松永殿と恋煩い
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酔い潰れて面倒は減ったが、この大の男二人をどうすれば良いのだ。
久秀さまは本当は体に合わない酒を飲み過ぎて、俗に言う加齢臭なるものが漂っておられる。
柳生殿は巨体過ぎて私ではどうすることも出来ない。
せいぜい畳に横たえるくらいが精一杯だった。
「お二人とも加減を知らないのだから。もう……」
困ったなぁと息を吐く。
すると隣から寝言で「運命だぁ……」とむにゃむにゃ言う台詞が聞こえた。
「因果応報です」
私はその横できっぱり言ってやった。
片付けが一段落すると今度は不殺のお方の寝相がひどいので久秀さまが下敷きになってぴくぴくしていた。
急ぎ私は救出する。
「二人して面倒かけないでください」
言ったところで今は届かないけど。
酔いざましの水を傍らに置いて、ウンウンと苦しげに唸っている久秀さまの衣装を楽にしてやると少し落ち着いたようだ。
眉間に皺の寄った表情がある程度収まった。
柳生殿は幸せそうに眠っておられる。
「こまちゃん……我輩の、むふふふ……」
「はいはい……」
こちらも、幸せといえば幸せなのだろう。
夢の中で何をしてるかは知らないふりをして置いてあげようと思った。
しかし一人くつろぐ時間が出来たことを喜んでいるのも束の間、夜半に玄関を叩く音がした。
(どうしよう……。久秀さまを起こした方が良いのかしら。でも、大丈夫よね)
音のする方へ向かうと、話し声が聞こえた。
男性の声だった。
「松永殿の屋敷って言うからどんなもんかと思っとったが、随分質素じゃの~。彼の家臣団の屋敷の方がきらびやか過ぎないか? なぁ、利家」
「バッキャロー、どうでも良いんだよ、そんな事。大体、何で俺の仕事にお前が付いてきてんだ!」
「松永殿がどんな豪邸に独り暮しかと思ってな。それにしても小さいのう、ねねなんかは「可愛い家ね」とか言いそうじゃ」
警戒したが「仕事」という単語と、敵意の無い会話に私は戸口を開けた。
目の前にはケラケラと笑う御仁と頭を抱える御仁のお二人がいた。
「お褒めいただき有りがたく存じます。それで、旦那様にご用とはなんでしょうか?」
声を掛けると、目の前の男が二人して驚いていた。
当に鳥が心臓を射ぬかれたように。
おしゃべりな方は気まずそうな表情を浮かべて苦笑いしている。
真面目そうな方が私の前にずいと出て言った。
「旦那様? 松永殿は独りのはずじゃ? まぁ良い。俺は前田利家、織田家の家臣だ。夜半にすまないが明日、信長様が家臣一同を城にお呼びになる。俺も理由は知らないがどうやら火急の知らせらしい。だから、松永殿にもよろしく伝えてくれ」
そう丁寧に説明されれば伝えぬ訳にはいかぬまい。
頭を下げて拝命する。
「承知いたしました」
なんだ、そんなことか。
わざわざ久秀さまを起こさなくて良かった。
この者たちの用事も済んだろう。
踵を返す。
引き下がろうとすると、前田殿ではないほうが声をあげた。
「なぁ、娘さん。随分綺麗な顔しとるの~。娘さんの名前は何て言うんじゃ?わしは羽柴秀吉。織田の家臣じゃ。一度二人で会わんか?」
目をキラキラさせてもう一人が言う。
私は後ずさる。
こう言う手合いは苦手だ。
一緒にいる前田殿が諌めてくれているのが救いである。
「な、何を言ってんだお前! すまねぇ、娘さん。こいつ女と見りゃ誰彼構わずで」
「いえ……」
私は視線をそらす。
男の種類は様々なれど変態はもう懲り懲りなのだ。
さっさと帰ってはくれないだろうかとつくづく思う。
私の態度に前田殿は困ったように謝ってくれるが、羽柴殿は相変わらず煩わしいままだ。
「誰彼とは失礼な。わしは美人しか声掛けんで!」
「またねねに半殺しにされるぞ。ったく」
「ばれねーようにするわい」
「こいつ!」
人様の家の前で騒がしい人達だ。
これが知り合いなら少しは許容もしようが全くの赤の他人。
その上、中で二人が寝ているのでさすがに扉を閉めようかと思ったところで彼が来た。
「何事だ。もう人が床にいる時間に」
「げっ……松永殿」
前田殿の表情がたじろぐ。
ちらりと久秀さまの顔を見ると、元々の悪人面が極悪人に変わっていた。
どうやら寝起きが悪かったらしい。
「申し訳ない。信長様から伝言が有ったので伝えに参りました」
彼は久秀さまに礼をしてそう言う。
焦りながらも丁寧に説明する前田殿にはやはり好感が持てる。
「この方は仕事をしに来たまでです」
なので私も擁護出来る。
この人は悪くない。
しかし前田殿と私は揃って羽柴と言う男を見た。
それに気付いた彼は「あっははー」と笑って誤魔化そうとしていた。
「いやぁ……申し訳ない。松永殿、そこの女性がとても美しかったので、つい引き止めてしまいました」
「ほう……。貴様は何の仕事もないのにわざわざ他人の屋敷を訪れて、そこの女を物色するのか」
「いやいや……返す言葉もございません…」
ショボくれる羽柴殿。
背中に哀愁など滲ませているが、この場の者は誰一人同情はしない。
しかしさすがに一緒に来た前田殿は「誠に申し訳なかった」と、頭を下げた。
「用がすんだなら帰れ。貴様らの妻も待っておるだろう」
「はっ。ありがとうございます。ほら、いくぞ! 秀吉!」
去っていく二人を見送って、久秀さまをちらりと見た。
機嫌がますます悪い。
酔い潰れていた中、長い昼寝を邪魔されて抑えもきかぬのだろうか。
部屋に連れていき、水を差し出した。
「不覚だった。あの口の軽い若造どもが来るとは想定外だ……」
「前田殿はそう見えませんでしたよ。羽柴殿は、まぁ……あれですけど」
「違う、あれの女房どもよ。お前と違って、普通の女は喋れないと死んでしまう病を持っている。根掘り葉掘り旦那に聞いては、明日には我輩達が女房仲間らの話題に上がっておるに違いない」
「……良くご存じで」
「下手したら、お前の存在が信長にばれる。あやつは人のものなら何でも欲しい奴だ。しかも綺麗に帰ってこない」
「考えすぎではないですか」
「現実だ」
はぁ、と溜め息を付く久秀さま。
頭が痛いと言って、私の膝の上に頭を乗せて横たわった。
以前なら拒んでいただろうに習慣とは恐ろしいものだ。
まだ半月も経っていないのにすんなり受け入れてしまう自分が、当初なら信じられないだろう。
我ながらちょろいものだと思う。
「酔って外に出るとダメですね。青白いですよ」
「良い。お主が優しくしてくれる」
「またまた」
頬に手を当てる。
険しい表情が少し和らいだ。
まだ酒が残ってふらふらしているのがこちらからも分かる。
吐息する度すえた臭いがする。
久秀さまが私の手の上から自分の掌を重ねて溜息などついた。
「気持ち良いの~。このままお主を抱きたいものよ。嫌か?」
「またそんな冗談を……」
けど、そう言う想像をたまにしてしまう。
下女の癖に生意気にもこの御仁に大事に扱われる自分を想像してしまう。
何度も言うが、日々の習慣とは恐ろしいものだ。
顔が熱い。
何も言わずにただ彼を見つめ、そっと顔を逸らすと少し嬉しそうな声音で問われた。
「冗談ではないぞ? が、そろそろ心を開いてきたと見えるが。まぁ、宗矩もおるし今日は止しておこう。なら口吸いはどうだ? ん?」
誘うように問いかける久秀さまにまた顔が火照る。
あの日以来、恥ずかしさで拒んできたが少しくらいならと思ってしまった自分に参る。
「……お好きにどうぞ」
「可愛いのぅ、よしよし、なーに、ちょっとだけだ」
そう言うと嬉しげに唇を軽く合わせただけだった。
満足気に笑う久秀さま。
だが私は少しだけ期待はずれであった。
「……アレでは無いのですね」
「何か言ったか?」
「いいえ」
アレとはつまり、久秀さまの容赦のない欲情を孕んだ啄みの事だった。
それを受けた上で縺れ込まれたなら、私は流されても良いかもと思ってしまった。
男の猿みたいな性欲も厄介だが、蚊に刺されたようにじわじわと身に残る女の肉欲もなかなか厄介だ。
それがまだ生娘でこれならば、捧げた後はどうなるのか。
きっと日がな1日その事について考えてしまいそうだ。
想像しかできないが考えただけで恐ろしい。
私は久秀さまの顔をじっと見て呟いた。
「……やはり悪党ですね」
「最高の誉め言葉だ」
するととどめにもう一回唇を奪っていった。
不意打ちだった。
それなのに何故か胸がつっかえるような感覚に見舞われた。
「我輩はもう寝る。一緒に寝るか? こまちゃん」
「お誘いは嬉しいですが、ご遠慮致します」
「嬉しいなら素直になれば良いのに」
「久秀さまのやることは一々心臓に悪いのですよ」
「だって、そうでなければお主を落とせぬであろう」
にかっと笑った彼は私の膝の上から起き上がって言う。
爪先がふらふらしていて危なっかしい。
私は彼を支えて
半分目を閉じられながら、久秀さまが独り言を言っているのを私は無言で聞く。
この地方とは違う京にほど近い国の言葉であった。
「あぁ……もう面倒や。信長んとこになんか行きとうない……こまちゃんと日がな一日遊んでられたらどれほど良いか。あぁ……なんて面倒なんや」
先程の下知についてであろう。
うろんな目付きになりながら彼はぶつぶつ呟いていた。
閨にはきちんと整えられた寝具が出されている。
早めに出しておいて良かったと心底思う。
久秀さまをその上に転がすと彼はすやすやと寝入ってしまわれた。
「明日もお気張りくださいまし」
***
朝飯時、久秀さまは頬を米でいっぱいにした状態で言った。
柳生殿はともかく、酔いも残さず元気に朝を迎えた久秀さまに感心するばかりである。
そんな久秀さまは米粒を飛ばしながら大声で叫んだ。
「かぁ~っ、まったく、朝っぱらから信長の顔を見んといかんとは今日は何て日だ!」
子供の癇癪のようである。
片耳を塞いでやり過ごす。
「そんなこと言ったって殿様なのだから従わないと。ねぇ、柳生殿?」
「そうだよ~。俺だって松永殿の顔なんか朝から見たくないけど、一緒にいるじゃない」
私と柳生殿は顔を合わせて「ねー?」と言うと、殿様の松永殿は「ぐぬぬぬぬ」と言って箸で指差した。
「何が「ねー」だ! 我輩はあやつの顔を見るたびに可愛い九十九茄子ちゃんを差し出した日を思い出して腹が立つのよ。あの丸くて小さくて可愛い形。我輩から献上? するわけなかろう! あんなに大事にしてたのに信長の奴め。あぁイライラするっ!」
まるで沸騰した鉄瓶だ。
鼻から熱い蒸気が出てくるのが見えるようだ。
「あんまり怒ると血管切れちゃいますよ。
まだ家にいてこれだと、城に着いた途端倒れちゃいます」
それに、差し出したお陰でしぶとく生き残っているのだから逆に悪運に感謝しないと。
それでもぐちぐち言いながら、朝食を召される久秀さまに呆れながら私はお茶を差し出した。
ふと湯飲みを見ると茶柱が立った。
「ほらほら、今日はいいことが有るかも知れないですよ」
チラリと横目で柳生殿も覗き込む。
「おや~、本当だ。松永殿~、文句言わずに行ってみなよ。なんなら俺も一緒に行こうか?」
有難い申し出に私はパチンと手を鳴らす。
「柳生殿がいれば心強いです。ダメなら私も付いて行きましょうか?」
すると、久秀さまはじとーっとした眼差しで私達を見た。
それからゆっくりと吐息した。
まるで死期が近いと悟った人のようだ。
「行かないとは言っとらん。子供扱いするでない。それから、こま」
「なんです?」
「お主はお留守番だ」
それから、嫌だ嫌だと言いながらも礼服に着替えて仕度していた。
毎度「動きやすいから」と言う理由で南蛮人のような衣服を身に纏っているが、今日ばかりはきちんとした和装だった。
爽やかな青で、とても素敵な装いだ。
しかし目が慣れていないせいなのか、似合わないなと思ってしまうのは何故だろうか。
柳生殿が呟いた。
「似合わないねェ…」
「悪かったな」
「松永殿、いつもの服で行きなよ。あの派手な奴」
「我輩が斬られても良いのか」
「まぁまぁ」
せっかく着たと言うのに、また脱ぐはめになった久秀さま。
何が悪いんだ、と少し不機嫌になって私を呼んだ。
「こま」
「はい」
柳生殿にお茶を出してから久秀さまに従う。
手招きされ奥の部屋に入り襖を閉める。
着替えるために久秀さまが背を向けた。
私は彼の脱いでいく着物を預かり、物干しに掛けていく。
何度見ても、とても素敵な色合い。
なのにどうして似合わないのか不思議だった。
「やっぱり悪党が爽やかな色を着るからダメなのかしら。試しに黒か紫にしてみたら良いのでは? ほら、大好きな蜘蛛の服もその系統でしょう」
「ちっ。お主まで言うか。そう言うの偏見って言うんだぞっ!若い頃はこんなのばっか着てたの!」
確かにそうなのであろう。
でも今の久秀さましか知らない私には想像が付かず分からない。
いい男の面影はあるのに言うこと成すこと爽やかさとは無縁である。
「あら若い頃は大層お似合いだったでしょうに。年を取るってかくも残酷ですね。もう若くないのですから意地を張らないでください」
「悪党は年をとらないんです~。永遠の二十歳なんです~。それより今我輩を年寄り扱いしたろう。おじさん怒っちゃうぞ、ぷんぷんぷんっ」
それでも再度着替えて仕度する。
柳生殿が「今度はまぁまぁだねェ」なんて言うから夫婦みたいだな、なんて思った。
久秀さまが嫁で、柳生殿が旦那役の想像をしてたら、あまりのおかしさに彼らの後ろで思わず吹き出してしまった。
柳生殿はぽかんとしているし久秀さまは怪訝そうだ。
「急にどうしちゃったんだい? こまちゃん」
「いや……なんでもありませんよ」
すぐさま何事も無かったように繕う。
まるで捕物屋のように久秀さまがじっとりとした視線で睨む。
「嘘をつけ。なんでもなければ息なり吹き出したりすまい。だから我輩にこっそり教えてみよ、何を考えたのだ?」
興味津々だろうが教えられるかそんなこと。
何とか話を逸らしてその場から暇する。
「そんなことより久秀さま、私よりもご自分でしょう。早く行かないと大嫌いな信長に首を切られちゃいますよ」
言いながら、首を掻き切る素振りをする。
そろそろ屋敷を出ないと間に合わないのだろう。
久秀さまが途端に眉間に皺を寄せた。
「まったく。賢しらな小娘め。我輩を試すなんて……コワイ!」
「さぁさ、早く仕度してください。柳生殿、面倒だけど久秀さまのことお願いします」
「ぐっ、こんなにお主が好きなわしに向かって面倒とは……あぁ、悲しいのう 」
宗矩殿は慣れた手付きで久秀さまの背をグイグイ押す。
この体格差だ。
抗えまい。
「まぁ任しといてよ。行ってくるね」
「あ、こら 宗矩離せ! こま、帰ってきたらお仕置きだからな!我輩にそんな態度取ったこと後悔させてやる〜! 」
まるで犬の遠吠えのように久秀さまは言うと、柳生殿を連れ立って屋敷を出立した。
私は手を振って応えた。
「お仕事頑張って下さいね~」
「ふん! やなこった!」
良い年したオッサンが思いきり舌を出してあっかんべーをする様子に私の心境は苛立ちよりも心配の方が勝っていた。
何か粗相をしなければ良いのだけれど、とまるで母のような気持ちである。
子もいないのにおかしな話だ。
「本当に大丈夫かしら……あの人」
案ずるより産むが安しとの言葉もあるが、やはり何となく不安が付きまとった。
「まぁ……大丈夫よね」
***
久秀さまを送り出したあと、飛脚がやって来た。
「ごめんください」
「はいはい。如何しました?」
「こちら、松永様のお屋敷ですか?」
「そうですが」
私が言うと独り言で「そうか」と呟いていた。この方は初めて屋敷に訪れるようで、良かった、と安堵しておられた。
「弾正様の屋敷とかかれておるので、もの凄い邸宅をずっと探していました。我ながらお恥ずかしい。明智光秀様の邸宅からお届け物です。ではこれにて」
そう言うと随分大きな箱を玄関に置いていった。それよりも送り主が気になる。明智光秀様と言えば織田の外様であるが、才有ることで有名な方だ。こんな大荷物、久秀さまへの贈り物だろうか。中身は気になるが、開けるのは良くない。しかし、玄関に置くには邪魔であるし少し移動させた。ところが「重い」
思った以上に重量が有って驚いた。
私は首を傾げる。
「何が入っているのかしら……?」
この重さなら米か野菜か、はたまた反物か家具か。
しかしあの久秀さまに米や野菜が送られてくるだろうか。ずりずりと縁側の方へと箱を移動させる。
途中段差にぶつけ中身がゴツンという音をさせた。
ああ、中の物が心配だなぁ。
少し不味い、と思いながらもあまり気兼ねしていなかった
さらりとそれで終わるはずだった。
しかし不確かな事が起きた。
少女の声で「イタタタ!」と箱が喋った。
(……喋った?)
私は恐怖を感じた。
何故、箱が喋るんだ、と。
思わず後ずさった。
お台所から護身用に包丁を持参するくらいである。
奇っ怪なことは少々苦手な質であった。
「ん~……! 良く寝たのじゃ。はて、蓋が開かぬのじゃ。誰かおるか?わらわを助けて欲しいのじゃ」
「…それよりも、どこのどなたでしょうか」
私は恐る恐る尋ねた。場合によっては、蓋を開けずに飛脚に返品という可能性すら有った。しかし箱は答えた。
「ほむ、わらわは箱から箱へと身を寄せて旅をしておる者じゃ」
思うに旅人が箱に入るだろうか。
「今しがた明智光秀様のお屋敷から運ばれてきたようですが、無関係ならば処分させて頂きます」
「はうぅ! ひどいのじゃ!」
「もしくは明智様にこのままお返しいたします」
「それだけはならぬ! 父上に見つかったら、わらわは遊びに出掛けることすらままならぬのじゃ」
「父上とは?」
「ほむ、光秀はわらわが父上じゃ」
「……父上様ですか」
このように好奇心旺盛な娘御を持たれて明智殿の心情、お察し申し上げる。しかしこれは、もしかして不味い状況なのではないかしら。手違いで明智光秀様のご息女が箱に納まって運ばれてきたというのはしょうがない。
けど、あいにくここは悪党の邸宅である。
下手をしたら久秀さまが明智光秀様のご息女を誘拐したのではと思われてしまう。
誰かにこの事がばれてはならない。
いや、むしろ久秀さまに見つかったら不味いのでは?明智様のご息女がここにいると知れば、どんな悪事を考え付くか分からない。
「やっぱりご返品を」
「むぅ! ならぬと申しておろう! 父上に怒られてしまう~」
「……」
「とにかく出してほしいのじゃ~」
「……仕方ない」
悩んでもしょうがない。
私はその大きな箱の蓋をあけた。
思いの他きつく閉められていたようで開けるのに力がいた。
そして数分後、中から飛び出して来たのは、それはお人形のように美しい少女だった。
「はああ! 助かったのじゃ! わらわを助けてくれて感謝なのじゃ。そちの名を教えよ!」
「私は松永久秀様の身の回りの世話をさせて頂いております。こまと申します」
「こま? そうか、こま! 面白い名前じゃのう! 松永殿の世話係か。知っておるぞ、父上が溜め息をつく相手じゃな」
「うちの殿が、いつもご迷惑をお掛けしております」
何故か謝る運びになってしまった。
重臣のお身内にまでその名が知れているとは、あの方はいつもどの様なお勤めをされているのだろうか。
しかしニッコリと微笑むご息女は私の腕を取る。
あまりのことに硬直する。
「こま! わらわとダチになってはくれぬか?」
息なりの申し出に身が固まる。
世を知らぬとはいえ恐れ多いにも程がある。
あまりに気安いのも考えものだ。
ちなみに確認の為、その意味を聞いてみる。
「ダチとは」
「友人の事らしいぞ? わらわのダチが申しておった」
ふふふ、と相変わらず可愛らしく笑う彼女に『天真爛漫』という言葉がとても似合う。
意味もきちんと合致しており、その言葉を教えた者はきっと武士ではあるまいと思った。
庶民とも分け隔てなく接する姫君だからこのような言葉を使うのであろう。
意外な交友関係をお持ちのお嬢様に少し驚いた。
しかし私はそれをあえてお断りした。
彼女はとても驚いていた。
「何故じゃ! 孫も蘭もわらわが申し出れば師匠曰くイチコロじゃったぞ?」
「お孫さまがいるようには見えませんが一一一イチコロとは物騒な……。お嬢様、一般の者は出会ってすぐに誰とでも友人にはなれませぬ」
いや、それは人それぞれという事は百も承知だ。
が、相手は織田の重臣のご息女である。
対して私は久秀さまという大木に寄りそうただの雇われ人。
下手に動けば、久秀さまに迷惑が掛かるかもしれない。
「我々にはそれぞれ立場と言うものがございます。それにお友達とはお互いを知った上で全てを対等に認め合える関係の事だと思いませんか? お嬢様は信長様に友達になれと仰られて、彼の人と自分を対等だと思えるでしょうか」
「信長様を引き合いに出すのはずるいのじゃ」
しょんぼりと項垂れるご息女。
しかしまぁ、私とてこのように可愛らしいご友人が出来る事は嫌な事ではない。
むしろ歓迎すべき事だと思っている。
しかも相手が私を気に入ってくれているならば、出来る限り応えたいと思うのが人情というものである。
私はお茶請けの一式を手早く準備して、彼女に貴重な南蛮菓子を一つ差し上げた。
「これは?」
「急にお友達というのは難しいですが、知り合いからなら……。宜しければご一緒にお茶でもいかがですか?」
ご息女のしょんぼりした表情が、みるみる内に晴れやかになる。
『嬉しい』という感情を体中で表現している様子は愛らしい野うさぎの如しだ。
「そなたは厳しいことを言いつつ優しいのじゃの。ほむ、ならわらわもダチと認めて貰えるように頑張るのじゃ」
「いえ、特に頑張らずとも」
「いや、何事も気概が大事じゃと父上が申しておるゆえ。わらわは頑張るぞ~!」
そう言うわけで明智光秀様のお嬢様とのご縁ができた。
私はその間沢山のお話をせがまれた。
日常の下らない話から他の者では体験できぬであろうことまで。
ただ何気なしに喋っているだけだが、お嬢様は目をキラキラさせて面白そうに聞いてくれる。
思いの他、時間が経ってしまった。
気が付けば時刻は久秀さまのお帰りになる頃だった。
「そろそろ主が帰ります故、今日はこの辺で。また近い内においでくださいね」
「ほむ、わらわも楽しかったぞ。菓子も美味しかったのじゃ。今度は父上と来たいの~!」
そして手を振り、「ではの!」とお嬢様は夕暮れの町をかけ出して行く。私はお辞儀をして、その後ろ姿を見送った。それと入れ替わりで、我が殿が帰ってきた。
「ん~?こまちゃんがお出迎えしてくれるなんて珍しい。何かあったか?」
「おかえなさいませ。はい、実はお友だちが出来たのです」
「ほぉ? そうか、それは結構。友達は多い方が良いぞ。悪事を働くには人手がいるからな」
「もっとまともな言い方は無いんですか」
溜め息をつくと、久秀さまはにかっと笑ってから「だって悪党だもん」と足取り軽く屋敷に帰還した。
20171220
20171223
20180103
改定
20231026