恋煩いの短編集
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祭の華々しさの陰で、それに当てられた男女が睦事を紡ぐ。
赤い提灯には何か特別な術でもかけられておるのであろうか。
我輩も例に漏れず、それに当てられた輩の一人だった。
狂ったように彼女は踊る。
それはまるで、燃える焔のようで美しかった。
*
戦前に自軍の勝利を願って、織田勢は派手に祭を行う。
浅井領に赴いてから幾月か経った頃、とうとう信長は朝倉を攻めた。
それに伴って、浅井は織田から離反した。
願ったり叶ったりだが、しかし、この際それはどうでも良い。
出陣式の舞台に信長は何故かうちのこまを指名してきた。
神主を呼び、従来通り、敵に打ち勝ち喜びを祈願する三種を食しておれば良いものを、あの男は人の女を使ってそれをしようとする。
若くて美しく豊満な体を持つ、濃姫という女を筆頭に、同じくらい美しい側室がありながら、我輩の女を人目に触れさせようとする。
腸(はらわた)が煮えくり返るとはこのことだろうか。
「こま、嫌なら嫌と断ってきてやるからな」
「でも、あの信長ですよ。
断ったら何を言われるか分かったもんじゃ御座いませんもの。
命が惜しいので、私は舞いますわ。
元々それがお仕事ですもの」
「仕事なんかしなくて良い。
我輩の側にいるのが仕事だろう」
「でも……この血生臭い世の中ですから。
それに舞うのが好きなのです。
どうか舞台に立たせて下さいませ」
困ったようにやんわり微笑むこまに、我輩はつい呟く。
「頑固娘め……」
そんなことで、我輩は渋々彼女を送り出すことになった。
*
岐阜城の下にいた頃、彼女は暇を見つけては舞の稽古をしていた。
師が、唐(もろこし)なのか朝鮮なのか知らぬが良く跳ねて飛び回っていた。
時々戯れに笛など吹いてやると、こまは喜んで合わせて跳ねた。
思えば、飯の面倒と稽古の相手をしてやった事が今の関係の礎とも思えた。
今でこそ、その頻度は減ったが、今も変わらず彼女は稽古を行っている様子である。
――我听勧告天由命
彼女は時々そう言っていた。
何かの芝居の台詞であろう。
恐らく唐の言葉だろうが酷く発音は倭語である。
腐っても学者なまりでもあったから意味は解した。
我輩への当て付けだろうか。
――私は天の意思に従う
そして、歌うのだ。
――我待天的慈愛
下らんものだと思いながらも、愛しい娘の口から出る言葉を拾う。
きっと本国の者には伝わらぬ発音で彼女は歌う。
我輩はただ、その歌声を聴いている。
ただ、それが何故か今回に限って口を挟んでしまった。
「天の愛など待っていても何にもならん」
こまは歌うのを止める。
そして、大きな目を見なばと開けて我輩へと視線を向ける。
「……いきなり、どうなさったのですか?」
「お主がそう歌っていたではないか」
「あぁ……それで」
納得したように彼女は呟く。
そのまま我輩の側に侍ると、ゆっくりとこの手を取って優しく撫でる。
「苛ついてらっしゃるのね。
良い子ですから、ご機嫌を直して下さいませ」
「苛ついてなどおらん。
ただ、お主が天に従うなら、常日頃、運命をねじ曲げて思い通りにしようとしている我輩が酷く滑稽ではないか」
「私のせいで、申し訳ございませんわ。
でも、久秀さまは分かってないのですね」
クスクスと微笑しながら、意味深に呟く。
「我輩が知らぬことなど星の数ほど有る。
それで、何が分かってないんだ?」
すると、こまは我輩の手を引き寄せて頬へと導く。
我輩の掌がごわついているせいか、最近はとくにこの女の肌の柔らかさを感じる。
ひざまづくこまが囁いた。
「歌の意味とは少し違いますけど、私の天とは久秀さまでございます。
そして私はいつも、久秀さまの愛をお待ちしてますのよ」
にっこりと笑むこまに、我輩はうまく乗せられているなと思いながらも小さく笑った。
この女の唇は、動く度に我輩を嬉しくさせる。
本当に人の扱いが上手な娘で困る。
「それは愛欲でも構わんのか」
「痛くなければ」
「するものか」
ゆっくりと二人して寝屋へと転がり込む。
彼女の着物をはぎとって、その乳房にしゃぶりついた。
まるで果実だ。
先端から果汁が滴るのではないかとすら思う。
夢中で啜って、跡を付けた。
「だめ……。目立ちます……」
「構わんだろう。お主は我輩のだから」
「……酷くしないで」
囁く声は拒んでいるようで、その実、我輩を求めてくれる。
首に腕が回り込むのを遮って、口付けると蕩けた表情をした。
「あぁ……お主を他の者の目に触れさせたくない」
「私は命が惜しいです」
「いやだ、いやだ」
まるで餓鬼のようで情けない。
しかし、ぐずぐず言いながら彼女を抱けば、細腕がまるで真綿のようにふんわりと抱き返してくる。
愛し子が誘惑する。
「誰がどんな視線を向けても、私の心は久秀さまのもの。
久秀さまだけに向けられています」
それに甘えて、ただ衝動のままに駆け抜けていく。
どうしてこんなにも、この女は柔らかく甘(うま)いのか。
焦燥を癒すように、獣のように食らいついていた。
*
当日、こまはいつもとは打って変わって念入りに化粧を施していた。
粉など叩いて、まるで真っ白い仮面を被っているようだ。
しかし目と、唇に紅を差すと途端に艶やかである。
生きた雛人形のようでもあった。
「綺麗だな……」
呟いたのは隣にいた宗矩だった。
あやつの言葉に、こまはやんわりと微笑む。
「いつもと同じですよ。
白粉(おしろい)の量は多目ですが……」
「いいや、絶対に違う。
このまま拐って、おじさんのお嫁さんにしたいくらいだもの」
にんまり笑う若造に、こまは眉を下げる。
さすがに怒るべきだろうと思って、我輩は若造に拳骨した。
「こまは我輩のだ」と。
「いてて……殴るなんて酷いねェ。
まぁ、でも嫁入り前のように見えなくもないだろォ」
宗矩の言葉にちらりと視線を向ける。
確かにそう見えなくもない。
しかし、そう思いたくないのだ。
これではまるで、信長の下に嫁がせるように感じるではないか。
歯ぎしりをする。
頭がきいぃんと鳴る。
気を紛らす為にこまの化粧を眺めていると、暫くして織田の者が迎えに来た。
見知った輩だった。
「失礼つまかつる。
信長様の命により、前田利家参上致した」
宗矩を迎えに行かせてから目の前の男は言った。
しかし傍らに控えていたのは以前の猿では無く、柴田の石頭であった。
きっと来たがったであろう猿を、この若者は全力で遮ったに違いない。
その証拠が隣におわす勝家だ。
傍目に見ていても猿とこの鬼は相性が良くない。
勝家が苛立ちながら声を張り上げた。
「松永、早う任を全うせよ。
わぬしの連れとやらはどこにいる。
わしらはこれから戦に備えて支度せねばならぬ身ぞ。
殿を待たせる気か」
本心であろう。
利家に無理矢理連れてこられたのは良いものの、我輩の住みかとは思わなかったのであろう。
大方、信長が呼ぶものとしか聞かされて無かったと見える。
利家が必死になって宥めておるが、苛立ちは見てとれる。
かく言う我輩と勝家の相性もいまいちよろしくない。
よっぽど秀吉の方が合う気がするが、まともに相手をしたならどっちもどっちだろう。
「それは申し訳ない。
しかし、これは殿のたっての希望でござる。
それに女の支度は昔から時間が掛かるもの。
それも待てぬようでは……」
ちらりと、視線をはずしながら溜め息などついて見せる。
気の短い男はすぐ蒸気する。
「お主、わしを侮辱するか?」
「何も柴田殿を悪く言った訳ではござらんよ。
共通認識とでも言うやつか?
なぁ、利家殿」
「まぁ……うちの女房も身仕度に時間がかかりますので、良く待たされますが。
――うわ、そんな目で見るなよ叔父貴!」
「見ておらぬわ!」
ようやく言わんとしていることが分かったのだろう。
だからお主には女が出来ぬのだ、そう思いながら我輩は奥の間からそろそろとやって来たこまの手を取った。
「お待たせ致しました」
「本当だ。
あんまり遅いから待ちくたびれてしまったではないか」
こまにそう言うと勝家が声を張り上げた。
「誰がだっ!」
「叔父貴、落ち着いてくれよ……」
困り顔で年寄りを宥める利家。
頑固もので短気。
我輩と大して年は変わらぬだろうが、あぁはなりたくないものだとつくづく思う。
チラリと我輩を見てこまは首を傾げる。
行くな、と牽制したが、そんな男に物怖じせずに我が愛し子は近付いて行く。
「本当にご迷惑を御掛けして申し訳ございませんでした。
どうかお許しくださいませ。
――そうだ、甘いものでもいかがですか?」
懐から可愛らしい手箱を出して、彼女は言う。
入っているのは金平糖だろう。
あの箱は我輩がやったものだ。
そこでやっと、今まで自分のことで頭が一杯だった男が回りを見始める。
そして、こまを見て一言。
「わぬしが……松永の女房か?」
「はい。主人が失礼致しました」
唖然としている。
その表情から頭のうちが分かる。
松永みたいな悪党の側になんで? とでも思っておるのやも。
当たりなら、悪党だから側に置けるのだと言ってやりたい。
利家は金ヶ崎で秀吉の隣にいたから知っていたのだろう。
いや、岐阜城の下にいたときから分かっていたはずだ。
利家が言った。
「ほら、見たこと有るだろう?
何年か前、花見の時に舞った御仁だよ」
「あぁ。覚えておる……。
あの日はわしも、家臣らも久しぶりに胸が高鳴ったものだ。
しかし女だったとは……」
勝家はこまをまじまじと見つめている。
こまはやんわり微笑むと、勝家の掌をいつの間にか拝借して金平糖を忍ばせた。
「とても、おいしいですよ」
年は取っても初な男な勝家は、あっという間に先程の鳴りを潜めて金平糖に見入っていた。
そして、こまは我輩の下にひらりと舞い戻って来て言った。
「久秀さま、行って参ります」
「あぁ」
それだけ言うと、長居は無用というように、こまは促されるまま駕篭に乗った。
勝家は視線だけよこし、代わりに利家が頭を下げた。
隣に控えて待っていた宗矩が言った。
「あーぁ……こまちゃんがお嫁に行っちゃうね」
「それを言うな、阿呆」
見送りに、少し感傷的になる自分を戒めた。
*
彼女が行ってから、暫くして我らも神事の行われる室へと出発した。
橙色の空の下、赤い提灯が揺れている。
まだ火は点っていないが、これではまるで祈願というよりは祭のようだ。
神主が祝詞をあげている。
その手前には信長と濃姫が酒をついでいる。
神酒の濃い香りがこちらにまで漂って来た。
神主の冗長な祝詞が終わると、信長が家臣らに向かって一言だけ――
「朝倉と……裏切り者の浅井を滅ぼす」
そう言って盃を飲み干した。
それからすぐに鈴の音がした。
――しゃりん、しゃりん、と。
背後から巫女たちが列を成してやって来る。
その最後尾で、彼女を見つけた。
舞台に上がる。太鼓が鳴る。
大勢の視線が彼女らに向けられていた。
「はじめよ」
信長が命じた。
それを契機に女らは構えた。
剣を持っている。
彼女らの纏う衣は色が別れている。
紅白であるが、白を纏う女は我が愛し子のみだった。
「どう言うこったい?」
宗矩が言うので、我輩は憶測であるが答えた。
「白は織田、紅は朝倉と浅井。
数で劣る織田が、大軍を蹴散らすという図であろう。
織田が白なのは、単に信長が平家好きだからであろうな」
「はぁ。そうかい」
「とにかく黙っておれ。
こまが舞う」
笛が鳴る。琴が鳴る。そして太鼓。
舞い手の女らの目の色が変わる。
その中で、こまの視線は鋭く研ぎ澄まされていた。
*
冒頭に戻る。
酒など振る舞われ、赤い提灯にはいつの間にか火が点っていた。
日も落ちて、白装束をまとったこまは炎に照らされて赤く、紅衣をまとった女らは黒く見える。
「こまちゃん、綺麗だねェ」
宗矩が呟く。同感だ。
しかし我輩はただその姿を眺めていた。
何かを言うのは今さらな気がした。
「信長は粋な男なんだろうかね。
これを分かっていたのなら」
「最後に勝つのは源氏だからか。
夜の訪れと共に赤く変え……紅は黒く衰退する。
しかし、そこまで考えていたとは思えぬよ。
あやつはあくまで驕る平家だ」
酒を煽る。ぐらりと視界が揺らぐ。
いや、宗矩が袖を引いただけだった。
「なんだ?」
「いや、終わったみたいだよ」
「そうか」
酒の力とは時間を早めるのか。
本当に束の間であった。
女らが去っていく。
信長が壇上に上がる。
「大義。
勝利はうぬらの働きにかかっておる」
信長が言うと、織田の忠実な僕(しもべ)どもは歓声を上げた。
男のだみ声など煩わしいだけだ。
かといって女のキンキンと喚く声も好きではないが。
「どこに行くんだい?」
「便所だ」
実際はこまを探しに立ち上がる。
年寄りになって寂しがりが加速していくと言うのが、冗談で済まされなくなっている。
一刻も早くこまに会いたい。
あの娘が舞うと、どうにも衝動が止まらないのだ。
「見つけた」
そのまま腕を引くと、こまは大変驚いて小さな悲鳴を上げた。
「あぁ……久秀さま、驚きました。
ここに居てよろしいの?」
「我輩一人いなくても良い。
宗矩がいるしな。
それよりも、お主に触れたい。」
「そんな……人目があります。
今は許して下さいませ」
「いやだ。許さん」
無駄な衣装を剥ぎ取って、こまを抱えあげる。
小さく我輩を呼ぶこまは戸惑いを隠せぬと言った感じだ。
人の気配がせぬ場所に、どんどん遠ざかる。
聞こえるのは虫と風の音。
「久秀さま……」
「もう良いだろう……?」
立ち上がる下腹の剣をこまに押し付ける。
おれはお前と言う魔性に当てられたのだ。
だからそれを鎮める義務がお前にはある。
そんな自分勝手な思いを胸にしながら、娘の唇に噛みついた。
「あぁ、許して」
「主人の命が聞けぬか。
我輩をこんなにした悪女など手打ちにしてくれる」
「そんな……」
裾を捲り上げて、背後から抱きすくめる。
そのまま汗で蒸れた女陰を掻き分けて、肉の中にずぶずぶと挿し込むとこまは大きく吐息しながら、喘いだ。
肉壁がうねりながら、小矛を包み込み、ずるずるとしごいていく。
快楽によがりながらこまは、この腕を拒む。
「……いけません、久秀さま」
「……往生際が悪いぞ、こま」
腹の方の肉をぐいぐいと擦りあげる。
肉を挟んで、小便袋を擦りあげられてか娘は拒絶するのを忘れて節だらに喘いだ。
「いや……いやぁん……」
「何が嫌なんだ」
「そんなにされたら、出てしまいます……」
「小便か? 汚ならしい女め。
出されたくなくば言うことを聞け」
大人しくなったこまを抱きすくめて、その匂いを嗅ぐ。
溜め息がでる。
なんと良い匂いだろう。
寂しがりを紛らせてくれる。
「こま……あぁ、こま……」
囁きながら、腰を打ち付ける。
時々、猫が威嚇するような「ふー」という声がした。
しかしその本質は甘い甘い叙情を含んでいる。
堪(こら)え切れずに切ない声が漏れるのが聞こえた。
「よして下さいまし……。
もう、何も考えられないの……」
「よしよし……良いぞ。
そのまま一思いにいってしまえ」
「いや……いきたくない……。
でも、でも……あぁ」
――がくり、がくり。
そのような音が聞こえそうな様子で膝が崩れる。
まだまだ、足りず中を掻き乱してやるとこまはついに泣き出して言った。
「許して……許して下さいませ。
帰りましたら、いくらでも差し上げますから……どうか許して」
「女が達するまで目前だというのに引き上げろと?
無理な相談だ。さぁ、もう一度……」
ぐりん、と円を描くように腰を突き上げる。
小さな悲鳴がして、こまの肉壁が我輩を締め上げて吸いとろうとしている。
そして臀の肉厚が、やんわり根元を包み込む。
「……極上よな」
耳元で呟くとこまはぶるりと震えた。
女を征服できた優越感にふと、こまのその表情を見ると、とても幸せそうなとろみを帯びていた。
*
帰りはこまを背後に連れだって、元の場所に戻る。
しわくちゃになってしまった着衣は、衣装を上から被せると平然として何事もなかったように見せてくれた。
帰りを待っていたであろう宗矩のところに戻ると、結構な量の酒を一人で飲み干していた。
「随分と遅かったんじゃないかい?」
「あぁ。便所ついでにこまを迎えに行っていた。
少し語らっていたら遅くなってしまったようだ。
というより、まだ終わらぬのか」
「どうやら景気付けって奴みたいだよ。
杯が空いたら次々注がれる。
兵を二日酔いのまま戦に駆り出すのかい」
「馬鹿言え。無理して飲む奴があるか」
しかし良く回りを見渡すと織田の兵どもは酔い潰れてあちこちで雑魚寝をしているようだ。
薄暗がりの中であるから誰がだれだかは見当も付かない。
「だって松永殿ったら帰ってこないんだもん。
こまちゃんもいないし、つまんないったらないよね」
そう言うと、背後のこまを掴みあげて己の腕の中に閉じ込めてしまった。
暫し唖然とする我輩をおいてけぼりにして酔っ払いは言った。
「舞台、とっても綺麗だったよォ?
もう、惚れちゃうじゃない。
惚れてるけど」
「宗矩殿……お酒くさい」
「こまちゃんは良い匂いがするよ」
まるでデカイ猫か何かのように頬擦りする宗矩に、戸惑いながらもがくこま。
しかしいつもじゃれ合う二人に我輩はなんともしないまま、傍らにあった残った酒を口に含んだ。
もう帰ろう、そう思った矢先だった。
「生駒」
近くで声がしたので皆で振り返る。
将兵ばかりかと思いきや、違った。
すぐ側にその男はいた。
「信長様」
答えたのはこまだった。
頭巾など巻き、酒を嗜みながら、目の前におる。
こんな近くにおっては警戒など取りようもない。
こまが宗矩の腕に守られているという安心感からやも知れないが。
「何か用ですかね」
「何もない。
ただ、生駒の顔を拝みに来た。
その旦那にもな」
「我輩はおまけですか。
奥方がお怒りになりますぞ。
ただでさえ、我輩は奥方に毛虫を見るみたいな目で見られておりますのに」
「安心しろ。帰蝶には手出しさせん」
「ほう、仲が良いですな」
内心舌を出しつつ、思った。
人の女がそんなに気になるか。
舞台袖で女房仲間と語らう、この男の妻どもが不憫でならない。
しかし目移りするのは若さとも思う。
自分も昔はそうであったから、人のことを声を大にして言えないのが口惜しい。
「金ヶ崎では世話になったな。
それを言いたかっただけだ」
「左用でございますか」
「うぬは帰るのか」
「えぇ」
「ならば送らせよう。おれも疲れた」
信長は立ち上がるとどこかへ、ふらりと行ってしまった。
しかしすぐに従者とおぼしき者らが現れて、代わりに門の前に案内された。
駕篭が準備されていた。
その手前には美しい稚児が三人ほどとそれの護衛であろう足軽がいた。
まるで最初からそうする手筈が整っていたような体裁である。
思わず苦笑した。
「松永様、お待ち申しておりました」
「ご苦労。駕篭にはこの女が乗る。
我輩とこの男は馬で良い」
「畏まりました。
では、奥方はこちらへ。
それと……――」
稚児が懐から書状を取り出す。
「信長様からで御座います」
彼は丁寧な仕草で手渡す。
我輩は松明の明かりを依り代にして、その封を切った。
ぼやける文字を、視線を合わせながら読み解く。
近すぎては読めぬ字を、眉根を寄せながら我輩は紡いだ。
「……しいては弾正殿――」
――金ヶ崎では格別の働き、直臣に勝るとも劣らぬ。
その功、万金千金に値する。
武勲を鑑みて、弾正殿の次なる戦仕度を免ずる――
「……余計なお世話だ」
そこに、宗矩が酒で覚束ない足を、馬の足置きに乗せながら問いかけた。
「何て書いてあったんだい?」
「浅井と朝倉の戦には出なくて良いとさ。
お陰で無駄な金と労力を使わず済むわ」
「そりゃあ、良かったね」
「良いかどうかはまだ分からんよ」
「良いんじゃない。
無駄に命をすり減らしたら、こまちゃんが悲しむもの。
一つ儲けたね」
にかっ、と微睡んだ目で笑う宗矩に視線をやる。
駕篭に入ったこまを見る。
「そうだな……」
「そうだよ。
あのとき信長に手を貸して良かったねェ」
宗矩の言葉に、そうではないと思いつつも頷くしかなかった。
自分はまだこの手で我が定めを決められぬのだと思い知る。
この書状が何よりの証だ。
「お主は良いな。根が善良だ」
「拙者は何処もかしこも善良だよ。
松永殿が悪徳過ぎるだけさァ」
「ふん、悪徳だろうと徳は徳だ。
積み重ねれば弾正くらいには登り詰める」
「ホント、あんたには敵わないね」
「若造を簡単には勝たせんよ」
毒づいて、そのまま馬に乗り上げる。
稚児らが並んで我らを見送ろうと頭を下げる。
浅井のところのもそうだが、織田の礼節も良く行き届いていると思った。
「お主らの殿に伝えよ。
この松永は真摯に受け止めたと。
信長様のご厚情、感謝申し上げる」
「畏まりました。
一字一句誤りなく、お伝え申し上げまする」
蘭丸までは行かぬが、あれらとて信長のお気に入りであろう。
それを見送りに出すと言うのは、つまり相当な思い入れがあると見た。
その相手は我輩では有るまい。
確実に我が愛し子だのは承知である。
しかし、そこまで執着する訳を分からなくもない。
現にあやつは自分に良く似ていた。
似ていないのは、その背負った運命だけだろう。
話は変わるが、やはり酒は時間を短くするようだ。
気がつけば我らは帰還していた。
宗矩は住みかを見るなり、馬から飛び降りて直ぐ様横になる。
見ると主人を差し置いてさっさといびきを掻いていた。
我輩はこまを駕篭からおろしてやり、織田の者らを労って少しばかりの路銀を持たせて見送った。
また二人きりだ。
こまの腰に腕を回して言った。
「ご苦労」
「……いえ」
「なんだ、元気がないな」
「それは……」
モジモジと恥じらうこま。
彼女はそっと抱きつきて、耳元で囁いた。
「久秀さま」
「なんだ」
「するならば、もっと、ちゃんと……奥に留めて下さいませ」
「何の意味だ」
「……久秀さまのが溢れてきて困るのです。
御駕篭を汚さなかったか、とても心配でしたのよ」
その言葉に、我輩は返答する。
「ならば、また奥に押し込んでやろうか」
こまも答える。
「押し込むのでなく、掻き出して下さいませ」
「そうか、よかろう」
その願いを我輩は喜んで承諾した。
井戸から水を汲み出し、桶に張り、清めてやる。
頭から爪先まで撫で洗い、肉の中も傷つけぬようにして清めてやった。
汗も土埃も洗い流して、ようやくこまの役目が終わったようだ。
「ねぇ。久秀さまも、いらして」
「あぁ」
誘われるまま、着物を解いた。
真夏だ。水が心地よい。
肌の触れあう場所だけが、温かい。
抱き合いながら、目を閉じた。
「寝てはだめですよ。
お風邪を召されます」
「抗ってはおるよ」
「そう」
くすくすと笑うこまに我輩は、やんわりと笑みを向ける。
これが幸せかと、改めて思う。
たたでさえ老いた身だ。
自身がどれだけ生き長らえるか分からない。
若い女房を残して死ぬのは定めであるが、それを少しでも先伸ばしにしたいと思うのだ。
まだ、一緒にいたい。
この女が笑う顔を見ていたい。
「久秀さま……?」
気がつけば、我輩は泣いていた。
喧騒と緊張から解き放たれたせいだろうか。
単に年をとって、涙腺が緩んでいるだけだろうか。
心配そうに見るこまになんでも無いと、顔を拭った。
「こま……」
「はい」
「まだ、少しだけ一緒にいてくれるか」
「こまはいつでも一緒におります。
久秀さまがこまを捨てても、お役に立てれば幸せです」
「そうか」
真面目な顔のこまに、我輩は胸が熱くなるのを感じた。
今はただ、あの男に感謝すべきだろうか。
死なずに済む。
その事がどれ程に価値があるか、我輩は知っている。
死んでしまえば何も出来ない。
愛しいものを愛すことも出来ない。
「我輩もお主と同じになったな」
「何がです?」
「我輩も命が惜しくなった」
「ふふ、そうでしょう?
久秀さまは私の大事ですもの。
だから久秀さまもご自分を大事になさって下さいね」
微笑むこまはさも当然と言うように語る。
それがとても嬉しくて、嬉しくて仕方なかった。
――我听勧告天由命
我待天的慈愛――
子守りのようにこまが歌うのを、我輩はその胸の中で聞いていた。
20180721