松永殿と恋煩い
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まだ桜の咲かぬ季節。
冷たさが頬を撫で、拙僧なく行き来し、去っていく。
戦続きの世の中であるが茶屋にて久々に味わう甘味が心地よい。
懐には寂しくなった財布が、そろそろ働けとこちらに訴えかけている。
私はこま。
ある人の命を受け、私は各地を転々としていた。
最近になってその仕事が終わり、次の仕事まで暇を持て余していた時の話だ。
私は彼と出会った。
ここは織田のお膝元の市場。
ある茶屋で甘味を食していると、隣に金持ちそうな男が腰かけた。
気にも留めずにいたが、視線がチラチラとこちらを探っている気がした。
何故か居心地が悪く、早々に立ち去ろうとした。
だが、いざ勘定となり店主の前で財布を出した時だ。
背後から手が伸びて私の行動を御した。
「ご主人、ここは我輩が持とう」
そう言って手形を取り出して、店主へと差し出した。
店主がそれを確認すると酷く畏まって腰を折った。
私は呆気にとられてその差し出した御仁を見つめる。
整えられた頭髪、凛々しげな目元、そして目立つ顔面の傷跡。
お年はお幾つだろうか。
深い皺が見えるがとても若く見えた。
仕立ての良い高価そうな服を着ているがその辺の百姓や商人では無いだろう。
その人が私に微笑んだ。
「ごきげんよう、お嬢さん。突然ですまないね。お主がとても可愛らしくて、ついな」
「……ありがとうございます」
「むっふふぅ。礼など結構だ。それよりももう少し時間はあるかね。我輩と話でも……」
「いえ、急いでますので。それに悪いので
新手の軟派か、人買だろうか下手に貸しを作りたくないと思い、金子を急いで取り出した。
とても紳士的な笑顔であったが、空恐ろしいものを感じ無理矢理その掌に代金を握らせた。
手を差し出して呆然としている殿方を置き去りに、私は急いで茶屋から飛び出した。
あのような手合いは苦手なのだ。駆け足でその場から離れる。
追いかけて来ようとするのをまた制する。
「ごめんなさい、私本当に急いでいるので」
「待ちたまえ」
背後からの呼ぶ声が動揺し、小さくなる。どうやら逃げ出せそうだ。
駆け足で角を曲 がろうとした。
が、そうは問屋が卸さないとはこのようなことだろうか。
突然壁のようなものにぶつかる。
見上げるとそこには私より頭三つほど飛び抜けた男が立っていた。
こちらをちらりと一瞥してから面倒そうに言い放つ。
「おや? 張ってて良かったよ。やっぱり逃げられてたんだねェ」
目の前にぬっと大男が現れたせいで次の手が浮かばないで混乱してしまう。
自分に触れるか触れないかの、すぐ近くで男が道を塞ぐ。
いよいよ雲行きが怪しくなり後ずさった。さっきのセリフに剣呑なものを感じ反転し一か八か今度こそ駆け出した。
だが、それを分かっていたかのように大男の太くたくましい腕が私の襟首を掴んだ。息が詰まり苦しさで瞼に涙が溜まる。
「やめっ……離して!」
「あぁ、ダメダメ。こっちも仕事だからさ」
そういうと、彼は今曲がろうとした路地裏にあえて私を引き摺って行き、逃れられないように後ろ手に拘束した。
人はポツポツいるが、裏路地の連中はこの事態に誰も興味を示さず通り過ぎる。
しかも騒ぎ立てると大層な得物を背に構えて、「黙ってくれるかい?」と脅されるので、私は我が身の不幸に震え、これから起こることにを身構えた。
大男が呟く。
「ふぅん、あの人の趣味ってこんな感じかァ。確かに地味だけど、可愛いねぇ」
「お願いですから、どうか離して……」
腕を背後に縛られ、動けない。
もがくと大剣で小突かれてよろめく。
手加減してるのだろうが、扱うものもその獲物も大きいのだからしょうがない。
抵抗出来ないならせめて睨みつけてやると、彼は困り顔で頬をかいた。
「あぁ……なるほど。そそるねぇ。でもごめんよ、お嬢さん。もう少し待っててくれる?」
するとその言葉のすぐ後、先程私の勘定を支払った男が息を切らして追いかけて来た。
助かったのかと思って少し安堵したが、大男が「待ってたよォ」と親しげに話しかけるのでまた望みが絶たれた思いだった。
「松永殿、今捕らえたところだよ」
「あぁ……急に彼女が駆け出すもんだから、我輩びっくりしちゃったよ。って……」
「松永殿」と呼ばれた御仁は私の姿を見るとその場に立ちすくんだ。
そして形相を少しづつ厳しくするとこちらの方に静かに歩み寄ってくる。
私は一体今からどんな事をされるんだろうかという不安が押し寄せた。
そして彼は腕を振り上げた。
(打たれる!)
私はキツく目を閉じた。
が、痛みはない。
代わりに聞こえて来たのは背後に控える大男の「痛たァ!」という声だった。
驚いて目を開けるとその御仁の怒りは私に向けられている訳ではなさそうだった。
そしてまた彼が叫ぶ。
「こらぁ! 一体お主は我輩の可愛いこまちゃんに何してくれとるんだぁ!」
ぎゅうっと抱きしめられ、文字通り保護された私。
彼は大男を引き離すと今度はまた拳骨や足蹴などあらゆる暴行を加え始めた。
痛い痛いと言いながら男はそれを全てうけとめてはいた。
しかし表情は酷く困惑しているようである。
「どうしたんだよ松永殿ォ、この子って間者かなんかでしょ? その間者がたまたま可愛い顔してるから捕らえてモノにしようって腹じゃ無かったのかい?」
「ボケナスめ! お主が任せて置けというからこうして任せたのに、何でお主はこんな手酷い事を……バカチンがァ!!」
「何でそんな怒るのさぁ!」
「我輩は優しくお連れしろって言ったじゃないか! 痛め付けてどうする! まさかそんなデカくてごつい武器で殴ったんじゃなかろうな。この可愛い顔が間違っても歪んでみろ!お前の首を引きちぎって野良犬に食わせてやる」
ハァハァと肩で息をして怒りを粗方発散させた松永殿。
そしておもむろに私の顔を覗き込むと「怪我は無いかね?」と心配そうに問いかけてきた。
その目に害意はない。
小さく頷くと心底ホッとしたように彼は息を吐いた。
ポカンとその御仁を眺めていた男はこの様子を見てなにか察したらしく「そういうこと?」と頭をかいている。
「お連れしろってそういう意味? ハァ、まったく困ったお人だよ」
「このトンチンカンめ……貴様など解雇だ、解雇!」
「それは困るねェ……。お嬢ちゃん、俺からの頼みだ。松永殿ってばこんなんだから相手してくれる人がいなくて寂しいんだよ。後生だから一緒にいてやってくれないかい?おじさん後で甘いのあげるからさ」
「加害者がいけしゃあしゃあと何を言っとる。こまちゃんが無事で良かった……」
私を抱きしめる腕に更に力が入る。
知らないおじさんにこんなに強く抱きしめられた経験はないので硬直する。
心象としてはすこぶる気持ち悪い。
鳥肌がゾワゾワと立って口元が引き攣る。
目の前におじさん。
後ろにもおじさん。
一応確認したが逃げ道はたぶんない。
それに何故か知らないが、この人はさっきから私の名前を連呼しているのだ。
名乗った覚えはない。
「あの、そろそろ離していただけませんか?」
「あぁ……すまなかったな。ふぅ、こまちゃんに怪我が無くて我輩、一安心」
「あと、どうして私の名前を?」
「それは……」
「あなたは誰ですか?」
言い淀み、困惑した様子の松永殿。
そして一旦私を引き離すと立たせる。
場所を変えて、改めて非礼を詫びられたあと「実は……」と話が始まった。
「我が名は松永久秀。室町幕府の執政として足利家に仕え、織田信長の配下となっておる」
「松永殿……」
聞いたことがある。
この人は都でも有名な方で「弾正」や「
学はないが各地を巡って仕入れた話などで、特に将軍家と密接に連なる話でこの方の名はよく聞いた。
その方が何故、私を知っているのだろうか。
問うと松永殿はとても嬉しそうに破顔して答えた。
「えぇっ……それ聞いちゃう? ちょっと風の噂で、美しい姫が各地を放浪してると聞いてな、興味本位で間者を放ったのよ」
「……
「そういうでない、お嬢さん。我輩の側に置きたいくらい可愛い娘というのは本当だ。 おっと……つい本音が。まぁ、名を知っているというのはそういうことだ。すまなかったな、怖い思いをさせて」
ゆっくりと瞼を下げる松永殿。
さり気なく掌をさすられ、思わず引っ込める。
「おや残念」と口元がいたずらっぽく上がった。
この笑みに嫌悪感はないが、恥ずかしさに視線をそらす。
この方のようにぐいぐい来られた試しはないので気圧されてしまう。
「松永殿は何故直接私に接触なさったのですか? あなたのような方が一介の女の為に直接足を運ばれるなんて……」
信じられない、と、呟く。
口にするか否かで松永殿は「いや、ある」と答える。
目をぱちくりしていると、松永殿はまた私の手を奪いこう言った。
「お主、下女として我輩に仕えてみんか?」
「は?」
「いや、近くで話してますます可愛らしいと思ってな。それにお主を見ているとどうも我輩、抑えが効かな……。あ、いや、金子の額はこれぐらいでどうだ?」
私の掌の上にするすると数字を書いていく松永殿。
その指の動きにゾワゾワ、とまた寒気立つ。
それから何気無しに出されたその額に冷や汗が流れる。
実を言えば以前の報酬より破格だった。
「こんなに」
松永殿の顔を見る。その条件に揺れる。一年仕えるだけで、生活に余裕ができる。しかも、金子にそろそろ焦りを感じる時期でもある。だが考えても見ろ、このような額をポンと出せる者は信用してはいけないと思うのだ。しかしこの人は自信たっぷりにいう。
「不満かね?」
「……初めてみる数字だったので動揺を隠せないのです。どうしてこんな私にそこまでして下さるのです」
「なんだ、気になるか?」
頷く。
気になるというより恐いのだ。
一体何がこのような状況を作り出したのかもまだ分からないでいた。
間者の情報ごときで自らここに赴く要因はなんなのだ。
興味にしてはあまりに執着している気がした。
「はい。……気になります」
困り果てて、自分でも揺れる心に松永殿を見ると、とてもご機嫌で恐ろしい笑顔であった。
そして私の掌に頬ずりなどする。
身を引こうにも今度は離してくれなかった。
ぶわっと背中に寒イボが立つ。
これはますます身の危険を感じる。
やんわりと身をよじると、逆に引き寄せられて視線がかち合う。
松永殿はまた、にやっと笑って言った。
「それはの~、我輩がお主に惚れたからだ」
あっけらかんとした物言いと
その一言と共に、私の思考は急遽停止した。
耳がそれ以上の言葉をさえぎろうとしている。
(何を仰せなのだろうか、この御仁は)という思いが頭でいっぱいだった。
固まっていると、松永殿は懐からごそごそと何かを取り出して「ちょっと失礼」というと紅を私の親指に塗りたくる。
それを半紙に勢いよく押さえつけると、見事な拇印が出来上がった。
ハッと我に帰る。冷や汗が背に伝った。
「あの、これってもしかして」
「我輩との契約書だ」
「そんな……」
見ると幕府直属の書と記しているではないか。
ここに押印された時点でこの契約は成立されるとご丁寧に下部に記載されている。
こんな横暴許されて良いのだろうか。
私は困り果てて「嫌です」とその場を逃げ出す。
が、背後に控えていた先程の男が道を塞いだ。
「逃げられないよ。ま、しばらくは堪忍しな。案外良い思いできるかもよ」
「けど……! そんな急に仰られても」
本当にこのおかしな状況から逃れられないのか。
思いあぐねている私を松永殿はじっくり観察する。
感極まったような声を上げながら、彼は私に諭した。
「まぁ、悪党に見初められたお主が悪いな。こんなに魅力的なのだ。他の男に無下に食い潰される前で良かったではないか。なぁ?」
「……あなたなんか、主人ではありません!」
「そんな気の強そうな目で我輩を見て……あぁん! 辛抱たまらん! 困った顔も良いのう! まぁ、そう気を落とすな。我輩の元にくれば存分に甘やかしてやるぞ。三食昼寝付の上、おやつも付いてくるしな」
それから松永殿は呟くと、松永殿の目がキラリと輝いた。私の方を見てにっこりと口角をあげる。新しい遊び道具を手に入れた幼子のようにとても満足そうだった。
「こんなの、嘘よ……」
「んん〜。打ちひしがれる様も絵になるのう。むふふふ、まぁ、そうと決まれば善は急げ。悪ならば
こうして私は災禍の種のような松永殿と契約することとなった。
彼の運命の道連れとなった私。
これが波乱の幕開けになるとはこの時はまだ知らなかった。
20171215
2023/09/16
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