って来る。
どうやら先程の奪還軍の一人、法正がこまを攫ったとのことだった。
その報せを聞いた久秀の形相たるや余裕など皆無で、青筋が浮き出ている。
宗矩はここに来てあの情けない結末まで含めて、先程のは全てお遊びだったのだと知ることになる。
人間相手に神の力を使うとはどうかと思うが久秀は躊躇無くそれを召喚させると、これまた神から奪った天馬に跨って蜀の拠点に乗り込んで行った。
一方こまの安否の程はと言うとまだ生きてはいた。
そして法正の行ったことに馬超と銀屏は動揺していた。
「法正、 人攫いはいくらなんでも……」
「そうですよ。これじゃあの人と一緒じゃないですか」
しかし法正は悪党は同じ目を見ないと改心しないと思っていた。
それにこまはこまで慌てふためいていたが先程久秀と邂逅した時に刃は立てられたものの、殆ど出番が無いことに不思議に思っていた。
この男も久秀と同じ悪党なら骨の髄まで利用するであろうと思っていたがゆえ、この展開を他人事のように俯瞰していた。
「私は使わさせて貰うと最初に言いましたよ」
やはりな、とこまは納得した。
そして悪党とは実に面倒臭い生き物であるとも改めて理解した。
遠い目をしながら今から行われる無駄な争いにほとほと嫌気が差して胃痛がするのを堪えるこまであった。
そんなこまに法正はちらりと視線を向ける。
また「それに……」と呟いて口を噤む。
馬超と銀屏は法正の態度に首を傾げたがそれ以上はニヒルな笑みに誤魔化された。
―――それにあの悪党を骨抜きにする女に興味がある。
法正は他人の女房を見下ろしながら思った。
人の物が欲しい、その上その気持ちを抑えられない。
自分も久秀も結局は同じ穴のムジナであると苦笑した。
その後、蜀の重鎮により平和的に事は終結したが、さすがに久秀も懲りたようで暫くは他人に迷惑をかけることなく大人しく過ごしていた。
が、それは外部に対してであり内側にいる人間とりわけ近しい者にとってはその限りでは無い。
今日も久秀に手篭めにされてこまは泣いていた。
「もういやっ! 久秀さま、許してぇ!」
「ダメよダメぇ。お主が他の男に弄られて汚されてないかきちんと調べてやる。さぁ、ご開帳〜!」
「やめてぇぇぇ!」
そしてまた冒頭のようなことを繰り返し、久秀はこまの恨みを買っていた。
しかもこれは久秀の気が済む迄暫く続きそうだ。
宗矩は聞こえて来る悲鳴を肴に昼間から酒を飲みつつ苦笑した。
「はいはい。今日もお盛んなこって」
異世界でも松永家だけは何だかんだ平和な時が流れているなと彼は青い空を眺めて微睡んだ。
20231205
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