松永殿と恋煩い
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神社仏閣がひしめく京は低い山が多い。
低いと言えども、人々が暮らす都を覆うぐらいであるから侮ってかかれば当然その報いを得る。
この京と言う都が、他の地域に比べて物の怪の類いの話が抜きん出て多いのも、人の世に慣れすぎた者が自然を侮ったが故かもしれない。
恐怖はある種の幻覚を産む。
暗い森に入った辺りで主人が言った。
「果心居士などはそういう話が好きでな。最初は百物語好きなただの男だったのに、いつの間にか一端の幻影師になっておった。人間どう出世するかわからんもんじゃのう」
くつくつと喉を鳴らして小さく笑う久秀さまの手には、何十枚と言う御札があった。
金ヶ崎の報復戦がほど遠くないうちに行われるのは明白なので、家臣団のために久秀さま自ら寺に赴いて取り寄せた次第である。
運動に調度良い緩やかな傾斜をてくてくと進むとその内、新緑の香りに相まって爽やかな甘い匂いがかすかにした。
頭上を見やると紫色の藤の花が風に揺らめいている。
その藤の蔦は大木に絡みつき、まるで縋るように覆い被さっている。
大樹に絡むその蔓はまるで蛇のようであり、屈強な男の腰に絡む艶かしい女の脚のようにも見えた。
季節は夏。
戦続きであまり手入れされていない街道ではそのような風景を良く見かける。
杉や松に絡まる藤。
花が華やかなせいで素人には何が悪いのか検討もつくまい。
それは自分においてもそうであった。
しばらくして男たちが数人その蔓と格闘している。
無惨にも花を引き裂き、蔓をはぐ男たちが私たちの脇を通り過ぎる。
ぐしゃりぐしゃり、と花が潰れる。
その光景に何故か言いしれぬ不快感を感じている自分がいた。
「なぜあのように花を散らせるのでしょう」
呟くと久秀さまが答えた。
ちらりと目線を同じ位置に向ける。
久秀さまの目にも、咲き狂う藤を鎌などで取り除く男たちが見えたのであろう。
指差しながら私に教えてくれる。
「あの者らは山の手入れをする者だろうよ。この一帯から木材を調達して生計を立てているのであろう。冬になれば仕事が滞る。だから今のうちに資材を揃えて置く。藤はその資材に取って邪魔な物だ。花など金にならないしな」
「そうでございますか」
だとしても今がまさに見頃であり、燃えるように咲き乱れる花をわざと散らせるなど風情が無いと思われた。
それを食い扶持にするものがいるなら仕方も無かろうし、そもそも視界に入れねば良い話。
だが心は小さなわだかまりを感じずにはいられなかった。
「何か言いたげだな」
久秀さまがぼんやりと景色を眺めながら呟いた。
荒れた山林には藤に限らず、そのような蔓植物が幅を利かせている。
そしてこの御仁が私などに気を利かせてくれているのももちろん承知している。
明るすぎる太陽の光に目が眩むのを堪えながら彼は言った。
「藤の花に情でも湧いたのか? ならば
何とは無しに久秀さまは問いかけた。
また金の掛かることを平然とやろうとする久秀さまに苦笑した。
しかし普段なら何もいらないと言うところであるが、やはり情でも湧いたのであろうか。
その問いかけに私は静かに頷いていた。
***
「手紙が来てるよ」
宗矩殿が「はいよ」と手渡してくれた。
私宛の手紙。
手紙など岐阜城の下で暮らしていた頃以来だった。
物珍しくて久秀さまや宗矩殿も横に座って眺めたりしている。
「この我輩がいると知っていてこまに恋文か?」
「え、恋文? 拙者以外にこまちゃんを横取りしたい奴って誰だろ?」
「宗矩、お主いい加減こまにちょっかいかけるのやめんか」
「嫌だよォ。こまちゃんってば間抜けで可愛いんだもん」
「まぁな。でもせめて我輩の前ではほどほどにしておけ。禄を減らすぞ」
「そりゃ勘弁」
二人はあぁだ、こうだと言いながら無粋な予想を立てている。
その上宗矩殿は私のことを「間抜け」などと言い、久秀さまはそれに対して否定もしない。
間抜けが可愛いなど馬鹿にするにも程がある。
腹の立つこと限りなく、私はスっと背を向ける。
大体送り主は分かっているのに失礼だ。
「で、どこのどいつが送って来たんだ?」
「高虎と言う浅井家の小姓です」
「あぁ、あの時の小童か。もうすぐ死ぬと分かって筆下ろしでも頼みに来たか?」
久秀さまは至極面白そうに笑う。
子供に対して、余りにも意地悪な物言いに私は思わず久秀さまを睨みつけた。
子供とはいえ、この手紙の送り主は浅井の主らにきちんと教育されて育った立派な武士である。
オマケに面倒見もよく、弟分の幽霊小僧を良く世話していた。
目の前で鼻をほじりながら下品に高笑いする主人が恥ずかしくなるほど、子供らの方がしっかりと地に足が着いていると錯覚するくらいだった。
聞く耳など持つまい。
あの子供らは私に取って数少ないお気に入りの友人である。
それを貶されると分かっていて敢えての会話など無用だ。
しかし私が拗ねる以上に、思い通りにならないと機嫌を損ねるのがこの松永久秀というお人だ。
しかも今日は少しその沸点が低い。
「 我輩に背を向けるか、小娘。それを貸せ」
「おやめください。 まだ読んでないのです」
「なら我輩が代わりに読んでやる」
この光景は見たことがある。
信長公の宴のあと、織田の諸将から誘いの文が届いた。
その中には明智光秀殿など織田家を支える有力な皆様からの文もあった。
しかしその殆ど全ては見ることが出来ないまま久秀さまは私の目の前で破り捨てたのだ。
「あ〜あ……。松永殿ってば鬼畜」
宗矩殿がぼそりと呟いた。
奪われる手紙。
久秀さまは事もなげに乱雑に開き、目を通した。
私の全てを、望めば取り上げてしまうそのお人が、今は喉奥に引っかかった魚の小骨程度に憎い。
今回も破り捨てられるのかと思い、半ば諦めのようにため息をついたその時だった。
同じように久秀さまもため息をついた。
「小童め、なんじゃこれは」
「どうかなさいましたか?」
「いや……ったく……悪筆過ぎて読めん……」
久秀さまが眉を寄せながら呟いた。
何度か顔を寄せたり離したりしていたがとうとう根負けして彼は読むのを投げ出した。
少々不機嫌になりながら久秀さまは口を尖らせて言った。
「あぁ、つまらん。変なことが書いてあったら破り捨ててやろうと思ったのに、あぁつまらん」
さらりと掌に戻った手紙。
ホッとしたのと、やはり破るつもりであったのかと久秀さまに静かに怒りが込み上げた。
言いたいことは山ほどあったが、また彼の機嫌を損ねて送り手の想いが見えぬのもいけない。
私は久秀さまと距離を取り、背を向けてそれを開いた。
***
親愛なるこま様へ
こま様、お元気ですか。
俺と吉継は元気にしています。
最近は二人で稽古したり、偉い人の馬廻りなどの仕事をしています。
人手が足りない時などはそれ以外にも色々な雑用を任されることも増えました。
小姓として仕事を任されるのはありがたいことであると存じます。
そして最近は長政樣の御息女である茶茶さまの遊び相手も二人でしています。
茶茶さまはお転婆ですが愛らしいです。
茶茶さまが笑うとお市さまも゙笑うので吉継などは本来の仕事よりも頑張っています。
時々調子に乗りすぎて怒られることもしばしばですが、それでも主の笑顔には代えられません。
それは臣として幸福なことだからです。
例えるならごく平凡な日常に鮮やかな色が差し込むようなものであります。
とても有り難きこと、そう思います。
ですが最近、そんな俺たちとはまるで反対で、母御であるお市さまは笑わなくなりました。
口元は微笑んでられるのですが、瞳は悲しげなのです。
ある時、お市さまは茶茶さまや俺達の方を見つめて「ごめんなさい」と呟いておりました。
これは俺の空耳かもしれません。
ですが風が吹けば砂の像が崩れるように、茶茶さまや俺達の前からお市さまが消えてしまうような気がして、とても恐ろしかったのです。
先日織田と朝倉は争い、長政様は朝倉家にお付きになりました。
長政様の決断が良いか悪いか若輩の俺には分かりません。
分からないですがお市さまが悲しむのも、いなくなるのも嫌なのです。
戦になると松永様達も゙参戦なさるでしょうか。
松永様は先日の戦で功を立てられたと聞きました。
ですから、今度もきっと松永様は堅牢な砦となってこま様を守ってくれると俺は信じています。
ですがお市さまを守る砦は今は強固とは言えない気が致します。
不敬となじられるかもしれません。
主家の指針に疑問など持っては行けないのかもしれません。
しかしそう思ってしまうのは主人を思えばこそです。
母とも姉とも慕うお市さまの苦しそうなお顔を見るのは俺も吉継も耐えられません。
また長政様も言葉に出さずとも、お市さまを深く案じております。
こま様、お願い致します。
敵や味方となる前に、どうかお市さまに会い、この憂いを
俺や吉継に出来る礼などたかが知れているかもしれません。
ですが、こま様と語らう時のお市さまは本当に楽しそうに笑ってらっしゃいました。
それは長政様も驚くほどに。
長政様と織田の当主様は近いうちに戦を行うでしょう。
賢明な松永様はこの不穏な時期に近江へ渡るのを許してはくれないかもしれません。
ですが愚鈍な小姓の願いを許し、松永様がお市さまと過ごす事を認めてくださったなら、ぜひ会いに来てこの願いを叶えて頂けないでしょうか。
その際は俺も吉継も誠心誠意、松永様とこま様に尽くさせて頂きます。
愚かな願いをしたため申し訳ありません。
良い返事をお待ちしております。
高虎
***
読み終えてから、そっと目を閉じる。
すぐに久秀さまを見るのも何となく悔しくて胸の内でしばし時を稼ぐ。
さっと目を通して思うのはひとつ。
高虎の痛いほどの主人への忠義だ。
文から普段からお市の方への心遣いを欠かさぬことがよく分かる。
出来ることならすぐにでも出立し、あの美しい奥方を慰めて差し上げたいと思わせる。
そして二つ目。
これのどこが悪筆か。
所々滲みなどはあるが、それを悪筆とは言わない。
これを読めないなどと言った久秀さまの心境やいかに。
ちらりと視線を背後に移す。
じっと見ていたのであろうか、すぐに視線がかち合った。
破り捨てもせず、すんなり返したお人が渋い顔をしながら唸っておられる。
宗矩殿はそんな久秀さまを興味なさげに一瞥したあと静かにしろとたしなめていた。
宗矩殿がゆったり構えながら問いかけた。
「で、なんて書いてあったんだい?」
「近江へ……小谷城へのご招待でした」
「そっか、ふぅん。松永殿が読めない字を、良く読めたね」
「さぁ……何故でしょうね」
宗矩殿の問いに小首を傾げて見せた私は、そのまま唇を尖らせて不機嫌極まりないと示す久秀さまの隣に寄り添った。
私を見ず、固く目を瞑っておられる。
ゆっくりと腕を絡ませると、少しだけ瞼が動いた。
「久秀さま、案外お優しいのですね」
「けっ……なんの話か我輩には全然分からんよ」
「違いますか? なら、子供などに持ち上げられて捻くれておられるのですか?」
「捻くれてなどおらぬわ! 大体たった一度しか顔を合わせていないお前に何故その小僧は文など寄越した。お市の機嫌を取りたいならもっと近しい連中を呼べばよいのだ」
確かにその通りだ。
だが戦が続く昨今、お市の方に限らず近しい人間が側に居続けてくれる保証もあるまい。
夫を亡くし、息子を亡くした女連中がその菩提を弔って出家するなどざらであるし、ましてお市の方は他家から……それも
いくら当主の長政と仲睦まじくいようと情勢が変われば家臣の態度とて変わる。
下に仕える人間が織田家に敵意があればその家族とて多少なり距離を置くであろう。
それが賢い久秀さまに分からないはずはないのだ。
私が言わんとしていることを察するが故にこうやって視線をそらす。
「……近江にはいかんぞ」
「なら一人で参ります」
「お主も行かせん」
「私が今まで大きなわがままを言った試しがありますか?」
「それとこれとは話は別だ」
久秀さまは大きなため息をつき、私に向き直る。
そのままぐりぐりと頭を押さえつけられた。
「お主も分かっておろう。戦があるのを。そのために皆苦労しておる。わざわざ敵地に乗り込んで人質になりに行きたいのか」
「久秀さまは大事なお方です。けど私一人なら……」
「だめだ」
「久秀さま……」
「大概にしろ、馬鹿娘が。 お主に何かあったらどうするつもりだ!」
静かだが声を荒らげる久秀さま。
普段の巫山戯た様子など微塵もなく、厳しい声だったのでさらに驚いて放心する。
宗矩殿も目を見開いてこちらの様子を伺っている。
そっと居直り、鎮座する。
眉間に皺を寄せてきつい表情を浮かべる久秀さまに、今回の願いはならぬものであるかと落胆する。
だがそれは分かっている。
分かっているからこそ、この様に正論で諭されて涙が出そうになる。
少し唇を噛んだ。
気まずい雰囲気の中で隣で静観していた宗矩殿の溜息がやけに響いた。
「どうしたってんだい、松永殿。らしくないねェ」
「らしくなくて良い。我輩の下で死ぬならともかく、浅井の小僧の地で死なせるなどならん」
「気の早い。まだ戦も始まってないし、ちょっとくらいいんじゃない? それに手紙を寄越したのはたかが小姓じゃないか。元服前の子供に何が出来るんだい」
「だがな……」
「悪党の癖にガキが怖いのかい?」
「貴様……一一一ちっ」
辛辣な言葉が宗矩殿から放たれる。
それに一瞬火が付いたように瞳に怒りが宿り、肩が震えた。
それでも感情を押さえつけて、静かに睨む。
そして睨み返す宗矩殿。
それでも久秀さまは折れぬ。
「ガキどころが浅井家など一つも怖くないわ。我輩が恐れるのは悔しいが信長だけだ」
久秀さまいわく、いくら松永久秀と言う男が信長に重宝され、気に入られていようとあらぬ疑いをかけられ粛清されてきた家臣たちを嫌という程知っている。
その上近江には織田の密偵が既に何人も忍んでいる。
戦の前、下手に動けば身内に殺されてもおかしくはない。
たまたま優しい顔を覗いただけで、元来信長は冷酷無比の支配者だ。
敵方の者と密通などしてると誤解されては宜しくない。
そういう主張である。
「でもお市の方が間に立てば……」
「我輩や宗矩ならともかく、女の主張など頭に血が登った
下からすごまれ思わず口を閉ざす。
その通りであるがゆえ、何も言い返せない自分が歯痒い。
その間も私と久秀さまは視線の合う合わないを繰り返す。
腕を組まれ無言のまま時間だけが過ぎた。
そんな様子を観察する宗矩殿はやれやれと言った様子である。
「酷いことを言うねェ」
そしてまた口を出す。
そのまま彼は「可哀想に」と言いながら私の肩を抱いて覆いかぶさった。
じゃれつく宗矩殿は大きな猫であるかのように私を盾に久秀様を挑発する。
「こまちゃんに嫌われちゃうよ?」
「事実だ。馬鹿な連中は己より下の者を見つけて虐げるのが好きだからな。性の別などその最もたるものじゃろうて」
「ならその馬鹿な連中から守れば良いんだろう」
「何?」
「松永殿はこまちゃんを守る自信が無いんだろう? なら拙者がこまちゃんを守るよ」
思わず振り向く。
まことかと凝視すると、宗矩殿は片目を瞑った。
そうまでして宗矩殿が久秀さまを説いて、私の願いを叶えてくれようとしているのが胸にじいんと刺さるようだった。
その言には参ったようで、久秀さまは口をぽかんと開けて頭を抱えた。
「お主と言うやつは……」
「こまちゃんが心配なら拙者も一緒に行くよ。近江なんてすぐそこじゃないの」
「宗矩、お主はどっちの味方だ」
「確かに松永殿には金で雇われてはいるけど拙者は面白い奴の味方さァ。それに可愛い子には旅をさせよって言葉知ってる?」
「君子危うきに近寄らずとの言葉もあろう」
「お固いねぇ。松永殿、父親みたいよ」
そこで微かに久秀さまの手が震えた。
ピタリ、と私も彼を見る。
そのまま視線が合う。
確かに久秀さまの瞳は良く見ると久通様を見る時と同じ目をしている気がした。
それに良く思い返せば、その態度は厳しいが優しいのだ。
いつものことと言われればそれまでだが。
「お父さんにでもなるの?」
「親が子を抱けるか馬鹿者! 妻なのだ……。心配するのは当たり前じゃろう……」
すると何故か申し訳なさと共に嬉しさが込み上げて来た。
想いが込み上げると心臓の奥がきゅうと締め付けられる。
愛しいとはこんな感覚であるか。
「久秀さま……」
「あぁ、もう……黙ってろ」
私の言葉をせき止めるように掌を払う。
まるで犬を追い返すような仕草だが悪くない。
久秀さまは僅かに見える赤い顔を覆って表情を隠しているからだ。
そんな様子を宗矩殿が茶化す。
「若い嫁さん貰うと、心配事が多くて大変だね」
「うるさいわ!」
「若い時は多かれ少なかれ情に厚くて、好奇心旺盛なんだもの。許しておやりよ」
「お前がそれを言うな。薄情者め!」
唾でも吐き捨てるかのように言葉を投げ打つ久秀さま。
しばらく彼と従者の攻防が繰り広げられた。
喧嘩に飽きた頃再び静かに主人は座した。
頬を掻いて、また思案され、何か言わんと唇が動き、そして止まった。
そしておもむろに立ち上がり「我輩は少し寝る」と私たちを置き去りにした。
「やはり駄目でしょうか……」
呟くと宗矩殿が「さぁね」と首を傾げた。
どこから取り出したのか宗矩殿は楊枝を咥えてまたぼんやりと庭を見つめる。
風がさらさらと吹き出して、彼の髪を撫でて揺らした。
「でもま、松永殿ってこまちゃんに甘いからさ」
にっこり笑った彼。
青い空にはまばらに千切れて、たなびく雲が気持ち良さげに泳いでいた。
***
それから数日後。
いつもなら久通様の元にいる小間使いや小姓が屋敷に出入りしていた。
久秀さまに問いただすと不機嫌そうに「宗矩に聞け」と投げ捨てられた。
仕方なく宗矩殿を探してどういうことか説明を求めると彼も苦笑いでこう受け流す。
「しばらく家事はお休みして、舞の練習でもしてろってことだよ」
「でもどうしてこんな急に……」
「さぁね。でも彼らがこまちゃんの代わりに家事してくれたら、こまちゃんは松永殿と一緒にいる時間が増えるでしょ。たまには綺麗に踊って癒して欲しいんじゃない?」
「よく分かりませんが、舞えということですね……」
「そうそう、その通り」
ちゃんとした答えを受け取れぬまま、代わりに受け取った予想外の暇。
小間使いの女達がとてもよく働くので本当に私は何もしない時間が増えた。
代わりに普段出来ない稽古などにそれらの時間を当てた。
時々それを肴に久秀さまや宗矩殿、小間使いや小姓の働きを確かめに来た久通様などが酒を飲むなどもした。
それに久通様がおられる時は久秀さまも機嫌が良い。
これはこれで良い時間であると私は思いながら、この暇を存分に活用していた。
久秀さまと久通様は話に花を咲かせているようである。
「父上、
「そうか。で、客人はいつ来る?」
「かのお方様ももうすぐこちらに参ります」
「こまが喜ぶのう」
久秀さまが目を細めて微笑んだ。
またその後日、久秀さまはかっちりとした正装で現れた。
どなたかお客人が来るらしい。
詳細を知らぬ私は久通様の遣わした小間使いと共に食事の準備をしたり屋敷を整えたりと忙しくしていた。
しかしすぐに久秀さまに連れられて私も一緒に小間使いの者に着替えさせられる。
舞の衣装である。
そしてこの日のために暇を出したのかと悟った。
久秀さまがこちらを見て微笑んだ。
「お〜 お〜。実に良いのう。可愛らしいのう。さすが我輩の妻。この美しさ最高じゃのう。特にこの尻!」
言うや否や勢い良く叩かれる我が臀部。
衝撃のためおかしな声が出かかったが何とか堪えて一睨みする。
「そう怖い顔をするな。今日はお主のために開く宴なのだからな」
「私、ですか?」
わずかに首を縦に振り、久秀さまは宴の席へと私を通した。
小さいながらも立派な舞台が設えてあり、相変わらずの趣味の良さに感心する。
久秀さまが耳元で囁く。
「こればかりではないぞ?」
言うや否や表門から客人が来たことを小姓が知らせた。
その方は薄衣をかけ、お顔は良く見えぬ。
そして数人の剛の者を従えていた。
また、その後ろから小間使いと小姓がついて来る。
一一一女人。どこかで見たような。
と、思案する間もなく小姓の一人が私たちに気付き立ち止まる。
そして深々と礼をした。
その者の顔、見覚えがあった。
はたと気づいて久秀さまを凝視する。
「なんじゃ、お気に召さぬか? お姫様」
「……そんなわけ無いです」
その通り、手紙の主である高虎が浅井の小姓筆頭としてお市の方と共にこの屋敷に訪れたのだ。
「でもなぜ……」
「それは秘密〜。まったく、うちの奥方は面倒な事をさせるから我輩は大変よ。後でたっぷりご褒美もらうからな〜」
ニヤニヤと笑いながら彼は背を向ける。
わざわざ足を運んでくれた客人に挨拶の一つもせねば、と小姓らにあれこれ言いつけていた。
お市の方は上座に坐しておられる。
私と目が合うと優しい瞳で微笑んだ。
「遠い所はるばる良く参られました、奥方」
「この度はお招き頂きありがとうございます」
久秀さまはあの後あらゆる手を尽くし、間者の目をくぐり抜け高虎とその主であるお市の方と書面を交わしていたらしい。
後でそっと宗矩殿が教えてくれた。
それにしても今日この日までその事実を知らなかったとは嬉しいとは言え心臓に悪い。
驚く私をよそに宗矩殿はその主と同じように少し意地悪な顔をして呟いた。
「言ったでしょ。甘いってさ」
2023/11/13