松永殿と恋煩い
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空が青い。
穏やかな日差しが降り注ぎ、日常を暖かく包み込む。
鳥が鳴き草木が舞うそんな中、私は障子を開け放した座敷にいる。
そして久秀さまの腕に囚われ悶えていた。
「あぁっ! 許してくださいませ、久秀さま……!」
「堪忍ならぬ。ならぬったらならぬ〜」
「嫌です、こんな所で……あぁん」
「むっふふ〜。こまちゃんってば。かぁわいいっ」
きらきらした目で私の自由を奪ったかと思うと主人はゆっくりと舌舐めずりして私を上から眺めている。
金ヶ崎から
あの日私が久秀さまを散々虐めたのを相当根に持っていられるようで、事ある毎に交合いの主導権は我輩にあるのだと衣服を剥ぎ取られる。
今日などこんなにも良い天気で有るのに洗濯物の一つも干せないまま終わりそうである。
そのことについて物申すと、耳にかぶりついて「ならば外注すれば良かろう」と片付けられる。
それはそうなのだが納得ならぬ。
「お主が自ら働く必要などないのに、意地を張って仕事をするから怒りも湧くのであろう」
「一応建前は下女ですもの……少しは働かないと。……あぁんっ!」
「ま〜だそんな馬鹿なことを。信長の前で我輩に「妻」と呼ばせておいてそれか」
それは勝手に久秀さまが言っているだけなのだが、とは言えず。
愛撫もそこそに、いざ久秀さまの逸物が入れられようか、というまさにその時。
「おぉい、松永殿〜。遊びに来たよォ」と呑気な声がして私はサッとその場を脱した。
つまらなそうな顔をした久秀さまの不貞腐れた態度。
チッ、と舌打ちしたかと思うと彼は畳の上に寝転がってしかめっ面のまま天井を眺めていた。
***
「あれ、松永殿は? 一応仕事の話もあるんだけどな」
「眠いとかで座敷で横になってますよ」
「あらそうなの? てっきりこまちゃんとの情事を邪魔されて不貞腐れてんのかと思ったけど違うのね」
「う……」
鋭い。
宗矩殿はゆったり茶をすすりながら庭の木など眺めている。
努めて冷静に私も振る舞うが、この人は色々な些事を見ている。
多くは語らないが久秀さまの近くで仕えるだけあり頭も冴えている。
口惜しいがこの人といると自分の至らなさがよく分かる時がある。
ぼんやりしているようでちゃんと見ているのだからこちらとしては不意をつかれたようになる。
「私たちのこと、あまり虐めないでくれますか? 」
「別にこまちゃんのことは言ってないんだけどなぁ」
「暗に示唆なさってるではないですか……」
そんなふうに零すと宗矩殿は茶をすすりながら楽しげに笑った。
久秀さまが起きて来られたのは少し経ってからだった。
「松永殿、来たよォ」
「来んでもええわ。ったく」
「そんなこと言ったって今回は久通殿からの仕事なんだからしょうがないって」
「はいはい、そうですか。さっさと仕事して帰れ」
「えー、ひどい。どうしよっかなァ」
久秀さまはどかっと私の横に付いて犬を追い払うような仕草を宗矩殿にする。
この主従と来たら本当に仲が良い。
あまりそうは思わせないが、このような主従関係が成立するのだから羨ましい限りである。
久秀さまと宗矩殿はお互いに「めんどくさい」と言いながら仕事の話に取り掛かる。
私はそれを機に席を外し、残った仕事を早急に片付けに掛かった。
立ち上がる瞬間、久秀さまが「せっかく起きたのに!」と駄々を捏ねていたがお茶菓子などを用意して誤魔化す。
すると溜息をついて宗矩殿に不服そうに向き直った。
よっぽど面倒なのだろうがしょうがない。
洗濯干し、皿洗い、玄関の掃除。
家事とは骨が折れる作業だ。
そして一息付いたときである。
門扉を三度叩く音がした。
私は下駄を履き、一旦緩めた帯をまた締め直し尋ね人の前に出る。
「お待たせ致しました」
「いえ、ごめんくださいまし。松永殿に火急の書状をお持ち致した次第です」
「えぇ、有難く頂戴いたします。……あら」
少しばかり記憶を手繰る。
菅笠を深く被り、顔は良く見えぬがこの方に見覚えがあると思った。
いつぞや貴族かぶれの愚か者を久秀さまが手打ちにした日だ。
この方はその日も書状を携えて久秀さまを訪ねて来た。
声の高さから女性か、少年か、惑う。
ただ微かに香るその人の匂いが女性であろうと思わせる。
チラリと垣間見えた目付きのなんと鋭いことか。
只者ではないのだろう。
粗相が無いように振る舞い、一旦書状を受け取る。
その間客人には少々お待ちいただくが「気になさらず」と無表情のままで言われた。
声音もどことなく冷たい。
私は一礼したあと、奥で談笑する久秀さまにこれを手渡す。
今しばし久秀さまと宗矩殿は「仕事の話」をしながらせんべいを齧り、ゲラゲラと下品な笑い声など上げていたがこれを受け取った途端、その楽しげな笑いは鳴りを潜めた。
前から気になっていたが、これは一体何なのだろうか。
宗矩殿は物知り顔で「おやおや」と茶を啜った。
「こま、表にこれを寄越した者はいるな?」
「はい、お待ち頂いております」
「通してくれるか」
「はい」
私は表に待たせた客人を通した。
菅笠を下ろし、彼の顔が現れる。
若干色素の薄い、茶色い長い髪を一束にした美しいお人であった。
骨格から言ってやはり女性。
少女にも見えるし、成熟した大人の女性にも見える不思議な魅力を持つ方だった。
「失礼仕りまする」
一礼したあと、彼女は久秀さまの待つ部屋へと足を運んだ。
さて私はというと食べかけのせんべいや湯呑みを片付けに庖厨へ下がる。
宗矩殿も一緒に付いてきた。
こちらはまだまだ食べ足りないのか適当に茶菓子やら朝の残り物などを物色して頬張っていた。
そんな姿を見ながらふと問いかける。
あの方は一体どなたなのか。
あんなに笑っていた久秀さまが急に真面目な顔するなんて、と投げかけると宗矩殿は食べるのを少しやめて答えた。
「ありゃあ乱破だよ。どこのとは言わないけどね」
「乱破……ですか? 2人きりにしても良いのですか?」
「そりゃあアレがいないとアレの主人と話が出来ないからね」
無知な私をからかう様に宗矩殿はくすくすと笑う。
それはそうなのだが忍びの者というのは話でしか聞いたことがなく、どことなく信用がならない気がした。
私たち平民とは隔絶した場所にいる、おとぎ話の中の人物達のような気もしている。
だからあの様な美しい女人が乱破だとは到底思わなかった。
「忍びの方とは普通の身なりをしていらっしゃるんですね」
「何言ってんだい。そりゃあ普通の人間だもの当たり前だろォ」
「そうでしょうけど……」
「それにこまちゃんを見つけ出したのだって松永殿の雇った忍びだよ。この乱世で忍びを使わない国主はいないからねェ」
「そう……ですか」
確かにその通りだ。
忍びの仕事は多岐に渡る。
戦での仕事も去ることながら平時での人探しや情報収集など数々の任務をこなしている。
でなければ久秀さまと私はこうして出会うことも無かったであろう。
どう足掻いても一人の力で、名も知れぬ他人など探し出せる訳も無いのだ。
「すごい人たちなのですね」
「そうだねぇ。でも間違ってもなりたいとか思わないでよ。こまちゃんはきっとすぐ死んじゃうと思うし」
「失礼な」
「だってほら拙者といても隙だらけだし、ね」
そう言うと宗矩殿は私の尻をがっしりと掴んだ。
驚いて引き攣ったような声が出た。
危うく手に持っていた食器を落としそうになり狼狽する。
調子に乗ってまた変な場所に手を伸ばそうとするのでさすがの私もその手を払った。
「まったく、どこ触ってるんですか! いい加減にして下さい!」
「いやぁ、やっぱ良い形だなぁと思ってさ」
「久秀さまに言いつけて差し上げますからね!」
「お、松永殿の使い方が上手くなったじゃないの。やるねェ」
ケラケラと笑ってまたせんべいに手を伸ばす宗矩殿。
主人も去ることながらこの従臣とて油断も隙もない。
だいたい人に隙だらけと言うが、そんな風にわざわざ人の尻に手を伸ばす不届き者の方が悪い。
そんな男にわざとらしく溜息を付いて肩を落とす。
「宗矩殿が来るなら晩御飯も豪華にと思ったのに……。あぁ、もう今日はやる気を無くしました。なんなら具合も悪いです。久秀さまに頼んで今日はお粥を作ってもらいましょう。そうしましょ」
すっ……と前掛けを下ろす。
するとこの食いしん坊は居住まいを正すと、すかさずこちらににじり寄り言った。
真剣な目付き。
急な変わりように萎縮しそうだったがこちらとて負けぬ。
「ダメ」
「なんですか? 私は宗矩殿のせいで病になったのですからね」
「こまちゃん、拙者、松永殿の粥は嫌だ」
「あらどうして? 美味しいですよ。それに私熱もあるみたいで〜。あぁ、それなのにこんなにやることは多くて〜。誰か片付けてくれれば良いのに〜…」
「全部拙者がやるから。粥は嫌だよ」
そして私を椅子に座らせると残った洗い物などもあらかた片付けてくれた。
また湯も沸かして茶も入れてくれた。
その後ろ姿に思わず微笑んだ。
そういう調子の良いところは主人に良く似て可愛らしい。
「宗矩殿」
「はいよォ」
名前を呼ぶと元気の良い返事がした。
私は茶をすすりながら問いかける。
後ろ姿は一生懸命な徒弟のようである。
「今晩何が食べたいですか?」
ピタリと手が止まる。
宗矩殿は勢い良くこちらを振り向くと笑顔でこう言った。
「こまちゃんが作るものなら何でも」
そしてまた彼は片付けに集中した。
一一一そういうの一番困るんだけど。
頬をかく。
しかし自分の手料理が望まれていることに不思議な嬉しさが込み上げた。
丁度茶を飲み干した頃、久秀さまが顔を出した。
「はぁ、くたびれた。お、宗矩がこまちゃんの代わりに片付けか? 感心、感心」
「ええ、助かってます」
隣に腰を下ろした久秀さまに茶を入れて差し上げる。
自分の時間が出来て、気持ちの余裕も出来たことで鼻歌なども勝手に出てくる。
そんな私を久秀さまはじっと眺めていたので、微笑み返して見る。
ただにこやかに目尻を下げていた久秀さまだったが、目を輝かせ、さも嬉しげに破顔なさった。
「あ〜 こまちゃんが笑った!ほらこまや、我輩が言ったように家事なんか誰かにやらせれば良いのだよ。そしたらお主も楽出来るし笑顔も増えるじゃろうて」
私などのためにそのようにはしゃぐ久秀さま。
久秀さまは私の背を抱き頬に唇をあてがうなどして戯れる。
いつもせわしなく動いていると、このじゃれ合いがとても鬱陶しく感じたが、それも飼い犬や猫の纏わりついてようなものと静かに受け流せる。
追い立てられぬ生活とは悪くないかもしれないとつくづく思った。
しかし私たちを見る宗矩殿のげっそりとした表情がチクチクと刺さる。
「なんじゃその顔は」
「いや……見せつけてくれるなァと思って」
「なら見るでない。こまの仕事を全てお主がやれば見る暇も無かろう。お〜 それが良い、それが良い。やらねば禄は無しだぞ」
宗矩殿はとても驚いた様子で久秀さまに抗議する。
禄が出ないとなるとそれは死活問題である。
私は楽で構わないが本人は困ってしまうだろう。
「え、何? 拙者が家事すんの? 毎回なんて無理だよォ」
「うるさいのう、男だって家の事ぐらいやれないとおちおち結婚も出来ないぞ」
「良いんだよ、拙者は」
「あれもこれもこまちゃんのためだ」
「松永殿、そんなに言うならいい加減誰か雇いなよ」
「我輩はお気に入りしか周りに置きたくないタチなの。だからお主がやれ」
「えぇ〜……。へいへい……」
言い返すのも嫌になったのだろう。
宗矩殿は黙々と作業を進めて見事完遂した。
その後もあれこれ久秀さまに命令されて私の仕事を宗矩殿は代わりに終わらせてくれた。
その姿を見て、せめて美味しいものを作って労ってやろうと二杯目の茶をすすりながら私は献立を思い浮かべた。
***
金ヶ崎で織田を追撃した浅井家。
天下に手を伸ばした浅井の家中では朝倉派と織田派で真っ二つに割れていた。
ある者は長政の決断に賛辞を述べ、命を賭して最後まで付き従うと決意する。
またある者は、今や天を突く勢いの織田に楯突くなど恐れ多いと離反を画策する者もいる。
決定的な勝利とはならなかった今回の戦、思惑は各々が胸の中。
その当主である長政と妻の市は怒涛のように過ぎていく時の中で、束の間の幸福を噛み締めていた。
脳裏に刻まれる鮮やかな時。
それは何かの終わりが近いことを示しているかのように彼らの内に鮮明に記憶されて行った。
「市、義兄上との戦を行う某を許してくれ」
「市の心は長政樣と共に生きることで満たされます。どうかお心のままにお進み下さい」
運命がどのように巡ろうと二人は離れないと固く誓う。
しかし良き風ばかりが吹くことが無いのが人の宿世である。
市の心には一抹の不安がのし掛かる。
怪物が影からひっそりと獲物を狙っているかのような、薄気味の悪い違和感。
泥沼にじわじわと足が沈むように、彼の命を奈落に引きずり込まんとする。
どうか私の大事な夫を憂き目にあわすな。
願えば願うほど、今の現状は出口の無い暗闇。
残酷な未来に突き進むだけの特攻のようである。
評定が行われている。
長政を中央にし、次の戦で信長を討つための算段が組まれた。
織田の兵力は同等かそれ以上。
誰が見立てても個の兵の力は圧倒的に織田の陣営が揃っていた。
それに市は織田の人間であるがゆえ戦場に立たずとも内側が見える気がした。
浅井に勝利して欲しい。
だが勝利しきれるかは別の話である。
一一一いつからこうなったのか。
袂を分かつ原因は間違いなく信長にある。
不当な要求を朝倉家に求め、それが叶わぬなら戦を求める。
約定を遵守するように訴えるも最初から無いものとされる。
我が兄ながら恐ろしい。
動機は幼稚であり、その性根は狡猾であり、敵を作ろうとも目的を達成しようとする粘り強い執念さがたまらなく恐ろしい。
いっそ信長が義姉の帰蝶の実家を滅ぼしたように、長政が織田を滅ぼしてくれればどれほど良いか。
自分にはそれが出来なかった。
金ヶ崎では夫の裏切りを是としながら、結局兄の命を永らえさせてしまった。
織田の人間の使命だと言うように。
だが今ならわかる。
あれは御家主義の乱世なら正しい判断であるが、我が心をして間違いであったと。
何故わかるか。
何故なら、正しければ苦せず悩まず、平穏な時が今も坦々と続いた筈だ。
そうでないならそれは全て間違いだったのである、と。
珍しく我儘な解釈に自分も兄と同じ血が流れていると自覚し、自嘲した。
一一一ふわり。
庭に揺れる藤の花が淡い香りを運ぶ。
そうか、今はそんな艶やかな季節であったか。
市はそんな季節の移ろいに頬を緩める。
戦などしている間に花は咲き、散る。
その艶やかさに気付かぬ人の世の切ないこと。
市はしばしその鮮やかさに魅入った。
「お市さま、茶茶さまがお市さまをお呼びです……お市さま?」
小姓たちの声がお市を現実に引き戻す。
不安が掻き消えることはないが努めて笑顔で応えて見る。
それを小姓、高虎は不安そうに見つめる。
高虎は察する。
この戦で本当に心を痛めているのはこの美しい奥方である。
何か声をかけるべきか。
しかし何を言えばいいのか何も浮かばない。
ならば、ただ黙々と与えられた仕事をこなすのみが主人に対する忠義である。
何も出来ない自分にできるただ一つの慰めであった。
そこに「友などいれば気も紛れように」などと小姓仲間の吉継が言った。
いつの間にか脇にいて高虎の裾を掴んでいた。
普段はその裾を払いもするが今回ばかりはそっとした。
高虎は吉継に同意する。
自分にはこの吉継がいる。
悩みがあれば分け合えるが奥方は一人だ。
また吉継がポツリと零す。
「あの方は元気だろうか」
この脈絡で「あの方」と聞いて高虎は一人しか思い浮かばなかった。
後日高虎はあまりきれいとは言えない字で手紙をしたためる。
主君の気が紛れるならばせめてと心を込めて真剣に。
一一一どうか届きますように。
戦が始まってはもう敵と味方でしか無いなら、主人の笑顔が尽きる前にと彼は祈った。
20231028