松永殿と恋煩い
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私の名前はこま。
先程、松永殿に何の因果か半ば強引に登用され、屋敷に連れていかれた。
彼は私の前を歩いているが傍目にわかるほど浮き足立っている。
それほど私を得たのが嬉しいのだろうかと、当の本人である自分には分かり兼ねる。
詳細は知らないが彼は私の素性を知っているようだ。
ならば私が今までどこで何をしてきたのかある程度は分かっているのだろう。
こちらは全く相手を知らないのに、あちらは承知しているとは気持ちの良い話では無い。
私を乱暴した男が付かず離れずの距離で護衛しているのを片目に、無駄だと知りながら笑顔を張り付かせ、心身ともに気を許すなと自分を諌めた。
松永殿が我が手を取り、楽しげに言った。
「来たまえ、我が姫君。見るが良い、我輩自慢の屋敷を」
両手を広げ、まるで役者か何かのよう振る舞う松永殿は「ちゃっちゃらー」と自ら口ずさみ、私に付いてくるように促した。
さて、整備された私道を行くと竹林が美しく整然としている。
あれなるものが松永殿の居城か、と気づくも目の前には質素な屋敷がポツンと一件。
「こちらですか?」
それはそれで驚いたものだ。
大名の屋敷ともなると絢爛豪華かと思われたが、むしろ敷地を隔てた向かいの商家の方が豪華に見えた。
長屋と言うまで狭苦しくはないが、一国の主の住む邸宅としてはあまりに狭く感じた。
思わず本音がポツリと零れる。
「案外こじんまりとされているのですね」
「それが良いのよ。あんまり広いと掃除は出来ぬし、暖を取るにも暖まらぬ。なにより出入りする人間が少ないのに、間取りを広くする必要はない」
私はまた驚いて目をぱちくりさせる。
思わず「使用人は?」などと聞いてしまって更に後悔した。
話など繋げなくて良いというのに、これでは相手を知りたがっているといえなくもない。
しかしそんな事気にせず松永殿は答える。
きっとこの反応に慣れておられるのだろう。
「おらぬ。我輩は気に入った物しか置きたくない
付いてこいと促され、目の前の客間で少し煎茶など出される。
本当にこの人自身が私の世話を焼いているのでなんとも不思議な感じがした。
普通武士ならば「やれ体裁が」「やれ身分が」と言って使用人との区別をはっきりさせるはずだ。
それなのにそう言った気負いがない。
護衛の大男にまで茶を飲ませて、自らは
「ねぇ、松永殿。これいつもより美味いねえ」
「最近仕入れた玉露よ。せっかく我が家にこまちゃんが来てくれたのだから出さねば勿体なかろう」
「へぇ、そう」
男の気のない返事が奥からした。
会話の調子から度々訪れているか一緒に住んでいるのかという具合であると思う。
ゆっくり湯飲みに口付けると、下町の茶屋が出す品物とは
質素であるが、細部にこだわるのだろう。
じわじわと
その上「茶菓子もあるぞ」などと言われて見ろ。
そちらに目がってしまうのは至極当然のように思えた。
そして一口食べてまた後悔するのだ。
一人、悶えていると囁くような声がした。
「幸せそうに食べおって……可愛いのう」
視線をそこにやつすと、松永殿が目を細めて私を眺めていた。
まるで愛し子を見るような柔らかい眼差しに少し困惑した。
かぁっと顔が熱くなり、手を止める。
慣れても無い場所で食べすぎてしまうのは宜しくないし、はしたないような気がした。
「んん? もっと遠慮せずに食え?」
「いえ……食べすぎてしまうので」
「そんな事気にするな。我輩の屋敷で飢えられては立つ瀬がない。大体平民は皆痩せすぎだ。もっと食って力を付けろ」
「でも、申し訳ないです……んぐ」
「まぁ、気にするな」
「ほら、あーん」と無理矢理菓子を口に押し込まれた。
相変わらず美味であるがこのようにされて手も足も出ない自分が情けないと思った。
松永殿はと言うと満足気に「ちゃんと食べて偉い」と親か何かのように
これでは本当に餌付けされてしまうのではと恐ろしかった。
一服が終わり、手招きされる。
ちなみにもう茶菓子で腹は膨れていて、帯が苦しいぐらいだった。
遠慮するも
限界の頃になると顔を背けて、何とか逃げおおせたが松永殿は不服そうであった。
胃が重たいとは幸せなことであるが、少し苦しい。
立ち上がるのも一苦労だった。
付いてこいと言われるまま奥の間に通された。
客間の右手奥に土間と庖厨が見えた。
通された部屋は庖厨のすぐ後ろの部屋である。
開けて見ると八畳ほどで
寝所だろうか。
しかし側に掛かっている着物は見るからに女性ものである。
まさか松永殿がこれを着るわけがあるまいとすぐに考え直す。
そして彼はそれらを物色すると適当な物を私に宛てがい見立て始めた。
「あの……これは?」
「我輩の女房が使ってた品だ。お主にやろう」
「こんな高価そうなものよろしいんでしょうか」
「誰も着ないのだ。勿体なかろう。お主ならきっと似合うぞ」
私は差し出された着物を素直に受け取ると 「うむ」と、満足そうに頷く松永殿。
そして今か今かと楽しみに着替えるのを待っているらしい。
その視線に私は何かおかしいと思いながら一応問いかける。
「外に行かれないんですか?」
「何故? 我輩は手伝ってやろうかと思ってたのだが」
「結構ですから、着替える間出ていっていただけますか?」
「ふふふ。冗談だ、恥ずかしがり屋め。我輩に気付かないまま生着替えしてくれても構わなかったのだが仕方がない。出来上がったら呼ぶのだぞ」
「はい」
松永殿を追い出してから、着物に袖を通す。
ご丁寧に高価な口紅まで置いていく辺り、紳士なのかただの世話焼きなのか。
いつもの私が着ている着物とは違う上質な肌触りに松永殿の財力と審美眼をかいま見る。
このような質の良い物を手渡され、少々緊張している。
やはり松永殿に着付けて貰えば良かったのだろうか。
いやしかし、とても危険に思えてすぐに
それにしても目が離せない。「ほう」と思わず溜め息が出てしまう。
なんて美しい着物だろうか。
深い夜を思わせる艶の有る群青の生地に、光沢の有る糸で一針一針丁寧に縫いあげられた、純白の無数の菊。
余程の腕の職人達が作り上げたのだろう。このような代物今まで見たことがない。
物を知らない私でもお高いのだろうと言うのがわかる。
使った形跡が見えるが、帯もまた素晴らしく、色は黒で型崩れもせず優雅な光沢を放っている。
紋様は格子。
帯と同色を使う辺り地味だがとても趣味が良い。
このような代物がまだこの屋敷には有るのだろう。
悔しいが、これらの持ち主の品格を肌で感じた。
「そろそろ良いか」
松永殿が襖の向こうから声をかけた。
私は急いで身支度して答える。
ぼんやりしているうちに時間だけが過ぎていたようだ。
「ただいま参ります」と答え、戸を開ける。
松永殿はゆったりとした構えで私を眺め、口元に手をやった。
「なかなか良いではないか……」
そう言うと満足そうに「うむうむ」と頷いた。
それから少し手直しを加えられ、仕上げに紅を差される。
自分でやるという希望はあっさり挫かれた。
顎をくいと持ち上げられ、凝視される。
とても気恥ずかしかったので目を閉じた。
そっと息など吹きかけられてびくりと体が反応する。
面白がっているような声がした。
「あぁ可愛いのぅ……それに瞼を閉じて我輩を誘っているのか?」
「違います。早く終わらせてください」
「つれないなぁ……。せっかく色々してあげているのに。そんな事言うと今ここで押し倒しちゃうけど良いのかなぁ?」
「……それは勘弁してください。着物が泣きます」
「安心しろ。長年着てなかったのがやっと日の目を見れてこれも嬉しかろうよ」
皮肉そうに笑う松永殿。
紅を塗る指先が唇から首筋に触れる。
粟が立った。
首を背けると「おっと、失敬」と彼は手を引っ込めた。
「皺になっては困るでしょう」
せっかく綺麗に保管されていた物をくしゃくしゃにするのは勿体ない。
このような素敵な物は大事にされるべきだ。
それに松永殿だって亡くなった奥方を思う日もきっとあるだろう。
情がなければ、ここまで大切にはされまい。
そっと距離を取り松永殿を眺める。
すると思い出したように姿見へ促された。
それに映る自分はまるで違う他人のようだった。
松永殿は姿見に映る私をじっと眺めて「艶っぽいのう」などと口の端を楽しげに上げておられる。
「こんなに色気溢れる女を目の前にしてお預けとは辛いったらないなぁ……。辛抱たまらん我輩のために抱かれる気はまだ起きないかね?」
「何度そのような事を仰られてもお気持ちには、お応えできません」
「随分ハッキリ断るな。我輩悲しい! いや、まぁ良いのだ。―――それより」
松永殿の指先が、襟元を滑る。スルリと肌に触れたカサついた感触に思わず鳥肌が立つ。
何か良くない事をされるのかと、拳を作った。
しかし松永殿は意に介さないまま思案するように目を細めた。
「本当に良く似合っている」
そして首近くの皺をピシャリと直して頷く。
指先を凝視する私に何か感じたのだろう。
私と敢えて目を合わせると、ニッと歯を見せて笑って見せた。
拍子抜けし、ふっと力が抜けた。
ここは感謝の言葉を述べるべきなのか定かでない。
何かおかしな事をされるのではという前提でいるせいだろうか。
身構え過ぎていたせいで素直にその言葉は出てこなかった。
松永殿が先に口を開いた。
「どうした? そんな顔して我輩に食われたいのか」
「違います」
「そうか、つまらん。実につまらなん」
「結構です。その上、気に入られるような事をした覚えは無いのです。何故こんなにも世話を焼くのですか」
「そんな事を知っても抱かせてはくれないのだろう?」
「それはそうですが、気になります」
「おやおや、褒美も無しなのに答えが欲しいとは。お主も欲張りだな。知りたがりのお姫様には困ったものだ」
微笑みながら、まずは座れと促された。
彼は胡座をかき、肘置きに腕を立てて寛ぐ。
私も楽にせよと仰せつかったがしゃんとしなければならないと思い崩さなかった。
松永殿は昔を懐かしむようにゆったりとした口調で話し始めた。
「だが、どうせ言った所で分からないだろう。分からないならそれはそれで良いが」
チラリと視線がこちらに向く。
私は目を離さないままその視線に真っ向からぶつかる。
が、「いやん、恥ずかしい」とすぐそらされた。
まるで乙女のように顔を覆い隠し、くねくねと動く様子に少々後退る。
が、そんな私の態度を逆に彼は面白がって見ていた。
「嫌なら聞かなくとも良いぞ」
「き、聞きます。……ちゃんと」
急いで首を横に振って居住まいを正すと、松永殿は今度は声を殺して笑った。
それから「ん〜」と唸って語る。
話始めはこうだ。
「昔から我輩の周りには自らを
つらつらと語る内容が他の者なら嫌味に聞こえるだろう。
だが決してそれを起こさせないのは何故かと傾聴しながら思案する。
そこで単純に持てる理由が分かった。
「話が上手ですね」
ㅡㅡそう、面白いのだ。
褒めると松永殿ははにかむ。
また、向かい合ってよく見ていると分かるが、このお年でも渋みのある美相である。
若い時ならば可愛げや、凛々しさ、逞しさなど相まって男として
そのことを伝えると松永殿は苦笑する。
「おや、お主にそのように言われるとは感無量よな。が、残念ながら女運はあまり無くてな。夜な夜な剛毅な女どもに引っ掛けられては捨てられる可哀想な男であったよ」
などと冗談めかして宣う。
それ即ち言わずとも分かろう。
私は少し視線を逸らし、困惑して畳のへりなど見た。
「一体何人の女性と関係をお持ちになったので?」
「さあ、百や二百は優に超えとるだろうなぁ」
「……お元気でいらしたんですね」
「昔はな。今はそんな体力があったらお主に全て突っ込むつもりだ」
とても清々しい笑顔で、あらぬ事を松永殿は言う。
が、何故その情欲がこちらに向くのかまだ分からないでいた。
松永殿の指先がうずうずと蠢いていたのを横目に「遠慮しておきます」と断りを入れると不服そうに口を尖らせていた。
「まぁ、だからお主にはそんな風にポイ捨てされたく無いし、我輩もお主をとことん骨の髄まで愛したいと思っておるのだがなぁ。現実はかくも残酷よ。
どうでもいい女共には精気を搾り取られ、好いた女子からは何故か袖にされる悲しい運命だ」
およおよと泣く素振りを見せつつ、蛇が這うような、舐めるような、何処と無く冷悧な視線にぞくりとする。
私の何がこの人をこのようにさせるのか思い出せずに困惑する。
理由を知らねば対処も出来ぬが、段々と話を聞くのが怖くなってきた。
「そのように言わないでください。……恥ずかしいです」
「まぁ、そう言うな。我輩はお主を知っている。それで良いでは無いか、な、こまちゃん」
「良く、ありません……」
控えめに作り笑いをして否定する。
お戯れを、と物申すと「冗談など言わない」とこちらも
そして「何故、我輩が執着すると思う」と核心めいた事を急に問う。
分からないからこうして、真実か嘘か分からぬ話を聞いているのだ。
素直に首を振ると、ずいっ、とこちらに松永殿がにじり寄ってきた。
「あの……近くございませんか?」
「まぁまぁ、気にするな。最近老眼でな。お主の顔もよく見えんからな」
鼻と鼻が擦れ合うほどの近さまで顔を近付けて、松永殿は微笑む。
見え透いた嘘だと分かるが、体が言う事を聞かず動かなかった。
松永殿は私の顎を持ち上げて、品定めでもするかのようにあらゆる角度から私を見回していた。
目を閉じてその視線から逃れる。
くすくすと微かな笑い声が漏れ出ているのが聞こえた。
「お主はほんとに変わらず、我輩好みの美相をしている。あの頃のままだ」
「あの頃とは」
「お主が舞で路銀を稼いでいた時のことよ」
そこでついに得心行く答えが見つかった。
***
随分昔、私は貧乏だった。
家は貧しく、当然学もない。
女がやれることは、男の慰みものになるくらいだが女衒に出されるには幼かった。
いよいよ持って家は食べる物に困り、口減らしのため捨てられた。
河原で鼠や虫を食っていたのを、ある人が哀れんで気まぐれに拾ってくれた。
その人は、舞で各地を放浪する旅芸人であった。
名前を変え、姿を変え、必要な場所に呼ばれては多額の儲けと賛辞を得る人。
煌びやかな彼女の演武は、日ノ本の伝統的な舞から唐風の舞まで網羅しており、それを慕う弟子達は日々それに近付こうと研鑽していた。
「食い扶持は自分で繋がなあきまへんえ。でもあんさんはまだそれは無理みたいどすな。うちが稼ぎ方を仕込んであげますけん、しっかり見聞きして覚えとくれやす。せいぜいお気張りやす」
ふうわりと微笑む師が懐かしい。
その笑顔のためなら実際血のにじむような練習をしても苦では無かった。
拾ってくれたこの人の恩に報いたい。
ただそれだけだった。
師の舞は見るものを虜にする。
実際男だろうが女だろうがその舞の世界に引き込まれて心中などしてしまう者もいた。
そして舞台に出る弟子たちは、その境地に行かぬとも異性を十分に引き付け虜にしていた。
「舞台に出る」ということはそれだけで力を持っているという証だった。
師と兄弟子、姉弟子の煌びやかで艷やかな演目に魅せられつつ、繰り返し練習を重ねた。
何度も何度も練習を重ね、ついに舞台に立つ。
だが、私の出た演武など師に比べれば大した事は無い。
追い越したいが、追いつけない圧倒的な魅力と技術。
だがそれを超えることはもう出来ない。
なぜなら師がある日いなくなった。
それこそ天女のように。
「あんさんにはもう縁が繋がったと、
出会った頃と同じに、ふうわりと師は微笑み、弟子たちを引き連れて霞の中に去っていった。
独立した弟子達が挨拶もせずに去っていった理由はこれかとそこで初めて思い至ると同時に、大切な
そこから私は食い扶持を稼ぐべく、師の真似事をしながら各地を行脚していた。
時折密偵としての任なども請け負いながら。
***
「我輩の手の者がお主を探し出した時には嬉しかった。我輩の心を奪った舞姿は格別よ」
「恐れながらまだ私など未熟にございます」
「謙遜するな。それにお主に惚れた理由はそれだけでは無い」
久秀様はようやく理解されたことがとても嬉しいらしく、まるで堰を切ったように
松永殿は漸く納得したように目利きを終え、それから何かを思い出したように、うっとりとした眼差しを私に向けて呟く。
「あどけない顔に化粧を施して、別人になり男どもを魅了するお主に我輩は素直に「欲しい」と思った。……気持ち悪いか? だがな、男が女を欲しがる欲求を甘く見てはならんぞ? その上我輩は群を抜く変態だ。情報網も知っての通り有る」
楽しそうに語る松永殿。
その執着たるや恐れ多い。
私が師に追従していたのはもうずっと前なのである。
一人の少女が女になるだけのその間、よっぽどの事がない限り身を守るため煌びやかな舞などは封じていた。
だからこの人のは執念とも呼べよう。
だが、この方も師から賜った技術に魅了された被害者だと思えなくもない。
そう思うと今やすっぱりと稼ぎ扶持との縁も切れてしまった今、その救済に励むのも義務かとさえ錯覚した。
松永殿が至極愉しげに呟く。
「だから、こんなにも心から待ちわびたこの日が来て我輩は嬉しい。お主はただ我輩の側に居て気まぐれに我輩の世話をし、時たま愛玩されればそれで良い。それ以外は望まぬよ」
そして手を取られ、立たせられた。
呆気に取られていると松永殿は舌舐めずりしながら帯に手をかける。
逃げ道を塞いだ上で問いかけられた。
「さて、その着物はいつ脱がせたら良い?」
その後暫く、無言のまま
20171216
改訂20180116
2023/09/18