松永殿と恋煩い
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機嫌良く帰ってきた旦那様だったが、しばらく経つと口数がめっぽう減った。
少し疲れているらしい。
着替えを手伝い、あとは私室で休むと言ってしばらく出てこなかった。
「お仕事お疲れ様です」
こんなことはなかなか珍しい。
静かに閉まる扉の前で私は声をかけた。
しばらく時が経ち、また飯の支度などする時間になる。
夕食の支度は忙しい。
品数が増えるからだろうか。
あれこれ準備していると久秀様が煎茶を啜りながら隣に来た。
寝癖を直しながら私の側にすとんと収まる。
米はすでに炊かれている。
次は煮物用に新たに薪をくべた。
「よく眠れました?」
「うむ、良く寝た。それより頬にも煤が付いておる。じっとしておれよ」
そのまま久秀さま手近にあった手拭いで私の頬を拭った。
ごしごしと強くされて少し痛む。
「加減して下さいませ」
「まぁ、そういうな。ほ〜ら 可愛いこまちゃんのお出ましだのう」
にこにこしながら、彼はそう言う。
そのまま私の頭をぐりぐりと撫でる。
上から押さえ付けられて背が縮みそうだ。
この人は飯が食いたくないのだろうか。
「久秀さま、強くなさらないでください」
やんわりとはねのけると、久秀さまは暇を潰すように急に口を開いた。
「なぁ、海の向こうの国の話聞きたくないか? 灰を被った娘が王子と結婚する話だ」
「聞きたくないと言ってもどうせお話になるのでしょう?」
「おや〜 そりゃまぁな。お主はその娘みたいに美人で働き者で我輩に良く尽くす」
「お褒めいただき光栄です」
湯気が熱い。
肉も魚もまだ下拵えができていない。
久秀さまはまだ寝ぼけ眼で私の方を見ながら口を動かす。
「で、その話には奇術を使う老婆がおってな。その婆さんが、娘と王子をくっつけるのだ。さしずめ我輩は一一一」
「その話、後で聞いちゃダメですか?」
「良いじゃないの。今聞いてくれよ」
鍋の湯が吹き零れる前に、食材をさっさといれる。
久秀さまの話は暇な時に聞けば面白いが、今はとにかく忙しい。
それ以前に火を使っているのだから少し控えて欲しい。
私は彼の手の甲を菜箸でペチリと叩いた。
「おー……痛い。こまちゃんはひどいの~」
「お疲れなんでしょう? 無理にいつものフリをしなくても良いんですよ」
「おやお優しいことで。まぁ、疲れてるには疲れてるが。我輩はお主とこうやってじゃれてるのが何より気分転換なのだ」
そのまま菜箸を取られニカッと笑う。
代わりに湯呑みを渡された。
彼は鍋の中に調味料を加え、具材と一混ぜしてその手をおいた。
慣れた手つきである。
やもめだからな、などと言うが元々こういうのが好きなのではないかと思う。
その手が私の頬をつねった。
「
「安心しろ。煮物なんか弱火でも時間さえかけておけば勝手に出来る。それより我輩に付き合え。それとも朝言ったようにお仕置きがお望みかな?」
「……覚えてらしたんですか」
「当たり前だ。我輩を散々バカにしおって。ちなみに宗矩はお仕置きしたから今夜は来ないからな」
大の男を「お仕置き」とは一体どんなことであろうか。
食べる本人が良いと言うなら私だって手を抜けるし構わないが今しがた手を掛けた夕飯に目を落とす。
「……それより柳生殿が来ないなら早く仰ってくださいな。来ると思って作りすぎました」
「何をいってる。あんなデカイのが毎度毎度来られても迷惑だ」
「まぁ、酷い言いぐさ。大好きなくせして」
でも確かに柳生殿が飲んだくれて潰れては動かす方は大変だ。
だが一緒になって酔っ払っていた久秀さまに言われるのは柳生殿とて心外であろう。
しかし過ぎたことは良いのだ。
あとで作りすぎた料理は柳生殿に持っていってやろうと別に分ける。
彼は何でも美味しそうに食べてくれるので作りがいがあるのだ。
「で、何をしますか?」
「そうだのう。さっきのお伽話の続きでもしようか」
鉄瓶がしゅんしゅんと白い息を吐く。
板間に腰を下ろして新たに急須に湯を入れる。
茶葉の深緑の甘い香りに二人してほっとする。
傍らで無言でいる久秀さまに私は問いかけた。
「聞きましょう。それで?」
「んん~。さしずめ我輩はその老婆と王子の両方の役割だなと思っただけだ」
「どっちも自信過剰ですこと」
「なんだと、芋娘。我輩ほど女に持てる男もそうそうおらんというのに」
クスクス笑うと、久秀さまはゆっくりと湯呑みに口付けた。
少し拗ねて、プイッとそっぽを向いた。
煮物が出来るまで私は久秀さまに今日あった仕事のことを訊ねた。
「今日のことか? 相変わらずだ。信長は威張り腐っとるし、その奥方は相変わらず虫でも見るように我輩を睨む。小姓のお蘭もな。
遠方からわざわざ出張ってきた長政と光秀は『信長様は凄いッ』などとずっと言っとるし、羽柴の猿は感情を御せずに我輩にお主のことを聞く始末。
あぁ、たくっ。めんどくさい。何が『あの娘さんは元気ですか?』だ。普段は我輩など眼中にもないくせに『妻が会いたいと言っていた』とか白々しい。唯一まともなのは勝家くらいだろう」
思い出してまた久秀さまは眉間にしわを寄せた。
鍋の蓋がカタカタなったので、火の加減を弱めるために薪を別のかまどに放った。
「まぁ……それはお気の毒に。一一一あ、久秀さま、これ味見してください」
「そうだろう? 一一一まだ煮えとらん」
「そう、それで?」
話を推し進める。
なんせ何のためにわざわざ信長様が家臣団を呼んだかその趣旨がさっぱり分からない。
久秀さまはただ溜め息をついた。
頬杖を付いて眉根に皺が寄っている。
「信長がな、宴をするらしい」
「はぁ」
「はぁ、ではないわい。面倒な」
唐突に出された宴と言う単語に私は拍子抜けして苦笑い。
しかし久秀さまは横で不機嫌そうに「つまらん、下らん、時間の無駄だ」と三拍子を揃えた。
「良いではございませんか。信長公としても皆様に息抜きさせたいのでしょう。お酒だってただで飲めるでしょうし、宗矩殿と楽しんでらして下さいね」
「あんな暑苦しい連中と楽しめるものか」
「でもご命令なんでしょう? 行かなきゃこれですし」
今朝と同様に私は首をかき切る素振りをした。
むむむ、と唸る久秀さま。
鍋の蓋がまたカタカタなる。
中身を見るときちんと茶色に色づき、菜箸を刺したら具材はホロリと柔らかく崩れる。
また味見をしてもらおうと小皿に取る。
どうぞ、と差し出したら久秀さまが私を乞うような視線でこちらを見た。
どうしたのか尋ねたら手をしっかと取られた。
「なぁ……お主を連れていっても良いか?」
「はい?」
思わず固まった。
久秀さまは小皿をひょいと奪って行く。
それからにっこりと笑って言った。
私はと言うと頭が混乱している。
「お、良い具合だ。だから当日は我輩の世話を頼むぞ」
「仰る意味が分かりませんが?」
「だって我輩一人で行ったって面白くないしな。大丈夫、ちゃんと宗矩も連れていくから。それに信長が家臣に余興を見せろと言うんだもん。でも我輩ももう年だし? 芸なんてこんなオッサンがやったってつまらんだろう?」
「爆発でもなさってみたらいかがでしょうか。お得意でしょう?いつも年寄り扱いするなと言いながら……こんな時だけあなたって人は」
「えー? 我輩分かんなーい。良いじゃないか、当日はご馳走が出るぞ」
「それは分かりますが……」
「なら男の成りをすれば良い。お主なら良い美男子になるぞ~? とにかく殿の命令は絶対なんだろう? 諦めろ」
あっははは~、と豪快に笑う久秀さま。
彼の言葉は丁度今朝に私と柳生殿が言った言葉そのままだった。
しかし今さら後悔しても遅い。
久秀さまは私の表情を見てしたり顔をした。
私の寿命がこれまた縮みそうである。
「久秀さま、良い性格してますよね?」
「だてに長生きしとらんよ。若造と一緒にするな」
そのまま久秀さまは夕食の盛り付けをすると、居間の方に私を促した。
「まぁ、三日も後の話だ。気楽に構えておけ」
うまい、うまいと出来上がった料理に舌鼓を打つ久秀さま。
向かい合わせで箸を付けながらその表情を見る。
何を考えているのか、何も考えていないのか全く理解が出来ない。
美味い飯を作るくせに、その本人はまるで食いつける箇所が定かではない。
私はその人が満足げに食すさまをただ茫然と見ていた。
「信長さまの前にお披露目したら綺麗に返って来ないと仰ったじゃないですか」
「それはそれ、これはこれ」
「もう!」
呑気なものだ。
だがそんな戯言が本当になるのも時間の問題だった。
***
三日後と言っていたが、私は乗り気ではなかった。
織田信長と言えば魔王のような残虐非道で神仏さえ恐れぬ稀代の極悪人だ。
そんな久秀さまに勝るとも劣らない人を前に粗相をして手打ちにされたらどうする?
一一一あぁ、三日後に私は死ぬのか。
そんなことばかり頭には浮かぶ。
楽しめ?
いや私にはとても簡単なことではない。
食器を洗いながら「胃が痛い」だの「目眩がする」など呟いていると、背後の板間で相変わらず骨董など眺めながら茶を啜る久秀さまが呆れたように溜め息をついた。
「そう構えるなと言ったろう。実にめんどくさいが信長はお主を取って食ったりしない。
眼中にも無かろう」
「だって久秀さまが昨日、「人の物は何でも欲しがる」とか「綺麗に帰ってこない」と言ったじゃないですか。それって人も物もということでしょう」
半べそになりながら己の不運を嘆く。
久秀さまの言葉は殆どが嘘ばかりである。
時々真実を語ったかと思えば大概怖いオチがついてくるのだ。
しかもこの人は時々予言じみたことを言ったりする。
信長が久秀さまのものに対して眼中に無いなどきっと嘘だ。
その証拠に他の家臣はいざ知らず大事な物を三つも取られているではないか。
一一一九十九茄子、薬研藤四郎、それに我輩の運命! 必ず取り戻す!
などと仰っておられる。
きっとモノの括りの、たかだか私の命などいたずらに取って食われる運命だ。
「う~む。お主の頭は良いのか悪いのか。極端なおつむが少々心配になる。昨日のは物の例えだ。少なくとも、我輩は自分の女に手出しはさせんよ」
「そうですか。虚言癖も大概になさってください」
「む、虚言じゃないもんっ! わしの女は何でこうつれないんじゃ……」
「久秀さまの女になった覚えはありません」
こちらの気持ちなど考えてくれない方の意見など聞きたくもない。
しかし仮にも主人の命令である。
ついて行かない訳にもいくまい。
さらに言うと、私は後ろを向いているのも幸いして表情を見られなくてよかったと思った。
経験値の差だろうか。
本人も気づかないほど、あまりにも自然な台詞だったから不意討ちというのは中々に赤面する。
何をかと言うと「我輩の女」と言う強力な言霊である。
そのセリフの殆どが私をバカにしているはずなのに最後の言葉に無駄な女心が働いて怒る気にも成らなかった。
一一一変態になびく自分が悔しい。
この様な人にときめくなんてとますます我を信じられない。
その日はいつもより早めに寝て忘れることにした。
翌日、私は久秀さまの趣味に付き合って一緒に茶を点ててみたり、和歌を詠んでみたりした。
さすがは遊び上手の風流好みだけあって何をしても、素人の私から見ても一流を感じさせる。
特に茶室では世俗は持ち込まないという、その世界の掟というのも合間ってかいつもとは違うしゃんとした姿に見惚れるばかりだ。
湯気を出す茶釜、茶杓を持つ指先は私の視線を奪う。
掬った湯が茶碗に注がれる。
その動作の全てが流れるようで美しくもあった。
きちんとした佇まいの彼にどう接すればよいか暫し忘れた。
一一一違う人みたい。
日は浅いが、風呂と厠、時々の出仕を除けば四六時中一緒にいるこの御仁を私は改めて確認する。
じっとその人を眺めるなど、そう言えば無かったなと今更だが思い起こす。
凛々しい若者のように活力のある瞳。
元々の端正な顔立ちに刻まれた緩やかな皺。
そして明るい口調とは対称的なその人の陰りのある雰囲気。
ぼんやりしていると目が合った。
あちらも私を静かに見ていたのだろうか。
礼儀や作法など分からないが美味しいお茶と窓の外の景色、久秀さまと二人きりの空間に安らぎすら感じていた。
安らぐなど、世の人が聞いたらちゃんちゃらおかしいであろうが。
「久秀さまは……松永久秀様なんですものね」
「なんだ? 今更改まって」
「いいえ」
小首を傾げる久秀さまを横目に彼がこだわり抜いて選び点てた、抹茶を飲み干した。
ほんのりとした苦味に少しだけ気が紛れた。
二日目、久秀さまが馴染みだと言う呉服屋を呼んだ。
有吉という。
大店の旦那で久秀さま曰く悪友の一人らしい。
綺羅綺羅しい服装でやって来たその人は悪友といわれるだけあり、雰囲気がどことなく似ている。
久秀さま同様、昔は美丈夫だったのだろうという顔立ちだ。
しかし建築材等の基盤は皆、上級品ではあるがやはり質素なこの家に金持ち風の商人がいるのは何だか不思議な感じがした。
久秀さまと私は明日のための衣装を見繕う。
長持ちに入った素敵な衣装の数々に、表情にはおくびにも出さないが心を奪われた。
「旦那様、こちらなどいかがでしょう?」
夕焼けの橙色。
若草のような緑。
どの生地も素晴らしい。
しかし久秀さまは愛想笑いを浮かべて掌を横に振った。
柳生殿と私に似合わないと言われてからか明るい色合いを忌避しているようだった。
そんなことを気にする繊細さがあるとは、と少し見直したのと同じく申し訳ないことをしたと思った。
他人の好きな物を否定するなど今更ながら配慮に欠けていたと静かに省み、恥じた。
「若い時分ならばともかく、この年の男が着飾っても玉虫か孔雀にしか見えんよ。派手なのは好きだがな」
「ならばこちらは?」
私の内省を感じ取ってか否か彼は自嘲気味に笑う。
こちらの店主はそんなの知る由もない故、昔と趣味が変わったなどと言い次の着物に手をかける。
手渡されたのは赤地に黒い霧を吹き掛けたような珍しい生地。
無学故、私はそれがどんなものかは知らない。
ただ、その生地の色を見て咄嗟に炎獄のようだと思った。
焔と煤のような色だ。
銅で出来た仏も炎に照らされるとこのような色になるだろうか。
いまだ修復されずに首のないままのお釈迦様を思えば心も痛もう。
しかし所詮は作り物であるという思想が間近にあるためか、そんな無礼な想像に至る。
袖を当てていた久秀さまを見て勝手に口が動いた。
「久秀さま、それ素敵です」
今まで黙っていた私を驚いたように見つめる久秀さま。
それもあまりにも素直過ぎる言葉に自分でもしまったか、とあわてて口をつぐんだ。
しかし久秀さまの表情を見ると何やら嬉しそうで満足そうである。
「そうか~? こまはこれが好きか。ならこれにしよう。幸い玉虫にはならなそうな色合いだしな」
にっこりと微笑む久秀さまだったが私は人前というのも相成り、出過ぎた真似をしたと再びこの口を呪った。
舌など引っこ抜いてしまいたい。
その軽率さを久秀さまは察したのだろう。
くすくすと笑いながら店主に言った。
「よいよい。これを着た我輩をお主が素敵と思ってくれればそれで良いのだ。その上惚れてくれりゃあ感無量。じゃ、これをくれ」
「ありがとうございます」
にっこりと微笑む店主。
それはそれは満面の笑みである。
派手では無いがその着物も相当お高いのだろう。
素人が良いと思うものは大概値も張る。
それをポンと出せる久秀さまも買わせる店主も私とは生きてる世界が違うのだなと側で見つめる。
自分の買い物が済んで満足したのであろう。
久秀さまは私の頭を飼い犬のように撫でてから主人に向き直った。
「ついでにこの娘のも見繕って欲しいのだが。出来ればこの背丈に合った男物を」
異な事を仰る。
久秀さまをぎょっとした目で見てしまうと、大層楽しげな想像でもしていたのかこちらも店主に負けぬぐらい満面に素敵な笑顔を貼り付けている。
店主が私にチラリと視線を投げかけた。
「無いことはないですが、男物ですか」
「驚かせたい奴がいるのだ」
「あぁ、なるほど」
呉服屋にいたずらっぽく片目をつぶって見せる久秀さま。
その表情を見て得心いったのか「畏まりました」と店主は頷いた。
久秀さまは彼と一緒に私の稚児服を選ぶ。
何故稚児なのかと言うと、織田信長の小姓である森蘭丸を意識しているらしい。
楽しそうに私の着物を選ぶ彼に私は問いかける。
「稚児という年でもありませんよ」
「蘭丸は十二だかだろう?そなたも大して変わらぬではないか」
「少年じゃないですか。私をいくつだと思っているので?」
「まぁ、そろそろ子の一人二人いてもおかしくない年だな」
「そんな女に稚児とはおかしくないですか?せめて小袖袴とかにしましょうよ、ねぇ」
「良いではないか、可愛いぞ。なぁ?」
私の抗議などには全く耳を貸さぬまま、隣の悪友に問いかける久秀さま。
その悪友も私の方をこれ幸いとばかりに直視して、また「丈が……」などと言いながら体に触れようとする。
油断も隙もないのは久秀さまの友人だからか。
久秀さまの問いかけに店主が微笑む。
「ええ。元が良いだけに何を着せても楽しいです。うちの嫁妾もなかなか小綺麗ですが、弾正様の姫君は群を抜いております」
「ほらな? お主は他と比べても可愛いのだからたまには手間を掛けても良かろう」
今度は私に片目をつむって彼は言う。
お世辞だと言うのは分かりきっているにも関わらず、だ。
薄い小袖と湯文字のみのあられもない姿を気にもせず、男二人であぁでもないこうでもないとこの身を着せ替え人形よろしく遊び尽くしたあげく化粧まで施す。
しまいにはおじさん二人して惚けた溜め息をつく。
良い年した男二人が気持ち悪いとも思ったくらいだ。
しかし良い年だからこそ純粋に小娘で遊べるのだろうか。
手を尽くし、出来上がった私を見て久秀さまと呉服屋の旦那のごくりと唾を飲む音がした。
「有吉よ。我輩、女にしか興味は無いのだがこの姿なら行ける気がする」
「奇遇ですね。私もです。弾正殿、差し出がましいのは承知ですがこの姫君をお借りすることなど……」
「それはダメだ。絶対だめ。こまちゃんは我輩のだ」
舌打ちをした商人を余所に久秀さまはとても満足そうに私に微笑んだ。
既に商談が済み、ただの悪友の会話であった。
そして運命の三日目の朝が来た。
天気は快晴。
私の心は気が重い。
岐阜城の麓の観劇場には多くの織田家の直臣らがいた。
私は久秀さまと、柳生殿に挟まれる形で歩く。
昨日、悪友の有吉殿と一緒に久秀さまの選んだ稚児服は、小袖に肩衣を着せたものだ。
動きやすいようにと野袴も履いている。
舞台ならともかく、このような成りをしたのは生まれて初めてであるから緊張している。
端から見たらどうでも良くても、演技を生業とするものは衣装一つでその役を貫徹したいと思うものだ。
私もその端くれ。
精一杯、久秀さまの邪魔にならぬように「良き近習」を演じるつもりだ。
だがしかし、この日までどんなやり取りがあったか知らぬ傍らの柳生殿は疑問符を言に散りばめる。
「こまちゃん」
「その名で呼ぶのはお止めください。今は「生駒」と」
「生駒殿。なんだってそんな格好してるんだい?化粧までして、これじゃ男だか女だか分からないよォ?」
「さぁ、私もさっぱりです。あくまで久秀さまの趣味としか呼べませぬ」
極力無関心を装いながら柳生殿に淡々と説明する。
私でさえこんななりをするのはどうかと思うし、そもそも久秀さまのわがままが無ければここにも居ないはずだった。
「松永殿の趣味ねェ。あの人根っからの女好きだからおじさんは意外だよ」
「はは……そうみたいですね。本人も驚いていましたよ」
「うん。でも生駒殿だったら俺も行ける気がする」
「久秀さまと全く同じ事を言うのですね。似たもの同士だからですか」
「松永殿と似てるって言われるのは嫌だけど。それはそれ、これはこれ」
そのセリフさえ全く同じであるとはかすめたが、黙って置こうと思う。
服と言えば、その他にも女性用とこれ以外の男性用の服もたくさん買ってもらった。
久秀さま曰く、暇な時に着せ替えて遊ぶらしい。
人の体で遊ぶとは図々しいこと甚だしい。
その図々しい御仁は昨日購入した赤黒の着物をしゃんと着こなして、織田家の家臣らと優雅に茶や芸事について何やら語らっている。
私は学がない故、今久秀さまのお側に行ったところで邪魔にしかなるまい。
私と柳生殿は多くの家臣がいるその会場の隅で織田の美しい小姓たちが振る舞う酒を交わしていた。
そうこうしている内にドォンドォンと太鼓が鳴った。
「始まるみたいだねェ。そういや、松永殿が出し物云々言ってたろう?何をしようかねェ」
「柳生殿なら無刀取りでしょうね。皆さん準備されている様ですし、私こそ何をしましょう」
「なら、おじさんと剣舞でもするかい?題名は牛若丸と弁慶とでも銘打とうか」
「あぁ、良いですね。久秀さまには笛でも吹いてもらいましょう」
話が済むか済まないかでこの宴の主催者が現れた。
隣に美しい姫と小姓が控えている。
あれがこの世で今一番敬われ、恐れられる人物であるかと遠目で確認する。
そして濃姫と蘭丸殿であろうか。
いつの間に戻ったのか久秀さまが耳元で囁いた。
「食われぬように気を引き締めろよ」
「久秀さま、怖がらせるのはやめてくださいませ」
「だ~って、生駒が可愛すぎるのが悪い。それに気をつけろというのは本当だ。いつ我輩がお主を食べちゃうか分からんぞ」
にしし、といたずらっぽく笑う久秀さまに私は顔の火照り出すのをとめられずに俯いた。
20180108
20231025