松永殿と恋煩い
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あの悪夢のような初対面から数ヶ月経った。
季節は初夏を迎えた。
共同生活も慣れ、相変わらず松永殿は変態で事あるごと厭らしい手つきで私を困らせるが、
今や私は彼の身の回りの世話を一身に引き受けている。
そうでもしなければ何の価値も無いただの愛玩だ。
それで良いと松永殿は言うが、いずれ愛などという幻想が崩れただの玩具となるくらいならせめて役に立つ道具となりたいと願う。
割りきることにしたと言えば良いのか。
私はこの人に金で買われた。
最初からそれを分かっていて私はここにいる。
それなのに文句を言うのはお門違いというもので、この人の趣味にとやかく言うものでは無い。
何せ莫大な給金を頂いているのだから。
だから手を出すも出さないも彼の自由なのだ。
しかし今の所無理強いされてはいない。
真心が欲しいなどと言っていたが、私には何を意図して言ったかなど分からないままだ。
変わった事と言えば、松永殿を名前で呼ぶようになった事だ。
酔いが足りなかったせいか、印象が強すぎたせいか、あの日の夜の事をお互いに覚えているという事が一因だ。
今でも気まずさで私は知らぬ存ぜぬを貫いているが、松永殿は堂々とそれを武器に脅してくる。
私が記憶していると知りながら、体のあちこちに手を這わせながら耳元で囁くのだからたまったものではなかった。
翌日の朝、私が目覚めると横で涅槃する松永殿と目が合ったのを覚えている。
「我輩は呼んで欲しいの~。なぁなぁ、こまちゃん?それくらい良いではないか」
「申し訳無いですが御免です」
「ちぇ~、けち。あの着物、結構高かったんだぞ。お主に弁償してもらうか?」
とてもじゃないが、一大名とは思えぬ小者ぶりで私に脅しをかけながら乞うので苦笑した。
一体この御仁にはいくつ顔があるのだろう。
私は居住まいを正しながら「着せたのはあなたなのに卑怯ですね」と思った。
「それに、覚えておるか?作晩のお主は、とても大胆で我輩のナニにとっては最高のオカズ……むっふっふう」
「変な事言わないで下さい。覚えておりません」
この人の追求に私は赤面して顔を背ける。
楽しそうに追い討ちを掛ける様は犬が骨までしゃぶるようにねっとりとしつこい。
いつか本当に殺してやると思った程にしつこく人の羞恥心を蒸し返して来る。
何と意地の悪く色に傾いた年寄りか。
「誉め言葉だ。久秀さま! お願い、いかせて~! とも言っていたような。んん~、男冥利に尽きる」
「そんな事、言っておりません」
強く跳ね除ける。
しかし言い返したところでまた足をすくわれる。
皮肉なもので、松永殿に追撃の口実を与えてしまったようだ。
「おやー? 覚えてないと言ったのは誰だ」
「覚えて無くても、そんな事言いません」
「あんあんあん! 凄いの、もっと~! ……とも言ってたような」
とぼけた表情をしてこちらの様子を伺う。
まるで心の声を聞いていたかのような口振りに思わず絶句した。
まさか声に出ていたのだろうか。
いやそんな筈はない。
しかし酔っていたのだ、考えられなくも無い。
私はだんまりを決め込むことにした。
そんな私を今度は動かぬ玩具とし、どうにか動かそうと思案される。
暫く経って松永殿が言った。
「どうであったかなぁ……お主が快く【久秀さま】と呼んでくれれば、夢だったと思えるのだが。今回のことは我輩の勘違いだと思えるのだが。うーむ……」
視線がこちらをちらちらと伺う。
やはり意地悪な人だ。
いや、それ以上に面倒な人だ。
私はすぐさま居直って、ちょっとばかり睨みつける。
それに反しにこにこと機嫌の良さそうな松永殿がいてハリネズミが逆立つように胸が苛立った。
だがしかし終わらない論争に半分呆れはてていたと言っても良い。
「久秀さま」
この追求から逃れるためにとは言え屈辱だった。
言うのではなく、言わされる感じが堪らなく腹立たしい。
しかし呼ばれた本人は満面の笑みを返し私の頬に唇を寄せた。
「やっと呼んでくれたか。うむ、物分かりが良い姫君で大変嬉しい」
にこりと笑ったその笑顔を殴りたくなったのは言うまでもない。
その日一日、私はひたすら名前を呼ばされ続けた。
ところ変わって現在はと言うと初夏とは言え、まだ地面には桜の残骸が茶色く変わり果てた姿で山を成している。
いくらか掃除をして庭を掃き清めたは良いものの、邪魔であることに変わりはない。
いずれ風の無い日に燃やしてしまおうかとさえ思った。
久秀さまだが、同じ場所で同じく寝食を共にしていると、いつの間にか野獣じみた欲が控えめになって成りを潜めている。
今では初対面の時の印象が大分和らいでいるが、ただし己の肉欲に限っての話らしく、私との親和を図るために、わざとらしく包容してみたり、頬や掌に唇を寄せてみたりと不可思議な行動を取るのにはしょっちゅう戸惑わされる。
つまりどういう事かと言うと、自分の快楽には無頓着であるにも関わらず、人の乱れる様は見たいという何とも面白い事をのたまうのだ。
やんわりとその事について聞いてみると、少し困ったように笑った。
「今でもモノにしたいと言う欲望は変わらんのだが、敢えて言うなら――お主が素材なら我輩は料理人だ。
素材をそのまま食うより、塩や醤油をかけて食った方が旨いだろう」
首を傾げると久秀さまは私の体を引き寄せ、更に講釈する。
それに素直に従う我が身がにくい。
隣に腰かけその言を聞く。
「例えば我輩がお主をこのまま羽交い締めにしたとする」
「しないで下さいね」
「だから例えばだ。――お主は拒絶するだろう? オッサンはな、年を取ると女に臆病になる」
「そうは見えません」
「そうか? しかし、そう言うものなのだ。若い頃と違って、見え無い所は傷だらけよ。
そんな所を好いた女にまで拒まれてみろ。
人生に嫌気が差す。自分にもな」
「嫌気が差しますか」
「嫌なことだらけだ。だからせめて相思相愛を望む。幸いにして
少し自嘲気味に笑う久秀さま。
そこに知らない単語があり、首を傾げる。
私が「しょうほこ……」と呟くと彼はこしょこしょと声を低めて言った。
「我輩のナニの事だ。ちんぼことも言うらしい」
私はカッと顔が赤らむ。
変な事を聞かなければ良かったと後悔するも後の祭。
対する久秀さまは「可愛いのう」と娘か大きな孫にするように髪を撫でた。
さて、そんな他愛ない会話が大なり小なり毎日欠かさず行われていれば、最初こそ拒絶してきたものとていずれ慣れてくるものだ。
食わず嫌いの好き嫌いとでも言うのか。
それこそ毎日食べていれば、好みの合う合わない無しに、よほど食ったら死ぬとでも言う食材を除外すれば大概慣れるというものだ。
久秀さまの場合は癖が強すぎるため最初こそ躊躇したが、考えていることは意外にも奥深く、この世の矛盾を下手に正当化しないため、有らぬ方へ舵を切らなければ話をしていると面白いと思ったりもした。
だからこそ、その顔に張り付けた仮面が勿体ないとさえ思った。
「どうした。心配事か」
「いえ、ちょっとぼんやりしてて」
「無理はするなよ、我輩にとっては命と同じくらい大事なのだから」
「そんな大袈裟な」
「お主を抱かぬ内に死なれでもしたら我輩は一生後悔する」
真面目な口調でそう言われて私は嬉しいやら気恥ずかしいやらで、困ったような笑顔を浮かべた。
人間、というか女というのも不思議な生き物で「好きだ、愛してる」と毎日のように言われているとその気になってしまうようだ。
その精神的な依存とは男以上であると自負する。
拠り所を得たと勘違いなどしたら私はきっと久秀さまにあっという間に食い尽くされるだろう。
それは何やら悔しいではないか。
その上相手は酸いも甘いも経験済みである。
私みたいな小娘など本気になれば簡単に落とすだろうに。
あれだけ嫌だ嫌だと言っていた御仁がいつの間にか側にいて当たり前の存在になりつつあるのは如何。
下女としての役割に徹していると言えば聞こえは良いが、主人からの寵愛を賜るとなるとそれはまた話が変わって来る。
登用したのは久秀さまであるのに、これでは妻か愛人である。
勘の悪い私でさえそう思うのだから勘の鋭い方や久々に顔を見せた柳生殿は「奥さん」と呼んでいく。
その度に否定するのも何と無しに疲れる。
「違います、私は久秀さまのお世話をしてるだけです」
「でも、あの人の名前呼べる人は奥さんくらいでしょ~。まぁ、織田家の面々は置いといてな」
「あの方には奥様がいらっしゃいます」
「でもその人はこの世には居ないんだろう?
じゃあこまちゃんが妻じゃなきゃ誰が松永殿の女なんだい?」
「別に久秀さまの女にならなくても良くないですか」
実際、手を出された訳だが何の行為も無いから「女」になっても居ない。
しかしそこまで言うのは憚られた。
柳生殿が続ける。
「そうかなァ? 松永殿の目、最近キラキラしててねェ。元気があるって言うか、充実してるというか。まぁ「貰うなら若い嫁」って言葉が良く分かったよ。本人も言ってるしね」
「あの方は何を言いふらして」
久秀さまの交遊関係など知った事では無いが一体どれだけの人間に「嫁」の話をしたのか。
とても深い溜め息が思わずこぼれた。
ただでさえ恨みの多そうな人だ。
それの尻拭いを必ずとも本人が代償するわけでは無いのだから、より一層何か起きたときが悩ましい。
頬に手を当てると柳生殿が言った。
「それそれ、その表情。誰かの物って感じでそそるねェ。こまちゃん、良かったらおじさんとも付き合わない? 松永殿よりは若いよ」
「嬉しい申し出だけど遠慮します」
笑顔でかわし、柳生殿の前に茶を差し出す。
もうすぐ久秀さまが帰ってくる。
夕食の準備をするために、その場を離れた。
するとしばらくして彼の声がした。
「今帰ったぞ~。むっふっふぅ、我輩の可愛いこまはどこかな~」
「あぁ、それなら台所の方に行ったよ」
「んん~。道理で良い匂いが……って、げぇっ! 何で貴様がいるんだっ!」
居間の方で声がした。どうやら帰って来たようだ。
私は一旦手を止めてそちらに顔を出す。
「おかえりなさい、久秀さま」
「おぉ、ただいま……。ねぇ、こまちゃん? 何でここに不殺の坊やがいるのかな?」
「さぁ? 何故でしょう」
「そりゃあ、誰かさんが女の自慢話ばかりするからからかいに来たに決まってるでしょう」
柳生殿は「当然だ」と言うようにきっぱり宣言した。
そして、脇から「はい」と酒瓶を取り出すと久秀さまに差し出した。
「もちろん手土産は持参してますよ。はい、あんたの好きな大金星」
これには久秀さまもかなわぬようで、嬉しいやら憎らしいやらと言った表情をしていた。
「ぐぬぬぬ…宗矩、後で覚えとれよ」
「同じ家にいてそこまで嫉妬するかい? 入れ込んでるねェ」
「うるさいわ!」
その間に手早く仕度する。料理を待つ間に風呂の支度もせねばならない。
居間の方が何やら賑やかだが覗きに行く時間が無かった。
楽しそうに何を喋っているのかと、時々聞き耳を立てるがあまり聞き取れなかった。
しかし風呂の様子を見て、思案しているうちに、料理が出来た。
今日は新鮮な魚が届いたから、それを煮付けにしてみた。
我ながら上手くいったと思うが久秀さまの判定は意外と厳しいから、どうだろう。
「お二人とも、お料理出来ましたけど」
「そうか、出来たか。お、うまそうではないか~」
久秀さまがまず箸を付ける。
ぱくりと一口。
「上出来だ」とお褒め頂いた。
続いて柳生殿が「旨いねぇ」と呟いたのでついつい頬が緩む。
自分の作ったものを誉められるというのはなかなか嬉しいものだ。
「こま嬢ちゃん料理も上手なのかい? やっぱり松永殿より俺の女になりなよ」
「だまらっしゃい!こまに料理を教えてるのは我輩なの!こまを物にしたいなら我輩の老後も面倒見るんだからねっ!」
「え~……松永殿は要らないかなぁ。それよりこまちゃんはどっちのおじさんが好みかな?」
「え?」
そんな質問が来るとは思わず、箸を落とす。
質問よりも久秀さまの眼光の鋭さにたじろいでしまうが平静を保って言う。
普通そんな事聞かないだろうと言う疑問は無しだ。
「お世話になってるので、久秀さまです…?」
ちょっとした恐怖で何故か語尾が疑問になってしまった。
腑に落ちない、という表情にいたたまれず、なんとか話を逸らす。
久秀さまがご機嫌斜めだと私の居心地が悪い。
苦笑しつつ私は徳利を差し出した。
「あはは…それより二人とも、お酒でもいかがです?」
この問いかけが功を奏し、意地っ張り二人して酔い潰れるまで飲んでいた。
居眠りする彼らに打ち掛けを被せて、片付けながら二人の顔を見る。
「どっちのおじさんねぇ」
私としては、出来ればおじさんより若者が良い。
しかしそんな事を本人の前で言ったらどんな顔をされるか分からない。
欲を言えば久秀さまが後二十年若かったら良かったのにと思わずにはいられない。
しかしなるようにしかならないのが人生である。
まぁ、これが彼の言う「運命」と言った所だろう。
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